UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第五十一話 『黒き弓の邂逅』

 

 side Blue 

 

 

 

 

 私は雨が嫌いだ。

 こう断言はしたけれど、別に何か過去に軽々しく話すのも憚るぐらい暗い事件やトラウマがあったりしたわけじゃない。

 単純に憂鬱な曇天が嫌いなだけ。だってホラ、普通に暮らしていて良いことなんてないと思わない?

 そりゃ農家の人とかなら雨が大事とか、日照りが酷いところなら雨が大事とか、そういうことは理解してるわよ。

 でも実際の話、そういうのって私には関係ないしね。悪ぶるつもりもないけど、結局人間っていうのは自分本位な生き物だってこと。

 

 

「いつの間にか魔法使いなんかになっちゃって、それでも世界ってのは広いわよねぇ。ま、私自身の世界はこれ以上ないってほどに狭いんだけど」

 

 

 当主になったのに家を飛び出して、洋の東西を問わず自由気ままに色んな場所を旅してきた。

 おいしいものを食べて、おもしろいものを見て、時には強いヤツと殴り合ってみたり、可愛い男の子にちょっかい出してみたり。

 それは本当に楽しくて、浮き草みたいな生活は思ってもみなかったことに私の性分と合致していたらしい。

 誰にも縛られず、誰への責任も負うことなく、ただ自分の体一つと身につけた稚拙な魔術、そして極みである魔法だけを持って。

 

 

「意外と一人でも何とでもなるものよね。それこそ昔は全然そんなこと思わなかったわ。あの二人には悪いけど、多分もう会わないんじゃないかしらね」

 

 

 中国の山々で深呼吸。モンゴルの草原で馬に乗る。

 ぐるっとインドまで行ってモスクを見て、オーストラリアの海で思う存分泳いだ。

 ギリシャで魔術関係のごたごたに巻き込まれて、そのままソイツと一緒にトルコを越えてイタリアの方まで逃げ回った。

 ドイツの酒場で乱痴気騒ぎ。イギリスは面倒だから通り過ぎて、カリフォルニアの町でバーベキューを。ついでにハワイではフラを踊ってみたり。

 姉貴と最後に喧嘩してから一ヶ月ぐらいも経ってないのに、気づけばいつものように私は地球を一周してしまっていたのだ。

 

 

「‥‥よく考えたら別に、戻って来なきゃいけない用事なんてないのよね。蒼崎の家からは戻ってこい戻ってこいって喧しく言われてるけど、そんなの知ったこっちゃないし。別に会いたい友達とか昔馴染みとかもいないしなぁ〜」

 

 

 それでも私は世界を一回りすると必ず日本へと足を運ぶ。

 本当に用事なんかないのに、不思議なことにただ通り過ぎるというそれだけが出来ない。

 空港を降りて、そこで漸く何をしようとしていたのか全く考えていなかったことに気がつくのだ。

 行きたい場所があるわけでも、会いたい人がいるわけでもないのにどうして来てしまったんだろうかって。

 

 

「女々しい、のかな、私も。郷愁っていう気持ちは理解できないつもりだったんだけど、そういうのってやっぱり自分の身になってみないと分からないものよね」

 

 

 一番若いということもあって、魔術協会はやたらと私に構う。

 並行世界へ旅立ってしまうために本当に居所の知れない第二の魔法使いである宝石の小父様と違って捕まえやすいと思われているのかもしれない。

 事実今まで数度か協会からの使者とやらに会ったけど、あれは本当に煩かった。

 やれ任務があるだの、やれ任務がなくても時計塔にいろだの‥‥。何を考えているのか私みたいな若輩でも簡単に予想がつく。

 要は魔法が欲しいのよね、あの連中も。しかもその動機が根源の探究とかではなく自身への俗物的な利益なんだから不愉快極まるってもんよ。

 

 で、私の故郷である日本なら捕まえやすいだろうと見張りが厳しくなっているのに違いない。

 事実今まで捕まった———拘束されたって意味じゃないわよ?———のはイギリスを除くと全部が日本だ。魔術貧乏なこの国にわざわざご苦労様なことだけどさ。

 だから本当なら日本に帰ってくることは煩わしい協会からの戻って来い攻撃に晒される可能性もあるわけで、普通に考えれば帰って来ない方が良いに決まってる。

 ただでさえ会いたい人も行きたい場所もないんだから道理に適っているのだ。不愉快なことにわざわざ直面するために戻る意味がない。

 

 

「‥‥でも帰って来ちゃうのよねー。ホント、人の心ってのは不思議なもんだわ」

 

 

 さて、それでも来てしまった以上はそのまますぐさま外国行きの飛行機に乗り込むというわけにもいかない。

 いやね、本当なら別にそれでもいいのよ、でもやっぱり何ていうか癪じゃない? そういうのって。

 なんか負けたような気がするのよね。誰と戦ってるわけでもないんだけど、ただ何となく。

 

 

「‥‥で、暇した挙げ句にこんなところまで来ちゃうっていうのは私としてもどうなのかしらねぇ。

 なんていうか、もしかしたらMっ気でもあるのかしら? そんなはずはないと思うんだけど」

 

 

 いつからか空は真っ黒に染まり、叩き付けるような豪雨が降り続いている。

 長い髪の毛はしっとりと濡れて重い。乾かすのが手間だけど、私は野暮ったくて傘が嫌いだから仕方がないことだと諦めよう。

 さっきまで暑い国にいたから春も間近とはいえ寒い中で薄着だけど、不幸中の幸いか素材がしっかりしているので透けてしまったりすることはない。

 それでも寒いことには変わらないから、あんまり長いこと外で雨に打たれていると風邪をひいてしまいそうだ。

 

 にも関わらずぼんやりと突っ立った私の目の前には、古びてはいないけど建設途中の廃ビルが建っていた。

 四階建てのそれは最初の予定では五階建てにするつもりだったのだろう。どういう経緯で建設がストップしたのかしらないけど、四階の屋上には剣のように柱がそびえ立っている。

 全体的にセンスの良い外装は間違いなく廃ビルであるのにそのような印象を与えない。

 そもそも建設がストップされたのが最近なんだろうから、廃ビルとは言っても新しいのだ。

 

 

「最後に会ったのも一月ぐらい前だし、顔出したら怒り狂うだろうからサッサと逃げちゃいましょ。どんな顔するか楽しみだわー」

 

 

