UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

54 / 106
ISの短編を投稿しました! 作者アカウントページから、よろしければどうぞ!


第五十二話 『赤い背の残影』

 

 

 side EMIYA

 

 

 

投影、開始(トレース・オン)

 

 

 俺とアイツが同時に双剣を投影する。

 銘は干将莫耶。中国の伝承に残る夫婦剣で、どちらかが失われても必ず片方の元へ戻ってくるという特性を持っている現存する宝具の一つだ。

 あの聖杯戦争の中で遠坂のサーヴァントが好んで使っていた双剣を、俺も倫敦に来るまでずっと鍛錬に使っていた。

 剣の師匠でもあるセイバーはあまりいい顔をしていなかったけど、それでも俺にこのスタイルが合っているのは間違いなくて、不機嫌になりながらも文句を言わずに鍛錬に付き合ってくれたものだ。

 

 俺がこの夫婦剣を使うようになったのはアーチャーが使っていたからに過ぎない。じゃあアイツがどうしてこれを使っていたのかって考えると、そればかりはアイツが俺であったとしても、結局は違う道筋を辿っているんだから全く分からなかった。

 でも今は何となく分かる。衛宮士郎(おれ)が最初なのかエミヤシロウ(アーチャー)が最初なのかは分からないけど、友達から貰ったものを無碍に扱うはずがない。

 多分どっちが先とかは考えても仕方がないことだろう。鶏が先か卵が先かってのと同じ理屈だ。

 

 

「アーチャー、なんでお前がこの場所に出てきたのか、俺は知らない。別に知ろうとも思わない」

 

 

 後ろでルヴィアが息を呑む気配がした。多分、俺の投影魔術に驚いているのと、アイツが干将莫耶を同じように投影したのに更に驚いているんだろう。

 なにせこれは掛け値なしの現存する宝具で、そんなものを俺なんかが投影したんだ。というより、投影っていう魔術自体がそこまで出来る魔術じゃないのだ。

 だから本来、俺の“コレ”は投影ですらないのかもしれない。名前はそうだけど、きっと全くの別物なのかもしれない。

 剣を見て、その生まれてからの全てを理解し、自らの心の内に収め、必要な時に取り出す。故に俺の魔術は全て『無限の剣製(アンリミテッド・ブレイド・ワークス)』という固有結界からこぼれ落ちたものであり、全てはそこに集約される。

 

 

「でも、お前が俺の前に出てきた以上、互いにやることは一つだ。‥‥そうだろ」

 

 

 他の魔術はエミヤシロウにとって不純物でしかない。体を強化する魔術も、物を修理する魔術も、剣以外の投影も、友人から貰った遠見の魔眼すらも。

 勿論そうだからといって切り捨てるようなものでもない。それでも一振りの剣であることが、無限の剣であることがエミヤシロウの在り方だ。

 本来なら日常生活だって戦場だって、どこにあってもそれは変わらない。俺の心象風景である固有結界がそれを証明している。

 特に目の前に立っている真っ黒になってしまったアノ男と相対すれば、俺達の間を結ぶ全てが互いに互いとの間だけを行き来して、そこには誰も入って来られやしない。

 

 

「———そうだ、おまえには負けない。誰かに負けるのはいい。けど、自分にだけは負けられない。だからお前だけは、俺が倒さなきゃいけないんだ———!!」

 

「—————ッ!!!」

 

 

 俺とアイツは同時に互いに向かって走り出す。だらりと両手を下げた姿勢から大振りに干将を振りかぶり、剣の軌跡と刃は完全に噛み合った。

 鍔ぜり合いは無い。俺もアイツも得物は双剣。すかさず莫耶を下から振り上げ、しっかりと噛み合った干将ごと互いに互いを振り払う。

 

 

「雄ォォォオオーッ!!」

 

 

 振り上げた左手の動きを利用して素早く回転し、左側から両手を揃えて大きく薙ぎにいく。が、それは当然あっさりと受け流されて戦いは地味な斬り合いへと移行していった。

 右で斬り掛かれば左で止められ、右で斬り掛かって来られたら同じく左で止める。止めたら手首を痛めないように注意しながら受け流して、その流れを利用して体を入れ替えてまた斬り掛かる。

 基本的には延々この流れの繰り返しだ。今の俺達には只愚直に相手目掛けて剣を振り回すことしか出来ないのだから。

 

 火花が、散る。刃は光が眩しいくらいに冷え切っているのに、俺達の周りだけ真っ赤に燃えていた。

 剣戟は絶え間なく続き、宙に散った火花が消える前に次の火花が現れる。

 まるで暴発した花火工場のように、それは地上を這いずり回るように俺達の動きに合わせて辺りへ散っていくのだ。

 踏み出した足の先、弧を通り越して円を描く切っ先の果て、がっちりと噛み合って滑っていく刃の向こう。

 決して綺麗なんかじゃない泥臭いぶつかり合いを少しでも彩ろうとするかのように、激しく生まれて消えていく。

 

  

「—————ッ!!」

 

「別に、お前と戦うこと、なんて、どうってこと、ないっ! 俺は、お前が、気にくわないから、なっ!」

 

 

 一つ、気付いたことがある。事前にバゼットからも聞いていたことだが、コイツは機械みたいな存在だ。まるで剣に意思が込もっていない。

 理性はあるみたいだ。“あの時”には遥かに及ばないにしても剣筋は的確で、重い。それでも一挙一投足に知性は全く感じることができなかった。

 そこには何もない。あの教会で告げられた感情も、森の奥の城でぶつけ合った信念も。真っ直ぐに俺を睨みつけて来た鋼色の瞳は銀の仮面に遮られていて、本当にまるで機械か人形とでも戦っている気分だ。

 アイツの方がガタイがいいから剣は重く、それでいながら重さが感じられず、的確な剣捌きは表面だけなら変わりはしないが、その実で振るう主が伽藍洞の人形だからか、未熟な俺でも戦り合える。

