UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第六十六話 『魔術師の思惑』

 

 

 

 

 

 side ???

 

 

 

 ———ふむ。完全、という言葉など世界には存在しない。そんな戯れ言を訳知り顔で言い出す愚妹な輩など数え切れないほどに存在することだろう。

 

 誰かが失敗した時や、自分が失敗した時の言い訳としてよく登場する言葉は、その実諦めを端的に表す非常に有用な言葉ではなかろうか。

 

 このように因果な商売、因果な人種をしているとそれなりに世界の真理について近い位置にいるというものだが、それにしたって蒙昧な自我に振り回されることで世界の全てが自分に収束しているなどという真理にほど遠い結論を至高のものと位置づける連中は多い。

 

 完全、というものが無いなどと、一体誰が最初に考えたのだろうか? おそらくは表の世界で世界の真実の一欠片にも満たない常識とやらの上で安穏とした生活をし、その上で狭い常識の中で奴らの表す真理とやらを探求しようとした哲学者とかいう蒙な連中だろう。

 

 ふむ、呆れたことだ。結局それは、妥協に過ぎないというのに。

 

 

 人間は、自分に理解できない事象を何か別の言葉で新たに定義したがる生き物だ。新たに定義してしまうことで“それはそういう事象なのだ”と結論づけてしまい、そこで理解する努力を停止させてしまうのだ。

 

 これは妥協、否、怠慢である。理解する努力、解析する努力、新たな領域を探る努力の全てを放棄して自分の定義した自分達の常識の中に閉じこもって満足する。そして、自ら達こそがこの世界の支配者である。この世の真理を探究し、知り尽くす者であると愚かにも自惚れるのだ。

 

 理解の努力を放棄した者が、探求者であるはずなどない。結局それは極東の国にある、『井の中の蛙』なる諺に表される無知で蒙昧で自尊心だけがブロッケン山よりも高いという容赦しがたい存在であろう。

 

 

 完璧は、存在する。永遠は、存在する。全てという言葉は、確かに存在する。究極もまた同じで、無というものもまた確かに何処かに存在するのだ。

 

 我々にはまだ、分からないかもしれない。我々はまだ、見つけられていない。それでもそれは必ず何処かに存在するのだ。何処かで我々の発見を待っているのだ。

 

 例えば偶然という、人間が理解の努力を放棄した場所に聖堂教会の連中が呼ぶ神という存在がいるかもしれないように。

 

 

 ‥‥私は魔術師として、非常に高い位階にいるだろう。

 歴史の長い名門に生まれ、死徒二十七祖の一つの血をもその身に宿している。もっともこれは別に私が吸血鬼であることを指しているわけではないのだがな。

 

 アインツベルンやバルトメロイ、エーデルフェルトといった名門中の名門には及ばないにせよ、私の家の歴史もあの連中に決して劣るものではない。むしろ目立つ部類に入る連中と異なり、静かにひっそりと歴史を重ねてきた家と言える。

 

 それは決して、目立たないぐらいに実力が無かったというわけではない。そもそも魔術とは隠匿されるのが基本であり、その隠匿を向ける対象は決して一般人だけではない。同じ魔術師相手だったとしても、自らの研究は秘匿されるべきなのだ。

 

 例えばエジプトにある錬金術師達の巣窟の巨人の穴蔵(アトラス)。ここでは自らの研究成果は自らにのみ明かされるのが原則であるという。これには心の底から同意する。

 

 

 私の魔術回路は、質、量ともに今までの家系の者とは一線を画していた。どうやら隔世遺伝‥‥というよりは私の代でとうとう血が覚醒したらしい。なにより私には、魔術師にとって必要不可欠な好奇心や探求心や克己心が必要以上に備わっていた。

 

 たゆまず続ける修行と勉学。あらゆる書物を調べ、あらゆる術式を試し、あらゆる分野に手を出した。禁忌? そんなものは魔術師にとって如何ばかりも躊躇する理由になどなりはしない。

 

 ひたすらに、ただひたすらに根源と極みを求めて修行と勉学を続けた。私に出来ないことなど何もないと信じて、時には寝食すら投げ出して魔術の修行に集中した。

 

 

 ‥‥いつの間にか、私は家をも飛び出して一人で研究に集中できる場所へと籠もってしまっていた。家が受け継ぐ魔術刻印すら、私にはもう意味が無くなってしまっていたのだ。私は、既に家系の積み上げた歴史をも一人で追い越してしまっていたのだ。

 

 家を出る時には家族になにやら言われたような気もするが、覚えていない。ふむ、私にとって必要なものは魔術の探求のみであり、今となっては家族の顔どころか名前すらも思い出せないのである。おそらくは遥か昔に死んでしまっていることだろう。

 

 魔術師としての義務の一つである、自らの研究成果を次代へ残すこともまた、私の頭の中には既に残っていなかった。私は自分一人だけで根源に辿りつけると信じていたし、万が一私が辿り着けなかったのならば、おそらく誰にも辿り着けないだろうと確信もしていた。

 

 もはや私という個人を示すものは、延々と続けられる研究以外に無くなってしまっていただろう。それほどまでに春夏秋冬四六時中、私はひたすら研究にのめり込んでいたのである。

 

 

 だが、ある日気づいたのだ。ひたすら研究を続け、数多の術式を生み出し、歴史に埋もれてしまった山のような術式を再現して。

 私は、根源への足がかりを全く掴めていなかった。

 

 

 私は、間違いなく魔術師として非常に高い位階にいる。生まれ持った才能に加え、傲慢でも自惚れでもなく並の人間を遥かに超える努力を重ねてきた自負がある。時計塔の各部門の長であろうと私には適わないだろうし、私の倍生きて魔術の探求をしている死徒であろうと敵うまい。

 

 私は、間違いなく魔術師として最高峰にいるはずなのだ。魔術一つ一つのレベル、その種類、そして稀少度。全てが最高峰のものであるはずなのだ。そしてそれは紛れもない事実であるはずなのだ。

 ‥‥だが、がむしゃらに研究を進めるウチに、そんな最高峰の魔術師であるはずの私が、全く根源への足がかりを掴めていないことに気がついた。

 

 どれだけ魔術の研究を進めても、根源には足がかりさえ掴めない。どれだけ書物を探り、自らの頭で工夫をして努力して切磋琢磨して思考して思案して思念して‥‥。

 

 

 考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えた。

 

 

 ふむ、私はどうして根源への道筋すら得られないのか。私のやり方が間違っていたのか? 今まで手をつけていなかった、それこそ無駄と思えるようなものから遠回りとしか思えないようなものまでありとあらゆる方法を試してみた。

 

 発想が違うのかと頭を捻って考えた。発想の転換のために人里に降りて様々なことを体験したりしてみた。カウンセリングや占いなどにも戯れに通い、体を動かせばいいのかとジムにも行き、この世で最も理解しがたいと有名なジャパニメーションという魔窟にも挑戦してみた。

 

 考えられるありとあらゆる方法は全て試した。何故私に根源が見えないのか夜も眠らずひたすらひたすらひたすら考え続け、思案し続け、思考し続け、それでも根源への足がかりは見えなかった。

 

 気も狂うような毎日だった。いや、ほとんど狂ったと言っても過言ではあるまい。根源を目指した研究の全てと自分自身が無意味であったと突きつけられたような気がして、私は結局のところ自分の全てを否定されたに違いないと思い、いっそ死んでしまいたいとすら思った。

 

 ひたすら叫び、怒り、狂い、哭き、暴れ、自分自身の不甲斐なさを呪い、恥じ、とにかくどうしようもない気持ちと感情をひたすら発散して自分の崩壊を防いだ。

 

 

 

 そして、理性の崩壊と感情の限界を乗り越え、私は気づいたのだ。本当に根源が全てであるのか? と。

 

 私は間違いなく、“完全”という確かに存在するにしても誰も辿り着いていない領域を侵犯するために生まれた存在だった。天性の才能と克己心、そしてたゆまぬ努力を行って来たのだ。

 

 驕らず、自惚れず、慢心せず、ただひたすらに純粋に魔術を探求してきた。そんな私が、“完全”に辿りつけないはずはない。

 

