UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第六十二話 『漂着者の異常』

 

 

 

 

 side Rin

 

 

 

「‥‥ルヴィアゼリッタ」

 

「ミス・トオサカ‥‥。イリヤスフィールの様子はどうですの?」

 

「学校には行ってるみたいね。家にはいなかったわ。そっちこそ、美遊から報告はあったのかしら?」

 

 

 昨夜のアサシン戦を終えて翌日。私とルヴィアゼリッタは嫌々ながらも通っていた穂群原学園高等部の授業を休み、ルヴィアゼリッタが一夜で冬木に作り上げた屋敷へと来ていた。

 残念ながら並行世界の同一人物が目の前の家に住んでいる士郎は休み。遠坂の屋敷で大人しくしてもらっている。下手に動き回って士郎が二人いるとか妙な噂が湧いて出たら困るものね。

 ‥‥これは不思議なことではある。この世界の私とルヴィアゼリッタは倫敦にいるのか蒸発してしまったのかは知らないけど姿が見えない。にも関わらずルヴィアゼリッタが並行世界にいるということに気づかずに呼び寄せた執事やメイドは変わった様子もなく彼女に仕えているのだ。

 つまり、おそらくこの世界の彼女はルヴィアゼリッタがやろうとしていた行動を同じように、彼女と同じようにやろうとしていたということを指すと思う。つまり、おそらくは私を含めたこの世界の二人は、私達と入れ違いで私達の世界、ないしは別の世界へと迷い込んでしまったのではないか?

 

 

「‥‥定時連絡も事務的なものでしたわ。動揺していないはずはないのですが、少なくともパニックに陥っているということではないようですわね」

 

「そう‥‥。はぁ、参ったわね。なんでこう面倒なことが一度に集中して起きるのかしら? イリヤスフィールのこともそうだし———蒼崎君も、ね‥‥」

 

 

 ‥‥昨夜のアサシン戦。万全の準備をしてから臨んだはずのソレは、生半可ではない確実な予想もひっくり返す尋常ではない展開になった。

 侵入した鏡面界に、一向に現れないサーヴァントの姿。次の瞬間、崩れ落ちる蒼崎君。イリヤスフィールが受けた奇襲と、第五次聖杯戦争のサーヴァントではないどころか、軍勢で現れたアサシン。そして‥‥イリヤスフィールの暴走。

 

 昨日、蒼崎君が原因不明の異常を来した後、私達は完全に包囲されてしまった状況を打開しようと一点集中突破を試みた。

 惜しげもなく魔力を込めた宝石を手にし、私とルヴィアゼリッタを戦闘に士郎と美遊とイリヤスフィールが後に続く。宝石魔術は発動が速いから、私達の爆撃を切り口に包囲を切り開くつもりだったのだ。

 ‥‥だけど、そこでもう一つの異常の糸口が現れる。最初にイリヤスフィールの首を襲っていた短剣。当然予想してしかるべきことだったはずだけど、その短剣には毒が塗られていた。

 仕込まれていた毒は致死性のものではなく、ただ体を痺れさせるだけのもの。ただし効果は強力で、影響は体だけじゃなく魔術回路にも現れる。

 魔力の運用を阻害されてしまったイリヤは魔力循環に淀みが生じ、物理保護の維持が不可能に。それこそがアサシン達の狙いだったのだ。‥‥無数の短剣が、無防備になったイリヤ目がけて放たれた。

 

 

「‥‥あれは、いったいどういうことだったのかしらね」

 

「魔力循環がストップしてしまっていた以上、ルビーからイリヤスフィールへの魔力の供給は行われていなかったと考えるのが自然ですわ。となると、あの爆発はイリヤスフィール自身が持っていた魔力で発現されたと見なすのが妥当でしょう」

 

 

 その直後、絶体絶命、王手をかけられた王将の如く詰みの状態だったイリヤスフィールから迸った光の奔流。アーチャーの“壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)”をも遥かに超える圧倒的な破壊力を持った爆発。

 森の一角を完全に焦土と化したその爆発は私達をも巻き込んで、一体一体がまがりなりにもサーヴァントであった五十体を超えるアサシンの軍勢を、一瞬で吹き飛ばしてしまった。

 繰り返すけど、アレはまがりなりにも一体一体が掛け値なしの英霊だ。そりゃ軍勢なんてワケのわかんないものだった以上は他のサーヴァントに比べて能力が劣るかもしれないけど、それでも普通の人間や魔術師では太刀打ちできない存在であることには違いない。

 ‥‥その英霊を五十体以上。一度に倒してしまったのだ、イリヤスフィールは。

 あの爆発は間違いなく宝具クラスの破壊力を持っていた。しかも神秘抜きで。つまり、あれは純粋な魔力の放出。魔力量だけで宝具に匹敵する攻撃を成し遂げたということになる。

 

 十年間魔力を貯め続けた私の宝石で神秘を有さない威力に換算してAクラス。それでも家を一軒吹き飛ばすのが精一杯だ。

 一方、昨夜イリヤスフィールが起こした爆発は半径にして三、四十メートル。ランクに換算すればA+、下手したらA++に達するんじゃないだろうか。もちろん純粋な魔力攻撃だから実際の威力はといえばどうとも言えないのだけれど。

 

 

「ミス・トオサカ、この並行世界の彼女の家は魔術師ではないと仰ったのは貴女でしょう? あれは一体どういうことですの?」

 

「私だってさっぱり分からないわよ。‥‥でも“あの”アインツベルンの家名を持っていて、“あの”イリヤスフィールの名前だったんだから、何かあるっていうことぐらいは予想していたわ。これは別に驚く程のことじゃないわよ」

 

 

 そうだ。いくら並行世界であるといっても、遠坂とエーデルフェルトが魔術師の家だったというのにアインツベルンだけがそうじゃないなんてわけがない。魔術とは連綿と受け継がれていくものなのだ。アインツベルン千年の歴史が蒸発してしまうわけがない。

 あの家の住人を全員調査したけれど、魔術師だったのは一人もいない。だけど魔術師が魔術師を調べられるということが常識であるならば、自らの存在を知られたくないものが対抗策を講じるのもまた常識。

 何かマジックアイテムをつかったり、私でも探知できないような結界を張ってカモフラージュしているという可能性もある。とにかくアノ家に何かあるのは間違いないのだ。

 

