UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第五十六話『魔女達の困惑』

 

 

 

 

 side Rin Tosaka?

 

 

 

 

「‥‥けほ、酷い目にあったわね。ちょっとルヴィアゼリッタ、アンタ無事?」

 

 

 雲一つだって無い真っ黒な星空に白く輝く月が君臨し、私達を見下ろしている。見下すわけでも見守るわけでもなく、ただただ静かに見下ろす月は逆に無慈悲だと言えるのだろうか。

 古来、神代の時代から月は神秘的なものとして扱われて来た。それは例えば火山とか海とかと同様に神なる存在と同列視され、それでもなお対として扱われることの多い太陽と同じく別格に見られることが殆どだ。

 毎晩のようにそこにあるのに、これ以上ないぐらいに神々しい輝きを放っているのに、どれだけ手を伸ばしても決して届くことはない。そんな不可侵を約束された存在だったから、昔の人はみんな月を神秘の最上級に位置づけたのだろう。

 それは人類にとって月が十分に手を伸ばせる範囲に入った現代においても変わらない。月は相変わらず神秘的な輝きを以て夜空を照らすし、触れがたい神々しさだって相変わらずに違いない。

 ならば私達が月に抱いていた畏れは観念的なものから発生したわけではなく、やはり月自身神秘が存在しているからなのだ。そも人の信仰が宇宙にまで及ぶかと言えば疑問ではある。

 

 

「‥‥無事、といえば無事ですわね。もっとも言葉にすれば二文字に過ぎませんけど、その二文字を搾り出すのにどれだけ労力が必要なことか‥‥」

 

 

 そんな果てしなく意味のないことを考えながら、半ば現実逃避気味に夜空を見上げながらも呟いた言葉に対して返って来た答。私はギシギシと軋むかのようにゆっくりとぎこちなく首を横へと向けた。

 まず目に入るのは鮮やかな金とブルーのコントラスト。髪の色はさておき服の色まで私と真反対な自他共に認めるお嬢様が、私と同じく疲れきった表情で地べたに座り込んでいる。

 コイツはルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。私が留学という名目で通っている魔術師達の最高学府、時計塔の鉱石学科で一緒に学んでいるいけ好かない成金お嬢様で、不本意ながらも今回の任務(しごと)のパートナーだ。

 

 

「不本意だけど、それについては私も全面的に同意するわ。こんな任務、大師父の命令でもなかったら今すぐボイコットしてやるところよ」

 

「報酬である“第二の魔法使いへの弟子入り”はこれ以上ない程には魅力的なんですけどね‥‥、正直、費用対効果(コストパフォーマンス)が割に合いませんわ」

 

 

 へたりこんだ状態から体を起こし、お尻についてしまった砂を勢いよく払い落とす。全身を酷い虚脱感が襲っていて、今だかつてないぐらいに何をするにも億劫だ。

 ともあれ本音はさておき、それでも無様に座り尽くしているわけにもいかない。私自身が座右の銘にしている家訓もそうだけど、何より私の隣で同じように優雅に立ち上がって埃を掃うクラスメートには微塵も隙を見せたくないのである。

 

 

「ホントよくよく考えたらどんなに優秀だって、一介の学生に命じる任務じゃないわよね。―――英霊と戦え、なんて」

 

 

 遠坂の家系の祖たる第二の魔法使い、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。魔導元帥、万華鏡、宝石翁などの様々な異名を持つ魔法使いから私達に下された任務のために、私は冬木の街へと出戻って来ていた。

 本当ならしばらくはロンドンは時計塔で魔術の勉学に励む予定だったのだ。いくら私が優秀とはいって何も簡単に魔術師にとっての最高学府たる時計塔に入学できるわけではない。

 余計なことに意識を割く暇なんて欠片もなかったし、事実その通りに忙しい毎日を送っていたのである。

 ただ私にとっての最大の不幸は、おそらく向こうに渡る前には全く想像もしていなかった天敵(ライバル)に遭遇してしまったことか。

 どうしても何かと互いに突っかかってしまう私達が、大師父が一人だけ今期で最も優秀な学生から弟子をとるという話を聞いて問題を起こさないわけがなかった。今になって思えば、の話だけど。

 結局ちょっと言葉にしたくないぐらいの大騒動を起こしてしまった私達は大きなチャンスとしてこの任務を与えられたわけだけど‥‥。

 

 

「あら、怖じ気づいたのですか遠坂凛(トオサカリン)? やはり貴女には大師父の任務は手に余るようですわね。私に任せてさっさとロンドンへ逃げ帰ってはいかがですか?」

 

「っざけんじゃないわよ! 今のは純然たる感想で、別に任務が嫌だなんて言ってるわけじゃないんだからね! そういうアンタこそ、足手まといになるようだったら管理者(セカンドオーナー)権限で管理地から放り出してやるから覚悟してなさい!」

 

 

 正直、コイツと一緒の任務ってだけで成功率がガクンと下がったような気がする。別にコイツの実力を認めていないわけじゃないんだけど、とてもじゃないけどコンビネーションなんてものは成立しない。

 もちろんそれが証明されたわけじゃないわよ。さっきの黒い外套をまとった弓兵との戦いだって、ギリギリではあったけどまぁ何とか勝利することはできたしね。

 ‥‥まぁ、その間にコンビネーションらしいコンビネーションがあったかと言えば、それはそれで疑問なんだけど。

 

 

「はぁ、もう今夜持ってきた宝石全部なくなっちゃったわよ‥‥。これじゃ屋敷に帰らないとロクな魔術も使えやしないわ」

 

「まさかサファイアの魔力供給だけでは足りず、宝石を使ってブーストまでしなければならないとは‥‥。本当に、英霊という存在は生半可ではありませんでしたわね」

 

 

 スカートのポケットを探ると、そこにしっかりと収めていたはずの幾つもの宝石は跡形もなく消え去っていた。先の弓兵との戦闘で魔力砲をブーストしたがために、その中に秘めた魔力を解放させて塵になってしまったのだ。

