UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第五十五話 『稀人達の思案』

 

 

 side EMIYA

 

 

 

「‥‥なぁ遠坂、イリヤとルビーを置いて出てきちまったけど、これから俺達はどうするんだ?」

 

 

 既に深夜と呼んでも良いだろう深山町は、恐ろしいぐらいの静寂によって隙間無く覆い尽くされていた。

 本来ならここまで遅い時間に外に出ている予定ではなかった。俺達がボロボロになってまで黒化したアーチャーを倒した時にはまだ晩飯時を少しばかり過ぎたぐらいの時間だったし、真っ直ぐに目的地へと向かうつもりでもあった。

 そこでいきなり騒動を起こしたのが、今回の事件に役立つようにと宝石翁から送られた魔術礼装の片割れ。突然ワケのわからない持論を振りかざして飛び去ったステッキの心底愉しそうな笑い声はまだ耳に残っている。

 それから疲れた体を酷使してルビーを追い掛け、その追い掛けた先でもまた色々と精神をパンチドランカーになるくらいに驚愕で打ちのめされて、俺達はゆっくりと当初の目的地へと向かってるってわけだ。

 

 

「とりあえず、この先の方針は保留よ。手に入れた情報はあるけど、まずはルヴィアゼリッタ達と作戦会議しないことには迂闊に行動できないわ」

 

「あー、ただでさえルビーが勝手しちまったしなぁ‥‥」

 

「あ、あれは不可抗力よ! まさかアイツがあんな行動するだなんて予想外にも程があるじゃない!」

 

 

 やや前を歩いていた遠坂が勢いよく振り返る。近頃はルヴィアと口喧嘩した後とかにしか見ない、しかもそれを更にマイナス方向に倍にしたような顔だ。

 とはいってもドロドロと鬱屈したものではなく、怒ってはいてもどこはかとなく清々しい。時計塔で感じる不愉快さっていうのは総じて陰湿なものなのだろう。

 

 

「‥‥まぁ確かにそうね。教授とか講師とかは流石に格の違う魔術師揃いなんだけど、学生は殆どたいしたことない連中ばっかりだし。なんていうか、私への嫌~な視線も随分と増えたわね」

 

「遠坂が前からそう言ってるのは知ってるけど、本当にそうなのか?」

 

「士郎はへっぽこだから分からないと思うけど、本当よ。多分それなりの実力がある家の子女とかは自分の家で修業してるんでしょうね。時計塔に入学するメリットも昔ほどじゃないし、わざわざ魔窟に潜り込む必要はないって判断する魔術師も増えたんでしょ」

 

 

 確かに、魔術師は絶対に魔術協会に所属しなきゃいけないわけじゃない。切嗣(オヤジ)だってフリーランスで活動していたし、『魔術協会とは関わるな』なんて遺言じみた言葉も遺している。

 そもそも魔術協会が世界中の魔術に関する色々を取り仕切っているわけでもないのだ。他にも北欧の雄である『彷徨海』や、噂に聞く錬金術師達の巣窟である『巨人の穴蔵(アトラス)』なんてものもあるのだから。

 ただ他の二つの組織は割合と閉鎖的な性質をしているらしくて、結果的に魔術協会の勢力が増大したんだとか。『彷徨海』なんてのは実態すらはっきりしていない。俺が無知なだけかもしれないけど。

 

 

「イリヤの生家のアインツベルンも、殆ど外部とは関わらないで純血を保ち抜いてる珍しい一族だしね。あそこまでの歴史を持てば魔術協会に媚びる必要もないのかもしれないけど‥‥」

 

「けど?」

 

 

 まるで俺の背後に仇でもいるかのように険しい顔をコチラに向けていた遠坂は、眉をわずかに顰めて視線を地面へと落とした。

 

 

「‥‥イリヤは、魔術師じゃなかったわ」

 

「あぁ‥‥」

 

 

 パートナーの言葉に、俺も思わず眉に力が入る。先程あの傍迷惑な不愉快型魔術礼装(by遠坂)と共に残して来た雪の少女について。それが今、俺達の中で著しく重要度が上がっている項目だった。

 

 俺が聖杯戦争で出会った人物は、サーヴァントを除いても数人いる。そして、新たな出会いをした人も含めて、その殆どを俺は救うことが出来なかった。

 それは例えばキャスターのマスターだった葛木先生であり、そして出会ってないにしても早々に片腕を失って聖杯戦争から脱落したバゼットであり、何より俺のことを兄と呼んだ不思議な雪の少女だ。

 今でも聖杯戦争で遭遇した光景の全ては俺の頭の中にしっかりと焼き付いている。キャスターによって連れ去られたセイバー、人質にされた藤ねぇ、アーチャーの放った剣弾によって貫かれたキャスターと葛木先生、聖杯と化した慎二。

 中でもとりわけ鮮明に、耐え難い程の後悔の念と共に焼き付いているのが、銀の髪をもったバーサーカーのマスター、イリヤが金色の英雄王によって殺される光景。

 俺の目の前で、助けることも出来ず、苦しみながら傷つき、心臓を抜きとられて殺された少女の姿。飛び散る血の一滴(ひとしずく)、それに合わせて踊る銀糸のような髪の毛の一本、宝石のような赤い瞳の端に浮かんだ僅かばかりの涙に至るまで、全てを明細に覚えている。

 

 

「魔術に関する言葉を知らない様子だったからってわけじゃないわよ。確かにルビーとの契約の影響で魔術回路は開いてたけど、それでも魔術を行使するために形成されたようなものではなかったから、私は彼女が魔術師ではないと断言できるの」

 

「‥‥あー、すまん遠坂、俺にはちょっと難し過ぎる。よかったらもっとかみ砕いて説明してくれないか?」

 

 

 真剣な顔で告げられた言葉は難解で、遠坂の下で二年余りの修行を積んでなお見習い魔術使いの域を抜け出すことのできない俺が理解するには難しい。

 一応しっかりと知識を詰め込まれた記憶はある。でも俺はどうやら、身体を使って自分に思いこませるという方法じゃないと上手く記憶が定着しない性格みたいなんだよな。

 最低限の勉強とか、英語とかなら藤ねぇとの実地訓練でなんとかなったんだけど、自分が行使できない投影とか強化とか以外の魔術になるとすぐに頭がこんがらがっちまう。

 真面目にやるつもりはあるんだよ。でも、な? やっぱり無理なもんは無理ってわけで、とりあえず現状としては話が難しくて分からない。

 

 

「‥‥魔術回路っていうのはね、素質があるだけの一般人にも存在するわ。それを魔術師として、魔術を行使するために構築することを『魔術回路を生成する』といって、その通過儀礼をこなした者を最初に魔術師と呼ぶのよ。

