UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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繰り返しになりますが、拙作におけるside表記には様式美以上の意味はありません。
そして二点リーダーは趣味です。変えるつもりはなかとです!


第六十話 『旅人達の憂鬱』

 

 

 

 

 side Miyu Edelfelt

 

 

「‥‥うん、だから第一に魔術師を魔術師たらしめているのは魔術回路の存在なんだよ。これがなければ魔術は使えないし、超能力(ESP)は神秘に類するものではあるけど決して魔術じゃないからね」

 

 

 それなりにクッションの効いた座席に座り、まるで教師と生徒のように目の前の青年の話を聞く。話の内容は非常に一般的とは思えない裏の社会の話ではあるけれど、それでも今の私には何よりも必要なことだった。

 話をしてくれているのは額に擦り切れた紫色のバンダナを巻いて、くすんだ地味な色のミリタリージャケットを羽織った二十歳そこそこといった男の人で、名前は蒼崎紫遥という。

 夜中の深山町でトラックに轢かれてしまった私を助けてくれた三人の魔術師の一人で、紆余曲折の末に私を養い子として引き取ってくれたルヴィアさんの、時計塔という魔術師にとっての最高学府の一つでの同僚なんだとか。

 

 

「あぁ、その意味では君は一応魔術師の資格は持っているよ。サファイアと契約したことで君の魔術回路が開いているのも確認したからね。初代の魔術師だから家が受け継いでいる魔術刻印は持ってないけど、それでも初代にしては破格の魔術回路だから安心していいよ。これならルヴィアの弟子としても立派にやっていけるさ」

 

 

 そんな紫遙さんは、今はルヴィアさんの養い子、兼従者、兼弟子である私に魔術についての基礎知識を教えてくれている。なんでも時計塔では臨時講師もやっているということで、ルヴィアさんが彼に教わるようにと勧めてくれたのだ。

 私が魔術の世界に入ってまだ数日。しかも様々な雑務や戦闘に追われて、まともにこうして基本から魔術について教わるのは今日が初めてかもしれない。

 魔術師が神秘を学び、妖精や吸血鬼が実在し、あろうことか私自身が今こうして魔法少女をやりながら大昔に伝説になったような英雄達と戦っている。

 それは昔、実感がこもらないぐらいには昔に本で読んだ物語やお伽話に似ていて、それでいながら決定的に違う。私が今、現実に存在しているこの世界は決してお伽話みたいな優しい世界なんかじゃないのだ。

 

 

「‥‥うん、そうだね。自分で気付いたのはいいことだけど、それでもよくよく注意して欲しい。君が今いる神秘の世界は、君がこれ以上ないってぐらいに設定した認識を更に越えて無慈悲なところなんだよ」

 

 

 今までの戦闘の様子を思い出して、わずかに俯き身震いした私の考えていたことを察したのか、紫遙さんが眉間に皺を寄せて少し悲しそうに呟いた。

 私も甘かったのだ。実際に魔術を見たことがあるわけでも戦ったことがあるわけでもないのに、そんな自分の基準で出来得る限り深刻なものに想定して、覚悟を決めたつもりになっていたのだ。

 最初に出会った神秘であるサファイアの姿恰好にも問題があったといえばその通りかもしれないけど、それでも私は甘かった。ライダーとの戦闘で、それをしっかりと思い知った。

 

 それは戦闘と呼ぶのもおこがましい一瞬の交錯ではあったけれど、私が体験した初めての戦闘であることに疑問の余地はない。

 私の手にした呪いの朱槍が、仮の命とはいえ、しっかりと心臓を貫いたアノ感触。消えていくサーヴァントの断末魔の叫び。全てがあの瞬間に脳裏に焼き付いた。

 命を奪うから、戦闘。喧嘩でも力試しでもなく、互いに殺意を持って攻撃を交わすアノ感触。今まで一度たりとも経験したことのない戦闘というものが、私が足を踏み入れた世界の特徴というものを如実に表している。

 あれが、普通にまかり通る世界。戦闘の規模はともかく、あのような事態が通常のことだと認識される世界。それが私がこれから生きていくことになる世界なのだ。

 

 

「誰も守ってくれない。自分で自分を守らなきゃ、ね。本来はそれが魔術師さ。他人におもねらず、ひたすら孤独に“根源”を目指して探求を続ける。だからこそ魔術師と魔術使い‥‥魔術を手段として活用する連中とは分けられているんだけどね」

 

「‥‥ルヴィアさんや紫遙さんは、魔術師なんですか?」

 

「うん。‥‥まぁ、衛宮はどちらかというと魔術使いかな。アイツは別に悪いことに使おうって考えてるわけじゃないんだけど、それでも魔術師としては魔術を探求以外に使うことは良い気分じゃないな」

 

 

 本当は許せないのに怒ることもできない。そんな複雑な表情をした紫遙さんは場の雰囲気を崩さないようにと小さいながらも苦笑する。

 魔術とは学問。それは実践を伴うものではあるけど決して実用するものではなく、それは不謹慎なこと。紫遙さんの話を私なりに解釈するとこうだ。

 それは十分に理解できる概念ではあったけど、共感できるかと言われれば微妙。個人的な好き嫌いの感情じゃなくて、多分実感が湧かないんだと思う。

 だって学問にするにはあんまりにも規模が大きすぎる。英霊を喚び出したり、魔力砲を撃ったり、個人の研究の範囲を越えてはいまいか。

 

 

「いやいや美遊嬢、ああいうのが平均的な魔術って思われたら迷惑だよ。あれはね、魔術の中でも“魔法”に近い、極めて非常識なものだと考えてほしいな」

 

「魔法‥‥?」

 

「うん、“魔法”だよ。法の下で術を編む魔術と異なり、法そのもの。魔術師の目指す極みの一つ。百の魔術を以てしても一の魔法とは比べ物にならない。言わば次元の違う代物だね」

 

 

 何か思うところがあるのか、紫遙さんは遠い目をして明後日の方向へと視線を巡らせた。今のは表現が悪かったかもしれないけど、諦観とかを含んでいるわけではなく、どちらかといえば淋しげな色を湛えている。

 そういえばサファイアも魔法使いに作られたと言っていた。宝石翁というその人は第二魔法の使い手だということらしいけど‥‥。

 

 

「魔法は全部で五つ、ないしは六つあると言われているんだ。はっきりしているのは第二魔法である“並行世界の運用”と、第三魔法である“魂の物質化”。あと第一魔法が“無の否定”で、第五魔法が次元論に関係する何かって言われてるんだけど———」