 そう、この建物は現在姉貴が根城にしているもので、言うなれば悪の親玉の本拠地とでも言ったところ。

 未だに会えば殺し合いを始めるという私達の関係上、一ヶ月という短期間で顔を合わせるのはあまりよろしいことじゃない。

 だというのにココへのこのこやって来たのは、多分本当に気まぐれだったんだろう。別に私は慎重っていうわけでもないけど、わざわざ藪を突っつくなんてことは早々しないしね。

 まぁ、いいわ。どうせ気紛れなんだし。突然顔を見せて、すぐに逃げよう。それだけでも随分と退屈が紛れるに違いない。

 

 

「お、もしかしてアレかしら?」

 

 

 降りしきる雨で霞む視界の中、通りの向こうから真っ赤な傘とオレンジ色のコートを着た女性のシルエットが見えてきた。

 しっかりとは分からないけど、多分あれが姉貴で間違いないだろう。他の人間なら間違えてもおかしくないけど、やっぱり姉妹だからだろうか、はっきりと判別できてしまう。

 

 

「んー、どうしようかな、こっちから声かけちゃおうかしら? まぁ先手を打った方が逃げやすいし‥‥おーい姉貴ー! 元気ー?」

 

 

 雨の中で大きく手を振って挨拶する。こんな元気の良い挨拶は数年ぶり、いや下手したら初めてかもしれない。

 もちろん姉貴が遠目にでも何らかのアクションを起こしたのが確認できたら、すぐさま愉快げに笑い声を上げてやりながら一目散に逃げ去るつもりだった。

 いくら私が気まぐれに普段なら絶対やらないことを試したといっても、流石にそのくらいの分別はある。

 姉貴の使い魔はブチ殺したから早々ヤバイ事態になんてならないと思うけど、なんだかんだで姉貴は並の魔術師じゃない。隠し玉の一つや二つや十や百ぐらい仕込んでいたって不思議じゃないもの。

 

 

「ふん、青子か。わざわざ私をからかうためだけに姿を現すとは良い度胸だな。お望み通りブチ殺してやる———と言いたいところだが、生憎と今はそんな気分じゃない。とっとと失せろ」

 

 

 ところが何時でも逃げられるように準備をしていた私は、ようやく傘に隠れた顔までしっかりと見えるぐらいの距離に近づいてきた姉貴のらしくない言葉と、何より抱えた代物に仰天してうっかり立ち尽くしてしまった。

 

  

「ちょ、ちょ、ちょっと姉貴、その子どこで拾って来たのよ?! 傷だらけだし、すごく衰弱してる!」

 

「路地裏に転がっててな。どうも面白そうだし興味が湧いたから連れて来た」

 

「興味が湧いたって‥‥あーもー、確かに姉貴ってばそういう性格してるわよね」

 

 

 最初は人形かと思った真っ黒な物体は、近くに寄って見てみれば年端もいかぬ男の子だった。

 姉貴が抱えることができるくらいだからあんまり大きくない。多分小学校低学年、二年生から三年生ってところだろう。

 真っ黒なのは着ている、というよりは着られているブカブカのコートの色もあるけど、よく見たら雨と泥と、ついでに固まりかけた血の色が混ざっているのだ。

 気絶しているのかだらりと力無く垂れ下がっている手に視線をやれば酷い火傷をしているのがわかる。姉貴の胸に埋めた顔を見れば、切り傷やら打ち身やらも確認できた。

 

 

「ちょっと姉貴、いくら男日照りだからって年端もいかない子供を火事場泥棒してまで掠って来るなんてやり過ぎじゃない?」

 

「貴様は何を聞いていた? 路地裏に転がっていたのを連れて来たと言っただろうが。人を勝手に変質者に仕立てあげるんじゃない」

 

 

 ギロリ、と先程までと温度の違う目が私を睨む。これでこそいつも通りの姉貴だと、そう思った次の瞬間にはまたもや冷静の色を取り戻している。

 魔術回路も起動させないで、互いに殺意を発さないで、これほどまでに会話を続けたのは姉貴が家を飛び出す前を含めても初めてだ。

 

 

「大体こんな重度の火傷は相当に大規模な火災か、もしくはガスバーナーで執拗に長時間焼き続けたりしないことには負ったりしない。そんな火事はついぞこの辺りで見かけんし、虐待というなら路上に放置しておく理由がなかろうよ」

 

「ふーん。ならなんでこの子はこんな大怪我してるのよ? ガス爆発にでも巻き込まれて吹っ飛ばされたとか?」

 

「地面に落ちた時に死ぬに決まっているだろうが。大体それが分からんからコイツを運んで来たんだ。‥‥ちょうどいい、私だけで持って上がるのは手間だ。青子、お前も手を貸せ」

 

 

 確かに研究者肌の姉貴よりは活動的な私の方が体力は上だ。

 一方的な命令は百歩譲っても頼み事なんかではないけど、それでも姉貴が私に何かを任せるというのは初めてのことで、拍子の抜けてしまった私は文句も言わずに男の子を受け取った。

 ‥‥軽い。怪我をして、多分かなり衰弱もしてるんだと思ってたけど、この軽さはそれだけじゃない。

 男の子に負担がかからないように小さな体を抱え直してから姉貴の方へ視線を向けると、オレンジ色のコートの下の白いTシャツが真っ赤に染まっていた。

 あぁ、そうか、この子は血が流れてしまっているから軽いんだ。

 

 

「姉貴、早くしないと‥‥!」

 

「分かっている。‥‥ちっ、普段ならお前が入ってきたら全ての仕掛けを起動してブチ殺すんだがな。結界は解除したから着いてこい」

 

 

 物騒な台詞を吐きながら階段を上る姉貴の後を着いていく。

 気がつけば私の胸元にもべっとりと血が付いてしまっていて、少年の体は雨に打たれたことをさっ引いても冷たく、そして更に冷たくなっていくのが分かった。

 これは実際の話だけど、大きな怪我をした場合の死因はその傷自体が原因ではなく、出血多量によるものが多い。

 魔術においても血は命の通貨だ。吸血鬼は言わずもがな、魔術師だって血を重用視するし、コレがなければ人間は生きていけない。

 

 

「そこに寝かせて、服を剥げ。ついでに暴れないとは思うが念のため台の四隅に抑制帯があるから四肢を縛っておけ」

 

「っとに、こき使ってくれるわね全く!」

 

「目の前で子供に死なれるのは夢見が悪かろう? 私とてわざわざ拾ってきたのは死なせるためではない。貴様は治癒魔術が使えないのだから大人しく指示に従え」

 

 

 外の階段で四階に上がってから中の階段で三階へ。

 四階は事務所みたいなところで、多分あそこで書類仕事とか、表側の仕事をするんだろう。

 いくら魔術師だって封印指定を受けて隠遁している以上は金が必要で、それはおそらく表の生活で手に入れているに違いない。

 姉貴が大人しく社会の中で仕事をしているのは想像つかないから、きっと何か面倒でややこしくておもしろそうな案件ばっかり扱っているに決まっているのだ。

 

 

「ていうかいいの? 姉貴ぐらいの一端の封印指定の魔術師が、身内とはいえ他の魔術師を工房に入れたりして」

 

「では聞こうか、青子。ここにあるものが何に使うものなのか、お前に分かるのか?」

 

 

 三階は姉貴の工房のようだ。魔術書の類が見あたらないから秘中の秘たる研究室はまた別にあるんだと思うけど、そんなところに私を入れるなんて、この人本当に私の姉?

