UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第五十四話 『雪の精の邂逅』

 

 

 side Illyasviel Von Einzbern

 

 

 

 

「嘘、まさかアンタ、イリヤスフィール‥‥?!」

 

 

 突然窓の向こうの住宅街の更に向こうで立ち上った光の柱。

 それは普通の光とはなにもかもが違った。柱の太さが示す光量も、立ち上った場所も、強さも、何より神秘的と形容してしまうような異常な雰囲気を湛えていた。

 綺麗、ってわけじゃなかったと思う。ただ毎日過ごしている普通の日常とは完全に異なったその光に、私はどうしようもなく目を奪われてしまったんだろう。

 

 もちろんいつもと違う光景といつもと違う行動は、当然のようにいつもと違う結果を生む。

 もう一度見ることができないかと風呂場の明かりを消せばお兄ちゃんが入って来て、そのお兄ちゃんの顔に大リーガーの投球みたいな速さで突っ込んで来た謎のステッキ。

 その後は本当にマシンガンみたいに次々と状況は私の手を離れて進んでいった。なにせ気がついたら何時の間にか薄いピンク色の、まるっきり魔法少女みたいなコスチュームに身を包んでいたんだから。

 

 

『私が知っている魔術師はそんなに数がいませんが、流石に自他共に認める天才なだけはありますね、凜さん。まさか私の速さについてこられるとは思いませんでしたよ、あはー』

 

「あのー、すいません、お姉さんは一体誰なんですか‥‥?」

 

 

 そして魔法少女ルックになってしまった自分の姿にびっくりして、何より裸のお兄ちゃんとお風呂場にいるのが恥ずかしくて一先ず窓から飛び出し、私はこの奇妙な状況に直面していた。

 あまりの目茶苦茶に脱力して座り込んでしまった私の前に現れたのは、鮮やかな赤と黒のコントラストが眩しい一人の女の人。

 歳は多分お兄ちゃんと同じくらい、もしかすればもう少しぐらい年上かもしれない。私より長い黒髪を頭の両側でツインテールにしていて、際どい長さのミニスカートは何故かこの人に限っては上品に見える。

 そして少し日本人にしては彫りが深い綺麗な顔を驚きの表情で彩りながら、その女の人はまるで信じられないものを見るように、それこそ目一杯まで瞼を見開いて私の方を見つめていた。

 

 

「‥‥っ、一つ聞かせて。貴女、まさかと思うけど、“イリヤスフィール・フォン・アインツベルン”?」

 

「え‥‥あ、うん。確かに私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルンで間違いないけど‥‥。あの、私ってお姉さんに会ったことありますか?」

 

 

 その女の人を私は思い出せない。何故かって、答は簡単だ。少なくとも物心がついてからの私はこの人に会ったことがない。

 でも私はこの人の顔も声も名前も知らないのに、この人は名乗ってもいなければ、クラスメートや担任の先生だってしょっちゅう間違える私のフルネームを、初めて会ったはずなのに正確に口に出してみせた。

 私の長い名前の一文字一文字を口にするたびに、私と同じように化粧をしてないらしい唇が震える。まるでお化けでも見てしまったかのように。

 それでも震えているのは唇だけで、手足はおろか山奥の湖みたいに深い色を湛えた瞳も微動だにしていない。この人が感じている色んな感情を想像すれば、私ならきっとガクガクと震えて立ってなんかいられなくなってしまうだろう。

 

 

「待って、落ち着け、落ち着きなさい私。この状況はあきらかに変よ。しっかりと現状を把握しないと‥‥」

 

「あの、お姉さん?」

 

『一体どうしたんですか、凜さんー?』

 

元凶(アンタ)は黙ってなさい、ルビー。私は考え事をしているのよ」

 

 

 お姉さんは額に手をやり、目をつむって何事かを呟きながら数拍だけ考え込む。次いで大きな溜息と深呼吸を同時にすると、キッとこちらに向き直った。

 

 

「ルビー、貴女この子のことを知ってる?」

 

『えぇ存じておりますよー。彼女は私の新しいマスター、イリヤさんで―――』

 

「そうじゃないわ。貴女はこの子のことを初めから知っていて、マスターに選んだのかって聞いてるのよ」

 

『‥‥んっんー、おかしなことを言いますねー? 私は私自身の直感とかインスピレーションとかを信じてひた走り、遂にはイリヤさんとドラマスティクな出逢いを果たしたわけですが?』

 

「‥‥なるほどね、つまりアンタが関わっているってことじゃないわけか」

 

 

 苦々しげに私の手の中でクネクネと踊るマジカルルビーを睨み付け、あまつさえ舌打ちまでしてみせたお姉さんは次に視線をやや上、私の顔へと向ける。

 伸ばせば手同士が触れ合うぐらい近くに来て、改めて目の前の女の人がとても美人だってことに気付かされた。方向性が違うけど、多分ママとも張り合えると思う。

 

 

「ねぇイリヤスフィール。くだらないことを聞いてもいいかしら? 何を言ってるのかわからないかもしれないけれど‥‥貴女は魔術とか、錬金術とかについて聞いたことはある? どんな些細なことでも構わないわ」

 

「ま、じゅつ‥‥? うーん、アニメとかゲームとかに出て来てたのなら聞き覚えがあるんだけど‥‥」

 

「‥‥嘘、っていうわけではないわね」

 

「嘘なんてついてどうするんですか」

 

「確かに。つまりはまるで普通の女の子ってことね。少なくとも自分自身の意識においては。‥‥見た限り魔術師ってわけでもないし。そもそも“あの”イリヤスフィールだったら嘘なんかつかない、か。

 ‥‥まさかアインツベルンが用意したホムンクルスはおろか、まるっきりの一般人とはね。何か私の知らないところで色々と巻き起こってるのかと思ったけど、そんなはずもないし‥‥」

 

 

 全くと言っていいぐらいに聞いたことのない言葉が次々とお姉さんの口から出て来て、私は自分が置かれた状況が理解できなくて目を白黒させた。

 突然お兄ちゃんの顔面目掛けて飛び込んで来たマジカルステッキからして私から冷静にものを考えることを奪うのには十分過ぎたけど、このお姉さんの登場は更に私のパニックを加速させたんだ。

 もしかしてこのステッキの関係者なのかな? だとしたらどうして私の名前を知っているの? そもそもお姉さんって一体だれ?