 

 

「でもっ、なんだよ、それっ! なんなんだよ、それはっ! テメエのそれは、見かけだけじゃ、ねぇかっ!」

 

 

 的確に打ち込んでくる斬撃は、的確に過ぎるために対処が容易になっている。技術だけで中身が入っていないからだ。

 心技体、この三つが上手に揃っていなけりゃ、どれか一つでも欠けていれば不十分だってセイバーが言っていたのを思い出した。そうだ、コイツには決定的に心が欠けている。

 あの城で戦ったアイツの剣は怖かった。いや、今まで全ての敵に恐怖を感じた。でもコイツの剣は全然怖くない。

 ただ振るっているだけだ。確かに英霊なんだから重いし、速いし、鋭い。既に俺もあちらこちらにかすり傷を負っているし、何度も剣戟を受け止めた手は痺れ始めている。

 でも違うんだ。戦いで感じる恐怖とか、そういうのは状況だけが影響するんじゃない。あれはお互いの相手を倒すっていう意思がぶつかり合うからこそ生まれるものだ。

 

 

「お前はっ! そんな無様な姿で俺の前に出てくるなっ!!」

 

「——————ッ!!!」

 

 

 体ごと突っ込んできた黒い弓兵の一撃を、干将莫耶を交叉させて受け止める。互いの吐息が顔にかかるぐらいに接近するが、アイツの表情は仮面に隠されて伺えない。

 こうやっていると、上手く言葉にできない憤りが湧いてくる。

 見るも無惨なこの姿は、アイツを侮辱したものだとは思う。でもそれは別にどうでもいい。アイツは俺だし、俺がアイツなんだから。

 怒り、ではない。憤り、とも違うのかもしれない。‥‥どちらかといえば、そう、ただ単純に不愉快なんだ。

 コイツと刃を合わせているのが不愉快だ。コイツと戦っていることが不愉快だ。

 あの時と何もかもが似てる。アイツが使った技、アイツが振るった刃、アイツと似た姿で同じ技を使い、それでいて決定的に違う。

 

 アイツは俺の中で大きい存在だ。でもそれは遠坂にとってのアイツとかとは意味が違う。アイツは俺なんだから、俺の中に俺がいるのは当然のことなんだ。

 それでもあのアインツベルンの城での戦いは、おそらく初めて固有結界を使ったギルガメッシュとの戦いよりもしっかりと記憶に残っている。多分、これから一生褪せることなく焼き付いたままだろう。

 だからこそ、今この瞬間が腹正しくて仕方がない。不愉快だ。俺とオレの、オレと俺の“あの”戦いと同じようでいて違うこの戦いが許せなかった。

 俺とアイツが戦う時は、こんな情け無い戦いなんかじゃだめだ。こんな思いの込もっていない戦いなんかじゃだめだ。

 

 

「お前はっ! そんな情け無い姿で俺の前に出てくるなぁぁぁああーッ!」

 

 

 足の裏から剣まで、一直線にして持ちこたえていた体にあらん限りの力を込めて黒い弓兵の剣を弾く。

 相手もその動きに途中から合わせて一旦距離をとり、互いの間は数メートルも離れた。

 

 

「———In seinem Blute netzt des Schwert 《奴の鮮血を以て剣を濡らさん》!」

 

「———ッ?!!」

 

「紫遙か!」

 

 

 すぐさま体勢を立て直したヤツが俺に向かって再度突進しようとした次の瞬間、上空からいくつもの鉄球が降ってきて地面に衝突し、大きな砂埃を上げて黒い外套を覆い隠した。

 後方で援護の機会を窺っていた紫遙の礼装、『魔弾の射手(デア・フライシュツ)』。すごく複雑に出来たそれは特性が違うからか俺が解析しても理解出来なかった程のものだ。

 何でも封印指定である上のお姉さんの謹製だそうで、成る程、俺もまだまだ『創る者』としては半人前なのだと考えさせられてしまう。

 

 

「まだだ! Zum Hollenpfuhl zuruck gesandt, sei er gefemt, sei er gebauut 《地獄の沼へ送り還せ、名誉を奪い、追放の処分を課して》———!」

 

 

 これ以上ない程に緊迫した叫び声と詠唱と共に、更に前後左右から複雑な螺旋の軌道を描いて魔王と狩人の名を冠した礼装が襲いかかる。

 それは地面をも穿つかという程の速度と畏るべき質量を持っていて、先程の砂煙より更に大きな土を巻き上げて黒い外套の視認すら困難にした。

 上空から降り注いだ魔弾が三つ、更に逃げ場を無くすかのように前後左右から四つの魔弾。こうやって言葉にしてみると少ないように思うかもしれないけど、例えばドッジボールを思い返して欲しい。

 一つであっても複数の面を経由して向かって来られれば補足は困難だし、三つも四つも同時に襲って来たら果たして避けられるだろうか?

 それが更に速く、更に重く、更に複雑な軌道を描いて来たら? 行動の起こりの隙を突いてタイミングも完璧。ともすればこれでやられてしまったのではないかと思うぐらいに。

 

 

「‥‥やったか?」

 

「いや、まだだ、紫遙」

 

 

 ‥‥ああ、でもこれぐらいでヤツがくたばるはずがない。

 非常に腹立だしくてイライラするし不愉快なことではあるけれど、それでもアレはあのいけ好かない弓兵なのだ。

 予想通り土煙が腫れたそこには、傷一つ負うことなく無手で立ちつくしている黒い外套の姿があった。

 後ろで紫遙の息を飲む声が聞こえる。そうだ。まだ、戦いはもう少し続くに違いない———

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「‥‥やったか?」

 

「いや、まだだ、紫遙」

 

 