 もちろん自然と口から出てきた質問に返された言葉は非常に理に適ったものであり、それでも私はこめかみがピシリと音を立てるのを必死で抑えたのだから褒めて欲しい。

 

 

「そこのタオルをとって、口に詰め込め。うっかり暴れて舌を噛み切る怖れがある。‥‥よし、作業を始めるぞ」

 

 

 “治療”ではなく“作業”と形容したのは姉貴らしい。というよりも、治療風景は正しく作業と称するに相応しいものだった。

 治すのではなく、直す。医者というよりは姉貴の呼び名の通りの人形師で、壊れた人形を修理するかのような不気味な手際の良さだ。

 実際やっていることは医者と大して変わりはないのだと思う。ただ、見た目がそう形容されてしまうぐらい不気味なのよね。

 

 

「‥‥よし、これで終わりだ」

 

「大丈夫なの?」

 

「私の腕を嘗めているのか? 確かに怪我は酷かったが、この程度の手術なら十分でお釣りがくるさ」

 

 

 暫くしてから姉貴が腕をとめ、血だらけになった服を無造作に私の前で着替え始める。

 ちらりと作業台の方を覗くと、確かに男の子はいつの間にか綺麗に包帯を巻かれて、ついさっきまでの何かに魘された様子とは異なり安らかな寝息を立てていた。

 四肢を拘束していた帯も口に詰められていたタオルも外されているけど、顔にも手にも足にも体中に包帯が巻き付いていて痛々しい。

 窓がない地下室みたいな作業部屋は灯りも暗いから、まるで捕らえてきた何の罪もない一般人に改造手術を施す悪の組織みたいだ。

 もちろんむやみに事を荒立てたいわけじゃないからそんなことは考えても口に出さない。そのくらいの手間を惜しまないくらい、今の私は姉貴と喧嘩をする気を失くしていた。

 

 

「さて、残った問題はコイツが何者かということ、か」

 

「姉貴はこの辺りに住んでるんでしょ? 何か心当たりとか無いの?」

 

「私とて此処にはつい最近越してきたばかりだ。それに近所付き合いをしているわけでもないから、そういうことは全く知らんよ。

 ‥‥しかしまぁ、さっきも言ったがこの辺りで児童虐待の噂も聞かん。事故が起こったわけでもないし、火事が起これば流石に騒ぎになっているだろう。とんと見当がつかんな」

 

 

 昔暇つぶしに見たワイドショーか何かで聞いた話だけど、虐待なんかは結構周りで兆候を観測できるらしい。

 例えば学校で生徒を見ると日に日に生傷が増えていたり、隣の家で不審な物音、叫び声とか物が壊れる音がしたりとか。

 最終的に虐待とかで子供が死んじゃって親が逮捕される話なんてのは不愉快なことに最近は多いけど、そういうのも後になって調査してみれば『あぁ言われてみれば‥‥』というのが大半なんだって。

 そして姉貴が言うには、この辺りでそういう噂話は耳に挟んだことがないそうだ。

 近所付き合いをしないくせにどうしてそういうことがわかるのかとも思ったけど、きっと使い魔だか何だかで情報を収集しているんだろう。

 

 

「そういえば姉貴、何でまたこの子を拾ったのよ? 気まぐれにも何か理由があるはずでしょ。姉貴が本当に気紛れだけでそういうことする人間だとは思ってないし」

 

「大した言われようだな。まぁ、確かにその通りなわけだが」

 

 

 懐から煙草の箱を取り出し、一本咥えて火を点ける。換気扇が点いているから室内でも煙が籠もることはないと思うけど、病人の傍で煙草を吸うのはどうだろうか。

 え、私? 私は煙草なんて吸わないわよ。ご飯が美味しくなくなっちゃうでしょうが。

 

 

「‥‥コイツの周り、あとコイツが倒れていた場所がな、少々気になった」

 

「気になったって‥‥何がどうなってたの?」

 

「世界が歪んでいたのさ。何か無理矢理、きっちり整列して物を詰めている箱の中に予定にない物を詰め込んだときのように、世界が撓んでいたんだよ。

 お前も知っているとは思うが、私はこういうことに敏感でな。まぁ具体的にどうして歪んでいるのか、となると流石にそこまでは判断できんが、とにかく早々あることではないから気になってな‥‥」

 

「‥‥‥‥」

 

 

 姉貴は理屈をこねるのが大好きなところがある。それは殺し合いばっかりしている私にでも理解できていた。

 そんな姉貴だけど、それでいながら非常に感性が豊かで、敏感だ。それは時に理屈すら凌駕して観察の結果を姉貴にもたらす。

 私も魔法使いとしてそれなりの感性を備えているつもりなんだけど、それでもこういう細かいことになると姉貴に一歩譲らざるをえない。

 だからこそ“世界が歪んでいる”なんて物騒で突拍子もない話を信じることが出来た。

 うーん、やっぱり無条件で信じることが前提になるあたり、私達って姉妹なんだなぁって実感するわ。腹立だしいことだけど。

 

 

「‥‥まぁいい。普段なら退屈が紛れる無駄な思考推論は望むところだが、今回ばかりはダイレクトに結果を知っておきたいからな。少し強引だが、分かりやすい方法をとらせてもらうとしよう」

 

 

 そう呟くと姉貴は手近なテーブルで適当に煙草の火をもみ消し、おもむろに作業台で寝息を立てる男の子へと近づいていった。

 魔術回路を起動させている。治療自体は終わってるからそんな必要はないし、今さっきまでの話の流れから察するに———

 

 

「ちょっと待って姉貴! まさか記憶を吸い出そうっていうつもりなの?!」

 

 

 何をしようとしているのか瞬時に察して、慌てて姉貴と作業台の間に滑り込んだ。

 

 

「ほう、力任せにブチ壊すしか能の無いお前がよく私のやろうとしていることがわかったな」

 

「わかったな、じゃないわよ。こんな小さな男の子にそんなことして、精神に隙間が出来ちゃったらどうするの!」

 

 

 比較的扱いが簡単な精神を介して魂に接触し、記憶の断片を引き出して観察する魔術は意外に難しくない基本的なものだ。

 とはいえそれは術自体の難易度の話で、実際に行使するとなると様々な問題を伴う。最たるものは魔術師相手には極めてかかりにくいということだろう。

 もちろん魔力の欠片も感じないこの子が相手なら簡単にかかると思う。問題はその後なのよ。

 

 記憶を読むのは暗示とは違う。いうならば暗示が上からモノをかけて埋め尽くすのだとしたら、記憶を読むのは中身をグチャグチャと弄くり回すことに等しい。

 これはあくまでイメージだ。実際には記憶は魂から読み取るし、魂にはおいそれと干渉できない。でも間に挟んだ精神はどうかしら?

