UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第六十五話 『旅人達の帰還』

 

 

 

 

 side Miyu

 

 

 

「ハ‥‥ハッ‥‥ハッ‥‥ハッ‥‥!」

 

 

 一気に失った体力を何とか正常な状態に戻そうと酸素を欲しがる体が、私に過度の呼吸を要求する。普段なら絶対にやらないような荒い呼吸のせいで喉が痛い。

 普通の人間が経験するような、どんな過酷な運動をも超える激しい消耗。それはおそらく単純に運動量を比較したわけじゃなくて、多分緊張感とかそういうものも影響しているんだろう。

 緊張は、この場合決して悪いことではない。試合前の、試合中の緊張なんてものと違い、むしろソレが無ければ一瞬で命が飛んでしまう、そんな緊張だ。

 でもその緊張は、必然的に体力を削る。だからこそ戦闘というのは普通のスポーツよりも消耗するものなんだろう。

 

 

「ハァ‥‥ハァ‥‥んうッ‥‥!」

 

 

 バキンッ、と金属のパーツが外れるような音がして、不可思議なことに私の胸から一枚のカードが弾き出された。

 それは焦げ茶色の、まるで額縁に入れられた絵画のようなカード。銀色のフルプレートに身を包んだ一人の騎士が剣を構えた絵が描かれていて、裏には複雑な魔法陣のような図柄がある。

 当然ながら、パラメータ表示も何もされていないこのカードは、子供がゲームに使うものじゃない。これは正真正銘の魔術品。しかも、これ一枚で英霊という規格外の存在の召喚から異空間の創造、さらには英霊の力を自身に上書きする能力すら持っているのだ。

 

 冬木の地に突然現れた、クラスカードと呼ばれる魔術品。

 一見非凡ながらも、あくまで日常の括りの中で過ごしていた私に訪れた非日常。それは私を無味乾燥な日々から拾い上げて、全く別の世界へと放り込んでくれた。

 ただ毎日を過ごすだけの日々から、私の日常は大きく姿を変えた。昼は学校に通う傍ら拾ってくれた姉のような、上司のような養い親から魔術の講義を受け、夜は魔法のステッキをふるって黒化した、理性のない英霊達と戦う。

 明確な目的をもって過ごす日々は、確かに今までより充実していた。私に欠けていた生きる動機、使命感、責任感をもたらしてくれたのだ。

 

 ‥‥そして何より、新たな家族と共に手に入れたのは初めての友達。

 私にとって初めて自分のことを友達と呼んでくれた存在が、私にとってどれほどにまで大切なものになったのか、私以外の誰も、それこそ常に一緒にいるサファイアだって分かっていない。

 今まで一度も手にすることのなかった“友達”という言葉を、本当に手にすることが出来た時、イリヤスフィールという私の友達は、私の中でこれ以上ないぐらいに大切な存在になった。

 

 だからこそ、私はイリヤのために剣を執る。

 もう戦うのは嫌だと怯えるように零したイリヤを、戦場へ連れて行きたくない。イリヤが嫌いなことを、もう彼女にやらせたくないのだ。

 思えば初めて会った次の日には、辛辣な言葉を吐いてしまった。それからも暫くはずっと冷たい態度をとり続けてしまった。

 今になって思えば、イリヤのような普通の女の子がこんな世界に突然入り込むことになったとして、そこで覚悟が出来るかと言われればそうとは限らない。いや、ほぼ間違いなく無理だろう。

 それでもイリヤは頑張って戦い続けて‥‥そして、今前の戦いで遂に戦線を離脱した。もう、彼女はよく頑張った。後は私に任せて欲しい。

 

 

「魔力切れによる強制送還‥‥! 私の魔力量じゃ宝具は一回が限度か‥‥!」

 

 

 今まで纏っていた銀と青の甲冑が解け、私は普段から着ている青い水着かレオタードのような衣装へと戻る。英霊の上書き状態が解けた衝撃で、サファイアは私の手が届かない向こうの方へと転がっていってしまった。

 

 イリヤスフィールがセイバー戦の時にやっていた、クラスカードを通じての英霊の力の自身への上書き(インストール)

 今までのように宝具だけを具現化するだけじゃなくて、英霊そのものを自分に降ろす。これはいわば超一級の降霊術だ。おそらくはサファイアによる無限の魔力供給があって初めて成り立つ荒技。それでも、これがこのカードの本来の使い道に違いない。

 黒化した英霊達が既に劣化した存在で、英霊を自分の身に降ろした私も多分それと同じくらい本来の英霊の実力を発揮出来ていない。それでも、それでも英霊と生身で打ち合えるだけアドバンテージはある。

 なによりこのセイバーは、イングランドの大英雄たる騎士王アーサー。その聖剣はバーサーカーの命を完全に削って消滅させることすら可能だと踏んでいたのだ。

 

 体中が痛い。常に自動治癒(リジェネーション)が働いているカレイドの魔法少女と言えども、そちらに回す魔力の余裕が無くなってしまえば治癒はおざなりになってしまう。何より傷が回復しても失われた体力までは回復しない。

 只の戦闘でも緊張から体力は想像され続けるというのに、相手がバーサーカーならば消耗も限界ぎりぎりになる。既に私の手足は震え、何より急激な魔力の消費が魔術回路を通して全身にダメージを与えていた。

 頭からの出血も自動治癒(リジェネーション)される前にサファイアとのリンクが途絶えてしまった。腕はもう震えが最大限まできていて、一度セイバーへの転身が解けてしまったせいで緊張感が途切れ、次にもう一度剣を握れるかどうかは不安。

 それでも、私は戦わなければならない。

 

 

『変身が解けた‥‥? 美遊様?!』

 

 

 バーサーカーは、強い。ただのサーヴァントではなく、その正体はギリシャ神話における世界でも有数の大英雄、ヘラクレス。

 神々から与えられた、一つ一つが並の英雄の偉業を超える試練を成し遂げた神の子。その肉体は鋼をも超え、その腕力は獅子をも制する。サーヴァントとして人に使役されることが信じられないくらいに破格の霊格を持ち、その実力も並大抵のものではない。

 そんな無敵に近いサーヴァントを相手にするのは、カレイドの魔法少女として並の魔術師を遥かに超える戦闘能力を持つとしても、それでも普通の人間である私。

 戦闘に負ければ、待っているのは死のみ。黒化して理性を失くした、ただでさえ狂戦士(バーサーカー)のサーヴァントとして顕現している英霊に、手加減などという選択肢はない

 ルヴィアさんも遠坂さんも鏡面界の外という手出し無用の場所にいる以上、助けはなく、負ければ確実に私は死ぬ。

 今なら、今ならサファイアと一緒にバーサーカーを攪乱して鏡面界から離脱するという選択肢もある。狭い屋内だ。壁の間を縫うようにしてあの巨体では侵入できない場所へと逃げこんで、ルヴィアさん達がそうしようとしたように鏡面界から逃げればいい。

 死ぬ、なんていう可能性を前に、本当なら私がここで踏ん張る必要なんてないはずだ。後日また再チャレンジするという選択肢だって本当ならある。

 

 それでも、私には退けない理由があった。どうしても退きたくない理由があった。

 ルヴィアさんや紫遙さんや、遠坂さんがそういうことをするとは考えたくないけれど、それでもきっと私が負けたら次はイリヤが呼ばれる。戦うことを嫌がっている、イリヤが呼ばれる。

 皆さんはとても優しくて思いやりがある人達だけど、それとは別に魔術師だ。冷徹に目的を遂行するために必要なことを判断できる魔術師だ。

 だからこそ、私一人では勝てないという結論が出た以上は他から助力を請うに違いない。“足りないものがあれば他所から持ってくる”のは魔術師として当然の判断だから。

 あの人達の最終的な目的は、“クラスカードを集めて冬木の地の霊脈の乱れを修正すること”。そして“自分たちの元いた並行世界へと帰還すること”。そのためならば、悪く言えば“自分たちとは別の世界の住人”であるイリヤスフィールを無理矢理にでも引き摺ってくることだろう。