 で、イリヤの魔術回路にはそういう洗練された印象がないの。量はすごいし単純な質を含めても私や桜を遥かに凌ぐと思うけど、やっぱりつい最近、ルビーとの契約で開いたように見えるのよね‥‥」

 

 

 はぁ、と大きな溜息と一緒に再び歩きだす。落ち着いて話をしたい気持ちもあるだろうけど、確かにこんな時間に俺達みたいな若い男女が外で立ち話をしているのは不審だ。

 

 

「並行世界、って話だったよな? それは間違いないっていうのはイリヤとか‥‥この世界の俺とか見たから納得してるんだけど‥‥」

 

「あのね、士郎。並行世界って言っても別に他の世界とかけ離れてるってわけじゃないのよ? 要は可能性の分岐なわけだし、あまりに要素がかけ離れていたら、それは並行世界じゃなくて別世界だからね」

 

「そういうもんなのか?」

 

「そういうものよ。これに関して私は専門家って言っても過言じゃないんだから、少しは師匠を信用しなさい」

 

 

 確かに並行世界の運営を行う第二魔法を目指して研究をしている遠坂は間違いなく専門家だ。もとより俺みたいな未熟者以前の半人前に師匠の言葉を疑う余地なんてない。

 でも、それでも今の状況が中々に信じがたいことだって真実だ。というか俺が聞きたいのはそういうことじゃないんだが。

 

 

「イリヤは俺達の世界では魔術師だった。それで、こっちのイリヤが魔術師じゃないっていうのは、遠坂の言っている可能性の範疇に属してるのか?」

 

「微妙なところね‥‥。とりあえず魔術回路が元々存在していたのは間違いないわ。そもそもルビーがいくら大師父の作ったトンデモ級の魔術礼装だとは言っても、礼装を使うことが出来るのは基本的には魔術師、もしくは魔術礼装を持った人間だけだからね」

 

 

 魔術礼装の定義は、乃ち“魔術師の魔術行使をサポートする道具”である。つまり前提からして魔術師以外が使うことを想定されていない。

 これが御守り(アミュレット)とか護符(タリズマン)とか、一部の魔力を秘めた武器防具の類とかになるとまた別だ。それらは限定礼装に近いものがあるけど、それでも礼装とは区別されて扱われる。

 例を挙げると、俺の外套は魔術礼装でありながら一般人にも加護がある特殊な礼装。遠坂が目指している第二魔法の足がかりである宝石剣っていうのは魔術師にしか使えない第一級の礼装らしい。宝石の方も一種の礼装だな。

 種類があまりにもありすぎて明確な線引きが出来ているわけじゃないんだけど、漠然となら“使用者が意識して魔術を発動するか否か”という点で区切られてるんじゃないかと思う。このあたりは俺の固有結界がらみで重要なところだから、他に比べてしっかりと勉強した。

 それに照らし合わせると、カレイドステッキは結構微妙な区分に属する。なんでも使用者が魔術師じゃなくても問題ないらしいけど、結局は魔力を運用するためには魔術回路が必要だ。こればっかりは超能力者であっても変わらない。

 

 

「一見ですら分かる、あれだけ完成された魔術回路を只の一般人が持っているなんてありえないわ。‥‥こっちの世界の士郎のお父さんがどんな人かは分からないけど、母親は間違いなくきな臭いわね」

 

「イリヤの母親ってことは、切嗣の‥‥奥、さん、ってことなんだよな?」

 

「何どもってるのよ」

 

「いや、なんか、そういうのって初めてだから、かな‥‥」

 

 

 おかしなことじゃない。切嗣の歳をはっきりと覚えてるわけじゃないけど、下手したら四十いってないかもしれないし、逆に晩年の老け込み具合は五十に達すると言われても納得してしまうだろう。

 それでも奥さんがいて何ら不思議じゃない年齢だってことは変わらないから、イリヤの話を疑う要素なんて確信するぐらいには存在しないのだ。

 むしろ、だからこそ今の俺は動揺していると言える。女の影―――普段の言動はさておき―――の欠片も見えなかったオヤジに奥さんがいたなんて考えると、どうにもむず痒い。

 

 

「ん、まぁ私達の世界の切嗣さん(お父さん)に奥さんがいたかどうかってのは調べてみないとわからないことなんだけど―――」

 

「いや、多分いた。そう考えるとイリヤについて全てに合点がいく」

 

「士郎‥‥」

 

 

 歩みは止めないながらも心配そうに遠坂が俺を見てくる。正直まだ頭の中が落ち着いたとは言い難いけど、俺は出来るかぎり普通の様子を装って頷いてみせた。

 

 ‥‥イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。俺を兄と呼び、執拗に狙って来た狂戦士のマスター。

 昼は無邪気な少女でありながら、マスターとして、魔術師として振る舞う時は容赦なく。それでも俺は最後までイリヤを敵として見ることが出来なかった。

 いや、そう言うなら俺があの聖杯戦争で明確に敵と定めた人間はそう多くない。おそらくギルガメッシュや言峰ぐらいだろう。

 そういう経緯を踏まえても尚、やっぱりイリヤらは特別な存在だった。無邪気な笑顔。体全体で抱き着いてくる様子。

 あれは初めて出会った時の氷のような眼差しとは段違いで驚いたもんだ。‥‥うん、多分俺は結局最後まで彼女のことを、敵どころか他人だと思えなかったんだろう。だからアインツベルンの城で、あれほどまでに尋常ではない衝撃に襲われたんだと思う。

 

 

「遠坂には言ってなかったかもしれないけど、実は俺、聖杯戦争に巻き込まれる前に一度イリヤに会ってるんだよ。‥‥だから多分、切嗣(オヤジ)がアインツベルンの客分だったってことを考えても、そっちの方が自然だと思うんだ」

 

 

 あの日の俺は聖杯戦争どころかアインツベルンのことも他の魔術師のことも知らなくて、魔術回路は作る度に廃棄していたようなものだから魔術師にも見えはしない。

 衛宮の名前を持つ俺に興味を持ったというには意味深過ぎる言葉と態度。そして何より、もしかしたらありえたかもしれない可能性の一つに過ぎないとは言え、この世界でのイリヤの立場は解答として十分に過ぎる。

 

 

「きっと、さ、イリヤは俺の義妹だったんだ。切嗣(オヤジ)の実の娘で、アインツベルンに一人で残されて、聖杯戦争で冬木にやって来た。

 それなら俺のことを狙ってたのも納得できる。‥‥俺がいたから、俺が切嗣(オヤジ)を奪っちまったようなもんなんだからさ」

 