 だが現実として、私は根源への足がかりすら至っていない。これはおかしい。私が“完全”に到達する存在であるならば、“完全”を表す存在である根源が未だ欠片も見えないというのは明らかにおかしい。矛盾している。道理に適っていない。

 

 ならば一体何が間違っているのだろうか? 私が“完全”へと至ることが確実ならば‥‥そう、答えは簡単だ。

 

 私が“完全”な存在へと至ることが確定している以上は、つまり目指す方向、“根源”が“完全”ではないのである。

 

 

 それからの私は、更に精力的に根源以外の何かに“完全”を求めて探求を続けてきた。根源ではなく世界を調べ、人の精神を調べ、魂を調べ、肉体を調べ、人間以外の精霊や妖精、幻獣について調べた。

 

 何か不確定なもの、確定されたもの、とにかく何でも根源以外に“完全”へと至れる手段があるはずなのだ。私は狂ったように、憑かれたようにありとあらゆる万物を調べ上げていった。狂ったように、憑かれたように私の魔術は多岐へと渡っていく。

 

 

 ふむ、おそらく、いや、私は証明したかったのだ。この世の中に完璧という言葉が、完全な一という存在があることを。それを証明するのは私だと、これもまた証明したかったのだ。

 

 魔術師は、皆が一と0の間に生きる存在である。一でもなく、0ではある。0.9の後ろに幾つ9を足したところで一には成らず、一には及ばない。私は‥‥一になりたかったのだ。

 

 それはきっと魔法でも根源でもない。ふむ、しかしどのようにすれば到達できるのかも分からない。全ての魔術師が目指すところでありながら、誰も辿り着いていない遙かなる一。

 

 私にしてみれば魔法使いなど、それに辿り着いた気になっている愚妹蒙昧に過ぎん。全ては我々の手の届かないところにあり、私はそれを追い求めている賢人なのだ。

 

 

 ‥‥長い長い年月を探求に費やした。いつの間にか私の家系の最後の一人が私自身になってしまっていることにも気づいたが、それも意味のないことだとすぐに頭の隅からも削除抹消した。

 

 ひたすら、ひたすらあらゆる方法を試して、あらゆる方法が失敗した。それでも私は探求を止められず、既に私の体は思考と試行を続ける機械と化していたのかもしれない。

 

 気の遠くなるような試行の果てに、半ば気力も失い、それでも私は試行を止めない。惰性とも違う、自分の中に残る一つの信念、願望、気が狂う程に望んだ究極の一、“完全”であることを求めてひたすらに試行を繰り返した。

 

 思いは、長い時を重ねれば擦り切れる。それでも私はひたすらに試行を続け、試行を続け、繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し——————

 

 

 

『———ミツケタ』

 

 

 

 ミツケタ。

 

 ミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタ!!!!!!!

 

 

『ミツケタ!!!!!』

 

 

 もはや全てが擦り切れようとしたその時。いつもと同じように、今度は英霊の座に根源以上のものを見出そうと試行を繰り返そうとした時のことだった。

 

 私はミツケタ。根源を超える存在を。

  

 根源が世界を基盤とするなら、世界が根源を基盤とするなら。

 

 ふむ、それは間違いなく根源を超えている。根源を超えた上位存在。我々全ての上位存在。

 

 あらゆるものが、全てのものがソコから生まれ出た。根源という概念すらも内包した完全なる上位存在。それは、私の追い求めたものだったのだ。

 

 

『ハ、ハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!』

 

 

 見つけたぞ! 遂に私は見つけたぞ! あれこそが私の目指す究極の存在だ! 私を見捨てた、私を見限った根源を超える存在だ!

 

 あぁ、そのときの狂気と狂喜が誰に理解出来ようか。私は目指すものを遂にミツケタのだ!

 

 全てがそこにあるに違いない。私が目指したものも、目指さなかったものも、全て。

 

 ククククククククク‥‥。嗚呼待っていろ、私の目指した完全なる者よ。お前を必ず手に入れてやる。お前を手に入れ、私は必ず完全へと到達してみせる。

 

 

 私は全てを手に入れ、そして———

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「———っ‥‥あ‥‥!」

 

 

 頭が割れるように痛い。吐き気が酷く、目眩のおかげで視界は完全に歪んでしまっている。

 手を額にやろうとしたけど、その手が頭の横をあっさりと通り過ぎて思わず地面とキスをするはめになり、慌ててもう片方の手を支えにして大惨事を免れる。

 細切れにした精神を何とか元に戻したはいいけれど、やっぱり後遺症というか、反動が出てきてしまったらしい。自分の内面の何もかもが激しくかき乱されるような感覚に、ありとあらゆる吐き気や気持ち悪さ、目眩が止まらない。

 この短時間に二回も精神を分解攪拌すれば当然といえば当然だとは思うけど、それでもこれはツライ。普段なら周りに心配をかけないぐらいの余裕と配慮はあるんだけど、今回ばかりは流石に無理だ。

 

 

「ショウ、大丈夫ですの?」

 

「う、うん、ちょっと目眩が酷いけど大丈夫だよ。まぁこれは自業自得みたいなものだし‥‥」

 

 

 しゃがんで腕をとってくれるルヴィアに何とか笑顔を作って心配させまいとしてはみたけれど、当然ながらこんな最悪の体調で笑顔を作ったって強がり以上の何物でもない。

 一際不安そうな顔をさせたあげくに溜息までつかれ、ぐいっと腕ごと体を引っ張り上げられてしまった。‥‥どうやらこの肉体言語使いはまたトレーニングの量を増やしたらしい。

 

 

「無理をなさってはいけませんわ。ただでさえ先日から精神状況が思わしくないのでしょう? 私達が逆に気遣われてしまったりしたら本末転倒ですわよ。調子が悪いなら調子が悪いとちゃんと仰って下さいな」

 

「‥‥いや、本当に目眩と吐き気だけだから大丈夫だよ。ばらばらにした精神を結合した時の反動だから、少し休んでいれば何とかなる。別に怪我したわけでも病気したわけでもないんだから、気を遣って貰わなくても平気だってば」

 

「目眩と吐き気は立派な体調不良ですわよ! まったくもう、いつも私の見ていないところで無茶をするんですから貴方は‥‥!」

 

 

 誰が見ているところでも気づかれていないと思って無茶をするのが衛宮なんだけど、どうやら俺が自分では隠しきれているはずだと思った自分の無茶は、しっかりと皆にばれていたらしい。遠坂嬢やバゼットもうんうんと頷いている。

 もちろん俺だって無理はそんなにする方じゃないんだけど、無茶ばっかりは好きでやることなんだから結構頻繁にやってしまったりしているのだ。というよりも無茶を無茶と気づくのは無茶した後なのが情けないし、面白い。

 こればっかりは俺も衛宮のことをとやかく言えないところと言える。当然のことながら、自分の力量を分かっていながら勝てない相手に突っ込んでいくようなところは流石に俺にもないけどね。

 

 

「ところで、なにか変わったようには見えないけど世界の転移はちゃんと成功したのかい? 美遊嬢達の姿は何処にも見あたらないけれど‥‥」

 

「そうですわね。サファイアがいれば太源《マナ》の波長を調べることで差異の有無を確認出来たのですが‥‥」

 

 

 痛む頭と揺らぐ視界を何とか気合いで押さえ込んで、辺りを見回す。美遊嬢とイリヤスフィールによって術式が起動される前と寸分違わぬ冬木の空と新都のビルは、ただ二人の少女の姿が消えただけといった様子で静かに俺達の視界に存在していた。

 鏡面界を抜け出したことは間違いない。バーサーカーとの熾烈な戦闘の跡が残されていないし、何より空は不気味な格子模様に覆われていないからだ。ある種独特な雰囲気も消えているし、おそらくは先程までいた並行世界にはいないと思うけど‥‥。

 

 

「そういえばちゃんと全員いるな? 紫遙に遠坂にルヴィアに‥‥あれ、バゼットは?」

 

「ちゃんといますよ士郎君‥‥。なんか最近、私の扱いが悪いような気がするんですがどうなんでしょうか‥‥?」

 

