UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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当時の一周年記念企画です。どうぞお楽しみください。


番外話 『一周年記念企画』

 

 

 

 

 side Sakura Matou

 

 

 

「‥‥鮮花、そろそろ冬木よ。どうしたの?」

 

「え? あ、いいえ何でもないわ。ちょっとぼーっとしちゃってね。ホラ、倫敦から帰ってきて直接じゃない? 疲れが出たのかもね」

 

 

 西日本。日本海に面した地方都市である冬木。その中でもビルなどが建ち並ぶ繁華街である新都の駅を目指して、私達は快速電車に揺られていた。

 窓から見える景色は東京と違って段々と山や川、谷、そんな長閑なものに変わってから久しい。というよりも関東圏を抜けると大都市以外では基本的にこんな風景ばっかりで、東京の電車から見える風景の方がおかしいのだ。

 毎週末に東京へと向かう私には、この最近で親しんだ光景。普通ならそうそう頻繁にはないだろう、というよりも修学旅行や遠足以外で冬木を出たことがない私が、まさかこんなに電車に乗ることになるとは思わなかった。

 

 魔術師、とは基本的にそこまであちらこちらに移動するような生き物じゃない。究極的に言えば家から一歩も出ないことが好ましいのは研究者として当然のことだけど、そうでなくとも自分の家がそれまで歴史を積み重ねてきた土地が一番の研究場所なのだ。

 間桐の家や遠坂の家はそれなり以下とはいえ、大体が資産家である魔術師の家系。無理をして家から出なくても大体何とかなったりするらしい。というよりもそれ自体が魔術師としての甲斐性だと、橙子先生も皮肉げな顔をしながら言っていた。

 家を出て一人で研究をしていたという橙子先生にとっても、色々と考えるところがあるのだろう。勿論これから一人で家系を盛り上げていかなければならない私にとっても決して他人事じゃない。

 

 

「倫敦、楽しかったわね。すごく活気があったし、初めて時計塔にも入れたし」

 

「そうね。先輩達にも会えたし‥‥。私達、来年からあそこで修行することになるのよね。頑張らなきゃ‥‥」

 

「今から気負ってどうするのよ桜? まずは準備でしょ。色々と思い悩むのは向こうで勉強始めてからでも遅くないわ。焦ったって時間が早まるわけじゃないし、さ」

 

 

 隣の席に座った鮮花が足元に置いた鞄の中からペットボトルのお茶を取り出し、優雅で洗練された仕草で煽る。“優雅”と“煽る”っていう言葉は両立しないような気もするんだけど、本当にそう飲んでるのだから仕方がない。

 東京でも指折りのお嬢様学校出身、というより現在も在学中である鮮花は基本的に仕草全般が優雅だ。食事のマナーから簡単な所作や歩き方、全てに上流階級で通用するぐらいの気品が漂っている。

 反面、普段の彼女は全体的に意外と乱暴。気が抜けた時にはよくお嬢様らしからぬ、例えば大きくベッドに向かってダイヴしたり足を投げ出したりすることもあったりするのだ。

 これが鮮花のお兄さんであるところの幹也さんがやって来たりしたら次の瞬間にお嬢様然とした仕草を取り繕ったりするんだけど、とにかく鮮花は基本的にはフランクな暮らし方を好みとしているらしい。

 

 

「いいじゃない。元々私も幹也も庶民なのよ? 確かに世話になってた叔父が資産家だったからこういう進路になったけど、染みついた性分ってのは中々取れないんだから仕方がないってもんよ」

 

「そういうもの、かしら? 女子校っていうのも大変なのね」

 

 

 そう言いながらペットボトルのお茶と一緒に五百円玉サイズの小さな煎餅をバリバリと豪快に囓る様子は確かに彼女自ら語るところの庶民そっくり。もっともやっぱり礼園の躾は厳しいらしく、そこかしこで気品が溢れてきている。

 少なくとも、間違いなく彼女の所作は対面している人物に対して不快感を与えない程度には洗練されたものであることは事実だろう。この辺りは並の人物とは違い、ね‥‥遠坂先輩とかとも共通している。あれは半端な練習で身につくような仕草じゃない。

 

 

「そうよ大変なのよ! 上級生と下級生の関係もそうだし、シスターだって煩いし先生には最上級の敬意を払ってるって、実際に払うかどうかは置いといて精一杯に態度で示さなきゃいけないし、門限とか寮則だって‥‥」

 

「ちょ、ちょっと落ち着いてよ鮮花!」

 

「これが落ち着いていられますかっての! ただでさえ出資者の叔父が画家やってるからって橙子先生のところに弟子入りしてるのも、芸術方面だからっていうこじつけで許して貰ってる状況なのに‥‥! これで門限とか寮則とか破ったりしたら大変だからって人一倍気を遣ってるんだから!」

 

 

 本来なら完全寮制の礼園では、休日の外出にだって厳密に行き先を提出する必要がある。その中で平日から特別に外出許可をとても言葉に出来ないような悪辣に見えて実は真っ当極まりない手段を用いてもぎ取っている鮮花の苦労は、察するに余りある。

 屋敷と歴史だけがイメージに先行していて、自分自身は全く庶民の枠から逸脱しない私だってそれなりのマナーを身につけるために苦労したのだ。もともと環境が整えられていたわけじゃない鮮花が礼園に入って、かなりの苦労をしたに違いない。

 

 

「肉親ですら簡単に面会許可とれないんだから! そうでもしなかったら折角コッチに帰ってきたのに幹也に会える時間が減っちゃうじゃないのよ!」

 

「それ、橙子先生の前では言わないようにね? ‥‥いや、もしかして橙子先生なら分かってるのか、な‥‥?」

 

 

 憤然やるかたないといった様子で、手前勝手な理論を掲げて鼻息を荒くする鮮花。そもそも橙子先生のところに来ている目的が色々と大変なことになってしまっているけど、確かに彼女はそれ程までに真剣に自分の実兄に対して恋心を抱いている。

 本人は『私って禁忌とされているものに強く惹かれるみたい』と言っていた。橙子先生は『あぁ、おそらく鮮花の起源は“禁忌”だろうな。だからこそ奴は、実兄へ恋い焦がれるのかもしれん』と言っていた。

 確かに起源というものの在り方を考えれば、それは理由の一端かもしれない。本人も何となくそうなんじゃないかと言っている。けれど、そんなのロマンがない。きっと鮮花は、幹也さんに対してもっと別の感情を抱いているはずだ。

 

 恋っていうのは、例えそれがどんな人がするものであってもロマンがあるものだと思う。無味乾燥な人も決して無味乾燥な恋はしない。ソレが私の持論だと以前鮮花に話したら笑われた。

 随分な話だ。こんな私がロマンチックなこととかを語るのは変なのかもしれないけれど、いや、多分私だからこそなのかもしれない。

 

「別にそんなことは言ってないわよ。たださ、他人の恋にここまで熱心なのって普通に考えたらおかしいじゃない? そういうのって、逆に桜らしいなって思うのよ」

 

 

「‥‥もう、そんな調子のいいことばかり言って」

 

「調子良くなんてないわよ? ホントにそう思ってるから、かしらね。なんだかんだで桜と私も半年ぐらいの付き合いになるんだし、それなりに分かり合ってるつもりなんだけど。‥‥ま、さすがに全部とまではいかないでしょうけどね」

 

 

 名前の通り、鮮やかに花のような笑顔を見せる鮮花に、思わず自分の頬が朱に染まる。今まで忌避していた自己分析を段々とするようになった私は、自分がこういうダイレクトな感情表現を苦手としていることに気がついていた。

 ‥‥昔から受けていた魔術の修練。私はその中で自分の心を閉ざし、嫌なものを忌避するための術を身につけていた。嫌なものは、じっと我慢していればいい。我慢していれば、耐えていればいつかはそれも終わる。

 だからこそ、私から能動的に何かをするということは、別に無いってわけじゃないけれど、あまり得意としているわけじゃない。

 何よりこうやって面と向かって感情のぶつけ合いをするっていうことは、特にあまり経験がなかったのだ。例えば先輩とかに、たまにお礼を言われるだけでも照れくさくなって赤くなる。

 

 

「‥‥はぁ、成る程ね。私のことしっかり分かってるってのはウソじゃないわけ、か。ホント、鮮花には何でも敵わないね」

 

「そんなことないじゃない。桜の魔術の腕も凄いもんよ。私だって別に長く修行してたわけじゃないにしても、それなりに自信あったのに‥‥」

 

「え、自信って‥‥。だって鮮花、私の影人形簡単に燃やし尽くすよね? あれで自信がないとか言われるとコッチこそ落ち込んじゃうんだけど‥‥?」

 

 

 橙子先生から私が教わっているのは座学が中心だけど、他にも色んな技術を体で教えられている。

 特に私に欠けている魔術の制御技術。これは実地でなければ学ぶことは出来ない。橙子先生によって暴走限界ぎりぎりまで追い込まれる制御の修行は、時々間桐の修練よりも容赦が無いんじゃないかと思ってしまう。

 ‥‥うん、実際容赦が無いのは事実だろう。方法が間桐に比べれば人道的で穏便なだけで。橙子先生は基本的に容赦とか手加減とかに注意するような性格してないし。

 

 で、鮮花との話に出てきたのは修練の一つ。魔術師としては基本的に必要ない技能でありながら、鮮花の魔術の方向性が偏っているがために私とたまに行われる戦闘訓練だ。

 それまでの鮮花は式さんと一緒に練習していたらしいんだけど、あの二人が戦うと、例えそれが喧嘩とか修練とかの括りに属するものであると最初に決めていても、結局最後は本気の殺し合いに近いものになってしまう。