 

 

「‥‥これはどうもヤバイわ、参ったわね。‥‥イリヤスフィール、貴女ちょっと厄介事に巻き込まれたわよ」

 

「厄介事‥‥?」

 

「そう。今の私が置かれた状況もそうなんだけど、貴女が今その手に持っている不愉快型魔術礼装がね、貴女を否応なく騒動とか迷惑とかに巻き込むってこと。悪いわね、こんな奇天烈な目に遭わせちゃって。

 ‥‥本当なら重しを幾つも括り付けて新都の港に沈めたいところなんだけど、一応それ、私としても大事なものってことになってるのよ。こっちの勝手で悪いんだけど、そのステッキ返してくれない?」

 

 

 眉と眉の間に深い皺を刻んで、腰を屈めたお姉さんが右手をこちらに伸ばしてくる。‥‥どうも私が持っているステッキは元々お姉さんのものだったらしい。

 ‥‥うん、返そう。これは確かに胡散臭い。もしかしてこのお姉さんの持ち物じゃなかったとしても、お姉さんが必要だっていうなら私はいらないや。

 私は確かに魔法少女とかは大好きだけど、このステッキからは私が憧れたような魔法少女の空気がしない。ましてや実際にそういう話になってパニックがひどいし、何よりあの出遭い方はドラマスティックとは程遠かった。

 

 

「‥‥なにしてるの? 返してくれるつもりなら手を離してくれなきゃ」

 

「あれ、おかしいな‥‥? なんか、手が離れない‥‥?!」

 

「はぁ?!」

 

 

 ごくごく自然に躊躇なく差し出した、さっきまでとは打って変わって静かに大人しくしているステッキをお姉さんが掴む。

 そして当然の流れとして私はステッキを掴んだ手を離そうとして‥‥出来なかった。私は離そうとしているのに、手はまるで別の生き物になってしまったかのように全く私の命令を聞かないのだ。

 

 

『ふふふふーん、甘いですね凜さーん?』

 

「ルビー?!」

 

『確かに私はマスター無しでは自分にだけ影響するような簡単な魔力運用しかできませんが、契約自体は私の主導で行われます。

 つまり! いくらマスターになりたくてもなりたくなくても、私の意志でなければ契約することも解除することも出来ませんっ! せっかく手に入れたロリッ子はそう簡単に手放しませんよ〜!』

 

「な‥‥ッ、なんてことしてくれんのよバカステッキィィイイ!!」

 

 

 え、何、つまり私はルビーって自己紹介したこのマジカルステッキの気が変わるまではこの恰好でいなきゃいけないってこと?! あーいや、魔法少女っていうなら普段はいつも通りで必要な時だけ変身するのがセオリーだけど‥‥。

 なんていうか、お姉さんの視線がすっごく怖い。例えるなら手持ちの金品だけ素直に置いていったらそれだけで許してくれたはずなのに、抵抗されたから隠し金庫の位置まで身ぐるみ剥がして聞き出されようとしているような‥‥。

 

 そこまで考え事が進んで思わず冷や汗を垂らしてしまった時のことだ。

 今のお姉さんの叫び声を聞き付けたのか、それとも普通に喋っていてもやたらと響くルビーの声を聞き付けたのか、やけに慌てたような焦ったような足音がこちらに向かってくるのを聞き付けた。

 ‥‥まさか、誰か来る? ちょっとマズイよソレ! 私が言うのも何だけどウチは色々と目立つから近所じゃちょっとした有名人で、そんな目立つ私がこんなカッコしてるところを見られたら大変だ!

 

 

「ど、どどどどうしようお姉さん?! 私こんなところ見られたらもうこの町から出てくしかないよぉ!」

 

「ちょ、落ち着きなさいイリヤスフィール! そんなの後で記憶を操作すればどうとでも―――」

 

「何があったんだ遠坂!」

 

 

 さっきから物凄い勢いで近付いて来ていた足音の主が、家と家の間に微妙な空間を作っている路地へと入って来た。

 入口にあたる塀の隙間で無理矢理方向転換して、少し進むと強引にブレーキをかける。足跡がしっかりとアスファルトを削って刻みこまれるぐらいにはっきりと残るぐらいの速さだ。

 さっきから異常なことばっかり起こってるから感覚が麻痺しかけてるけど、今のスピードも十分過ぎるくらい人間離れしている。ルビーの同類だろうか。

 

 

「他人様の庭とか突っ切るなんて一体なに考えて、るん、だ‥‥」

 

 

 声から分かるように、駆け込んで来たのは高校生から大学生ぐらいの男の人だった。背はそんなに高くないけど、全体的にがっしりとした力強い体つきをしている。

 着ているのは丈の長い、もしかしたら足首にも届くかってぐらいの真っ黒なコート。ボタンを留めてないから前が開いていて、中にはコスプレみたいな真っ赤な外套と、黒い鎧みたいなものが見えた。

 靴は普通に暮らす分にはあんまりにもゴツゴツとしたブーツで、動きやすくするためなのか足にはベルトが何本が巻き付けてあって、コスプレっぽさは益々拭えない。

 特徴的なのは服装だけじゃなくて、首から上もそうだった。間違いなく日本人だと断言される東洋風の顔立ちに、何故か髪の毛は赤錆たような不思議な色。

 いつもなら頑固で生真面目そうでありながら優しい表情を浮かべている顔は先程のお姉さんと同じ様に信じられないものを見たとでも言いたげで、それでも今度ばかりは私だって驚き具合なら負けちゃいない。

 

 

「‥‥イリヤ?」

 

 

 呆然と呟く、その青年。

 けれど私の驚きも、その人に比べて少しだって小さくなんてない。

 

 

「そ、そんな、まさかイリヤ‥‥?!」

 

「お、お兄ちゃん?! う、嘘なんで、だって今さっきはそこに‥‥ッ?!」

 

 

 思わず背中の後ろ、私が転げ落ちてしまった窓からお風呂場を覗きこめば、確かにそこにはルビーの体当たりを顔に受けて気絶してしまったお兄ちゃんが倒れたままだ。

 でも勢いよく前を振り返れば、そこでもお兄ちゃんが目を丸くさせて、さっきのお姉さんと同じような顔で私の方を見ている。

 ‥‥あれ、一体どういう事なの? だってホラ、お兄ちゃん二人いるよ、ホラ!

 

 

「な、なんでイリヤがこんなところに‥‥?! だってイリヤは、イリヤはあの時アインツベルンの城で‥‥!」

 

「ちょっと落ち着きなさい士郎! ‥‥うわ、ホントにもう一人士郎がいるわ。しかもちょっと幼いし、もしかして聖杯戦争ぐらいの時かしら? なんていうか、同じ顔が二つってのは慣れてるつもりだったんだけどねぇ‥‥」

 

「‥‥あの、どこのどちら様か知らないけど、出来ればジロジロお兄ちゃん見ないでくれます? その、お兄ちゃん裸だし」

 

「あぁ悪いわね。でも気にしないで、どうせ見慣―――じゃなくて、貴女のお兄ちゃん? にはそういう気はないから」

 

 

 もう一人のお兄ちゃんが顔を真っ青にさせて何か呟いている間に、お姉さんは私の横を通り過ぎて窓からお風呂場の中を覗く。

 そして殆ど裸に近いお兄ちゃんの姿を見ても恥ずかしがる様子もなく、気絶したお兄ちゃんと私の目の前で難しい顔をしているお兄ちゃんを交互に見つめて、ようやく合点がいったとでも言いたげにフムフムと頷いた。

 もちろん私には何が何だかさっぱり分からない。お兄ちゃんが二人現れた時点でパニックは最高潮に達してしまい、もう色々考える余裕すらなくなってしまってる。

 だってもう無理だ。

 不思議な光を見て、お兄ちゃんには裸を見られて、そのお兄ちゃんは何か突然突っ込んできたステッキに倒されちゃって、そのステッキに今度は私が魔法少女なんかにされちゃって‥‥。