 それは間違いなく悪いことでありながら、決して間違ったことじゃない。人間誰しも優先順位というものがあって、大事なものと大事じゃないものを天秤にかけて、選択して生きて行かなきゃいけないのだ。

 

 なによりもう一つ言えるのは、そんなことをしたら必ずあの人達は後悔して、自分を責めるだろうということ。

 私は何よりも誰よりもイリヤが大切だって公言できる。それでも私の命を拾い、居場所を作ってくれたルヴィアさんや力になってくれた紫遙さん。一緒に戦ってくれた遠坂さんやバゼットさん‥‥士郎さん達も同じくらい大切に思っている。

 だからこそ、私が負けてしまうことであの人達が後悔するような選択をしてしまうこともまた、同じくらい嫌だった。大切なイリヤや、大事な人達のためにも‥‥私は負けられない。

 

 

「戻ってサファイア! すぐに魔力供給を‥‥!」

 

 

 再度セイバーへの転身を行うために魔力供給をしなければとサファイアを呼ぶ。カレイドの魔法少女への転身自体はサファイアとの距離が遠くても解けないけど、魔力の供給だけはサファイアを握っていないと行われない。

 遠坂さん達から聞いた『十二の試練(ゴッドハンド)』の効果。Bランク以下の攻撃の無効化と、一度喰らった攻撃への体勢付与。私が放った『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』がもう一度通じる可能性は低いけれど、それでもセイバーの身体能力が無ければ勝利は確実に遠ざかる。

 最悪、一度『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』を使ってしまいはしたけれど、ランサーやライダーへの転身という手段もある。どちらにしてもサファイアが手元になければ始まらない。

 

 

『は‥‥はい———ッ?!』

 

「———ッ?!!」

 

 

 自立したサファイアが私のところへと飛んで来ようとした瞬間、見事に階下と繋がってしまった大穴から真っ黒な腕が現れ、その細い柄を握り折ってしまわんとばかりにサファイアをがっしと握りしめた。

 続いて現れたのは、その巨体を更に黒く、更に堅く、更に凶悪にした狂った巨人。今もまるで氷が割れるような音を立てながら体中がピキピキと自らの改造を続けていて、先程感じた妙な手応えにも納得できる。

 あれは『十二の試練(ゴッドハンド)』の効果をより視覚的にしたものだ。私の放った『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』を受けて命を散らしながらも甦り、一つの試練に打ち勝った証としてそれに対する耐性が発生するわけだ。

 それは理不尽でありながらも、あくまでも道理に適ったモノ。生前の功績をもって彼の大英雄に与えられた褒賞にして呪いである。

 

 

「くっ、サファイア‥‥!!」

 

『お逃げ下さい美遊様! 私が手元になければ物理保護も自動治癒(リジェネーション)も働きません!!』

 

 

 狂戦士に捕まったサファイアが悲痛な叫びを上げる。彼女の言う通り、私がサーヴァント達と戦うための最低条件である物理保護や身体強化、自動治癒(リジェネーション)も働かない。

 もしかしたら、サファイアの言う通りに逃げれば機会が掴めるかもしれなかった。でも私に攻撃の手段なしと踏んでかゆっくりと近づいてくるバーサーカーを目の前にして、私は完全に腰が抜けてしまって身動きがとれなかった。

 

 私に覆い被さってくる死の具現。圧倒的な破壊力を秘め、圧倒的な絶望を感じさせる。

 顔も体中も鱗のような、剣のような棘に包まれた異形の姿。その巨大な手はサファイアどころか私を一掴みにして握りつぶすことすら簡単だろう。

 今、ここにきて初めてはっきりしたことがある。いくら覚悟を決めたつもりだったとしても、やっぱり私は現実にそれを体験してみないと実感できないということを。

 私は、守られていた。覚悟を決めたつもりでも、それでも私はサファイアやルヴィアさんや紫遙さんや、他の色んな人に守られていた。

 こうして誰からの手助けもない状況で、死というものを間近にして、私は初めて自分がどれだけ無力なのかに気づかされる。今、これまで守られていた死という脅威を目の前にして、私はみっともないぐらい震えている。

 

 死ぬのが怖い。こんなところで一人で死ぬのが怖い。

 死ぬという、未知の事象に脅かされている状況が怖い。自分が死ぬ、無くなるということが怖い。

 これからどうすればいいのか、これからどうなってしまうのか分からないのが怖い。ただ確実なのは死んでしまえばそれでお終いということで、それがどうしようもなく怖い。

 

 私はこんなところで死んでしまうのか。私はこんなところで、一人で死んでしまうのか。

 死ぬという何も分からないことで、これで自分は終わってしまうのか。無くなってしまうのか。

 これで全てが終わってしまうのか。

 そんな色んな思考が頭の中をまるで紐が千切れてしまった暴れん坊の子犬のように、あるいは捕食者から逃げ回る小動物のように駆け回っていて、結局は全てが“怖い”“嫌だ”という感情に塗りつぶされる。

 

 

「■■ォ■ォ■■ォォ■ォ———ッ!!!」

 

「————ッ!!!」

 

 

 死ぬ。

 私はここで死ぬ。

 はっきりと、そう理解した。

 

 そのときだった。

 

 

「■■ァ■ァ■ァァ■ァ———ッ?!!」

 

「‥‥ッ?!」

 

 

 目の前に広がる、薄いピンク色。

 はためいたソレは真っ白な光を以て空間を縦に割き、私の前へと降り立った。

 

 

「イリ‥‥」

 

「リンさん! 効いたよ!!」

 

「了解! 二人とも行くわよ、続きなさい! Anfang(セット)———!」

 

Zeichen(サイン)———!」

 

Drehen(ムーヴ)———!」

 

 

 縦に走った閃光は私の目の前に迫っていたバーサーカーを斬り裂き、私の言葉を遮って叫ぶ。

 振り降ろした、私の相棒であるサファイアとよく似通ったデザインの杖の先から出ていた光刃から宝石が一つ飛び出して、それと同時に天井から三人の人影が降ってきた。

 三人の人影はそれぞれ手にした媒体へ魔力を通し、最初の攻撃で怯んだ狂戦士へと投げつける。

 

 

「「「『獣縛の六枷(グレイプニル)』———!!」」」

 

「■ォ■■ォ———?!」

 

 

 宝石とルーン石。渾身の魔力を注ぎ込まれた六つの媒介によって作られた結界は、六本の帯を作って獣と化した大英雄(ヘラクレス)を縛り付ける。

 注ぎ込まれた魔力の量は、全部合わせればAランクを優に超えるだろう。威力だけを比べるならば神代の時代に狼の王たるフェンリルを拘束せしめた魔縄にも匹敵する、まさしくそれを現代に蘇らせた大魔術。

 六つの媒介は縄だけではなく結界をも形作り、限定された短時間とはいえど完全に狂戦士を拘束せしめる。

 

 

「通った‥‥! ショウとミス・トオサカの言う通り、瞬間契約(テンカウント)レベルの大魔術なら通用しますわ!」

 

「代わりに魔力をごっそり持ってかれて、これ以上何も出来ないけどね。まったく、こういう荒事は苦手なんだけどなぁ‥‥!」

 

「何を仰っているのですか。この魔術は貴方が発掘してきたものでしょう、まったく‥‥?」

 

「だぁもう二人とも文句言わないの! 私だって聖杯戦争からずっと魔力貯めてた宝石二つも持ってかれたのよ?! ‥‥イリヤスフィール! 美遊! 長くは保たないけど今の内に体勢を整えなさい!」

 

 

 獣縛の六枷を張ったのは私のよく知る三人の魔術師。遠坂さんとルヴィアさん、それに調子を取り戻したらしい紫遙さん。

 常日頃から微妙に宝石を渋る癖のある遠坂さんも宝石を出し惜しまずに、現代魔術としては宝具の再現にも迫る破格の大魔術を、私のために行使してくれた。

 完全に拘束されたバーサーカーは獣縛の紐を引き千切ろうと足掻くけれど、流石に時計塔の鉱石学科でも五本の指に入るという魔術師三人の本気の大魔術はそう簡単には外れない。今もミシミシと悲鳴を上げてはいるけれど、立派に大英雄の抵抗に耐えている。