 下手に弄れば簡単に壊れて廃人になってしまうし、そうでなくとも精神干渉系の魔術にかかりやすくなってしまうなどの後遺症が残る場合も多々ある。

 弄くったから隙間が出来ちゃうのよ。普通に暮らしている分にはあんまり問題なくても、もし魔術師とかと会っちゃったら体のイイ傀儡にされちゃうかもしれない。

 

 

「‥‥おい青子、お前はどれだけ私を過小評価すれば気が済むんだ? まさか私がそのような凡ミスを犯すわけがなかろう。

 精神というのもな、複雑に構成されている。その構成の隙間を広げないようにすり抜けていけば、全く気づかれないまま、影響が無いままに記憶を読み取ることができるんだよ」

 

「そりゃ姉貴の腕は嫌って程わかってるけど、それでもやっぱり万が一ってことはあるでしょ? 姉貴がうっかりやりすぎないとも限らないし‥‥」

 

 

 姉貴は確かに凄腕の魔術師だ。それは頻繁に殺し合ってる私だからこそ、私自身の魔術師としての腕前が下手くそでも一番よーく分かっている。

 でも同時に姉貴は生来の研究者肌で、一度没頭してしまえば周りを顧みない可能性があるものまた事実。

 記憶を覗いている途中でおもしろいものを見つけたら加減が効かなくなってしまうかもしれない。

 ‥‥いやね、私だって自分で自分にビックリよ。こんな会ったばかりで、言葉も交わしてない男の子を心配してるなんてのは。

 まぁ怪我だらけで顔の美醜とかはよく分からないけど、やっぱり子供に危害が加えられるのは看過できない。

 どうやら私は、思ったよりも家庭的で、思ったよりも母性が強い女だったらしい。

 

 

「ならお前も一緒に見るか?」

 

「へ?」

 

「そんなにコイツが心配なら、お目付役にでもなればいい。私がやり過ぎたと思ったら止めろ。それなら問題なかろう?」

 

「‥‥そりゃ、そうだけど」

 

 

 男の子の額に手を被せて振り返った姉貴の言葉に逡巡する。

 確かにプライバシーの侵害は心苦しい。いくら現状を把握するためで、もしかして酷い境遇にあるかもしれない男の子を救うためのものになるかもしれなくても、それは同じだ。

 でも姉貴はやるといったらやるだろう。私が止めても、私が関わらないと言っても、やると決めたら必ずやる。

 正直な話、多分姉貴だってそこまでおかしなことにはならないと思う。確かに色々と不思議なことはあるけど、この子自体には魔力の欠片も感じない一般人だ。

 おそらくは一般的な境遇として珍妙な事柄が出てきたとしても、姉貴が心を奪われるような魔術的に特殊な事態は起きないはず。

 

 

「‥‥はぁ。まぁ確かに文句ばっかり言ってるってのも無責任な話だしね。いいわ、私も一緒に見ることにする」

 

「ほう、偽善者ぶっているいつもの様子からしてみれば珍しいな、青子」

 

「けしかけたのは姉貴でしょ。それに私のは偽善とかじゃなくって、純粋に私の気にくわないことを蹴散らしてっただけよ。ホラ、ちょっと場所空けてよ、手が届かないじゃない」

 

「反対側から手を伸ばせばいいだろうに‥‥ったく。ホラ、しっかり魔術回路を起動させろ」

 

 

 少しだけ詰めてもらって姉貴の横に立ち、男の子の額に手を添えて魔術回路を起動させる。

 肩と言わず腕と言わず、完全に姉貴と体が触れあっている。ここまで近くに寄ったのはついぞ記憶がない。

 

 

「‥‥よしいくぞ。気をしっかりともてよ」

 

「姉貴こそ、失敗なんてしたら承知しないからね」

 

「誰がどう承知しないというのだ」

 

 

 軽口を叩きながらも意識の海へとダイブする準備をとった。姉貴の口が僅かに動き、呪文を詠唱する。

 姉貴の手と重なった私の手に術式が浸透し、私の意識が姉貴の意識に引きずられ、男の子の中へと飛び込んだ。

 さて、姉貴が気になったっていうぐらいだから、多少なりともおもしろいものが見れるには違いない。

 それが楽しいものじゃなくてツライものだってことぐらいは想像できたけど、所詮それだけだ。

 だって私はそういうもの、世界を回っていてもう沢山見てきてしまったのだから。今更動じるようなことでもないわ。

 

 ‥‥今になって思えば、あのときの軽い気持ちは完全に間違いだった。

 不謹慎だったとか後悔したとかじゃなくて、ただ単純に事実として私の推測は誤りだったということ。

 いや、あの時どんな推測をしたってそれは外れていたことだろう。

 なにせ私が将来の義弟となる男の子の記憶から受けた衝撃ってのは今まで生きてきた中でも一、二を争うものだったし、何よりその後に義弟に迎え、一緒に過ごした歳月もまた、今までの私からしてみれば想像もつかないものだったのだから。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

『はいほー、はいほー、少女が好きー、出来れば小学生がサイコー、サイコー』

 

「不気味な歌はやめなさい奇天烈ステッキ! ていうかそれは私への当てつけかぁーっ!!」

 

「落ちつけ遠坂、さっきから何かヘンだぞ?」

 

「落ち着いてなんかいられますかっての! 何で現在進行形で黒歴史生産してなきゃならないのよ私はっ?! もうすぐ二十歳なのよ、二十歳!」

 

 