 

「ショウ、いくら私の弟子とはいえ喋り過ぎですわよ。今はまだ魔法についてまで講義する時期ではありませんわ」

 

 

 と、だんだん本当に私に向かって喋っているのか不安な調子になってきた紫遙さんの話を、今の今まで私の斜め前‥‥つまり紫遙さんの隣に座っていたルヴィアさんが制止した。

 秀麗な眉間には深い皺が刻みこまれ、片方の手は不機嫌そうに組んだ二の腕をトントントントンと叩いている。貧乏揺すりをしていないところは流石というべきだろうか。

 

 

「‥‥悪かった、ちょっと気が緩んでいたみたいだ。考えなきゃいけないことが多すぎてね、疲れてるのかな?」

 

「それを言うならこちらもですわよ。昨夜の戦闘は‥‥あぁ思い出すだけでも腹立だしい!」

 

 

 こめかみに手をやって苛々と発せられたルヴィアさんの言葉は、私の眉間にも深い皺を生んだ。

 昨夜の戦闘。すなわちそれはイリヤと少し喧嘩のようなやりとりをした後の夜に赴いた、深夜の冬木大橋での戦闘を指す。

 ライダー戦の時と同じように、ただ違うのは凜の従者であるイリヤスフィールとの二人で鏡面界へと侵入し、そこに待ち受けていたのは鏡面界の空一面に広がる大量の魔法陣。

 神代の時代の技術を使って放たれた神言という魔術は私達の魔力障壁を貫通する。もちろん込められた魔力の量に従って多少の軽減はされるんだけど、それでも練習では紫遙さんやルヴィアさんの魔術もしっかりと受け止めた障壁は、あの砲撃相手には効果を発揮できなかった。

 

 

『落ち着いて下さいルヴィア様。流石にミユ様といえど初見の敵を相手に有利に戦える程には戦闘経験が多くありません。ましてや私達(カレイドステッキ)彼女(キャスター)の相性は———」

 

「いいえサファイア、確かに相性というものはありますけど、打倒できない相手ではありませんでしたわ。次の戦闘では必ず仕留めてみせますわよ、ミユ! いかに相手が神代の魔術師であろうと、コケにされっ放しではプライドが許しませんわ! 現代の魔術師の力を見せて差し上げましょう!」

 

「はい、ルヴィアさん」

 

 

 一通り紫遙さんの襟を掴んで激しく前後に振り回した後、キッとこちらを向いて勢いよく叫んだルヴィアさんに、一も二もなく冷静さを保ちながらも頷き返す。私も確証が持てないからと、こんな状況で生真面目に返せる程に空気が読めないわけじゃない。

 なにより解決策は既に明快だ。鏡面界の上空に配置された魔力制御平面は私達が上空に攻撃することを妨害しているけど、あれは魔力攻撃を逸らす働きしかもっていないのだ。

 つまり私達が某かの方法で魔力制御平面の上空へと出ることができれば、上空に位置しているキャスターへの攻撃を阻むものはなくなる。

 ‥‥問題はどうやって上空へ上がるか、なんだけど。

 

 

「だから、イリヤスフィールに出来て貴女に出来ないはずはないのですわ、ミユ!」

 

「‥‥ルヴィアさん、人は、飛べません」

 

「あぁだからその夢のない考え方をなんとかしなさいと何回申し上げれば———」

 

『あまりミユ様を責めないで下さいルヴィア様。他の能力の高さで十分に帳消しになっていると存じます。今回ばかりは先程申し上げました通り、上手く噛み合わなかっただけなのです』

 

「どちらにしてもあの英霊を倒せないなら意味がないのですわよ!」

 

 

 ‥‥サファイアが擁護してくれてはいるけれど、言い訳は出来ない。私がルヴィアさんの期待に応えられなかったのは事実なんだ。

 実際あの魔力制御平面を越えるためにイリヤスフィールは空を飛んでみせたけれど、私はどうしても空を飛ぶイメージを作ることができなかった。カレイドの魔法少女が魔術を行使するのに必要なイメージが、私にはどうしても作れなかった。

 理由もなくひたすら勉強に打ち込んできた私には小手先ばかりが身についていて、イリヤスフィールのように本当にカレイドの魔法少女として戦っていくための素質が欠けている。そう実感させられた。

 

 

「まぁそう落ち込むことはないよミユ嬢。ルヴィアや遠坂嬢の話によれば、件のキャスターはコルキスの王女メディア。彼女はギリシャ神話の住人で、俺達が使う魔術とは神秘の桁が違う。下手すれば魔法にも匹敵する大魔術なんだから、いくらサファイアが宝石翁の作った一級の魔術礼装だったとしても無理はあるさ」

 

 

 昨日は参戦しなかった紫遙さんが私の肩をポンポンと叩いて慰めてくれる。紫遙さんと‥‥士郎さんは、私達に戦闘を任せて念のために鏡面界の外で待機してくれていたのだ。

 本当なら戦力は多いに越したことはないのかもしれないけれど、それは私達と相手の戦力の差が同じ次元に留まっている場合。それが英霊と私達みたいに完全にかけ離れている場合、言い方は悪いかもしれないけれど普通の魔術師では足手まといになってしまう。

 特に紫遙さんは戦闘向きの魔術師ではなくて学者タイプらしいし‥‥士郎さんは完璧に前衛で、戦闘能力は高いらしいけどそれも普通の人間の範疇に留まってしまうんだとか。下手に前衛だと、負傷する可能性が高い。

 でも結局あの戦いの様子を振り返れば、たとえいても本当に足手まとい以外の何物にもならなかったと思う。私達でさえ手も足も足も出なくて、障壁を最小限まで絞り込むことで何とか防御することができたんだから。

 

 

「‥‥ショウ、以前から薄々思っていたことではありますが、貴方は知っていてはならないはずのことまで知りすぎてはいませんか?」

 

「え?」

 

「聖杯戦争についてもそうですし、先程の魔法に関連することもそうですわ。エーデルフェルトにも第三魔法や第一魔法のことについては伝わっておりませんのよ? 封印指定の執行部隊などの特殊な環境ならともかく、いくら貴方が第五法の使い手たるミス・ブルーの弟といえど、些か知識の出所が不審ですわ。そうでしょう?」

 

「ッ、それは‥‥!」

 

 

 珍しく、と言える程に長い付き合いをしているわけではないけれど、それでも私には珍しいと思えるぐらい鋭い視線をルヴィアさんが紫遙さんに向け、私は思わず隣のサファイアと二人で息を飲んだ。