 遠慮容赦一切無しでブッ放した『魔弾の射手(デア・フライシュツ)』が大地を削って巻き起こした土煙が晴れていく。標的から数メートル離れた衛宮のところまでも包みこもうかという砂埃は黒い弓兵を完全に覆い隠してしまっていた。

 『魔弾の射手(デア・フライシュツ)』はとても強力な礼装だけど、威力だけに限って言えばたいしたことはない。たとえ全力でぶつけても遠坂嬢が安い宝石一つを灰にすれば十分に防ぐことが出来る。

 というよりも、在り方として戦いに向かない俺ではあんまりに威力のある礼装は扱いきれないのだ。橙子姉ぐらいにそもそもの容量《キャパシティ》が大きければ話は別だけど、俺単騎では致命的なまでに相手を倒すということは困難だ。

 

 この橙子姉謹製の魔術礼装の利点は大まかに分けて四つ。遠隔操作と物理ダメージ、触媒に使うことで魔術行使の手助けになること。そして予めプログラミングしておくことで複雑な軌道を簡単に命令できることだ。

 今のはその機能を最大限まで活かした攻撃で、初弾が当たったところからはほぼ完全にアイハブコントロールユーハブコントロールの状態である。

 そもそも七ツの別々に動く球体を俺が完璧に制御できるわけがない。本来なら適切な使い手が扱えば、こんなオプション必要無い。‥‥情けない話なんだけどね。

 

 

「‥‥馬鹿な! 今のを喰らって無傷だって?!」

 

 

 上空からの牽制で動きを限定したところに前後左右から微妙にタイミングをずらして魔弾が襲い来る。必勝とまではいかずとも、礼装の特性とアーチャーの対魔力が低いことを鑑みれば多少なりともダメージがあってしかるべきだ。

 しかして砂煙が晴れた先に黒い外套は、いくつかのかすり傷のみを負って悠然とその場に立ち尽くしていた。しかも無手で、干将莫耶で弾いた様子もない。

 己が身を呈しての突撃を敢行した魔弾は三つが大地に埋まり、四つが虚しく大きな弧を描いて俺の周り、周回軌道に戻って来る。

 

 

「おいおい、そりゃ確かに同士討ちなんてことにならないために少しばかり隙間があることはあるけど、いくらなんでも初見で見破られるなんて‥‥」

 

 

 そう、今の攻撃コースには僅かではあるけど隙間が存在する。魔弾同士が衝突して壊れてしまうなんてお笑いぐさだから、本当に一瞬ではあるけど隙間が出来るのだ。

 確かにそこに入り込めば体に掠るぐらいで済むかもしれない。普通の人間ならそれだけでズタボロになるところだけど、強靱な体を持つ英霊ならば殆ど無傷で済むだろう。

 だけど、それは本当に一瞬だけ生じる僅かな隙だ。例え直感スキルを持った英霊だって見つけることなんかは出来ないはずである。もちろん断言は出来ないけど、可能性はすごく低い。

 対魔力が作用しているということはサーヴァントのスキル全般が働いているということだろうけど、多分エミヤの持つ固有スキルの心眼(真)は機能していないと思う。

 そういう心技体全てが関係しているスキルが発動するには、第四次聖杯戦争の時のバーサーカーのような特殊なスキルが必要じゃないだろうか。

 だから心眼が発動していないということを考えると、直感なんてものが存在しないだろうエミヤが俺の礼装の攻撃を避けられた理由はただ一つしかない。

 

 

「‥‥やっぱり腐っても衛宮はエミヤ、ってことか‥‥」

 

 

 アイツは、エミヤは魔弾が放たれた最初からどんな攻撃が来るか分かっていた、知っていたのだ。だからこそ正しい場所に逃げ込むことができたのだ。

 エミヤがどういう道筋を辿って英霊になったのかまでは知らないけれど、きっと近くには俺もいて、それまでに何回も一緒に戦闘をこなしたに違いない。

 そしてその戦闘の中で、俺はこのプログラムを用いた戦闘軌道を何度か使ったことがあるんだろう。そしてエミヤの知識にはそれが入っていた‥‥。

 もしかしたら今この戦闘がエミヤの知識なのかもしれない。そうなるとほんとうにイタチごっこの思考になるから面倒だけど、とにかくアレがエミヤで衛宮であることだけは確認できたと言えよう。

 全く、英霊になってまで苦労をかけるとは、ある意味ではこれ以上なく友達甲斐のあるヤツだ。本当に迷惑ばかりかけてくれる。

 

 

「なにをボサッとしているのですかショウ! 私とミス・トオサカで砲撃しますから援護を!」

 

「ッ了解した! Ich lass`dich nicht, Du darfst nicht von mir zieh`n 《私はお前を放しはしない、何処へ行くことも許しはしない》———!」

 

 

 地面に埋まった三つの礼装に急いで竜巻のように突っ込ませるけど、今度は単純に数瞬間に合わずに弓兵は回避に成功する。

 

 

「逃がしませんわ! 速射《シュート》!」

 

「砲射《フォイヤ》———!」

 

 

 しかし、そこは戦闘経験は皆無に等しくても一番俺との付き合いが長いルヴィアと、なんだかんだで似たもの同士だからか同じくぴったりと息があった遠坂嬢の砲撃が炸裂した。

 先程と同じように巻き上がった竜巻の両側に適当な狙いで放たれた魔力砲の片方が、間一髪で礼装の回避に成功した弓兵を見事に捉える。威力を多少犠牲にして大きくした砲撃は二段目の回避を許さない。

 供給される魔力の量は無制限だけど、一度に放てる魔力量、乃ち魔力砲の威力自体はマスターの魔術回路の性能に影響される。ちなみに魔術回路は開いていようといまいと構わないそうだ。理論だけ考えるなら一般人でも扱える。

 そしてルヴィアと遠坂嬢は現代の魔術師としては最高レベルの魔術回路を保持していた。数は時計塔でも上位に名前が並び、質こそ橙子姉には劣るとしても優秀なのは間違いないのだ。