「え、いや別に忘れてたとかそういうわけじゃないぞ! そんな恨みがましい目するなよ本当だってば!」

 

 

 最近とみに影の薄くなっているバゼットが恨みがましく衛宮にくってかかり、衛宮は慌てて弁解した。

 特にユーモアについて造詣が深いわけではないバゼットだけど、基本的に戦闘以外では抜けたところがあって、それが上手く場に噛み合ってユーモラスな空気を生み出すことはたまにある。

 彼女なりの気遣い、とは思えないけど、どこはかとなく雰囲気は軽くなった。

 

 

「ほらほら二人とも騒ぐのはやめなさい。とにかく私達が元々いた世界かどうかは、実際に確認してみないと分からないわね。まぁここにいてもしょうがないわ、とりあえずは確認がてら最初に行ったホテルまで———」

 

「遠坂先輩?! ルヴィアさん?! 先輩に‥‥紫遙さんと、バゼットさんも?!」

 

「———って、え?」

 

 

 全員がちゃんとそろっているのを確認して今後の行き先を決めようと遠坂嬢が口を開いた時、突然階段を挟んで反対側から聞こえてきた声に俺達は全員が全員、まったく同じタイミングでくるりと振り返った。

 ちなみに付け足しのように最後に名前を呼ばれたバゼットは先程の衛宮の言葉からの連続攻撃で地味に凹んでいるけど無視である。

 

 

「‥‥桜、嬢? それに鮮花とセイバーも」

 

「あ、はい! お久しぶり‥‥ではないですけど、こんばんわ紫遙さん」

 

「やっと会えましたか。心配しましたよ、五人とも。あの空間‥‥鏡面界に入ってから一向に帰ってこないので心配しました。凜とのラインは途切れてしまうし‥‥」

 

 

 セイバーは英霊だからか、鏡面界に侵入できずに一人弾かれ、結果として俺達だけが世界移動してしまったがために元の世界に取り残されてしまっていた。

 その後の遠坂嬢の発言によると、セイバーとのラインは途切れる寸前ぐらいまでに難しくこんがらがってしまっていたらしい。世界移動の影響だとは思うけど、逆にラインが完全に途切れなかったことの方が驚きだ。

 もしかしたらそれが鏡面界の世界移動とかで色々と影響していたかもしれないわけだけど、とにもかくにもセイバーが魔力不足で消滅みたいなことにならなくて本当に良かった。

 

 

「いや、こんばんわじゃなくて、三人とも‥‥特に鮮花、どうしてこんな時間にこんなところにいるんだい?」

 

 

 振り返った先に立っていたのは見知った三人の友人。片や冬木の地に住む数少ない魔術の家の一つである間桐の当主、間桐桜嬢。片や俺の妹弟子であり稀代の炎の使い手である黒桐鮮花。そして俺の隣に立っている遠坂嬢の使い魔(サーヴァント)であるセイバーだ。

 桜嬢とセイバーがここにいるのは、まぁ時間帯が時間帯だからアレだけど不思議なことじゃない。とはいえ鮮花は普通に考えれば東京にいるはずで‥‥ていうか学校はどうしたお前。

 

 

「桜が冬木に直接戻るっていうから、せっかくだし桜の家も見せてもらおうと思って付いてきたのよ。学校はもうみんな受験とかで忙しいから自主登校だし、私はもう時計塔に進学が決まってるしね」

 

「‥‥他所の家の管理地に入るなら事前に通達が必要って知ってる? 黒桐さん」

 

「‥‥え、だって橙子先生そんなこと言ってなかったわよ?」

 

「あまりにも常識的過ぎて言わなかったんじゃないかい?」

 

 

 いくら鮮花が性格には魔術師じゃない超能力者とはいえ、魔術師を名乗っている以上は魔術師としての常識をしっかりと把握しておかなければ今後の進退に関わる重要問題である。常識は決して決まりじゃないんだけど、破れば当然色々とアレだしね。

 ちなみに橙子姉のことだから教えるのを忘れたっていうことは有り得ない。おそらく面倒臭がって教えなかったか、もしくはこういう何かしらの思惑とか期待とかがあってのわざとだろう。

 普通ならやらないような面白半分とかお巫山戯とか、時たまスイッチが入ると簡単にやるところがあるんだ、橙子姉は。特に眼鏡を外した魔術師モードの時じゃなくて、俺の前じゃ滅多に見せない眼鏡付きの外行きモードだと。

 どっちの顔も知ってるっていう人はあっちの方がいいって言うかもしれないけど、個人的には本音なんて欠片も見せない眼鏡付きモードの方が色々と不安だと思うけどね。付き合うって意味では。

 

 

「えっと、先輩達が一緒にいるってことは、お二人はこの世界の遠坂先輩とルヴィアさんで‥‥合ってますか?」

 

「‥‥その言い方だと、もしかして桜、貴方“この世界の私達じゃない”私達に会ったの?」

 

「はい。私よりも年下の遠坂先輩っていうのも新鮮でした」

 

 

 ‥‥どうやら桜嬢の話を聞くに、こちらの世界に俺達と入れ違いにやって来たのは別の世界の遠坂嬢とルヴィアだけだったようだ。俺や衛宮やバゼットがいなかったということは、完全に確定なわけじゃないけど俺達がいた並行世界の二人である可能性も高い。

 無限に存在する並行世界では、おそらく鏡面界が発生した世界も同じく無限にあるに違いない。とはいえ完全にランダムに互いに行き来しているというのも中々に無秩序な状態だろうから、可能性的に近しい世界同士で繋がりのようなものがあるはずだ。

 偶然、という言葉が適応されるのは全ての要素が働き終わってから。奇跡は努力しないと起きない、とか誰かが言ってた気がするけど、それと同じかもしれない。偶然なんて言葉に頼るのは思考の放棄に等しいって橙子姉もよく口にしていたっけ。

 

 

「実は今まで別の世界の遠坂先輩とルヴィアさんに協力してクラスカードを回収していたんですよ」

 

「まったく、流石に数年前の凜とルヴィアゼリッタなだけはありますね。仲違いが激しくて収拾を付けるのが大変でした。私などは魔力供給が不安な状態で五戦もしたというのに‥‥」

 

「まぁまぁセイバー、普段なら見れないだろう二人の姿が見れただけでも儲けたって思わないといけないわよ? ま、流石に戦闘が終わる度に拳と拳で語り合うのはどうかと思うけどね‥‥」

 

「いったい何をやってたんだコッチの遠坂とルヴィアは‥‥」

 

「あはははは‥‥」

 

 

 ‥‥確実じゃないけど、かなり近い位置の並行世界の二人が呼ばれたようだ。イリヤスフィール達のいた世界の遠坂嬢とルヴィアも若干俺達よりも若い設定だったし。だとしたら、大人げなく喧嘩するのも仕方が無いこと‥‥なのかな?