 見たところ対魔力の低そうな英霊(サーヴァント)だったんだけど、いくつも剣を出現させて矢というよりは弾丸のように射出してくる正体不明の英霊は、やっぱり第一級の魔術礼装を持った私達でも簡単に倒すことのできる相手ではなかった。

 全力全開で放った魔力砲も七つの花弁を持つ盾の宝具に防がれ、そこに手持ちの宝石をいくつかつぎ込んで威力を底上げすることで、なんとか破ることに成功したのである。たぶん、あの砲撃の威力はランクに換算したらA++に達していたことだろう。

 

 

「アンタはいいでしょ、懐が豊かでいくらでも宝石買えるんだから」

 

 

 ルヴィアゼリッタを見れば、スカートの隙間に手を差し込んでいくつか宝石の所在を確認している。あの様子から察するに、まだまだストックは残っているのだろう。

 私だって屋敷に帰ればまだまだ宝石は残っているけど、それでもルヴィアゼリッタに比べれば数は微々たるものだ。質こそ劣っているつもりは欠片もないんだけどね。やっぱり、物量じゃ全然かなわないわ。

 認めたくないけど、ウチってば本当に宝石魔術をやるには貧乏に過ぎるのよ。お父様は上手いこと回してたみたいなんだけど、遺してくれた財産もいつの間にか目減りしてたような気がするし‥‥。やっぱりアレかしら、相続税とかなのかしら。

 

 

「何を言っていますの、重要なのは宝石ではなく、宝石に込めた魔力の方でしょう? 宝石はお金で買えますが、毎日少しずつ魔力を貯めた宝石はお金では買えませんのよ。

 いわば、時間が買えないのと同じことですわね。そのようなこともわからないんですか、貴女は」

 

「わかってないわけないでしょーが! それでもやっぱり小さな宝石でも好き放題ばらまいてる成金が気にくわないって言ってんのよ!」

 

「あらあら、魔術の探求のために私財を繕うのも魔術師としての甲斐性でしょうに、本当にこの国に似てみすぼらしい方なのですね、貴女は」

 

 

 

 ピキリ、と私のこめかみがイイ感じに音を立ててはじけた気がする。人の気持ちも知らないでこのお貴族様は‥‥!

 

 

「‥‥そうね、魔術の探求自体にはさして意味のない小粒の宝石をいくら持っていても意味がないものね」

 

「そうですわね。どこぞの極貧魔術師さんはその小粒の宝石すら調達できないらしいですけれど」

 

「ぐぐぐ、自重しろ私、我慢しろ私‥‥!!!」

 

 

 金銭的な余裕の違いからくる形成の差が憎い。私にだって十分な財力さえあれば好きなだけ研究が出来るというものなのに、どうして遠坂の家はこんなどうしようもない宿命を背負ってしまったことやら。

 愚痴ばっかりって言われてしまうかもしれないけどだって私とルヴィアゼリッタの実力自体は真実伯仲しているのだ。要するに足りないのは実験器具とか、材料‥‥つまるところ宝石、つまるところお金ってわけ。

 そればっかりは私がいくら努力したって早々反転することはない立場の違い。根本的なところで財力が違う。遠坂の家だって決して古くないわけじゃないけど、さすがにエーデルフェルトという家に比べれば見劣りするし。

 もちろん私としても家系を頼みに相手を見下すつもりは毛頭ないし、逆に引け目を感じるということもない。要するに、それに付随する結果というものだけが不満なのだ。なにしろ時計塔は実力主義ではあるけど、それも血統主義を土台に成り立っている。

 

 

『お二人とも、喧嘩はお止め下さい』

 

『そうですよー。私達は凜さんとルヴィアさんの私闘に使われるために渡されたわけじゃないんですからねー』

 

 

 と、必死で押さえつけていた堪忍袋の緒がブチリと激しい音を立てて弾け飛んでしまおうとした瞬間、私達の背後それぞれからひょっこりと飛び出した二つの奇っ怪な物体が私とルヴィアゼリッタの間へと割り込んだ。

 五芒星と六芒星に丸い枠がついて、そこから可愛らしくデフォルメされた天使の羽が飛び出し、それにステッキの柄がついたような謎の物体。それはまるで、巷の子供向け番組に出てくる魔法少女が持つようなものにも見える。

 というか、まんまなのだ。スペック自体は物騒極まりないのに、この魔法のステッキの形をした魔術礼装に搭載された人工精霊がそう自身を呼称しているのだから。

 

 

「‥‥なによルビー、マスターの邪魔するっていうの? そこ退きなさいよ。今からちょっと目の前のムカつく縦ロールを凹にしてやんなきゃいけないんだから」

 

「貴女もですわ、サファイヤ。私もこんな極東の島国出身の、ちょっと魔術の腕がいいからと調子に乗っているオサルさんに身の程というものを教えてさしあげなければなりませんの」

 

 

 互いにこめかみをひくひくとさせながら敵意を露わに戦闘態勢をとる。頭を低く、前傾姿勢をとったルヴィアゼリッタは、お嬢様然としたいつもの様子に反してイングランド古来の捕縛術、ランカシャースタイル‥‥有り体にいえばレスリングの使い手なのだ。

 腰を落としてどっしりと構えた、私の中国拳法とは全くコンセプトが異なる。今までも何度となく殴り合ってきた仲だけど、このあたりでしっかりとシロクロつけておきたい。

 

 

『ルビーデュアルチョップ!!』

 

「ぷげらっ?!」

 

「ひでぶっ?!」

 

 

 と、一歩踏み出したところで私の頭に衝撃が走るったそれこそ☆でも目から飛び出したかのように視界はチカチカするし、頭は中で鐘でも鳴らされたかのようにぐわんぐわんと揺れている。

 痛む頭を押さえて前を見れば私と同じようにルヴィアが前頭部を押さえて呻いていて、その真ん中にはエッヘンと胸でも張りそうな様子のルビーが浮遊していた。

 ‥‥もしかしてコイツが叩いたの? なんか、コイツの体重というか質量というか、下手したら拳に収まるぐらいの大きさの体から放たれたとは思えない打撃だったんだけど。

 

 

『ホントにもうしょうがないですね、魔術師のくせに肉体言語使いのお二人は! 私達が下された任務はそのように浮ついた気持ちで果たせるものではないんですよっ!』

 

「一番浮ついてそうなアンタに言われたくないわよルビー。ていうかよくもマスターを殴ってくれたわね、殴り返させてくれないかしら? むしろ殴らせろ」

 

 

 前頭部に感じた痛みは即座に頭頂部へと上って怒りとして発散され、私は一応は僕ということになっている不愉快型魔術礼装に折檻を加えようと手を伸ばす‥‥が、ひょいっと空中へと逃げられて敢えなく宙を泳ぐ羽目になった。

 むっ、コイツやっぱりマスターに逆らう気ね。良い度胸じゃないのルビー、いくら大師父の作った魔術礼装とはいえ手加減はしないわよ!