 まだまだ深夜という時間帯ではないけれど、それでも殆どの人が自宅へと帰ってしまった冬木の街を、やたらと賑やかな六人組+αが歩いていた。

 一番喧しいのはそのうちの一組。トレードマークの赤いコートを着た遠坂嬢と、その周囲をクルクルと飛び回る謎の怪物体。

 その怪物体は先程から遠坂嬢の沸点をドンドン下降させる言動を矢継ぎ早に繰り出していて、普段はそれなりに分別のある遠坂嬢も流石にそろそろオーバーリミットしてしまいそうだ。

 

 

『私としてもですねー、やっぱりマスターたりえる魔法少女は十二歳以下がベストマッチだと思うわけですよ〜。確かに凜さんは私という魔術礼装を使うにはこれ以上ない逸材ですけど、私という魔術礼装に使われるには少々狡いというか、萌えないというか‥‥』

 

「勝手言ってるんじゃないわよ変態ステッキ! なんで私がアンタに使われなくちゃならないのよ! 私だって本当ならアンタとかなんか一生会いたくなかったわ!」

 

「‥‥なんというか、結局は上手く噛み合ってるような気がしないでもないんだけどね。どう思う、ルヴィア?」

 

 

 +αは約二名(?)。遠坂嬢とルヴィアの周りをフラフラと飛び回る謎の物体だ。

 宝石翁から渡されたステッキ型の魔術礼装、言わずとしれたマジカルルビーとサファイヤで、どちらも今はステッキの柄の部分を省略した待機モードだとのこと。

 姉の方は五芒星で、妹の方は六芒星の安っぽい装飾が顔の部分で、横についているデフォルメされた羽が手の部分らしく賑やかに動き回っている。

 本人達———特にルビーの方———はマスコットのつもりなのかもしれないけど、どう贔屓目に見てもRPGとかのラストダンジョンに出てくる不気味モンスターだ。

 マスコットを主張したいのならもっと愛らしくて不気味じゃない形になるべきだろう。フェレットとか、オコジョとか、関西弁のぬいぐるみとか。

 

 

「ふむ、無限に広がる並行世界の自分から、状況に応じて必要なスキルをダウンロードする機能がある、と? どちらかといえばそれが本来の機能なのですわね?」

 

『はい。今回の任務では並行世界へ微小な穴を空けて無限に魔力を供給できること、現代魔術に括られない純粋な魔力による攻撃を運用できることでルヴィア様と凜様の手助けになると採用されましたが、本来は戦闘に向いているわけではありません』

 

「使用者に施される魔術障壁、物理障壁、自動治癒(リジェネレーション)や身体強化についてはどういう理屈で備わっているんですの?」

 

『魔法少女は安全でなければならない、というのが我らが造物主である宝石翁の持論なのですが‥‥。

 その辺りは姉さんの方が上手く説明できると思います。私は能動的にプログラムされていないので、基本的には姉さんとセットで運用されますから』

 

 

 一歩後ろを見ると前の二人とは対照的に、ルヴィアが真面目に自分の周りをふわふわと漂うサファイヤと話をしていた。

 確かに姉の方の性格こそアレだけど、このカレイドステッキは第二の魔法使いによって造られた現代の魔術界においても破格の性能を持った場違いな魔術品(オーパーツ)だ。

 宝石翁の操る第二魔法の一端を再現する高度な魔術礼装に、自分の機能を説明できる人工精霊が付随しているのだから知的好奇心が刺激されるのも頷ける。

 なにしろ下手すれば第二魔法への手がかりだ。出来る限り情報を引き出しておくに越したことはない。

 

 

「‥‥あちらと違って随分と仲が良いね、君達は」

 

「愚問ですわね。魔術師たるもの魔法へ至る手がかりがあるなら何をおいてでも究明するものです。それというのに、ミス・トオサカはどうしてああやって反目しているんですの? ここまで重要な手がかりを前に何もしないとは、魔術師失格ですわ」

 

「どうも昔に色々あったみたいでね‥‥。それにあの人工精霊相手に素直に教えを請うなんて無理だと思うな。君はどうだい?」

 

「‥‥確かに、平静を保てそうにはありませんわね。サファイヤがパートナーで本当に良かったですわ」

 

『恐縮です、ルヴィア様』

 

 

 俺達が目指しているのは霊脈の歪みが観測された新都の冬木中央公園。

 ただでさえ前々回の聖杯戦争の影響か霊場が歪んでいたのだ。それを利用して設置したのかどうかは分からないけど、ある意味では十分に予想できた場所だと言える。

 主戦力であるセイバーと遠坂嬢とルヴィアに加え、同行するのは俺と衛宮とバゼットの三人。

 正直な話で言えば俺は殆どオマケか付録みたいなもので、セイバーがいて一対一が想定される以上は衛宮もさほど意味がない。

 

 

「傷は大丈夫なのか、バゼット? 俺と紫遙も保険代わりにいるし、何よりセイバーがいるからアンタはついてこなくても平気なんだぞ?」

 

「ご心配ありがとうございます、士郎君。しかし私とてこの任務を命じられた一員です。せめて最後まで見届けなければ、封印指定の執行者の名が廃るというもの。

 それに傷も大体は癒えています。傷つけられたのがゲイボルクだったので流石に大きな怪我は完治していませんが、立っているだけなら問題はありませんよ」

 

「そうか、でも無理はするなよ? 俺達の後ろにいて、出来ればジッとしていてくれ。なぁ紫遙?」

 

「まぁね。というより俺としても出来れば衛宮の後ろで安全に援護していたいところさ。英霊とガチで殴り合いなんてぞっとしないよ」

 

 

 肩に担いだ魔術礼装、『魔弾の射手(デア・フライシュツ)』。今回もいざという時にはコイツに活躍してもらうことになる。

 こいつは物理ダメージを主眼においている質量兵器みたいなものだから、対魔力でも早々ダメージは軽減できない。

 もちろん相手は英霊だから普通に飛んでくる鉄球を撃墜、回避するくらいなら容易いだろうけど、あくまでも援護として運用するなら十分に存在価値がある。

 ただ懸念しているのは、宝具なんかで迎撃されたら、いくら橙子姉謹製の魔術礼装とはいえ呆気なく破壊されてしまうんじゃないかってこと。

 一〜六番のカスパールはそこまで複雑な造りをしていないからリカバリーも楽だけど、いわばこの魔術礼装の頭脳である七番のザミエルを破壊されたらロンドンには帰れなくなる。

 あれは複雑過ぎて俺では手が出せないのだ。橙子姉に修理を依頼することになるし、そうなったら早々に戦線を離脱して東京に戻らなきゃいけない。

 

 

「俺に投影できればいいんだけどな‥‥。属性の関係もあるし、ちょっと難しそうだ」

 