 

 

「———まだです、防いでいます! 追撃用意!」

 

 

 後方で臨機応変に遠坂嬢とルヴィアの二人と交互に指揮をとっていたバゼットが叫ぶ。再度巻き起こった小さな砂埃の向こうに目をやれば、弓兵が両手に再度夫婦剣を構えて砲撃を防御しきっていた。

 今の二人の攻撃は大雑把だったし、威力より範囲を優先させたからランクに換算すればD〜C-ぐらいか。それなら干将莫耶で防げてしまう。

 もちろん無傷というわけにはいかない。幅広とはいえ干将莫耶は短いから、足などを見れば少しばかり焦げ付いている。しかし、それでも少しばかりだ。戦闘に支障はなさそうだ。

 

 

「士郎、デカイのいくから突っ込んで隙を作りなさい! 蒼崎君は援護!」

 

「さっきからやってるんだけどなぁ、っとに! 水流(ラゲズ)、凍結《イーサ》、是乃ち雹と暴風(ハガラズ)!」

 

強化、開始(トレース・オン)———!」

 

「速射《シュート》———!」

 

 

 四つの魔弾を這うように地面を滑らせ、内部に刻まれたルーンを使って弓兵の足を僅かに凍結させる。

 当然ながらそんなものは直ぐに砕かれてしまうわけだけど、その一瞬の隙を突いて身体を強化した衛宮が突っ込んだ。とにかくひたすら速く、ひたすら強く、弓兵の注意を自分自身に集中させる。

 衛宮とエミヤは同じ人間だけど、今この瞬間だけはいくつかの際がある。エミヤの方が衛宮よりも体格がいいし技量もあるけど、逆に衛宮には俺達がバックについているのだ。

 

 

「ぐっ?!」

 

「————ッ!!」

 

「シェロ! そのまま立っていなさい! ———速射《シュート》!!」

 

 

 火花の散らし合いに競り負けた衛宮の白い剣、莫耶が激しく回転しながら弾き飛ばされ、その隙を突いて弓兵の干将が衛宮の脳天を唐竹割にしようと振り下ろされる。

 しかし前衛が後衛のために壁となるなら、逆に後衛も前衛がピンチの時はサポートするのが役目なのだ。すかさずルヴィアの鋭く速い魔力砲が遠坂嬢とは反対側から弓兵を襲った。

 速さのみに重点を置いた魔力砲は威力こそ無いから英霊を倒すまではいかないけど、それでも衛宮へと振り下ろしかけた干将を防御に回したがために衛宮は転がって退避する。

 この間、僅かに一秒前後。実戦経験が無くてもルヴィアは的確に判断を下すことが出来るということが証明された。流石というべきだろうか。

 というよりも、そもそも遠坂嬢と素質が変わらないのであるから、事前の情報があれば聖杯戦争当時の遠坂嬢よりも上手く立ち回れるのも道理なのだろう。

 

 

「ルヴィアゼリッタはやらせませんよ! ハァッ、フゥッ!」

 

 

 標的に逃げられたことを理解し、弓兵は瞬時に目標を変更してルヴィアの方へと体を向ける。

 一瞬焦ってしまったけれど、しかしこちらも生半可に行きはしない。俺の近くで指揮をとっていたはずのバゼットがその体を滑りこませると、双剣を手にした弓兵の手の甲あたり目掛けて鋭く数発のパンチを放つ。

 鉄腕魔術師バゼット・フラガ・マクレミッツのストレートは並のプロボクサーの倍の速さがある。以前無理に誘って連れて行ってみたゲームセンターでパンチングマシーンを一撃で破壊せしめた程だ。

 当然ながら英霊相手に決定打になるには少々威力に欠けはするけれど、今の弓兵を怯ませるには十分だった。たまらず干将莫耶を取り落として再度投影しようとするけど、すぐさまバゼットの後方にいたルヴィアが魔力砲を放って牽制したがために大きく距離をとった。

 

 

「‥‥いらっしゃい、歓迎の準備はできているわよ?」

 

「-————ッ?!!」

 

「消し飛びなさい! 全力砲射(フォイヤ)ァァッ!!」

 

 

 黒い外套が誘い込まれたのは丁度遠坂嬢の目の前。しかもその場にいた全員と距離が離れていた。

 振り返ればそこには自分の身長程もある直径の魔法陣を砲口のように目前に構えた赤い魔法少女‥‥というより魔法少女(笑)。可憐というよりは正しく魔王と喚ぶに相応しい笑顔を湛え、ステッキを弓兵に突きつける。

 注意を逸らし、機を窺い、十分な準備を以て蓄えられた魔力が一気に放たれる。それはランクに換算すれば少なくともB-、下手すればBには匹敵するだろう。

 余談にはなるけど、Aランクの攻撃なんてのは例えカレイドステッキを以てしても早々放てるものじゃない。遠坂嬢の魔力回路の性能を越えているからだ。

 確かに遠坂嬢はAランク程度の、それこそバーサーカー(ヘラクレス)をも一回殺してみせるぐらいの攻撃を放つことができる。しかしそれはあくまで宝石に蓄えた魔力を解放しているからに過ぎない。

 それ専用に作られた短命のホムンクルスでもあるまいし、人間が宝具に匹敵する攻撃を放てるというのがどだい無理な話なのだ。もちろん今の遠坂嬢達は別だけど。

 

 

「———『熾天覆う七つの円冠(ロー・アイアス)』!」

 

「な‥‥ッ、あれは宝具?!」

 

 