 相当にセイバーの呆れ具合から察するに色々と子供な二人だったみたいだけど。逆に大人な二人しか知らない俺としては、是非とも本編準拠ぐらいの年齢であろう遠坂嬢とかは見てみたかったな。

 

 

「この世界のクラスカードは、結局最後まで行方の知れなかった二枚を除いて全て回収し終わりました。先程、お二人を元の並行世界へと送り返したところなんですよ」

 

「別の世界から持ってきた二枚は二人が持ってたんだけどね。もしかしたらアーチャーとランサーのカードって、紫遙達が持ってたりする?」

 

「なるほど。確かにその二枚は遠坂嬢とルヴィアが持ってるよ。安心して大丈夫だね」

 

 

 向こうの世界に渡ってからは、元々俺達が持っていた二つのカードは戦闘時に使用するためにイリヤスフィールと美遊嬢に渡していたけれど、世界移動の際に当然ながら当初の目的として全てのカードを持って帰って来ている。

 おそらくはこちらの世界で活動していた遠坂嬢とルヴィアも、この世界で回収したカードを俺達と同じように持ち帰ったのだろう。結果として互いに七枚のカードを保有しているのだから問題はそこまでないとは思う。

 強いて言うなら別の並行世界の物をこちらに持って帰ってきて何か異常が発生しないかってところだけど、これも渡す相手が第二法の行使手である宝石翁であるなら大事になることはないだろう。何かあってもあの人なら何とかしてしまいそうだ。

 

 

「‥‥ところで二人とも、今まであえて突っ込まなかったんだけど‥‥その格好はどうしたんだい?」

 

「「なッ?!」」

 

 

 そう、今の今まで言及こそしなかったけど、俺の目の前に立つ魔術師二人の姿は普段の二人の様子を鑑みるに非常に奇抜で愉快なものであった。

 

 まず桜嬢。

 青というよりは蒼い、フワフワとフリルとレースの大量についたお姫様(プリンセス)のような衣装を身に纏っている。何よりそれでいながらスカートの丈はこれでもかと言うほどに短く、清楚なイメージと快活な雰囲気とが互いに主張しているのだ。

 もちろん肘より長い手袋とニーソックスは当然のように装備。ついでに頭には蒼い花弁をした桜の意匠が施された髪飾りが着けられ、大きな胸を強調するかのようにハートの形をした襟がへその上あたりから———既に襟として機能していない———伸びている。

 髪飾りは桜嬢の長い後ろ髪を覆うかのようにヴェールを垂らしており、何故かステッキを握る右の手に標準装備された真っ白な花束(ブーケ)と相まって花嫁衣装のように見えないこともない。

 ちなみにヴェールで見えないけれど実は背中が大きく開いており、これまた何故か素肌のままの肩などと合わせて全体的に露出は多めだ。

 

 次に‥‥俺もよく知った、だからこそ桜嬢の姿を見るよりもダメージの大きな黒桐鮮花。

 真っ赤な、それこそ彼女の操る炎のように真っ赤な衣装を纏っている。とはいってもベクトルは桜嬢とは全く異なり、どちらかといえば攻撃的な印象を見る者に与える衣装だ。

 桜嬢と同じく、長い手袋とニーソックスは標準装備だ。しかし問題は、それが真っ赤だからこそ素材がレザーでないにしても中々にアブノーマルな雰囲気を漂わせているということだろう。

 手袋の、肘の方の先っぽは赤からオレンジへと色が変わり、裂けて風に靡いてまるで本当の炎のようだ。手袋やニーソックスに入っている銀色のラインは布ではなく金属か何かで出来ているらしく、独特の光沢がそれを只のアクセントではなくしている。

 うん、全体的に遠坂嬢やルヴィアとかのアノ衣装に比べて、金属を多用しているのが特徴的なのかな。肩や胸にもまるでプロテクターのように、それでいながら可憐さや可愛さといったものを意識したデザインで金属のプレートがあしらわれていた。

 桜嬢と同じくミニのスカートの両脇に、赤い弓兵のように腰布がついているのも戦闘を意識した意匠なのかもしれないけれど、全体的に露出はそれほど多くないように思える。

 

 

「こ、これはしょうがないのよっ! 別の世界の遠坂さん達が、自分たちが元の世界に戻るには私達二人が転身する必要があるからって———」

 

『素材としては凜さんより見栄えがしないと思っていたんですが‥‥思いも寄らない逸材でしたねっ! 鮮花さんの恥じらう姿はしっかりと堪能させていただきましたよ、あはー』

 

「アンタは黙ってなさいよ馬鹿ステッキ!」

 

 

 ひょいっと柄を曲げたり戻したりして自分の存在を主張する愉快型魔術礼装を、鮮花嬢がびったんびったんと真っ赤な顔のまま地面に何度も叩きつける。

 桜嬢の方も自分の格好が奇抜なものであることに思い至ったのか、なにより衛宮とか遠坂嬢とかが目の前にいて、しかも自分の格好を見られているという事態に気づいたのか、真っ赤になってその場に蹲ってしまった。

 どうやら話の流れを見るに、桜嬢がサファイアと、鮮花がルビーと契約して俺達と同じように並行世界移動の術式を行使したらしい。あれは被術者を並行世界に送るために、術者は必ず元の世界に残る必要がある。

 

 

「はぁ、今の状態を写真に撮って幹也さんとか橙子姉とかに送ってあげたい気分だなぁ‥‥」

 

「そんなことしたら殺すわよ?! 骨の一欠片だって炭に変えてやるんだからねっ!」

 

『過激ですねー。ヤンデレとまではいきませんが、ここまで猛烈なツンは退かれる原因になりますよー?』

 

「だからうっさいって言ってんでしょルビー!!」

 

「まるで遠坂嬢とルビーのやりとりそのまんまだな‥‥。ていうか二人とも、いくらビルの上だからって別に防音結界張ってるわけじゃないんだから少し落ち着きなよ」

 

 

 いくら真っ赤になってルビーを地面に叩きつけても、実は鮮花に転身を解く権利はない。アレは事故とか不慮の出来事以外ではルビーの意思でなければ解けないのだ。

 ‥‥つまりルビーの気が治まるまで鮮花はずっとあのまま。どうにも何事についてもルビーに追従する姿勢のあるサファイアによって転身させられた遠坂嬢も、おそらくは巻き添えでずっと蹲ったままになるだろう。

 もっとも桜嬢は怪我でもしたんじゃないかと心配して近寄り、気遣う言葉をかけながら至近距離まで接近した衛宮から離れようとするので精一杯で、そっちまで気が回っている余裕なんてないだろうけど。

 

 

「ていうか、よくよく考えたらアンタって私の知ってるルビーとは別物なのよね?」

 

『そうですねー。私はこの世界とは別の並行世界から、その世界の凜さんとルヴィアさんと一緒にやって来た別世界のカレイドステッキですよ。もっとも、カレイドステッキには互いに情報を同期する機能がありますので、その気になれば全並行世界のルビーちゃんから情報を集めることが出来るんですがー』

 

「うわ、何その無駄に怖い機能。それって全並行世界の私とかルヴィアゼリッタとかの情報も同時に集められるってことじゃないの‥‥」

 

 

 既にルビーと自分がセットになっていることについては違和感がない模様である遠坂嬢の溜息に、俺は諦め混じりの笑い声を漏らすより他なかった。どうにも彼女、そろそろ自分の周りで起こる色んな騒動に耐性が付いてきたらしい。

 もちろん耐性のない鮮花と桜嬢は羞恥心で死にそうだろうけど、その程度なら遠坂嬢にとっては既に超えた道。もとよりルヴィアは、普段は上品で貴族らしい服装を好むのに時たまセンスが斜め上で自分の格好も気にならないしなぁ。

 生暖かい視線を送るしかない俺と、ついでに何がどう恥ずかしいのか、そもそも恥ずかしいという感情がよく分からずに首を傾げているバゼットの反応は中々に孤独感を煽るだろう。まぁ、あれだ、ご愁傷様。

 

 

「いいじゃないか黒桐さん、そこまで恥ずかしがらなくても。似合ってると思うぞ俺は」

 

「士郎さん、私なんかより桜のことを気にしてあげて下さい‥‥」

 

「いやいや、俺も似合ってると思うよ鮮花。だから幹也さん達に写真を———」

 

「アンタも黙ってなさい紫遙ぉぉ!!!」

 

「うわぁっ?! こんなところで魔力弾を撃つなってば!」

 

「こら止めなさい二人ともっ!」

 

 

 おそらくは初めてに近い転身だろうに器用にルビーを操って魔力弾を放つ鮮花と、まるで遠坂嬢のガンドのように連続で襲い来るそれらから必死で逃げる俺。

 あまりにも喧しい俺達に痺れを切らした遠坂嬢の叫び声で、恥じらうあまり次第に階段の方へとじりじり退避していた桜嬢も漸く平常心を取り戻し、何とか全員が一息ついて輪になった。

 

 

「さて、とにかくコレで七枚のクラスカードも全部集め終わったし、元の世界にも帰ってこれた。後は‥‥倫敦に帰ってこのクラスカードを大師父に渡せば任務完了ね。‥‥ルビー、アンタ達はどうすんの?」

 