「というより、衛宮が投影した礼装を俺が使えるのかって問題もあるしね。衛宮の魔力で編まれた幻想が俺の指示を聞くかって話で、多分それは無理なんじゃないかな。

 それに俺がコイツを使ってるのは便利だからってだけじゃないし‥‥」

 

 

 バゼットやルヴィアには聞こえないようにささやかれた衛宮の言葉に、感謝しながらも冷静に辞退した。

 言葉にした通りの問題もあるけど、何より俺は橙子姉の造ったものだからこそコイツを愛用しているということもある。

 多分自分で造れるようになったとしても、なんだかんだでコイツを使い続けているんじゃないかな。そもそも戦闘は出来る限りやりたくない。

 

 

「こらそこ、何をごちゃごちゃ話してるの?!」

 

『この辺りが目的地ですねー。歪みが最大値です、これは酷いですよ〜!』

 

 

 気がつけば俺達は何時の間にやらお目当ての公園へと辿り着いていた。

 辺りは前に来たときと同じく不穏な空気に満ちていて、本当に一種の固有結界のようにも感じる。

 これなら人が滅多に寄りつかないというのにも納得だ。ここまで濃い怨念が溜まっていては一般人でも調子を悪くするに違いない。

 

 

「さて、それじゃあまずは作戦のおさらいよ。まず相手が何であろうとセイバーが接近戦を挑んで、私とルヴィアゼリッタが遠距離から魔力砲で攻撃する。これが基本よ」

 

『対魔力を持ったサーヴァントが相手だと現代の魔術は通用しませんからねー。かといって英霊相手の接近戦は無謀ですし、盾役は期待してますよセイバーさん』

 

「必ず期待に沿ってみせます‥‥が、誤射には気をつけてくださいね凜。私に備わった対魔力は未だ聖杯戦争当時のままですが、純粋な魔力砲を無効化できないのは敵と同じですから」

 

 

 遠坂嬢の魔術の狙いが甘いことを理解しているらしいセイバーが場違いなくらい真剣な目でマスターの方を見る。

 盾ごと撃つなんて軍隊じゃあるまいし、うっかりで死んでしまっては冗談で済ませられない。

 

 

「うっ、わ、わかってるわよ! ‥‥で、蒼崎君と士郎は隙を見て礼装と弓で援護をお願い。二人共、前は一緒に戦ったんだから互いの呼吸は分かってるわね? あと士郎は絶対に前に出てきちゃダメよ」

 

「な、なんでさ」

 

「なんでさ、じゃないわよ。アンタまさか英霊と斬り合おうなんて馬鹿なこと考えてないでしょうね? 前回は本当にまぐれみたいなものなんだし、今回はセイバーも私達もいるんだから、大人しく援護に徹していなさい」

 

 

 厳しく遠坂嬢に言い含められ、それでも衛宮は不満げだったけど何とか了承したようだった。

 ぶっちゃけた話、俺達は現状の時計塔が出せる戦力としては申し分ない。英霊であるセイバーとカレイド補正を差っ引いても、もしかしたら一流の執行部隊とも多少なら戦り合えるかもしれない。

 だから一番の懸念材料はなんだかんだで即席に近い連携について。そして連携を確実にするためにもはっきりしておきたいのが衛宮の立ち位置だった。

 なにしろこの正義の味方見習いは、現状のパーティでルビーに次いで暴走の危険性が高い。そんなことされたら衛宮が危険だとかそれ以前の問題で、周りのフォローが大変だ。

 

 

「そう不満そうな顔をするなよ衛宮。気持ちは理解できないこともないけど、今は役割分担をしっかりしておく方が大事だ」

 

「シロウ、聖杯戦争の時も言いましたが、サーヴァントの相手はサーヴァントである私がします。凜やルヴィアゼリッタにしても今回に限って言えば私に匹敵する能力を備えている」

 

『衛宮様、我々カレイドステッキのマスターには、つねに最高ランクの魔術障壁、物理障壁、身体強化、自動治癒(リジェネレーション)がかかっています。

 お言葉ですが、今のマスター達と衛宮様ではあまりにも力に差がある状態です。衛宮様が前に出るメリットはないかと』

 

『そうですよ〜。物理保護を最大にすればセイバーさんの剣だってそう簡単には通りませんし、重傷だって数秒も要らずに完全復活! 身体強化に魔力を回せば吸血鬼にだって力負けしません! 言うなれば英霊に等しき存在である凜さん達を心配する必要なんかオールナッシングですよ〜!』

 

 

 セイバーやサファイヤは真面目だけど、ルビーはどちらかというと今の状況を心の底から楽しんでいるように見受ける。

 言っていることは紛れもない事実ばかりなんだけど、それでも語尾の調子が妙に良く、全体的にテンションが高めだ。

 実際、最初にカレイドの魔法少女のスペックを聞かされた時には心底びっくりしたものだ。なにせとてもじゃないけど魔法少女なる範疇には属さないだろう。

 本気で戦えば正しく英霊に匹敵する。ルビーが語るところの、『恋や魔法に大忙し!』なるキャッチフレーズにはそぐわないこと甚だしい。

 いくら魔法少女は安全というのがモットーだとしても些か過剰防衛じゃないだろうか?

 

 

「わかった、士郎? それに一人を相手に前衛が沢山いても逆に動きづらくなって迷惑よ。昔ならともかく今は弓も使えるようになってるんだから、そっちの方がよっぽど効果的よ」

 

「‥‥わかった。でも遠坂達が危なそうだったら止めても助けに行くからな。それくらいはやらせてくれ」

 

「ま、そこまで止めたら本当に士郎は無茶しそうだしね。そのくらいならいいけど、撤退を第一に考えるのよ?」

 

 

 羽織っていたコートを脱いで小脇に抱えた衛宮に、心底呆れながらも分かっていたと言いたげに遠坂嬢は溜息をついた。

 今日の衛宮は裾の長いコートの下に、遠坂嬢達から贈られた赤い外套と軽鎧を着込んでいる。

 俺が橙子姉から預かって渡した干将莫耶は持ってきていない。あれは貴重なものだし持ち運びに不便なので、もっぱら投影の練習に使っているからロンドンに置いてきたのだ。

 先程遠坂嬢が言及した弓というのもまた同じもので、彼女が軽鎧を調達してくる際に一緒に頼んでおいたものらしい。

 未来っぽいステキ素材とか———多分遠坂嬢では分からなかったんだと思う———で造られた艶消しの黒塗りの弓は干将莫耶同様、ロンドンでお留守番している。

 あれから衛宮は干将莫耶と弓と矢の投影をかなり練習していたらしくて、なんとか形になったから持ってくる必要が無かったのだ。

 