「‥‥士郎、それでもアンタの義妹だったイリヤと、“この世界のイリヤ”は別人よ」

 

「わかってる。わかってるけど‥‥やっぱりすぐに、いや、多分どれだけ考えてもしっかりと切り離すのは無理だ。悪い、遠坂、この大変な時に苦労増やして‥‥」

 

 

 歩く速さは流石に段々と遅く、それでも着々と進み続けている。こうして真夜中の冬木の街を歩いていると否応なく彼女と初めて会った時のことを思い出して、どうしようもないくらいに胸が苦しくなる。

 そういえば『厄介事っていうのは一つ見かけたら十はいると思え‥‥って、衛宮に言っても無駄か。お前は進む場所進み場所の全部が厄介事って名前の地雷で埋め尽くされていて、しかも足元がお留守だもんな』とか紫遙が言ってたっけ。

 どうにも上手く意味が飲み込めなかったけど、何となく褒められていないことは分かった。もう諦めたとか言ってたけど、あの時の紫遙は今までで一番疲れて見えたもんだ。

 いや、正直に言えば薄々気づいてはいる。俺達は紫遙に迷惑ばっかりかけていて、何もしてやれていない。本当にアイツには世話になりっぱなしで、頭が上がらないな。

 

 

「‥‥はぁ、別にいいわ。士郎に振りまわされるのはもう慣れちゃってるからね。とりあえず今回の件については今いくら考えたって憶測の域は出ないんだから、後回しにしましょう」

 

「あぁ、そうだな。‥‥ところで遠坂、今更かもしれないけど俺達って一体どこに向かって歩いてるんだ?」

 

 

 俺達二人が歩く時は、いつも微妙に遠坂が前を行く。たまに遠坂の方から俺に腕を絡めて来たりすることもあるんだけど、その時も歩く行き先は遠坂の方が先導しているような気がする。基本的に、普段の生活での俺は遠坂の付属品って言っても過言じゃない。

 だから今日もイリヤのいた衛宮家から歩き出した遠坂のほんの少し後ろを俺は何の疑問もなく歩いていたし、付け加えるならイリヤのことで頭がいっぱいだったからか尋ねる気も起きなかった。あまりの迂闊さに今頃危機感が湧いてくる。

 まぁそんなわけで無口になってしまった俺と遠坂は行き先を互いに告げたり尋ねたりすることもなくここまで歩いて来てしまったというわけだ。勿論それでも一先ず気持ちを落ち着けると、流石に気になっちまう。

 

 

「何言ってるの、遠坂邸《ウチ》に決まってるじゃない」

 

「‥‥は?」

 

遠坂邸(ウチ)よ、遠坂邸(ウチ)。イリヤが切嗣さんと一緒にあの家に住んでた以上、私達が出入りしていた衛宮邸は存在してないって考えるのが自然でしょ? そしたら私の屋敷に行くしかないじゃないの。こっちの藤村先生とか、桜とかと知り合いだとは限らないしね」

 

 

 なんでもないように遠坂は言うと再び歩くスピードを上げる。あまりにも自然でそれが当然だとでも言いたげな様子に俺は一瞬『ああそうか』と納得してしまいそうになったけど、慌てて意識を取り戻すと急いで遠坂を追いかけて隣に並んだ。

 

 

「ちょ、ちょっと待てよ遠坂! そりゃ理屈としては合ってるかも‥‥って全然合ってない! いくら行く所がそこしかないって言ったって、それはちょっとマズイだろ?!」

 

「あら、なんで? 私が私の家に行くのにどんな不都合があるっていうの?」

 

「大ありだ!」

 

 

 歩みを全く緩めずに横目でコチラを見てくる遠坂に、俺は呆れたような、慌てたような、混乱したかのような動揺した声色で半ば叫び声じみた応えを返した。

 不都合があるかって? そりゃあるに決まってるだろ! それこそ俺がイリヤについて悩んでいたのがばからしくなってしまうぐらいに不都合の正体は明白だ。遠坂自身、わかっていなけりゃいけないことのはずだ。

 

 

「だって遠坂、こっちの世界にだってお前はいるはずだろ?! 遠坂の屋敷に行ってもう一人の遠坂に会っちまったらどうやって状況を説明するつもりなんだよ!」

 

 

 そう、ここは俺達の住んでいた冬木じゃない。似て非なる冬木、並行世界なのだ。だからこそイリヤは深山町にこの世界の俺と一緒に住んでいたわけだし、当然ながら藤村組の近くにあった衛宮邸、少なくとも俺の家じゃない。

 そしてこの世界の俺が住んでる場所は違ってもちゃんと存在したように、この世界の遠坂だってきちんと存在しているはずなんだ。そんなところにぬけぬけと顔を出せば一体どうなることやら‥‥。

 

 

「っていうか、衛宮の屋敷がないなら遠坂の屋敷があるかどうかもわからないだろ? もし行って無かったらどうするんだ?」

 

「馬鹿ね、自分の本拠地たる工房がある場所ぐらいとっくに確認できてるわよ。本当なら魔力を隠して隠蔽するのが工房の在り方なんだけど、私の場合は管理地ってこともあって少しだけ目立つようにしてあるからね」

 

 

 魔術師は隠遁する人種だ。出来るかぎり人目を避け、忍び、接触を絶つ。ただ自己の内に埋没し、同時に自己を棄却する。そこには他人を介在させる余地も余裕もない。

 そしてそれ以上に魔術は秘匿されなければいけないという原則がある。その原則は一般人に対しての秘匿ということだけではなく、魔術師同士においても適用されるのだ。

 いくら自身に埋没し、他人との係わり合いを避けていたとしても人の間には優劣がある。他の魔術師が自分よりも優れた研究成果を持っていたら手に入れたくなってしまうのも魔術師という生き物だ。

 ちなみに『自分が努力しなきゃ意味がない』とかいう殊勝な考えは個人の性格だ。そもそも魔術師は結果が全てであって、究極的に言えば結果に行き着くまでの手段の貴賎は問わないんだとか。

 そういう物騒窮まりない業界だからこそ魔術師は何よりも他の魔術師、特に封印指定を執行しようとする魔術協会を警戒する。これは時計塔の学生である俺や遠坂も変わらない。

 聖杯戦争の開催地を管理してる遠坂はある程度関わりがあっても仕方がないことだけどな。俺は固有結界がバレたりしたら一発で封印指定確実だし、注意しないと。

 

 

「いや遠坂、つまりそれってこっちの世界の遠坂がちゃんといるって話だろ? じゃあこっちの遠坂はどうするつもりなんだ?」

 

「話し合い‥‥は無理そうだから、実力行使で説得(オハナシ)するしかないわね。まぁ大丈夫よ、こっちの士郎は高校生ぐらいみたいだし、それくらいの遠坂凛(わたし)なら何とでもなるわ」