『さてさて、私としては面白おかしく楽しめたらそれでいいですからねぇ。別にこの世界でも元の世界でも変わりませんし、大師父に会ってから身の振り方を決めさせてもらいます。あはー』

 

「あっそ‥‥」

 

 

 イリヤスフィールと美遊嬢という存在がいない以上、特に頓着の少ない彼女達にとっては現状維持に近いものがあったらしい。持ち主(マスター)どころか元いた世界とも離ればなれになるという中々に不安な状況だろうに、全く気にした様子がない。

 元々並行世界の運用を司る宝石翁が作った礼装ということもあるのだろうか。それとも彼女達自身に限定的ながらも並行世界との繋がりを操る能力があるからだろうか。まぁ俺も最悪、宝石翁に何とかしてもらえばいいんじゃないかとか思ってたりはするけどさ。

 

 ちなみに五つある魔法の中で最も解析が進んでおり、メジャーなのが第二魔法だ。宝石翁自身が頻繁に時計塔に姿を現すということもあるけれど、やっぱりあの爺さんがあちらこちらで趣味もかくやというぐらい戯れに弟子をとりまくるからだろう。

 当然、宝石翁の直弟子になるようなヤツは大概が廃人コースまっしぐらということらしいから、片手間に取った弟子の中では魔法に達するような家系はまだ誕生していない。とはいえ遠坂嬢やルヴィアの例もあるし、第二魔法の行使手が増えるのも遠い未来の話ではないかもしれない。

 基本としては宝石魔術から宝石剣という最上級の礼装を目指すという形になるんだろうけど、とにかく宝石翁は守備範囲が広い魔術師らしいから他にも色々と手段はあるだろうしなぁ‥‥。

 

 

「ミユにはああ言いましたが、実際この冬木の霊脈の乱れはどうするんですの? 私が言うのも何ですが、このような異常事態は管理者(セカンドオーナー)として看過していいものではないでしょう?」

 

「‥‥あれについては美遊にも言った通りよ。確かに本心としては自分自身で調査しなければ収まりが付かないけど、流石に私達講義サボりすぎよ。ルヴィアゼリッタはいいとして、私なんて前にドイツに行った時の分を合わせると‥‥単位取れないんじゃないの?」

 

「げ、そういえば俺も基礎修練講座なのにサボり過ぎだ‥‥。とてもじゃないけどこのままだと着いていけないぞ‥‥!」

 

「大丈夫よ。アンタには今回の遅れの分、私がみっちりと授業してあげるから。ついてこれなかったら‥‥わかってるわよね?」

 

「‥‥‥‥」

 

 

 遠坂嬢に続き、衛宮が声にならない悲鳴を上げる。特待生として、ついでに時計塔公認の任務ということである程度以上の融通が利く遠坂嬢と異なり、基礎修練講座の学生である衛宮にとって講義を休むことは公休であろうとなかろうと大ダメージだ。

 俺達が講義を受けている専門課程は基礎とかを完璧に理解していることを前提に組み立てられている。ぶっちゃけ極端なことを言えば講義に出なくても分かるならばそれでいい。自分の研究と、講義に提出する研究が出来ていれば問題はないのである。

 それとは逆に、衛宮が通っている基礎錬成講座になると、基本的に講義でしっかりと魔術を教えていくという形になる。何を言ってるか分からないかもしれないけれど、つまるところ講義に出ていないと何が何だか分からなくなってしまうのだ。

 

 ちなみに橙子姉の授業も、本人は蜂蜜なんとかなんて言ってたけど実際は復習を欠かすと即座に何が何やらさっぱりとなる悪魔の講義であった。

 ‥‥しかも、自分の怠慢で分からなくなってしまったところに関しては全く説明しないで次の授業に進む。そして理解できていないところを利用した講義についていけなかった場合には、前回の分もまとめて一気に折檻となるのである。

 基本的に優しいながらも、魔術に関することならば一切の容赦がない生粋の魔術師。当然ながらそれは身内にも向けられるわけで、俺も何度か痛い目を見て勤勉な姿勢を身につけた。

 ちなみに青子姉もどうしようもなかったんだけど‥‥これは今更ってものかもしれない。今の今になってもあちらこちらに迷惑を振りまき続けているんだから。

 

 

「とにかく、急いで帰りたいのは山々だけど今日はゆっくりと休みましょう。ひとまず‥‥衛宮の屋敷でいいわよね? 出発は明日の昼ぐらいでも、きっと大師父だってお目こぼししてくれるわよ」

 

「ですわね。只でさえバーサーカーとの戦いの直後ですし、休息を取らなければ流石に倒れてしまいますわ。今夜はせめてゆっくり休ませて頂きましょう。

 さて、私はおそらくこちらでも建設されているだろうエーデルフェルト別邸へと赴くつもりですが、ショウとバゼットはどういたしますか?」

 

「私はルヴィアゼリッタと一緒に行かせて貰いますよ。ホテルに置いた荷物は明日にならなければ回収できないことでしょうしね。紫遙君はどうしますか?」

 

「そうだな、俺も今夜はルヴィアの屋敷でゆっくりさせてもらおうかな。色々と懸念事項はあるけど、これで事件も解決したことだし———」

 

 

 全員が一息つき、行き先を決めて分かれようとした時のことだった。

 普段なら埋没してしまいがちの俺の声が妙に通ったことで、そもそもおかしいと気づくべきだったのかもしれない。いくら冬木が地方都市であろうと、それなりに巨大な街である。無音、なんてことは———特にビルの屋上という風が強い場所なら———有り得ないはずなのだ。

 

 そんな異様な雰囲気が辺りを包み、まるで沈黙の中に俺の声が途中から吸い込まれてしまったかのように途切れた次の瞬間。

 一瞬。ほんの一瞬だけ本当の沈黙に包まれた新都のとあるビルの屋上に、今まで聞いたことも心当たりもない一人の男の声が響き渡った。

 

 

『———ほう、本当に解決したと思っているのかな? ふむ、流石に若いな。この程度で事件が終わって万々歳と、そう考えているというのかね?』

 

「ッ?!」

 

 

 それはルビー達と同じく、しっかりと感情を宿していながらも何処はかとなく現実味に欠ける、ルビー達とは明らかに異なる不気味な声。

 どこから響いているとも言えない。それは俺達の輪の中心かもしれないし、空の上からかもしれない。もしくは同じ声で同じタイミングで、ありとあらゆるところから話しかけられたのかもしれない。

 だけどそれは間違いなく俺達の属するコミュニティのような、言うなれば連帯空間から外れた場所から呼びかけており、一部の疑いなく俺達に敵対する存在であると全員が確信していた。

 

 

「くっ、なんだ今の声は?!」

 

「何者ですの?! 姿を見せなさいっ!」

 

 

 即座に全員が、内側を向いていた輪を外側へと向けて警戒する。

 視界に映るのは一面の星空と新都の街灯り。ビルの屋上には俺の後ろに位置する階段へと入るための出入り口以外に遮蔽物はなく、その背後からの出現ならば目の前に陣取ったバゼットに瞬時に対応されることだろう。

 怪我をしているとはいえ彼女は一流の戦闘者。サーヴァントクラスでも時間稼ぎに殴り合いすることも出来る程の腕前は、多少の体調不良など物ともしない。

 

 

『‥‥ふむ、あぁ失礼、魔術師同士の会合で姿を見せないというのは礼儀を逸しているな。私としたことが、失態であったようだ』

 

 

 ス、とまるで水に一滴の絵の具を垂らした時のように、空間に大の大人一人分ぐらいの染みが現れた。

 黒の中に浮かび上がる、白。眩しすぎるくらいに清潔で個性を感じさせない真っ白いスーツを身に纏い、これまた白いつばのついた帽子を被った男が俺達の前へと現れる。

 元は輝くようだったろうくすんだ色の金髪。おそらくは三十を超えていないと思われるのに、異常な程の年月を感じさせる不思議な、というよりは不気味な容貌。

 スラリと伸びた背筋は紳士的で自信に溢れた様子を感じさせるが、それと同時にどこか草臥れたような印象も受けた。とにかく全体的に雰囲気が不気味な男だ。そこにいるのにいないというあやふやな印象が、やけに掴めずこちらを身構えさせる。

