UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第六十三話 『鏡面界の真実』

 

 

 

 

 side Rin

 

 

 

「‥‥記憶、ですって?」

 

「そう、記憶だ。クラスカードによって形成された鏡面界に英霊を召還するための触媒には、俺達の記憶が使われているんだ」

 

 

 窓を開けて暫く経ったにも関わらず、部屋の中は薄く煙が立ち込めている。流石に灰皿におかれたたばこはすべて火が消されているけれど、そも存在しているだけであたりが煙臭くなってしまうぐらいの量が小さな灰皿の中に溜まっている。

 そんな煙をバックに薄く隈が浮いた顔を苦々しげに歪めて、蒼崎君は一晩中考えていたのだろう結論から私達へと話しかけた。

 どちらかといえばもって回った言い方、抽象的で回りくどい例から持ってきて最後に勿体つけて結論を告げるような傾向のある蒼崎君にしては珍しく、非常に直球な話し方だ。

 しかし今回ばかりは逆効果。結論だけでは何が何やらさっぱり分からない。やっぱりどうにも、彼は普段では考えられないぐらいに動揺しているらしい。 

 私の隣にいるルヴィアゼリッタも、その蒼崎君の態度に難しい顔をしている。‥‥いえ、あれはおそらく、蒼崎君の話の内容にも反応してるわね。

 

 

「アーチャーが消える寸前に言っていただろう? 『第五次聖杯戦争から記憶が連続している』って。あれは、英霊の座にいる“英霊エミヤ”を召還したのなら考えられない話だ。

 英霊の座に残っているのは記憶じゃなくて記録だ。そして、英霊の座では時間軸なんてものはないから、そもそも記憶や記録に、連続も不連続もないんだよ。

 だから未来の英霊であるアーチャーを俺達が召喚できるんだし、英霊の座にいるエミヤ自身は不可変だ。英霊の座自体が並行世界からも独立しているから、俺達の世界の衛宮がどんな死に方をしたとしても英霊の座にいるエミヤ自身が救われることもない‥‥」

 

「‥‥今、ちょっと聞き過ごせない単語が出てきたような気がしますが」

 

「頼むから聞き逃してちょうだいルヴィアゼリッタ。私だってさっきから色々と質問したくて仕方がないのに我慢しているのよ?」

 

「ですがミス・トオサカ‥‥!」

 

「黙っててちょうだい! 貴女だって分かってるでしょう、今の蒼崎君をむやみやたらに刺激しちゃダメ。当然だけど、今は私だって話すつもりはないからね?」

 

 

 こともあろうにアーチャーの死に様に関わるようなセリフまでさらりと口にした蒼崎君にルヴィアゼリッタがおそるおそる反応しかけるけど、今の状態の蒼崎君に話しかけるまでにはいたらなかったのか私の方に同意を求めてくる。

 ‥‥もう、多分ルヴィアゼリッタにもわかっちゃってるんじゃないだろうか。士郎のアノ性格から察するに、これからアイツがどうやって生きていくことぐらい。それでも今、私の口から明言してやるわけにはいかない。

 というかね、彼女にも言ったんだけど私だって蒼崎君を散々問い詰めたい気分で一杯なのよ。どうしてその私がわざわざルヴィアゼリッタに懇切丁寧説明してやらなきゃいけない理由があるわけ?

 

 

「つまり鏡面界に召還されたのは“英霊エミヤ”じゃない。“第五次聖杯戦争に出場したアーチャーのサーヴァント”が召還されたんだ」

 

「‥‥だから、貴方がどうしてアーチャーについて詳しすぎるのかはさておいて、発言には注意して欲しいんだけど。ま、いいわ」

 

 

 蒼崎君の話は理解できる。英霊の召還に必要な触媒によって召還されたのが、英霊の座にいる英霊ではなかったという話だろう。

 いや、こういう言い方では正確性に欠けるか。正確に言えば、英霊の座の中でも第五次聖杯戦争に参加した英霊エミヤの分体を召還したと言うべきだ。

 

 英霊が召還された時に、英霊の座にいる英霊本体が直接召還者のところへと来ているわけではないのは、聖杯戦争や召喚術について知識のある者ならば当然知っていることだと思う。

 私達が召喚するのは本体ではなく、召喚に答えて英霊が作り上げたコピー、分身だ。サーヴァントが召喚されている間にも英霊の座には変わらず英霊がいて、例えば同じ英霊を各地で同時に召喚したりすることもできる。

 もっとも、それらの英霊に同期性はない。あくまで英霊の座にいる本体が作り出したコピーに過ぎないんだから、各々は独立して存在しているのだ。

 そして召喚が終わったサーヴァント———召喚された英霊のことを便宜上こう呼ぶけど———は英霊の座へと戻り、本体へと吸収される。召喚されている間の記憶は記録となり、また召喚された際には新しくコピーが作られる。

 ‥‥つまり、厳密に言えば同じ英霊を二度喚び出すことは出来ないのだ。例えば私がもう一度アーチャーを召喚しようとしても、そのアーチャーは私達との記憶を持っていない。持っているのは、主観性のない記録だけだ。

 だからこそ、あのアーチャーが第五次聖杯戦争の記憶を持っていたのが不思議なことであったのだ。

 

 

「つまり蒼崎君は、何かしらの手段を持って“第五次聖杯戦争に参加した私達の記憶”がサーヴァント召喚の触媒になってるって言いたいのね?」

 

「あぁ。完全な召還ならともかく、黒化《れっか》した英霊を召喚するなら記憶っていう不確かなものでも十分だ。アーチャーの時とライダーの時と、衛宮が二回も立ち眩みを起こしていただろう? おそらくキャスターの時に待ち伏せされていたのは、あの二回で英霊もう一体分の情報を読み取っていたからだと思う」

 

 

 鏡面界に侵入した後に士郎が目眩を起こしていたのは、それが原因だったってワケね。おそらく、侵入する際に何かしらの方法で記憶を奪われていたんだわ。

 ‥‥そういえば私も二回目のキャスター戦の時に一瞬だけ意識が真っ白になってしまったことがある。もしかして、あの時に頭の中を覗かれていたっていうのかしら?

 

 

「お待ち下さい、ショウ。確かにその理屈ならばミス・トオサカやシェロから第五次聖杯戦争に出ていたサーヴァント召還のための触媒を採取できた理由はつきますが‥‥では、アサシンは一体どういうことですの?