 私の見る限り、ルヴィアさんと紫遙さんは本当に仲が良い相棒同士、という解釈だった。たまに喧嘩みたいに見えるじゃれ合いはするけど、それでも議論以上の言い争いを見たことはない。

 それが今は、ルヴィアさんは本気で紫遙さんに問い詰めているし、紫遙さんはと言えば明確な敵意すらその目に込めてルヴィアさんを睨み付けている。

 

 

「それは‥‥それは‥‥」

 

 

 睨み付けていたのは一瞬。紫遙さんの視線はすぐに困惑や焦り、悔しさ、悲しさ、その他にも色んな解釈ができる複雑な色を湛え始めた。

 座席に座りながらも手は強く握りしめられ、手に持った冊子はぐしゃりと握り潰されてしまっている。体は小刻みに震えて、紫遙さんのどうしようもない気持ちを表しているかのようだ。

 

 

「‥‥ショウ、私とて貴方を困らせたくてこう言っているわけではありませんのよ。それでも私は、今回の一見が始まってから貴方が不審な態度を見せ過ぎていることを‥‥その、つまり心配しているのですわ」

 

「‥‥‥‥」

 

 

 少し照れたように、ルヴィアさんは頬を僅かに朱く染めてそっぽを向きながらそう言った。なんとはなしに安心する。会って間もない二人だけど、喧嘩をしている姿は見たくない。

 そんなルヴィアさんの視線に何か思うところがあったのか、紫遙さんは深く深く息を吐くと、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。

 

 

「‥‥確かに俺は、本来なら知っていちゃいけないことを知り過ぎてると思う。魔法についてもそうだし、聖杯戦争についてプロフェッサから資料を貸してもらったっていうのも嘘だ。‥‥でも何故、どこでそんなことを知ったのかを言うことはできない。もうこういうのは何回も言ってることだけどね」

 

「‥‥貴方がそこまで言い淀むということは、もしや貴方がお義姉様方に拾って頂く前のことに関係するんですの?」

 

「‥‥え?」

 

 

 紫遙さんと同様に、慎重に言葉を選んだルヴィアさんの発言に、私は何故か思わず拍子の抜けてしまったような声を上げた。

 そんな私に気付いたのかルヴィアさんの口撃をかわすためなのか、紫遙さんはこちらに視線を移すとわずかにはにかんだような笑顔を浮かべて口を開く。

 

 

「あぁ、これはルヴィアやバゼットぐらいしか知らないことなんだけど、実は俺も拾われっ子なんだ。義姉が二人いるんだけどね、行く宛てのなかった俺を上の義姉が拾ってくれたんだよ」

 

「そう、だったんですか‥‥」

 

「うん。まぁ最初こそ戸惑ったけど、今では感謝してもしたりないな。早く孝行できればって思ってるんだけど、この歳になっても迷惑かけっ放しでね」

 

 

 そう言う紫遥さんは本人が気づいているかは分からないけど少し照れくさそうに、嬉しそうに笑っていて、本当にお義姉さん達が好きなんだと思わせるには十分すぎた。

 隣で呆れたような笑いを顔に浮かべているルヴィアさんと合わせて、私はその表情にドキリと胸の奥に何かを覚える。

 

 孤児、というのは私にとってそう珍しいフレーズではないし属性でもない。私が暮らしていた孤児院の児童は全員が孤児であったわけだし、世間一般でどうかは知らないけれど私にとってはそれが普通の状態であった。

 けど、今のこの状況は決して孤児として孤児院の院長先生に育てられた私の感性を以てしても普通じゃない。魔術なんてものに触れているのもそうだけど、当然のことながら誰かの養子になるというのも初めての体験だ。

 自分自身ではほとんど実感していなかったけど、存外それは私に緊張を強いていたらしい。なぜなら紫遥さんの簡単な身の上話を聞いて、確かに私は自分が安心したのを感じている。

 

 

「これは遠坂嬢や衛宮には秘密だよ? 俺が蒼崎の直系だって思わせているのにもそれなりに意味があるし、さっきも言ったけど、これを知ってるのは君で三人目ぐらいなんだから」

 

「‥‥じゃあ、どうして私にそんな大事な話を?」

 

 

 たっぷりというわけではないにせよ、円滑に話を進めていくには少々多すぎるぐらいの沈黙を挟んで私は問いかける。紫遥さんあけではなく、ルヴィアさんにもだ。

 なにせ詳しく話すことを決めたのは紫遥さんかもしれないけれど、最初に拾われっ子云々の話を切り出したのはルヴィアさんである。他人の秘密を勝手に喋るという意味ではほめられた行為じゃないかもしれないけど、それをルヴィアさんが知っていないわけはない。

 つまりルヴィアさんがこの場でこの話を———いままでの話の流れとして適当でなかったとは言えないにせよ———切り出したのは、紫遥さんがルヴィアさんが話を切り出した意味を汲み取ったというわけで、つまるところルヴィアさんは何か意味があってこの話を始めたのだ。

 

 

「あら、聡明な貴女が気づけないというのですか?」

 

「はい、わかりませんが」

 

「そ、そうですの。ではわからないままで構いませんわ。別に、その、さして特別なことでもありませんから」

 

 

 何が悪かったのか、ルヴィアさんは私の質問に動揺した様子を見せると窓の外へと視線を移してしまう。横顔をみると、またもや仄かに頬が赤い。

 どうしたのだろうか、何かプライベートな話に入ってしまったのか。もしくは私の勘違いで、本当は紫遥さんの件はただの失言だったのかもしれない。

 

 

「彼女は照れてるだけだよ、美遊嬢。ルヴィアは君が新しい環境になれてないと思って、同じような境遇にいた俺に助けになるようにって———」

 

「余計なことは仰らないで下さいなショウ! ほら、もうすぐ目的の場所に着きますわよ?!」

 

「痛い痛い、不安定な場所なんだから暴れないでくれよルヴィア!」

 

 

 しっかりと伸ばされた手刀で何度か紫遙さんの頭や肩にチョップを喰らわせてみせた後、ルヴィアさんはぶつぶつと聞き取れないぐらいの音量で前の方に行ってしまった。

 気がつけば窓の外に広がるには白いものが混じり始めていて、心なしか私の体も地に足を付けて生きる人間としての根源的な恐怖感からか小刻みに振動している。

 