 決まった、と誰もが思った次の瞬間、戦場に似つかわしくない桜色の花が咲いた。七つの花弁を持つ光で出来た美しい花が、ちょうど弓兵を砲撃から守るように花開いたのだ。

 それは投擲攻撃に対する最強の守り。遥か昔、トロイア戦争において天下無双のヘクトールの投げ槍を防いだというわれる六枚重ねの牛皮の盾が神秘を纏って昇華した存在。

 具現した七枚の花弁は投擲にカテゴライズする全ての攻撃を防ぎきる。それは担い手ではないエミヤが使っても宝具ではない魔力砲に対しては十分過ぎる程に効果を発揮した。

 宝具を打ち破るには相応以上の神秘が必要だ。それは例えば彼のアイルランドの光の御子が放った死翔の槍のように。故にいくら魔力砲にこめられた魔力が多かろうと、アイアスそのものが持つ神秘の密度がその量をも凌駕すれば傷一つ付けることなどできやしない。

 英雄の持った武装である宝具は、おおまかなカテゴリで言えば魔法に近い。いくら第二魔法の応用でカレイドステッキが運用されていたとしても、宝具には到底敵いはしないのだ。

 よって遠坂嬢が十分な威力を期待して放った魔力砲は、開いた花弁のただ一枚をも破壊することなく押し負けて霧散してしまったのだった。

 

 

「中華刀を使うアイアスですって‥‥? 一体あの英霊は何者だと言うのですか‥‥?」

 

「アイアスまで持ってこられたら遠距離攻撃はおろか中距離攻撃も効かない‥‥! ちまちま撃ってもラチがあかないし、仕方がないわね。ルヴィアゼリッタ! こうなったら身体強化と物理保護に魔力を回して接近戦よ! あのヤロー‥‥殴っ血kill!!」

 

 

 遠坂嬢がキレた。状況判断と戦術選択こそ的確だったけど、そう表現するより他ないくらいに見事にキレた。

 渾身の魔力砲を防がれたから、あの黒い外套が彼女のかつてのサーヴァントと似て非なる存在だからというわけでもなさそうだ。そうだとしたらとっくの昔に、それこそこれ以上ないくらいにシリアスに爆発してたことだろうし。

 

 

「私だって普段は絶対に出来ない撃ち合いしてみたかったわよ! だってのに『ク、相変わらず無駄なことをするな、凜。例え君が高価な宝石を使っても全く同じ結果だったろうよ』とでも言いたいのかアンタはァ! ざっけんじゃないわよコンチクショウ!」

 

『完ッ全に言い掛かりですねー。私としてはもっと魔法少女らしいプリティでキュアキュアな言葉遣いを期待したいところなんですが』

 

「黙りなさいルビー! 身体強化7、物理保護3! いくわよ、目にもの見せてやるんだから!」

 

 

 先程も少し言及したけど、カレイドの魔法少女は決して誰にでもなれるわけではない。魔力供給は無制限だけど一度に放出できる量には限りがあるし、魔力の運用方法が雑なら効率の良い戦いができず、結果として戦闘力は大きく低下してしまうだろう。

 的確に状況を判断し、攻撃・防御・支援のどれにどのくらい魔力を振り分けるかをマスターがルビーに指示しなければならないのだ。ある程度はルビーの方でサポートしてくれるけど、それではとてもベストとは言えない。

 ルビーは十二歳以下のマスターが好ましいなんて言ってるけどトンデモない。そんな子供、幼い頃から戦闘訓練を受けてきた外道の存在か、万に一つもないだろうけど卓越した天性の才能を持った逸材ぐらいだろう。

 

 

「判断は間違っていませんが熱し過ぎですわよミス・トオサカ! ‥‥はぁ、仕方がありませんわね。私達も行きますわよ、サファイア」

 

『かしこまりました。身体強化7、物理保護3ですね。魔力を纏ったステッキでの殴打による格闘戦を具申致します』

 

 

 遠坂嬢に続いて文句混じりながらもルヴィアが突っ込む。

 ちなみにサファイヤの意見を要約すると杖で撲殺しろということなわけなんだけど、それじゃあ魔法少女もへったくれもないと思ってしまうのは俺だけだろうか。

 魔力の配分は遠坂嬢と同じもので、前衛姿勢なのは習得している武術‥‥というか格闘技の特徴によるものだと思う。魔法少女なら飛ぶとか滑走するとかやり方は色々あると思うんだけど‥‥。

 

 

「月まで吹っ飛べぇーッ!!」

 

「覚悟なさい」

 

「————」

 

「くっ、まさか‥‥いかん二人とも、離れろ!」

 

 

 物理障壁を展開しながら突っ込んで来る、英霊に匹敵する力をもった少女二人を前に黒い外套は手にした干将莫耶の投影を再度破棄してみせる。

 あまりにも不自然なその動作の直後、大きく振りかぶられたステッキに両手を沿えて大きく回転し、合気を使って二人の攻撃を完全に後方へと逸らす。

 そして夫婦剣に加えて新たな短剣を両手に投影し、逸らされた反動を何とか堪えて振り向いた二人の胸に目掛けて振りかぶり、ぼそりと一言、全く聞こえないながらも判別できる短い言葉を呟いた。

 

 

「———『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』」

 

「な‥‥これは?!」

 

『宝具、それも魔術による契約を強制破棄する効果のものです! 凜さん、ルヴィアさん、再契約しますから一旦その場から離脱して下さい!』

 

 

 傷は無かった。しかし只一つきりの真名を解放された宝具の効果を以て、二人は煌々しい豪華な衣装から普段の落ち着いた上品な服へと変化する。

 カレイドステッキとの間の契約を強制的に破棄されてしまったのだ。身体強化も、物理保護も、魔力供給も全てが一瞬にして効果を失くす。

 秀才とはいえ一人の魔術師へと戻ってしまった二人は英霊の前であまりにも無力だ。姿は変わらずとも契約対象を無くした只の魔術礼装(ステッキ)へと戻ってしまったルビーの珍しくも緊迫した声に、遠坂嬢とルヴィアはすぐさま一も二もなくその場から転がって離脱した。

 

 

Verdrehen(凶がれ)ッ!!」

 

 