 

「しかし当人に自覚がないのもまた同じ、ですわね。昨日の様子だと隠していたということもなさそうですし」

 

「‥‥使い魔に偵察させてみたんだけど、随分と参ってるみたいね。授業中も上の空よ、あの子。しかも後ろの席の美遊からプレッシャーがかかってるし‥‥まったく、子供は悩んでばかりいないで大人に相談すればいいのに」

 

 

 あの爆発の後、すぐに鏡面界から離脱してしまったイリヤスフィールは今に至るまで私達とは顔を合わせていない。学校には普通に行ってるから簡単な使い魔に監視させてはいるけれど、かなり鬱ぎ込んでるところ以外は普段と同じ生活だ。

 ルヴィアゼリッタの言う通り、昨日逃げ帰ったイリヤスフィールの様子から察するに彼女が以前から自分の力、自分の身に秘められた魔力に気づいていたという線は薄い。

 となると彼女について色々と思うところがあるのは私達やイリヤスフィール自身ではなくて、この屋敷の目の前の家に済む、アインツベルンの人々だろう。

 何かしら、イリヤスフィールにも隠している事実があるに違いない。今はここにいない父親、母親が一番怪しいだろうけど、少なくともメイド二人は色々と知っているはずだ。

 とはいえ———

 

 

「‥‥今はたいした問題じゃないわ。いえ、問題といえば確かに問題なんだけど、少なくとも私達が関与することじゃないわね」

 

「そうですわね。今は残り一枚となったクラスカードを回収し、私達の世界へと戻ることが最重要課題ですわ。そのためにも何とかしてイリヤスフィールを説得し、バーサーカー戦に、せめて倒す直前ぐらいには鏡面界にいてもらわないと‥‥」

 

 

 私達が元の世界に戻るためには、二本のカレイドステッキと、それを所持するマスターが必要となる。ゆえにイリヤスフィールには最低限でも私達が鏡面界から元の世界へと戻る時にはそこにいてもらわなくちゃならない。そうじゃなかったら私達は帰れないのだ。

 ‥‥でもまぁ、これも後回しにしましょう。早ければ今夜にでも最後のサーヴァント、バーサーカーが現れる可能性が高いけど、それでも今は他に解決しなきゃならない問題があるわ。

 

 

「‥‥で、ルヴィアゼリッタ。“そっち”の方の様子はどうなの?」

 

「‥‥全く、どうしようもありませんわね。昨日屋敷に帰って来るまでずっとあの調子で私や美遊の呼びかけにも殆ど反応してくれませんでしたし、帰ってきてからは自分の部屋にこもりきりですわ。朝食もとっておりませんの」

 

 

 おおまかに三秒ぐらいは続いた長い長い溜息をついて、ルヴィアゼリッタは私の問いかけに頭を振る。それを聞いた私も、そっくり同じように溜息をついて返してみせた。

 ‥‥そう、これが私達に与えられた目下の大問題。昨日、鏡面界に侵入した直後に異常を来した蒼崎君に、何がどうなったかを問い詰める、ないしは説明してもらうことだ。

 あの時の彼の様子は、一年にも満たない短い付き合いの私達にでも明らかにおかしく見えた。あの焦り方、怯え方は尋常なものじゃなかったもの。

 

 

「ルヴィアゼリッタ、貴女は何かあれの様子について心当たりがある? 蒼崎君じゃなくても、あんな怯え方をするなんてとても普通じゃないもの」

 

「残念ながら、全く心当たりがありませんわ。そもそもショウはああ見えて弱みを他人に知れないように振る舞う人ですし、今までだってあんな風になることはありませんでした。精神が不安定、なんてことも記憶にはありませんわ」

 

「そうなのよ、私から見てもそうなのよね‥‥。いったいどういうことかしら、外的には何か体に攻撃を受けたようには見えなかったから———考えられるとすれば、鏡面界に侵入するときに何か精神に異常があった、ってところかしら?」

 

 

 見た感じ、蒼崎君が鏡面界への侵入によって何かを感じたことは間違いない。そうでなければあのタイミングであの反応をすることに説明がつかないのだ。

 ‥‥そういえば私や士郎も鏡面界に侵入する時には何かしら異常を来したことがあったわね。もっとも士郎が目眩を起こした時は私は何ともなかったし、私の意識が一瞬、ほんの一瞬だけとんだ時にはルヴィアゼリッタは何もなかったって行ってるんだけど。

 もしかしたらソレが何かの糸口になっている? でもそうしたら妙よね。だって最初にアーチャーと戦った時も、ライダーと戦った時も、蒼崎君は異常を訴えたりしなかったわ。どうしてアサシン線の時だけああいう反応をしたのかしら?

 

 

「‥‥一つだけ、心当たりがないこともありませんわ」

 

「本当?!」

 

「えぇ。もっともこれは貴女に話していいことがどうかは分かりませんが‥‥」

 

 

 ぼそりと呟かれた言葉に私が飛びつき、ルヴィアゼリッタは珍しく、というよりはコイツらしくもなく、かなり心苦しそうに言葉を濁らせた。

 なんでもはっきりと口にするコイツにしては本当に珍しい。かなりの逡巡を経て、ルヴィアゼリッタは漸く決心したかのように顔を上げると話を始める。

 

 

「ショウにお姉様が二人、いらっしゃることはご存じですか?」

 

「当然よ。だって蒼崎君は“アノ”蒼崎よ? 封印指定の人形師、蒼崎橙子については時計塔にいれば嫌でも耳に入ってくるし、第五の魔法使いたるマジックガンナー・ミスブルーについては言わずもがな。有名すぎる姉二人じゃない」

 

 

 まるで私やルヴィアゼリッタの腕に刻まれている魔術刻印のように、魔法を自分の家の血脈に伝える特殊な一族である蒼崎家。魔術刻印のように血縁ならば必ず伝えられるというわけではないらしいけど、それでも魔法という規格外の代物を、こともあろうに“伝承”させるというのは極めて珍しい。

 そして今代の蒼崎家の当主が私の言及したマジックガンナー・ミスブルー。何故かフルネームで呼ばれることがない第五の魔法使いには姉がいて、それが封印指定の人形師である蒼崎橙子。