 今まで触れずにいたけれど、ここは冬木市上空数千メートル。私達はルヴィアさんがチャーターした飛行機に乗り込んで優雅というよりは過酷な空の旅に興じている。

 目的はスカイダイビング。どうしても空を飛ぶイメージを掴めなかった私に、まずは落ちる、滑空するというイメージを掴ませるのが狙いだそうだ。

 ‥‥まさか私もここでスカイダイビングを持ってくるとは思わなかった。てっきり精神論から入るのかと思っていたけれど、孤児院育ちで裕福というものに縁がなかった私ではルヴィアさんの金銭感覚を量れないらしい。

 

 

「はぁ、結局ルヴィアが騒いだから教習本を読み込めなかったじゃないか。いくらぶっつけ本番だからって‥‥こりゃ後は運任せだなぁ」

 

 

 さっき握り締めた冊子を破らないように慎重に苦労して開いた紫遙さんが、どこはかとなく楽しげな溜息まじりに恐ろしいことを口にする。

 今日の予定としては、紫遙さんが私の後ろについてスカイダイビング。私がサファイアのサポートで安全に降りられる高度で分離、ということになっていたはずだ。

 そして当然のことながら私はスカイダイビングなんてやったことがない———そもそも小学生にやらせていいのかという疑問もあるけど———から、てっきり紫遙さんがスカイダイビングの教習のライセンスを持っているのかと思ったんだけど‥‥。

 

 

「いやいや、俺だって空中遊泳なんてやるのは初めてだよ。こんな無茶振り提案したルヴィアもルヴィアだけど‥‥どうして美遊嬢も頷いちゃうかなぁ」

 

「すいません‥‥」

 

「あぁ、別に責めてるわけじゃないよ? なんていうか、ホラ、こういうのは慣れてるっていったら慣れてるからね。‥‥残念なことに」

 

 

 既に機内に乗り込んでから何回目になるのか、紫遙さんの溜息は留まるところを知らない。とはいえ一切表情を動かしていないのだろう私も思わず溜息をつきたくなるぐらい、ルヴィアさんの行動は私達の予想の斜め上を超アクロバット飛行しているから仕方がない。

 それよりも問題は私と紫遙さんがこれから乗り越えなきゃいけない試練の方。私はサファイアに物理保護のサポートをかけてもらえればいいけど、もし生身の紫遙さんが万が一開傘や着陸に失敗したら———

 

 

「あぁ、心配してくれるのは嬉しいけど大丈夫だよ。これでも時計塔の学生の中では成績優秀な方だからね。予め落ちるっていうのが分かってさえいれば重力軽減なり慣性制御なり方法は色々あるさ」

 

 

 全く安心できないながらも所定の高度に達したのか、今まで感じていた上昇感がぴたりと止まり、前部の座席で打ち合わせをしていたらしいルヴィアさんがこちらへと戻って来た。

 手には操縦士と打ち合わせていたのだろう飛行計画書(フライトプラン)を持っているけど、私達にはあまり関係ない。なにせこれから私達はヘリから飛び降りて地上に戻るのだから。

 

 

「二人共、所定高度に到着しましたわよ。準備はよろしくて?」

 

「‥‥お世辞にも十分とは言えないけど、まぁ何とかなるとは思うよ。美遊嬢、サファイア、君達も準備が出来たら転身を」

 

『かしこまりました、蒼崎様。プリズム☆トランス、狭いので演出省略で参ります』

 

 

 控え目な光がヘリの中を満たし、私の姿が一変する。大きなマントを羽織ったレオタードのような衣装は英霊と戦うには些か不安になるぐらい露出が多いけど、サファイアによる物理保護が働けば生半可な鎧なんかよりよっぽど頑丈だ。

 ガラリと機体側面の扉が横滑りに開けば、目の前には地上まで遮るものは一切ない。何の抵抗もなしに突き抜けてしまうだろう雲の隙間から住み慣れた冬木の街が遠く見えた。

 ‥‥ここから飛び降りなければならない? しかもパラシュート無しで? 堰を切ったように不安が恐怖となって私の胸の奥から全身へと押し寄せて来る。

 

 

「大丈夫、美遊嬢。サファイアの物理保護を全開にすれば絶対に安全に地上へ降りられる。怖がるのは仕方がないかもしれないけど、しっかり目を見開いて、体で空を斬る感覚を確かめるんだ」

 

 

 後ろに回って、自分と私の体をスイッチ一つで切り離せるベルトの一種で固定していた紫遙さんが私のに手をやりながらそう言った。まるで遠い昔‥‥今となっては遠い昔に兄がしてくれたように。

 安心、という程ではない。それでも私は自分の中に恐怖が残っていたにもかかわらず、不思議なことに体の震えが収まっていくのを感じた。

 自分以外の体温が心地良い。もう十年近くも感じたことのなかった感触だ。院長先生は優しい人ではあったが、このような人間味を持った優しさではなかったから夜中に無く子供がいても添い寝をしてくれたりはしなかったから。

 

 

「‥‥ミユ、空想が魔法少女の力であることは事実であるかもしれませんが、それはつまりイメージの具現化ですわ。物理法則に縛られた貴女の考えは決して間違いではありません。魔術とは物理法則という法の下に、また新しい方法で別の手順を敷くものです。

 故に、貴女はまず“飛ぶ”というイメージを会得なさい。貴女に不足しているのは魔術によって物理現象を再現するためのイメージです。魔術師は魔術を起動する機械ですが、イメージが無ければ魔術を起動させることは出来ないのですからね」

 

「既に鏡面界が発生している以上、次の戦闘は今夜が予想される。時間はない。チャンスはこれ一回きりだ。‥‥だから怖いのは分かるけど、頑張ってくれ。君が飛べるようにならないと、キャスターは倒せない」

 

 

 左横から紫遙さんが、右横からルヴィアさんがそれぞれ私を激励し、諭す。多分、これは勇気だ。怖いのは変わらないけれど、私は二人から勇気を貰っている。だからきっと飛べる。飛べるに違いない。

 ‥‥実際に飛べるかどうかは別問題だ。今は“どうやったら飛べるか”ではなく、“飛べる”という言葉を信じればいい。飛べるかどうかではなく、今は飛ぶというイメージを掴むことに集中すればいいのだ。

 

 

「そうだよ、美遊嬢。今から地上に降りるまでに飛べるようになる必要はない。今はイメージを取得することに専念するんだ」

 

 

 紫遙さんの手がハッチの上部に徒点けられているバーを力強く掴み、重心が前へと移る。これは飛び出す合図だ。ついに私の視界からヘリコプターを示すものが何もかも見えなくなった。