 何の予兆もなく現れた謎の魔術師。得体の知れない存在を前にして、即座に全員がアーチャーを相手にした時のように陣形をとって戦闘態勢に入った。

 

 

「‥‥アンタ、何者? 私はこの地の管理者(セカンドオーナー)だけど、今回は魔術協会から派遣された調査団と執行部隊以外の魔術師が冬木に入るなんて連絡は受けてないわよ?」

 

「魔術師が他人の管理地に入る際には管理者(セカンドオーナー)へと連絡を取るのが最低限の礼儀であり、常識であるはず。ミス・コクトーのように知り合いというわけでもなければ、即座に排除されても文句は言えませんのよ?」

 

 

 接近戦、もしくは超長距離戦を得意とする衛宮から半歩だけ下がった位置で、遠坂嬢とルヴィアが宝石を指の間に挟んで構える。基本的には衛宮とバゼットを先頭に宝石の射程が短い遠坂嬢とルヴィアが陣取り、その更に後ろに広範囲をカバーできる俺が位置するのが俺達の陣形だ。

 戦闘経験豊富であり怪我もそれなりに酷いバゼットは今回俺より少し前ぐらいまで下がって来ているけど、相手が一人であるなら衛宮でも充分に足止めぐらいならば出来る。魔術自体の腕前は相変わらずのへっぽこでありながら、衛宮の戦闘能力は既に並の魔術師を軽く凌駕していた。

 

 

「ふむ、私とて由緒ある家系に生まれた一端の魔術師だ。その程度の常識ぐらいはしっかりと記憶しているとも。なによりこの私も一つの地を預かる管理者(セカンドオーナー)の一人故な」

 

「ならどうして他の管理者(セカンドオーナー)に真っ向から喧嘩を売るような真似をするのかしらね? ‥‥家名と所属を名乗りなさい。魔術協会を通じて然るべき訓告をして貰うか、もしくは今すぐに力づくで出て行ってもらうわ」

 

 

 かなり不機嫌な様子で、相手は初対面であるというのに普段の調子とは正反対のギスギスとした喋り方で高圧的に遠坂嬢が一歩間合いを詰める。

 管理者(セカンドオーナー)とは基本的に魔術協会から認定されるものではあるけれど、その後は可能な限り魔術協会からの干渉は最低限に抑えられる。管理地の魔術師達から集めた上納金の一部を収め、後は神秘の隠匿を徹底するぐらいが管理者(セカンドオーナー)の義務だろう。

 例えば管理地の魔術師が神秘の隠匿の原則に反するようなことをした場合には、管理者(セカンドオーナー)が自分で始末しなければならない ‥‥自分の管理地にいる魔術師達を把握し、責任を持つこと。それもまた管理者(セカンドオーナー)の義務の一つ。

 ならば自分の管理地に、自分が把握していない魔術師が侵入することは管理者(セカンドオーナー)として許し難いことなのだ。

 

 まず最初に魔術協会からの調査団。これはしっかり誓約(ギアス)を交わしたから良しとするかもしれない。しかし次に魔術協会による強制執行によって派遣された執行部隊。

 本来ならば自分の責任で解消すべき問題に、魔術協会によって問答無用に介入された。これによって遠坂嬢の管理者(セカンドオーナー)としてのプライドはズタズタにされたと言っても過言ではない。

 そこに来て目の前の正体不明の謎の魔術師の出現。あまり顔に出してはいないけれど、遠坂嬢の怒りのボルテージはマックスだ。腸煮えくりかえっているに違いないのである。

 魔力でも何でもなく、ただ質量を持っているかのように噴き上がる破壊的な怒気。俺は目の前の男に注意するのは止めずに、それでも何より遠坂嬢に怯えを抱いて思わず一歩後ずさった。

 

 

「ふむ、答えは既に君自身が口にしたようだがね。分かっているのではないかな、君達の知らない私という存在がどうしてここにこうして立っているのかを」

 

「‥‥なるほど、つまり」

 

「ふむ、その通りだ。私はね、“君達に真っ向から喧嘩を売っている”のだよ」

 

 

 緊張が、最大限に跳ね上がった。秀麗な顔に鮮やかに皮肉めいた笑みを浮かべてみせた男に、全員がそれぞれの武器を取り出して今すぐにでも飛びかかれるように準備をする。

 衛宮は二振りの中華刀を投影し、遠坂嬢とルヴィアは魔術回路のみならず魔術刻印までも起動させて完全な戦闘態勢となった。俺は狭い空間だからこそ魔弾の射手(デア・フライシュツ)を用いることは出来ないので、ポケットに入れてあったルーン石へと手を伸ばした。

 

 

「どういうことよ。確かに今の今までちょっと別のところに居たけれど、それにしたって戻ってすぐに街を区切ってる管理地の結界の情報は私の頭に入ってきてるわ。

 私が冬木に戻って来てから、ここに誰かが入り込んだ形跡はない。‥‥アンタ、どうやって管理地の結界をくぐり抜けたの?」

 

 

 おそらく全員の頭がフル回転し、目の前の男の正体へと思考を伸ばしていたことだろう。

 他家の者が他人の管理地へと入れば、それが魔術師であれば相当に高度な隠匿をしなければ管理者(セカンドオーナー)の知るところとなる。管理地にいるならば、管理者(セカンドオーナー)は他の魔術師に対して相当なアドバンテージを持っているのだ。

 流石に街全体の様子を把握するかのような高度な能力を保有するには魔術師自身の能力が高くなければいけないので、聖杯戦争での様子を鑑みるにおそらく遠坂嬢はそこまで可能ではないだろう。

 それにしたって管理地に誰か魔術sいが入り込めばそれだけで彼女の知るところとなるのは変わらない。管理地と他の土地とを区切る結界は、六代も続く家系ならば十分過ぎる程に強力な物を作製できる。

 

 

「‥‥いや、待つんだ遠坂嬢。結界とは自分の定めた場所と、別の場所とを区切る境界線だ。つまり、結界に異物が入ってくれば感知できても、元から結界の中に異物があれば感知することは出来ない!」

 

「ッ?! ってことはアンタまさか———?!」

 

 

 物にもよるけど、基本的に魔術師の扱う結界とは境界線である。ライダーが聖杯戦争で用いたような神殿のような異常に強力なものならば別だけど、魔術師ならば結界は境界線に使うのが一番効果的であると知っている。

 ならば遠坂嬢が冬木に入ってくる前に、結界の中に異物が入っていてしまえば彼女の感知するところではない。境界線を既に越えてしまっているのだから、境界線に触れない限りは存在を感知することは出来ないのだ。

 

 ほぼ同時に俺と一緒の結論に辿り着いた遠坂嬢が、目を見開いて男を見た。

 遠坂嬢と俺達が冬木にやってくる前に既に居た魔術師。それは魔術教会が派遣した調査団でも執行部隊でもない。

 つまり答えは、順当に考えれば唯一つ。調査団や執行部隊が冬木にやってくる原因を作った、正体不明の魔術具。そしてそれを操った、もしくは冬木へと持ち込んだ謎の魔術師の存在。

 

 

「ふむ、その通りだ。君達の手元にあるソレは、私が作り上げてこの土地にばらまいたものさ‥‥」

 

「あっ?!」

 

 

 ス、と男が伸ばした手の中に、まるで自分の意思があったかのように遠坂嬢の手元にあったカードが全て飛んでいって収まった。

 都合七枚のカード。鏡面界という異空間を作り上げ、他人の記憶を触媒にして不完全ながらも戦闘能力すら備えた英霊を召喚せしめる、封印指定もかくやという上級の魔術具。クラスカード。

 条件が非常に限定されるものではあろうけど、間違いなくそれ一枚で降霊科の部門の長になれるだろうという人間が作り上げた神秘の結晶は、男の手の中に収まると同時に激しく炎を上げて燃えだし、僅かな灰を残して完全に燃え尽きてしまった。

 

 

「ちょ、ちょっとアンタ何すんのよ?!」

 