 この二人は色々と魔術協会でやらかしたことがある———というか妹の方は今でも度々やらかしているらしい———らしく、アオザキの名前は時計塔のなかでは忌み名にも等しき扱いを受けている。

 なにより魔法使いってのは世界に四人しかいないからね。そのうちで名前が表に出てきているのが私達の大師父であるシュバインオーグと蒼崎しかない以上、自ずと有名になるのは仕方がないことだ。

 

 

「‥‥実は、ショウは蒼崎の直系ではありません。いえ、蒼崎には傍流も存在しませんからそういう言い方はおかしいですわね。正確に言えば、彼は蒼崎とは何の関係もありませんわ」

 

「は? ちょっとルヴィアゼリッタ、ソレって一体どういうことよ?」

 

 

 秀麗な眉間に皺をつくったルヴィアゼリッタの言葉に、私は自分でも間の抜けたと分かる疑問の声を発した。

 これは結構度々話題に出るんだけど、私達の中では蒼崎君のシスコンぶりは非常に有名だ。何かにつけて『姉が姉が』と口に出す彼は紛れもなくお姉ちゃんっ子なんだろうと私も士郎もセイバーも話している。

 なにしろお姉さん達について口に出す蒼崎君は本当に誇らしげで、嬉しそうで、実際に妹を持っている私からしてみれば思わず嫉妬しちゃうぐらいにお姉さんのことが好きなんだと伝わってくる。あの照れくさそうな笑顔が偽物なんてはずはない。

 

 

「彼は‥‥養子なのです。蒼崎姉妹の義弟なのですわ」

 

「養‥‥子‥‥?」

 

「えぇ。十年余り前に上のお姉様に拾われて、それ以来彼女の義弟として育てられたと話してくれました。‥‥これを知っているのは私と貴女の他に、バゼットやロード・エルメロイ、後は諸事情からミユぐらいですわ。くれぐれも他に漏らしたりなさらないで下さい。理由は、おわかりですわね?」

 

 

 これまた珍しく私に対して真摯な口調で言いつけるルヴィアゼリッタに、私も真剣な顔を作って頷いた。一瞬驚いてフリーズしてしまったけれど、確かにこれは絶対に口外したりしてはならないだろう。

 こういうことを言うと失礼かもしれないけれど、蒼崎君は優秀な魔術師である一方で決して一流の魔術師ではない。天性の才能というものに欠けるのだ。

 魔術の構成は丁寧で精密だけど、逆に言えば丁寧過ぎる。詠唱も長く、効果が発揮するのにも時間がかかる。普通の魔術師ならすっ飛ばしてしまえるところも丁寧に実行しているといえば分かりやすいかもしれない。

 ‥‥その理由が今になって分かった。彼は初代の魔術師だから、家が積み上げたノウハウとか神秘とかを受け継いでいないのだ。

 

 魔術師の家が受け継ぐ神秘の中で最上級のものは———『伝承保菌者(ゴッズ・ホルダー)』であるバゼットは規格外だから除くけど———魔術刻印だ。先祖の研究成果を蓄えたそれは生きた魔導書と呼ばれることもある。

 知ってるとは思うけれど、基本的に魔術とは一子相伝が基本だ。神秘が拡散するから当然のことではあるんだけど、これは決して絶対の法則ではない。

 例えば不慮の事故で魔術刻印を受け継いだ跡継ぎが死んでしまったら? 魔術刻印は持ち主が死んでも別の人間に移植することが出来るけれど、他に魔術師のいない家はそこで終わってしまうのか? とんでもない話だ。そんなことを考えて、結構多くの家は予めバックアップを用意しておく。

 それが例えば第二子であったり、傍流の家からの養子だったりする。彼ら、彼女らは確かに魔術刻印を持ってはいないけれど、それでも家が連綿と受け継いだ特性を魔術回路に秘めている。

 言うならば魔術刻印もそうだけれど、親から、先祖から受け継いだ血もまた第二の魔術刻印といえる。魔術刻印を持っていない純血の魔術師と初代の魔術師にそれでも明確な違いが出る理由がこれだ。

 

 

「なんだかんだで蒼崎君は蒼崎の名前に守られてるものね」

 

「実際に私はミス・ブルーにお会いしたこともありますが、彼女はショウが義弟であろうと実の弟であろうと、彼に害なす者がいれば確実に報復に出るでしょう。ですが———」

 

「そういうことに気がつかないで、調子にのって蒼崎君に手を出す奴もいるってのが残念なところよね。知られないに越したことはないわ。わかってるわよ、これは私一人の胸の中にしまっておくわ」

 

 

 これは士郎にも言わない方が良いわね。アイツ、そういうところはしっかりと黙ってられる人間ではあるんだけど、いかんせん対魔力も低いし結構抜けてるところあるし。ましてや今みたいにそれなりの理由がないならば、こういうのは本人から聞いた方がいい。

 ‥‥うん、私も後で蒼崎君には謝っておこう。

 

 

「ですから、彼があれほどまでに取り乱すとなればそのことが関係しているに違いないのです。おそらく、お姉様方との間に何かの秘密があって、それにまつわる何かを揺さぶられたのかもしれませんわ」

 

「なるほどね。‥‥本当ならこういうのって本人が立ち直るのを待つしかないんだけど、今回ばかりはそううわけにもいかないわ。鏡面界に侵入したことで影響が出たっていうんなら、それは私達にも関係あることだもの。

 蒼崎君には悪いけど、ここは無理にでも説明してもらいましょう。そうじゃなかったらバーサーカー戦で何か起こるかも知れないし。‥‥ルヴィアゼリッタ、蒼崎君の部屋に案内して頂戴」

 

 

 本当なら私も行ったとおり、個人のプライバシーに関係するような出来事には不干渉を貫きたい。たとえば私だって■との関係について悩んでる時に周りからあれこれ言われたら腹が立つもの。

 でもルヴィアゼリッタにも言ったけど、今回の蒼崎君のあの異常は鏡面界への侵入が原因で発生したと考えるのが妥当だ。となると、次の侵入では私達にも影響が出るかもしれないし、それを解析していけばクラスカードや鏡面界に関する重要な情報を得られるかもしれない。