 

 

「イ‥‥イリヤ‥‥どうしてここに‥‥」

 

 

 私の手を離れていたサファイアが、投げられて戻ってくる。投げて寄越してくれたのはイリヤ。さっき私の絶体絶命のピンチにやって来て、バーサーカーから助けてくれた私の‥‥友達。

 少しだけ離れたところに立って、私から少しだけ目を背けて視線を逸らしている。

 

 あれだけ戦うのが嫌だと心の底から漏らしていたのに、どうしてまた戦場にやって来たのか。私がさっき二人だけ外に出してしまった遠坂さんとルヴィアさんに連れて来られたのか。

 そんな理不尽な怒りにも似た気持ちも湧いてくるけれど、それでも私を助けに来てくれたことが嬉しかった。それでも疑問は止まらなくて、私はバーサーカーの叫び声にかき消されてしまうぐらいか細い超えで問いかけた。

 

 

「ごめんなさい」

 

「え‥‥?」

 

「わたし———バカだった。

 何の覚悟もないまま、ただ言われるままに戦ってた。戦ってても‥‥どこか他人事だったんだ。こんな嘘みたいな戦いは現実じゃないって‥‥。なのに‥‥その『ウソみたいな力』が自分にもあるってわかって‥‥急に全部が怖くなって‥‥!」

 

「イリヤ‥‥」

 

 

 相変わらず私に背中を向けたまま、それでもその小さな背中が細かく震えているのが分かる。

 まるで、無理矢理に絞り出すような声。かといって無理をしているわけではなく、それはどちらかといえば自分を虐めているかのような、自分が情けないような、まるでさっきの私みたいな声。

 

 

「‥‥くっ、やっぱり長くは保たないか!」

 

「解れてるの蒼崎君の担当の箇所じゃないのよ! しっかりしなさいってば!」

 

「無茶言うなって! こちとら只のルーン石で、一端とはいえAランク魔術なんて無茶やってるんだぞ?! そういう遠坂嬢こそ宝石ケチったんじゃないのかい?!」

 

「んなわけないでしょ! なんなら蒼崎君の方に請求書回したっていいんだからね!」

 

「‥‥それは、勘弁」

 

 

 瓦礫が崩れる音も、バーサーカーが暴れて建物が悲鳴を上げる音も、そして遠坂さんやルヴィアさん達の話声さえも。

 全てが遠いところでBGMのように流れていて、不思議と私の意識はイリヤの言葉だけに集中していた。掠れるように、それでも精一杯声を出して私に何かを伝えようとするイリヤの言葉だけに集中していた。

 私の友達。初めての友達。イリヤは確かに涙を流しながら、それでもしっかりと口を開いて私に喋りかける。私がイリヤのためにと思って一人で戦っていたのに、それを無視して、私のピンチにやって来てくれた友達。

 そのイリヤが何を言おうとしているのか、まだ彼女の口から聞いていないはずなのに、私は何故だろうか、胸が熱く、鳴ってきたのを感じ取った。

 

 

「でも、本当に馬鹿だったのは、逃げ出したことだ! 美遊に全部なすりつけて、それで自分だけ安全なところで安心できるわけがない!

 どんなに自分のことが、何もかもが怖くても‥‥“友達”を見捨てたままじゃ前へは進めないから‥‥ッ!」

 

 

 カレイドの魔法少女は二人で一つ。

 それは決して二人で連携して戦うとかそういう意味じゃない。結果としてそうなるかもしれないけれど、それは結果であって目的でも真実でもない。

 私達は、お互いに理解し合って、助け合って、一緒にいて、それで二人で一つなんだ。上手く言葉に出来ないけれど、今この瞬間、私は以前に聞いたこの言葉の意味を本当に理解したような気がした。

 まるで私の思いを感じ取ったかのように、この手に握ったサファイアがイリヤの持ったルビーに引っ張られる。まるで濡れた指でワイングラスの縁をなぞった時のような澄んだ音が二本のステッキから響いて、同時に激しく震え出す。

 これは、ステッキの共振だ。私とイリヤの心が重なったのを感じ取って、イリヤがステッキの能力を導いている。サファイアと少しだけ話したイリヤの能力だ。『過程を無視して望む結果が導き出される』。

 

 

「くっ、『獣縛の六枷(グレイプニル)』が解けますわよ!」

 

「だあぁぁ! やっぱり俺の魔力じゃ不十分かぁっ! ‥‥こりゃ研究見直さないとなぁオイ」

 

 

 ビシリ、ミシリと紫遙さん主導による遠坂さんとルヴィアさんの大魔術は悲鳴を上げて千切れていく。どんなによく出来た術式であろうとも、そも人間の身で英霊を縛るということ自体に無理があったのだ。

 英霊とは過去に人間であったとしても、座に上った時点で人間を超える。その在り方自体はもはや精霊や神霊に近く、完全に人間の上位種族であるのだ。いや、もはや種族という概念すら間違いかもしれない。

 

 

「遠坂、ルヴィア、紫遙、そこどけっ! 一つ減らすっ!」

 

「許可する! 無茶しなさい士郎っ!」

 

 

 士郎さんが黒塗りの弓と捻れた剣を構えて遠坂さんに尋ね、許可を出した。弓に番えられた矢の名前は硬き雷(カラドボルグ)。Aランクに匹敵するだろう宝具の真名解放はバーサーカーの『十二の試練(ゴッドハンド)』を抜くには充分だ。

 しかし、今はそれも不要。既に私の聖剣で二回、呪いの朱槍で一回、バゼットさんの逆光剣で一回。都合四つの命を削り取っている。それでも残った三つの命を、この場で削り取って消滅させるだけの攻撃手段が私達の手の中に顕現しつつあった。

 

 

万華鏡(カレイドスコープ)

 

 

 ———そう、それは獣を縛る縄が千切られ、敵が拘束を破ると同時のこと。

 鏡面界に現れた太陽。

 燦爛と輝くその黄金の光は、私とイリヤによって喚び出された稀代の聖剣‥‥九本によって作られた神秘の結晶。

 

 同じ攻撃は二度と通じないはずのバーサーカー。ではその守りを、神々の存在をも超えるかもしれぬ偉業の数々によって手に入れたその宝具を抜くには何をどうすればいいのか。

 簡単だ。神秘は、より濃い神秘に打ち消される。逆を言えば、それ以外によって神秘を打ち砕くことなど出来はしない。

 星が生んだ至高の神秘たる『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』。それが一本ならば、単純な威力以外の効果を持つ『十二の試練(ゴッドハンド)』自体を抜くことは出来ないだろう。

 しかし、それが九本。万華鏡(カレイドスコープ)の煌めきによって生み出された寸分違わぬ九本の聖剣の持つ神秘の量は、『十二の試練(ゴッドハンド)』を優に圧倒する。

 

 太陽の輝きは、ギリシャが世界に誇る大英雄を鏡面界ごと飲み込み‥‥そしてその後には、何も残っていなかった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「‥‥『弓の騎士(アーチャー)』、『騎乗兵(ライダー)』、『槍の騎士(ランサー)』、『魔術師(キャスター)』、『剣の騎士(セイバー)』、『暗殺者《アサシン》』‥‥そして『狂戦士(バーサーカー)』」

 

 

 冬木は新都にあるビルの屋上。

 地べたにズラリと並べたカードを、全体的に付かれた雰囲気を滲ませた遠坂嬢が数え上げる。

 空はまるで黒い画板にビーズでも落としたかのようなぐらいにキラキラした星空のはずなんだけど、格子模様に覆われた狭い空には曇ったように真っ黒な霧がかかっていた。

 おそらくビルの下を見下ろしても、まるで空の上に建物が浮いているかのように真っ黒な空間と格子模様が広がっていることだろう。そう、ここはまだ鏡面界の中なのだ。

 本来なら歪みの原因であるカードと黒化した英霊、サーヴァントを除去すればすぐさま鏡面界は崩壊してしまうはずだけど、今回は歪みを意図的に増幅させていることでカードを失った鏡面界を保持している。