「ふむ、何をするのかと言われてもな。元々が私のものであるならば私の手の中にあるのが自然であるし、私が私のものをどう扱おうが私の勝手というものだろう」

 

「そうじゃなくて、それが無いと私達が大師父から受けた任務が完遂できないでしょうがっ!」

 

「‥‥ふむ、それは悪いことをしたな。が、そんなことは私の知ったことではないだろう。ありのままを伝えれば、彼の宝石翁とて酌量してくれる余地はあると思うがね。それも私の知ったことではないな」

 

 

 財宝にも例えられる最上級の魔術具を燃やしたとは思えない程に、男の顔は無表情。

 まるで自分が作り上げた、明らかに自分の魔術の結集であろう魔術具に対して全く興味がないかのようだった。まるでそれが戯れに作った砂の城であるかのように、一切の感慨もなく崩してみせたのだ。

 ‥‥有り得ない。魔術師にとって、研究の成果である魔術具や魔術刻印は何にもまして大事にすべき宝とでも言うべき存在である。俺にとっての魔眼と同じように、何を於いても守るべき神秘の結集と定義されている。

 それがあんな簡単に、あんな高度な魔術具を灰にするなんて、一人の魔術師として信じられなかった。あれは理論だけではなく、作り上げるだけでも間違いなく尋常ではない労力と知識を要する。設計図だけ渡されても家は建てられないように。

 設計した知識。作り上げるための技術。その全てが俺は勿論、ルヴィアや遠坂嬢をも軽く凌いでいる。はるか高みにいる魔術師。俺達が調査の途中に畏れた存在が、現実にこうして俺達の前に敵として立っていた。

 

 

「ふむ、これは英霊の座へのアクセスについてデータをとるための魔術具でね。私の専門である精神干渉を基盤に作り上げたのだが‥‥。英霊の座についての試行は初めてだったのだが、まぁそれなりに成功したようで僥倖だ」

 

「初めて?! しかも専門外ですって?!」

 

「あぁ。それなりに手こずることを予想していたのだが、存外に簡単で興冷めだったな。やはり世界から隔離されていたと思った英霊の座も、所詮はこの世界の一部というつまらない存在に過ぎなかったということか‥‥。いや、まぁそれはそれでいいのだ」

 

 

 遠坂嬢の驚愕の裏で、俺は心臓に氷水でもぶちまけられたような感覚を覚えていた。

 思い出すのはあの恐怖。五十を超える暗殺者の軍勢、ハサン・ザッバーハに囲まれていた時の、否、あの鏡面界に侵入した時に覚えたアノ恐怖。

 ぐるりと回転した視界と意識。それと同時に破られた俺の精神障壁。俺の少ない魔術師としての容量(キャパシティ)を割いて張った、かなりの強度を持つと自負していた精神障壁が破られたと知った時のあの恐怖。

 精神障壁が破られたことは、即ち精神障壁に期待していた最大の要素。記憶を奪われることの防止に失敗したことを指す。つまり、俺の記憶が奪われたのだと即座に感じ取った。

 

 俺の記憶。絶対に、これ以上誰にも知られてはいけないと決めた俺の記憶。絶対に他人に知られてはならないと、義姉達から言い含まれた俺の記憶。

 一度漏れれば、それだけで世界の毒と成り得る異端。誰かに知られれば、自らの破滅を招きかねない俺の記憶。世界から外れた存在を実証する俺の記憶。

 目の前が、真っ暗になった。何を於いても守るべき記憶を奪われ、体が芯から震え上がるような恐怖が足下、爪先から髪の毛の先端にまで広がった。

 恐怖と絶望。今まで、どの人生でも感じたことのなかった衝動に支配され。俺はあっさりと自分の中だけに意識を向けて、外部への注意を完全に放棄した。そうでもしなければ自分自身を処理することが出来なかったのだ。

 結果としてルヴィアや美遊嬢に励まされて何とか仮初めの平衡を取り戻すことが出来はしたけれど、あの時の恐怖は今も時間が経っていないが故にしっかりと俺の中に残っている。なにより、問題は一向に解決されていなかったのだから。

 

 

「‥‥結果として、今回の試行は失敗に終わった。この魔術具を作るには少しばかり苦労したのだが、まぁそれはそれでいい。———他に、素晴らしいものを見つけることが出来たからな」

 

「ヒ———?!」

 

 

 まるで自分のものではないような、息を飲む甲高い音が俺の喉から漏れた。細い目を喜びの形に見開いた男の視線が目の前に立ちはだかっていた衛宮や遠坂嬢、ルヴィアの間を縫って俺を射貫き、一歩と言わず、二歩も三歩も後ずさる。

 

 見られていた。

 

 見られている。

 

 あの時、俺の全ての記憶を奪うことはまさか出来ないだろうと一縷の望みにすがったけれど、やはり物事は俺の都合良く進むはずがない。俺の記憶は、絶対に奪われてはいけない俺の記憶は奴の知るところとなっていた。

 三日月というよりは、半月を更にふくらませた形に開かれた男の瞳。耳まで裂けるかと思うぐらいにやりと歪められた口が醜悪で、なによりその視線に間違いない狂喜を、狂気を感じ取って怯えた。

 

 知っている。あの男は、垣間見た俺の記憶から正しく俺の正体を理解した。

 それはどれほどまでの力量の違いだろうか。一人の人間の、十年以上前の記憶の全容を読み取って自分で分析、理解する。少なくとも俺には理解出来ないし、出来るとも思わない。力量の違い故に奴は俺の重要性に気づいてしまったのだ。

 橙子姉も青子姉も、義弟ということを差っ引いても無視した、意味がないものと決めつけた俺の記憶。彼女達には必要なかった、この世界に新たに生を受けた俺の前世。

 奴はそれを見出した。俺の記憶は、奴にとってこれ以上ない程に有益なものだった。そう思わざるを得ないほどに、その視線には歓喜が含まれていた。

 

 

「ハハ、見つけたぞ。ついに見つけたぞ。見つけたぞ見つけたぞ見つけたぞ! ミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾミツケタゾ!!!!!!」

 

「ちょ、ちょっと紫遙これどういうことなの?! なんかコイツ‥‥おかしい」

 

 

 よく整った美貌を醜悪なまでに歪ませ、男は笑い、嗤い、叫んだ。

 狂おしい程の喜びが、その様子を見ている俺達にも伝わってくる。あふれ出る歓喜はもはや魔力を伴った暴風のように俺を打ち付け、ダメージを与えていた。今にも折れ崩れてしまいそうな足を叱咤して何とか立っていようとは思うけれど、あまりの恐怖に自然と膝をついてしまった。

 鮮花の心配げな、不安げな声も聞こえたようでいて全く耳に入ってこない。俺はただ打ち付けられる圧倒的な恐怖に、がたがたと震えるコトしかできない。

 目を見開き、がくがくと震える肩に繋がる両手で頭を抱え、それでも視線は奴から離せない。どうにかしなければいけないとは思う。それでも何も出来ないくらい、恐怖に打ちのめされていた。

 

 

「そうか、知っているんだな! お前も分かっているんだな!! ハハハハハハハ! 素晴らしい、これは最高だ! 完璧だよお前! やはりお前こそ私が望んでいた存在だ! 根源をも超える、上位世界の存在証明だ! 素晴らしい! 素晴らしい! 素晴らしい!!」

 

 

 誰も声を出せない。男の様子は常軌を逸していた。そして何より、男が向ける視線と歓喜の先にいる俺の様子も常軌を逸していたのかもしれない。

 ダメだ、このままでは俺はコイツの言いようにさせられてしまう。どうにかしてこの男を殺さなければ、殺さなければ、殺さなければならない!

 そう考えても、俺の体は怯えるばかりでちっとも動いてくれず、震えるだけ。怯えと、何より絶望。自分を守れるだけの力を持たないことを、既に俺は理解していたのだ。

 

 

「ふむ、なるほど、つまりお前は私と出会うために現れたのだな! ハハハハ! 初めての感覚だ、奮える程に愛しいこの感覚! 話に聞く恋のようだな!