 トドメは何故か私の名前を知っている謎のお姉さんと、少しばかり年上に見えるもう一人のお兄ちゃんだ。もう私の許容範囲(キャパシティ)を超えちゃってるよ。

 

 

「‥‥さん? イリヤさん?」

 

「大変、セラの声だ! 今の物音が聞こえてたんだ、どうしよう‥‥ッ!」

 

「‥‥はぁ。士郎もそうだけど、貴女も落ち着きなさいイリヤスフィール。だいたい状況は分かったから、これから先は私がちゃんと説明するわ。貴女にも関係あることだし、ね」

 

 

 お風呂場の扉の向こう、脱衣所の方から聞こえてきた声に今度は私の顔が真っ青になった。

 あれはセラの声だ。セラは色々と過保護だから、風呂場から聞こえたトンデモない騒々しい物音を不審がって様子を見に来ちゃったんだろう。

 まずい、まずいよ。ご近所の人に見られるのも大変だけど、セラに見られるのはもっと大変だ。私の恰好もそうだし、もう一人のお兄ちゃんなんてオカルティックな光景はもっともっと大変だ。

 何故か知らないけど、私は不思議と正体を知られちゃいけないという強迫観念に囚われていた。多分これ、魔法少女モノのお約束だからなんじゃないかな。

 

 

「ルビー、アンタ今の状況一番よく理解できてるんでしょ? さっさと変身を解いてやって、家族の人に言い訳させてやりなさい。士郎は今のうちに落ち着く!」

 

「あ、あぁ、そうだな遠坂。イリヤも悪い、取り乱しちまって‥‥」

 

「う、ううん、平気だよお兄ちゃん。その、ホラ、このステッキが一番うるさいし」

 

『あらあらあら、パートナーに大してなんたる扱い! さらりと凛さん以上に毒舌ですねイリヤさん! そこに痺れる憧れるー!』

 

 

 慌てふためいて冷静に行動できない状態の私を見て溜息をついたお姉さんがルビーを促して、私は頭を下げるとおそるおそる窓からお風呂場の中へと侵入する。

 すると右手に握っていたステッキが輝いて、私は変身する前の姿、つまりは裸に戻ってしまったので、慌てて湯船の中へと体を沈めた。気絶してるとは言ってもお兄ちゃんが目の前だし、後ろにはもう一人のお兄ちゃんがいるんだから。

 

 

「イリヤさん? 何か大きな物音がしましたけど、なにかあったんですか?」

 

(適当に誤魔化しなさい。お風呂から上がったら貴女の部屋の窓から呼べばいいから)

 

「あ、はい分かりました。‥‥なんか悪戯で石が投げ込まれたみたいなのー! 窓が割れて、お兄ちゃんにぶつかっちゃったから助けに来てー!」

 

「なんですって?! わ、わかりました今すぐ入ります!」

 

 

 ボソボソと小さな呟き声で指示された後に窓の外から人の気配が消え、私は脱衣所にいるらしいセラに聞こえるように大きく声を張り上げた。

 素っ頓狂な叫びとドタバタという物音がするから、タオルとか何かを用意しているらしい。時々「なんでシロウが一緒に入っているんですか‥‥!」とかいう言葉も聞こえるから、お兄ちゃんが半殺しにされないように後でフォローしておかなくちゃ。

 

 

『ふっふっふー、これはまた私好みの愉快な展開になりそうな予感ですよー、あはー』

 

(静かにしててよルビー! ていうか何時の間に私の髪の毛の中に潜り込んだの?!)

 

 

 とりあえず脇の棚にかけてあった背中を洗うブラシで、お兄ちゃんの腰に巻かれたタオルはこっそりと位置を直しておいた、ウン。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「‥‥ふー、悪いわね手間かけさせちゃって。お母さん? 彼女宥めるの大変だったでしょ?」

 

「セラはお母さんじゃなくてハウスキーパーだよ。家族みたいなものだけど‥‥って、お姉さんとお兄ちゃん、どうして二階までジャンプできるの‥‥?」

 

「魔力で体を強化してちょちょいとね。まぁ途中で高さが足りなくなって隣の家に蹴り入れちゃったけど」

 

 

 一通りセラと、あと騒ぎを聞き付けて野次馬に来たリズお姉ちゃんに出任せを説明して、お兄ちゃんを介抱したり窓の片付けをしたりと事後処理を済ませた私は、少し湯冷めした体で部屋に帰って来た。

 部屋に入って一番最初に目に入ったのは、私のベッドに腰を下ろして涼しげな顔でこの部屋の持ち主である私を出迎えたさっきのお姉さん。

 そしてその隣に立って腕組みをしながら眉間に深い深い皺を刻みながらも、私が入って来たのに気付くと急いで見慣れた―――ちょっとぎこちなかったけど―――笑顔を浮かべたもう一人のお兄ちゃんだ。

 さっき下で文句たらたらなセラの治療を受けていたお兄ちゃんと殆ど変わらない。‥‥うーん、ウチのお兄ちゃんより少し年上なのかな? 体もがっしりしてるし、背も高くなってる。

 だから注意して見れば、二人のお兄ちゃんを並べてみれば違いは歴然。絶対に同じ人間じゃないことは明らかだ。

 それでも私の目の前のお兄ちゃんを錯覚してしまうのは多分、やっぱり感じる雰囲気が全然変わらないからじゃないかな。やっぱりどっちも優しくて不器用な私のお兄ちゃんだ。

 

 

『いやーヒステリックな家政婦さんでしたねー。犯人を見つけたらグラム98円で出荷してやるって怒り狂ってましたよー』

 

「そもそもの元凶がへらへら笑ってるんじゃないわよルビー! とにかく、イリヤスフィールも落ち着いたなら一旦どこかに座りなさい。私の頭の中で整理はしたけと、ちょっとややこしい話になりそうだからね」

 

 

 まるで自分の部屋であるかのように寛いでいるお姉さんに促されて椅子に腰を下ろす。その間も視線はずっとお兄ちゃんに固定されたままで、動かすことはできなかった。

 傍目に見たらおかしな光景だったかもしれない。微妙な距離感を保ちながらも、お互いに顔はぎこちない笑顔なんだから。

 

 

「それじゃあ自己紹介させてもらうわね。まず私の名前は遠坂凜。倫敦の時計塔に所属している魔術師で、この冬木の地の管理者(セカンドオーナー)よ」

 

「とけいとう? せかんどおーなー?」

 

「そうね、時計塔は魔術を学ぶ大学みたいな場所で、セカンドオーナーは魔術的な管理人、地主みたいなものかしら。もっとも、今ここではその肩書も大して意味がなさそうだけど‥‥」

 

 