 そうする必要があるのだ、今回ばかりは。最後のカードを集め終わった俺達には、最後の大仕事が待っていた。

 

 

「すべてのカードを回収完了。これで‥‥コンプリートよ」

 

「やれやれですわね。冬木にやってきて一週間程度だというのが信じられないぐらいに疲れてしまいましたわ」

 

「大丈夫か遠坂? ホラ、へたりこむとかっこわるいぞ」

 

 

 バーサーカーとの激闘を終えて鏡面界から脱出した俺達は、それでも遠坂嬢の溜息に便乗したくなるぐらい尋常じゃなく疲れてしまっていた。

 衛宮はまだいい。カラドボルグの投影をしたとはいえ真名解放までは至ってないし、俺と一緒で最初の戦闘には参加していないから大して魔力は使っていないはずだ。

 それに対してAランクの大魔術を行使した俺やルヴィアや遠坂嬢は、それこそ今すぐに布団にぶっ倒れてまいたくなっているぐらいに疲労の色を隠すことが出来ない。Aランクの魔術は本当に人間が扱う限界ギリギリの魔術なのだ。そう簡単に、というか滅多に使うものじゃない。

 

 『獣縛の六枷(グレイプニル)』は、Aランク魔術の中でも結構特殊な方で、厳密にカテゴライズするならば魔術というよりは宝具に近い。宝具を魔術で再現した魔術なのだ。

 六つの宝石やルーン石などの魔力を大量に込めた媒体を用意して、それを用いて結界を張る。媒体と地面に描かれた魔法陣を繋ぐ六本の帯だけではなく、十二面の結界を張ることで外部への一切の干渉を防ぐ、かなり高度な結界術である。

 ‥‥自画自賛になってるな。うん、実はこの魔術を考案したのは他ならぬ俺なんだよ。俺の本来の研究の途中に試作品のようにして考案したもので、形にした当初は実際に使う羽目になるとは欠片も思わなかった。

 だってさ、なにしろコレって前提条件からして俺が使うように出来てない。理論は完璧だけど大量に魔力を必要とするから、そもそも俺では発動できないのだ。

 

 

「‥‥ショウ、大丈夫ですの? あまり良い言い方ではないかもしれませんが、貴方の魔力でアノ術式は難しかったでしょう?」

 

「まぁ二人に大分負担してもらったから何とか大丈夫だよ。それよりも、どっちかっていうと精神を小刻みにした影響がキツイな。いくら記憶をガードするためとはいえ‥‥ここまで連続で荒行事に及ぶと障害が心配だな‥‥」

 

 

 記憶は魂に刻み込まれている。そして決して忘れることはない。

 魂について扱う魔術とは、言わずとしれた第三魔法や死徒二十七祖の番外位であるアカシャの蛇の術式を代表としていずれも大魔術と称される非常に困難な技術である。

 では何故に魂に刻まれるはずの記憶に干渉する暗示などの魔術が初歩的と称されるのか? 答えは簡単。つまるところ魂には触れていないからである。

 

 一般的な記憶に干渉する魔術は、魂ではなく精神に干渉する。人間の第一要素である肉体に先ず干渉し、第一要素である肉体と第二要素である魂を繋ぐ精神から、間接的に魂の表層に刻まれている記憶に干渉するのだ。

 そして鏡面界へと侵入する際に俺達の記憶を奪う魔術の恐ろしいところは、俺達が鏡面界へと侵入する際に瞬間的に二次元世界へ存在していることを利用して、おそらくは術者のいる三次元空間からの、つまりは高次元から低次元への干渉を行うことだ。

 高次元からの干渉に低次元に存在している者は逆らえない。否、干渉を知覚することすら出来ない。ならば俺はどうやってこの精神干渉の魔術に対抗すればいいのだろうか。

 

 

「‥‥まったく、精神を分解して意図的に混濁させて魂への影響を防ぐとは、無茶なことを考えつくものですわね。失敗すれば即座に廃人ですわよ?」

 

「ルヴィアゼリッタの言う通りよ。どれだけ切羽詰まってるかは知らないけど、一歩間違えればギャンブルじみた自殺じゃないの」

 

「そうでもしなけりゃ記憶を読まれちゃうんだから仕方がないだろう? これ以上、この事件の黒幕に情報を与えてやるわけにはいかないんだからさ」

 

 

 精神を介して魂から記憶を探るのならば、介している精神に干渉できないようにすればいい。

 そして俺程度の防壁が破られてしまうのならば、今度は根本から方法を変える。即ち、精神を細切れにして攪乱し、それによって精神を足がかりに出来ないようにしてしまうのだ。

 元々、好んで使うものが非常に少ないとはいえ、精神を細切れにして洗浄することにより短時間で効果的にストレスや疲労をリフレッシュする手法は存在する。“Fate/Zero”で衛宮切嗣が使用していた例もあるのは覚えている人も多いだろう。

 ただしあの手法では肉体も精神も完全に無防備になってしまう。整理、洗浄するのでは意味がないわけだから、今回の俺がとった商法はかなり乱暴なものとなった。

 即ち、何の規則性も順序もなく適当に乱雑に精神を切り刻み、それを意図的に攪拌、攪乱する。これによって先ず精神を把握するという手順が不可能になり、結果として魂の表層へのアクセスが出来なくなるのだ。

 

 

「まぁ危険を冒した甲斐はあって、何とか成功したみたいだよ。防壁は案の定しっかり破られてるけど、記憶まで覗かれた感触はない。その代わり、復旧してからすぐにAランク魔術なんか使ったせいで頭痛と吐き気が酷いけど‥‥」

 

 

 当然ながら、このやり方は遠坂嬢が否定した通り結構な危険をはらんでいる。それこそ一歩でも間違えれば廃人一直線だし、そうでなくとも記憶障害や精神障害などの某かのデメリットが後々生じる可能性だってあるだろう。

 問題は、それでも俺の記憶をこれ以上相手に渡してやるわけにはいかないということ。最初にアサシンの触媒を盗んだ時にどれだけ覗いたのかは知らないけれど、それでも詳しい情報までは入手していないと信じたい。

 だとすれば、少なくともアサシンの触媒の出所が気になるのは当然のことで、相手が真っ当な魔術師ならば次は必ず俺を集中的に探ってくる。だからこそ今回はイリヤスフィールの説得ということで時間をずらして鏡面界に侵入したわけだ。

 もちろんヘラクレスが召喚された後でも、鏡面界に侵入する以上は俺の記憶を奪う機会だって存在する。何にせよ危険を冒した甲斐はあって何とか記憶は守れたわけだけど。

 

 

「いいじゃないか、何にせよ無事に任務は完了したわけだしさ。遠坂もホラ、そんな難しい顔するのは止せよ」

 

「士郎、アンタはちょっと楽観視が過ぎるわよ。確かにカード自体は全部回収したけれど、それだからって何もかも万々歳ってわけじゃ、ないんだからね」

 

「‥‥わかっちゃいるつもりだけど、な。どっちにしたって少しぐらい休憩した方がいいと思うぞ。紫遙もあの調子だし、バゼットだって———」

 

 

 ちらり、と自分のことで手一杯だった頭に余裕を作って辺りを見回す。最初に鏡面界に侵入した俺達と美遊嬢やイリヤスフィールを含めて、この事件に関わった全ての人がこの場所に集合していた。

 俺やルヴィア、遠坂嬢や衛宮は当然として、目立たないようだけど当然ながらバゼットだって一緒にいる。最初に宝具を放ってバーサーカーを一度殺した時にまたもや傷が開いたらしく、眉間に深い皺を寄せて脂汗を額に浮かべているけれど。

 

 

「私は大丈夫ですよ。宝具を撃っただけですし、確かに消耗はしていますが動き回ることに問題はありません」

 

「本当に平気なのか、バゼット?」

 

「心配しないで下さい士郎君。自分で言うのも何ですが貴方達とは鍛え方が違いますよ」

 

 