 

 

『落ち着いてください凜様、ルヴィア様。普段なら賛同しかねますが、さすがに今回は姉さんの言う通りです。私達は宝石翁から授かった任務を果たすためにココに存在しています。任務を達成することこそが、全員にとって有益なことであると具申いたします』

 

『んー、私としては凜さんとかルヴィアさんとかでおもしろおかしく遊べればそれでいいんですけどね、あはー』

 

 

 不穏なことを言うルビーはさておき、姉とは違っていたく冷静なサファイアの言葉には一考の価値がある。というかまぁ、これが本当なら論外なやりとりであることは先刻承知なわけだけど。

 

 とりあえず一度ヒートアップしてしまった頭を再度クールダウンして周りを眺めてみる。ルビーの先導であのおかしな空間に突入する前と寸分違わぬ、冬木は新都の中央公園の風景がそこには広がっていた。

 無駄に広々とした公園には全く人気がない。晩ご飯時をちょうど過ぎたぐらいの微妙な時間帯だというのもあるけど、どちらかといえば冬木の住人にとってこの場所が鬼門に近いところだからだろう。

 

 

「‥‥とりあえず、反省とかはいらないわよね? こんなところでする話でもないし」

 

「そうですわね。強いてあげるとすれば、ランサーを打倒した例の執行者にはもう一度ご足労いただきたかったところです。彼女がいれば、またずいぶんと戦闘が楽になったことには違いませんから」

 

 

 大師父の命を受けて私達が冬木へとやってきたのはつい今日の昼のこと。そこから出現したランサーのサーヴァントを打倒したという封印指定の執行者に状況の説明を受け、次にルビーが出現を感知したクラスカードの元へと向かったのがつい一時間ほど前のことだ。

 反転した世界に現れた謎の黒い外套のサーヴァント、アーチャーとの戦いは熾烈を極めた。それこそ先ほど言ったとおり、無限に魔力を供給するカレイドステッキたるルビーのアシスタントを受けて、なお。

 まぁ結局は何とか倒すことができて、こうして現実空間に帰ってこれたわけなんだけど。

 

 

「こんな戦闘があと何回も続くようでしたら、真剣にこれからを考えなければなりませんわよ?」

 

「それについては後にしましょうって言ったでしょ? ちょっと今日は真剣に疲れ切ってるわ。家に帰ってじっくり休んで、話し合いはその後にしない?」

 

 

 正直自分でも珍しいことだとは思うけど、私は目の前で細い顎に拳を添えたパートナーの思案を半ば弱音同然の言葉で遮った。比喩でも何でもなく、私もルヴィアゼリッタも疲れ切ってしまっていたのだ。

 魔力自体はさして消費してはいない。今夜の戦闘で消費した魔力はルビーによって供給されたものだし、宝石だって外部タンクみたいなものだしね。

 どっちかっていうと普段なら有り得ないぐらいに大量に、無尽蔵に魔力を流した魔術回路の酷使が肉体的な疲労という形で顕れている。倦怠感と、筋肉痛みたいな鈍い痛みが全身に走っている。

 

 

「‥‥負けたようで悔しいですけど、仕方がありませんわね。暫くはこの辺鄙な街で過ごさなくて歯いけないみたいですから、住む場所の調達もしなければなりませんし」

 

「‥‥ちゃんと管理者(セカンドオーナー)に上納金を納めなさいよね」

 

「そんな基本的なことはとうに承知しておりますわ。貴女に言われるまでもありません。一銭たりとも欠けずに納めてさしあげますから、しっかりとその貧相なム‥‥もとい淋しい懐を温めればよろしいですわ」

 

 

 文字通りの懐に視線を向けられても、当然ながらそこには財布はおろかポケットだってついちゃいない。だから多分、今の言葉には何らかの含みがあったわけで。

 圧倒的な戦力差はひどく即物的な要素でありながら、またその戦力を行使する相手がいないながらも敗北感として私にのしかかってくる。これもまた圧倒的な財力と同じく生半可な努力ではどうにもならない要素であるから苛立だしさもひとしおというもの。

 

 

『はいはい二人ともスーパー野菜人よろしく闘気を放出するのは止めて下さいねー? とりあえず人目に触れると厄介なので、さっさとトンズラしちゃいましょうか』

 

「‥‥っと、確かにアンタの言う通りね。‥‥さっき売られた喧嘩はまた明日きっちり買い取らせてもらうからね、ルヴィアゼリッタ!」

 

「挑戦はいつでも心踊るものですわ。お待ちしておりましてよ、遠坂凛(トオサカリン)

 

 

 まともな時は普段のバカが想像もできないぐらいに真面目なルビーの言葉に、私もルヴィアもしっかりと戦闘体勢のファイティングポーズを解いて互いにそっぽを向く。

 既にあの自殺モンの恥ずかしい変身は解いていつもの赤い簡素な私服に戻ってはいるけれど、ただでさえ普段から全然人の訪れない中央公園

ココ

に年頃の娘が二人もいれば否応なく人目を惹いてしまう。

 

 

「それじゃ私は家に帰らせて貰うわね。ルヴィアゼリッタにはルビーからサファイアを通じて連絡を―――」

 

「―――無事でしたか、凜っ!!」

 