 それに将来的には先輩の側にいくと決めている私としても戦闘訓練はするに越したことはない。聖杯戦争然り、とにかく先輩は騒動に巻き込まれる才能があるに違いないと、橙子先生も言っていた。

 週に1回の私の鍛錬。その中で付きに一度以上は鮮花との戦闘訓練が盛り込まれている。特に学校に通う必要が段々と無くなってきた最近は更に伽藍の洞に行くのが増えていて、必然的に鮮花との模擬戦闘も増えているのだ。

 

 

「鮮花は本当に凄いよね。魔術師の勉強始めて数年とはとても思えないわ」

 

「そんなことないって言ってるでしょ? 正確には私の使ってるのは魔術じゃないし、それに使えるのも焔に限定されてるもの。まぁそれなりに汎用性が高いのは悪くないけど、それでも焔封じの魔術とか使われたら一発で終わりなんだから」

 

 

 鮮花の属性は焔。いや、魔術という表記もおかしいだろう。なにしろ鮮花は彼女の言葉通り、厳密に言えば魔術師じゃない。

 

 その力は魔術ではなく、超能力。

 超能力とは理を以て術を編む魔術とは異なり、ある意味では理不尽とすら思われる理を介さない異能。

 人間が普遍的無意識である阿頼耶識から生み出された霊長の抑止力であり、それは一代限りで継承される力じゃない。鮮花のように一代限りで発症する、次に続かない能力だ。

 本来なら理を以て紡がれる魔術に比べれば遥かに劣る力でありながらも、鮮花や藤乃のソレは魔術にも匹敵する力を持った、超能力の中でも逸脱した力を持った異能である。特に鮮花の力は理を以て紡ぐことすら出来る自然干渉の力。

 通常であるならば理不尽なだけの力に、魔術の形式を使った理を上乗せすることで尋常じゃない破壊力を生み出す。その力、単純な力勝負なら下手すれば遠坂先輩にも匹敵するかもしれない。

 ‥‥うん、逆に言えば超能力であるからこそあそこまで強い力を操れるのかもしれないけれど。とにかく鮮花は凄いのだ。私だって、紛りなりにも幼少の頃からずっと魔術の修行を受けていたのに。

 

 

「だから、最初は簡単に燃やせた桜の影人形も最近は凄く燃やしづらいのよ。この半年ぐらいでそれだけ成長したっていうのが、そもそも桜も凄いっていうことを表してるって言いたいわけ」

 

「そ、そうかなぁ‥‥?」

 

「そうなの! 仮にも姉弟子である私を信用しなさいよ。倫敦の時も思ったけど、桜は私のこと何だと思ってるの?」

 

「‥‥えと、友達?」

 

「ソレはそうなんだけど‥‥。はぁ、もういいわ」

 

「いいわって、それ私のセリフなんだけど‥‥」

 

 

 小さな煎餅の最後の一枚までも———確か私と折半で買ったはずなのに———口に放り込み、鮮花は大きく狭い座席の上で伸びをした。

 田舎を走るには不釣り合いなぐらいの四つの座席が向かい合わせになったボックス席は、ただでさえ閉鎖的な冬木の街に向かう路線だからか私達の他に人はいない。というか、下手すればこの車両にも他には数人ぐらいしか人がいない。

 何となく鮮花にはぐらかされたような形になってしまったけど、ひとまず議論は脇に置いて鮮花と一緒に食べ散らかした———もちろん私と、なにより鮮花であるから常識の範囲内より更に狭い範囲で———菓子類のゴミを片付ける。

 冬木まではあと数駅。とはいっても田舎である冬木の周辺は、一駅ごとに山を幾つも超える必要があるからもう暫く、それなりに長い時間かかるけれど。多分、鮮花も少し勘違いして準備を早めてしまったんだろう。別に訂正する気はないけれど。

 

 

「そういえば士郎さん達、鮮花の話を聞いてると少し心配だったけど倫敦でもちゃんと生活できてたじゃない。士郎さんはともかく、遠坂さんとかセイバーさんとかはアレだと思ったんだけど」

 

「それは‥‥初対面の人にはどうなの‥‥?」

 

「いいじゃない、本人を前に言ってるわけじゃないんだから。言論の自由よ、言論の自由」

 

「その知り合いが目の前にいるんだけど‥‥?」

 

 

 他の人が言ったなら少しは気に障ったかもしれないセリフも、あっけらかんと一切の邪気を含まずに言ってのける鮮花が相手なら全然気にならないのが不思議だ。

 確かに生活能力でいうなら先輩は一流だけど、遠坂先輩は浪費癖がある上におっちょこちょいで、セイバーさんも冬木で随分と現世に馴染んだとはいえ、英霊であって現世に適応しきれているとは言えない。

 サーヴァントは聖杯によって召喚された時に現世の知識を得るけど、それは知識であって実際に自分が順応できるかといえば、辞書の知識と同じ扱いになるだろうし。実際セイバーさんもそうだったし。

 まぁ、私としてもセイバーさんに最低限以上の家事が出来ていたのは驚きだったから、鮮花のことは言えないけどね。本当に、手伝ってくれる時は毎日のように皿を割っていたセイバーさんとは思えないわ‥‥。

 

 

「遠坂さんも予想してたより面白い人だったわ。ああいう人がいるなら、倫敦での生活も楽しくなりそうね」

 

「あ、あはははは‥‥」

 

 

 遠坂先輩と鮮花を二人ならべると、色が混ざって見える。あの二人は似通っているわけじゃないんだけど、一緒にすると個性がぶつかり合うから色々と見ていてハラハラするのだ。

 多分、ああいうタイプって一つのコミュニティに一人しかいちゃいけないタイプだ。冬木での遠坂先輩然り、伽藍の洞での鮮花然り。倫敦だと只でさえ遠坂先輩とルヴィアゼリッタさんっていう二人がいるから大変なのに、来年からそこに鮮花も加わるのよね‥‥。

 考えてみると、来年からの生活が危ぶまれる。つい先日、というか昨日の遠坂先輩と鮮花の組み合わせも傍から長いこと見ていたくないカンジだったっていうのに‥‥。

 

 

「紫遙さんも、夏に一度会ったっきりだったけど変わってなかったわね。なんだか‥‥すごく自然な人」

 

 

 夏に会った、紫遙さん。私をお爺様から救ってくれた三人の内の一人。

 橙子先生と、もう一人のお姉さんからの貰い物だという色あせた紫のバンダナを額に巻き、草臥れながらも頑丈そうなミリタリージャケットを羽織った幾分年上の男の人。

 初めて会った時の印象‥‥と言っても、それは凄く薄い。倫敦で会った時の印象で塗り潰されてしまったけれど、優しげで、穏やかで、それでいながら鮮花と軽口を叩けるぐらいに気さくで。

 ‥‥そして、空気のように自然な人。それは決して悪いことじゃなくて、私達が仲間内の色に発する空気の中に自然と入り込める人だということだ。まるで‥‥穏やかに吹いて留まる、それでいながらふとした瞬間にしか気づけない暖かな春風のように。

 

 

「空気よね。居ても居なくても気づけないってカンジの」

 

「ええと私、今ちょっと良いこと考えてたんだけど、な‥‥?」

 

 思わず冷や汗を垂らしてしまうけど、確信したように言う鮮花に言葉が出ない。まったくもって、前々から思ってたけど鮮花は紫遙さんに対して必要以上にキツイ気がする‥‥というか、だからこその鮮花なのかもしれないけど。

 空気、か。仮に鮮花の言う通りだとしても、私みたいな陰鬱な空気じゃないだけ十分だと思うのに‥‥。

 

 

「はぁ、あれだけ矯正されたのにまだネガティブなところは変わらないのね。まぁ人の性格って早々変わるわけじゃないから仕方がないんだけどさ‥‥」

 

「前よりは、少しは進歩してるはずだと信じたい‥‥かな? うん、そうでなかったら先輩達と一緒にいることもできないし‥‥」

 

「‥‥全然進歩してないじゃないの。ネガティブなままよ、それじゃ」

 

 

 負の感情は、私の虚数魔術を行う上で非常に大切な要素の一つである。

 私が使う虚数魔術とは、私が持っている負の感情を基にして構成される。虚数、という不確かなモノの存在を肯定するのが同じく不確かなモノである人間の感情であり、その中で攻性の感情とは負の属性であるからとされているからだ。

 だからこそ、本当を言うと鮮花の言葉は間違っている。私の持っている負の側面は決して捨て去って良いものではない。あれは私の武器であり一部。橙子先生に教えられた通り、否定してはいけない私そのもの。

 もっとも今否定したばかりの鮮花の言葉も、やっぱり本当は間違っているわけでもない。大事なのは、否定するのではなく制御すること。自覚し、理解し、受け入れる。その上で私の思うが儘に制御するのだ。

 他の魔術とは、それこそ異端である鮮花の焔とも一線を画する私の魔術。専門的な勉強をするためには時計塔への進学は欠かせない。ある意味では鮮花よりも深刻な理由を持っている。

 

 

「そういえば鮮花と紫遙さんって仲良いけど、どのくらいの付き合いになるの? 鮮花が橙子先生のところで勉強を始めたのってここ最近でしょう? その時からってことは‥‥2,3年ぐらい?」

 

「ま、そのくらいね。橙子師に弟子入りしてからはアイツずっと一緒にいるようなもんだし、もしかしたら魔術師になってからは幹也よりも一緒にいるかも‥‥」

 

 

 蒼崎紫遙さん。

 私と鮮花のお師匠さんである蒼崎橙子さんの弟だけど、あまり似ていない。けど魔術は橙子先生の弟だって納得出来るぐらいの腕前で、倫敦に行った時の印象だと面倒見も良さそうだった。

 冬木で会った時と服装も姿も印象も殆ど変わらない不思議な人。とはいっても結局会ったのは二回きりで、やっぱり私は紫遙さんのことはよく知らない。まぁ当然のことではあるんだけど。

 

 

「アイツ? いや、そんな大した人間じゃないわよ。そりゃ魔術師としては確かに私より上かもしれないけど、単純な戦闘能力だったら大したことないし、普段の生活だって結構自堕落だもの。アレで面倒見良いとか、笑っちゃうわね」

 

「‥‥うわぁ、ホント身内にキツイわね、鮮花は」

 

「キツイとかじゃなくて正当な評価だってば。ホントにそうなんだから仕方ないじゃない」

 

 

 どこまでもこき下ろすつもりなのか、鮮花は紫遙さんの弁護を絶対にしない。もっともコレはきっと紫遙さんに対して限ったことじゃないのは私も分かっていて、きっと幹也さんとか、怒らせたくない橙子さんとかを除けば誰にだってこんな感じだろう。

 あ、藤乃にはそうでもないかも。私のことを外でどう言ってるかは分からないけど、そんな印象も受けない。‥‥もしかして、やっぱり紫遙さんだけなのかな?