 他の連中に比べて彼女の傷が深いのは、たった二人同然という状況ながら完全に生身で英霊、それもクー・フーリンを打倒したからに他ならない。

 なにせ彼の光の御子の持つ呪いの朱槍によって付けられた傷は異常に治りが遅くなる。何とかルーンやら何やらで当面の行動を阻害しないぐらいには繕っていても、戦闘、あろうことか宝具まで使った激戦を行えば傷が開くのも当然と言えよう。

 この事件の間中かなり影が薄かったけれど、それも自分の部屋で療養に励んでいたから。本来ならセイバーを欠いたこの面子の中で、カレイドの魔法少女であるイリヤスフィールや美遊嬢を含めても最強に近い位置にいる彼女が戦いに参加しないはずはないのだ。

 療養に集中する余りアドバイザーとしても活躍出来なかったことをさぞや悔いているに違いない‥‥とは思うけど、実際は有意義な生活を満喫していたことだろう。horrowではあんなだったけど、実際に付き合ってみると意外に怠惰なところがあるよ、彼女。

 

 

「私は大丈夫ですよ。宝具を撃っただけですから、傷が開いて消耗したぐらいです。実際に動き回るのに問題はありません」

 

「あぁ頭がガンガンする。余裕が出来たら、しっかり精神の整理をしておかないとなぁ‥‥。正直微妙に混濁してるよ」

 

「キツかったら休んでいましょうか? 別に今すぐに“行かなきゃ”いけないってわけでもないし‥‥」

 

 

 口では平気と言いながらも顔に浮かんだ脂汗が痛々しいバゼットと、同じく嫌な汗をこめかみに浮かべている俺に遠坂嬢が心配そうに話しかけて来た。

 確かに体調は未だかつてないぐらいの最悪に近い。頭はガンガンと破鐘のように鳴り響いているし、目眩が酷くて、自分では分からないけど本当に俺の頭は揺れ動いているのかもしれない。

 精神は細切れの状態からしっかりと復活させたはずだけど、それでもまだ解れてるところがあるのか油断すると意識が混濁しそうになる。この辺り、やっぱり荒行事があからさまに影響している。こんな博打じみた真似をする魔術師、魔術師としてどうなんだろうか。

 

 

「‥‥いや、すぐにやってしまおう。あんまり長引かせても、お互いにツライだけだしね」

 

「そう‥‥。ルヴィアゼリッタも問題ないわね?」

 

「仕方がありませんわね。いずれにしても、遠からず訪れる別れですわ。ならば早ければ早い程に傷も浅いと信じたいものですし」

 

 

 体と頭は休息を求めている。それでも、俺は遠坂嬢の言葉に含められた意味深なニュアンスを感じ取り、すぐにでもへたり込みそうになる足に無理矢理力を入れて立ち上がった。

 多分いつも通りのスーツの下では真っ赤な汗をかいているに違いないバゼットも、同じように普段の癖でネクタイを締め直す。彼女は何か疚しいような事態に直面すると、いつもこのように咳払いと一緒にネクタイを弄り回すのが常なのだ。

 

 冬木の地にばらまかれた正体不明の七枚のクラスカード。それらをつつがなく回収し終えたことで宝石翁から受けた任務については完了なわけだけど、俺達にはまだやらなければいけないことが残っている。

 事後処理? 後始末? いやいやそんなもんじゃない。そんなことをする前に、やらなきゃいけない大前提ってものが残っているのだ。

 ‥‥そう、何せ俺達が今いるこの場所は、俺達が本来いるべきところじゃないのだから。

 俺達は、自分たちのいるべき場所に帰らなければいけないのだ。

 

 

「‥‥イリヤスフィール、美遊。取り込み中悪いんだけど、ちょっといいかしら?」

 

「はい?」

 

「どうかしましたか、遠坂さん?」

 

 

 俺達とは少しだけ離れたところで互いに友情を確かめ合っていたイリヤスフィールと美遊嬢が、遠坂嬢に呼ばれてこちらへやって来た。

 ‥‥微妙にルビーが機嫌良さ気に体をくねらせてるところから察するに、どうやら友情を確かめ合っていただけではないらしい。もしかしたらまたルビーが何かやらかしたのかもしれない。

 ここのところ始終シリアスな雰囲気で事件が進行していたからめっきり大人しくなっていたみたいだけど、このステッキの本質は書いて字の如し、“愉快型魔術礼装”である。久しぶりに好き勝手できそうな空気を放っておくはずはない。

 世界には自分と同じ顔をした人間がもう二人いるという話はよく聞くけれど、もしかしたら性格までそっくりな人間だってもう二人いるんじゃあるまいか。

 まぁ、そうなるとルビーが世界には少なくともあと一人は隠れているということになるから不安にはなるんだけど、まぁ気にしない方向でいこう。そうそう遭遇することなんてあるまいよ。

 

 

「勝手に巻き込んでおいてなんだけど、貴女達がいてくれてよかった。私達だけじゃ多分勝てなかったと思う。最後まで戦ってくれて、ありがとうね」

 

「今更かもしれませんが私からもお礼を言わせて下さいませ。二人とも本当によくやってくれましたわ。特に美遊、私も養い親として鼻が高いですわよ」

 

「‥‥そんなことは、ありません。皆さんがサポートしてくれたから‥‥イリヤがいてくれたから、勝てたんです。私の方からも、お礼を言わせて下さい」

 

「おいおい、義理堅いにも程があるぞ。そこまで恐縮することないって。ホント、美遊とイリヤには助かった。俺は殆ど何もしてないけど、本当にありがとう」

 

 

 ルヴィアの養い子であり、魔術の弟子でもある美遊嬢が珍しくも照れた様子で口を開く。すこしだけ目を細めて頬を染めた様子はまるで素直になれない子猫のようで実に可愛らしい。

 続けられた衛宮のお礼に更に顔を真っ赤にしてイリヤスフィールの後ろに隠れたのは、何故なのか不思議だったけど。

 

 ‥‥自分勝手に行動した結果としてのイリヤスフィールとルビーの契約はともかくとして、美遊嬢に関して言えば俺達が彼女を巻き込む必然性は、ルヴィアと何度も話し合ったことだけど、実は殆ど無かったと言える。

 だからこそ、彼女の思惑としてどうであれ、今まで俺達の言うことを聞いて戦い、学び、共に過ごしてくれた美遊嬢には感謝してもし足りない思いであるのだ。

 多分、それはルヴィアが一番感じているところだと思う。まだ俺達が来たこの世界が並行世界であると知らなかった時、彼女を自分の弟子として立派な魔術師に育て上げると“契約”までしていたのだから。

 

 魔術師にとっての契約とは、誓約(ギアス)のように破った場合某かのペナルティが発生するような代物じゃない。別に契約するときに面倒な儀式やマジックアイテムなんて必要ないし、その場の口一つで行える、いわば口約束のようなものだ。

 だとしたら、何故それが口約束でなくて契約と呼ばれるのか。魔術師にとっての契約とは何か。

 契約とは、俺達魔術師が必ず達成すると自分自身に宣言する行為である。心の中で決心するのではなく実際に口に出すことで、仮初めながらも心理的な拘束力を自らにもたらす。

 そしてそれと同時に、拘束力は自らの力と成り得るのだ。これは全て、実際に現実的な効果が出るものでないにせよ、魔術を行使する上で幾分の足しになることもまた事実。

 だけど何より、契約とは魔術師の矜恃に大きく関わる行為なのだ。魔術師がわざわざ契約と口に出した異常、魔術師としての矜恃と在り方に賭けて達成する必要が生じる。

 故に、魔術師が一度口に出した契約を達成出来ないというのは例え他人に知られていなくとも非常に不名誉であり、恥ずべきことであるのだ。

 

 

「ところでルヴィアさん、クラスカードは全て集め終わりましたが、これからどうするんですか? クラスカードが原因で地脈が歪んでいるという話もお聞きしましたし、何よりクラスカードが自然と発生したものでない以上は原因の究明も‥‥」

 

「あぁ、その辺りはひとまず放置ですわ。私達が命じられたのはクラスカードの回収ですもの。地脈云々や召喚術に関しては、残念ながら門外漢も良いところです。それについては戦闘が終わった冬木に、専門の調査団が派遣されることになるでしょうね」