「‥‥へ?」

 

 

 とにかくこのままではいくらルビーやサファイアが止めても遠からず雌雄を決する展開になる。これ以上コイツと一緒の空間にはいたくない。そう結論をつけた私が踵を返した時だった。

 

 

「突然いなくなってしまったので心配しました。どうやら私だけが弾き出されてしまったようです。仮にもAクラスの対魔力を持っている私を弾く結界とは一体いかなるものか‥‥」

 

 

 一人の少女が、閑散とした公園に現れた。

 歳は私やルヴィアゼリッタよりも幾らか下に見える。金細工のような髪から外国人であることは歴然だけど、それでもなお幼く見える顔立ちだからもしかしたら本当はもう少し年上かもしれない。

 冬木では外国人はさほど多くない。外国人墓地や立派な教会があったりするけれど、移民が多かったのも昔の話で、今はそのほとんどが死んでしまったり帰国したりで残っていないのだ。

 そんな冬木にこんな欧州風の美少女がいるというだけでルヴィア並に目立つことは請け合いなんだけど、それよりも何よりも彼女を目立たせているものは、その服装‥‥否、格好だった。

 

 その小柄な体躯に、纏っているのは重厚な鎧。銀色のそれは無骨でありながら可憐な少女を彩るに相応し過ぎるほどの神秘を帯びて彼女を守護している。

 その銀色の鎧の下に見えるのは豪奢で古風な青いドレス。本来なら融和しえない、方向性の全く違う二つの衣装が不思議と彼女には似合っていた。いや、むしろ彼女ならばそれも当然かと思ってしまう。

 あまりにも異質なその姿。それ自体は完全に調和されていても、この場に調和していない。不自然で、異様。当然として日常を享受している人間とは違う、非日常に慣れた魔術師である私でも、そのギャップに思わずあらゆる行動を停止してしまった。

 

 

「‥‥どうしたのですか、凜? シロウやショー、バゼットはどうしたのですか?」

 

 

 少女の言葉に私はハッと意識を取り戻した。隣でも同じように息をのむ音が聞こえたから、多分ルヴィアゼリッタも私と同様に言葉を失っていたんだろう。

 

 

「ッ、下がりなさいルヴィアゼリッタ! この子サーヴァントよ!」

 

「なんですって?!」

 

 

 そして次に致命的なことに気づいて、私はルヴィアゼリッタを怒鳴りつけると先ずは自分が魔力で身体を強化して大きく後ろへと飛び退いた。

 奇抜極まりない風体よりも、この少女の異常性をはっきりと表すとある要素に気がついたのだ。

 ‥‥彼女の周囲を、いや、周囲どころか彼女自身も高密度の魔力で構成されている。何らかの魔術を行使しているわけでもなく、魔術回路を起動させた様子もないのに彼女は魔力を大量に内包しているのだ。

 それは知識だけで実践が不十分な私にでもわかる一つの事実を提示していた。つまり、彼女が人外の存在であるということ。それも精練な魔力の印象から察するに、死徒や魔物ではなく、精霊に準ずる存在。すなわち英霊、サーヴァントであると。

 

 

「‥‥凜? 一体何をふざけているのですか貴女は―――!?」

 

 

 ぴたり、とコチラに手を伸ばしてきた少女も動きを止めた。ポケットから最後に残った小さな宝石を取り出して構える私に向ける視線に含まれる色が変わる。

 親しげだった視線は怪訝なものに、そしてあからさまに敵を見る目つきへと。伸ばされた手は一度握られ、そして今度はわずかに隙間を空けて拳が作られる。まるで、見えない何かを掴んでいるかのように。

 

 

「‥‥貴女は、凜ではありませんね。マスターとのレイラインが感じ取れない‥‥!」

 

「何が言いたいのかしら? 私は間違いなく遠坂凜その人よ」

 

「戯れ言を抜かすな! 姿形こそまるきり同じであったから騙されはしたが、この期に及んでそのような小芝居が通じると思ったか!」

 

 

 少女は軽く握った右手をこちらに突きつけてくる。同時に叩きつけられる圧倒的なプレッシャーに私は思わず足が竦んでしまうのを感じた。

 それは私が今まで感じたどんなプレッシャーよりも清廉でありながら危機的なもの。即座に死を覚悟してしまうぐらいに覚えさせられた強烈な戦力差と存在の格の違い。

 だけど、それでも私はここで退いてしまうわけにはいかなかった。悲しくなるほど戦力が離れている相手でも絶対に無様な真似はさらさない。何より、彼女の話には不審な点が多すぎた。

 

 

「‥‥だいたい、いきなり出てきて誰だか知らないけど、私には貴女が何を言ってるのかさっぱりよ。確か私達、初対面だったわよね?」

 

 

 そう、全くの初対面のはずのこの少女は何故か私の名前、いや、私という人物のことまで知っている様子であったのだ。

 心底理解できない。こんな美少女と会ったことがあればまず間違いなく私の記憶にも残っている。しかも、最初に話しかけてきた時の様子から察するに顔見知り以上の関係ではありそうだ。

 

 

「というよりも、いったい貴女どちら様ですの? 一応このあたりは事前に宝石で結界を張ってあったんですけれどね?」

 

 

 隣で私に一拍遅れて出会いの衝撃から意識を覚醒させたルヴィアゼリッタが宝石を構えるかすかな音がした。声にも僅かに普段の高音気味のテンションよりも緊張の色が認められる。

 ルヴィアゼリッタもわかっているのだ。目の前の存在の異常性を。何よりも先ほど、コイツのご同輩と戦ってボロボロになったばかりなのだから緊張も当然といえる。

 しかも特筆すべきことは、彼女が私達と戦った英霊、すなわち便宜的に黒化と呼称される劣化した存在ではなく、しっかりと英霊としての特性、善性をしっかりと持った、いわば万全の状態の英霊であると考えられることだ。

 英霊を喚び出す。言葉にすれば簡単かもしれないけど、実際にやることを考えると途方もない。

 精霊に近い存在となって、時間の流れとは隔絶しているにせよ現存する存在であるが、英霊を現世に喚び出すと言うそれは死者の蘇生と如何程の違いがあるだろうか。

 あの鏡面界に出現した黒化英霊にしてもどういった原理で喚び出されているのか、はばかりながらも時計塔で一番の成績を誇る私やルヴィアゼリッタを以てしても解析は不可能だったのだ。

 そしてそんな高度な術式を用いても、あのような劣化した無様な姿でしか、現実空間と隔離された鏡面界という異世界でなければ英霊を喚び出すことはできなかった。

 ならば私達の目の前で静謐な魔力を放出するこの正英霊は、いったいどうやって現界しているのだろうか?