 二人の話によればあの英霊は第五次聖杯戦争に出場していた英霊ではないという話ではありませんか? 理屈に合いませんわ」

 

 

 蒼崎君が一息ついた隙間を縫って、ルヴィアゼリッタが几帳面にもわざわざ挙手してから質問する。

 確かに、あのアインツベルンの森で出現したアサシンのサーヴァントに見覚えはない。私達が経験した第五次聖杯戦争でのアサシンは無名の剣士、佐々木小次郎ただ一人だ。

 あのような軍勢の英霊なんて全く記憶にない。‥‥いや、そもそも佐々木小次郎なんて英霊未満の亡霊がアサシンの座に就くこともおかしかったんだけど。

 アサシンのサーヴァントには必ず山の翁(ハサン・ザッバーハ)が就くことになっている。正確なことを言えばアサシンという言葉は語源であるところの山の翁(ハサン・ザッバーハ)ただ一人を指しているのだから。

 ‥‥軍勢という異常な点はあるけれど、そもそもサーヴァントとは千差万別。彼らが持つ宝具には私達の理解を遥かに上回る、それこそ魔法に近い代物もあるし、あれもあの英霊の宝具だったということも考えられる。

 その点以外においては暗殺者と称されるに相応し過ぎる戦い方とスタイル。だとしたら、アレはもしかして本来なら第五次聖杯戦争に喚び出されるはずだったアサシンのサーヴァントだったっていうのかしら?

 

 

「違うよ遠坂嬢。アレは確かにハサン・ザッバーハーではあるけれど、遠坂嬢が言うような不確かな存在じゃない。‥‥アレは第四次聖杯戦争で召喚されたアサシンのサーヴァント、『百の貌のハサン』だ」

 

「第四次聖杯戦争‥‥?! ちょっと待ちなさい蒼崎君、私達の誰も第四次聖杯戦争の時のアサシンに会った記憶なんてないわよ?!」

 

 

 第四次聖杯戦争。それは十数年前に起こった、私のお父様や士郎の家族が命を落とした苛烈な聖杯戦争だったはずだ。

 十数年前といえば私だって小学校に入ったばかり。ルヴィアゼリッタが属するエーデルフェルトの家は第三次聖杯戦争から冬木の地については音沙汰ないし、士郎だってアノ火災以前の記憶を失っている。

 ‥‥いや、おかしい。あの時は私も士郎もルヴィアゼリッタも意識に異常は認められなかった。あの時に異常があったのは蒼崎君———

 

 

「———まさか蒼崎君、あのアサシンは貴方の記憶から召還されたの‥‥?」

 

「‥‥あぁ。詳しくは語れないけど、俺は文書の形で第四次聖杯戦争についての知識を持っている。多分、それを触媒にして召還したんじゃないかと思う」

 

 

 またも、私は絶句してしまった。第五次聖杯戦争についての詳しすぎる知識に加えて、私達の誰もが記憶にない第四次聖杯戦争についても蒼崎君は知識を持っているというのだろうか。

 聖杯戦争は世界でも稀に見る第一級の降霊儀式であるが故に、詳しい部分はおろか概要すらも厳重な秘匿が敷かれている。ある程度の名家ならば存在ぐらいは知っているだろうが、ほとんど情報は出回っていない。

 もちろん極東の片田舎とはいえあまりにも大規模な儀式であるがために決して完璧に秘匿されているわけじゃないけどね。それでも何も関係のない人間が詳しい情報を得るのは、それが例え時計塔の教授クラスでも難しいはずだ。

 私の知る中でそのようなことができるのは、おそらく学長補佐であるロード・バルトメロイや私達と同じく第四次聖杯戦争に参加したロード・エルメロイぐらい。そしてどちらも責任ある人物であるが故に、いくら蒼崎君が相手だろうと簡単に情報を明かすとは思えない。

 だからこそ、蒼崎君がここまで詳しいのは異常だった。たとえば彼のお姉さん達が詳しかったのだとしても、それでも、それでも私はそれを不思議に思うことを止められなかったのだ。

 

 

「文書? それは少しおかしいのではなくて? 文書などというものを触媒にして召喚が可能なら、究極的には誰にでも召喚が可能ですわ。聖杯戦争の報告書を読んだ者や、そも巷に転がっている英雄譚や伝説を記した書物すら触媒になってしまうではありませんか?

 召喚の触媒というからには文書などではなく、もっと明確な関連性を持ったものであるべきです。でなければ我がエーデルフェルトや御三家、魔術協会などの大御所ばかりではなく、もっと凡百の魔術師達とて聖杯戦争についての知識さえあれば、是非とも参加しようと冬木に集まってくるはずですわ」

 

 

 微かに戦慄する私の横で、ルヴィアゼリッタが冷静に蒼崎君の話に異を唱える。呆けていた私は鈴というよりは弦楽器のように優雅に響いた彼女の声に、思考の海へと沈みかけていた意識を現実へと引っ張り上げる。

 ‥‥確かに、彼女の疑問も当然のことだ。実際に英霊と相対したことのある私や士郎の記憶ならともかく、文書なんてものは直接英霊の情報と成り得ない、というよりは常識的にも論理的にも成ってはいけない。

 彼女の言った通り、第五次聖杯戦争に出場した英霊は全て真名まで時計塔に報告してある。蒼崎君の話が本当なら、あの報告資料を読んだ者にだって英霊の召喚が可能になってしまうのだ。

 というか極論を言えば英雄の名前と適当な姿や逸話を知ってさえいれば誰にだって召喚出来てしまう。それこそ今回に関してなら召喚主が別なのだから魔術師でなくとも問題はない。

 

 

「ただの文書なら、そうかもしれない。でも俺の読んだ資料は第四次聖杯戦争に召還された英霊の特徴を、極めて正確に、あろうことか挿絵までつけて載せていたんでね。

 どんな文書、古い英雄譚や伝説だって現代に伝わっているものでは正確に英霊の姿、特徴、人物を記しているわけじゃない。それに対して俺の読んだ資料は、詳しくどんなものだって話すことはできないけど、完全に正確に英霊について述べていたんだよ。

 おそらくは俺の記憶の中にあった文章や情報を概念(キーワード)化して、英霊の座に検索をかけたんだと思う。こちらに喚び寄せるんじゃなくて、こちらから探りを入れたわけだ。これなら劣化した状態での召喚は何とかなるんじゃないと思う。

 あの文書は、後世になるにつれて劣化していく英霊の姿を正確に記述していたという一点において触媒と成り得たんだ」

 

「‥‥頷くわけには、いかないわね。あまりにも憶測の部分が多すぎるから。でも結果として英霊が召還されている以上はソレが正しいのかもしれないわ。断言はできないけど、とりあえずはその方向で考えてみましょう」

 

 

 これは不思議なことではない。例えばランサーのサーヴァント、クー・フーリンの姿を歴史学者に見せれば、とても当時にそんな格好をしていたはずはないと断言してくるはずだ。

 でも現実として、クー・フーリンはあの姿で召喚された。これは歴史学者や伝承が伝えている姿格好が誤りであったことを指す。まぁそれも当然で、千年単位で昔のことなんぞが正確な形で伝わっているはずはない。

 そして蒼崎君の記憶にあった文書では、どういうわけか知らないけれど英霊の座にいる英霊の姿、人物などを正確に記していた。だからこそ、正しい英霊の在り様を使って検索し、召還することができたんだろう。

 ‥‥だとすれば、第四次聖杯戦争について詳しく述べられたその文書はいったいどこから出てきたのだろうか? 遠坂に伝わっていないなら、間桐? それともアインツベルン?