 

「えぇっ、そんな適当な姿勢でいいの?!」

 

「‥‥あのね、いくら私達だって何でも完璧に出来るわけじゃないのよ? 何よりまだ学生やってるわけだし、向こうの講義もあるんだから長居してるわけにもいかないのよ」

 

「二人とも万能型の魔術師だからね。魔術教会の総本山から派遣される専門の調査団の方が、手早く詳細な調査が出来るのは当たり前のことだよ、イリヤスフィール、美遊嬢」

 

 

 確かに遠坂嬢もルヴィアも天才と称されるに相応しい優秀な魔術師だけど、時計塔もアレで伊達に世界に冠たる魔術教会の総本山じゃない。バルトメロイ女史を筆頭に化け物クラスの魔術師はソレこそ掃いて捨てるぐらい存在するし、なにより万能型は専門家には適わない。

 遠坂嬢の言うとおり、別に冬季休業中というわけでもないから講義自体は普通にやっているし、いくら俺達が宝石翁によって特別に授業免除の許可を貰っているとしても、帰ったら進んでしまった講義に追いつかなければならないのだ。

 何よりこのクラスカード、正直言って素で持ち歩きたい代物じゃない。早いとこ帰って適切な方法で処分ないしは保管してもらうのが一番だろう。

 まぁ、それより何より———

 

 

「向こうにはセイバーも待たせてるしね。早いとこ帰らないと色々と不安だわ。二人とも、本当に世話になったわね」

 

「え‥‥?」

 

「どういう‥‥ことですか‥‥?」

 

 

 深く息を吐き出すかのように呟かれた遠坂嬢の言葉に、美遊嬢とイリヤスフィールは一瞬凍り付くと怖ず怖ずと口を開いた。

 微妙に笑顔を作った二人に対して、衛宮やバゼットも含めた残る五人は渋い顔。いや、どちらかといえば神妙と称するべき難しい顔をして思い思いの方向を見つめている。流石に今、美遊嬢とイリヤスフィールと視線を合わせることができる猛者は遠坂嬢とルヴィアの二人だけだ。

 二人とも気づいたのだろう。“世話になった”という単純な言葉が含む意味は、普通に考えれば今までの礼というものだ。しかし残念なことにこの言葉は、それと同時に別れの定型句としても使われる。

 

 

「私達が冬木(こっち)でやらなきゃいけないことはもう何もないわ。だったら冬木(あっち)に、居るべき場所に戻らなきゃね」

 

「‥‥冬木(あっち)?」

 

「そう、あっち。覚えてないのかしらイリヤスフィール? 私達は、この世界の住人じゃないのよ?」

 

「———あっ!!」

 

 

 魔術師という括りの違いこそあれ、本来なら全く違うところのない同じ人間のはず。しかし、それでいながら俺達とイリヤスフィール達の間では明確な違いが存在する。

 違う世界。並行世界の住人である俺達は、それこそ本来ならばこの場所に存在していいはずのない人間なのだ。ただその一点だけで、彼女達と俺達の間には明確な線引きがされていた。

 

 並行世界の運用は、第二魔法と呼ばれる最上級の神秘によってのみ為されると定義されている。コレは即ち、並行世界に関することが人間の、たとえそれが魔術師であっても手に余るものだということを示しているのだ。

 魔法とは魔術師がたどり着く究極の一の一つ。第二魔法は使い手が度々現世に出没して戯れに弟子をとったりしていることから最も概要が掴めている魔法の一つだけど、それでも概要は概要に過ぎない。

 つまり、並行世界に関する事柄で俺達の理解が及ぶ範囲というのは非常に狭く、その殆どが全く未知の存在であるということだ。

 故に並行世界の人間が別の世界に入り込んだことで、どのような影響があるのか全く分からないのだ。今は影響らしい影響が全くないけれど、もしかしたら何時ぞやの俺のように精神的な悪影響が出ないとも限らない。

 だからこそ、手段があるなら急いで自分達が本来いるべき世界へと戻らなければならない。元々からしてハプニングのような来訪であったのだから、準備も出来ていない状況でこのように暇を持て余しているべきではないのだ。

 

 

「この世界にも私達がいること自体は確認できているの。そしてその私達が、この私達と同じように倫敦を出発して冬木へやって来たことも、ね。なのに一週間の間、同じ街にいるはずの彼女たちに会えない‥‥」

 

「事故や事件など、この世界の存在の範疇で想定できることはたくさんありますわ。しかし一番考えられるのは、この世界の私達も、私達と同じように並行世界に紛れ込んだということ。

 だとしたら、これは希望的観測に過ぎないのかもしれませんが、もしかしたら別の並行世界へと紛れ込んだこの世界の私達も、今の私達と同じように脱出への準備を整えているかもしれませんの。そうでしょう?」

 

 

 無限に存在する並行世界。だからといって大きく異なった可能性世界が大量に存在するというわけじゃない。

 例えばあの時あの道を右じゃなくて左に曲がったら? もしくはそもそも途中で引き返したら? そんな些細な選択肢からでも大きな違いが生まれることは決して難しいことじゃないだろう。

 それでも途中で川に支流が生まれたとしても最終的には本流に戻ってきたり、同じように海へと辿り付くように、並行世界の在り方は決して大きく異なるものじゃない。

 あまりにも変わり果ててしまったならば、それは並行世界ではなくて異世界の在り方だ。そもそも偶然というものは非常に限られた局面でしか発現しないものだという理論もあるしね。

 

 故にこの世界の彼女たちも俺達と同じような道筋を辿っていた以上は、飛ばされた向こうの世界でも俺達と同じような手順を辿って脱出への道に辿りついたかもしれない。

 そして俺達がいまいるこの世界と、元いた世界を繋げる遠坂嬢とセイバーとのレイライン。これを辿っていたとすれば、この世界の彼女達の飛ばされた世界は俺達が元いた世界である可能性も高いのだ。

 この世界の彼女達も、基本的には俺の知っているルヴィアや遠坂嬢と同じのはず。立場が微妙に違った衛宮士郎も人間的な変化は特に見られなかったように。ならば別の並行世界に飛ばされた彼女達が取る行動も、また俺達と同じようなもののはずである。

 

 

「シェロはまだ何ともなっておりませんが、もし彼女達が一足早くこちらの世界への帰還に成功したりすれば、一つの世界に同じ人物が何人もいるという状況を世界がどう判断するか分かりませんわ」

 

「なんだかんだで士郎って色々と特別だからお目こぼししてもらってるのかもしれないしね。いくら第二魔法の系譜にいるからって、さして特別な存在じゃない私達じゃどうなるか分かったもんじゃないってことよ。

 それなら、おそらくは向こうの世界でこっちの世界の私達も同じような結論に達しているだろうって考れば同時に近いタイミングで互いに入れ替わることができるはずだわ」

 

 

 世界は矛盾を許さない。

 俺達の属する全ての基盤が世界そのものである以上、世界の命令は絶対だ。世界が全ての基盤になっているのだから、絶対支配者である世界の支配の目を逃れるようにして異能を行使するのが魔術師である。

 例えば固有結界。これは術者の心象風景で現実をめくり返すという、一番明確な矛盾の在り方だ。故に固有結界や、他にも投影魔術などは世界からの修正を受け続けるために長続きしない魔術とされている。

 過去、アーチャーが自分殺しという最大の矛盾を成し遂げることで自身の消滅を願ったように、世界の修正力は英霊をも消滅させる可能性を秘めているのだ。

 ‥‥実際そうなるかはさておいて、期待できる力は持っているということである。

 

 根源への探求も世界がはっきりと敵視する矛盾に含まれている以上、ある意味では魔術師の最大の敵が世界であると言っても過言ではなく。魔術の探求において最も困難なのは、魔術自体の習得よりも世界を如何にして騙すかという点にあるのかもしれない。

 だからこそ、今回の帰還についても慎重にタイミングを決定する必要があった。もしかしたら帰還に失敗するかもしれないし、下手すれば向こう側の遠坂嬢やルヴィアも巻き込んで全員が消滅してしまうかもしれないのだから。