 実際にはまだ空を飛んではいない。私の足はヘリの床に着いているし、ヘリのプロペラが回る爆音も聞こえてくる。私は口の中に溜まった唾を飲み込んで、サファイアを強く握りしめた。

 

 

「‥‥よし、それじゃあルヴィア、行ってくるよ」

 

「今更かもしれませんけど、くれぐれも怪我などなさいませんようにね」

 

「大丈夫さ、これでもそう、“空の上での事故には慣れてるんだ”‥‥」

 

 

 紫遙さんの不思議な言い回しを疑問に思ったけど、それを問いただす暇はなかった。さっきまではしっかりとついていた足が、背中にぴったりとくっついた紫遙さんが屈めていた背を伸ばしたがために宙に浮く。

 そして次の瞬間には正真正銘の浮遊感。風が大きく私の顔を打ち、ヘリのプロペラの爆音の代わりに風がながれていく轟音が耳を支配した。

 一向に近づかない地表にも、顔を打つ風だけが私達二人が落下しているのだと教えてくれる。

 ‥‥いや、これは落下なんかじゃない。これは滑空だ。私は落ちているんじゃなくて、空を飛んでいるんだ。背中の温もりにそう教えられた気がして、私は恐怖に落ちかける瞼を必死で見開き、全身で風と空を感じた。

 

 きっと、飛べるようになってみせる。私に寄せてくれた二人の信頼を裏切らないためにも、絶対に、飛べるようになってみせる。

 速度が上がっているからか段々と近づいてきたように思える地表を前に紫遙さんがベルトのスイッチに手をかける感触を覚えながら、それでも私は全身で空を感じ続けたのだった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「‥‥どうやらミユはイリヤスフィールに呼び出されて行ってしまったようですわね。まぁ今日の仕事は休み半分のようなものですし、彼女の用事の方を優先するように言いつけてありますから問題はありませんが‥‥」

 

 

 締め切ったカーテンの隙間から屋敷の正面、門から出て行く美遊嬢を確認したルヴィアが呟く。その声色は真剣でありながらもどこはかとなく安心を含んだもので、わずかにほころんでいる口元を彼女自身は気づいていないだろう。

 そんな俺の視線を感じたのかハッとルヴィアは僅かに開けていたカーテンを締め切り、こちらへと振り返る。部屋の中にいた残りの四人を見回すも、当然ながら俺ほどまでにルヴィアと付き合いの長い者はいないので生暖かい視線を向けていたのも俺だけであった。

 

 

「何か面白くないことを考えていらっしゃるのではなくて、ショウ?」

 

「いやいや、そんなことはないよ? それより早く話を始めないと美遊嬢が帰ってきちゃうんじゃないかな? こういう話はあまり彼女達に聞かせたくないんだろう?」

 

「‥‥その通りですわ。では始めましょうか」

 

 

 部屋の中にいたのは先程言及したように五人。俺とルヴィアにバゼット、そして遠坂嬢と衛宮だ。このうち遠坂嬢とルヴィアは穂群原学園高等部の制服を着ている。どうやらこちらの世界での二人は高校生であったらしく、編入手続きまで冬木に来るまえにしていたのか学園の方から電話がかかってきてしまったのだ。

 当然ながらガン無視することもできるには出来た。それでも何事かと詮索されるのは愉快なことじゃないし、何よりルヴィアと遠坂嬢としては学校に通っていた方が連絡はつきやすい。

 そういうわけで手続きやら心の準備やらを済ませて今日の朝から通い始めたわけなんだけど‥‥。今となっては二人とも二十歳に近い良い大人。特に遠坂嬢なんかは高校時代に比べて大人びているらしく、見事に制服が似合っていなかった。

 いや、単純に似合っているかといえば遠坂嬢やルヴィアに似合わない服など品格云々はさておき早々存在しないだろう。だからどちらかというと、身に纏う雰囲気と制服自体の雰囲気というものが一致していないのだ。さしずめコスプレである。

 

 

「というかですね、私としてはハイスクールに通うことよりも、学園でシェロに遭ってしまったことが一番の驚きでしたわ。つい声をかけてしまって‥‥まさか“こちらの世界のシェロ”だったとは‥‥!」

 

「悪かったわね、言っとかなくて。ちょっと、そう、つい“うっかり”忘れちゃってたのよ」

 

『悪意が見え隠れする発言ですねー、凜さん。表の家に住んでいることが分かっていながら何の臆面もなくそう言ってのける辺りタダ者じゃあないですよ、あはー』

 

「アンタは黙ってなさいこの不愉快型魔術礼装!」

 

 

 どこからか聞こえてきた声に遠坂嬢が過敏に反応して左手の人差し指を向ける。どうも彼女はこの愉快犯ステッキが相手になると簡単に激昂する悪い癖があるなぁ。

 

 

「おやめなさいミス・トオサカ! 他人の屋敷の魔術具を破壊するおつもりですの?!」

 

「ぐっ、別に本当に撃とうだなんて思ってないわよ?! ただ、その、やっぱりポーズぐらいはしとかないと嘗められちゃうじゃない?」

 

「それを言うならもう今更というか、手遅れのような気がするけどねぇ‥‥?」

 

 

 基本的に遠坂嬢とルヴィアの間の戦況は拮抗している。衛宮が絡むと遠坂嬢が、お金が絡むとルヴィアがやや優性となるんだけと、この一件ではここにルビーが絡んでくるから始末が悪い。

 なにせルビーが絡むと途端に感情的になる遠坂嬢は冷静なルヴィアに対して常にアドバンテージを与えてしまっているのだ。反面ルヴィアが大人らしく窘めるという構図が出来上がって安定はしてるんだけど。

 だから心配なのは遠坂嬢のストレスがメーターを振り切らないかってことなんだけど‥‥。まぁ俺より遥かに頭の良い彼女のことだ、何とか処理してみせることだろう。

 

 ちなみにルビーの声はしたけれど、彼女はこの場にいない。遠坂嬢が人差し指という名の銃口を向けたのは蓄音機のような形をした魔術具だ。

 本来ならレコードの凹凸を感知して音やリズムを判断する針の先には、レコードではなくて小振りの宝石が据えられている。この宝石と魔力の波長を合わせることでルビーは俺達と通信しているのである。

 ‥‥電話使った方が早いだろとか言うのは無しである。ぶっちゃけ魔術師相手なら普通に電話の方が盗聴の可能性も低いんだけど、こうやって魔術にこだわるのも魔術師の魔術師たる所以なのかもしれない。