 いや、それよりも問題は、どうして蒼崎君はそれが正確な文書であったとあそこまでに自信を持って明言することができるのだろうかということだ。

 もしかしたら蒼崎君の異常な知識についても関係しているのかもしれない。‥‥この事件が終わったら色々と問い詰める必要がありそうだ。ていうか、絶対吐かせる。

 

 

「‥‥それにしても、記憶を奪われるっていうのは問題よ。士郎はさておき、いくら専門家じゃないって言っても私やルヴィアの対魔力は並じゃないって自負があるわ。

 記憶を奪われたこと自体はさておき、どうして魔術が行使された事実すら気づけなかったのかしら‥‥?」

 

 

 精神干渉系の魔術は魔術師にとって基礎の魔術と言える。例えば一番習得が簡単な魔眼として“魅了の魔眼”があるように、術の行使自体はそこまで難しいものじゃない。

 問題は、この精神干渉系の魔術は基本的に魔術回路を持った相手には効きが悪いということだ。ある程度の実力を持った魔術師相手にかけるには、相当なレベルの差がなければいけないだろう。

 理由は単純だ。魔力に乗せて暗示や催眠を叩きつけるモノが大半である以上は、相手にそれを魔力でガードされては意味がない。魔術回路を起動させていれば常に魔術師は魔力を体に回していることになるんだから、自然と防ぐことが出来るというわけだ。

 そうでなくとも私達なら、一瞬でも精神へと接触されるのに気づけたら後は自分たちで対抗できる。とかく効きが悪い精神干渉系の魔術に屈するどころか、気づくことも出来ないなんて現実的に考えてありえない。

 

 

「‥‥遠坂嬢、鏡面界に侵入するときにどんな手順をとっているのか、分かるかい?」

 

「何よ、こちとら専門家よ、馬鹿にしてるの? まず三次元の下位次元である二次元を経由して———ッ?!」

 

 

 カチリ、と自分の頭の中の空白に答えが指し込まれる感触がした。

 

 そうだ、鏡面界に侵入するためには先ず、三次元空間の下位次元である二次元空間を経由する必要がある。例えば擬似的な転移魔術、影を使った転移なんかも影という二次元を経由しているのと同じように、このような空間移動は下位次元を介することが非常に多い。

 上位次元に到達するのは不可能と言っても問題ない。並行世界への転移にも二次元平面を利用しているのでは、と私は思っているが、下位次元への接触と上位次元への接触では格段に難度が変わる。むしろ上位次元への干渉は魔法に属するのではないだろうか。

 ちなみに蛇足になるけど、五次元や六次元の存在は昔から議論されている。実際に到達したり証明したりした魔術師がいるかどうかは定かじゃないけど、存在するだろうとは結論づけられているのだ。

 

 さて、下位次元を経由する。つまりそれは鏡面界へと侵入するその直前。そこで私達は記憶に干渉する魔術を仕掛けられた。

 次元論は専門じゃないけれど、空間論に接するところがあるから理解はしている。ここで重要になってくるのは上位次元と下位次元との関係だ。

 

 例えば、蟻が二次元に生息している生物であると仮定する。二次元とは即ち、点と線と面だけで構成される世界のことだ。

 ここに三次元に生息している生物である人間が足を踏み入れたとしよう。すると蟻たちからは、まるで目の前にいきなり人間の大きな足のようなナニカが出現したかのように見えるのではないだろうか。

 そして人間が彼らの上で何をしていようと、蟻達にはそれを知覚することができない。何が起こっていようと、何か起こっているということすら自覚できないのだ。彼らには、二次元しか自覚できないのだから。

 これが上位次元と下位次元との関係だ。上位次元からの干渉に、下位次元のモノは抵抗することが出来ない。いや、知覚すらできないのだ。そもそも干渉されても、例えば蟻が人間に摘まれたとしても、三次元の存在である人間に摘まれていることを理解できない。

 もちろん二次元の存在を三次元の存在が掴めるかという話もあるけれど、この辺りは共通概念ならば問題ない。というより、私達の場合に当てはめれば解消されるのだ。

 

 

「じゃあつまり何、私達が三次元空間から鏡面界へと転移するその間、二次元空間にいるときに干渉を仕掛けられたってこと?!」

 

「あぁ。どこからかは分からないけれど、まず間違いなく俺達のいた現実空間か鏡面界のどちらかに術者がいて、そこから俺達に魔術をかけたんだ。次元の狭間にあるとはいえ鏡面界自体は三次元空間だからね。そう考えるのが一番理屈に適っている。

 これと同じ手段を使って衛宮からはライダーとアーチャーとキャスターの、遠坂嬢からはセイバーの、バゼットからはランサーの、俺からはアサシンの触媒を奪ったんだ」

 

「‥‥なんて、こと。どちらにしてもクラスカードという大魔術に次元干渉という高度な魔術が加わっただけではありませんか。一体どれほどの腕前だというのですか、私達が相手にしている魔術師は‥‥!」

 

 

 次元の歪みすら引き起こすクラスカードという聖杯戦争にも準ずる一級の魔術具を作り上げる能力。鏡面界を作り出す空間関連の大魔術。そして下位次元とはいえ他次元に干渉し、私達魔術師から記憶を奪ってみせる精神干渉の魔術。

 どれをとってもその分野で一流以上と称してもいい高レベルの術式だ。それら全てを一人が操っていると決まったわけではないにせよ、少なくともどの分野でも私達のレベルを優に超えている。

 ‥‥魔術師として、完成されているのだ。私達が相手しなければならないのは封印指定すら通り越して、魔法に手が届きかけている存在かもしれない。

 いくら魔術の腕が高かったとしても、それが戦闘能力に直結するとは限らない。しかし今回、相手が精神干渉や召喚術に長けていることを忘れてはいけない。直接戦闘力はともかく、再度サーヴァントを召喚して嗾けられたりしたら冗談じゃないのだ。