 

「なんとでもなるって‥‥まがりなりにも自分だぞ?」

 

 

 慌てた俺の様子に呆れたのか、少しだけ足を止めていた遠坂が再び歩き出す。今度は少し早歩きで、歩幅は俺よりも短いだろうに、歩く速さは俺を優に上回る。

 何というか、遠坂っていうヤツは本当に極端な人間なのだ。それは猫を被っているってことだけじゃなくて、遠坂凜っていう人間が極端な属性を持っているっていうことだ。

 例えば今の猫を被っていない時の歩き方からも分かる通り、遠坂はあちらこちらでやけに男前だ。少し親しく付き合った人なら、頼れる、頼もしいという印象を受けるのが大半だろう。

 その一方で趣味はかなり年頃の女の子っぽい。桜も大概だと思ってたけど、遠坂の私室だってかなり女の子女の子してる。ルヴィアとのやりとりもそうだけど、本当に遠坂ってヤツは極端な人間だ。

 それは今の行動にも表れている。どうして並行世界とはいえ自分自身をボコボコにする算段をつけなきゃいけないんだ?

 

 

「自分の弱点を一番よく分かってるのは自分自身よ、士郎。遠坂凛《わたし》が他人に悟られないように取り繕っている弱点だって遠坂凛(わたし)にならつけるし、ましてや数年前の私が相手なら楽勝よ。驚いてる間に片付くわ」

 

 

 そういう問題じゃない、という言葉が喉のすぐそこにまで出かかったけど何とか飲み込んだ。理屈だけで言うなら遠坂の言ってることは正しくないわけじゃないし、何より今更うだうだ言っても仕方がなさそうだ。

 今だ付き合い初めて二年にも満たない間柄に過ぎないけど、俺と遠坂の力関係は完璧に確立されてしまっていた。もちろんココ一番という重要な場面では別だけど、普段は、な。

 

 

「‥‥ふーん、ウチは元の世界と変わらないのね。まぁ遠坂の家って元は冬木一帯の地主だったわけだし、早々簡単に消滅されても困っちゃうけど」

 

「じゃあ藤村組も残ってるのかもな。こっちの世界でも俺と藤ねぇは知り合いなのか‥‥?」

 

「藤村先生ならどんな境遇でも変わらなさそうよね」

 

 

 気付けば暫く深山町を歩いた俺達の前に、あの聖杯戦争から一年ぐらいの間にすっかり見慣れてしまった古い洋館が建っていた。

 近くには独特の空気が広がっている。確かにそこに存在するのに、存在感が希薄だ。あるのに見えず、見えないのにある。それは遠坂がこの家に張った人払いの結界が効果を発揮しているのだ。

 これが中々のくせ者で、先ほど遠坂が言ったように、普通の工房とは違って完全に隠蔽されているわけじゃない。ただ、しっかりとした目的というものがなければ意識して注目することができないようになっている。

 残念ながら今の俺は簡単な結界の類ですら満足に張ることが出来ないから実感は不確かなものだけど、学んだ知識に照らし合わせれば、その術式がこれ以上ない程に精密で繊細で洗練されたものであることは明らか。

 ロード・エルメロイと一緒に会った第二の魔法使いっていう爺さんは遠坂の家のことを“芽がない”とか言ってたけど、もしこの結界が先祖代々のものだったりしたら、とてもそんなものではないだろう。

 だいたいそんな遠坂の家が芽の無い凡庸な家系だったりしたら俺はどうなるんだ? ‥‥あ、そうか論外か。

 

 

「どうやら中には誰もいないみたいね。こんな時間に私は何やってるんだか‥‥」

 

「そりゃ何か用事があったんだろ。テストに備えて何処かに泊まり込みでもしてるのかもしれないし」

 

「そんなことした記憶はないんだけど‥‥。まぁ、並行世界だしね。私と少しぐらい毛色が違っても仕方ない、か」

 

 

 自分が住んでいた屋敷と寸分違わぬ洋館を見上げた遠坂の言葉の通り、確かに敷地の中には人の気配がない。それどころか暫くは誰も訪れたことがないかのようで、荒れてはいないけど何処か淋しげな雰囲気を漂わせている。

 まるで初めて訪れた時の遠坂の家とそっくりだ。家は持ち主の心を写す。淋しげな家に住んでいる人間の心もまた、家と同様な淋しいのだと言っても過言ではない。

 

 

「うん、大丈夫、解号は高校の時と変わってないみたい。怠慢‥‥って言いたいところだけど、流石に無理よね」

 

「そりゃそうだろ。誰だってまさか自分とそっくり同じ人間がいて、こともあろうにソイツが泥棒するなんて思わないささ」

 

「‥‥なんか含む言い方だけど、いいわ。――― Entriegelung(解錠), Verfahren(コード), Drei()

 

 

 遠坂の魔術回路と魔術刻印が幾重にも張られた様々な結界を解除する指令を出し、俺でも知覚するのが難しいぐらい僅かな変化が屋敷を包む。

 いくら解除するのが僅かな間だからと言っても、その間に少しだって無防備になってしまうんじゃお話にならない。だからこそカーテンを重ねるようにして張られた結界に、ほんの僅か、術者にしか分からないぐらいに狭い隙間を開けるのだ。

 

 

「‥‥さ、とりあえずは中に入って休みましょう。イリヤのこととかセイバーのこととか、話さなきゃいけないことはまだまだ沢山あるんだしね」

 

 

 ギシリギシリ錆びたような音を上げながら城門もかくやという程に重厚な門が開き始める。まるで修学旅行で行ったテーマパークのアトラクションみたいだけど、れっきとした魔女の家である。

 人気の全くない静寂からは、時間も時間だからこの家の持ち主がすぐに帰ってくるとは思えない。可能性はゼロじゃないけど、十分警戒していさえすれば一息つく時間ぐらいありそうだ。

 

 

「なんていうか、覚悟はしてたつもりだけど、随分と妙なことになっちまったもんだな‥‥」

 

「うん? 何か言った?」

 

「いや、なんでもない。いつまでも突っ立ってたら邪魔だから、とりあえず中に入ろうか」

 

 

 とりあえず、中に入ったら先ずは掃除でもしよう。玄関への道を見ればどうやら暫く誰も入って来てないみたいだし、きれいなところじゃなかったら寛げないからな。

 多分、この世界の本人以外誰もそれを証明できないけど、これって間違いなく不法侵入だよな、ウン。

 まぁこういう時は遠坂に従っていればいい。丸投げとかじゃなくて、ホントに遠坂を信用してるからな、こういうときは。

 ‥‥まぁ、とはいえストッパーは必要だよ、な。はぁ、いつもならセイバーがいるんだけど‥‥不幸だ。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「‥‥さて、まずは自己紹介というのが妥当なところでしょうね。それで構いませんわね、ショウ、バゼット?」