 ギロリと———実際には仮面で見えないわけだけど———二人へ視線を向けた弓兵を妨害すべく、俺は額のバンダナをひっつかんで解くと、魔術回路が悲鳴を上げるのにも構わず魔力を集中させて魔眼を発動した。

 とはいえアーチャーに備わった対魔力は数値に換算してD。一工程《シングルアクション》である魔眼は無効化される。

 それでも対魔力が劣化していたのかどうかは知らないけど、ほんの一瞬だけ黒い弓兵の腕の動きを止める効果はあったらしい。その隙に、体勢を立て直した衛宮が次の手を放つ。

 

 

「やらせるかよ‥‥喰らいつけッ!」

 

「—————!!」

 

 

 大地を踏みしめて衛宮が干将莫耶を投擲する。

 幅広で重厚な刃を持つ夫婦剣は本来なら非常に投擲しづらい。というより不可能に近いだろう。

 しかし衛宮は将来アーチャーのサーヴァントとして喚ばれることも可能性として存在する現代の英霊候補である。こと投擲、射撃に関してだけは天才と称するに相応しい。

 以前に一度だけ両儀流の道場の細長い裏庭で衛宮が射を披露したことがあるんだけど、全く武道に明るくない俺から見ても鋭く、武芸百般を自称してやまない師範をして『怖いな』と言わしめた程だ。

 故に渾身の力を込めた夫婦剣は明後日の方向へ飛んでいくこともなく真っ直ぐに最短距離を通り、二人の窮地を救うべく黒い外套の背中へ牙を剥いて襲い掛かった。

 

 

「—————ッ!」

 

 

 しかし黒化で人間らしい知性を全く感じ取れないとは言っても、エミヤとて伊達に英霊をやってはいない。即座に気配を察すると魔力で身体強化を行い、大きく十数メートルほど横の方向へ飛び退いた。

 その両手に一本ずつ握られていた虹色の短剣はいつの間にか投影を破棄されていて、今は艶消しが施された黒塗りの弓を手にしている。これも干将莫耶同様に、衛宮が持っている武装に極めて酷似している。

 投擲した夫婦剣を弾かれることを予想して間合いを詰めていた衛宮を加えた俺達は全員がまとまってしまっており、俺達全員を視界に納めた弓兵は右手の指を弓の弦にかけると、くぐもった息切れのような聞き取りにくい声で呟いた。

 

 

「——— I am the bone of my sword 《我が骨子は捻れ狂う》」

 

「ッまた宝具を使う気よ! みんな私のところに来て! ルヴィアゼリッタ、今の全力で障壁を張るわよ!」

 

「宝具を三つも所持しているというのですか、あの英霊は?! ‥‥くっ、魔術礼装(サファイア)がいたから手持ちの宝石が少ないですわ。ショウ、ルーンの補助を———」

 

「いえ、必要ありません。皆さん、私の後ろに下がって下さい!」

 

 

 弓に矢を番えるように右手の中に現れた捩れ凶がった奇妙な剣。それが秘める魔力を感じた遠坂嬢とルヴィアが数個の宝石を指に挟んだのに続いて俺が補助のためにルーン石を取り出した時、すぐ後ろから凜と澄んだよく通る声が聞こえた。

 条件反射で怪訝な顔をする衛宮の外套の襟を引っ張りながら大きく斜め後ろにバックステップすれば、そこには先程の位置から更に一歩か二歩前に踏み出したバゼットの意外に華奢な背中。

 どういう理屈だか右手に嵌めた革手袋の先に黒光りする鉄球を浮かべ、ゆっくりと大きく息を吐くとしっかり一言一句を意識しながら呪文を紡ぐ。

 

 

「『偽・(カラド)———」

 

「『後より出でて先に断つもの《アンサラー》』」

 

 

 紫電が奔った。バゼットが槍投げの様に掲げた右腕と、その上に浮いている鉛色の球体との間にバチバチと凄まじい音を発しながら電気に似た魔力流が奔走っている。

 込められている魔力も弓兵の番える捻れた矢に比べて遜色ない程に十分なものではあるけれど、その身に秘めた神秘の濃度が桁違いだ。初めて見るけど、あれは正しく神代の神秘‥‥。

 

 

「『———螺旋剣(ボルク)』!」

 

「『斬り抉る戦神の剣(フラガラック)』!!」

 

 

 勝負は一瞬で決まった。弓兵が真名と共に矢を放ったかと思った次の瞬間、何故か無手で、胸に拳大の穴を穿たれて立ち尽くしていたのだ。

 顔を覆う仮面の下、顎の辺りから鮮血が伝って零れる。穿たれた穴はちょうど心臓の位置にあって、先程までの英霊特有の溢れるような魔力は段々と揮発し、失われていく。

 

 

「‥‥い、一体なにが起こったの? 相殺したわけでも撃ち抜いたわけでもないのに敵の宝具が消失したわよ‥‥」

 

「あれが私の宝具、『斬り抉る戦神の剣(フラガラック)』。またの名を逆光剣フラガラックと言い、時を逆行して既に定まってしまった事象の順序を入れ替える光の神の短剣です」

 

 

 信じられないものを見たような遠坂嬢の言葉に、息を荒くしながら本当に重要な部分を省いてバゼットが説明する。 “敵の切り札に反応して発動する”カウンター型の宝具であるフラガラックは、『両者相打ちの運命を覆す逆光の剣』。つまり最初に自分と相手の攻撃の順序を逆転させてから心臓を穿つことで、『死人に攻撃は出来ない』という理屈を成立させるのだ。

 『死人に攻撃は出来ない』のが当たり前の法則である以上、本来なら最初に放たれていた敵の攻撃は心臓を穿たれた後に放たれたことになり、必然的にキャンセルされてなかったことに書き換えられる。

 

 

「まぁ要するに、私は後だしジャンケンでも勝てるということです」

 

「なによソレ、反則じゃない‥‥」

 