 また大きな溜息をついたお姉さん‥‥遠坂凜さんがチラリと私とお兄ちゃんを交互に見て、また難しい顔で眉をひそめた。

 その仕種がやけに人を不安にさせる。まるでドッジボールで目の前を横切ったボールを捕ろうとして、それでも手が出せないようなもどかしさがある。

 何が何だかサッパリっていうのは、その大きさというか、度合いは比べものにならなくても今まで経験したことがないわけじゃない。でも今の私はそれとは別な不安感を抱えていた。

 

 

「それでコイツは私の弟子の衛宮士郎なんだけど‥‥。色々と話すその前に、貴女のことも聞かせてもらえるかしら?」

 

「あ、うん。私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。なんていうか、まぁ、普通の小学生です‥‥」

 

「なのよねぇ‥‥。まぁ百歩譲って貴女の方はそれでいいとして―――お風呂場で倒れてた方の士郎とはどういう関係?」

 

「十年くらい前に切嗣(おとーさん)が連れて来たの。孤児だったみたいなんだけど私はよく知らないや」

 

 

 一瞬、空気が固まった。二人が一斉に息を飲んだからってのもあるけど、凍りついたっていうよりは固まったっていう感じが正しいんじゃないかと思う。

 今度の驚きは私じゃなくて、お兄ちゃんと凜さんの方。特にお兄ちゃんは今まで見たことがないぐらいに目を見開いて、私というよりは私の後ろにいる誰かを見ているようだった。

 

 

「イリヤは、ハーフなのか‥‥?」

 

「うん。おとーさんが日本人で、ママはドイツ人。でも二人とも今は外国でお仕事してるからあんまり家には帰って来ないよ」

 

 

 するとお兄ちゃんは一瞬だけ泣き出す寸前のような顔をして暫く目をつむり、目を開けた時にはさっきと変わらないようだったけど、やっぱり泣いているように見えた。

 そこまで感じ取って、私は改めて今の状況の不思議さ、不気味さを実感する。これは一体どういうことになってるんだろう?

 冷静になって考えてみれば、どんなに似ていてもお兄ちゃんが二人いるなんてことがあるわけない。そんなのはドッペルゲンガーだし、目の前のお兄ちゃんは私のお兄ちゃんとは微妙に違ってる。

 この人達は誰で、何処から来たのかな? そんな私の特大の疑問符を察したのか、お姉さんは少しだけ考え込んだ後に思い切るように口を開いた。

 

 

「‥‥これはまだ確定してない仮設に過ぎないんだけどね、多分私達は並行世界から紛れ込んじゃったみたいね」

 

「‥‥へ?」

 

「並行世界よ。いろんな可能性で分岐した、自分が今いる世界と並列して存在する似て非なる全く別の場所。どうも空間転位の時にトラブルが起こったみたいだわ‥‥」

 

 

 難しいながらも噛み砕かれた言葉を私が理解するには、その言葉の後に凜さんが色々これまた私には全く理解できないことを一通り呟くまでかかった。

 並行世界、パラレルワールド。アニメや漫画の中で何回か見たことがある言葉だ。『もしココでこうじゃなかったら』っていうIFの世界についての知識は確かにある。

 

 

「だからこの士郎は貴女の知る士郎とは別人ね。そもそも世界からして別なんだから当然なんだけど。もちろん私がもう一人この世界にいたとしても、この私とは別人だからね」

 

「うぅ、頭がこんがらがってきた‥‥」

 

「そう? 本人が目の前にいるんだから話は早いと思うけど」

 

 

 しれっと凜さんが言うけど無茶苦茶にも程がある。むしろ逆だ。同じ顔が二つ、それも血は繋がってなくともお兄ちゃんの顔なんだから。

 あれ、そういえば私のことを見てお兄ちゃんも凜さんも尋常じゃないくらい驚いてたけど、あれってどういうことなのかな?

 

 

「あの、お兄ちゃん達は私とは別の世界にいたんだよね? そこの世界の私ってどういう子だったの?」

 

「それは―――」

 

「悪いけど、私達は向こうの貴女とはそんなに親しくなかったのよ。会ったのも数回だけだったし、その後すぐに外国の方に帰っちゃったわ。だから貴女が冬木にいるとは思わなくて随分とびっくりしちゃったのよ」

 

「‥‥そう、なの? じゃあ私はお兄ちゃんと兄妹じゃなかったんだ‥‥」

 

「あー、いや、どうかな、イリヤは一方的に俺のこと“お兄ちゃん”って呼んでたから、俺は知らなかったけど切嗣(オヤジ)と色々あったのかもしれないな。‥‥まぁ、そうだな、イリヤには悪いことしちまった‥‥」

 

 

 苦々しげに顔を歪めたお兄ちゃんと、眉間の皺がいっそう深くなった凛さんの様子はすごく気になったけど、私は続けて深く質問することはしなかった。というよりも出来なかった。

 多分、ううん間違いなく私はお兄ちゃんと、あと凜さんとも何かがあった。私がお兄ちゃんと一緒じゃなかったこととか、切嗣(おとーさん)やママはどうしているのかとか、そういう疑問はたくさんある。

 お兄ちゃんの苗字が衛宮ってことは切嗣(おとーさん)

の養子になったのは変わらなかったんだけど‥‥。もしかして離婚しちゃってたりしたら、イヤだな。

 

 

「‥‥引きずるなって言う方が無理な話かもしれないけど、一先ず今だけ二人共しっかりと気持ちを切り替えなさい。まだ色々と話さなきゃいけないことはあるんだからね」

 

「あ、そういえば並行世界と凜さんとお兄ちゃんについての話は聞いたけど、ルビーについてがまだだったね」

 

『空気が読めると定評のあるルビーちゃんですけど、あんまりにも読み過ぎてずーっと黙ってたから存在感が薄くなっちゃってましたねー』

 

 

 確かに本人の言葉の通り、初対面で受けた強烈なインパクトに比べて、柄を収納した携帯モードのルビーは不自然なくらいに静かだった。いっそのこと不気味なくらいに。

 パタパタと羽を動かせて私と凜さんの間をくるくると飛び回って、たまにお兄ちゃんのところにも行くけどちょっかいは出さない。‥‥多分、女の子じゃないからだ。

 

 

「ホントむかつく礼装ね、アンタは。どうせ鏡面界から出た時には並行世界だって気がついてたんでしょ。まさか、これもアンタ達の仕業だったりしたら今度こそ私は解体を躊躇わないわよ?」

 

『んっんー、そうですねー、第二法の行使手である宝石翁に生み出された限定礼装である私達なら、並行世界移動を観測出来ないこともないという推論は正解です。

 けど、流石のルビーちゃんでも完全な並行世界への移動はできませんねー。言わばこれは偶然に偶然が重なって起こったハプニングですよ』

 

「‥‥偶然にも程があるわよ。そんな運とかのレベルで魔法の範疇にある現象に遭遇するなんてありえないわ。何か、必ず理由があるはずよ」

 

『今回は割とイレギュラーな要素が多かったですからね。まぁ少しお時間が要りますが、分析の方はお任せ下さいねー。

 ‥‥とまぁ、当面の問題はまた別にあるんですけど』

 

「「「別の問題?」」」

 

 