 となれば今は目前の重大な問題について対処するしかないんだから、蒼崎君には多少我慢をしてもらわなければいけないところだろう。たとえこれが原因で彼から嫌われるようにあったとしても、それでも私は自分の世界に戻るために彼から情報を聞き出さなければならないだろう。

 

 

「‥‥ふぅ、いいでしょう。貴女が来るのがもう少し遅ければ私から行かなければと思っていたところですわ。ですが勘違いしないで下さいませ。貴女にだけ泥をかぶせるわけにはまいりませんわ。今回の件については私も彼に対して責任を負わせていただきます」

 

「勝手にしなさいよ。要は蒼崎君からしっかりとした説明をもらえればそれでいいんだから」

 

「だから分かっておりますわ。‥‥彼に与えた部屋はこちらです。ついてきて下さいませ」

 

 

 一夜で建築したとは思えないほどにしっかりした作りの屋敷の中を、この屋敷の主であるルヴィアゼリッタの後について歩いて行く。

 壁も床も調度品も何もかもが超一流のものであることは、遠坂邸とて決して安い造りではないからこそ私にもわかる。まるでロンドンからエーデルフェルト別邸を持ってきたみたいだけど、当然ながらそんなことはないだろう。

 ‥‥今横切った時に会釈されたメイドには心当たりがあるわね。あれ、ロンドンのルヴィアゼリッタの屋敷にもいたメイドだわ。まさかと思うけど屋敷はともかく、使用人は全員連れて来たんじゃないでしょうね?

 

 

「‥‥ここですわ。昨日帰ってきてからショウはこの部屋から一歩たりとも出ておりませんの」

 

「はぁ、なんともまぁ部屋のドアからも陰気な雰囲気撒き散らしちゃって蒼崎君らしくもない。こんな暗いムード漂わせてたら士郎だって気づくわよ」

 

「残念ながら、一般人のはずのメイドも気づいておりますわ。皆、今日はこの部屋を避けて通りたがりますもの」

 

 

 屋敷の二階の長い廊下。その隅っこにある部屋の扉からは、まるで寄らば祟ると言わんばかりに陰鬱な雰囲気が触手を辺りへと伸ばしていた。

 魔術師だからこそこういう雰囲気に敏感だってことはあるんだけど、それでもここまでに鬱屈した感情を辺りに振り撒くなんて並大抵の落ち込み具合じゃないわ。っていうかコレもう落ち込んでるってレベルじゃない。下手したら自殺するぐらいの暗さよ?

 

 

「扉の鍵は‥‥開いてるわね」

 

「‥‥珍しいですわね。彼は鍵周りを疎かにしない几帳面な性格なのですが」

 

「それぐらい余裕がないってことでしょ。こりゃ一刻の猶予もならないわ。———蒼崎君、私よ。悪いけど入るわね!」

 

 

 ドアノブに手をかけ、機械的な鍵も魔術的な施錠もされていないことを確認し、ルヴィアゼリッタと共に蒼崎君の精神状況がもはや尋常ではないほどに余裕がない緊迫したものであると確認すると、私は有無を言わせずドアノブを握った手に力を込めると一気にドアを開け放った。

 

 

「———ってうわ?! なによコレは?!」

 

「煙‥‥ッ?! ちょっとショウ、これは一体どういうことですの! 窓! 窓をお開けなさい!」

 

 

 部屋に入った私達を最初に出迎えたのはプライベートに入りこまれたことを怒る蒼崎君の声でも目でもなく、一面に質量を持つかという程に立ち込めたタバコの煙だった。

 あまりの濃さに、目をつむっても顔にかかる煙を感じることが出来る。とっさに鼻と口で息を止めたけど、それでも嗅ぎ取れた匂いはとても形容しがたいぐらいに色々なものが混ざったカオスなものだ。

 幸運なのか不幸なのか私は今まで数える程しか煙に触れたことがなかったから、目をつむって口をつぐんでも尚、盛大に咽せ込んで涙を流してしまった。

 

 

「‥‥ん? あぁゴメン二人共、煙草吸わない人にはちょっとキツイかな?」

 

「ちょっとじゃないわよ! こんなの十人で同時に煙草吹かしたってなる状況じゃないわよ?!」

 

 

 ゲホンゲホンと恥も外聞もなく咳き込みながら怒鳴りつけると、いつもと同じような苦笑を浮かべた蒼崎君は部屋の窓を開け放つ。

 窓を開けた瞬間、部屋の中を真っ白に、どちらかといえば灰色に染めていた質量を持った煙は、まるで蒼崎君の発していた陰鬱な雰囲気から逃げるかのように、一目散に部屋から外へと出て行った。

 ‥‥そう、一見していつも通りに見える蒼崎君だけど、その実、放つ雰囲気は先程扉の外で感じたものとまるっきり同じ。笑顔でいながらズッシリとこちらにまで重みが感じられるような暗いオーラを放ち、撒き散らしている。

 ここまで来ると逆に悲愴感すら滲み出ている。とてもじゃないけど見ていられない。私はルヴィアゼリッタと軽く目配せして、事態の深刻さを再確認した。

 

 

「蒼崎君、大丈夫なの?」

 

「大丈夫だよ、遠坂嬢。昨日は随分と取り乱してしまったけど、今は大分落ち着いた。ルヴィアも、心配かけて悪かった」

 

「貴女の調子が戻るならいくらでも心配してさしあげますわ。‥‥とにかく、一先ず落ち着いたようで何よりですわ。朝食を摂っていませんからお腹もお空きでしょう? オーギュストに言って紅茶と軽食を持って来させますわね」

 

 

 一体どうやって仕舞っていたのか、胸元からベルを取り出したルヴィアがそれを鳴らして執事のオーギュストさんを呼ぶ。

 これまたどうやって聞きつけたのか、ベルが鳴ってから十秒と経たない内にやってきた彼はルヴィアゼリッタの言いつけを聞くと、考えられないことに数分で紅茶とサンドイッチの用意をして戻ってきた。

 ‥‥あまり現実味のないことは言いたくないけど、ホントに手品みたいなのよねこの人達ってば。多分、普通に考えたら予め言いつけを予想して準備しておいたんだろうけど。

 

 

「あぁ美味しい。やっぱりオーギュスト氏の淹れる紅茶は五臓六腑に染み渡るなぁ」

 