 

 

 新都の駅前の広場。そこから微妙に外れた通りの裏側に一軒のビジネスホテルがひっそりと建っていた。

建っている場所は表から外れているけれど、外見は清潔でまぁまぁ程ほどに繁盛しているようには見える。この冬木には並ぐらいにはビジネスマン達が集まるけど、正直に言えば彼らのために設えたにしては駅前のホテルは些か立派に過ぎる。

 宿泊費用は高めだし、全般的に設備が豪華なのだ。もちろん高めとはいってもあの設備と照らし合わせてみれば十分以上にサービスは旺盛だし、決して高級だというわけでもないんだろうけど‥‥。

 基本的にビジネスマンが出張した際の諸経費っていうのは当然ながら会社から出されるわけだけど、これまた当然のことに経費は安ければ安い程に喜ばれる。

 で、まぁ他にも豪華なところに泊まると他の同僚や上司に悪い、目を付けられてしまう等の極めて日本人的な考えからコチラのリーズナブルなホテルを選ぶことが多いんだとか。

 

 

「うん、俺は構わないよ。というか自己紹介もしないで説明とか無いしね。バゼットはどうだい?」

 

「私も問題ありません。彼女も漸く落ち着いたようですし、円滑な状況判断のためにも最初は自己紹介から始めるべきだと思います」

 

 

 そんなビジネスホテルの一室に、男女合わせて四人から成る不思議な集団が集まっていた。

 一人は少しだけ茶色の混じった金髪の少女。二十歳に届くかというぐらいの年頃の彼女は欧風な顔立ちをしており、純粋な色ではないにせよ髪の毛はまるで砂金のように美しい。普通なら場違いなぐらいの青いドレスも、彼女とセットにされればこの上なく気品に満ちている。

 次に小豆色の髪を無造作にショートにした長身の女性。身長は百七十ほどもあろうか、スラリとした体躯は一流モデルにも劣らぬスレンダーなものだけど、どちらかといえば鍛え上げられたアスリートを彷彿とさせる。目の下の泣黒子がチャームポイントだ。

 そしてついでと言わんばかりの最後の一人。長身の女性よりは幾分背が高くはあるけど、彼女ほどの貫禄がないためにどこか風采があがらず、外が寒いからとしっかり締め切った窓の傍で火の点いていない煙草を未練がましく弄くっているバンダナの男。

 ‥‥まぁつまるところ、俺なわけなんだけど。

 

 

「ショウ、煙草を吸いたいのでしたら別に窓を開けても構いませんのよ?」

 

「そういうわけにもいかないだろ。なんていうか、こういう状況で吸わないっていうのが落ち着かないだけなんだ。それにその子の恰好で外の風を入れたりしたら身体を壊してしまうよ。流石にまだ、夜は寒い」

 

 

 いつもの面子の前には、一人の少女が椅子に座って不安げに目をあちらこちらへと彷徨わせていた。

 ボロボロで、あろうことか血塗れになったパジャマの残骸の上から俺の煤汚れたミリタリージャケットを羽織っている。

 年頃は小学校の低学年といったところか。艶のある黒髪は背中の中程ぐらいまではあるけど、今は俺のジャケット同様に埃を被ってしまっている。払おうと努力はしたんだけど、一度血が付いてしまったからか、風呂にでも入らないと難しそうだ。

 顔立ちはどちらかといえば無表情に近いながらも紛う事なき美少女。今は流石に瞳が不安げに揺れているけど、それでも表情に変化はあまり見られない。

 多分、笑えば凄く可愛いと思う。そっちのケはないけど残念だ。

 

 

「変な所で頑固なんですから‥‥。まぁ、いいですわ。私はルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。フィンランド出身で、時計塔の鉱石学科に所属しております」

 

「私はバゼット・フラガ・マクレミッツ。アイルランドの出身です」

 

「俺は蒼崎紫遙。日本人‥‥なのは見れば分かるとおもうけど、普段はルヴィア達と一緒に倫敦の方にいるんだ。まぁよろしく」

 

 

 俺達三人が順番に自己紹介して手を差し出すけど、少女はうろたえたまま反応できなかった。そういえば俺もつい癖で握手を求めてしまったけど、日本で挨拶といえばお辞儀が基本だ。

 中高生ならともかく小学校低学年なら反応できないのも仕方が無いというめの。なんとなく気恥ずかしかったので不思議がる二人に軽く説明して手を引っ込めた。

 

 

「それでは貴女のお名前も聞かせて頂けませんこと?」

 

「‥‥美遊、と言います。苗字は‥‥ありません」

 

 

 鈴の音のような、という表現がぴったりと当て嵌まる声で少女、美遊嬢は答える。可愛らしい声色に反して口調は重く、やや気持ちが落ち着いたのか瞳に宿っていた狼狽の色も消えうせていた。

 

 

「ふむ、苗字がない‥‥とは、どういうことですか?」

 

「‥‥私は孤児ですから。この町にある孤児院に預けられていたので、強いてつけるなら、その孤児院の名前をとって苗字を名乗ることになります」

 

「うわぁ、こりゃまたヘビーな話だな‥‥」

 

 

 孤児、というのは存外に珍しい話ではない。確かに日本で普通に暮らしている分にはあまり聞かないかもしれないけど、それだけ普通の人間には目の届かないところで孤児は発生している。

 とくに外国、倫敦にだっていないわけじゃないのだ。現にセイバーとたまに遊んでいるのを見かけるガブローシュ少年とかいう彼が取り仕切っている悪ガキ達の中にも、孤児や、孤児一歩手前の子供はいる。

 いつだって力のない子供は社会的弱者だ。守られるべき存在というのは、守られなくなると途端に生活すら危うくなってしまう。

 特に冬木は十数年前に起きた大火災の影響で孤児も多く出ただろう。この子はそんな歳には見えないけど、もしかしたら別のところから預けられたのかもしれない。

 

 

「美遊、といいましたか。貴女はどうしてこんな時間にあんな恰好で出歩いていたのですか? いくら冬木が温暖な地域とはいえ、薄着で夜歩きをしては流石に風邪をひいてしまいます」

 

 

 椅子に座った美遊嬢なる少女の前で腕を組んだバゼットが言う。彼女、思いやりのある性格してるんだけど、残念ながら細かい気遣いとか苦手なので自分が威圧感を与えているのに気付いてない。