 

 

「そういえば鮮花、紫遙さんと初めて会ったときどうだった?」

 

「どうだったって‥‥どういうこと?」

 

「どういうことも何もホラ、印象とか雰囲気とか‥‥」

 

「そんなの今と同じよ。昔っから大して変わってないわアイツは」

 

 

 窓の外、さっきから大して変わっていない景色を眺める。

 流石にこの辺りでは一番大きな都市‥‥というより街に近づいているからか、民家もちらほらと見えるようにはなったけどやっぱり森と山ばっかりなのは同じ。

 見慣れた山。見慣れた谷。さっきまでもうちょっとかかると思っていたはずなのに、冬木まではもうすぐだ。そんなに離れていなかったとはいえ倫敦まではやっぱり遠かった。

 時間は長くなくても距離だけで随分と長い間冬木から離れていたような気がする。特に海外だと、例え一拍だったとしても旅行気分からか故郷が懐かしい。

 

 

『まもなく、冬木。冬木に到着します』

 

「あ、もうすぐよ。ホラ鮮花、荷物持って」

 

「わかってるわよ。桜も網棚の上の鞄忘れないようにね」

 

 

 遂に山と森ばかりだった景色が住宅部、続いて都市部へと姿を変える。西日本でも田舎に位置するこのあたりでは一番の大都市である見慣れた冬木の町並みへと電車は入っていく。

 私達が目指している衛宮の屋敷は駅がある新都じゃなくて、冬木の街でも閑静な住宅街である深山町にある。バスもあるけど、今日は荷物も多いしタクシーかな。

 

 

「紫遙ねぇ。確かにそろそろ長い付き合いになる、か‥‥」

 

 

 時間帯も早いからか、他の都市で働いている会社員達の降りる姿は見えない。これが夕方も過ぎるぐらいだと結構それなりの人影があるんだけど、特に今日は平日の昼間ということもあって駅は伽藍としていた。

 大きなトランクと手荷物を引っ提げた私達にとって、人が少ないのはいいことだけど‥‥。こういう寂しい駅っていうのもつまらないものね。この駅を使う時って大抵が学校のイベントだったり忙しい時間だったりしたし。

 

 隣でぼんやりと歩く鮮花に、あんまりボーッとし過ぎて足をトランクに引っかけたりしないように注意しながらホームを歩く。

 多分、最近補修した新都の駅はホームにも改札へ繋がるエレベーターがあったはずだ。それに乗って改札まで行って、下まで降りたら広場でタクシーを拾おう。

 おそらくは人通りも少ないだろう冬木の街をホームの窓から眺めながら、私も気を取り直して、場所も分からないだろうに先に歩いていってしまった鮮花を追いかけて、女の子の常として重くなってしまったトランクを引き摺り家路についたのであった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 ‥‥私が最初にアイツに会ったのは、当然だけど橙子師に弟子入りをすることが決まって初めて伽藍の洞に行った時。

 廃棄されてそこまで長くないからか汚れは酷くないとはいえ、見た目としては完全に廃ビル。まだ魔術師として殆ど修行をしていなかったから全く分からなかったけど、高度な隠蔽処理が施された魔術師の住処。

 工房と書いてアトリエと読むのだ、私は芸術家でもあるからなと言っていた橙子師に呆れて白い目を向けたのを覚えている。普通のビル、とまでは言わないけど外見は別に芸術的でも何でもなかったし。

 むしろ工房でもアトリエでもなく、アレはどっちかっていうと悪の組織のアジトだ。アレの地下に何か秘密の格納庫とか研究室とかって何か恐ろしい改造手術でもやってるって言われても納得してしまう。‥‥ていうか実際に似たようなことはやってる。

 とにかく色々とあって決心したはずの弟子入りが、ものすごく不安になってしまうぐらいには怪しい外見をしていた。

 

 

「‥‥どうした、怖じ気づいたか? 私の前であれだけ見事な啖呵を切って見せたというのに、お前を見初めた私の目に狂いがあったということかな?」

 

「そ、そんなことありませんよっ! ホラ、行くなら早く行きましょう。こんなところでボーッと突っ立ってても仕方ありませんしっ!」

 

 

 意地悪そうに眼鏡を外してニヤリと笑ってみせる橙子師に、私はムキになって入り口もよく分からないのに先に歩き出した。

 伽藍の洞は四階建て。本来なら五階建てのビルだったらしいんだけど、途中で建設がストップしたらしく、結果的に屋上となっている部分からは鉄骨が幾本も突き出ている。まるで天に向かって剣を構えているかのようだ。

 

 

「コラコラ、一階に入り口はないぞ。何処へ行くつもりだったんだ?」

 

「っ、なんでまたそんな面倒臭い作りになってるんですか?!」

 

「そんなものを私に聞かれても困る。設計者の意図なのだから、買った私には関係のないことだ。

 まぁこれはこれで重宝しているのだぞ? 居住に使えるような部屋が四階にしかなかったから工房を下の階層に設置するしかなかったし、来客に工房を通ってオフィスまで来てもらうわけにもいかんしな」

 

「はぁ、それはまぁ確かにそうだとは思うけど‥‥」

 

 

 真っ直ぐに道を進んでビルの一階へ入り口を探そうとしていたら、建物の側面へと回り込んでいた橙子師から声がかかる。どうやらこのビル、使えるドアは四階にしかなくて非常階段で出入りする作りになっているらしい。

 一階は物置で、二階と三階が橙子師の仕事場。そして四階に橙子師の部屋とオフィスがあるとのこと。当然ながら仕事場への出入りは許されないだろうから、私が入るのは四階だけってことかな。

 錆び止めが施されているとはいえ野ざらしの非常階段はあちらこちらが不安にさせるぐらいには汚れているけれど、幸いにして嫌な音を立てたりはしていない。そこまで古い建物じゃないとは思うんだけど、全くもってこれからを不安にさせてくれる。

 

 

「いずれお前も工房を持つことになるだろうが、覚えておけ。魔術師にとって工房とは自らにとっての最後の砦。軽々しく他人を入れるようなところではないし、入れたが最後、生かして出さん」

 

「‥‥‥‥」

 

「まだ、魔術についての知識も、魔術師としての心得も殆ど持たないのは分かっている。だが、心構えについてはそれなりに教えたろう? お前も生半可ではない覚悟を決めてコチラの世界に踏み込んだのなら、躊躇はするな」

 

「‥‥はい」

 

 

 ギシリ、と音を立てて扉が開く。中は埃っぽく、無味乾燥な匂いが立ちこめていた。

 それなりに拾い室内だ。書類仕事をするための大きめな机が二つと、応接用なのだろうテーブルとソファーが一組置かれている。

 窓にはカーテンが下がっていないが、時間が微妙に夕方にさしかかっているために日差しはそんなにきつくない。逆に照明が消されているからか薄暗く、全体的に不気味な印象が拭えない。

 幾つも据えられた大きな本棚。何の意味があるのか分からないけど積み上げられているひどく旧型のテレビ。机には乱雑に書類がちりばめられており、不気味なのに加えて得体が知れない。現代風の、魔女の館。そんなトンデモない場所だった。

 

 

「ココが‥‥?」

 

「あぁ、そうだ。ここが工房・伽藍の洞。一応私は表の社会で人形師として活動してもいるのでな。このように表の人間を迎えるオフィスも必要なわけだ」

 

「いや、コレ絶対普通の人が見たら引きますよ? アプローチの方向とか、配慮する方向間違えてますって、絶対」

 

 

 とりあえず表の人間に対するカモフラージュとして用いるならば、明らかに間違った方向にインテリアを整えてしまっている。こんなオフィス、普通の人間ならば例え芸術家であっても作りはしない。

 まず普通の人間ならいくらインテリアでも用途不明のモノを置いたりはしない。特にガラクタ紛いのテレビはさっぱり意味が分からない。映るわけでもないだろうに、どうしてあんな大量に置いてあるんだろうか?