「あれだけ煙草を吹かしてらっしゃったんですから内臓がくまなく荒れてしまうのも当然でしょう。自分の体なんですから、きちんと自愛なさって下さいな。いつの間にか肺ガンで死んでいたなんて洒落になりませんわよ?」

 

「ハハ、分かってるよルヴィア。そもそも俺だって普段からこんなに吸ってるわけじゃないからね。‥‥今日は特別さ」

 

 

 少なくとも私の知る限りでは、それがトレードマークになってしまうほどに蒼崎君は煙草を吸っているっていうわけじゃない。

 私が見たことあるのはドイツに死徒退治に行った時とか、教授から難しい課題を出された時に三人で意見を交換している最中に一人だけ気分転換に窓辺へ行った時とかだけだ。

 そもそも煙草の煙っていうのは慣れていない人にとっては害悪以外の何物でもないから、気配りの上手な蒼崎君が私達の前で吸うなんてデリカシーのない真似をすることはそうそうない。

 だからこそルヴィアゼリッタが書類などを整理する勉強机のような台の上に灰皿に山盛りにされた吸い殻を見て顔をしかめてみせたように、今の蒼崎君の状態は周囲の状況から見ても普通ではなかった。

 

 

「‥‥歓談するのもいいけど、時間がないから本題に入らせて貰うわ。蒼崎君、貴方のことなんだから私達がわざわざ貴方の部屋にまで来た理由、分かってるわよね?」

 

「あぁ、そろそろ来る頃だろうとは思ってたよ。大丈夫、気持ちは静めたし考えもまとめてある。君達にはしっかりと説明しなきゃいけないだろうからね」

 

 

 小さな二人がけのソファに腰掛けた私達二人を見て、蒼崎君は隈の浮いた疲れ果てた顔を何とか気力で引き締めてみせる。幸い、そのぐらいの気力は残っているらしい。

 それでも椅子に座るような落ち着きまでは残すことができなかったらしく窓際の周辺をフラフラと頼りなげに彷徨っているけど、今度は火の点いていない煙草を咥えると、わざわざ吹かすような真似までしてみせた後にゆっくりと口を開いた。

 

 

「まず最初に謝らせて欲しい。大事な局面だったっていうのに、昨夜はあんなに取り乱してすまなかった」

 

「いいですわよそんなこと。結果的に何とかサーヴァントは撃退できて、こちらの被害も少なかったのですからね。それよりも今は———」

 

「うん、分かってる。あの時俺に何があったのか、だろう? ‥‥ちょっと事情があって詳しく話せない部分もあるんだけど、これは魔術師としてしっかりと考察した結果だから君達も落ち着いて聞いて欲しい」

 

 

 よくよく注意して見てみれば、作業机の上には灰皿の他にも一夜の内に書き上げたと思しき大量の書類が撒き散らされていた。

 どれもびっしりと文字や図形が書き込んであるけど、混乱した精神状況で執筆したものだからか乱雑で、一見では内容まで把握することはできない。

 どちらかといえば究極的には魔術師としての感性を信用して術式を組み立てる私達と異なり、蒼崎君は微に入り細を穿ち理論的に術式を順序立てて組み上げて行く魔術師だ。正直、ああいう細かくて気の長い考察っていうのは私には無理だ。

 思うにあれこそが魔術師の本来あるべき形の一つよね。神秘を扱う者である以上は感性で神秘を捉えることが最も大事なのは言うに及ばないけど、それでも学者である以上は地道に理論で感性を補完していかなきゃいけないもの。

 その分だけ相応の局面での咄嗟の実践性は劣ってしまうかもしれないけれど、本来なら魔術師が実践を行うのは成果を確かめる実験でだけだ。戦闘なんて論外。そう考えると実践性が低いのは別に間違いじゃない。要は失敗しなきゃいいのよ、失敗しなきゃ。

 

 

「‥‥あの時、いや、多分今までも誰も気がついていなかったんだと思うんだけど、俺は鏡面界に侵入するときに一つの事実に気がついたんだ」

 

「事実?」

 

「一度も不思議に思わなかったのかい、遠坂嬢? 冬木で行われる第一級の儀式である聖杯戦争にも英霊を召還するために触媒が必要なのに、クラスカードから発生した鏡面界に喚び出されたサーヴァント達は、何を触媒にしてるんだろうって」

 

 

 英霊の召還には触媒が必要だ。これは英霊にも限らず、死者の霊を呼び覚ますとかのウィッチクラフトにだって共通して存在する概念だ。

 例えば英霊が使っていた武器や装飾品、もしくは密接に関係する場所そのもの。触媒の関連性によって英霊を喚び出せる確率は大いに変動する。

 

 ‥‥不思議に思わなかっただなんてトンデモない。私だって、今回の一件について生じた疑問はそれこそ両手の指を使っても数え切れないぐらいなのだ。

 触媒は何を使っているのか? 鏡面界はどうやって次元の狭間なんてところに発生しているのか? そもそもクラスカードなんて代物は一体どこから湧いて出て来たのか?

 この事件については情報があまりにも少なすぎる。それが対処療法しかとることが出来ない私達の行動の遅さに繋がって、結果的にセイバーやキャスター、アサシン相手の不覚を呼んだりしたのである。

 

 しかし、それにしても触媒ねぇ。アーチャーを召還する時にも触媒を用意しなかった私が言うのも何だけど、全くもって検討もつかないわ。

 そもそも英霊が召還されるのってクラスカードが作り上げた鏡面界の中でしょう? それが私達による侵入の前なのか後なのかっていうのは結構まちまちだと思うんだけど、どっちにしても鏡面界の中に触媒にんるものがなきゃいけないってことよね?

 私達は当然ながらそんなものを見つけることが出来なかったから、そういった物品が転がっているわけはない。‥‥だとしたら、考えられるのは———場所? 聖杯戦争が行われた場所そのものっていうこと?