 少し声を低くして呟かれたルビーの言葉に、難しい顔で黙ってしまっていたお兄ちゃんを含めた三人共が疑問符を頭の上に浮かべて尋ねた。

 その言葉の調子は声が低いとかとは無関係に不穏で、間違いなく当事者のはずなのに全くと言っていいぐらい事情を把握していない私でも嫌な予感が止まらない。

 あー、いや、そういうのも今更かな。だって私がどうこうしたからって問題じゃないもんね。

 きっとさ、最初から決まっちゃってたんだよ。私がルビーを手にとったその時からじゃなくて、私がルビーに目を付けられちゃったその時から。

 だから多分、きっと、間違いなく、

 私のこれからは今までとは一転、

 波瀾万丈愉快痛快の毎日になってしまうに違いない。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「さて、凜さん達から別れたのは良いのですが、一体これからどうするのですか、ルヴィアゼリッタ?」

 

「そうですわね、今回の任務に際して冬木に仮宿を用意するつもりですから、まずはその予定地を検分するつもりですわ。あとはまぁ軽く見回りですわね。サーヴァントは撃退しましたけど、他の場所に異常や兆候がないかどうか調べなくてはなりません」

 

 

 草木も眠る丑三つ時‥‥には少しばかり早い深夜。それでも全く人気のない冬木は深山町を三人の人影と一つの怪物体が進んでいた。

 あまりにもちぐはぐな組み合わせだ。三人の内の二人までもが冬木では珍しい外国人で、しかも紛れも無い美少女と来ている。一緒に歩く男の地味な顔立ちが逆に目立って仕方がない。

 もっともその目立たない男というのが俺なんだから、自虐的にも程があるってものだろうけどね。

 

 

私達(カレイドステッキ)には事前に用意した霊脈の歪みを感知するプログラムが入っています。もしサーヴァントが現れる兆候を確認できたらすぐにルヴィア様にお知らせ致しますが‥‥』

 

「それでも見回りは必要ですわよ、サファイア。貴女の能力は信頼していますが、取りこぼしが絶対にないとは限りません。それにどちらにしても下見にはいかないといけませんから」

 

「ふむ、そういえば私も前回の聖杯戦争の折にこちらへ立ち寄ることはしませんでしたね。確かに自分の足で戦場を把握するのは大切なことです」

 

 

 どんな糸よりも細く美しい金色の髪を縦に巻いた特徴的な少女、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトが背筋を伸ばして悠然と闇深い通りを歩く。その言葉や態度だけではなく、意識などしなくても体中から自信が滲み出ている。

 隣をややゆっくりと、少々ぎこちなく歩く長身のバゼット・フラガ・マクレミッツも同様だ。傷ついて消耗しているはずなのに、その女性としての丸みを帯びた体は男の俺に比べても力強い。

 そんな二人が今後について様々に議論を交わしている中、俺は一人だけ数歩後ろを遅れ気味についていっていた。

 

 

「‥‥‥‥」

 

「‥‥‥‥」

 

『‥‥‥‥』

 

 

 会話が途切れ、不自然な沈黙が元々木擦れの音も聞こえない住宅街を支配する。俯いてしまっている俺にはわからないけど、おそらくはチラリとこちらに目を向けたのだろう。

 しかし俺はその何か問いたげな視線を俯いた額の辺りに受けても答えない。いや、そもそも答える余裕なんてなかったんだ。

 どれだけ注意を辺りに払おうとしても、そうしようという意思が頭の中から出てこない。捕えられてしまっている。別に戦いに慣れてるとか言うつもりはないけど、無用心には違いないな。

 

 

(エミヤ、か‥‥)

 

 

 本来ならば戦闘能力において著しく劣る分だけ、頭脳労働役として精一杯働かなくてはならないはずの俺の頭の中にあったのは今回の任務についての腹案なんかじゃ勿論ない。

 頭の中を占めていたのは十年以上前の記憶。今もなお、全く意味も価値もないくせに俺の足を引っ張り続ける厄介者だ。

 

 持っていても聖杯戦争が終わってしまった以上は利益がない。利用して他人との交渉事での切り札(ジョーカー)に出来るかもしれないけど、幸か不幸かそういったものにはついぞ縁がなかった。

 ついでに言えば記憶そのもの自体がトンデモない危険物。いわばスペードの3を相手にくれてやり、なおかつジョーカーを切ろうとするかのような愚行に外ならない。

 全くもって、今までこんなものが積極的に役に立ったことなんてない。強いて言うなら橙子姉や青子姉に拾ってもらったこと、ルヴィアに話しかけるきっかけになったことぐらいか。

 

 

(久しぶりに、深く思い出したな。一番最後にここまで深く考えたのが桜嬢を助けに冬木に行く前だから‥‥半年とちょっとぐらいってところかな。はぁ、ホントにあるだけで鬱にさせてくれるよ‥‥)

 

 

 願うことならば捨ててしまいたい。こんなものはいらなかった。

 今の俺は確かに、この世界に来て間違いじゃなかったと思っている。この世界の住人で構わない、むしろ本望だと思っている。

 でもそれは決して、《Fate/stay night》や《月姫》、《空の境界》というカタチでこの世界のことを、この世界で出会った人達のことを知っていたからじゃない。キャラクターとして好きだったからじゃない。

 それじゃ所謂ミーハーってやつだ。会ったこともない芸能人を実際に好きになれるかと聞かれれば、当然ながら一人の人間としてその人のことを知らなければ頷けないのと同じこと。

 頷けるようになった頃には、芸能人だという要素はその人の付加価値の一つに過ぎなくなっているだろう。俺もそうだ。

 

 二次元の登場人物だから橙子姉達の義弟になったわけじゃない。なにせ、拾われてすぐに名前を貰ったワケじゃないんだから。義弟にしてくれるまでに、また色々とあった。

 だからこそ言える。こんな記憶、あったところで何の役にも立ちはしない。多少のメリットがあったとしても膨大なデメリットがすぐに打ち消してしまう。

 

 

(―――なんでエミヤは、衛宮は、俺の秘密を知ってあんなに自然に笑えるんだ‥‥?)

 

 

 例えばクラスメートに、『ずっと昔からお前のことは知っていた。お前のことを書いている小説があって、お前のことをソレで知っていた』なんて言われたらどうだろうか。

 あまつさえ『お前はゲームの登場人物だ。俺の世界の誰かがお前というキャラクターを考えて、これまでの人生全てを作ったんだ』と言われてしまえば、しかもそれが事実だったら、アイデンティティの崩壊だ。

 俺だったらどうするだろう。最初こそ一笑に付して、それで本当だと分かったらどうするだろう?

 ‥‥間違いなく、自暴自棄になる。下手したらコワレテしまうかもしれない。俺はそんなに強い人間じゃないんだから。

 衛宮のことを許容できたのだって、事前知識として衛宮のことを知っていたからだ。それでもなお実際に目にして俺の中の魔術師としての部分が激しく動揺しているのは、俺が弱い人間である証明みたいなものだろう。

 遠坂嬢やルヴィアみたいに、自信たっぷりに許容してやるなんてのは無理だ。俺にはそんなことは出来ない。

 

 なのに何故、エミヤは不敵に笑ってみせることができたんだ? 『なんでもない』と一笑に付すことができたんだ?