 

 

「何を当たり前のことを。私は結界が張られる時に既に中にいたのだから、結界に反応しないのも当然ではないか。逆に問おう、貴様らこそ凜とルヴィアゼリッタが張った結界の中にどうやって‥‥いえ、そもそも彼女たちが消えた別の空間にどうやって侵入―――まさか凜やシロウ達に何かしたというのか!?」

 

 

 銀色の甲冑を纏った少女から放たれる威圧感(プレッシャー)が殺気へと変化し、私達へツンドラの吹雪のように襲いかかる。

 先ほどの威圧感がまるで太陽のような神々しささえ湛えたものだとすれば、この殺気は今、形容したとおり、まるで凍土にでもさまよい込んだかのような恐ろしいものだ。

 目の前の少女から放たれているとは思えない程に死の実感を持ったそれに、私はぶわっと背中に嫌な汗が流れるのを感じた。顔からは、あまりの恐怖に汗なんて湧いてこない。

 

 

「凜とシロウ、ルヴィアゼリッタとショー、バゼットに何をしたっ!? ‥‥事と次第によっては貴様らの命、無いものと思え―――」

 

『はいはいはーい! ちょっと待ってくださいお嬢さん!』

 

「「ルビー?!」」

 

 

 ガシャリ、と鎧の擦れ合う恐ろしげな音と共に少女騎士は私達の方へと一歩大きく踏み出し、大地をも割るかという程の魔力を全身に帯びたその様子に私達がいろいろと覚悟を決めたそのとき。

 私の懐から飛び出したルビーがくるりと私達と金髪の少女の前で一回転してみせ、場の空気が一瞬だけ固まった。

 

 

「貴女は‥‥ルビー?!」

 

「「知ってるの?!」」

 

 

 五芒星をあしらった謎の物体に驚きの声を上げた少女に、思わず私達も同様に声を上げてしまう。

 いったいこの奇天烈不愉快型ステッキとこのサーヴァントの間に何があったというのだろうか。顔見知りになる機会など一切あるとは思えないのに‥‥?

 

 

「貴女がここにいるということは、凜は一体どうしたというのですか?! シロウは、ショーは、ルヴィアゼリッタは‥‥いえ、そもそもこの者らは一体だれなのですか!」

 

『まぁまぁ落ち着いてくださいサーヴァントさん。まずはお互いに状況を整理しませんか?』

 

 

 フワフワと浮かぶルビーが場違いなほど明るい声で私達両方へと視線(?)を移してしゃべり出す。

 もっともルビーの真剣な声色というのも想像できないと言えば想像できないわけなんだけど、今はその普段と変わらぬペースが―――信じがたいことに―――ありがたかった。

 

 

『どうやら互いに情報と認識が錯綜しているようです。このままだと意味もロマンも萌えもなくバトったりする羽目になりますからね。魔法少女のバトルはしっかりとした前フリがないと萌えませんから、あはー』

 

「「「‥‥‥‥」」」

 

 

 前言撤回。やっぱりコイツはロクなこと考えてないに違いない。既に散々それを思い知らされたはずだったっていうのに何を血迷っていたのか私は。

 そのあまりの空気の読めなさ具合に目の前のサーヴァントも思わず嘆息する中、ルビーは相も変わらず楽しそうにクルクルと狭い円を描いて旋回し続ける。

 実際に助かったのは事実ではあるんだけど、それでも何となく釈然としない、それどころか色んな意味でさっきまでのムードとは完全に別の、非常に厄介な展開になだれ込みそうな予感すらする。

 それは上手く言葉で表現出来ない奇妙極まりない感覚ではあったけど、これだけはきっぱりはっきり断言することができる。

 きっと今回の事件が終わるまでの間に、私は幾度となく『さっき目の前のサーヴァントに斬り殺されていた方がなんぼかマシだったかも』なんてナンセンスなことを考えてしまうだろう、と―――。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「ただいま戻りましたわ、ショウ」

 

「あぁお帰りルヴィア、美遊嬢。首尾の方はどうだった?」

 

 

 現在、冬木の街は長閑な昼下がり。夜と違って春が近い昼間はポカポカと暖かく、雲の切れ間から差し込む太陽の光も穏やかでとても心地よい。

 なんでも天気予報によればこの陽気は暫くは続くらしく、きっと週末には冬木の街を縦に二分する未遠川の岸辺でピクニックに興じる人達の姿も見られることだろう。

 

 そんな明るい陽射しが降り注ぐ中、俺はといえば昨夜にチェックインしたビジネスホテルから一歩も外に出ていなかった。

 もちろん、いくら前いた世界を含めて始終インドア派だった俺としても、わざわざバゼットに買いに行ってもらった鰯の缶詰と食パンなんていうカオスな朝食を甘んじて受け入れてまで狭いホテルにい続けるのは本意ではない。

 やるべきことがあったのだ。俺達にはしなきゃいけないことが山積みになっていて、しかもとてもじゃないけど手が足りているわけじゃない。

 

 

「とりあえず孤児院の方にはミユと一緒に顔を出しました。院長先生も怪訝にはなさっていたようですが、快く養子縁組を許して下さいましたわ」

 

「‥‥大丈夫かなぁ、心配だなぁ。美遊嬢、ルヴィアは何かおかしなことしてなかったかい?」

 

「特に問題はなかったかと思います。‥‥私の常識の範疇では」

 

 