 

 

「それは違うよ遠坂嬢。だとしたらあのアインツベルンの森にはバーサーカー(ヘラクレス)が召還されていなければおかしい。そうでなければ完全にランダムで英霊が召還されることになるからね。クラスカードで制限するとしても、ちょっとした博打だよ、それは」

 

「ちょ、ちょっと待って蒼崎君! 貴方どうして第五次聖杯戦争について、そんなに詳しいの‥‥?!」

 

 

 何でもないことのように言い放たれた言葉だけど、それは私にとってみれば大きな問題だった。

 確かに第五次聖杯戦争においてアインツベルンがバーサーカーのサーヴァントを召還したっていうのは協会に提出した書類にも書かれている事務事項だ。けど、今の蒼崎君の言葉の調子からはそんな簡単なニュアンスだけが含まれているようには感じられない。

 何か、知っているんだ。だってそもそも私は、あそこが私達の世界では“アインツベルンの居城がある森だ”なんて言ったことはないんだもの。

 

 

「そんなの今は大した問題じゃない。話を進めるよ」

 

「ちょっと蒼崎君?!」

 

「———いいかい二人とも、英霊を召還するための触媒は確かにあったんだ。物品でもなく、場所でもない。当然ながら血脈なんて不確かなものでもない」

 

 

 気配りの利く好青年であるはずの蒼崎君は、私の問いかけを本当にどうでもいいことであるかのように冷たくあしらうと話を続けた。

 確かにそれは間違っていない。蒼崎君の言いたいこともわかるわよ。彼の言ってることが間違いじゃない以上は私も当面の問題に集中する必要がある。私だってそう結論を出して彼から昨夜の件について話を聞くことを決めたんだしね。

 ‥‥だとしても、あそこまで冷たく返されるとは思わなかった。結構、ショックだわ。

 不満げな顔を作ってみせながらも気持ちを切り替えて蒼崎君の話に耳を傾けながら、私は心の隅でそう思った。

 

 

「触媒があったのはココ‥‥俺達の、頭の中だ」

 

「頭の中、ですの‥‥? ———まさか?!」

 

 

 驚きの言葉を発したのはルヴィアゼリッタだったけれど、同時に私も、おそらくは同じ結論へと辿り着いた。

 まさか、そんな、という信じられない思いが蒼崎君の指す自分の頭の中を駆けめぐる。その一方で、この理屈が決して絵空事なんかじゃないことも魔術師として納得できる。

 まだ口に出していない私の驚きを代弁するかのように、蒼崎君はゆっくりと口を開いた。

 

 

「そう。クラスカードによる召還の触媒になっていたのは‥‥俺達の、記憶なんだ」

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「‥‥蒼崎とう———?!」

 

「おっとそこまでー。君なら分かってると思うけど、私達ってフルネームで名前呼ばれるの好きじゃないのよー。痛いのが嫌いだったらその先は口にしないこと」

 

 

 ムグ、と俺の口から逃げ損なった空気が暴れる音がして、気がついたら俺は茶色い長髪の女の人に口を手でふさがれていた。

 ニコニコと笑っているようで目は真剣。俺が今まさに口にしようとしていた言葉を発していたら間違いなく言葉にするに憚られるアレコレがなされていたことだろう。

 そのちょっと後ろで腕を組んでコーヒーカップを片手に持っている、赤に近い橙色の髪をポニーテールにした女性についても同様で、ニヤニヤしていても目はマジだ。気がつかない内に随分と危険な橋を渡ろうとしていたらしい。

 

 

「こら、いくら私でも初対面の人間をいきなりブチ殺すようなことはしないぞ。人を物騒な人間に仕立て上げるんじゃない」

 

「えー、姉貴ならやりかねないと思ったんだけどなー」

 

「だから私を誰だと、というより何だと思ってるんだ? いつまでも巫山戯ていると本当にその良く回る口をジッパーに替えてやるぞ?」

 

「ちょっと、そんなことしたら『お口にチャック』を実践する羽目になっちゃうじゃない」

 

「別に構わんだろう。子供好きなお前のことだ、子供を懐かせる良い小道具になるだろう」

 

 

 笑い合い、続いて皮肉を言い合う二人の前で、俺は相も変わらず台の上に乗せられたまま。ちょうど視点は二人の胸ぐらいの高さにあって、足は地面に着いていない。

 二人の身長だけが大きいのかと思ったけど、どうやら台までもが通常サイズじゃないらしい。まだ動かしづらい体に鞭打って少し足を揺らしてみたら空気を蹴ってしまい、どうにも怪我の影響なのか体のバランスが悪く、またもや台から転がり落ちかけた。

 

 さっきは言葉に出すことが出来なかったし今も明確に思い出すことはできないけど、俺は自分がどんな状況に置かれていたのかを大体感じ取ることは出来るようになってきている。

 何が原因かまでは記憶が云々以前の問題として分からないけれど、それでもアノ事故は俺がここまでの大怪我を負うぐらいの大事故へと結果的に発展していたらしい。

 まぁ記憶の表層に浮かんでいる感情から受ける事故の印象を鑑みるに、あれぐらいの事故で死ななかった方がおかしいだろう。今も言ったけど、事故とかの明確な記憶は思い出せないのに恐怖とか動揺とかの感情は残っているから、そういう印象だけは理解できるのだ。

 

 

「さて、そういうわけで君」

 

「は、はい!」

 

 

 二人の内、どちらかといえば人当たりの良さそうな長髪の方のお姉さんが一通り口論が終わって気が済んだのか、俺の方に振り返って近づいてきた。

 微妙に腰を屈めないと俺と視線を合わすことが出来ないのは男として情けない話なんだけど、鼻と鼻が触れ合うかってぐらい近くに美女の顔を拝めるのは悪い気はしない。

 まるで空と海を合わせたかのような青い瞳は好奇心で彩られてキラキラ輝いている。細められた瞳にまるで射貫かれたように、俺は喉が痛むのも構わず反射的に返事を返していた。

 

 

「自分の置かれた状況、理解出来る?」

 

「‥‥‥」

 

 

 蒼崎橙子と蒼崎青子。

 二人が名乗った名前であり、俺も初めて聞く名前じゃない。蒼崎なんて名字は非常に珍しいものだとは思うんだけど、幸いなのか不幸なのか、俺は以前にこの名字に触れたことがあった。

 とある小説とゲームの登場人物にそっくりそのまま同じ名前のキャラクターがいるのだ。片や封印指定という称号のようなものを授かった人形師(まじゅつし)で、片や世界に五人しかいないとされている青の魔法使い。