 『魔術師が最強である必要はなく、最強である何かを用意すればいい』。確か昔、お酒を飲んでいたら蒼崎君が『例のごとく義姉の受け売りだけどね』と楽しそうに笑いながらそう言ったことがある。

 まさしくその通りだ。私達、聖杯戦争に出場していたマスターとサーヴァントの関係にもそれが言えるのだから。‥‥しかも何が問題って、今回の私達にはサーヴァントがいないってことよね。

 

 

「‥‥俺は諸事情あって常に精神干渉系の魔術を防ぐために、心に障壁を張っている。今回それに気づけたのは、鏡面界に侵入した直後に障壁が破られているのが発覚したからさ」

 

「それってつまり、結局のところ障壁は破られてしまったってことよね。だとしたら相手に記憶を読まれるのは防げないってことじゃないの」

 

「高次元からの干渉だからね。二次元に存在している間は干渉を知覚することもできない。あれに対抗するためにはそれこそ絶対の理を覆す魔法に類する物‥‥宝具かソレに匹敵する魔術具を持ってこないといけないと思う」

 

 

 通常は考えられない高次元からの干渉。たとえば先程も例に出した影を使った転移の最中に誰も干渉することが出来ないように、理論としては確立していても手段として皆無などが次元論の大部分を占める。

 しかし今回は私達もわざわざ敵の土俵で転移を行なっている。自前の転移で二次元空間を経由しているならともかく、最初から敵が用意してくれた場所で無防備に頭の中を晒しているのだから馬鹿も馬鹿、大馬鹿だ。

 鏡面界への侵入方法を編み出したのはルビーとサファイアじゃないのかっていう疑問があるかもしれないけれど、それは間違い。あの二人も相手が用意したステージの中で、相手の決めたルールに従って攻略方法を探し当てただけ。

 それでは所詮ゲームマスターの掌の中だ。そもそもゲームマスターの存在を仮定していたわけじゃないのだから仕方がないと言えるんだけど‥‥あぁ、今更そんなことを言っても仕方がない。

 

 

「‥‥どっちみち、私達がクラスカードを手に入れるためには鏡面界の中に出現したサーヴァントを撃破する以外に方法はないわ。だとしたら、記憶を奪われるのに抵抗して触媒が無くなってしまうのもナンセンスよ」

 

「確かにミス・トオサカの仰る通りですわね。この際、それに関しては敵方のアプローチを享受するしかありません、か‥‥。腹立だしいですが、仕方がないということですわ」

 

 

 魔術師がおめおめ他人に自分の頭の中を覗かせることを許すなんて冗談じゃない。魔術師個人だけではなく、その家系が積み上げた歴史を他人の好きにさせるということなのだ。そんなこと死んだってごめんだ。

 ‥‥その一方で、今回の件に関してはどうにも八方ふさがりな状態であるのもまた事実である。私達の目指す目的と現状との間で、どうにも妥協点を探さなければいけない状況なのである。

 今、口にしたばかりではあるけれど、私達の目的とはすなわち鏡面界に出現したサーヴァントを打倒して七枚のクラスカード全てを入手し、鏡面界の中から侵入した時とはまた別の下位次元を経由して私達の元いた世界へと戻ることだ。

 

 つまり『鏡面界に侵入』しなければならないし、『召喚されたサーヴァントを倒さなければ』ならない。これら二つは私達の計画に即するならば不可欠の要素である。

 私達が鏡面界に召喚されたサーヴァントを倒す以外の方法でクラスカードを手に入れることができるのならば何ら問題はない。私達の記憶が読み取られないように策を講じることは難しくはあるけど、決して不可能なことじゃないからね。

 ‥‥でも、仮定形で話したことからわかると思う。私達にはサーヴァントを倒す以外の方法がないのだ。仮にあったとしても、まだそれを探し当てることができていない。

 結果として、私達は自分の記憶の中の「触媒」を敵対している魔術師、ないしはソレに類する存在に苦渋を飲んで明け渡すより他に方法がないわけである。本当に不愉快で屈辱的なことではあるけれど、それ以外に方法がないなら仕方がないのだ。

 

 

「大丈夫よ。いくら精神干渉系の魔術が絶対時間じゃなくて主観時間に左右される魔術だって言っても、さすがに現実空間から鏡面界へと移るわずかな間にだけ二次元空間に存在している私達から、根こそぎ記憶をコピーするなんて不可能だわ。

 きっと、英霊に関係する記憶だけを独自の術式をつかって私達の頭の中から検索しているんだと思う。そうじゃなかったらそれこそ膨大な情報を一度に受け取って、その中から根気よく探していくなんて現実味のない術になるものね」

 

 

 ほとんどの魔術師が習得しているポピュラーな術である“暗示”に比べて、“記憶を読み取る”魔術というのは術式自体が簡単なのに対して実際に行使するとなると難易度はぐんと跳ね上がる。

 人間が持つ膨大な記憶を瞬時に自分で整理しなければならないのだ。単純に全ての記憶を掘り出すつもりなら術者自身にスパコンも真っ青な処理能力が必要になるし、そうでなかったとしたら相手の記憶の海から必要な情報だけを選りすぐって抜き出す検索の能力が必要になる。

 特に時計塔の魔術師で、精神干渉系の魔術を得意としている者が少ないのがこの理由だ。実際の行使が面倒な上に魔術師に対して効きにくいとなると好んで研究する者が少ないのは当然の理だろう。

 この分野に関してはどちらかといえば巨人の穴倉(アトラス)の錬金術師達の方が一歩も二歩も先を行っているらしい。特に今代のアトラシアは霊子ハッカーと呼ばれる程に記憶を読み取る能力に優れていると聞く。

 

 

「———だから蒼崎君、何を気にしているのか、秘密にしているかは知らないけれど少し落ち着きなさいな。確かに貴方が持っていた第四次聖杯戦争についての知識は盗み見られてしまったかもしれないけれど、本当に隠したかった記憶まで知られてしまったとは限らないでしょう?」

 

 

 話が始まってから段々と自制心が崩れてきたらしい。最初の笑顔は何処に行ってしまったのか、ここに来て蒼崎君は今までに見たことがないくらい眉間に皺を寄せていた。

 口に咥えられた火の点いていない煙草は不機嫌そうに、あるいは落ち着き無さげにユラユラ上下に動いていて、窓枠に添えられた手の人差し指はトントンと木を叩いて音を出している。非常に切迫している様子だ。