 

「さて、あとはあちらの方からお呼びがかかるだけですわね———ッ、これは?!」

 

『空間に干渉する大規模な魔術式です! ルヴィア様、皆様、お気を付け下さい!』

 

 

 ルヴィアが用心深く周りを見回した次の瞬間、サファイヤの声が鋭く響き渡った。

 即座に全員が戦闘態勢を整え、そして気がつけば足下には大きな魔法陣が発生し、淡い‥‥いや、既にかなりの光を発している。

 

 

「馬鹿な、こんな魔術式は協会の教授の実践形式の講義でだって見たことがないぞ‥‥?!」

 

「これは私が飲み込まれた時と同じ‥‥みなさん、気をしっかり持って下さい!」

 

 

 無色の光が辺りを覆う。

 まるで意識を塗りつぶされるぐらい強烈な光に思わず目をつむり———

 

 

「‥‥う、ここは?」

 

『空間転移‥‥それも高度に術式が隠蔽されていましたねー。カレイドステッキ(わたし)の演算能力を以てしても完全な解析は不可能でした。半端じゃない大魔術ですよ、コレ』

 

 

 感心したような、同時にどこか楽しそうなルビーの声が響く。気がつけばそこは俺達がさっきまでいた場所と似て非なる空間であった。

 真っ暗だった空は確かに暗いままだけど、星は見えない。曇天‥‥というわけでもないけど、濁っている。

 雲があるべきところには格子模様が広がっていて、バゼットが言っていたように籠にすっぽり入ってしまっているようだ。

 遠くへと視線をやれば地面から空にかけても格子模様で覆われており、その先は真っ暗になっていて何も見えない。多分区切られていて何もないんだろう。

 

 

『‥‥一部の解析が完了しました。これは現実空間の要素を反転させて生み出している、いわば鏡のような異空間です』

 

『無限に連なる並行世界に類する場所ですね〜。仮に鏡面界と呼称しますけど、これ、下手すれば魔法ギリギリの大魔術ですよー!』

 

「次元干渉と異空間の創造‥‥。私達と同じ、大師父の系譜と考えても封印指定確実だわ。みんな、気を引き締めなさい。英霊ばかりに気を取られてたら不覚をとりかねないわ」

 

 

 門外漢だから分からないけど、結界として考えるなら隔離以外のメリットが見あたらない空間ではある。場に敵愾要素を感じないから、よほど上手に隠蔽しているのでもない限り中の人間に何か作用するなんてことはないだろう。

 どちらかといえば英霊を閉じこめる籠、とでも形容するのがいいのだろうか。おそらく術者はこの空間自体は大して重用視していない。

 現実を反転‥‥。もしかして英霊を運用するための空間と考えることもできるかもしれない。普通に英霊を喚び出すなんてのは大魔術でありながら大魔術ですらないから。

 この空間自体に幾重も魔術式を張り巡らせ、ありとあらゆる条件付けを行って魔術式に汎用性を無くし、英霊を召喚および保持することに特化させているのか?

 そう考えれば確かに不可能ではないかもしれないけど、どちらにしたって今の俺達ではプロトタイプを試作することだって出来やしない。

 

 

「あれ、おい衛宮、大丈夫か?」

 

「だ、大丈夫だ。ちょっと酔ったっていうか、気持ちが悪いっていうか‥‥」

 

「空間移動、それも位相が変わる様な移動の仕方だから酔っちゃったのね。どうでもいいところで繊細に出来てるんだからアンタは———って、ちょっとみんな、セイバーは?!」

 

「?! そういえば見あたりませんわね‥‥!」

 

 

 フラリと立ち眩みを起こした衛宮を気遣い、次の瞬間に放たれた遠坂嬢の言葉にハッと人数を確認すると一人足りない。

 彼女の言葉の通り、通行人がいないのを良いことに予め銀色の甲冑を纏っていた金髪の少女の姿がなかった。

 おかしい。確かに公園にやってくるまでは一緒にいて、色々と雑談をしていたはずだ。だとすればいなくなったのは‥‥?

 

 

「ど、どういうことだ一体‥‥うっぷ」

 

『うーん、もしかしなくても転移の際に弾かれてしまったみたいですねー。トラップタイプなのかと思ったんですけど、これはもしかしたら予想以上に細かく仕掛けがしてあるか、もしくは予め私達が来ることを予想していたとしか思えませんよ〜』

 

「なんてこと‥‥! ちっ、仕方ないわね、こうなったら作戦変更よ。ルビー、物理保護と身体強化を最大にして私が足止め役になるわ。後衛が減っちゃうから士郎と蒼崎君も援護よろしく頼むわね」

 

 

 緊張感の欠片もないルビーの言葉に一転、俺達の緊張感は最大になった。

 なにせ絶対無敵に近い前衛がいなくなってしまったのだ。セイバーがいたからこそ俺達にこの任務が回ってきたともいえるのだから、状況は最悪に近くなったと言ってもいい。

 不幸中の幸いは、遠坂嬢とルヴィアにカレイドステッキが渡されていること。英霊に匹敵する戦闘能力をもったカレイドの魔法少女が二人いれば、戦力としては不安ながらも十分対抗できる。

 援護役の俺と衛宮は前回バゼットと共に送られた執行部隊に比べて格段に戦力として劣るけど、二人はそれを補って余りある。

 

 

「‥‥どうもなぁ、この面子ですんなりと任務が上手くいくなんてことはないって、わかってたはずなんだけどなぁ‥‥」

 

「泣き言はおよしになって、ショウ。私も至近距離に近い中距離に陣取りますから、援護は宜しくお願いしますわよ」

 

「わかってるよ。ただ意味が無くても愚痴を零さずにはいられない、そんなときもあるってだけの話さ」

 

『はいはい雑談はその辺にしましょうねお二方ー? 時間がなくて残念ですが、プリズム☆トランス演出省略でいきますよー!』

 

 

 遠坂嬢は中国拳法をかなりのレベルで習得していると聞く。ルヴィアも格闘技については一家言もっているけど、どちらかといえば対人戦闘向きで実戦経験も少ない。

 辛うじて恥ずかしくないくらいに華麗に素早く魔法少女に変身した二人が油断なく周囲を窺う。英霊という規格外な存在が召喚されるのだから何らかの兆候はあると思うけど、奇襲はいつでも警戒すべきものだ。

 衛宮も注意深く魔術回路を起動させ、俺も魔術礼装を円筒の中で待機状態にした。これなら敵が出たら瞬時に展開することができる。

 バゼットも硬化のルーンが刻まれた手袋を嵌めているけど、おそらくまともに戦闘を行うのは無理だろう。ちなみにこちらも念のために肩からラックを提げている。もちらん無理はしないで欲しいし、だからこそ期待もしていない。