 自分が誰かに作られた存在であると知って、どうして普通に俺と話すことができた? ありえない、俺には無理だ。理解できない。

 エミヤは俺に何を思った? 俺はエミヤに何と思われた? そういうことがグルグルと俺の頭の中を回り続けていて、思考はその輪の中に完全に捕らわれてしまっている。

 他に考えなければならないことがあったような気もするけど、“俺の記憶が誰かに知られてしまった”ことよりも“俺の記憶を知ったエミヤが何でもないように笑ってみせた”ことの方が、俺に与えたショックは大きかった。

 

 

「‥‥いいかげんになさって下さい! いつまでそうやって鬱ぎ込んでいるつもりですか、貴方は!!」

 

「ルヴィア‥‥?」

 

「友人の前で鬱ぎ込んで、悩みを抱えて、ならばどうして相談しないのですか?! 相談するつもりがないならそのような態度を見せないのが礼儀というものでしょう!」

 

 

 前を歩いていた金髪が翻り、次の瞬間には聞き慣れた、それでいて一度も聞いたこともないぐらいに荒げられた怒声が俺を打った。

 ハッと、先程から更に下へと俯いてしまっていた顔を上げてみれば、そこにはいつの間にか振り向いて仁王立ちしている二年来の友人の姿。

 街灯の明かりも疎らな闇の中にあって尚、眩しい。決して引け目を感じているわけではなく、只単純に存在が眩しい友人の姿。

 顔を怒りと、少しばかりの悲しさで彩ってこちらを睨みつけてくる。彼女にこんな視線を向けられたのは初めてだ。

 張り手こそされてないけど、俺はその声と顔の衝撃に呆然とその場に立ちつくした。

 

 

「何を悩んでいるかは知りません。それが私達では助けにならないような悩みなのかもしれません。もしかしたら静かに触れずにいてあげることが一番の思いやりなのかもしれません」

 

「‥‥‥」

 

「しかしそれでも口を出し、慰め、心配し、助言せんとするのが友人です! ‥‥友人が悩み苦しんでいるというのに、何もしてやれない苦しさも分かっていただけませんの?」

 

「ルヴィア、でも俺は‥‥」

 

 

 気持ちは、分かる。いや、ついさっきまでその気持ちが分からずに一人で鬱屈としていた俺が言うことじゃないかもしれないけど、その気持ちはよく分かるし、嬉しい。

 でもこればっかりは仕方がない。どうしようもない。気持ちは嬉しい、けれど相談できるようなものでもないし、共有できる悩みでもないのだ。

 話して、この恐怖を分かち合うことができたらどれ程までに楽なことだろうか。衛宮の将来を受け止めることができたルヴィアならば、きっと俺の秘密に押し潰されることもないだろうという期待もあった。

 

 いや、これは期待なんかじゃない。これは、誘惑だ。俺が楽になりたくて他人に爆弾が入った重荷を半分押し付ける、友人を危険に晒すろくでもない逃避行動だ。

 

 ルヴィアの言い分もよく分かる。こういう重荷を共に背負ってやりたいと思うのが友人なんだろうし、もしルヴィアが似たような悩みを抱えていたら、俺だって一もニもなく力になりたいと詰め寄ったことだろう。

 それでもこればかりは打ち明けるわけにはいかない。友達だからこそ、一時の感傷で話して危険に晒すことだけはできないのだ。

 

 

「頑固‥‥ですわね。貴方らしいというか、らしくないというか。どうやらこれ以上聞き出そうとしても無駄に終わりそうですし」

 

「すまない、本当に心配をかけてしまって‥‥」

 

「‥‥そう思っているのなら紫遙君、せめて何でもないように振る舞って下さい。ルヴィアゼリッタもそうですが、私も君の友人であるつもりです。そのような態度をとられると、つらい」

 

「そうですわね。いつものようにしていて下さるのなら、これ以上の追求は致しませんわ」

 

 

 気を、遣われた。遣わせてしまった。あまりにも自分が情けなくて涙が出そうで、何とか一端の男として押し堪えた。

 二人の強さが羨ましい。本当に、それでも俺は自分のことだけで精一杯だ。思いやりを持とうとしたって、ここぞという時には自分の荷物だけで両手が塞がってしまう。

 きっとみんなは俺が手を伸ばさなくても、なんだかんだで自分だけでピンチも乗り越えられる。だから俺は誰かのために何かをすることなんかない。だから俺はみんなの強さに甘えてしまうのだ。

 

 情けなくて、不甲斐なくて、そして嬉しい。いくつもの感情がないまぜになって、見切りをつけられなくて、俺は暫く俯いてから勢いよく顔を上げ、なんとかぎこちないながらもいつものような表情を作り上げた。

 

 

「‥‥本当にすまない。ありがとう。今はどうしても無理だけど、いつかきっと話すよ、必ず」

 

「それはきっと話そうと思ったからではなく、話す必要が出来たからなんでしょうけどね」

 

「ルヴィアゼリッタに同意します。まぁ紫遙君はなんだかんだでかなりの秘密主義ですし、そのくらいがちょうどいいのかもしれませんね」

 

「‥‥二人共、全然信用してくれてないじゃないか?」

 

「「そんなことはありません」」

 

 

 まだ少し調子がおかしいけれど、なんとかその場が普段の空気に戻る。もっともこれは解決ではなく問題の先送りに過ぎない。

 ‥‥無性に二人の義姉に会いたくなった。どれだけ間接的な周りの支えがあったとしても、一人ではこの記憶と秘密の重さに押し潰されてしまう。

 俺以外に唯一秘密を共有して、なおかつそれを丸ごと飲み込んでいながら全く変わりなく日々を過ごしている二人。実を言えば、あの二人から離れている状態の俺は基本的に情緒不安定だ。

 ああそうだ、この任務が終わったら一度“伽藍の洞”に寄らせてもらおう。例え遠坂嬢達がすぐに倫敦に戻るのだとしても、我が儘みたいだけど俺には絶対に必要なことだから。

 

 

「あー、ところで、これから一体なにをどうするんだっけ?」

 

「はぁ、やっぱり全然聞いておりませんでしたのね? ‥‥そうですわね、色々と地形を把握する必要もあるでしょうけど、まずは私達が陣地とする場所の下見に赴きましょう」

 

「陣地‥‥ですか?」

 

「えぇ。先程も言いましたが、今回の任務は七騎のサーヴァント‥‥まぁそのうち二騎は打ち倒したわけですが、残り五騎の英霊を打倒しなければなりません。それなりの長期戦になるでしょうから、行動の拠点となる場所を予め確保しておいたのですわ」

 

 

 喋りながらルヴィアは街灯の真下に来ると、胸元から小さく折りたたまれたメモ用紙にしてはやけに上品な紙を広げて道を確認する。どうやら最初から特定の場所を目指していたらしい。