 不安、焦燥、恐怖、悔恨、自責。普段の彼から一切感じたことがない感情のオンパレードが地味ながらもそれなりに整った———失礼な言い方ではあるけどね———顔の上で目まぐるしく繰り広げられている。

 それは昨夜みたいに取り乱していないからこそ、逆に私を不安にさせた。彼が一晩しっかりと気持ちを落ち着かせて、ここまで深くクラスカードを取り巻く状況について考察していたにも関わらず、これまで余裕を生じさせることが出来なかったのだから。

 

 

「‥‥いや、それは希望的観測に過ぎないよ遠坂嬢。俺が知られたくない秘密はね、第四次聖杯戦争について記された例の書物と密接に関係している。相手にもよるけれど‥‥もしそれを探し当てられてしまっていたら身の破滅だ」

 

「ショウ、どうぞ落ち着いて下さいませ。‥‥秘密、と仰いましたが、それは私達にも話せないような内容なのですか?」

 

「あぁ、絶対に話すわけにはいかない。こればっかりは、信用しているとか信頼しているとか、そういう生温い理由で打ち明けてやるわけにはいかないことなんだ。そんな理由で話せるならとっくの昔に話してる。ただでさえ、君には俺が蒼崎の直系じゃないって打ち明けてるんだからね」

 

「‥‥それは、まぁ、その、嬉しいことですわね。あ、ありがとうございますわ‥‥」

 

 

 自分のことを考えるのに必死な蒼崎君は気付かなかったのかもしれないけれど、さりげなくかなりの信頼を表明した台詞に、珍しくルヴィアゼリッタがはっきりと赤面して口ごもった。

 巷では直系として通っているであろう彼のこと。それが養子であることを明かすというのは信頼の証としては十分なんじゃないかと思う。一年もしない付き合いの私達ならともかく、ルヴィアゼリッタなら悔しいけれど納得だ。

 ‥‥研究内容を話すぐらい信頼し合っていてなお、話せないような秘密。つまり、魔術師が最大の労力をもって秘匿すべき自らの研究内容をも凌ぐ大きな秘密。それは一体、いかなるものか。

 下世話な考えかもしれないけれど、もしかしたら彼のお姉さんが至ったという第五魔法についてだろうか? 確かにあれは概要すら知られていない完全不明な代物だと聞く。それについての情報を持っているとすれば、確かに死守するに相応しい。

 

 

「とにかく、君達には悪いけど俺はこれ以上俺の記憶に深入りさせてやるわけにはいかない。次回の鏡面界侵入までには何かしらの対策を取らせてもらうよ」

 

「‥‥はぁ、仕方がないわね。蒼崎君の記憶が触媒にならないとするとバーサーカーはヘラクレス一択だから戦闘はかなりキツクなるけど‥‥。そこまで言うなら、無理強いさせるわけにはいかないものね」

 

 

 咥えた煙草を歯軋りで噛み千切って振り返った蒼崎君の顔は、まさしく鬼気迫ると表現するより他ない悲壮なものであった。

 全く余裕のないその表情はこれ以上の議論はしない、出来ないと如実に物語っている。彼からの宣言ではなく、本当に無意識であるのだろう。私達をしてそう思わせる程に限界ギリギリであることがありありと分かる。

 私達に分からせまいとしているんだとしても、残念ながらその努力は全く実を結んでいない。あまりの鬼気迫る様子に、私もルヴィアゼリッタも否応なく頷くより他なかった。

 

 

「‥‥というよりね、どっちにしても結構キツイ戦いになったことには違わないよ。第四次聖杯戦争で召還されたバーサーカーは、『湖の騎士ランスロット』だったんだからさ」

 

「は‥‥。なんていうか、聖杯戦争ってどの代でも尋常じゃないくらい規格外みたいね」

 

 

 暫し、部屋の中を沈黙が支配する。深刻な表情以外は何を考えているのかさっぱり分からない様子で窓の外を眺めている蒼崎君に対して、私達二人はどうにも手と口が出せない状態で固まっていた。

 蒼崎君の悩みは、私達では理解できない。それは私達の悩みを蒼崎君では理解できないことにも似ているけれど、それでいながら少し違う。私達とは悩みの原因の次元が違うように思えるのだ。

 それは蒼崎君の悩みの方が高尚っていうわけじゃない。ただ、悩んでいる様子から、私達では理解できないような方向性を感じるっていうこと。‥‥正直、今の彼の悩み方は不思議な印象を受けるもの。

 

 

「‥‥ごめん、ちょっと疲れたみたいだ。少し散歩に行ってくるよ‥‥」

 

「え、どうしたのよ蒼崎君?!」

 

「ちょっとショウ?! 昼食後にはミーティングを行いますからきちんと戻って来て下さいませ!」

 

「‥‥あぁ、わかったよ」

 

 

 突如、蒼崎君がまるで苦虫でもダースで噛み潰したかのような表情を作ると、もう一本口に咥えていた煙草を火も点いていないのに灰皿にてんこ盛りにされた吸い殻の山へと突っ込み、部屋のドアノブへと手をかけた。

 今は一人で考え事がしたかったのだろうか。私の声を無視したくせにルヴィアの声は聞こえていたらしく、一拍だけ立ち止まると返事を返して出て行ってしまう。

 

 

「‥‥まったく、ホントにどうしたのかしらね、蒼崎君は」

 

「最初は無理に聞き出すつもりでしたが‥‥。どうやらそれこそ無理のようですわね。ショウがあのような態度をとるのは初めてですわ」

 

「アレ、もう何回も言ってるけど本当に尋常な様子じゃないわよ? それこそ聖杯戦争中でのサーヴァントの真名とか、とにかく知られたら即座に命の危険に発展するような‥‥」

 

 

 二人して考え込むけど、答えは出ない。そもそも彼の悩みが私達とは違うようなものだって結論づけたばかりなのだから、答えなんて出ようがないんだけど。

 イリヤスフィールについても問題で、蒼崎君についても問題で、次のバーサーカー戦についても問題で‥‥。

 本当にこの並行世界に来てから問題が山積みだ。このままじゃ帰った時には体重が数キロ痩せてるんじゃないだろうか? もう暫くしたら桜も来るっていうのに‥‥プロポーションにまで影響が出てなきゃいいんだけど。

 

 

「そもそも気を遣うようなプロポーションでしたか、ミス・トオサカ?」

 

「‥‥そう、最近はずっと静かにしてるから安心しちゃってたけど‥‥。つまり貴女、死にたいわけね?」

 

 

 ピキリ、と自分のこめかみで何かが弾けるような音が聞こえた。さっきまでの雰囲気は一転、私の左手が真っ赤に燃える!