「他の英霊の宝具に比べれば格段に見劣りしてしまいますよ。純粋な破壊力で言うならばたいしたことはありませんからね」

 

 

 もちろん弱点は多々ある。『後より出でて先に断つもの《アンサラー》』の準備が必要な以上は他の宝具に比べて手間が余計にかかるわけだし、少なくとも相手が切り札を出してくれて、しかもそれのタイミングを見切らなければ発動できない。

 今回は何とか撃破できたけど、決して反則なんかじゃないのだ。現にバゼットは宝具のバックファイヤーで手袋を犠牲にしてなお、反動で体中をがたがたにしてしまっている。

 右腕の火傷はまだ軽いものみたいだけど、左の肩を押さえ、脂汗を垂らして眉をひそめている。どうやら外見上だけでも塞がりかけていた傷が開いてしまったらしい。

 

 

「———ク、何者かの走狗と成り果てた無様な身とはいえ、二度も貴様に敗北を拮するとはな‥‥」

 

「何‥‥?」

 

 

 風が、吹いた。何もかもが静止した不自然で異常な空間であるはずの鏡面界に、一陣の風が吹いた。

 熱気を孕み、赤錆のような血にも似た鉄の臭いをした埃混じりのそれに思わず全員が目をつむる。

 

 

「これは‥‥衛宮の‥‥」

 

『大気中に含まれる大源の波長が数瞬前と全く重なりません。ここは完全な別空間、ないしは鏡面界から更に隔離された異界であると推測します』

 

「まさか、固有結界‥‥ですの‥‥?」

 

 

 埃が目に入らないように慎重に目を開けると、そこには一瞬前とはまるで違う光景が広がっていた。

 世界を囲む格子模様は消え、地平線の果てまで見渡すことができる。大地には数を数えることが億劫になる程に様々な剣が乱立していて、どれもが一級の魔剣、妖剣、宝具の類だ。

 それはいつかの死徒討伐の際に見た衛宮の固有結界そっくりでいながら、どこかが違う。あちらが兵士の立ち並ぶ剣の王国ならば、こちらはさしずめ剣の墓標といったところか。

 大地は赤錆び、空は燃えている。黒く血の匂いがする煙で視界が霞む様子は、空にいくつも浮かんだ重苦しい歯車と相俟って正しく錬鉄場と称するに相応しい。

 

 

「しかし、それも他人の力あってのこと。今回もまた不覚をとりはしたが、貴様自身の力は、投影は子供騙しの域を出ていない。その程度では今だオレに届きはしないのも当然のことだ」

 

「アーチャー、おまえ、自我が戻っているのか‥‥?」

 

 

 林立する墓標の中に、満身創痍の体で墓守りが立っている。身体から霧散していく魔力は急激にその量を増し、おそらくは存在を保っているのが精一杯といったところだろう。

 胸に穿たれた穴はサーヴァントと同等の神秘を秘めた宝具によるものであり、いかに英霊とはいえ人間であったことがあるのだから、首をはねられたり心臓を破壊されたりしてしまっては致命傷だ。

 そんな状態を表すかのように、ピシリと音を立てて皹割れた銀色の仮面が剥がれ、静観でありながら血だらけで疲弊した青年の顔が現れた。

 

 

「‥‥ついさっきまでは無かったんだがな。今の状態は乃ち、死ぬ直前に狂化が解けているとも言える。あと一分も保つまいよ。まぁそもそもからして使い捨ての強引な召喚だったから仕方がないのだがな」

 

「アーチャー、あんたは本当にそれでいいの?」

 

「ク、君はおかしなことを言うな、凜。人が死ぬ時は当たり前のように死ぬのと同じだ。サーヴァントも死の運命、原因によって確定された未来からは逃れられん。今回は魔力切れでも何でもないから、君にできることなどないぞ」

 

 

 外套が血に染まり、全身を自らの内側から突き出た剣に貫かれていることを除けば、自我を取り戻した弓兵は俺の記憶に残る映像の中の姿と全く同じであった。

 満身創痍の死に体でありながらも英雄の名に恥じぬその姿。まるで怪我など負っていないかのように屹然と仁王立ちする真っ直ぐに伸びた背筋が、今まで己が辿って来た道筋への誇りを伺わせる。

 

 

「‥‥って、ちょっと待ちなさいアーチャー。それは“記録”? それとも“記憶”?」

 

「さて、どうにも今回の召喚は色々と特殊な事例らしい。私の感覚としては聖杯戦争から記憶が連続している」

 

「‥‥やはり触媒が関係しているのか? 第五次聖杯戦争の何かが関係してるっていう遠坂嬢の推測が信憑性を帯びて来たね」

 

 

 事情、というより事態を全く掴めていないがために静観しているルヴィアとバゼットに代わって俺が呟いた。

 おそらく今回の儀式では座にいる“英霊エミヤ”ではなく、“第五次聖杯戦争に参加したアーチャー”が喚ばれたのだ。聖杯戦争に関係する触媒を召喚に用いたのであれば考えられないことじゃない。

 もちろん俺はそんな召喚が本当に可能なのかなんて聞いたことはない。こればかりは降霊科の連中か、大聖杯の設置に同席したとかいう宝石翁に聞くしかないな。

 

 

「お前にも迷惑をかけてしまったな、紫遙。世話になりっぱなしで頭が上がらん」

 

「‥‥エミヤにそういう言葉遣いで話し掛けられると寒気がするな。将来の俺がどういう反応していたのかなんて知ったこっちゃないけど、なんとかならないか?」

 

「いやすまない、こればっかりは長年を過ごして身についてしまったものでね。まぁどうしても気になるのなら“アーチャー”が話していると思えば、そこまで不自然に感じることもあるまい?」

 

「!」

 

 

 ぞわり、と背筋に一瞬だけ鳥肌が立ってすぐに治まった。慎重に、最新の注意を払いながら口を開く。

 