 

 ‥‥人形師・蒼崎橙子の名前は芸術の方面では適度に名前が知れている。作品を発表する頻度があまりにも少ないために決して有名ではないが、まるで生きているのではと見まごうその人形には根強いファンも多い。

 私も、一度だけ橙子師の人形を見たことがある。アレは本当に生きてるかのようだった。流石に間接は人形みたいな球体だったけれど、ハイネックのセーターとか長袖の服を着てしまえば、町中でベンチに座っていても自然に通り過ぎてしまうことだろう。

 

 

「ふむ、私としてはそれなりに気に入っているのだがな」

 

「ま、まぁ趣味って人それぞれですし‥‥」

 

「そこはかとなく侮辱されているような気もせんではないが‥‥。まぁお前もこれからココで修練を積むことになる。今すぐにとは言わんが、慣れろ」

 

 

 慣れろ、と言われれば慣れるとは思うけど、それでも最初のインパクトは拭えないものだろう。そういうこと考えると逆に、魔術師という異常な世界へと入るための心構えに必要なインパクトは十分だったと言えるかも知れない。

 それがどういう形であっても、今までとは全く違う環境に入る時にはそれなりの心構えがいる。それは例えばゆっくりと自分を慣らしていくという方法もあるけど、こと魔術という物騒な世界が相手だと一気に環境が変わるということを実感できたのは悪いコトじゃないわよね。

 

 

「基本的に魔術の講義はこのオフィスか、三階の作業場で行う。先程も言ったかもしれないが、二階の工房への出入りは禁じる。作業場には道具ぐらいしか置いていないが、工房には色々と見られてはマズイものが置いてあるので名。

 ‥‥如何に弟子とはいえ、魔術師として見られてはマズイものを見られては始末しなければならん。わかるだろう?」

 

「‥‥う、はい‥‥」

 

 

 意地悪く細められた視線に射貫かれ、ゾクリと強烈な悪寒が背筋を虫のように這っていく。普段は大人っぽいけれど、伊達に魔術師を名乗ってはいないらしい。

 圧倒的な威圧感。重苦しくのし掛かるものではなく、貫かれるような、氷のように冷たい視線。情を交えず利己的に、自分の利益と不利益を考慮に冷徹に決断する。それが魔術師。橙子師が行きずりに語っていたことが思い出された。

 

 

「‥‥橙子姉? 来客かい?」

 

「あぁ、居たのか紫遙」

 

 

 オフィスに置いてある機材の説明を受けていると、オフィスの奥、ちょうどさっき橙子師から橙子師の住居になっていると説明を受けたところから一人の青年が現れた。

 顔には大して特徴はない。おそらくクラスメートとして過ごしていて、漸く印象に残るぐらい普通の青年だ。黒い髪に黒い瞳。同年代の馬鹿やってる男には見られない知性の輝きが瞳にあって、多分私が普段付き合いたくないと思ってる男達よりは幾分マシだろう。

 着ているのは凡庸な学ラン。色は黒で、ボタンは金。全くもって普通極まりない姿で片手にはコーヒーポットを、片手にはコーヒーカップを持っている。おそらくはこれからお茶にでもしようとしていたのではないだろうか。

 

 

 

「お前は知っていると思うが‥‥紹介しよう。これから私の弟子として、お前の妹弟子として伽藍の洞に通うことになる黒桐鮮花だ」

 

「あ、黒桐鮮花です。よろしく‥‥お願いします」

 

 

 橙子師の紹介で、一応礼儀として頭を下げることは下げる。

 妹弟子‥‥ということは、この人は私より前に橙子師の弟子をしていた人? 中学生‥‥とは思えないから高校生だろうけど、私よりは年上とも限らない。童顔ってわけでもないから同年代なのは間違いないだろう。

 橙子師みたいに、魔術師だっていう先入観を持って見てもとても魔術師には見えない。まぁ橙子師は先入観なしでも魔術師、ないしは悪の組織の大幹部に見えないこともないのが不思議なところだけど。

 

 

「黒桐、鮮花‥‥」

 

「はい?」

 

「あ、いや、なんでもない。俺は蒼崎紫遙。そこにいる君の師匠の義弟(おとうと)だよ。こちらこそ、これからよろしく頼む」

 

「弟っ?! 橙子師の?!」

 

「うん。‥‥まぁ、うん」

 

 

 微妙に表情を陰らせて———とはいってもその時の私では紫遙の微妙な表情の変化なんて気づけなかったんだけど———曖昧に頷く青年‥‥蒼崎紫遙は、やっぱり凡庸で魔術師なんかにはとても見えない普通の人間に見えた。

 橙子師から自然にコートを受け取る姿は、どっちかっていうと召使いとか執事とか。とにかく弟子とは‥‥っていうか、私の認識がおかしいだけどもしかしたら弟子ってそういうものなの?

 

 

「え? あぁいや、そんなことはないよ? まぁこれは、ホラ、なんていうか癖というか‥‥」

 

「よく訓練された弟子なら自然と師匠の身の回りの世話まで行うようになるのだ。お前もじきにそうなる」

 

「嘘言わないでよ橙子姉?! 鮮花嬢も本気にしちゃダメだからね?!」

 

「本気にするわけないでしょそんなこと! ‥‥まぁ、ちょっとはその、本気にしかけたけど‥‥」

 

 

 私に向かって言いながらも、紫遙はコートをハンガーにかけて橙子師の分のコーヒーを入れる。橙子師が自分の椅子へと向かうと、コーヒーを持って来ながらも椅子を引いてやることまで忘れない。

 確かに橙子師の言う通り、よく訓練された弟子‥‥というか弟は師匠に、姉に尽くすことに全く疑問を持たないらしい。一応頑張るつもりではあるけれど、私もあんな状態にならないように気をつけよう。

 

 

「ハハ、君も知ってた通りの子だね。これから楽しくなりそうだ」

 

「知ってた‥‥?」

 

「え? あぁ、うん、橙子姉から事前に色々聞いてたからさ。ハ、ハハハ‥‥。ほら座って、君もコーヒー飲むかい?」

 

「あ、うん。砂糖は要らないから、ミルクだけお願いね」

 

「了解」

 

 

 ちょっと年代物ではあるけど座り心地は悪くないソファーに腰掛け、紫遙が淹れてくれたコーヒーにミルクを入れて飲む。そこまで美味しいものでもなければ礼園で飲むような高級品でも決して無い。多分、暫く飲んでなかったけど普通の家のコーヒーってこんなもんだ。

 カップも来客用のものらしく、他の二人のゴツイものに比べれば幾分華奢で繊細な作りをしている。おそらくこの二人、あのゴツいマグカップじゃないと足りないくらいカフェインに飢えた生活をしているんだろう。

 魔術師、というより卒論に必死な理系大学生とか言った方がいいのかもしれない、この二人のカフェイン摂取量は。実際弟子入りして暫く経ってから、一度研究に没頭した時の二人の尋常じゃないぐらいの集中力は嫌と言う程に思い知らされることになった。

 ちょっとでも研究に興が乗ると一日二日の徹夜なんて当たり前。それどころか橙子師に至っては一週間弱も徹夜して平然な顔をしていたこともある。流石に最終日には三日間眠りっぱなしだったけど。

 紫遙だってああ見えて結構なトンデモ人間だ。橙子師と違って当時は高校にもちゃんと通っていたから尚更大変だ。授業中は居眠りばっかりだけど、あまり成績を落とすと橙子師からのキツ〜いお仕置きと特別レッスンが待ってるらしいし。

 あの橙子師と機嫌を損ねた上でのレッスンとか絶対に死ねる。私なら尻尾巻いて東京から逃げ出して叔父のところへと避難するレベルだ。

 

 まぁそんなわけで、私と紫遙の初対面はこんな感じ。とにかく印象が薄くて、最初会ったときもただ「へー」って感じだったってワケ。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「Azolt‥‥ッ!」

 

「よし、火が出たぞ。そのまま意識を集中させて、その小さな火を炎へ、そして焔へと変えるんだ。イメージしろ、それが魔術の、そして超能力の根本だ。

 イメージしろ、何もかもを包み込むぐらい大きな業火を。矮小な人間の身体から発しようと思うな。それは、この世にいる全ての人間達から生み出された力だ。そしてこの世に、人間は君一人だけだ」

 

 

 アレは‥‥何時のことだっただろうか。

 私は橙子師から魔術の、というよりは私が扱うことのできる異能の基礎を教えてもらって、それなりに私の術が体系づけられてきた時のことだったか。

 その頃になると基本的なことを一通り出来るようになって、さらには魔術という存在の在り方についてもそれなりの知識を得ていた私。教えられることを必死で頭に叩き込む段階を超えて、やっと実践に、そして自分自身の工夫を試せる段階へと入っていた。

 自分だけの異能である発火能力(パイロキネシス)。それの在り方を最初に理解して、それを今まで勉強した魔術のやり方で制御、発現する。いわば魔術という器、回路を想像して其処に私の異能を流し込むことで、形を整えているのだ。

 

 本来なら自分の思うままに使える力を技術で制御する。超能力というあまりにも異質な力を扱う私にとっては逆に悪いことなのかもしれないけれど、それはまた別の話。

 超能力とは、普通の人間とは違うチャンネルが開いてしまった人間にしか本来なら使えない力だ。私や、あるいは最近の藤乃みたいに普通の人と同じチャンネルと、超能力という別のチャンネルが同時に開いている人の方が例外らしい。

 そういう人は普通の人と感性や感覚、観念が全く違う。‥‥あまり良くない言い方をするならば、完全な社会不適合者。むしろ人類不適合者と言う方が正解かもしれないけれど。とにかく異常なメンタリティを以て超能力を操る。

 異常なメンタリティによって生み出された異常な超能力は、それこそ異常な力を発揮する。もちろんコレは魔術に及ばないというのが通説だけど、とにかく普通じゃないにしても只の人間が発する力としては異常極まりないものだ。