 

 

「これも今更かもしれないけど、みんな無事で帰って来てくれて安心したよ。二人なんか血まみれで帰って来て、本当に心配したんだからね?」

 

「う‥‥それはその、申し訳なく思っておりますわ‥‥」

 

「別に怒ってるわけじゃないよ。まさかサーヴァントが同時に二体も出現するなんて思いもしなかったわけだし」

 

 

 昨夜、その前の晩に不覚をとったキャスターを打ち負かさんと意気も揚々と鏡面界へ侵入するルヴィア達を見送った俺と衛宮は、戻って来た四人を見て心臓も止まるかという程に驚愕した。

 なにせルヴィアと遠坂嬢は腹部を中心にその洋服を血で染め上げ、イリヤスフィールは気絶した状態で美遊嬢に抱えられていたのだ。半ばパニックに陥ったとしても非難はできまい。

 正直な話、しっかりと対策を講じることができた以上は彼女達があそこまで苦戦するとは俺も衛宮も思っていなかった。だからこそ自動治癒が働いていたとはいえ満身創痍の姿には非常に動揺させられたのだ。

 ちなみに自分では覚えてないんだけど衛宮や遠坂嬢に言わせると、その時の俺の取り乱し様は尋常ではなかったらしい。‥‥別にいいんだけど、それが話題になる度に生暖かい視線を向けてくるのは勘弁してくれないか?

 

 

「‥‥仕方がないじゃない、あそこまで手酷くやられたって。だって相手は———セイバー(アーサー王)だったのよ?」

 

 

 静かに呟かれた遠坂嬢の言葉に一同そろってだんまりとなる。‥‥そう、なんと———というよりはやはり———出現した剣の騎士のサーヴァントは、俺達のよく知る腹ぺこ王ことアルトリア・ペンドラゴンであったのだ。

 

 

「姿が似てる別人‥‥別モノだって一切容赦せずに私達がフルボッコにしてこのザマよ? ホント、改めて一流の英霊よね、あの娘(セイバー)は」

 

「のろけてる場合じゃないだろ、遠坂。今の問題はセイバーがどれだけ強いかってことじゃない。‥‥サーヴァント七体中五体までもが、第五次聖杯戦争に出て来たサーヴァントだったってことだろ?」

 

 

 珍しくも衛宮が戦略レベルでの話し合いに口を出し、一同またまた揃って沈黙する。

 そう、先程の遠坂嬢に応えての沈黙は知り合いと似た存在を打倒したことによる罪悪感などでは決してない。衛宮の言ったように、この事件と聖杯戦争との関連性について考え込んだがための沈黙だ。

 もはやこの場においては言及する必要もあるまい。英霊を喚び出す触媒云々が何だったにせよ、五体ものサーヴァントが第五次聖杯戦争と共通しているというのは異常事態と称するに些かの躊躇いも要さない。

 

 

「‥‥これで私達の命じられた任務についてはっきりと言及できることがあるわ。このクラスカードは、間違いなく聖杯戦争に関係する何かであるはずよ」

 

 

 英霊召還の儀式に関して最も進んでいるのが、アインツベルン、遠坂、マキリの御三家であることは疑いようはない。そして聖杯の補助もなしに行っているこの術式が、全く別の家や魔術師からぽんと発生したものだとは到底考えられない。

 いや、もしかしたら俺達が気付いていないだけで、このクラスカードこそが聖杯戦争の代行なのだという可能性も有り得る。考えてみれば第五次聖杯戦争の時と主観時間が一致するのだ。

 並行世界同士での時間軸は一致するという話をいつぞやルヴィアだか誰だかに聞いたような覚えがあるんだけど、それでも今回はとてもじゃないけどおれたちの世界とこの世界との時間軸が一致しているとは思えない。

 となると今回の並行世界への転移が通常の転移とはまた違っているということの証明になるわけだけど‥‥。うん、まぁそれは今の状況でそこまで重要なことじゃないかな。

 

 

「遠坂嬢は何か思い当たることはないのかい? 君の家は聖杯戦争を始めた御三家の内の一つだろう?」

 

「無理ね。遠坂の家は究極的にいえば聖杯戦争をするための土地を提供しただけみたいなものよ。細かいところとかで関わってはいるけれど、聖杯戦争の大本に関わる聖杯部分はアインツベルンが、令呪はマキリがそれぞれ担当していたの。遠坂の書庫を漁ってはみたけど、それらしい記述はどこにもなかったわ」

 

 

 苦虫をかみつぶしたかのような複雑な表情をした遠坂嬢が悔しそうに言う。確かに遠坂の家は歴史が浅い割に優秀な魔術師を排出してはいるけれど、どちらかといえば聖杯が関係する第三魔法関連は門外漢と言ってもいい。

 それを証拠に聖杯戦争では第二魔法の技術や宝石魔術を用いた儀式などが一切と言っていいほどに見当たらないのだ。遠坂嬢はアーチャー召喚の際の触媒に血を溶かした宝石を使っていたみたいだけど、それはあくまで補助的なものでしかないし。

 だから彼女が言った通り、遠坂の家が聖杯戦争において担った役割とは土地の提供。自分達が治めていた第一級の霊地である冬木を聖杯戦争の舞台として提供したのが遠坂嬢の先祖の功績である。

 

 

「私達の世界でイリヤスフィールが宿に使っていたアインツベルンの城とかの書庫を漁れば何か情報があるかもしれないけれど、少なくとも向こうに戻るまでは無理ね。こっちの世界でイリヤスフィールがココの目の前で普通の人間として暮らしている以上、あの森にも城がないって考えるのが自然だもの」

 

「なるほどね。マキリ‥‥桜嬢ならまだ何か知ってるかもしれないけれど、どっちみちそれも向こうの世界に戻らなければ無理か。参ったな、重要な手掛かりの糸口が見つけられたかと思ったんだけど、これじゃ八方手詰まりだ」

 

「仕方がありませんわ。情報が少なすぎるのですもの。正直もう私達は十分に頭を働かせました。これ以上は新たな情報が手に入らなければ推論すら進めようがありません。情報がないままに推測を続ければ、それは推論ではなく憶測になってしまいますもの」

 

 

 全員一息ついて紅茶を啜る。こいつを淹れてくれたオーギュスト氏は既に重要な話の空気を察して退室してしまったけれど、絶妙の加減で淹れられた紅茶は不思議と冷めず、おいしい。