 

 

『む、空間に揺らぎが発生‥‥? 皆さん、どうやらターゲットのお出ましですよッ!』

 

 

 今は変身した遠坂嬢の手の中にあるステッキとなったルビーが羽で指した方向に、俺達は即座に意識を集中させた。

 何かが、来る。歩いて来る。

 遠くから歩いて来るわけじゃない。それでもそう形容してしまったのは多分、最初は輪郭も定かではなかったソレが段々と姿を明らかにしていったからか。

 そしてまるで濁った水の中から浮かび上がってくるようにしてソレが完全に姿を現すと、ちょうど俺の前と後ろから、喉の奥から絞り出すような声が聞こえた。

 

 

「アー‥‥チャー‥‥ッ!」

 

 

 そこに立っていたのは非常に背の高い、もしかしたら二メートルに届こうかというがっしりした体格の男だった。

 真っ白な髪の毛、褐色の肌。特徴的なそれらは中東の辺りの出身なのかと判断されることも多いだろう。

 しかし顔立ちは分からない。何故なら本来なら精悍で皮肉げな表情を浮かべているのだろうそこには、まるで起伏のないのっぺらぼうのような銀色の仮面が額から顎まで被さっているからだ。

 纏っているのは血が乾いたかのようなどす黒い外套とひび割れた胸甲。そのあちらこちらから剣や刃が飛び出して傷だらけになってしまっている。

 それは前回の任務で見えた不死身のルドルフのようで、あちらが埋め込んだものであればこちらは自分自身の内側から生えてきたかのようで決定的に違う。

 それでも傷、それも酷く重いものであることには違いなく、その男は血だらけで、今にも死んでしまいそうなくらいで、しかし力強く戦う意思を持っていた。

 

 

「ア、アーチャー‥‥」

 

「何を呆けているのですかミス・トオサカ! 構えなさいな!」

 

「凜さん、何があったかは知りませんが、あれはバーサーカーと同じ、いえ、それ以下の存在です! 理性も記憶も記録すらも宿していない兵器のようなもの。迷っていては殺られますよ!」

 

「ッ! えぇ、確かにそうね。わかってるわよ、“アレ”が倒さなきゃいけない敵だってのも、あの“アイツ”じゃないってことも‥‥。‥‥そうよね、士郎」

 

「衛宮‥‥?」

 

 

 激しく動揺しているらしき遠坂嬢にルヴィアとバゼットが喝を入れて、俺は呟くようなか細い彼女の言葉に後ろを振り向いた。

 そこには無表情でありながら、今まで見たことがないくらいの激情を瞳に宿した衛宮が立っていた。手を見れば真っ白になるくらいに双剣を握りしめているし、口からは歯軋りの男が聞こえる。

 怒っている、のとは少しばかり違うように見えた。言葉にすれば殆ど同じではあるけど、憤っていると言うべきか。ダイレクトに感情をぶつけるかんじとは違う。

 

 

「悪い、遠坂、でも俺は‥‥」

 

「‥‥こればっかりは仕方ないわね。“アレ”が相手なら士郎が一番上手く立ち回れるだろうし」

 

 

 衛宮が俺を追い越して一番前に出る。ルヴィアが何か言いたげにしていたけど、ただならぬ衛宮の様子に伸ばしかけた手を引っ込めた。

 鬼気迫る、という風ではないのが逆にただならぬ様子を明確にしている。 

 

 

『ちょっとちょっとちょっと凜さーん、何を任せちゃってるんですかー?! そりゃ確かに泥臭い戦闘なんて魔法少女の本分じゃありませんけど、それでも華麗に可愛く愉快に演出する準備は万全だったんですよ〜?!』

 

「アンタは私に何させる気だったのよ愉快犯ステッキ! ‥‥ルヴィアゼリッタ、悪いけどそういうことだから私達は後衛に回るわよ!」

 

「シェ、シェロがそう言うつもりなのでしたら仕方ありませんが‥‥。本当に大丈夫なんですの、ミス・トオサカ?」

 

「大丈夫よ。アレ相手ならの話だけどね」

 

 

 見えるのは衛宮の背中だけ。その表情までは確認することができないからか、ルヴィアはとても不安そうだった。

 それはバゼットもそうだし、俺だってそうだ。世界に確実なんてことはないから、いくら作中で衛宮があの赤い弓兵に勝っていたとしても絶対勝つとは限らない。

 なにより一見して相手は理性を失くしてしまっている。色々と思うところもあっただろう作中での戦いとは話は別だ。手加減していた可能性だってあるし、少なくとも言葉とか信念とかで動揺していたのは間違いないのだから。

 

 

「士郎君‥‥」

 

「衛宮‥‥」

 

「悪い、みんな。でもコイツだけは俺が倒さなきゃいけないんだ。コイツだけは、俺が、俺自身が始末をつけなきゃならない。誰にだって譲るわけにはいかない」

 

 

 相対する二人は睨み合ったまま動かない。両者共に無手で、まるで腰に拳銃を提げて決闘に望む西部劇のガンマンのようだ。

 殆ど自我というものを宿していないように見える黒い弓兵も同じで、静かに、それでいながら相手を打倒するという戦意だけはしっかりと漲らせて直立している。

 いや、打倒するなんてもんじゃない。この空気は俺も幾度か経験した掛け値なしの殺し合いのそれ。

 だというのに二人の纏う雰囲気だけはとても静かで、どこか不気味でありながら調和しているかのように二人の姿はぴったりと重なり合っていた。

 

 

「‥‥援護だけは、させてくれ。流石に英霊とタイマンなんて無謀な行為を見過ごすことはできない。それぐらいはいいだろう?」

 

「あぁ。‥‥ありがとう、すまない紫遙」

 

「謝るくらいなら始めからするなってんだ。まったく、このトラブルメイカーめ‥‥」

 

 

 少しだけ顔をこちらへ向けた衛宮が再度勢いよく前を向く。だらりと下げられていた掌だけが、何かを求めるようにパッと外へ開かれた。

 呼吸の音すら聞こえないぐらいのピリピリとした静寂の中で、衛宮は俺達にすら聞こえるようにはっきりと、黒い弓兵は只の吐息にしか聞こえない判別不可能なくぐもった声で、それでもその言葉だけはしっかりと聞き取ることができた。

 

 

 ただ一言、『投影、開始(トレース・オン)』と———

 

 

 

 52th act Fin.

 

 

 

 


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