 

「知って、いるのか‥‥エミヤ‥‥?」

 

「おそらく君の言いたいところで間違いはあるまい。君はどうかは知らんが、私と“蒼崎紫遙“はそれなりに長い付き合いだからな」

 

「おい、二人とも何を言ってるんだ?」

 

「貴様は黙っていろ。私は紫遙と話をしているのだ」

 

 

 それは殆ど直感に近いものだったけど、俺はエミヤとの間に間違いなく共通の認識が生じていることを確信した。

 俺が知るはずのない“アーチャー”についての言及がそれを物語っている。何より目がそう語っているのだ。昔は目で語るなんてありえんとか思ってたけど、語れる奴は背中でも語れる。

 

 

「そう身構えるな。確かに珍しい話ではあったが、別にたいしたことでもあるまい?」

 

「たいしたことに決まってるだろ! お前は何をそんなにのんびりしている?!」

 

「なに、本当にたいしたことではないからに決まっている。まぁ深く語る時間もないから割愛するが、私にとっての蒼崎紫遙は遠坂凜とセイバーに次ぐ存在だったというだけだ」

 

 

 キザッたらしい皮肉げな笑みを浮かべたエミヤに、今まさに俺達と三角形を作るような位置取りで怪訝な表情をしている衛宮が重なる。ああ、表情や仕種は似ても似つかないけど、やっぱりコイツはエミヤシロウなんだな。

 本当に様変わりしていて外見以外でも似たところを見つけるのが難しいけど、他人への感情の向け方だけが変わらない。

 

 

「‥‥蒼崎君には色々と内緒話しておいて、私には一言もないのかしら?」

 

「君に伝えるべきことは全て伝えてしまったからな。私の知る遠坂凜が約束を違えるはずもなし、まさか同じことを二度聞きたいのかね?」

 

「遠慮しとくわ。借りはきっちり返して、作れるものならついでに貸しも作っておくのが心情だし」

 

「ク、それでこそ君らしい。ああ、安心‥‥とまではいかないが、君になら任せられると告げた言葉に偽りはなかったようだな」

 

 

 急激にアーチャーの体が足下から順番に薄れていく。体を構成している魔力が失われれば、乃ちそれこそがサーヴァントにとっての死であると言える。

 もはや幾ばくも猶予はあるまい。既に足首から始まった消滅は膝の辺りにまで広がっていて、彼が自我を取り戻したと同時に現れた剣の墓標も段々と端から崩れ、消え去りつつあった。

 

 

「‥‥最後に問おう、衛宮士郎」

 

「なんだよ‥‥?」

 

「お前の前に広がるオレの姿、オレの世界。これこそが以前お前に告げた俺達(エミヤシロウ)の行き着く果て、死の瞬間、全ての成果だ。尽きぬ悪と自分自身が犯す望みもしない殺戮を延々と見せつけられた挙げ句の果てがこの世界だ。それでもなお、お前は正義の味方を目指して進むというのか?」

 

 

 傷つき果てた黒い外套を羽織った弓兵が、薄れ始めた手を振って周りを示す。どこまでも荒涼とした地平線には一切の救いがなく、同時に絶望すら感じさせる。

 これこそが、正義の味方を志して走り続けたエミヤシロウが辿り着いた世界。心が荒れたからこそ、心に秘めた世界も荒れた。世界の荒れようは、心の荒れようをも表しているのだ。

 自分がこれから進む道が地雷原であると、受ける試験にどうやっても不合格にされると勧告されたも同じ。普通なら、確実に危険が、心砕かれる現実が待ちかまえているのに進みはしない。それは勇者ではなく愚者と言えよう。

 

 

「———あぁ、俺は俺の夢を追い続ける。

 確かに俺の夢はオヤジの、誰かの借り物なのかもしれない。でもこの世に正義の味方なんてものはいないってお前が言うんなら、『正義の味方』って夢自体は誰からの借り物でもないんだ。

 いや、そんなの関係ない。俺は俺の、俺が綺麗だって思った夢を、絶対に追い続けてみせる。もしそれが絶対に有り得ない幻だったとしても、それを追うこと自体が、俺の目指した在り方なんだ」

 

 

 だから衛宮は愚者であることを選んだのかもしれない。勇者、なんて言葉はコイツに似合わない。

 僅かばかりも揺らがずに言い切ってみせた衛宮に、アーチャーはまるでその答えを予測していたと言わんばかりにニヤリと不敵に笑う。

 負けたのが悔しくもなく、かといって決して嬉しいわけでもない。アイツは、自分が未だ衛宮の更に高みにいることを理解しているからこそ、不敵に笑ってみせたのだ。

 

 

「‥‥フン、貴様に本当に出来るのかどうかは知らん。だが覚えておけ、貴様が失敗してオレと同じ末路を辿った暁には、必ず絶望することになる。オレとて死の瞬間を越えて尚、その道を後悔しなかったのだ。‥‥凜、コイツをしっかりと見張っておいてやるのだぞ」

 

 

 最後に顔の半ばまでもを消失しながらも、最後まで弓兵は言い切ってみせた。

 俺の記憶通りの清々しいまでも偉そうな顔は、それでいて俺が昔カッコイイと感じたのとは違う、親しみやすさを湛えていた。

 未練もなく、後悔もなく、俺達へ残す感情全てを捨て去って、自負のみをその既に見えない五体に宿して。

 

 言いたいことを言い終わると白い髪と褐色の肌をもった弓兵は顔が完全に消え失せて前に体を翻し、そしてまるで向こうへと歩き去っていくかのようにエミヤは姿を消す。

 消えたはずなのに、それでも俺は広くて頼もしい赤い背中を幻視したような錯覚を覚えてしまっていた。

 そう、その後ろ姿はまるで俺達に、衛宮に向かって、『ついてこれるか?』とでも言いたげだったのだ———

 

 

 

 53th act Fin.

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。