 一人の人間———とは限らないけれど———が作り出した創作物の中の、現実には存在しないキャラクター。確かに二人の姿はそのキャラクターが三次元に飛び出してきたらこんな人なんだろうなぁと思うぐらいに似ていたけど、それでも創作物と現実の人間を結びつける程に俺はおかしくないつもりだ。

 だというのに、何故か俺は自然と二人と二人を結びつけてしまっていた。まるで自分がお伽噺‥‥その小説やゲームの世界へと入り込んでしまったかのように。

 

 

「‥‥あの、俺を助けてくれたのはお二人ですか? ありがとうございます、手当までして下さって、助かりました」

 

「あぁ気にしないで、どうせ治療したのは姉貴だから———って違う違う! そういうことじゃなくて、今まさに君が置かれている状況についての話よ」

 

「え? だから、何故かは知らないけど怪我していた俺をお二人が助けてくれたっていうことじゃないんですか?」

 

 

 あぁ、馬鹿馬鹿しい。俺は頭の片隅に浮かんだ、中学生が寝る前の暇つぶしとして妄想するような恥ずかしい仮定をすぐさま否定して、現実的に青子さんの質問に答えた。

 ■■からの■■■に■っ■■■はずの俺がどうしてこんなところで転がっているのかは分からないけれど、とにかくアノ事故に巻き込まれた俺は当然の結果として大怪我を負い、これまたどういう経緯でそうなったのかは分からないけれど目の前の二人に助けて貰ったらしい。

 だとしたらお礼を言うのは当然だと思うんだけど、一体どうして青子さんと、ついでに橙子さんまで苦笑しているのだろうか?

 

 

「えーとね、君、私と姉貴の名前聞いた?」

 

「あ、はい。蒼崎と‥‥っと、そうじゃなくて、とにかく橙子さんと青子さんで構わないんですよね?」

 

「そうよ。で、その名前聞いて何も思わないわけ?」

 

「何もって‥‥変わった名前ですね、とか‥‥?」

 

 

 さっきまでのやりとりのせいかどこはかとなくビクビクとしてしまっている俺の返事に、二人は顔を見合わせて今度は困ったように眉を顰めてみせる。

 どうやら先程と同様、俺の答えは二人が予想していたものと違うらしい。ごく一般的なものだとは思っていたんだけど、もしかしたらかなり高度なやりとりを期待されているのだろうか。

 ‥‥あ、それとも、もしかすると二人ともアノ小説やゲームを知っていたりするのかな? もしかして俺って、からかわれてる? だとしたら二人ともすっごく性格が悪いぞ。

 

 

「‥‥姉貴どうしよう、意外とこの子まともな性格してるわ」

 

「お前が勿体つけるのがいけないんだろうが。こういうのはな、ストレートに伝えたいことを事実として伝えればいいんだ。お前はひねりすぎだよ、青子」

 

「えー。だってこういうのってそれこそ漫画とか小説とか映画みたいでカッコイイじゃない? ちょっとは遊んでみたくなったっていいじゃないのよ!」

 

 

 目の前でまたも行われる口論、というよりは姉妹によるじゃれ合い? とにかくこの二人にとってはこのやりとりがデフォなんだろうか。正直、そろそろ慣れてきた。

 怪我人で、しかも質問されている当人であるはずの俺が完全に無視されてしまっているのもデフォなのか。どちらにしてもあまり長い間喋っていると傷に響くので好都合といえば好都合である。

 さっきから色々と大変で忘れがちではあるけど、傷の痛みは最初に目覚めたときから全く変わらず俺を苦しめている。こればっかりは早々なくなるものじゃないから仕方がない。

 というか今まで首を動かすのが辛くて自分の体の状態を確認できてないんだけど、一体どれくらいの怪我をしているんだろうか?

 全身くまなく、ホントに痛いところなんかない。おそらく動かしづらいことの一助を担っているのは全身に巻かれているだろう包帯なんだろうけど、だとしたら今の俺ってまるきりミイラ男になっているんだろう。

 相当にシュールな光景なんじゃないだろうか、今の状態を外から見たら。大の男がミイラ男で、その前で二人の美人姉妹が口げんかしてるんだから。

 

 

「‥‥おいお前、本当は分かってるんじゃないのか? 今の状況が、異常だってことぐらいは」

 

「異常って‥‥そりゃ、なんで俺がこんなところにいるのか、とか?」

 

「そうだ。そしてなにより、実際に同じ名前を持ち、ここまでに、“声までそっくり”似通っている人間が現実に存在すると思うのか? 一流のコスプレイヤーじゃあるまいし、行きずりの人間がお前一人のためにこんな悪趣味な悪戯をしかけたりすると思うのか?」

 

 

 ‥‥何が常識的なのか、何が普通なのか。そんな概念があやふやになってきた。

 確かに橙子を名乗るお姉さんの言うこともまた真実だ。確かにからかわれてる、と思いはしたけれど、常識的に考えれば俺をからかうっていうのはかなり不自然なことだろう。というか怪我人つかまえてこんなことする奴は神経を疑う。

 では何が真実なんだろうか? 確かに気づいてみれば二人の声は、ゲームや映画で耳にしたことがある“アノ”声にそっくりだ。服装や容姿も、最初の印象に違わずそっくり同じ。

 ‥‥まるで二次元の中の登場人物が三次元へと出てきたような違和感。いや、違和感といっても二人から生じている違和感じゃない。俺の認識と“現実”が食い違っている。

 

 “現実”‥‥? 嘘だ、まさか、でも有り得ないことだ! しかし俺は今、それを“現実”だと認識してしまった。目の前の橙子さんの瞳は本人の言動に反して悪戯っぽい光を湛えているけれど、それでもコレが現実だと俺に断言しているようだった。

 言葉を尽くしても伝わらない思いはあるのに、どうして言葉も無しに他人へ思いを伝えることができようか?