 突然にこちらのホテルに泊まることが決まったがために着替えがなく、いつも通りの恰好をしたルヴィアの隣に立つ年端もいかない少女に声をかける。

 昨夜はボロボロで血まみれのパジャマ姿だった彼女も、今は白いブラウスに碧いタイ、下はキュロットという年齢相応の非常に可愛らしい恰好だ。おそらくはルヴィアが見立てたのだろう。

 とはいえ流石にあの格好の美遊嬢を入店させるためには店員を札束で叩いたりとか色々あったんだろうけど。常に現金をある程度までは携帯しているのがルヴィアらしい。カード使おうよ。

 

 

「倫敦の方で待機しているオーギュストにも先ほど連絡を入れました。こちらへ拠点を築く手はずも整いましたし、こちらは一先ず落着いたしましたわね」

 

「そうか。結局、美遊嬢はエーデルフェルトの方で預かるってことにしたのかい?」

 

「えぇ、私が養母になるわけにもいきませんから、エーデルフェルト本家で預かりになりますわね。待遇はハウスメイドということになるでしょうが、学校にもきちんと行かせるつもりです。私が預かることになったのですから、生半可な真似は許しませんことよ?」

 

「励ませていただきます、ルヴィアさん」

 

 

 そう、朝早くから俺とサファイア以外は全員が慌ただしくホテルから出発していたのだ。特にルヴィアは美遊嬢を孤児院から引き取るのと、オーギュスト氏に連絡を入れるのと、彼女の服を手に入れるのとで大忙しだった。

 実はお嬢様の当然の嗜みというか、意外でも何でもなく世間知らずなところがあるルヴィアが問題を起こさないかと先ほどの質問通りの心配をしていたんだけど、何とかなって安心だ。

 存外やっぱりルヴィアもしっかりとわきまえるところはわきまえていたらしい。考えてみれば漫画や小説じゃあるまいし、俺よりも遙かに高い教養を持っている彼女がところかまわず自分のペースで行動するはずもないか。

 もっとも微妙に俺から視線を逸らす美遊嬢の様子からして、万事安心とまではいかなかったらしいけど‥‥まぁそのあたりは許容範囲だとは思う。

 

 

「じゃあ後はバゼットが帰ってくるだけかな―――」

 

「戻りましたよ皆さん!」

 

 

 と、椅子から腰を上げた俺の言葉に被せるようにして大きな音―――今にもブチ壊れてしまいそうなぐらいに―――をあげて扉が開かれた。

 凛々しい声音とは正反対の粗暴な所作で乱暴に開かれた入り口の方を見れば、そこに立っていたのは小豆色のスーツを纏った長身の美女。昨夜からの疲れを全く感じさせない真っ直ぐな背筋が頼もしい。

 ズカズカと革靴のまま入室した美女―――バゼットは、春も間近の陽気に汗でもかいたのか、勢いよくジャケットを脱ぎ捨てるとベッドへと座り込んで手近なペットボトルのミネラルウォーターを煽った。

 

 

「どうだった? 何かわかったことはあるかい?」

 

「えぇ、ホテルの方に行ってきました‥‥が、残念ながら私達の荷物は見つかりませんでした」

 

「‥‥それはどういうことですの?」

 

 

 一気にペットボトルの半分程までを飲み干したバゼットの言葉に、ルヴィアが怪訝な声で問い返した。

 今回ルヴィアが美遊嬢やアジトの件を担当していたのに対し、バゼットが受け持っていたのは彼女が宿泊していたホテルへ行って俺達の荷物も纏めて取って来ること。

 そのまま遠坂邸の方に帰るからと公園に荷物を置いていた遠坂嬢達と違って、俺とルヴィアはバゼットの部屋に荷物を置いたままだったのだ。

 

 

「そもそも私が宿泊したことが記録に残っていない様子でした。チェックアウトどころかチェックインした記録もないと‥‥。当然ながら部屋の中を改めてもシャツ一枚見つかりませんでしたよ」

 

「そいつは‥‥妙だね」

 

「はい。私がチェックインした時のクロークは休みだったので、明日もう一度行って確認をとってみるつもりですが」

 

 

 言葉の通り、やけに妙な事態だった。普通に考えて宿泊した記録すら残っていないというのは不審に過ぎる。

 一流の戦闘者であり魔術師でもあるバゼットがいつの間にかチェックアウトしていたなんて思い違いはないだろうし、考えられるとすれば向こう側のミス、もしくは伝達不十分。

 一晩戻って来なかったということも鑑みれば絶対に無いとは言い切れないけど、まぁとりあえず昨夜に勤務をしていたスタッフを待つしかないだろう。

 

 

「大したモノは入れてなかったから問題ないっちゃあ問題ないけどね」

 

「そうですわね。パスポートなどの貴重品は携帯しておりましたし、宝石も内ポケットに入っていましたから。

 着替えがありませんけど‥‥それは倫敦の方で調達させてオーギュストに持って来てもらいましょう」

 

 

 幸いにして荷物はなくとも当面の問題はない。特にルヴィア日く明日にはこちらに拠点が完成するらしいから、今日一日ぐらいは昨日と同じ服装だって我慢できる。女の子はキツイだろうけど、男だからね。

 というか大きな荷物の大半は後から郵送される予定になっているわけだし。

 

 

「それよりも‥‥そちらの首尾はいかがなんですの?」

 

「こっちか。うん、まぁある程度ぐらいまでは何とか解析できた、かな? 解析というよりは漸く使い方の一部が判明したってところだけど」

 

 

 状況に一区切りをつけるルヴィアの言葉に、俺は部屋に備え付けの小さな机一面に散らばっている計算用紙の中から一枚のカードを掬い上げた。

 そのランサーのクラスカードは質問主のルヴィアではなく、美遊嬢の方に手渡す。既に先程まで机の上辺りをフワフワしていたサファイアは美遊嬢のところへと飛んでいって言葉少なにお喋りをしている。

 