 ‥‥だけど異常な精神を持たない私には、それだけの異常を生み出すことが出来ない。元々異常な精神の一端を持ち合わせ、式と戦うことで色々と覚醒したらしい藤乃はともかく、普通の人間の枠から今一歩踏み出すことの出来ない私では強力な異能を奮えない。

 だからこそ、私は技術を以て異能を行使するのが良いと橙子先生から言われたのだ。だからどちらかというと、私は異能者というよりは魔術師なのかもしれない。根源を目指すことはしないけど、ね。

 

 

「Foltte!」

 

「おぉ! こりゃ‥‥凄い」

 

 

 呪文を唱え、掌に生み出した私の力を大きく膨れ上がらせる。最初こそ蝋燭より少し大きいぐらいだった小さな火が、今度は天井近くまで制限無しに大きく燃え上がった。

 普通の建物なら大げさに火災報知器が鳴ったことだろうけど、色々と違法なこの伽藍の洞には当然ながら火災報知器なんてものはない。そしてついでに、ただのビルに見えて橙子師が色々と細工をしてるから駆け出しの私の焔ぐらいじゃ焦げ跡だって付きはしない。

 

 

「よし、止めていいよ鮮花嬢」

 

「はぁ、はぁはぁ‥‥」

 

「‥‥ふむ、威力の上限自体はまだまだ上があるみたいだね。とはいえ際限なしに力を出してばかりでもしょうがないから、力の感覚は掴んだろうし、まずは制御の練習かな」

 

「制御、ですか」

 

「うん。鮮花嬢はすごいよ。こと焔の魔術に関してなら今の時点でも十分に、それこそ俺以上に威力がある。だから地道に制御を上手にしていけば、超一流の魔術師になれるに違いないさ」

 

「そ、そうですか」

 

 

 本棚の奥の方から無地の分厚い一冊を取り出した紫遙が頁をめくる。どうやらカモフラージュしてあったみたいだけど魔術書らしい。初級の教本なのか、ぺらぺらとめくってお目当ての頁を見つけ、こちらに構わず読みふける。

 誰かにモノを教わる、ということに関しては自分より遥かに年配の教師しかいなかった。だからこそ同い年に近い年齢の人に何かを教わるという体験はとても不思議なものだ。

 もちろんだからといって教わる立場と教える立場の間に、納得していないはずがない。でも、僅かながらも蟠りに近いものが生じていなかったと言えば、それは嘘になることだろう。

 

 

「‥‥あー、別に敬語じゃなくて構わないぞ? こうやって狭いところで修行してるわけだし、今は橙子姉が忙しいから代行してるけど別に師匠でも何でもないんだからさ」

 

「そう‥‥かしら?」

 

「さっきからそればっかりだなぁ君は。俺が良いって言ってるんだから良いんだよ。学校と違うんだから、そこまでかしこまる必要もないさ」

 

「‥‥成る程ね。それじゃあ、好意に甘えて普通に喋らせてもらうわね。よろしく紫遙さん」

 

「よろしく鮮花嬢」

 

 

 私と大して歳が変わらない兄弟子。風采が上がらず、どちらかといえば地味な青年。私の兄であるところの幹也のような魅力も感じない、それこそ通りすがっても一切注意を向けないだろう普通の人間。

 

 ‥‥今になって思うと、当時の私はささやかながらも優越感を覚えていたのかもしれない。それは自分でも自覚できないぐらいにはささやかで、それでも今までの私からしてみれば間違いなく看過しえない傲慢だったろう。

 手に入れた新しい力。それはもしかしたら普通の人間から見れば、むしろ魔術師から見ても“禁忌”とされるような異能だったからこそ、私は少なからずそれに酔ってしまっていたのかもしれない。

 魔術師に限らず、例えばスポーツとか習い事でもいい。ある程度まで上達すると克己心の強い人間でも、もっと強く、もっと上手くという意識が働くようになる。もっともっと先を、そう思うと今がおろそかになってしまうのだ。

 私が、というわけじゃなく、それは全ての人に共通すること。そして魔術というあまりにも異端な存在に触れた私は、私自身の持つ禁忌への憧れの影響もあって簡単に酔った。

 

 

「ねぇ紫遙さん、もうそろそろ魔術を習って数ヶ月になるけど‥‥」

 

「あぁ、そういえばもうそろそろそんなになるんだったね。たった数ヶ月で、鮮花嬢もとても成長したと思うよ。普通の人間なら異能者だってことを差っ引いてもココまでめざましい成長は遂げられない」

 

「え、あ、いや、別にそういうこと言って欲しいわけじゃなかったんだけど‥‥。私としては橙子師の言うこと聞いてるだけだし」

 

 

 伽藍の洞へ部活代わりに通うようになってから数ヶ月。もはや半年にも近いというぐらいになった頃。毎日のように、とはいかなくても授業が微妙に早く終わる曜日などは必ず外出許可を———かなり強引に———もぎ取って、私は伽藍の洞に通い詰めた。

 手に入れた異能の力。それを何より早く極めたくて、何より早く自分のモノにしたくて、私はまるで甲子園目指して勉強そっちのけで練習に没頭する野球部員のように、それでいながら勉強もしっかりとやって魔術師としての修行を積んでいたのだ。

 

 

「それに制御の練習と座学ばっかりじゃない? なんていうか、もっとこう魔術ー! って修行がやりたいんだけど‥‥」

 

「鮮花嬢の場合はちょっと違うかもしれないけど、やっぱり魔術は学問だからね。座学が中心になるのは仕方ない。座学でしっかり知識をつけておかないと、実践も上手くいかないのは当然だよ」

 

「理屈は分かってるんだけどね‥‥。やっぱりさ、性分としては派手にぶっ放す方が好みなのよね。こういうのが大事ってのはちゃんと理解してても、もどかしいっていうか‥‥」

 

 

 例の如く、紫遙から指導されているときは大体が橙子師が不在の時だ。珍しく営業に行く気になったらしい伽藍の洞の主は、これまた珍しくきっちりとしたスーツ姿で昼前ぐらいに出て行ったらしい。

 当然のことながら学校が終わってからやって来た私に対して、橙子師が家を出るのを見ていた紫遙はどうしていたのかと言えば、どうやら彼も学校をサボタージュ‥‥ではなく、振り替え休日か何かだったとのこと。

 そういえば季節外れの体育祭とか、この前やってたような気もする。まぁ私には関係ないことだから気にすることでもないとは思うけど。ていうか気にする理由なんて何処にもないけど。

 

 

「そうは言っても、そういうものだとしか返せないなぁ‥‥。そもそもね鮮花嬢、それでも君の学習速度はちょっと速過ぎるぐらいだよ? 俺も橙子姉もちょっと詰め込みすぎたって思ってるぐらいだし、これから暫くは今やってることを繰り返して地力固めをするっていう方法も———」

 

「なんで?! もうこんな制御ぐらいだったら十分に出来るわよ! もっと地道にやっていかなきゃいけないっていうんなら、並行して新しいことを練習しながらでも問題ないでしょ?!」

 

「そんなこと言われてもなぁ‥‥」

 

 

 分かる。紫遙の言っていることも、よく分かる。

 通常、魔術師は幼少時から家系を背負って修行を始めるのが常らしい。私、というか普通の人間が突然目覚めたりする初代の魔術師なんてそれこそ本当に数えるぐらいしかいないらしいから、それが魔術師にとっての常識だ。

 小さな頃からゆっくりと、それこそ何年もかけて魔術の勉強をしていくんだろう。今の私みたいな状況は決してノーマルなものじゃないだろう。それでも‥‥それは当人じゃないから言えることだ。今みたいな状況は、もどかしくてしょうがない。

 成果が見えないのだ。普通に勉強なんかでも確かにそれは同じかもしれないけど、残念ながら、今になって思うと、私はそれなり以上に無難にそれらをこなしてしまえるぐらいには基本的なスペックが高かった。

 学校の勉強に比べて、遥かに成果が出ない。最初こそ焔という分かりやすい異能を手に入れた喜びに勝ったけど、それが終われば後は地道な制御訓練だけだ。

 何か、新しいことが出来るようになったりはしない。ただ地道に制御を続けて、地道に焔を操れるようにするだけ。しかも操れるとはいっても自在にではなく、自由にといった感じ。

 単純に、制御。自在に、思うが儘に操るのではなく制御する。押さえ込む。私は、せっかく手に入れたこの力を思うが儘に使ってみたかったのに。

 

 

「それに私もあと数年したら高校卒業しちゃうわ。早い内から色んなことが出来るようになっておかないと、将来どうするのかとか不安になっちゃうじゃないの」

 

「うーん、逆に基礎が不安定でも相当に不安だと思うんだけどさ」

 

「紫遙は将来、何か計画とか予定とかあるの?」

 

「さらっと無視したね鮮花嬢? ‥‥はぁ、俺は魔術協会の総本山である時計塔に留学するだろうことが決まってるみたいだよ。橙子姉とか青子姉が色々考えてるみたいだから、俺はよくわかんないけど」

 

「‥‥本人がそんな受け身でいいの?」

 

「しょうがないじゃないか。あの二人が決めたことには逆らえないんだ、俺は」

 

 

 さっきから黙々とコーヒーを飲みながら魔術書を捲っていた紫遙が何処か諦めを含んだ、それでいて全く異論がないと見えるぐらい潔く、何処はかとなく楽しげにすらしながら私の質問に返した。

 ‥‥この数ヶ月で間違いなく断定できることがある。私より幾分年上のこの兄弟子、完璧なまでにシスコンだ。

 

 

「‥‥で、結局ずっと暫くはコレやってなきゃいけないの?」

 

 