 

 ‥‥その暫く後、昼食の時間になっても一向に部屋から出てこない私達を呼びにきた執事のオーギュストさんに、ものすっごく妙ちきりんな顔をされてしまったのは、また別の話。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「‥‥‥‥何をやってるんだ、俺は」

 

 

 冬木中央公園。昼間っから人気のない公園の端っこにポツンと据えられているベンチに、一人の青年が座っていた。

 頑丈さだけが取り柄の古ぼけたミリタリージャケットと、ダメージ加工なんて洒落た言葉には縁がないすり切れたジーンズ。そして俯いた顔にかかる堅めの前髪から覗く紫色のバンダナ。

 額を支えるように膝を支点に手を組んで、まるで苦悩するか、もしくは居眠りするかのような彼に声をかける者はいない。前述の通り、街の中央に位置する大きな公園のはずなのに、この場所には不気味なぐらいに人気がなかった。

 それも当然、この公園には感受性の豊かな者であれば『絶対に近寄りたくない』と思わせるようなナニカが立ち込めている。それは怨念とか、妄執とか、そういう陳腐な単語でくくれるものではない。

 勘の鈍い者であろうと、長い時間ここに留まっていれば何かしらの不調を訴えるだろう。自覚できなくとも、確かにそれはこの公園に漂っているのだから。

 

 

「‥‥だめだな、これ以上この公園にいたら俺まで同化しちまいそう———じゃなくて、どうかしちまいそうだ」

 

 

 字面も意味も実際のところはさほど間違っていない独り言を呟いて体を起こし、背をベンチへと預けた青年の名前は蒼崎紫遙。‥‥つまるところ、この俺である。

 冬木でも住宅が集中して建っている深山町のエーデルフェルト別邸から散歩と称して出かけて三、四時間ぐらいが経つのだろうか。その全てをこの陰鬱な場所で過ごしていたわけではないにせよ、かなりな時間座っていたらしく微妙に肌寒い。

 気がつけば空は橙色に染まりつつあり、もうそろそろ暗闇に包まれてしまうことだろう。ルヴィアからは昼食までには帰ってこいと言われていたような気がするけど‥‥すっかり忘れてこのざまだ。

 きっと今頃、遠坂嬢と二人して怒り狂っていることだろう。俺がこんな状態なのを知った上で、それでも配慮するところは配慮しておきながら普段通りに振る舞える彼女たちの強さが羨ましい。

 

 

「クラスカードと鏡面界、か‥‥」

 

 

 非常に高度な召喚器の一種。次元の狭間に鏡面界という空間を作るのみならず、高位の武装・礼装(ルビーとサファイア)を媒介にして英霊の力の一端たる宝具を具現化させる能力を持つ。

 サファイアと俺とで解析し尽くしたにも関わらず、俺達に分かったのはたったそれだけ。それにしたってとても一つの魔術具で出来ていい範囲を優に超えているのだ。

 宝石翁の作ったカレイドステッキにしたって今更ながらも通常の魔術礼装とは思えないぐらい融通が利くけれど、それは第二の魔法使いであるキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ謹製の礼装だからである。

 魔術師の位階としてはおそらく時計塔の学長や部門の長を優に超える封印指定の魔術師であろうと、魔法使いの足下にも及ばない。だからこそ、この魔術具は異常に過ぎた。‥‥まるで、俺みたいに。

 

 

『いい、紫遙? 貴方は十分に分かっているつもりかもしれないけれど重ねて言っておくわ。‥‥異端は異端を惹き付ける。それは互いに互いを知っていようといまいと変わらないわ。“世界”がそれを知っているなら、そこには当事者達以外の力が働くの』

 

 

 青子姉が再三の如く、耳にたこができるぐらい繰り返し繰り返し俺に言い聞かせた言葉が脳裏を何度も何度も通り過ぎる。あの時は分かったつもりで神妙に頷いてみせていたけど、やっぱりそんなの“つもり”に過ぎなかったみたいだ。

 例えばテレビで災害を受けた村の様子を映したりされたとして、俺達がテレビ越しにそれを見て可哀想だと口にしたとしても、それは実際にソレを体感したことがないから現実味を持った言葉になりはしない。

 結局、全てにおいてそれは同じだ。人間は自分で実際に経験した情報でなければ現実としてそれを捉えることができないのだ。学生でも、教師でも、サラリーマンでも総理大臣でも、それこそ魔術師だとしても。

 

 

「‥‥自覚していなくとも惹き付けられるってことは、自覚していても惹き付けられるってことか。思えば俺がルヴィアに話しかけたのも、遠坂嬢達を迎えに行くことになったのも‥‥そもそも橙子姉と青子姉に出逢ったのも、全部が全部、運命づけられていたことなのかな」

 

 

 運命(Fate)、なんて言葉は大嫌いだ。俺に限らず、殆どの魔術師はこの言葉を嫌っていることだろう。

 それが存在していることは誰もが知っている。神、なんて過去に実在した連中とは違う、何か大きなものが俺達が今いるこの世界を司っていることは、既に実証された真実だ。

 でも魔術師は存在が確定しているそれを絶対に認めようとしない。俺達は過去に存在したモノを目指して歩き続ける生き物だけど、それでも自分という存在が歩んできた、歩んでいく道を誰かに弄くられているなんて思うのは業腹以外の何物でもないから。

 

 

「あぁ、でも、それでも、やっぱり思わずにはいられないかな。‥‥俺は、どうしてこの世界にやってきたのかって———」

 

 

 橙子姉と何度も話した。

 何故、俺がこの世界にやって来たのか。あの時、俺以外は“選ばれなかった”のか? それとも俺以外にも誰かがこの世界にやってきているのだろうか? ‥‥どうして、俺がこの世界に“選ばれた”んだろうか?