 ルヴィアの言葉通り、確かに決して自慢ではなにせよ俺達はずいぶんと頑張った方だと思う。実際問題として俺達が手に入れることができた情報は事件の重大性に反して以上に少なく、それでいながら頭を働かせることでその情報の重要度は何倍にも増幅される。

 とはいってもやっぱり彼女の言葉通り、限界というのも存在する。現に今がその状況で、正直完全に手詰まりといっても決して弱音や何かじゃないだろう。

 

 

「まぁいいわ、士郎も言ってたけど今はクラスカードがどういう存在かって議論をしてる場合じゃない。重要なのは、ほぼ確定的に残りのサーヴァントも第五次聖杯戦争に出てきた英霊の可能性が高いってことよ」

 

 

 遠坂嬢の言葉が追い打ちのように眉をひそめていた俺達へとのしかかる。特に言葉には出さないにしても、俺から第五次聖杯戦争のサーヴァントの真名を全員分聞いてきたルヴィアやバゼットも、遠坂嬢の言葉の意味をほぼ的確に読み取っていた。

 美遊嬢とイリヤスフィールの頑張りで、七体いたサーヴァントも残すところあと二体。‥‥そして同時に、その残る二体が問題なのだ。

 

 

「もし残りのサーヴァントも第五次聖杯戦争と同じ面子だと仮定するなら、あとは佐々木小次郎とヘラクレスよ」

 

「失礼ですが、私この国の伝承には詳しくありませんの。察するところ日本の英霊なのでしょうが、コジロー・ササキとは?」

 

「刃長五尺‥‥自分の身長ぐらいの長い刀を使う侍よ。まぁ美遊とイリヤスフィールならコイツはそこまで面倒な相手じゃないわ。接近戦さえしないで遠距離から攻めていけば勝てないことはない。問題は‥‥ヘラクレスの方よ」

 

 

 ギリシャ神話の大英雄、ヘラクレス。十二の試練を成し遂げ神々の座へと上った彼は、世界で最も有名な英雄の一人であろうことは間違いない。

 そして狂戦士(バーサーカー)のサーヴァントは基本能力を“狂化”によって大幅にステータスアップさせる。元々は霊格の低いサーヴァントを強化する目的で据えられたクラスなのだ。

 ただでさえ知名度が低く成し遂げた偉業も少ない英霊を他の有名な英霊に匹敵する程に強化するクラス。そこにヘラクレスが据えられたら‥‥想像するだに恐ろしい。

 今までの戦闘を鑑みるに、鏡面界に喚び出された英霊は軒並み黒化している。これは能力自体は第五次聖杯戦争の時のサーヴァントより幾分劣化した程度だけど、理性や感情といった個性が失われている状態を指す。

 つまり狂化によるデメリットは他のサーヴァントと同じ。むしろ理性が無い分だけ戦闘能力が落ちている他のサーヴァントに比べてマイナス要素は存在しないと考えてもいいだろう。まったくもって、やっかい極まりない相手なわけだ。

 

 

「もちろんまだ確定できたわけじゃないけどね。それでも想定しておくにこしたことはないわ。アレより最悪な英霊なんてそうそういないだろうし」

 

「確かに、狂ったヘラクレス以上の化け物となるとそれこそ神話級の神々でも持ち出してこないといけませんわね。まったく、本当にこの聖杯戦争という奴はトンデモない代物ですわね」

 

 

 実際問題として今までの英霊との戦闘———俺はその内の二回しか経験してないけれど———から俺達は情けなくも一つの事実を認めざるを得なかった。

 それは即ち、いくら魔術師とはいってもあくまで普通の人間に過ぎない俺達では、とてもじゃないけど英霊を、サーヴァントを打倒することなど出来はしないということだ。

 ‥‥本当なら俺達だって、美遊嬢やイリヤスフィールみたいな年端もいかない子供を戦闘に駆り出すことなんてしたくはない。魔術師は合理主義で利己主義ではあるけれど、個人差はともかく決して生まれながらの冷血漢じゃないからね。

 ましてや相手が狂化したヘラクレスとなれば、先の三戦よりもさらに危険な戦いになることは明白だ。なにせ相性が悪かったキャスター戦と異なり、今回は単純に能力で相手の方が勝っている可能性がある。

 アサシン戦はともかくとして、バーサーカー戦は彼女たちばかりには任せておけない。俺や衛宮、バゼットも参加しての総力戦となることだろう。

 

 

「‥‥ところで蒼崎君、あなたの方では何か結論が出たかしら? サファイアと一緒に鏡面界の下位次元データを解析していたのは貴方とルヴィアゼリッタでしょう?」

 

 

 それぞれが様々に思案へと意識を落とし始めていた空気を一新すべく、勢いよくうつむいていた頭を上げて遠坂嬢が俺の方へと振り返った。

 

 

「うん、脱出に必要な術式は編み終ったよ。あと数回データを採取して穴が空いている個所を補填したら元の世界に帰れるはずだ」

  

 

 彼女の言うとおり、サファイアとルビーが集めた鏡面界の下位次元のデータをまとめ、研究していたのは主に俺とルヴィアである。といっても何故か門外漢である俺がほとんどの研究を担当していた。

 仕方がないのだ。遠坂嬢は諸事情という名の仲違いでルビーと接触できないし、ルヴィアはといえば冬木に来た関係で諸々の手続きその他が山積みで、それに加えて慣れない学校にまで通っている。

 どうも彼女、やっぱりというか何というか学校では遠坂嬢や衛宮と一緒にいろいろとギャル、エロゲ的な騒動を巻き起こしているらしい。いくら価値観とかそういう共通概念に乏しいとはいえ全くもって困ったものだ。

 ちなみに同じく同一人物が高校の方に通っているがために遠坂嬢達と一緒にはいられない衛宮も暇なわけだけど、こちらは魔術師としての基礎能力に欠けているので全く役に立たなかったりする。本当に剣製以外には能がない奴だな。

 

 

『術式自体は非常にシンプルです。私達の本来の機能である、“並行世界の自分からのスキルのダウンロード”を利用し、私達が元いた世界の鏡面界との共通下位次元、即ち二次元空間に接続します。そこから間髪入れずに今度は私達の世界へと穴を開けるのです』

 

『大事なのは私達の元の世界を探し当てられるか、という一点のみに絞られますからねー。これは鏡面界で地道にデータを集めることで解消できますから、データさえ集まれば問題はありませんよ、あはー』

 

 