 

 

「‥‥こんな、こんな突然お別れするなら最初に言っといてくれてもいいんじゃないかな?」

 

「悪いわね。ちょっとドタバタしてたし‥‥私としても、言うタイミングが掴めなかったのよ。だから言ったでしょう? 本当にありがとうって。あんなこと、これっきりのお別れでもなかったら言わないわ」

 

 

 イリヤスフィールの不満に、困ったような、寂しいような表情をした遠坂嬢が答える。

 彼女にとってイリヤスフィールの顔は、つい二年ちょっと前に殺し合いをした仲である。色々と複雑な感情もあるだろうに、一週間の共闘ですっかり情が移ったらしい。

 名実ともに時計塔の学生では最高の腕を持ちながら、心根はどちらかといえば普通の人間に近い不思議な遠坂嬢。そういう優しい姿勢は魔術師としてはよろしくないかもしれないけれど、遠坂嬢がそんなじゃなかったらこうして友達付き合いもしていなかったことだろう。

 まぁ魔術師が友達っていうのが、そもそもおかしいのかもしれないけどね。もともと俺達四人‥‥セイバーも入れて五人は時計塔でもかなり浮いていることだし。

 

 

「ええっ?! それじゃあこれでもう会えないんですか?!」

 

「当然でしょ? 並行世界への移動は第二魔法の管轄。今回は完全にイレギュラーな形だから可能だとは思うけど、本来なら魔法使いにしか行使できない最上級の神秘なんだから。

 ‥‥そうね、私か貴女が第二魔法を習得したりしたら話は別かもしれないけれど、今度は無数ある並行世界から的確にお互いの世界を選ぶっていう難行が待ってるからね。可能性は低いと思った方がいいわ」

 

「魔法‥‥かぁ」

 

「いくら貴女に才能があっても、流石に魔法まで達するのは無理でしょ? あれは一代で成し遂げられるようなものじゃないわ。ましてや、アインツベルンは確か第三魔法の系譜だって聞いたこともあるし」

 

 

 当たり前といえば当たり前の遠坂嬢の言葉に、イリヤスフィールがしょぼんと小柄な肩を落とす。最後の一言はぼそりと呟かれただけなので聞こえなかったみたいだけど、今までにない程に濃い一週間を過ごした相方のような存在との離別は子供にとって非常に寂しいものであるようだ。

 

 

「‥‥あ、そしたらルビーともお別れなのかな? リンさん達に付いていくんでしょ?」

 

『いいえー、せっかく巡り会えた理想の玩具(オモチャ)と離れる気なんてありませんよー? 私はイリヤさん達と一緒にこの世界に残らせて頂きます、あはー』

 

「ええっ?! だってルビーって向こうの世界の偉い人に貸して貰ったってリンさん言ってたよ? それなら返さないと大変なんじゃないの?」

 

「‥‥色々と事情があるのよ。ルビーが了承しないっていうのもあるんだけど、一番の理由はルビー達を置いて行かないと私達が帰れないってことね」

 

「え‥‥?」

 

 

 溜息と一緒に吐き出された遠坂嬢の深刻なセリフに反応したのは、目の前で話していたイリヤスフィールではなく、俺とルヴィアとバゼットに囲まれるようにして、まるで自分はこちら側の人間であると言わんばかりに黙って立っていた美遊嬢だった。

 遠坂嬢の短いセリフから何を読み取ったのか、まるで信じられないような、怯えるような視線を俺とルヴィアの方に向けてくる。

 一歩後ずさりかけて‥‥すぐにまた一歩踏み出した。俺とルヴィアも肩が触れ合うぐらい近くに立っていたけど、あまりの接近に二人ともが美遊嬢と胸板が接するぐらいまで近づいてしまった。

 

 

『‥‥今回、ルヴィア様達の帰還に使う術式では、術式の行使手である私達(カレイドステッキ)が鏡面界に残る必要があるんです。ですから、私と姉さん、しいては私達のマスターであるイリヤスフィール様と美遊様も必然的にこちらに残るという形に‥‥』

 

 

 遠坂嬢から説明を引き取ったサファイアの発言に、辺りが沈黙に支配される。沈黙の発生源は、俺達を見上げてくる美遊嬢だ。

 すがるような視線が表す意図は明確。即ち、自分がどうして置いて行かれるのか、どうして自分をおいていくのかと俺達に問いかけているに違いない。

 

 

「‥‥どうして」

 

「先程、私達が今すぐに帰還しなければならない理由は説明しましたでしょう? 貴女についても同じです。別の並行世界の住人を連れて行くことで、どのような影響が出るか分からないのですわ」

 

「転移自体に失敗するかもしれないし、転移した後に影響が出るかもしれない。世界の修正力は陰湿だよ? ‥‥向こうで人格崩壊なんてしてしまったら、後悔するのは全員だ。だから悪いけど、君を向こうに連れて行くことは出来ない」

 

 

 沈黙を切り裂くように、ルヴィアと俺の感情の揺らぎがない冷たい声がビルの上に響き渡る。

 やるべきことはやるべきことだとして割り切れる人種が魔術師。であるならば、魔術師として接することでしかこの件について美遊嬢に言い渡せなかった、“普通の人間”としての俺達は相当に弱い人間であったらしい。

 おそらく、美遊嬢を見つめる俺達の目は揺らいでないとは思うけど、それでもそれは魔術師として目的を達しようとしている俺達だからで、本当の俺達は顔が歪んでしまうぐらい苦悩しているのだ。

 

 

「そんな‥‥どうしても、連れて行ってくれないんですか? だって、ルヴィアさん私を弟子にするって、エーデルフェルトの傍流の系譜として魔術を教えるって言ってくれたじゃないですか?」

 

「申し訳ありませんわね、美遊。契約を違えることは本意ではありませんが、こればかりは仕方がないことです。貴女のためでもあるんですから———」

 

「私はまた、見捨てられるんですか?! 拾って‥‥そして捨てるんですか?! 私は犬猫じゃありませんっ! 拾ってもらったご恩は忘れていませんが———それでもあんまりですっ!」

 

 

 すがりつくように、というよりは半ば胸ぐらを掴み挙げるようにして美遊嬢が悲痛な叫び声を上げる。つり上げた眉は深い皺を作り、目は見開かれながらも鋭く俺達を真っ直ぐに睨み付けている。

 その視線は、ぶつかるなんて生やさしいものではない。ぐさり、と俺達の目を通じて心を貫くような鋭い眼光だった。

 多感な時期であるはずなのに、大人っぽい子供であった美遊嬢。異常と言えるぐらいに聞き分けがよく、知識も機転も大人に並ぶ。そんな彼女だからこそ、このような歳相応に激する姿を見るのは初めてだ。

 まるでラッパか何かのように高く響き渡る美遊嬢の叫び声に何かしら言い返すべきなのかもしれなかったけれど、俺もルヴィアも、一言だって返すことはできなかった。

 分かっているのだ、俺達だって。美遊嬢を勝手に魔術の世界へと引き摺りこんで、今度は勝手に突き放す。保護者としての責任を全て放棄し、このように彼女の手が届かない世界へと逃げ込むなんて許されることではない。

 

 

「‥‥本当に、本当に行ってしまうんですか? ルヴィアさん達がいなくなって、私はどうすればいいんですか? もう孤児院に帰ることは出来ません。私、またひとりぼっちですか‥‥?」

 

「心配なさらなくても結構ですわ。おそらくはコチラへと帰還するだろうこの世界の私宛に置き手紙をオーギュストに渡しておきました。仮に私が戻らなかったとしても、貴女のことはエーデルフェルトの名に恥じぬ淑女に育て上げるよう、彼にも厳命しておきましたわ。

 ‥‥魔術については、この世界の私に教わりなさいな。世界が違うとはいえ同じ家なのですから、今までの教え方と大差はないはずです。こちらの世界でもエーデルフェルトの系譜であるとするなら、私に教わるのと全く遜色ない修練ができるに違いありません」

 