 実際に橙子姉に話した時にはもっと穏便な言い方をしている。橙子姉と話している時、俺が魔術師として“いる”時には蒼崎紫遙だからだ。

 ‥‥でもごくたまに、そう、こうやって考え込んだ時に、俺は俺じゃなくなる。オレは蒼崎紫遙じゃなくて、■■■■■に戻る。それは‥‥すごくつらいことなんだ。俺が俺じゃなくなるんだからね。

 

 

「‥‥あぁそうだ。俺は蒼崎紫遙だ。俺はもうオレじゃない。オレは俺だ! 蒼崎紫遙だ!」

 

 

 ガァン! と金属同士がぶつかり合うような音が鳴るぐらい強く強くベンチの手すりを殴りつけた。骨に罅でも入ってしまったかって痛みが腕を痺れさせるけど、それぐらいじゃなきゃ俺の頭は考えることをやめてくれそうにない。

 歯を食いしばって痛みに耐えて、それこそ涙が出そうになるくらいの痛みに耐えて、ようやくそこで俺の頭は“それ”についての考えを脳みその片隅へと叩き込んでくれた。

 ‥‥まぁ、結局は痛いっていう感情が残りを占めてしまっているわけだから意味がそんなにあったとは思えないんだけど。

 

 

「‥‥紫遙さん?」

 

「ッ———って、なんだ美遊嬢か‥‥」

 

 

 痛みに俯いていた頭の上の方から聞こえてきた声にハッと素早く体勢を戻すと、そこに立っていたのは穂群原学園初等部の制服を着たままの美遊嬢。

 セーラーとブレザーの襟を足して割ったかのような独特なデザインは制服だけではなく、ランドセルにも及んでいる‥‥はずなんだけど、何故か彼女の背中には上品な焦げ茶の鞄が提げられていない。

 そればかりか日本人らしい黄色の混じった血色のよい綺麗な肌は僅かに上気し、仄かに汗も浮かんでいる。もしかしてココまで走ってきたのだろうか? 穂群原学園がある深山町と新都はかなりの距離があるというのに、どうしたのだろうか。

 

 

「ルヴィアさんが探してましたよ、紫遙さん。『昼食までに帰ってくるように申しましたのに、一体どういうつもりなんですのーっ!!』って‥‥」

 

「ハハ、確かにそうやって怒ってそうだね。‥‥うん、ごめん、迷惑かけちゃったかな。わざわざ探しに来てくれたのかい?」

 

 

 物静かな普段の様子に反して、彼女の主のセリフ部分はまるでルヴィアそっくりだった。背後霊のようにルヴィアの影が浮かんでいる姿を幻視してしまうような迫真の演技に、思わず笑いが溢れてしまう。

 なるほど、ランドセルを持っていないのは一度屋敷に帰ったからだろう。ルヴィアに命じられてか彼女自身で来たのかは知らないけれど、わざわざここまで走って探しに来てくれたんだろうか?

 ‥‥どちらにしてもこうして無様を晒している俺なんかのために疲れてくれたのならこれほど嬉しいことはない。俺は多少の照れも混じって冗談のような問いかけをしたけれど、それでも美遊嬢は恥ずかしがったりとかの期待した反応を返してはくれなかった。

 

 

「‥‥紫遙さん、本当に大丈夫なんですか? 昨夜は、その、とても大変そうな様子でしたから‥‥」

 

「心配、かけちゃったみたいだね。‥‥本当に申し訳ない、どうも君にまで余計な負担をかけてしまったみたいだ。保護者失格だな、こんなんじゃ」

 

「そ、そんなことはありません! まだ短い間ですけど、紫遙さんは十分私の力になってくれてます!」

 

「‥‥ありがとう、そう言ってくれるとすごく嬉しいよ」

 

「紫遙さん‥‥」

 

 

 あぁダメだ、自分でも声に力が入っていないのがよく分かる。なにせ美遊嬢の瞳から心配の色が消えていないのだ。どうやら俺は自分では何とかなっていたつもりでも、彼女を前に大人らしく振る舞うだけの余裕もないらしい。

 昔から風邪ひいても気のせいだって学校行ったり、実験の時も限界が分からないで血を吐いたりしてたけど、やっぱり俺はどうにも自分の状態を把握するのが苦手みたいだ。それこそ橙子姉とか青子姉とかに散々説教されたはずなんだけどなぁ。

 

 

「‥‥美遊嬢?」

 

「‥‥‥‥」

 

 

 そんなたわいもないことを考えて苦笑したのが何か勘違いの引き金になったのか、美遊嬢は先程から作っていた渋面を更に渋いものへと変えると、無言で俺の隣に座ってきた。

 ‥‥前屈みになっている俺と背もたれにしっかり背中をつけて真っ直ぐに座ってる美優嬢の肩は触れ合わない。それでもなお、隣の彼女は湛えている雰囲気の違いはよく分かる。

 隣を見ること適わずに、さっきまでと同じように只ひたすら前方の地面を見続ける俺の後頭部辺りに注がれているだろう美遊嬢の視線。怒っているわけでも、哀れんでいるわけでもない。ただ俺を見て、何か言いたげにしているのだろう。

 暫し、というよりもかなりの沈黙が静かに静かに公園を端から端へと横切っていく。風の音も、周囲を囲むビル街からの人声もしない公園で、ただひたすらに時間が過ぎていった。

 まぁさっきからずっとこの姿勢でいる俺の主観時間は狂いに狂いまくっているから、実際にはほんの数分だったのかもしれない。それでも俺には十分に長いと思える時間が過ぎて、ようやく美遊嬢が口を開いた。

 

 

「‥‥イリヤが」

 

「?」

 

「イリヤが、もうサーヴァントと戦うのをやめるって、遠坂さんに言ってました。‥‥もう、戦うのはイヤなんだって‥‥」

 

「そう、か‥‥」

 

 

 ぽつりぽつりと一言一言零すように呟かれたのは俺のことではなくて、昨夜は気がついたらいなくなっていたイリヤスフィールのこと。いつの間にかいなくなっていた彼女は、どうやら戦うことから手を引いてしまったらしい。

 驚いた一方で、やっぱりという気分もある。もともと異常なまでにスペックが高かった美遊嬢に比べて、俺達の世界では非常に特殊なアインツベルンの性を持ちながらも、イリヤスフィール自身は普通の女の子だ。

 そもそも彼女や美遊嬢ぐらいの年頃の女の子が、こうして礼装を持って英霊と戦うなんてことがあっちゃいけないのだ。たとえ魔術師の世界であろうと、子供に武器を持たせるなんてことは早々ない。

 たとえどんなに才能があったとしても、それを操る精神は成熟したものじゃない。才能ある子供でも戦場に出すべきじゃないのはこういうことだ。年月とは伊達に積み重ねられているものじゃないからね。

 

 

「‥‥最初は、甘い子だと思ってました。私は紫遙さんやルヴィアさんから散々説明を受けて英霊についての恐ろしさをしっかりと自覚していたのに、なんでお遊び気分で英霊と戦おうとしている子が同僚なのかって」

 

「‥‥‥‥」

 