 手の上にボーリングのピンぐらいの焔を出して、それをずっと維持している私。今日伽藍の洞に来てからずっと続けている制御の訓練。

 焔を大きくするわけでも小さくするわけでも、ましてや形を変えたり性質を変えたりするわけでもなく、ただ延々と同じ大きさで出し続ける地味で辛い訓練。

 意味がない、とは言わないし思わない。それは十分に分かってる。でも、それでも、それでもと思ってしまう。こんな調子で本当に成長できているのか? 間に合わないんじゃないのか? 以前‥‥幹也が連れてきた女の影が、やけに私を急かす。

 勿論そればかりが理由じゃないけれど、それでも、と私は考えた。それでも、こんな悠長に修行していていいものなのだろうかと。

 

 

「基礎をおろそかには出来ない。当然だろう?」

 

「‥‥またそればっかり。ふん、良いわよ別に。どうせ橙子師が帰ってくるまでは‥‥ていうかアノ人が帰ってくるまでは紫遙さんに教わんなきゃいけないんだし」

 

 

 上に掌を向けて開いていた拳を握り、私は鼻息みたいに苛立だしげな息を吹きかけて焔を消す。確かに最初は間違えて自分も火傷を負ってしまった術の消去だけど、地道な修行のせいか今では怪我をすることなんてない。

 分かっている。それが一番の近道だって分かってはいるのだ。それでもこうして苛立っているのは‥‥やっぱり私も人並みの人間の範疇には入っていたということだろうか。

 

 

「なんだい、もう帰るのかい? もし仕事が取れなかったんなら橙子姉もそろそろ‥‥いや、どっちにしても飲みつぶれて帰ってくるか。

 仕事が取れたら祝勝会で、仕事が取れなかったら残念会で‥‥。昔は最近ほど飲まなかったような気がするんだけどなぁ‥‥」

 

「よくわかんないけど、私明日は朝から特別にミサがあるのよ。宗教学の教師に来てた神学生の人の叙階式があるのよね」

 

「叙階式‥‥。あぁ、神父になるとかいう、アレかい?」

 

「まぁそんな感じ。ちょっと早いから、今日はもう上がらせてもらうわ。お疲れ様」

 

 

 礼園の制服は目立つから、少し季節には早いけど薄手のコートを纏って鞄を持つ。

 ココから礼園の寮まではそんなに距離はないけれど、バスとかは路線の違いで通ってないから徒歩で帰るしかない。途中何かあるとは思えないけど、只でさえ神秘的なお嬢様学校というイメージがある以上は制服を隠すに越したことはない。

 

 

「それじゃあ次に来れる日はまた連絡するわね。ごきげんよう」

 

「あぁ待って、鮮花嬢」

 

「ん?」

 

  

 ギシリ、と不気味な軋みを上げる扉に手をかけると、さっきは魔術書に目を落としたまま適当に手を振ったはずの紫遙に呼び止められる。

 呼び止めたのはあちらだろうに橙子師のものよりは一回り小さな自分の仕事机に腰掛けながら、こちらも向かずにそのまま話し続ける。こういう無精なところは本当に橙子師そっくりだ。

 

 

「最近、この辺りで通り魔とかひったくりとか、そういう物騒な話がすごく多いんだ。君のことだから大丈夫だとは思うけど、うっかり出遭ったり“しちゃったら”十分に気をつけるんだよ?」

 

「はぁ? 出遭“わないように”じゃなくて?」

 

「うん。これ以上は蛇足だと思うから言わないけど、君もそろそろしっかりと自覚を持った方がいい」

 

「ちょっと全然わかんないわよ。ちゃんと説明しなさいよ紫遙さん」

 

「‥‥‥‥」

 

 

 何か思うところがあるのか、紫遙は私の問いにも返事を返さない。普通は問いかけた方なんだから説明の義務が生じると思うだけど、一体何を考えているのやら。

 どっちみちこうやって何かに集中してしまったような様子の紫遙さんには何を話しても意味がない。無駄だ。完全に自分の世界に籠もってしまうから周りのことが聞こえなくなってしまうのだ。

 

 

「‥‥ホントに、よくわかんないけどお疲れ様ー」

 

 

 仕方がない。紫遙の言葉に何処はかとなく、いや、明確な引っかかりを感じはしたけれど、そう考えた私は寮の門限に間に合うように足早に伽藍の洞から立ち去ったのであった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「‥‥ホント、紫遙さんってば何が言いたかったのかしら?」

 

 

 季節を追うにつれて段々と暗くなる時間が早くなり、人気も心なしか少なくなって来た路地を歩く。制服だけなら肌寒いだろう気温も、ちょっと季節を先取りしたコートのおかげで暖かい。というより少し暖かくてポカポカ顔が上気している。

 路地裏、と言っても近いぐらいに奥まったところを近道して通っているからか足下も少しばかり汚い。この辺りになると掃除も随分と雑、というかやっていないと言われても納得してしまう。

 こういうところになると誰が掃除しているんだろうか? お店とかがあればそこの人が店の前もついでに掃除する、みたいなのが常道なんだろうけど、こんな人通りもそうそうないようなところだとよく分からない。

 

 

「普通ああやって注意する時って、夜に出歩かないとか人通りの少ないところは通らないとか、そういうことを言うものじゃない? 遭遇しないように注意するならともかく、遭遇してから注意しろってどういうことよ‥‥」

 

 

 昨日降った雨が水たまりを作っていて、それなり以上には高級で良い素材を使っているローファーが踏みしめたところからパシャンと音がする。

 高級な素材を使っているということは、即ち丈夫だということだ。特別な防水処理とかが施されているとは思えないのに、不思議と華奢な靴は浅い水たまりを踏んでも水漏れはしない。もちろん素材による違いもあるんだろうけど。

 そういえば思い返すと、礼園のものって制服に限らず何でもかんでも高級だけじゃなくて丈夫な気がする。何かが壊れたとかそうそう聞いたことがないし、制服も糸が解れたこともない。

 礼園もそれなり以上に歴史を重ねた学校だ。世間では高嶺の花と持て囃されているのを自分ではあまり仰々しく捉えたことはないけれど、こうして改めて今まで気づかなかったことを意識すると名門の名に恥じず、細かいところまで気を使っているようだ。

 

 

「‥‥ほら、遭っちゃってからじゃどうしようもないじゃない‥‥」

 

「おっと、どうしたのかなお姉さん? こんな時間にこんなところを一人で通っていたら危ないですよー?」

 

「そうそう、最近は日が暮れるのも早くなったし、そうじゃなくてもこんな時間に出歩くなんて正気の沙汰とは思えねぇなぁ」

 

 

 ぼんやりと歩いていたのが災いしたのか、それともこんなところを歩いていたが故の必然なのか、いつの間にか私の前には二人の若い男が立っていた。

 背格好は大して特筆すべき点もない。私よりもほんの少し、それこそ私がヒールを履いたら同じぐらいの身長になってしまうぐらいの背の高さ。もしかしたら高校生、それとも中学生なのだろうか。上は派手派手しいトレーナーを着ているが、下はそろって黒いスラックスだ。

 チェーンやらバッチやらがたくさんついたスラックスはとてもじゃないけど真面目な学生に見えはしない。ついでに雨でも昼間でもないのに被ったこれまた仰々しい帽子とあいまって、おそらくこれは不良と呼ばれる連中なんだろうと見当付ける。

 叔父のところで療養———名目に過ぎないわけだけど———していた時も、そして当然ながら礼園での生活でも見たことがない未知の人種。とにかく柄が悪く、私に対してよからぬことを企んでいるだろうことは用意に想像がついた。

 おそらく学生の域を出ないとはいえ大の男二人が女相手に抱く下衆な考えなど容易に想像がつく。そりゃ私だって庶民の家の出とはいえ扱い自体は箱入りのお嬢様だけど、この年頃の女は耳年増と相場が決まっている。

 いくら穢れを知らぬ箱庭だろうと、女の耳と口ばかりは止められないのだ。ただでさえ最近は礼園でもいろいろときな臭い噂も聞くし‥‥。

 

 

「んー、本当に綺麗なお姉さんだなぁ。最近の女ってのは軽薄な連中ばっかだって思ってたけど、世の中捨てたもんじゃねぇなぁ?」

 

「違いねぇ。近頃の女ってのはダメだ、どいつもこいつもチャラチャラしゃがって、つまんないったらありゃしねぇ」

 

「その点お姉さんは清楚で綺麗だねぇ? なんていうのかなぁ、箱入り娘っていうか何ていうか。オレお姉さんみたいな人と遊ぶのって初めてなんだよねぇ」

 

 

 ジャラジャラとアクセサリーの音を響かせながら二人が近づいてくる。橙子師と同じ煙草の匂いが仄かにする。まさか成年してるとは思えないから当然違法なんだけど、そんなことよりも橙子先生の落ち着いた香りに比べて神経を逆撫でする方が気にくわない。

 橙子師には言ってないけど、ホントはあの煙草の匂いもあんまり好きじゃないのよね。ていうか若い人で煙草の煙が大好きな奴っているのかしら。どうかしら。

 

 

「どうかな、こんなところ来たってことは、ちょっとは期待してるって思ってもいいのかな?」

 

「だよなぁ。フツー注意してる子だったらこんな時間にこんなところに来ないよなぁ? はは、大人しそうな格好してながら好奇心旺盛なところあるじゃねーの。でもよかったのか? ホイホイこんなところまで来ちまって」

 

 

 一歩一歩、いやらしい笑いを上げながら二人の男‥‥もとい少年が近づいてくる。両手を腰の後ろで組んでいるのが、もしかしたらわざわざ紳士的で手を出さないって態度で表してるのかもしれないけど、逆に嫌らしさを増していた。

 狭い路地裏。私も後ろに下がって逃げようと思ったら逃げられたかもしれないけど、今は逆に背中を向ける方が危ない。少しばかり護身術を嗜んでいたから分かるんだけど、相手を視界から外すってのは逃げるのが目的でも意外に危険だ。

 体育とか、運動関係はとにかく自信があっても所詮男と女。体力の違いは歴然。こういう相手は‥‥油断してる内にボコす!