 蓄音機もどきの通信機から双子ステッキの声がする。一人はいつも通りの静かな声色で、もう一人はどこまでも楽しそうに。

 それはいつも通りの調子ではあったけれど、本当は違う。いや、本当の本当は本当にいつも通りなのかもしれないけれど、俺は主観的にそこへ普段とは違う何かを感じ取った。

 

 

「‥‥ただ、この方法は一番確実で、それでいて一つ大きな問題があるんだよ」

 

「問題? 失敗すると私達が次元の狭間を遊泳する羽目になるとか?」

 

「いや、それは基本的なリスクの内に入ってるんだけどね。‥‥うーん、実はこの方法で元の世界に帰るには、ルビーとサファイアを置き去りにしなきゃいけないんだよ」

 

「‥‥なん、ですって?」

 

 

 ゆっくりと零すように告げた俺の言葉に、最初から結論を知っていたバゼットとルヴィア以外の遠坂嬢と衛宮が蓄音機の方へと勢いよく顔を向ける。

 しかして宝石の共鳴を利用した魔術具から聞こえてきたのは暫しの沈黙。二人が作る珍しい間に今度は全員が怪訝な顔を作った。

 

 

『‥‥ここで重要なのはですねー、凜さん達は二回の転移を行わなければいけないということなんですよ。しかも、その転移をリードする術者、つまり私達はですねー、客観的な立ち位置にいなければいけないんです。私達は先に立って凜さん達を誘導するのではなく、後ろから方向を定めて背中を押してやる役目なわけですよー』

 

『二次元にいられるのは一瞬。そこでもたつけば遠坂様が仰ったように次元の狭間を遊泳する羽目になってしまいます。それを解消するには、私達が二人でほぼ同時に術式を行使しなければなりません』

 

 

 一拍の沈黙の後、先程と同じようにやかましいルビーの声と静かで落ち着いたサファイアの声が部屋に流れる。

 どこはかとなく普段と違うと感じたのは間違いではなかった。特にお調子者としか思えないルビーだって、空気ぐらいはしっかりと読めるらしい。

 

 

「‥‥実際に術を行うのは美遊嬢とイリヤスフィールだよ。それでも彼女達はいわば予め設定されたプログラムのスイッチを押すようなものでね。重要なのはステッキである二人なんだ。‥‥だから、彼女たちにはこちらに残ってもらうことになる」

 

 

 俺も二人の意を汲んで———あるいは出来る限り汲んだつもりになって———真剣な顔で遠坂嬢に話しかける。これは俺達、この並行世界からの脱出を企画したメンバーにとっては規定事項であるのだ。

 これ以外に方法はない。あるとしても確実性に欠ける上に、いつ帰れるかの目処は一切立たないものばかりだ。とすれば、正直な話として一刻も早く自分の世界に戻りたい俺としてはコレ以外の手段をとるつもりはなかった。

 

 

「‥‥はぁ、大師父にはどうやって説明するつもりなのよ? 大事な礼装を並行世界で失くしましたー、なんて、クラスカードを持ち帰れたとしてもプラスマイナス0以下かもしれないわよ?」

 

「仕方がありませんわ。そのときの責任はこの計画の決行を承諾した私が負います。これ以外の手段はないのですから、どうしようもないのですわよ」

 

 

 屹然と胸を張ってルヴィアが遠坂嬢にそう宣言した。まさしく貴族らしい、というよりは男らしい宣言と言えよう。これはいわば一国の国宝を勝手に何処ぞに捨てて来たと言うようなもので、とてもじゃないけど並の神経では口にすることすらできまい。

 

 

「‥‥ルビー、サファイア、貴女たちはそれでいいの?」

 

『私は美遊様をマスターと決めた身です。これ以上主人を替えるつもりはありません』

 

『むふーん、私もイリヤさんと一緒にいた方が何かと面白そうですしねー。なによりサファイアちゃんがこっちに残るって言い張ってますし、私もそっちで構いませんよー。宝石翁にはよろしく言っておいて下さいね、凜さん。あはー』

 

「はぁ、本当に仕方がないわね。‥‥よっしゃ、そういうことなら何とかしましょう! どっちみち元の世界に戻らないことには何も始まらないしね」

 

 

 どこまでも彼女達らしいやりとりを経て、遠坂嬢も深い深い溜息と同時に口の端を上げて頷いた。色々と腹を括ったらしい。

 もしかしたら他の手段があったのかもしれない。いくら魔術回路が開いてしまったとはいえイリヤスフィールは一応は元一般人だし、何より美遊嬢を置いていくという決断をするのに俺とルヴィアとで半日は机を挟んで悩み続けた。

 ‥‥ちなみにこれはまだ美遊嬢には言っていない。俺も、ルヴィアも、拾って一週間も経たない内に彼女と別れることになるとは想像していなかったし、何より不甲斐ない選択をどうしようもなくもどかしく思っている。

 それでもルヴィアはともかく、俺は自分の世界に帰りたいという気持ちをどうしても抑えきれなかったのだ。これ以上、俺と世界とのつながりがない場所にはいられない。そんな切実な悩みがあったのだ。

 ‥‥これも仕方がないことだと弁護する声が俺の内からする一方で、やっぱり明確な裏切りであるこの行為を咎める自責の念も激しく俺を苛んでいる。正直、俺もルヴィアもまだ悩み、迷っているのだ。

 

 

「‥‥とにかく、次回の鏡面界には俺も同行するよ。戦闘は君達に任せて、観測に専念させてもらう。この辺りで時間をかけて詳細なデータを取っておきたいからね」

 

 

 美遊嬢をどうするんだ、と言っていそうな遠坂嬢の視線を躱し、俺はあからさまに明後日の方向を向きながらそう言って紅茶を勢いよく啜った。

 どうしようもない思いが、胸の中でうずまいている。一体俺はどうしたらいいというのだろうか? 一体どの選択肢が正しいのだろうか? そもそも正しい選択肢なんて存在するのだろうか?

 今までの人生は比較的波瀾万丈ではあったけれど、やっぱりこういう思いってのは比較する対象が存在しないな。それこそ悩みっぱなしだった俺だって、悩むこと自体に慣れはしないように。

 

 いつの間にかオーギュスト氏の淹れてくれた紅茶はすっかり冷めてしまっていた。

 ‥‥けれど、それがあんまり美味しくないように感じたのは、きっと俺の心の問題なんだろう。またもや部屋の中を支配した重苦しい沈黙の中で、俺はそう独りごちたのであった。

 

 

 

 62th act Fin.

 

 

 

 

 

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