「でも、違った。私に説明した時の言葉こそお遊びだったかもしれないけれど、彼女はいつでも一生懸命で、全力で‥‥。それで、私にも全力で接してくれた。“友達”って‥‥呼んでくれた‥‥」

 

 

 ぽつりぽつりと、誰に聞かせるわけでもなく独白のように言葉は紡がれていく。隣に座った美遊嬢の顔を振り返って見ようとは思わなかったけれど、“友達”と口にした時には何だか声が嬉しそうに踊っていた気がする。

 相も変わらず静止画のように動かない目の前の景色の中に吸い込まれていくのかと思いそうな声だったのに、ふと気がつけば、いつの間にか俺の耳にはしっかりと美遊嬢の声が入ってくるようになっていた。

 あぁ、そうか、やっぱり彼女は俺に向かって喋っているんだ。何でそうしてるのかは分からないけど、俺に向かって喋っているのか。

 

 

「友達っていう言葉は知っていたけど、私に友達はいなかった。学校では一人で、孤児院でも一人で、だから多分、ずっとこうやって一人でいたから友達って言葉を知っていてもどんなものかは知らなかった」

 

「‥‥うん」

 

「言葉は知ってるだけじゃダメなんだ。本当にどんなものかって知るためには、手に入れる必要がある。でも私には友達がいなかったから、ずっと平気なフリをしていても何処か足りないって思ってた」

 

 

 面白いことに、さっきまで俺が考えていたことと同じような言葉を美遊嬢が口にする。独白のようだった声は自覚した途端に俺の耳までダイレクトに届いて来て、まるで対面に座って問答をしているかのようだ。

 

 友達。たった二文字のその言葉に、どれだけの意味が込められていることだろうか。どれだけの思いが込められたことだろうか。

 美遊嬢の思いだけじゃない。言葉自体に重さがある。今までその言葉に込められてきた人々の思いが言葉に宿っているのだ。さしずめ言霊とはこのことである。

 だからこそ、一人でも平気だと思っていた美遊嬢が友達という言葉、友達そのものに惹かれたのも当然のことなのかもしれない。彼女は分かっていないかもしれないけど、まぁ俺も伊達に長生きしてるわけじゃない。

 

 

「だから、イリヤに友達って呼んでもらえた時、今まで足りなかった、わからなかったことを埋めてもらった気がした。私は、イリヤに会ってようやく友達が何かってことに気づけたんだ」

 

 

 “そのイリヤ”が結果的に美遊嬢を裏切って一人で戦線離脱をしたというのに、不思議と美遊嬢の声は朗らかだった。まるで、そんなことは関係ないとでも言いたげに。

 それはあまりにも不思議で、あまりにも当然。そんなことなんてどうでもいいってぐらい、美遊嬢にとってイリヤスフィールの存在は大きくなっているのだろう。

 

 

「うん、だから私、イリヤが自分から戦いを諦めてくれて‥‥嬉しいと思ってる。だってそうすればイリヤはもう傷つかない。イリヤに‥‥もう、嫌なことはしてもらいたくないんだ」

 

 

 一体、美遊嬢は何が言いたいのか。今まで散々保護者ぶって、大人ぶって、自分よりも遥かに能力に優れた美遊嬢を相手に上からモノを言っていた俺に、今こんな無様を晒しているこの俺に。

 ざり、という靴が砂を擦る音がやけに大きく耳に響いて、俺はいつの間にか目を閉じてしまっていたことに気がついた。

 ハッと顔を上げると、そこには今日、最初に会ったときのように俺の前に立っている美遊嬢の姿。俺が想像したような嬉しそうな顔じゃなく、無表情ながらも真摯な瞳で俺を真っ直ぐに見つめている。

 

 

「‥‥でも紫遙さんも、ルヴィアさんも同じくらい私にとって大切な人です。私を助けてくれて、道を指し示してくれた人。‥‥だから、イリヤと同じくらい二人にも無理はして欲しくない」

 

「美遊嬢‥‥」

 

「紫遙さんがつらいなら、次の鏡面界には来なくて大丈夫です。ルヴィアさんに言いづらいなら私から言っておきます。あとは、私に任せてくれれば大丈夫です」

 

 

 真摯な瞳は俺に訴えていた。自分は出来ると、自分に任せろと。

 それは傲慢でも何でもなくて、ただ単純に俺を気遣ってくれているのだ。さっきイリヤスフィールについて語ったのと同じように、俺やルヴィアにも———まぁ今の状況においては俺について———同じように信頼と献身、いうなれば愛情を向けてくれている。

 どれほどに嬉しく、どれほどに悔しいことか! 気がつかない間に俺はこんな小さな女の子に、大人が背負うような荷物まで背負わせようとしていたのか! 自分のことばかり考えて、こんな小さな女の子に気を遣わせてしまったのか!

 

 

「‥‥ハ、なんて、無様———」

 

「紫遙さん‥‥?」

 

 

 ぐっと足に力を入れて立ち上がる。長い間座っていたからか強ばった足の筋肉が持ち主に助けを求めて悲鳴を上げるけど、そんなこと気にせずに強引に体を起こした。

 ‥‥立ち眩みに、ふらつきそうになる体を叱咤激励して意地を張る。俺は、俺は蒼崎紫遙だ。蒼崎紫遙だった時に決めたことを、美遊嬢を守ってやるって決めたことを、蒼崎紫遙が破っちゃいけない。

 

 

「‥‥申し出はありがたいけど、遠慮しておこう。これ以上君達に迷惑かけるわけにはいかないし‥‥何より、本当に怒ったルヴィアはとても君の手には負えないよ?」

 

 

 あぁ、そうだ、まだ俺は倒れてやるわけにはいかない。何もかも放棄するにはまだ早い。

 せめて、そう、せめてこの世界を抜け出すその時までは。“蒼崎紫遙”の背中を彼女に見せたままで去らなきゃいけない。そうでなけりゃ、“蒼崎紫遙”が無様すぎる。無様なのは俺じゃなくてオレで十分だ。

 

 すっかり傾いて月に居場所を交代してしまった太陽。もう、これからは魔術師の時間だ。

 引きこもっていちゃ仕方がない。勇気を出して、前に進まなきゃいけないんだ。歯を食いしばった俺は、恐怖を押さえ込んでゆっくり歩き出す。

 

 まだ夜は始まったばかりで———戦いは、それでも未だ遠くにあった。

 

 

 

 

 64th act Fin.

 

 

 




なんとか、ここまで‥‥!
でっち上げみたいな説明でしたが、とりあえずこれが拙作における召喚についての真実です。
冬霞による捏造設定ですので、くれぐれも誤解なさいませんようご注意をお願いします。

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