「そ、そんなの詭弁です! 結局、“私を拾ってくれた”ルヴィアさん達とお別れすることには違いないじゃないですか! ‥‥紫遙さん、本当に私はここに残るしかないんですか?」

 

「‥‥あぁ。何より君達がこちらに残らなければ、俺達も自分の世界に帰れない。君が新しくサファイアのマスターを連れてくるっていうなら話は少し変わってくるけど、そういうわけにもいかないだろう。

 それにね、美遊嬢。今の君は俺達のことばっかりで頭がいっぱいかもしれないけれど、せっかくできた友達の‥‥イリヤスフィールはどうするんだい?」

 

「———ッ!」

 

「せっかく出来た友達を置いて、俺達と一緒に来るのかい? どっちにしても連れて行くわけにはいかないけれど‥‥君は俺達よりも、イリヤスフィールと一緒にいた方がいいんじゃないかな?」

 

「美遊‥‥」

 

「イリヤ‥‥」

 

 

 遠坂嬢達と一緒に立っていたイリヤスフィールの呟き声に、美遊嬢が振り返ってきょろきょろと俺達とイリヤスフィールを見比べる。

 彼女と一緒に鏡面界へ向かうときに聞いた、イリヤスフィールの決意表明。イリヤスフィールからあれだけの友愛を受けている美遊嬢は、同じく彼女以上の友愛をイリヤスフィールに寄せていた。

 俺が精神的に錯乱して新都の公園で蹲っていた時に聞いた美遊嬢のイリヤスフィールへの思い。先入観が存在し、保護者という立場もある大人と違って忌憚の一切ない同年代の友人。

 美遊嬢にとって初めての友人を放って本当にこの世界を離れていいのだろうか? 俺が言うのも何かもしれないけど、あれほどの友達なら諸事情あればすぐに関係が不安定になってしまうだろう俺達とは異なり、間違いなく一生モノである。

 

 

「‥‥美遊、あのね、ルヴィアさんとか蒼崎さんには悪いけど、私は美遊に残って欲しい。だってせっかく友達になれたから、一緒にいれたから、これからも美遊と一緒にいたいよ」

 

「イリヤ‥‥でも私‥‥」

 

「大丈夫! もしルヴィアさんの家から追い出されるようなことがあったら、私がママとかセラとかに頼んでウチに居させてもらえるようにするから! ‥‥だからお願い、美遊も一緒に残ろう‥‥?」

 

 

 不安げに怖ず怖ずと手を取ったイリヤスフィールに、美遊嬢は俺達とイリヤスフィールの間とでくるくる動かしていた頭をぴたりと止めた。

 彼女が、自分一人で強大極まる狂戦士(バーサーカー)に立ち向かうことを決意させたまでの友愛を抱いている相手からのラブコール。そして俺やルヴィアが口にした、どうしようもない現実。

 全ては揺るがしようがないくらい現実で、事実で、決定事項だったのだ。それに気づいていながら見ないふりをしていたけれど、もう、しっかりと現実を直視しなければならない。

 いつの間にか涙は止まり、グンと上がっていた感情のゲージもゆっくりと冷えて下がっていく。気がつけばもう、鏡面界が限界を迎えるのもすぐそこ。別れもすぐそこに迫っていた。

 

 

「‥‥‥‥」

 

「美遊嬢?」

 

「‥‥わかりました。サファイア、指示を」

 

『いいのですか、美遊様?』

 

「平気。だってそうじゃなかったら、ルヴィアさんも紫遙さんも元の世界に戻れないもの。‥‥一度くらい、しっかりとした形でお礼がしたい」

 

『‥‥かしこまりました。ではイリヤスフィール様も、こちらへ。お二人でルヴィア様達を挟んで立って下さい。後は私と姉さんが術式を発動させます』

 

 

 翳されたステッキ二つから、二条の光が走って魔法陣を形作る。複雑な魔法陣は鏡面界へと侵入する形式に非常に似てはいるけれど、別の並行世界へと移動するために多少弄くってある。

 状況が限定されているとはいえ、完全に第二魔法の真似事だ。いくら宝石翁が作製した、限定的な並行世界運用の機能を持っている礼装がサポートしているとは言っても、初めて行う魔法の再現が知らず知らずのうちに心臓の鼓動を加速しているのが止められない。

 隣に立つルヴィアが緊張感を隠しきれずに、ぎゅっと手を握りしめる音が微かに聞こえ、さらに緊張は加速する。いつもは意外に落ち着いている上にコトの重大さをあまり理解していないはずの衛宮も、百戦錬磨に加えて自らもまた伝承保菌者(ゴッズホルダー)であるバゼットも同様に、緊張して冷や汗を浮かべていた。

 

 

「紫遙さん、ルヴィアさん‥‥」

 

「ん?」

 

「どうかしましたか、ミユ?」

 

 

 ぐらり、と視界が微妙に揺らぎ、転移が始まる兆候を見せた時、少しだけ離れた場所でサファイアを構えていた美遊嬢が口を開く。

 魔法陣の上の空間自体が揺らいでいるから残念なことに表情までは上手く見えないけれど、その声にはしっかりとした決意のような色が聞き分けられた。

 

 

「契約します! 私、この世界のルヴィアさんに師事して、必ず第二魔法にたどり着きます! そして‥‥お二人の世界まで必ず会いに行きますから! だから‥‥絶対に待ってて下さい!」

 

 

 初代の魔術師が、魔法にたどり着くことなんて有り得ない。それは短いながらもみっちりとルヴィアと俺から授業を受けた美遊嬢も、魔術師の常識として間違いなく理解しているはずだ。

 それでもなお、冷静で現実的な思考をする美遊嬢がそう宣言した。それは今この場の雰囲気とかじゃなく、間違いなくやり遂げて見せると決意したに等しい。いや、彼女の言葉通り、これは魔術師としての契約だった。

 

 

「‥‥ふっ、頼もしいですわね」

 

「あぁ、これは油断してるとすぐに抜かされかねないな」

 

 

 光が魔法陣を包み込む。まるで弓を引く時の、並行世界へと向かう為の反動のように視界の歪みが酷くなり、体の感覚が一瞬無重力に陥ったかのように消え失せる。

 鏡面界へと侵入するときの感覚を更に何倍にしたかのような奇妙な体験。すぐさま移動が始まってしまうだろう次の瞬間に、何とか間に合うように俺とルヴィアは口を開いた。

 

 

「言ったからには、私が第二魔法に辿り着く前に至ってご覧なさい! 魔術師として、尋常に勝負ですわ!」

 

「待ってるよ美遊嬢! いつか会える日を、心の底から!」

 

「はい! 絶対に待っていて下さいね!」

 

 

 光はいっそう眩しくなり、俺達が目を開けることが出来る限界量を超える。そして視界の歪みが最高潮に達して真っ白になり、体の感覚が完全に消え失せ、次の瞬間にはこれでもかという程の負荷がかかる。

 脳みそが全速力で吹っ飛ばされるような感覚と同時に、俺は前述の通り精神をばらばらに分解させた。俺達主導の術式とはいえ、形式が以前の鏡面界に侵入するものと同じである以上は記憶を覗き見られてしまう危険性も高い。

 

 あぁ、それにしても楽しみだ。きっと美遊嬢は何時の日か必ず第二魔法に辿り着いて、俺達に会いに来てくれるだろう。

 ルヴィアも言っていたように、ルヴィアや遠坂嬢が第二魔法に辿りつくのとどちらが先かは分からないけれど‥‥きっと絆は消えないだろう。

 魔術的にも縁というものは重要な要素ではあるけれど、きっとそんなことは関係ない。

 魔術も神秘も関係なく、きっと存在するだろう運命という存在が、俺達の間を結んでいる。そうに違いないと確信するには充分過ぎる、一週間の出会いであったとそう思うのだ。

 ばらばらになる精神の最後の一欠片でそんなことを考えながら、俺は色んな思いを美遊嬢へと霞む目線で送り、意識を暗闇と真っ白な光の中へとゆだねたのであった。

 

 

 

 66th act Fin.

 

 

 

 


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