 確かに今回の任務は前回オストローデまで出た時のように、短期決戦を想定されたものではない。もちろん早く終わらせるに越したことはないけど、多分無理だろう。

 なにしろ相手は個人差があるにせよ一人一人が世界最強の一角に名を刻む資格のある英霊達。いくら魔法に類する一級の魔術礼装の手助けがあったとしても、生半可に済むはずがない。

 

 だとするなら陣地を作成してしまうのは別に悪くない手だ。むしろ当然の流れとも言える。

 どちらかといえば気になったのは“拠点となる場所”という些細な言い回し。“拠点”ではなく“場所”とはどういうことだろうか。なんとなく、危機感を伴ったものではないけど不安になってしまう。

 

 

「エーデルフェルトが冬木に足を踏み入れるのは、屈辱を味わった第三次聖杯戦争以来の、およそ百年ぶりですわ。エーデルフェルトここにありと、この街にこそこそ潜んでいる魔術師に知らしめてさしあげます!」

 

「‥‥それはちょっと、目立ちすぎなんじゃないかな? ホラ、各個撃破されちゃうかもしれないし、挑発は程々にしておかないと―――」

 

『お待ち下さいお二人とも、人の気配を感知しました』

 

 

 と、努めて普段の調子を取り戻そうと、いつものように何気ない会話を繰り広げんとした時だった。

 フワフワと俺達の周りを目立たないように浮遊していたサファイヤが俺達の言葉を遮り、その言葉に瞬時に全員が緊張する。

 緊張するとはいっても、敵に注意するというわけじゃない。俺やバゼットはもとより、ルヴィアだって自分が目立つ存在であることは理解しているから、出来るだけ目立たないように備えているのだ。

 

 

「静かに。しくじったな、不自然なくらいに人気がないから油断してたよ」

 

「シェロ達が無事に屋敷に辿り着けたか心配ですわね。ミス・トオサカはともかくシェロは‥‥」

 

「あぁ、そういえばボロボロでしたね。あれでは職務質問されたら色々と面倒でしょうに」

 

「‥‥バゼット、貴女もしかして経験が?」

 

「えぇ、まぁ、聖杯戦争中に街を歩きながら霊体になっている状態のランサーと会話をしていたらちょっと‥‥」

 

 

 一旦その場で停止し、極力一般人に見えるように身を取り繕う。もちろん無理だ。

 髪型とドレスはさておき絶世の美少女であるルヴィアはもとより、方向は違うけどバゼットだって紛れも無い美人である。高い身長を気にしてはいるけれど、どちらかといえばモデルのようにスラッとしていてカッコイイ。

 この場では一番地味な俺だって正直それなりに目立つ。他の二人との組み合わせもそうなんだけど、服装が結構ちぐはぐなんだよね。倫敦だと目立たないんだけど、バンダナとかも。

 

 

『‥‥熱反応、生命反応感知しました。前方十字路曲がって右を微速で向こうへ歩いています』

 

「どうやらやり過ごせそうですわね。‥‥まぁ念のため、確認だけはしておきますか」

 

 

 前方の十字路ぎりぎりの塀に身を隠し、三人共が怖ず怖ずと顔だけを出して右の道路を確認する。

 おかしな光景に見えるかもしれないけど、総じて魔術師っていうのは臆病な生き物だから仕方がない。これが普通の魔術師だったら万に一つの可能性を恐れて始末してしまったりするかもしれないのだ。

 予め結界とかを張って不確定要素を完全に近いまでに排除した状態なら驚くぐらいに大胆だけど、それ以外では雀よりも臆病で慎重。魔術師はそれくらいでちょうどいい。

 

 

「‥‥あれは、子供ではないですか。どうしてこんな時間にこんな場所に?」

 

「しかもパジャマのままだ。一体何があったんだ?」

 

 

 思わず呟いてしまったバゼットの言葉通り、相手に悟られないように顔を覗かせた俺達の視界に確認できたのは、いいとこ小学校低学年といった年頃の小さな少女だった。

 黒い髪を季節にそぐわない強い風に靡かせ、行く宛てがあるのかないのかフラフラと歩いている。まるで夢遊病者であるかのように。

 まぁまぁ遠目ではあるけど裸足であることはわかる。着ているのは白地に薄い青の花が散らしてあるシンプルながら少女によく似合ったパジャマだけど、当然ながら寝間着である以上は薄い。

 とてもじゃないけど外を出歩くような恰好ではなかった。

 

 

「迷子‥‥にしては様子が、というよりも服装がおかしいですわね。まぁ様子も変ではありますけど」

 

「家出、かな? にしては用意も何もしてないっていうのが妙だけど‥‥」

 

 

 フラフラと歩く様には目的が感じられない。行き先も帰る場所もなく、さりとてその場に突っ立っているわけにもいかずという様子に見えた。

 さて、どうするべきか。本来とるべきやり方としては即座に踵を返して元来た道を引き返すというのもあるけど、流石に相手が子供である以上は深夜に放置するのはどうだろうか。

 確かに魔術師は利己的であるべきだろうけど、やっぱり見過ごすのは精神衛生上よくない。善とか偽善を論じることは面倒だ。

 

 

「見つけてしまったものは仕方ないな。このまま放っておくのも気になる。二人はそこで待っていてくれ。俺は一先ずあの子に話を聞いて来るから―――」

 

「いけませんショウ! お下がりなさい!」

 

「何ッ?!」

 

 

 二人をその場に残し、俺だけが十字路を曲がって行く宛てもなく流浪する少女に声をかけようとした時だった。

 突然、俺の前方数メートルが轟音を立てて吹き飛んだ。何か大きなものに衝突されて、そこに建っていた家の塀が破壊されたのだ。

 咄嗟に魔力を体に流す言葉で緊急回避を行った俺の目で確認できたのは中型のトラック。ライトが壊れていたのか光もなく、運転手が酔っ払っていたのか尋常ではない速度である。

 

 

「なんだこれは、酔っ払い運転か‥‥?! こんな静かな夜に平穏な町で何てこった‥‥って、おいコラ待て貴様ッ!!」

 

 

 運転席の半ば近くまでを塀へと埋めていたトラックが鳴動し、次の瞬間にはこれまた恐ろしい勢いで突如弾かれたように後退した。

 背後にあった電柱を掠り、ガードレールに衝突して互いをやや凹ませる。それでも一切勢いを緩めずにハンドルを切って方向を変えると、腹に響く重低音を残して瞬く間に去っていった。

 

 

「‥‥のヤロウ、一もニもなく逃げやがった!」

 

「ショウ、大丈夫ですか―――ッ?!」

 

 

 たいした距離ではないけれど息せき切って駆け付けてくれたルヴィアが瞬間息を飲む。その視線は俺の目の前、ちょうど今さっき酔いどれトラック(仮)が突っ込んだ道路に注がれている。

 事故によって目が醒め、それでも回っていた酔いによって正常な判断力を失っていた運転手が遮二無二逃げ出したのも仕方がない、と思わせる光景がそこには広がっていた。

 