 もっとも美遊嬢の方でもバゼットを怖がっている様子はないので問題ないんだけど‥‥。うーん、なんか最初の動揺してた時に比べると表情が平坦な子だなぁ。

 上手く表現出来ないけど、すごく能動性に乏しい。こちらのことを警戒しているならまだ分かるんだけど、それすらない。怖がっているわけでもなければ無関心というほど人間味に欠けているわけでもないし、本当に不思議な子だ。

 

 

「‥‥孤児院には、いづらくて」

 

「?」

 

「端的に言えば、いじめられていた、ということになるのでしょうか」

 

「「「!?」」」

 

 

 ぼつぼつと、初対面の不審者同然であるはずの俺達に彼女は自分の事情をかいつまんで説明し始めた。

 曰く、孤児院の中には自分と同年代の者達が沢山いて、近くの小学校に通っていたこと。曰く、自分は成績が非常によくて先生の覚えも目出度く、院長先生からも目をかけられていたということ。

 そして一緒に暮らしていた他の孤児達は、彼女を妬み、怨んだ。つまるところそれらは非常に稚拙な嫉妬であり、それでいながら文字通り毎日毎時間の如く繰り返される、些細な悪戯から一歩間違えれば深刻な暴力まで。

 遂に特に感慨も浮かばなかったそれらも日常生活を侵犯するほどにまでなり、美遊嬢は仕方が無く孤児院を抜け出した。

 

 

「別によかったんです。私をいじめることであの人達の気が晴れるんだったら。でもそれがあまりにもエスカレートしたら、孤児院全体の空気が悪くなるし、普通に生活していくのにも支障が出る。

 院長先生にも迷惑がかかるし、私にも彼女達にもプラスはない。それに、あのまま残っていたらもっと状況が悪くなることは分かりきっていたので‥‥」

 

「行く当てもないのにフラフラ夜の町を徘徊していた、というわけですのね。まったく、孤児だからこそ助け合いの精神というものが必要になるでしょうに、なんたることですの!」

 

「‥‥子供心には、そういうわけにいかなかったんだろう。ただでさえ競争社会で、同じ孤児院に済んでる以上は比べられてしまうんだ。意外と子供のいじめの基準なんて低いもんだよ、ルヴィア」

 

 

 二度も小学校から高校までを経験した俺でも、いじめというものにはあまり縁はなかった。前はともかく今世は魔術師としての修行が忙しくなったから周りとも適当な付き合いしかしていなかったので、俺の知らないところではいじめが行われていたのかもしれない。

 ただ最近のニュースとかを見るに、やっぱり現代においていじめというものは、もはや社会風潮の一つと言って良いまでにも頻発しているらしい。子供のそれが、自殺などの深刻極まりない事態へと発展する程に。

 ルヴィアの言うとおりに弱い立場の人間は助け合って生きていかなければならないんだろうけど、基本的な生活が保障されている現代の孤児達はちょっと彼女の基準とは状況が異なるみたいだ。ありていな言葉だけど、世知辛い世の中だねぇ‥‥。

 

 

「私の事情はこれでいいでしょう。‥‥それよりも、今度は貴方達のことをお聞きしたいのですが?」

 

 

 美遊嬢の問いかけに俺達は居住まいを正して互いに顔を見合わせると頷いた。

 基本的に、一般人に対して神秘は秘匿されなければならない。存在はともかくとして、その概念というものを理解されては神秘が薄まってしまう。それこそが最大の懸念であった。

 魔術師の正体が知られることで研究について不利になる。社会の裏に吸血鬼や混血や、非道を行う魔術師達が存在しているということを知られてしまう。そんなことは些細なことだ。

 俺達、魔術を修める者達は皆、限られた神秘を共有して生きているのだ。その神秘は重さに反して実は誰にでも分け与えることのできる可能性を秘めたもので、しかもひどく脆い。“存在している”ということを知られてしまうだけでも致命傷になりうる。

 故に俺達も彼女に記憶処理を施したり、暗示をかけたり、もしくはもっと直接的な方法で口封じを行う必要があった。

 

 

「まだ一人、自己紹介をしていない人がいるから、まずは彼女にも自己紹介をしてもらおうか。サファイア、大丈夫かい?」

 

『問題ありません、蒼崎様』

 

 

 ひょっこりと、美遊嬢が座っていた椅子の影から不思議な物体が飛び出した。

 丸い円形の枠の中に、六芒星がすっぽりと入っている。その円形の枠の外側には蝶々かリボンを彷彿とさせる飾りがついており、フワフワと飛ぶ様子からまるで羽のような印象を受ける。

 本来なら六芒星の真下についているはずのステッキの柄の部分を省略したその姿は、彼女が携帯モードと自称したもので、持ち運びに便利でありながら自律行動も出来る優れた状態だ。

 俺がサファイアと呼んだ明らかに無機物のそれはぐるりと椅子の片側を旋回すると、美遊嬢の前に浮かんでペコリとお辞儀でもするかのように体の上半分を歪ませた。

 

 

『ご挨拶が遅れて申し訳ございません、美遊様(マスター)。私はマジカルサファイア。並行世界から無限に魔力を調達して貴女に供給する限定魔術礼装で、カレイドルビーたる貴女の僕です』

 

「ます、たー?」

 

『はい。同意を得ない状況で契約してしまい、謝罪の言葉もありません。が、貴女はれっきとした私のマスターです。貴女と契約した瞬間に理解しました、貴女が、私が仕えるべき、私を使うべきマスターであるのだと』

 

 

 フワフワと近寄ってきたサファイアを両手の平の上にちょこんと乗せ、流石に美遊嬢もわずかに目を見開いて再び当惑を露わにする。

 ボロボロの、あまつさえ血塗れのパジャマ姿でありながら、ついでに片方は正体不明の得体の知れない無機物でありながらも、その二人の様子は正しく“絵になっている”と表現するに相応しい。さしずめ“運命の出会い”とでも題をつけるべきだろうか。

 

 

「‥‥さっきからどうしちゃったんだ? サファイアは」

 

「さて、私にもよく分かりませんわね。ミユの傷を治すために契約した時からずっとこの調子ですし‥‥」

 

 

 そう、問題はサファイアのこの態度だったのだ。契約した理由である彼女の治療は終わっているのだから、契約を解除して記憶処理をすればいい話だったわけなんだけど、それをサファイアが拒んだのだ。

 理由は先程から言っての通り、“理想の主人に出会った”とのこと。さっぱりワケがわからない。

 (ルビー)と違ってサファイアはこの上なく魔術礼装としての特性に相応しい人格設定をされている。主人に従順で助言は的確、細かい気も利くし控えめで大人しい。

 その彼女が、本来の主人であるルヴィアを放ってこのような態度をとる理由は全く理解できなかった。

 