 さて、ルヴィアと美遊嬢、バゼットがそれぞれ忙しく出歩いている間、俺はサファイアと一緒に部屋に篭りっきりで今回の任務においての役割をこなしていた。

 乃ち、頭脳労働。乃ち、今回の事件の最有力な手懸かりであるクラスカードの分析である。

 宝石翁から十分過ぎる程の知識を与えられたサファイアをアドバイザーにして、カードに魔力を通してみたり、探査の術式にかけてみたり、物理的、魔術的な攻撃をしてみたりと半日近くかけて当面の手段として考えられる限りの方法を試行した。

 魔力は衛宮が物の構造を把握する様を真似て詳細に通したし、探査の術式はそれこそ俺が知っている限りのものを試した。攻撃もかなり慎重ではあったけど、あらゆる方法を採ったと思う。

 

 

「で、そこまで調査してもコレ自体に関しては殆ど何もわからなかった。魔力はザルみたいに流しちゃうし、探査の魔術も全部弾いちゃう。攻撃はそれこそ神秘銀(セライア)で出来てるんじゃないかってぐらい完璧に通らなかったよ」

 

「それはまた‥‥尋常ではありませんわね。ただの紙切れにしか見えないのに、不思議‥‥というよりは不気味な魔術具ですこと」

 

「言い得て妙だね。ここまで正体不明だと俺も薄ら寒いものを感じざるをえないな」

 

 

 そう、どんなものにだって中身がある。それが透明であろうと不透明だろうと、例えば伽藍洞なら伽藍洞だという“中身”が存在している。

 “中身が見えない”という結果が認識できるのだ。ところがこのカードにはそれがない。ただひたすらに正体が不明で、不気味。恐ろしい程に為体が知れない。

 目の前にあるものだというのに、いくら手を伸ばしても、いくら目を凝らしても何もわからないというのは、真理とも呼ばれる何かを探求する魔術師だからこそ、恐ろしくて仕方がなかったのだ。

 

 

「‥‥“使い方の一部”と仰ってましたわね? もしかして何か分かったこともあるんですの?」

 

「うん、これは俺じゃなくてサファイアに直接調べてもらって分かったことなんだけどね、本当に使い方だけが分かったっていうことなんだ。

 まぁ百聞は一見にしかずっていうし、ちょっと実際にやってもらおうか。美遊嬢、ちょっと変身してもらえるかな?」

 

『変身ではなく転身です、蒼崎様。‥‥プリズム☆トランス、昼間なので演出省略で参ります』

 

 

 控えめな光に包まれ、美遊嬢の衣装が替わる。

 白いブラウスと黒いキュロットは身体にぴったりとフィットしたレオタードのような服装へ。羽のようなフワリとしたマントは魔法少女のオプション装備らしいけど、全体的に魔法少女と断言するにはどうかと思ってしまうのは‥‥うーん。

 

 

「それで、私は何をしたらいいんですか、蒼崎さん?」

 

「君みたいな子に名字で呼ばれると何かむず痒いなぁ‥‥紫遙でいいよ」

 

 

 名前で呼ばれるのが好きな人と、名字で呼ばれる方が好きな人と二種類いると思うけど、実は俺はどちらでもかまわない人だ。

 前にいた世界でもちゃんと親からもらった名前があったわけなんだけど、勿論こちらで生きていくと決めた段階でその名前は脳みその片隅へと強制的に退去してもらっている。親には申し訳ない気持ちもあるけど、色々と理由もあるから仕方がない。

 今の“蒼崎紫遙”という名前は、橙子姉と青子姉から貰ったものだ。“蒼崎”は当然ながら二人の名字で、“紫遙”は二人の名前の色を合わせたものと‥‥後はゴロなんだとか。

 まぁ一応、『遙か遠い場所から来て、私と青子のところに転がりこんだお前には似合いの名前だろう』なんて激しく後付け臭のするお言葉を頂戴したけど、それはそれ、この名前は俺の誇りでもある。

 だから蒼崎と呼ばれても、紫遙と呼ばれても俺としてはどちらも好きな名字で名前。慣れ慣れしいのも嫌いじゃないし問題はない。

 もっとも美遊嬢みたいないたいけな少女に他人行儀に名字で呼ばれるのはむず痒いというのもまた事実なわけで、やっぱり名前で呼ばれた方が親しげで気さくな感じはするよね。

 

 

「あぁ、それじゃあ今渡したランサーのクラスカードをサファイアに翳して、“クラスカード『ランサー』限定展開(インクルード)”って唱えてくれるかな?」

 

「はい。‥‥クラスカード『ランサー』、限定展開(インクルード)!」

 

 

 カードを重ねられたサファイアが輝く。局所的に、それでいて輪郭すら完全に霞んでしまうほどに激しくはっきりと。

 そして空気が抜けるような“パシュ”という小気味よい音と共に、光に包まれた輪郭を突き破るようにしてサファイアは姿を変える。

 

 

「こ、これは‥‥?!」

 

 

 美遊嬢の手に握られていたのはファンシーなステッキではなく真紅の槍。蔦のような飾りが全体に絡み付き、穂先の根本には銛のようなギザギザの返しが付いている。

 先程まで纏っていた無色の魔力ではなく禍々しい雰囲気を撒き散らし、一、二メートルは離れているというのに背筋を嫌な汗が流れる程の悪寒を感じた。

 

 

「まさかそれは‥‥ゲイボルク?!」

 

 

 其は因果を捻じ凶げる呪いの朱槍。戦の女神スカサハより光の御子に授けられた魔槍。

 突けば三十の刺と咲いて敵を蝕み、投げれば三十の鏃と裂いて隊伍を組んだ軍勢を吹き飛ばす、魔槍の代名詞とも謳われる究極の一。乃ち英霊たる豪傑の武装、神秘の結晶、宝具。

 当然ながら現代の世にあってはならない神代の存在が、今か弱い一人の少女の手の中にある。

 

 

「そう、第五次聖杯戦争でランサーのサーヴァントだったクー・フーリンの宝具、ゲイボルク。これがサファイアのおかげで発見できたこのカードの使い方の一部だよ」

 

 

 流石に呆気にとられたらしい美遊嬢の手の中で、光を伴わずに先程のプロセスを逆回しにしてサファイアがステッキに戻る。理論的にはあくまで瞬間的な発現だから長続きしないのだろう。