 

 

「それじゃあ、期待に応えてとことん悦ばせてやるから‥‥アッー?!!」

 

「タ、タカぁッ?!」

 

 

 多分、傍目に見れば破滅的な音がしたと思う。ちょうど間合いに入った男に向かって、私は以前に教わったとおりに左の膝をしっかりと落とし、腹筋に力を込めて身体が伸び上がらないように、右足の前足底を真っ直ぐに伸ばす。

 大事なのは膝をしっかりと抱え込むように持ち上げること。そして体重を乗せるために僅かに腰を突き出す。両腕は相手の攻撃を警戒してしっかりと脇を締める。なんか先生から足癖悪いって言われたからか、これが一番性に合ったのだ。

 先生の教え通りに力を込めて伸ばした足は、狙い違わず男の弱点、二本の足の付け根へと吸い込まれていった。効果は抜群、最初に私に近づいてきた長い金髪の男は私には想像できない痛みに襲われて悶絶、蹲る。

 

「て、てめぇ、こんなことして‥‥ふぃぎゅあぁっ?!」

 

「タカ?! タカぁ?! このアマ、タカになんてことしやがるっ!」

 

 

 股間に手をやって膝はおろか頬まで地面について悶えていた男の後頭部を思いっきり踏みつける。ダメ押しの攻撃に男は悲鳴を上げて完全に沈黙し、連れのもう一人が顔を真っ赤にして詰め寄ってきた。

 なんか踏みつけた時に嫌な音がしたような気がするけど、大丈夫よね。空手とかでやる試し割りの原理を実際に人の頭でやってみた、みたいなことになってるけど大丈夫よね。

 

 

「なんてことしやがる、じゃないわよ。うら若き乙女に手を出そうとしといて、タダで済むなんてアンタも思ってないでしょ?」

 

「思ってないでしょ、じゃねぇ! このヤロウ、大人しくしてりゃあ付け上がりやがって!!」

 

「女なんだからヤロウじゃないでしょうがっ! ふんっ!」

 

 

 前髪ばかりが長い茶髪を頭に被ったニット帽からはみ出させた男が拳を握り締めて一歩踏み出す。喧嘩をしたことはあるのだろうか、少なくとも振り上げた拳に躊躇はない。

だが、甘い。激昂した人間の道理として私の顔を狙うのならば、そもそも拳を大袈裟に振り上げるのはナンセンスだ。ほら、自分の顔面がガラ空きになるじゃないの。

 

 

「ぶるぁぁああっ?!!」

 

 

 足と同じように真っ直ぐに突き出した左腕が、狙い違わず相手の右頬、三日月と呼ばれる急所を抉る。まともに決まって完全に脳みそを揺さぶられたらしい茶髪の男は、それでもなお根性か偶然か知らないが、何とかその場に留まってみせた。

 人体急所は基本的に、どこを殴られてもソレが適切な角度と速度を持っていたのなら致命傷にならずとも戦闘続行不可能なぐらいのダメージを与える、と私は先生から教わった。正直護身術の範囲を超えている気がしなくもないけど‥‥これでまともに戦える状態ではなくなっただろう。

 というか本当にここまでする必要はあったんだろうか? なんとなく弱い者虐めをしたような気に駆られる。

 

 

「テ、テメェ‥‥よく、も‥‥!」

 

「はぁ、意識を飛ばさない根性は認めてあげるけど、ぶっちゃけそこまでする意味ないでしょ? こんな“女の子”にしてやられるなんて醜態をこれ以上晒したくないなら、そこのソレ回収してとっとと失せてくれない?」

 

「る、るせぇっ! テメエの言うとおり、こんな目に遭わされてタダで引き下がれるかってんだ!!」

 

 

 呆れたように言い放つと、男はくらくらとしているらしい頭を押さえると右手を懐へと持って行き、そこから銀色に輝く一振りのナイフを取り出した。

 なんてことはないポケットナイフ。しかも柄と刃が一体になっている頑丈なもんどえはなく、折りたたみ式で携帯に便利な刃物とは名ばかりのスコーピオンナイフ。銀色なのは柄も含めてだったらしいけど、どっちにしても人を殺すには十分でも戦うには不十分な代物だ。

 あんなものを、私に向けようというのか。今し方、簡単な護身術に過ぎないとはいえ力の差を見せつけたはずだろうに、それでもチンケなプライドで私を傷つけようというのか。

 

 

「‥‥何それ、ソレでどうしようっていうの?」

 

「うるせぇ! へ、へへへ、お前、もう今頃許してって泣いてもしらねぇぞ? 本気でオレを怒らせたんだからなぁ!」

 

「‥‥はぁ、参ったわね」

 

 

 ナイフなんてちっとも怖くない。あれがもっと刃渡りの大きな刃物だったら話は別だろうけど、あの程度の刃物だったら拳の延長線上として十分に処理が出来る。要するに触らなければいいんだから。

 だってのに目の前のコイツは自分の持ったものが最強の武器であるかのように、ナイフを抜いた瞬間に自信に溢れ、私を卑下する笑いを顔に浮かべている。なんて滑稽なことだろうか。

 

 

「今までソレで脅せばみんな震え上がって許しを請うていたの? 成る程、そんなちっぽけな武器で、貧弱な武器で脅せるような相手としか対峙してなかったっていうわけね」

 

「はぁ? 何言ってんだお前。この状況わかってんのかよ?」

 

「わかってないのはアンタでしょ。全く、自分が格下だと思って相手にしたものが何だか分かってないんだから‥‥」

 

 

 苛つく。コイツ、本当に自分が優位だと信じて疑わない。今確信したけど、コイツはきっと自分が今持ってる刃で誰かを傷つけたことが無いに違いない。私も誰かと“戦闘”をしたことがあるわけじゃないけど、それでもコイツはとんでもない下衆だ。

 気にくわない。本当に気にくわない。自分が優位だと信じて疑わない下衆に‥‥思い知らせてやろう。

 私の力を、思い知らせてやろう。

 

 

「は? おいおいオレが持ってるものが見えないのか? コレ、ぶっ刺さったら死んじまうんだぜ?」

 

「見えてないのはアンタでしょ? 私が何を持っているのか‥‥本当に分からないの?」

 

「な‥‥に‥‥ッ?!」

 

 

 ちょうど左肩を前に出すようにしていた私が、相手から見えづらい死角になっている右手でこっそりとポケットから取り出して嵌めた火蜥蜴の手袋を翳し、自分の棟の前へと翳す。

 掌へと集めるのは、魔術師と違って魔術じゃない。そもそも私は魔術師とは違って魔術(異能)を行使する時に魔術回路を起動する必要もないのだ。ただ自分自身の力を、ごくごく自然に掌へと集めるだけでいい。

 制御するのはそこから。自分の中から溢れ出した力を顕現してそこから制御を始める。最初に力を出すときに思いきり出すか、少し自重して出すかの違いぐらいだ。

 ‥‥私の意思に応え、火の力を増幅する火蜥蜴の手袋に覆われた私の掌から一柱の焔が湧き上がった。

 

 

「ひ、ひぃっ?!」

 

「あら、アンタも分かったみたいね? ‥‥自分がどんな存在を、相手にしていたのか」

 

 

 言葉は要らない。茶髪の男は私の出した異常な焔を目にした途端、あからさまに恐怖を覚えて一歩後ずさった。

 私が出したのは只の焔じゃない。人を害する意思を込めた攻撃的な焔。火ではなく、焔だ。自然には存在しない、人が、魔術師が、異能者が作り上げた焔だ。

 それは説明なんて無くても、目にすれば自然と理解出来る。それが普通の人間である自分には太刀打ちできないものであり、その焔の使い手が、自分が相手にしちゃいけない異能者であったということまで。

 

 

「今まで散々、自分より弱い人を食い物にしてきたんでしょう? ホント、救いようがないぐらいの下衆よね。‥‥ちょっと、頭冷やしてもらおうかしら? まぁ私の焔じゃ炭になってからじゃないと冷えないんだけど」

 

「や、やめろ、助けてくれ、お願いだ‥‥!」

 

「そう言った女の人を、さっきの私を相手にするみたいに玩具にしたんじゃないの? ‥‥少し、痛い目に遭ってもらおうかしらね」

 

「ひぃぃぃいいぃ?!!!」

 

 

 ナイフを放り捨て、男が後ずさる。そして勢いよく逃げ出した。

 あぁ、そういえば私のコレを見られてしまって、口封じをしないで逃がすのはマズイわね。なんとか捕まえて、記憶処理だか何かをしないと。

 そう思った私は右手に更に力を注ぎ、まるでやり投げの選手のように右手を前へと突き出して男の後ろ髪でも焦がしてやろうと———

 

 

「はい、そこまでだよ鮮花嬢」

 

「‥‥ッ?!」

 

 

 が、突き出そうとした右手は私の顔の横ぐらいでがっしりと誰かに掴まれる。

 力強い握力に肩越しに振り替えれば、そこに見えたのは時間に見合わぬ地味で目立たない黒い学ランを着込んだ知り合いの兄弟子。黒い髪の毛を突然舞い込んだビル風に靡かせ、普段とは違う頼もしさを感じさせる雰囲気を放っていた。

 

 