 

『ルヴィア様は確かに素晴らしい魔術師です。私が今まで少ないながらも見かけたあらゆる魔術師と比較しても欠片も劣らない才能と、克己心をお持ちです。しかし、私のマスターであるべき者というのは単純に魔術師としての才能が必要とされるわけではありません』

 

「それが彼女、というわけですのね?」

 

『こればかりは言葉で説明できるものでもないのです。申し訳ありませんが、私は所詮道具です。私を最善の状態で使いこなすことができるマスターを前に、他の選択肢をとることはできません』

 

「‥‥はぁ、やっぱりこの調子では仕方がありませんか。当初の予定通りにやるしかありませんわね」

 

 

 ルヴィアは大きく溜息をつくと頬にかかったロールした髪の毛を後ろへと払ってベッドに腰掛ける。あくまで優雅に、だ。

 

 

「まずは私達の立場について話をしましょうか。‥‥おそらく貴女ならば嘘か誠か判断できると思いますが、私達は皆、魔術師と呼ばれる人種ですわ」

 

「まじゅつし‥‥? 魔術師ですか?」

 

「そうです。私もルヴィアゼリッタも、蒼崎君も、魔術と呼ばれる神秘の業の行使手。歴史の闇の中、社会の影に隠遁し、一般の人間には存在すら知られていない者達です」

 

 

 ルヴィアに続いてバゼットも言葉を紡ぐ。驚くべきことに、常人の理解能力を遥かに超える事実を次々に打ち明けられていきながらも、美遊嬢は何とかそれらを理解しようと努めているようだった。

 流石に全てを理解はできていないみたいだけど、少なくとも端からそれを否定しようとはしていない。子供故の素直さか、それとも彼女自身の資質なのか。どちらにしても都合はいい。

 

 

「具体的にどんなことができるか、ってのは今は置いておこうか。とにかく俺達が一般には知られていない連中で、そういう連中が組織している機関、魔術協会っていう組織もあるってことぐらいまでは頭に入れて欲しい」

 

「‥‥はい、流石にちょっと驚きましたけど、とりあえずそこまでは間違いない事実なんですね」

 

 

 まぁ目の前でフワフワと浮かんでいるサファイアとかを見れば流石に首肯せざるをえないだろう。なにより瀕死の重傷を負っていたはずの自分が全快しているのだから疑いようはない。

 もっとも俺達だってそこまで詳しく説明するつもりはなかった。必要最低限の認識だけを教える。あまり詳しい知識を与えてしまうのはお互いにとって良いことではないのだから。

 元々から魔術師の家系ではない俺には選民思想なんてものはないつもりなんだけど、それでも魔術を学ぶことができる人間というのは厳選されてしかるべきだ。不要な力は不要な災いを生む。元々それを知らずに生きてきたということは、実はこれから先もそれを知らずに生きていくことが可能だということなんだ。

 ま、例外はあるけどね。俺とか衛宮とか、鮮花とかもそうなるのかな。幹也さんもそうだし、美遊嬢も結局はそうなるのかもしれない。でも今はまだ、そういう判断をするべき時じゃないだろう。

 

 

「私達は大師父‥‥魔法使いと呼ばれる五人しか確認されていない上位の魔術師のような方から命を受け、冬木の地にやって来ました。この地に現れた危険な魔術品を回収するためにですわ」

 

「魔術品‥‥?」

 

「そうです。‥‥バゼット」

 

 

 ルヴィアに水を向けられ、バゼットが椅子にかけてあったスーツの内ポケットから一枚のカードを取り出して美遊嬢に見せる。焦げ付いたような茶色や渋くて暗い色ばかりで彩色されたカードは巷に出回っているようなものには見えなかった。

 たいした装飾のされていないカードの中央には一人の男の姿が描かれていた。軽装で品のいい羽飾りのついた帽子を被り、細く長い槍を携えた歩兵の姿だ。

 絵の下にはアルファベットでLancerと書かれており、カードと言われて想像するようなトレーディングカードの類ではなく、ともすれば美術品のようにも見える。

 

 

「これが冬木に現れた謎の魔術品です。これといった名称はないので仮に“クラスカード”としますが、私達の任務はこの危険な代物を回収することです。

 これは鏡のような異空間を作りだし、そこに英霊と呼ばれる過去の偉人達を喚び出すという性質があり、回収を普通の手段で行うことは不可能です」

 

「中に喚び出された英霊を倒さなきゃいけないんだよ。でも英霊っていうのは精霊の一種みたいなもので、たとえ魔術師であっても簡単には倒せない‥‥いや、ほとんど不可能だね」

 

「そこでその英霊を打倒するために大師父より貸し出されたのが、貴女の隣のカレイドステッキという魔術礼装ですわ」

 

 

 順番に要領よく、最低限の情報だけをまだ幼い少女に説明していく。度重なる新たな情報に美遊嬢は流石に目を白黒させてはいるけど、理解しようとする姿勢はそのままだ。

 サファイアと契約することで傷が癒えた美遊嬢を半ば拉致するようにしてホテルに運ぶ道中で、サファイアが彼女の気を引いている隙に三人で話し合った内容の通りなわけだけど、これで中々、結構スレスレな話で冷や冷やしている。

 加減が難しいのだ。必要最低限な情報でありながらも他の聞かせたくない情報と密接に絡み付いているから、美遊嬢に疑問符を抱かせるような喋り方をしてはいけない。

 

 

「本当はこういうことは一般人に話してはいけないんだ。色々と実利を伴った決まり事、慣習があってね。それでもなお、君に打ち明けた理由は分かるかい?」

 

「‥‥私が否応なく関係するから。つまり、私にそのカードの回収を任せたい、というわけですか?」

 

 

 一拍二拍の沈黙の後に呟かれた美遊嬢の言葉に、聞き分けが良いという意味では期待していた展開でありながらも俺達は僅かに瞠目してしまった。

 正直、真剣に接していながらも子供と思って油断していたことは隠せない。そんなつもりは欠片もなかったつもりだけど、当然に生じる些細な大人の驕りに気付かされてしまう程に目の前の少女は優秀だったのだ。

 

 

「―――驚きましたわ。微塵もそんなつもりはありませんでしたけど、確かに子供と思って侮っていたかもしれませんわね」

 

「嫌な言い方かもしれないけど、こりゃ虐められてしまうのも納得だな。美遊嬢の人柄がどうあれ、ここまで子供離れしてるっ‥‥」

 

「たいしたことではないでしょう。ただ事実から推測される確定的な可能性をお話しただけです。‥‥それで、私は具体的に一体なにをすればいいんですか?」

 

 