 サファイアは自身のみで術式の解析や探査などが出来るけど、実際に魔力を能動的に発散する形で運用しようとしたら必ずマスターに使われていることが必要になる。だから試すのはコレが初めてだったんだけど‥‥成功してよかった。

 

 

『‥‥どうやらこのカードを介して英霊の座へとアクセスし、カードに記録されている英霊の宝具を限定的ながらも使用することが出来るようなのです。もちろん使いどころは非常に難しいですし、おそらく連続使用は不可能でしょうが、必殺技にはなり得ます』

 

「これからも英霊との戦闘が確実に待ちかまえている以上、戦力が補強できるに越したことはないからね。他に安全な隠し場所があるわけでもないし、どうせだからそのカードは美遊嬢が持っていなよ」

 

 

 サファイアの顔(?)から弾き出されたカードをキャッチして、美遊嬢へと手渡す。巷で出回っている安物のトレーディングカードとは全く違った感触に少々戸惑っていたみたいだけど、表情を変えないまま無造作にキュロットのポケットへとしまい込んだ。

 ‥‥多分、大丈夫だろう。一応大事なものを簡単に失くしてしまうような子には見えないし、サファイアもついてる。いざとなったら探査の魔術を使って取り戻せばいい話だし。

 

 

「なるほど、『突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)』はともかく、『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』が使えるようになったら確かにこれからの戦いにおいて有利になることは間違いありませんね」

 

「‥‥アイルランドの光の御子というと、クー・フーリンですわね。彼の名高きクランの猛犬の振るったという呪いの朱槍、期待できそうですわ」

 

 

 やや誇らしげにバゼットがそう言って更にミネラルウォーターを煽る。どうやら先程ゲイボルクを見た時にかなり動揺していたらしい。ルヴィアの言葉に更に蒼い槍兵の擁護をするところまでは気が回らないようだ。

 

 気がつけばそろそろ昼食の時間も近い。幸いにして美遊嬢も服を手に入れたことであるし、俺も当面はやることがない。次に動くのは、サファイアがクラスカードの出現を感知してからだ。おそらく遠坂嬢ともそこで合流できるだろう。

 とりあえず今日やることは全て終わってしまったことだし、それならば昼間は完全にフリー。朝飯がカオスだった分、昼飯はしっかりとしたものを食べたいものだ。

 うん、それならこの前に桜嬢関連で冬木を訪れた時に見つけた、少し郊外にあるイタリア料理店にでもみんなを連れて食事にでも行こうか。あそこの食事はとても美味しかったから、みんなにも是非食べてもらいたい。

 特に美遊嬢は―――もし偏見だったりしたら悪いけど―――孤児院の出身であることだし、あまり奮発した食事というものに縁がなかったかもしれないから、ここはルヴィアの養女となった記念にお祝いでもするべきだろう。

 

 

「どうかな、そろそろ良い時間だし、みんなで食事にでも行かないかい? あー、実は桜嬢からオススメの店を聞いていてね」

 

「そうですの? 確かに美遊の歓迎会のようなものも開きたいことですが‥‥本当はオーギュスト達が来てから使用人達も含めて、と思ったんですけど。まぁ、前祝いも悪くはありませんわね」

 

「あの‥‥そこまで気を遣っていただかなくとも―――」

 

「お黙りなさい。貴女のような子供に気を遣われることこそ大人として恥ずかしいことなんですのよ? 私達に恥をかかせたくないのなら、おとなしく申し出を受けておきなさい」

 

 

 自分以外のことについては淡々と事態を処理できるくせに、そこに自分が絡むと途端に狼狽える美遊嬢の遠慮を、即座にルヴィアが切って捨てた。このようなことを自分の義務と思っている節があるらしいから、彼女にとっては当然のことなんだろう。

 狼狽えるあまりに美遊嬢は幼い瞳を俺とバゼットの方にも向けるけど、当然ながら彼女を手助けしてやるわけにはいかない。俺達もルヴィアと同じ気持ちだからね。

 

 

「さぁ、そうと決まれば善は急げだ。早速用意をして出かけようか!」

 

 

 この一日程度でいろんなことがありすぎて、正直少しばかり疲れ気味になってしまっていたのは否めない。

 受けた任務はとても俺達でこなせるようなレベルのものじゃないかもしれないし、エミヤのことや、美遊嬢のことに関してだって本当ならこうやって和やかにしていられるような問題じゃない。

 それでもやっぱり息抜きってのは必要だし、要所要所でうれしいことがあったなら、それはシリアスなムードの中でだってお祝いしなきゃいけないことでもあるのだと思う。

 これからの冬木での短い生活がどうなっていくのかは全く分からないけれど、とりあえず今は心機一転、明日から頑張れるための鋭気を養おうじゃないか。

 

 自分の中で色々と蟠っていたものをそうやって無理矢理にでもしまい込んで、俺はジャケットを羽織るとドアノブに手をかける。

 後ろでワタワタと帰ってきたばかりなのに自分の身の回りをチェックする美遊嬢に呆れるルヴィアや、何故かどことなく楽しそうなバゼット。

 順風満帆とはとても行かないだろうけど、それでも彼女たちがいる分、一人きりよりは頼りになる。そんな自分でも情けなくなってしまうような、それでいて嬉しいような、そんな不思議な気持ちを抱きながら、俺は三人と共に小さなホテルから出発したのであった。

 

 

 

 57th act Fin.

 

 

 




まさかのダブルトリップでした。
基本的に二つの世界は似通っていると仮定しているので、倫敦組の年齢など以外の状況は紫遙や士郎、セイバーやバゼットとの親交度を除いてそっくりなんです。
つまりルヴィアがオーギュスト氏に電話しても、こちらの世界のルヴィアと行動がシンクロしているので殆ど差異も不都合もないわけです。
これはまた後々説明します。
彼女達が転移してしまったことに気付くのは何時なのか‥‥! どうぞ次話をお待ち下さい。皆さん応援よろしくお願いします!

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