 ———さぁ、さぁ、私と来るのだ! お前は私のものだ! 私はお前を手に入れてさらなる高みへと‥‥」

 

「ッ、させるかこの野郎!!」

 

「———?!」

 

 

 一歩、男が踏み出した。他の何も見えていないかのように俺に向かって、手を差し出しながら一歩踏み出す。

 その一歩に呼応するかのように俺が大きくびくりと震え、同時に正気に戻った衛宮の干将莫耶が男を縦に三つに切り裂いた。

 

 

「紫遙、大丈夫か! しっかりしろ!」

 

「ショウ、私達の後ろに隠れなさい! 何かよく分かりませんが、あの方の狙いは貴方のようですわよ!」

 

「え、衛宮、ルヴィア、遠坂嬢‥‥」

 

「気をしっかり持ってください紫遙君。状況はよく分かりませんが、戦闘において相手に呑まれてしまえばお終いですよ!」

 

「バゼット‥‥」

 

 

 衛宮に続き、遠坂嬢達も呆然としていた意識を取り戻して再び俺を庇うように戦闘態勢を取る。座り込んでしまっていた俺には確実に俺よりも背の低い遠坂嬢とルヴィアの背中も頼もしく、隣に膝をついて肩に力強く手をおいてくれたバゼットから、力が流れ込んでくるかのようだ。

 久々に味わう、守られているという感覚。力になったり、なってもらったりという友人達。魔術師として不要であるはずの友人達に、今、俺は守られている。

 

 

「ちょっとちょっと、どういうことよコレ‥‥!」

 

「一体、何がどうなっているんですか‥‥?」

 

 

 未だルビーとサファイアによって着替えさせられた奇天烈な衣装のまま、鮮花と桜嬢が驚愕の叫び声を漏らした。

 敵対している男は衛宮によって三つに斬り裂かれたはずなのに、全員が戦闘態勢を解いたりしない。それも当然。なぜなら男は三つに割かれた状態のまま、血も流さずにその場でゆらゆらと水にたゆたう海藻のように揺れているのだ。

 

 

「‥‥ふむ、いきなり斬りかかるとは無礼極まる。名乗りあってすらいないというのに、尋常な決闘に際する礼儀というものを知らないのかね、君は」

 

「ざけんな馬鹿野郎! いきなり友達に手を出そうとしやがって、そんな野郎に躊躇するわけないだろうが!」

 

 

 衛宮が叫び、俺の前に立ちはだかる遠坂嬢とルヴィアも力強く宝石を握りしめた。

 おそらくアレは男の本体ではない。魔術によって作り上げられた影か、この場に投影している疑似本体。ちなみにこの際の投影とは投影魔術とは異なり、空間系の魔術の一種であろう。聖杯戦争でキャスターが使っていた影の魔術に類似している。

 まるでスクリーンに映し出す映像のように、空間に自分自身を映し出す。とはいえ映し出された映像に過ぎないそれは本体でありながら本体ではなく、本体と同じように魔術の行使が出来ながらも殺されたところで自分自身が死ぬことはない。

 色々と欠点が多いにしてもまるで反則みたいな魔術だ。これを行使できるとなると‥‥相当に高位の、しかも空間などを専門とする魔術師に限られる。専門外でありながらこのような真似ができるならば、もはやソイツは化け物だ。

 故に、目の前のコイツは化け物に違いない。俺は‥‥化け物に狙われたというのか‥‥?

 

 

「ふむ、君の言っていることは道理だが、今回ばかりはスジが通らないぞ。私は私の所有物を手に入れようとしただけなのだからな」

 

「言ってることがおかしいのは貴方でしょう。ショウは貴方の所有物などではありませんわ。冗談はその巫山戯た体だけにしてもらいたいものですわね」

 

「何を言っている、巫山戯ているのは君達だろう。いいかね、彼は私のところへと来るべきなのだ。私には彼が必要なのだ。彼は、私が手に入れることで最大限にその存在を活用させることが出来る。繰り返すが、彼は私のところに来るべきなのだよ」

 

 

 支離滅裂な言い分に、呆れよりも逆に恐怖が募る。自分の言っていることが間違っていないと確信しているが故に、この男は必ず俺を手に入れようとするだろう。

 明らかに狂っている。狂人だ。魔術師で狂った人間はそこまで少ないわけではないけれど、それにしたってこの男のように実力を伴った狂人となると数が限られる。

 安心を通り越して、恐怖が再度こみ上げてきた。俺は、このままでは必ずこの男の手の内に落ちる。そう確信させる何かが男から狂気という形でこちらへと押し寄せてきていた。

 

 

「‥‥どうやら議論が成立しないようね。仕方ないわ、今のところは実力で退散していただくとしましょうか」

 

「同意しますわ。この男、他人の友人に対して不快な行いをするなんて言語道断ですもの。無礼な殿方には舞踏会から退出していただきませんと」

 

 

 一歩下がっていた二人が衛宮と並ぶ。手にした宝石に魔力を通して宝石に込められた魔力を励起するための触媒とし、魔術式を構築する。

 両肩から腰の近くまでを二条に切り裂かれた男はゆらゆらと揺れながらその様子を眺めると、大きく溜息をついて頼りなげにぶらぶらしていた手を額に当てた。それでも視線は俺から一切外れず、まるで常に俺に向かって話しかけているかのようだ。

 

 

「‥‥ふむ、どうしても彼を手に入れる邪魔をするというのかね?」

 

「当然だ!」

 

「当然でしょう!」

 

「当然ですわ!」

 

「ふむ、なるほど、仕方がないな。私は戦闘はそこまで得意ではないのでね。このままでは彼を確実に手に入れることが出来なさそうだ。ふむ、なるほど、本当に仕方がない」

 

 

 三つに裂けた体が、ゆらゆらと揺れながら薄らいでいく。存在を定義する力が薄まり、投影していた自分自身を維持できなくなったらしい。高度な魔術ほど色々と条件が厳しく、維持するのに労力がいるのも道理である。

 足から順番に、まるでサーヴァントが消えていく時のようにゆっくりと薄らいでいく男の影。遂に胸の辺りまで消え、顎まで消えた時。男が、俺から視線をずっと外さなかった男が、確かに俺へと聞こえるように口を開いた。

 

 

「‥‥ふむ、覚えておくがいい。私はお前を必ず手に入れるぞ、シヨウ・アオザキ。第五法の使い手の庇護者にして、この世界にたった一人の迷い子よ。お前は‥‥決して逃れられぬ。その記憶を、否、その存在自体が消え失せぬ限りな‥‥」

 

「‥‥‥‥!!」

 

「覚悟しておけ。お前は、私が必ず手に入れる」

 

「てめえっ!」

 

「クク、ハハ、ハハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ———!!!!!」

 

 

 笑い声だけが、消え失せた男の名残として残っていた。

 まるで声を呪詛の代わりに残したかのように、あるいは契約の宣言としてか、異常な程に長く笑い声だけがビルの上へと響く。

 狂気が支配する笑い声が響く、寒風混じりのビルの上。星空すらも不気味な輝きを放っているかのように、男の狂気はこの空間の雰囲気を支配していたのだ。

 

 漸く笑い声が消えてからも数分。ビルの上では誰一人として———それこそ空気が読めないことで定評のあるルビーすらも———声を発することなく、ただ立ちこめた狂気が晴れるのを怯え混じりで待っていた。

 そして立ちこめた狂気の残音が消え失せて、誰かがほっと吐息をついた次の瞬間。俺はまるでエレベーターに乗った時のような浮遊感と共に、張り詰めていた意識を手放した。

 隣でずっと肩に手を乗せてくれていたバゼットに抱き留められ、最後まで周囲を警戒してくれていた衛宮達の動転した呼びかけを微かに聞きながら———

 

 

 

 67th act Fin.

 

 

 




遂に黒幕登場! これにてプリズマ編は終了です!
思えば間桐臓硯編にフラグを立てて幾星霜‥‥。プリヤ編はまるまる彼のために存在しました。期待のホモこと変態紳士登場でした!
次回からは最終章へと突入していきます。一気にシリアス一辺倒となりますが、皆様どうぞ完結まで応援よろしくお願いします!

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