 アニメやゲームの中で『背中で語る』『目で語る』と言われるような描写が大好きだった俺は、それでも言葉無しでは何も伝わらないというのが持論だった。

 でもそれは、今この瞬間にはっきりと明確な形で裏切られることになる。橙子さんの瞳は、本当に俺へ語りかけていた、いや、言い聞かせていたのだ。‥‥これが、現実であると。

 

 

「そうだ、お前が最初に思い浮かべたであろう絵空事、それこそが今この場所、この時間での真実に他ならん。

 だいたいな、現実は小説より奇なりという言葉もあるだろう? 私は今さっき自分自身でその言葉を否定したばかりだが、お前程度の想像力で夢想できる要素なぞ容易に現実を浸食する。‥‥自覚しろ、これは現実だよ。

 まぁ良かったじゃないか。お前もこういう妄想が具現したかのような出来事には興味があったろう?」

 

 

 誓っていうけど、そんなことはない。

 俺は確かにアニメとかゲームが好きではあるけれど、それでもごくごく一般的な男子高校生だ。友達はかなりディープにソッチの世界にはまってはいるけれど、幸いにして俺にまで感染してはいない。俺は日常生活の延長線上の趣味の一つとしてゲームを嗜むだけだ。

 

 でも、結局のところ橙子さんの言葉の真実性は変わらない。変わらず、俺を追い詰めていく。

 頭の中に広がる夢想が現実を浸食する。いや、最初から現実はそこにあって、俺の妄想した絵空事が現実と一致しただけなのだ。

 

 

「改めて自己紹介させてもらおうか。私は蒼崎橙子。“封印指定の人形師”さ」

 

「私は蒼崎青子。“マジックガンナー・ミスブルー”って呼ばれてるわね。まぁよろしく」

 

 

 現実とは、非情なまでに現実だ。究極的に言えば、目の前にあるものは全て現実である。

 だからこそ、小説やアニメやゲーム、決して現実を浸食しないはずの二次元の創作物の登場人物であった二人であろうと、目の前に確かに存在するからこそ現実なのだ。

 ニヤリと笑う橙子さんとニコニコ楽しげな青子さん。二人の笑顔にクラリと頭が傾きかけるのを感じた。決してヤラレてしまったわけではなく、俺の現実感こそが傾き欠けたのである。

 

 

「おいこら、しっかりしろ。現実を直視するのは辛いだろうが、ここで倒れられてはせっかく助けてやった意味がなくなる。せめて恩返しぐらいはしてもらいたいものだ」

 

「ちょっと姉貴、少しぐらい休ませてあげなさいよ。一通り治療はしたっていっても起きたばっかよ? まだ体力が戻ってないわ。ましてやこんな子供に———」

 

 

 辛辣で“いかにもらしい”橙子さんに反論する青子さんの言葉に、俺は特大の疑問符を浮かると無理をして首をひねった。

 子供‥‥。確かに俺は二人よりは———実年齢は知らないし、とてもじゃないけど恐ろしくて聞けないけれど———多少若いかも知れないけれど、いくら何でも子供ってぐらい年下じゃないと思うわけですよ。

 まぁこの二人からしてみれば子供かもしれない。何の修羅場を超えたこともなく、ただただ平穏に過ごしてきた平々凡々な一般人の男子高校生。魔術師と魔法使いからしてみればそんじょそこらにいるパンピーだ。

 

 

「ハッ、こいつは傑作だ! おい青子、どうやらコイツは自分の状態に気づいていないらしいぞ?」

 

「‥‥マジ?」

 

「マジもマジ、大マジだ。まったく、確かに事故の衝撃と怪我の酷さで混乱してはいるんだろうが、先程のやりとりも含めて笑いぐさ以外の何物でもないな。

 なるほど、一般常識に縛られた人間はあくまで一般常識の範囲内でしか自分の周囲の事象を認識できないというわけか。これは良い勉強になった、礼を言わせてもらおう」

 

 

 皮肉げな橙子さんの言葉に少しムッとする。確かに俺は二人に比べて若輩者で、戦闘とかもしたことがない弱い存在かもしれない。それでも別に途中で不良の道に走ったりせず、多少アニメとかが好きにしても勉強をしっかりとこなして人生をまっとうに歩んできた一人の男だ。

 いくら稀代の人形師である蒼崎橙子にしたって、初対面の立派な成熟した精神を持つ人間を相手にのっけから馬鹿にしてかかるというのはいかなるものだろうか。

 

 

「‥‥馬鹿にしてるんですか? 助けてもらった人にこういうこと言うのは礼を逸することだってのは分かってますけど、そういう言われ方は不愉快です」

 

「ハハ、いやすまんすまん。別に馬鹿にしてるわけではないのだが、しかし今の自分の状況を理解できていない者にそういうことを言われてもなぁ‥‥?」

 

「だから、どういうことですかっ!」

 

「まぁ今更勿体ぶっても仕方がない、か。‥‥なぁおい、よーく注意して自分の体を見てみたらどうだ?」

 

 

 苛々が高まって堪えきれず、出来る限り失礼にならないように丁寧な言い方で抗議しても橙子さんは面白そうに喉を鳴らして笑うだけ。

 その仕草に苛々が更に高まり、ついには痛む体を無視して少しばかり大きな声を出してみた。橙子さんはそれを見てまたもや意地悪そうなニヤリとした笑いを浮かべると、さっきの青子さんと同じぐらい顔を近づけてそう言った。

 ‥‥青子さんに負けず劣らず、どちらかといえば大人の色気をたたえた美顔を近づけられると、煙草の香りの中にも女の人の気持ちの良い匂いが漂っている。怒っていたはずなのに自然と顔が赤く鳴ったのも仕方がないことだろう。

 そんな自分の無様な赤面を知られたくなくて、俺は渋々ながらも橙子さんの言葉の通りに痛む首に無理をさせて自分の体を見回し———

 

 

「———って、なんじゃこりゃぁぁああ?!!」

 

 

 一回り、いや、三回りは小さくなってしまっただろう自分の短い手足と胴を発見し、激痛が体中に走るぐらい反動が出るぐらいの大声が、雑多にガラクタが散らばった部屋の中に響いたのであった。

 

 

 

 63th act Fin.

 

 

 

 




本当なら最後まで説明できる予定だったんですが、予想以上に文字数が多くなってしまったので泣く泣く一旦区切ることにしました。申し訳ない‥‥!
次話でしっかりと説明をしていきたいと思います。
ちなみに急遽導入が決まったために過去話は中々に大変だったそうです当時の私は。上手く仕上がっていればいいのですが‥‥。

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