「ちょっと、何すんのよ紫遙さん」

 

「それはコッチのセリフだよ鮮花嬢。君は‥‥今、何をしようとしていた?」

 

 

 右手に出していた焔が消える。紫遙さんも器用に魔術を使って打ち消していたみたいだけど、それでも兄弟子に火傷をさせる可能性があるのは頂けない。

 さっき別れるまで会っていた時の雰囲気とは全く違う、真面目で厳しい顔。コイツのこんな顔を見たのはコレが初めてかもしれない。あまりに異様な、というより見慣れぬ知り合いの姿に、私は思わず手に込めていた力を緩めてしまった。

 

 

「コラ! 放っといたらアイツ逃げちゃうじゃないのよ!」

 

「大丈夫だ。さっきの男がこっちを振り向いた時に暗示をかけて認識と平衡感覚を操作して、この周囲の路地裏から出られないようにした。俺の魔力が残留している間は延々と数メートルぐらいを行ったり来たりしているよ」

 

「はぁ‥‥意外に器用なのね、紫遙さんって」

 

「器用じゃなきゃ魔術師はつとまらないよ、鮮花嬢。‥‥それよりさっきの質問だ。君は、一体何をしようとしていたんだい?」

 

 

 いつもの、真面目に見えて合間合間に軽口を叩く紫遙とは様子が違う。普段なら落ち着いていながらも楽しげな色を浮かべている瞳はどこまでも真剣に私を見つめていて、遊びの余裕がない。

 掴まれた手は私が後ずさる時に離してくれたけど、心なしか手首を見ると微妙に痣、とまではいわずとも痕がついているような気がする。

 

 

「‥‥何って、そりゃさっきの男にちょっかい出されそうになったから、怖がらせてやろうかと‥‥」

 

「魔術、いや、異能を使おうとした‥‥というか使ったね?」

 

「まぁ‥‥ウン‥‥」

 

 

 眉を顰め、声音は厳しい。まるで粗相をした生徒を叱りつける教師のような、粗相をした子供を叱りつける親のような、粗相をした部下を叱りつける上司のような態度だ。

 ‥‥何だかんだで長い付き合いというわけではないにせよ、それでも温厚な人柄であることだけはしっかりと分かっていた紫遙が私にこうやって詰問する。

 ここに来て、私は自分が何かマズイことをしてしまったのだと気がついた。魔術師の先輩後輩の間柄として、この局面で私は紫遙が自分よりも上の位階にいることをしっかりと理解した。

 

 

「‥‥鮮花嬢、もしかして勘違いしてないかい? 俺は別に、一般人に対して魔術を使ったことを怒りたいわけじゃない」

 

「は?」

 

「やっぱり分かっていないみたいだね。‥‥鮮花嬢、今君が放とうとしていた焔を、さっき放とうとしていた位置‥‥丁度あの辺り目がけて放ってみてくれないかい?」

 

「‥‥うん、まぁ、いいけど」

 

 

 紫遙の言葉に従って、再度右手に力を湧き上がらせる。

 掌から迸った焔は橙。まるで橙子さんの髪の毛みたいな色の焔は決して威力が高いわけじゃないということを示す。焔は橙から赤、そして青、最後に白へと色を変えるにしたがって温度を高くしていくのだ。

 それにしても私がまだ未熟なのは仕方がない。今はこれで十分だ。そう考えて右手を振りかぶり、紫遙が指示した通りに、さっき私が狙っていた、ちょうど男がいたところ目がけて焔を放つ。

 

 

「Azolt———って、え?!」

 

 

 ゴウ、と空気を吹き飛ばすような音を立てて、焔は狙い違わず私の掌から解き放たれて目の前へ横に火柱を上げて飛んでいく。

 ‥‥狙いは確かに違っていなかった。問題は、狙いではなく焔の威力。

 私の掌から解き放たれた焔はさっき男が逃げだそうとしていた場所を遥かに超えて、路地の見渡す限りを焼き尽くすかのように先の先まで伸びていった。

 

 

「‥‥ウソ」

 

「ウソ、じゃないよ鮮花嬢。散々言ったじゃないか、制御の訓練は大事だって」

 

 

 黒焦げになった路地を呆然と見つめる私の後ろから、冷徹にも聞こえるぐらい平坦な紫遙の声がした。

 今の焔を、さっき私が放っていたらアノ男はどうなった? こんな火力、いくら魔術師としては威力が低めとはいえ、普通の人間が喰らったら冗談では済まない。‥‥おそらく、全身火傷で死、死んでしまったことだろう。

 

 

「‥‥神秘の秘匿がなされていれば、一般人なんて餌にしようが材料にしようが、魔術師が気にすることじゃないよ。それは俺も、橙子姉も同じさ。

 でもね、鮮花嬢。たとえ人殺しが肯定されるような世界にいたとしても、君は‥‥今の結果を予想して術を行使しようとしたのかい?」

 

「‥‥ッ!」

 

 

 魔術師の常識。それは確かに散々橙子師達から教えられたことではあるけれど、私はそれを自分の中で昇華するまでには至っていなかった。

 もちろん私はアノ男を殺そうとしたわけじゃない。ちょっと髪の毛を焦がして脅かして、私が橙子師から習った火を使った催眠術で記憶を操作しようとしただけだ。

 ‥‥それがまさか、こんなことになる可能性をはらんでいたなんて。

 

 

「分かったろう?」

 

「‥‥‥‥」

 

「魔術師はどこまでも利己主義でいるべきだ。他人なんて顧みず、自分の利益のみを優先する生き物であるべきだ。

 でもね、だからこそ自分には自分で責任を持たなければならない。それは今の君の、制御能力のこともそうなんだよ。たとえ結果として人を殺してしまうことが別に構わないとされていたとしても‥‥君はその結果を許容できたかい?」

 

「‥‥それは」

 

「覚えておいてほしい。使う力は違えど魔術師として生きていくことを決めたんなら、決して後悔するような生き方をしちゃいけない。後悔しないように、最善の対策をとる。

 たとえば根源に挑む魔術師みたいに、ね。そのぐらい臆病じゃないと魔術師はつとまらないよ、鮮花嬢」

 

 

 魔術師。

 それは普通の人間であることを止め、歴史の奥深くへと埋没することを選んだ人種。歴史に、自己に埋没することは即ち孤独を指す。

 孤独、自由、そういったものは自分自身を縛るものだ。集団、規則、そういったものに縛られることによって自由を得るのではなく、自分で自分自身を縛り上げて律する生き方だ。

 

 

「‥‥私には、覚悟が足りなかったってこと?」

 

「土壇場で誰かを殺す覚悟をするんじゃないんだ。土壇場の前に、俺達が普通に過ごしている日常で覚悟をしていくこと。それが魔術師にとって、意外に思うかもしれないけど大事なことなんだよ」

 

「成る程、ね。‥‥悪かったわね、基礎が嫌なんて子供っぽいこと言っちゃって」

 

「気にしてないさ。俺も昔はそう言って橙子姉に迷惑かけたものだし、ね。‥‥まぁ橙子姉には一蹴されたし、青子姉には散々笑われたあげくに酒の肴にされたけど」

 

 

 ハハ、と乾いた笑いが漏れる。こんなところで、説教喰らった後に不謹慎かもしれないけど、それでも最後にはこうやって笑って元の空気に戻せるのも紫遙の言いところなのかもしれない。

 今まで練習を繰り返していながら、今の今になって実感した自分の力。人を殺せるには十分な力、危険な力。それでもまだまだ未熟な力。私は‥‥まだまだ魔術師として成長しなければならない。

 

 

「あぁ、それじゃあさっきの奴に暗示をかけてから帰るとしようか。今みたいなことがあったらマズイし、途中まで送っていこう」

 

「ちょっと、そこは普通、私のことが心配だからとかじゃないの? ていうか途中までで良いわよ。男と帰って来るところとか寮監に見られでもしたら‥‥死に目を見るもの」

 

「ハハ、確かに」

 

 

 路地の奥、まだ焦げてない方へと歩いていく紫遙の後を追いかける。まだ習い立てで不安のある私の暗示よりも精神干渉には一家言あるという紫遙の暗示の方が安心だ。

 そういえばコイツ、魔眼とか研究してるらしいしね。橙子師の弟ってんだからてっきり跡継ぎという意味で人形作りでもしているのかと思ったけど、そんなことはないらしい。

 

 あぁ、今になって思えばあの時のあのやりとりが、私が紫遙のことをしっかりと認めた瞬間だったのかもしれない。

 私は私にとって価値のある人間しか、私の人付き合いのラインを超えることを許さない性質がある。だからこそ今まで紫遙とも、兄妹弟子とはいえども表面的な付き合いしかしていなかったのだろうか。

 魔術師であること。それは私が、即物的な理由に近いながらも自分自身で選んだ生き方。世の中の枠からはみ出して一人で生きていく孤独の旅路。

 最終的にどこに行くのか、どこに行きたいのか‥‥。それでも私は歩き続けていくことだろう。

 ただ私が今ここで私でいること。そして今ここの私に私自身が責任を持つこと。私自身が、私自身の足で立つこと。あぁなんだ、よくよく考えたら黒桐鮮花っていう人間は、確かに昔からそういう生き方をしてきたつもりじゃなかったか。

 

 だとしたら、ウン、きっとそうだ。

 きっと黒桐鮮花が魔術師になったのは、偶然でも奇縁でも何でもなく、それこそ必然という名の運命に記された事実そのものであったのかもしれない。

 

 

 

 Another act Fin.

 

 

 




分かりにくいかもしれませんが、後半は鮮花の視点です。
それにしても気がついたら三万文字。どうしてこうなった……?

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