 さらり。さもそれが当然であるかのような自然さで飛び出して来た言葉に、敢然とした魔術師としてあろうと考えていた俺は思わず態度を崩して身を乗り出してしまう。

 

 

「ちょ、ちょっと待った! いきなり君は何を言い出すんだ!?」

 

「何って‥‥貴方達は私に仕事を手伝ってもらいたいんじゃないんですか?」

 

「いや、それはそうなんだけどさ‥‥」

 

 

 俺自身も困りきって横を見れば、相棒たる二人も少なからず動揺しているように見受けられる。少なくとも今の状況を当然のこととして受け入れている様子はない。

 それは美遊嬢があっさりと俺達が望んでいることを理解していたからではなくて、何の躊躇も思惑もなく行動を選択したことについてだ。

 即断即決なんてそう簡単に出来るもんじゃない。もちろん例えば軍人などに限定すれば話は違うだろうけれど、それも特別な訓練を受けていなければ不可能に近いものである。

 より重大な決断、より慎重な年齢になればなるほど、即断即決は難しくなるものであり、そして彼女は年齢に相応しからぬ知性の持ち主。

 このような重要な案件について慎重にならないというのは予想外にも程があった。

 

 

「ミユ、私達の方からお願いする形になるというのにおかしな話かもしれませんが、私達の受けた任務というのは決して安全なものではありませんわ。いえ、どちらかといえば、かなり危ない、命の危険すら常に伴う程の過酷なものでしょう」

 

「実際ランサーを仕留める際には死に目を見ましたからね、私も。虫のいいことを言うようですが、正直オススメは出来ません」

 

 

 それこそルヴィアの言う通りのおかしな話で、あまりにも聞き分けが良すぎる美遊嬢の言葉に俺たちは動揺のあまり真逆の説得を試みたりしてしまっている。

 いくらスペックが高くとも相手は小学生。そして彼女を利用し尽くそうと考えるには俺達は度胸が無さ過ぎた。

 ていうかおかしいよ。正直な話。

 

 

「‥‥別に、他にやることもありませんから。ここで断っても、私はどこに行くというわけにもいきません」

 

 

 悲しみなどを含んでいそうには見えない表情で俯いた美遊嬢に場の空気が再び止まる。

 あまりにも淡々としているくせに、口にした事実のみが圧倒的に口を挟むことのできない深刻さを内包していた。

 そして同時に気づく。すでに偽善的なことを考える以前の問題として、俺達が彼女を助けた既にその段階で、彼女のとるべき道というものに選択肢は存在していなかったのであるのだと。

 今更、彼女の危険がどうこうと言える状況でも立場でもなかったのだ。俺達が美遊嬢を助けた瞬間に、俺達の思惑がどうあれ、美遊嬢の思惑がどうあれ、既にこれからというものは決定してしまっている。

 彼女が警察に保護を申し出ても、孤児院の出身である以上は元の場所に戻されてしまう。さりとて戻ればいじめは残っているし、このまま放浪しているわけにもいかない。

 日本の警察組織は存外に優秀だ。子供一人がそこら辺をふらふらしていたら、狭い町であること、すぐに補導のご厄介になってしまうだろうことは疑問の余地がないだろう。

 

 

「世話になった院長先生にご迷惑をおかけするには忍びない。行く場所がない以上、助けていただいたご恩を返すことに何ら躊躇はありません。どうぞ、私に力を貸させてください」

 

「そう、ですか‥‥。では私達も責任をとるのに躊躇する必要はありませんわ。美遊、これからよろしくお願いいたしますわね」

 

 

 ルヴィアが再度その手を差し出し、美遊嬢も今度は意図をしっかりと理解してその手を取る。二人の周りを若干普段よりもテンション高めにサファイアが飛び回っており、俺とバゼットは視線を合わせると互いにうなずきあった。

 俺達がどう思っていたのかは重要なことではない。重要なのは、俺達の行動によって美遊嬢という女の子を一人、こちら側に引きずり込んでしまったことだ。

 もっとも俺もルヴィアもバゼットも、サファイアだってあのときの選択を悔やんでなんかいないだろう。だってああしなければ美遊嬢は死んでしまっていたのだから、それこそそれによって彼女を神秘の世界に引きずり込んでしまったのも致し方ない。

 だから俺達がするべきなのは、過去を悔やむことではなく、これから美遊嬢について責任を持ってやること。

 いかに子供らしからぬ頭脳を持っていたとしても俺達が大人であり、彼女は本来は庇護対象であるべき子供にすぎないのだという事実は変わらない。ならば、大人の責任とはただ一つ。

 

 

『私も、よろしくお願いします美遊様(マスター)

 

「うん、よろしくサファイア」

 

 

 ただ、彼女のこれからに責任を持つ。つまり端的に言えば保護者代わりになってやるということだ。

 目の前にフワフワと近寄って来た声を発して人語を解する謎の珍物体と挨拶を交わす、ぶかぶかのジャケットを被った儚げな体つきの少女。

 きっと彼女を見ながら密かに決意したのは、俺だけじゃない。

 

 

「‥‥さぁ三人共、そうと決まれば今夜は早く寝てしまうことにしましょう。明日やらなければならないことは山積みですよ!」

 

「そうですわね。ミユの身請けの手続きをしなくてはいけませんし、オーギュストに言ってこちらに拠点を作る手配もしなければ‥‥」

 

 

 空気を変えるかのように小気味良い音をたてて両掌を合わせたバゼットに、ルヴィアも意図に従って気持ちを切り替え、明日―――つまるところ今日になってしまっているわけだけど―――やるべきことへと思惑を走らせる。

 なんか最近この台詞が増えて来たような気がするけど、とりあえず明日やることはさておき、今晩はバゼットの言葉に従ってゆっくり休むとしよう。

 今夜の戦闘は言わずもがな、よくよく考えてみればロンドンから飛んで来てから全く休みをとっていないのだ。明日からまた騒がしく忙しく、果てしなく物騒な日々が始まるのだから。

 

 冬木の夜はひどく静かで、小さな窓から眺めた裏路地の隙間から見える空には、日本にしてはやけに大きな月が見える。

 まるで一定の周期で夜の闇に紛れて行われる、理不尽きわまりない虐殺と蹂躙の宴を覆い隠すように、静寂は冬木の街を包む。それは鏡に写された別の世界で行われる、俺達の戦いだって例外なんかじゃない。

 明くる日、そしてさらにその次、これからしばらくは繰り広げられることになる、一介の学生の身にはひどく手に余る任務へと思いを巡らせて、

 俺は自分のために割り当てられた一際小さな隣の部屋へと移動するために女衆の部屋を後にしたのであった。

 

 

 

 56th act Fin.

 

 


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