 ―――視界に広がる、赤。普通の生活を送ってきた一般人ならば今まで見たことがない程に鮮烈な赤が、地面をパレットにして広がっている。

 その中心に這いつくばっていたのは正しく破けた絵の具のチューブのような一人の少女。圧倒的な速度と質量によって生じた衝撃に打ちのめされ、体が破けてしまっているのだ。

 決して絶望的なまでの大きさではなかったとはいえ、あのトラックが持っていた速さと重さ、そして何より予期せぬ襲撃はか弱い少女を打ち砕くには十分に過ぎた。

 

 

「退いて‥‥いえ、手伝って下さい紫遙君! ルーンによる治癒を試みます」

 

「あ、あぁ分かった! Drehen(ムーヴ)―――!」

 

 

 最初に再起動したのは三人の中で最も血を見る機会の多いバゼット。すぐさま真っ赤なボロ雑巾と化した少女に走り寄り、ルーンを刻んで治癒の魔術をかけ始める。

 彼女に叱責されるようにして助力を請われた俺も続いて少女の頭の近くへと駆け寄り、ポケットに忍ばせてあったルーン石の中から数少ない治療に使える物を取り出して、少女の口の中へと押し込んだ。

 

 

「くっ、駄目だ飲み込んでくれない‥‥ッ! ルヴィア! 君の宝石で何とかならないのか?!」

 

「‥‥無理ですわ。そもそも私は治癒魔術に長けているわけではありませんし、魔力を使って強引に治療をするとしても、損傷している箇所が多過ぎて手が回りませんわ」

 

 

 飲み込めないのも当然のことだった。今も刻一刻と失われ続ける血液と衝突のショックによって、少女はもはや完全に虫の息の体であったのだ。

 そも、それぞれが風変わりであるにせよ魔術師である俺達は基本的に打算によって動く。もちろん完全にというわけではないけど、見ず知らずの少女を助けるために大魔術を行使するわけにはいかない。

 もっとも多分、手段があったのなら俺達は迷わずそれを行使したことだろう。昨今稀に見るお人よしというのは、魔術師という括りの中なら、俺達とて衛宮だけに限らないことである。

 

 

「‥‥こちらもダメですね。ルヴィアゼリッタ同様、私も治癒に優れているわけではありませんから」

 

「そうか‥‥残念、だな‥‥」

 

 

 魔術は万能ではない。日々劣化し、退化し、良くて停滞し続ける神秘は色んな分野で科学に劣る。特に今の状況はその構図を端的に表していると言っても過言ではない。

 そしてそんな状況を十分以上に理解していてなお、俺達魔術師にとれる手段は魔術以外になかったのだ。故に、もはや万事休す。

 死に逝く少女に己の許容する範囲でしてやれることが何もないと理解した魔術師達は、か細い呼吸を、もうじきに途切れてしまうだろう末期の吐息を懸命に繰り返している少女を悲痛な面持ちで看取ってやることしかできなかった。

 

 

『‥‥お待ち下さい、皆様』

 

「サファイア?」

 

 

 意識もないだろうに必死に生にしがみつく少女の無残な姿を、それでも目を背けずに見開いて見ていようとしていた俺達に落ち着いた声が聞こえた。

 振り向けばそこには、先程まで俺達の焦躁に混ざらず黙っていた宝石翁謹製の魔術礼装の片割れ。人間でも獣でもない姿はもとより、声からも感情は読み取れない。

 ただただぴたりと宙に留まり、人間ならば頭に相当するであろう六角の星をこちらに向けていた。

 

 

『私に考えがあります。少々リスクを伴うものではありますが、少なくともこの方をお助けするには問題ないでしょう』

 

「‥‥まずは話を聞かせない。そうでなければとても許可はできませんわ」

 

「そうですね。彼女を救うことができるのならば喜ばしいことですが、コストパフォーマンスが見合うものでなければ動けません」

 

 

 サファイアの言葉に、二人は慎重に反応した。魔術師は勝算が無ければ賭はしない。ましてや賭に勝っても利益と損失が釣り合わないとなれば尚更だ。

 それでもなお少女を助けることができるのならば、と見捨てる選択肢を一時保留して耳を傾ける俺達は、本当に衛宮のことをとやかく言えないぐらいにはお人善しなんだろう。

 

 

『‥‥申し訳ありませんが悠長に説明している時間はありません。私と姉さんが人工精霊としてカレイドステッキに組み込まれているのも、このような局面に独断である程度までの行動を採れるようにするため‥‥。ルヴィア様、もしこの方をお助けしたいのならば、私を信頼して判断を委ねて頂けませんか?』

 

「‥‥‥‥」

 

「ルヴィア、どうするんだい?」

 

「確かにこれ以上の出血は、いえ、既にいつ死んでもおかしくはない。決断は早急に行う必要がありますよ、ルヴィアゼリッタ」

 

 

 暫く、実際に数字にすれば数秒に満たない時間だけ辺りを沈黙が支配する。少女の吐息は既に殆ど聞こえないぐらいまでにか細い。

 心情としてはこれほどまでに長く感じた沈黙も実際には短かったように、二人と一つの決断を求める視線に晒されたルヴィアの思考もまた状況に即した雷光のように素早く的確なものだった。

 

 

「‥‥許します。貴女の考えている通りになさい、サファイア」

 

『Ja,meine Meisterin! コンパクトフルオープン! 鏡界回廊最大展開!』

 

 

 辺りに光が満ちる。光源はルヴィアの返答を聞くや否や横たわっている少女の下へ疾風のように近寄って身を寄せたサファイアだ。

 比較的体格の良い男なら一握りにすることもできよう小さな体から溢れだしてくる光の量は既に暴力。その場にいた三人が三人とも、手を翳して自分の目を光から守る。

 

 

「そうか、カレイドの魔法少女には―――!」

 

『はい。私という個体が能動的に治癒魔術を行うことは適いませんが、私達(カレイドステッキ)には基本的な機能として非常に高度な自動治癒(リジェネーション)が備わっています。また契約は私達(カレイドステッキ)

の方から主導で行われますから、契約者に反応する意思が無くとも契約は可能。つまり‥‥』

 

 

 冷静なサファイアの言葉と共に、徐々に光の暴力は威力を緩めて収まっていく。腕と瞼を使って保護してもなお強烈な光は俺の目を焼いたけど、そこは魔眼を専門に研究する身、常人よりは早く回復する。

 塞がれてしまった視界が僅かな時間をかけて回復したその先には‥‥

 

 

『‥‥ワイルドカードをありがとうございます、ルヴィア様。新生カレイドサファイヤ、爆・誕! です』

 

「あ、あれ、私は今‥‥?」

 

 

 サファイアの頭? の両側についた飾りのような蝶を彷彿とさせる深い青色の衣装に身を包んだ、黒髪の少女が呆然と全快したその身を起こしていたのであった。

 

 

 

 55th act Fin.

 

 

 

 




魔法少女二人との邂逅でした!
特に美遊の方は完全なオリジナル設定。これからも勝手にやっていきますが、本誌の方で色々あったら適宜修正します。
あとルーン石の下りで少しでも口移しとか考えた人は、HRが終わったら生活指導室まで来るように。

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