UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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本日、Arcadia様にて連載中の改訂版にて第十話を更新しました!
両儀流の道場での一幕でカットされていた、士郎と紫遙君の手合わせの様子を細やかに描写しております。よろしければごらんになってください!


第六十七話 『友人達の焦燥』

 

 

 

 

 side Rin Tosaka

 

 

 

 世界に冠たる魔術協会。そしてその総本山である倫敦の時計塔。

 とはいえこの時計塔は巷で有名な国会議事堂の方ではなく、表の顔である大英博物館の地下に下へ下へと伸びていく逆向きの尖塔のような構造をした学舎を指す。

 一般人に対して秘匿されるべき魔術という神秘を研究する場所であるため、秘匿性を加味して殆どの構造物は地下にあるんだけど、いくつかの部屋や講義室などは大英博物館の裏にある建物の中に入っている。

 ここでは表だった研究とか実験は当然出来ないけど、その代わりに地下に比べて書類仕事とか、神秘の秘匿とかを気にしない仕事ならばはかどりやすい。やっぱり人間、いくら魔術師が穴蔵に籠もることを好む生き物だとしても太陽の光無しには生きられない。

 表向きはそこまで綺麗じゃない目立たない建物も、中に入ってみれば世界で最も勢力を広げている一大組織として相応しい内装や調度品が完備されている。特に王冠以上の位階を持った魔術師達の執務室が据えられたフロアは‥‥これ、額縁の一つでも持って帰ってもいいわよね?

 高級な内装に目を奪われてしまっても仕方がないというものだろうけど‥‥多分、某かの魔術的な罠でも何でも仕掛けられていても不思議じゃない。迂闊に手を出して痛い目にあっても、自業自得というものだろう。

 

 

「‥‥成る程、謎の魔術師か」

 

 

 そんな中でもおそらくは最上級に位置する立地と内装のこの部屋。時計塔の地上部の中でも一番に良い景色が拝める部屋に、蒼崎君を除いた冬木に派遣されたメンバーがそろっている。

 メンバーの他には二人。たった今口を開いた、赤い外套と黄色い帯を垂らした長髪の男、時計塔のカリスマ教授ことロード・エルメロイⅡ世。そして豪快に顎髭を蓄えた長身の老人。この部屋の主である死徒二十七祖の第四位。宝石翁。魔導元帥ことキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグだ。

 私とルヴィアゼリッタの家系の祖———と言っても教えを受けたというわけで、別に血が繋がっているわけではない———である大師父は、死徒、つまるところ吸血鬼でありながら窓から差し込む光を受けてびくともしていない。

 本来なら吸血鬼にとって日の光は大敵であるわけだが、死徒の中でも頂点に立つ二十七人の吸血鬼の中でも高位に位置している彼にとっては大した脅威ではないらしい。いや、本当はどうだか分からないんだけど。もしかしたら我慢してるのかもしれないし。

 

 

「冬木に現れた謎の魔術具であるクラスカード。いったい何処が出所かと思っていたが、まさかばらまいてくれた張本人が出てくるとはな‥‥。

 本人の口から聞いたこと、そしてクラスカードの機能から考えて照合してみれば‥‥。やれやれ、本当にあのクラスカードを自身で作り出したとしたら、学部の長にも匹敵する実力の持ち主だぞ」

 

「名前も所属も名乗っていませんでしたから、フリーの魔術師なんでしょうか? だとしても、あそこまでの腕前を持った魔術師が今までノーマークだったとは、ね。

 仮にも管理人(セカンドオーナー)だっていうのに、自分の管理地を留守にしている最中の危機管理も行えないなんて、不甲斐ない限りです」

 

 

 ロード・エルメロイの言葉に続けて、私も拳を顎へと持っていきながら思案する。ロードのお言葉通り、今回の事件では尋常ではないぐらいに不確定要素の連続だった。

 もっとも今回の事件そのものが不確定要素の固まりだったと言えばそれまでの話。それ以前の問題としてあまりおちょくることができるような事件ではない。

 

 管理地への、管理人(セカンドオーナー)への敵対的な魔術師の侵入。私が口に出した通り、如何に管理人(セカンドオーナー)が不在の状態とはいえ、如何に相手が私はおろか時計塔の一部門の長に匹敵する位階の魔術師とはいえ、ここまで簡単に侵入を許すのは不甲斐ない以上のものではない。

 例えば張った結界を某かの方法で管理人以外にもチェックできるようにして、桜に監視しておいてもらえるというのも悪くないし、代理で管理をお願いしている神父様にお願いしておいてもいいだろう。

 決しておろそかにしていあわけではないと思いたいが、それでも倫敦に来るということが思考の中で先行していて対策が万全ではなかったのも確かである。

 今回の一件については悔やんでも悔やみきれないけど、これからしっかりと新たに対策を練っておく必要があるだろう。

 

 

「‥‥やれやれ、あまり気に病むな遠坂の。件の魔術師、お主達が思っておるとおり、話を聞く限り並の魔術師じゃないなどという表現では量りきれん。戦闘が得意な術者というわけではあるまいが、それにしても執行者の部隊で太刀打ちできたかどうかも、な」

 

「大師父‥‥」

 

「もちろん管理者(セカンドオーナー)として今以上にしっかりやっていこうと思うこと自体は悪いことではないぞ? その心がけは立派じゃ。精進せい、遠坂の」

 

 

 こちらを気遣うとか宥めるとか、もしくは嘲るとかそういう他人に関係する感情を顔に出さず、大師父はニヤリと豪快に笑ってみせた。どこまでも頼もしい、というよりは自然に傲慢不遜と言うべき態度は人間より遥かに年月を積み重ねてきた大師父だからこそ、というべきか。

 今代の魔導元帥は時計塔の学長補佐であるバルトメロイ・ローレライであるが、実働するのは彼女でも実質的に内外に魔導元帥として知られているのは目の前の死徒二十七祖の内の一。流石に時計塔の顔の一つが相手では、教会も何も言えないらしい。

 まぁそもそも死徒二十七祖の中でも高位、というか有名な連中だと実際居場所が既にはっきりしてる奴だって何人かいる。そいつらを教会が即討伐といかないのは、実力云々もあるけど政治的判断とか色々絡んでいる。

 特に高位というわけではないにしても死徒のまとめ役みたいな奴だと簡単に討伐したら死徒の間での秩序がアレしてしまうし。

 

 

「しかし、今回の犯人は遠坂の報告ではっきりした。如何にノーマークの魔術師であろうと、時計塔のデータベースならば時間はかかるだろうが正体も見つかることだろう。それに、幸いにして冬木が再度襲われるようなこともなさそうだな」

 

「はい。あの魔術師の口から聞いた思惑から鑑みると、その可能性は低いと思われます。‥‥問題は、その思惑の方なんですが」

 

「あのヤロウの思惑、か。一体何だったんだよアイツ‥‥」

 

 

 ロード・エルメロイの言葉に、非常に細かい部分を除いて説明していたがために事情がよくわかっていない二人の上司以外の一同が、またも揃って難しい顔をして唸る。

 最初は私の管理地である冬木に関する、そして私とルヴィアゼリッタが大師父の直弟子になるためという目的の任務であったはずなのに、いつの間にやらおかしなことになってしまった。

 

 突如、冬木に現れた謎の魔術具クラスカード。

 鏡面界という異空間を現実世界とは別の場所に生み出し、そこに黒化(れっか)した英霊(サーヴァント)を召喚する。

 あまりにも高度で、強力な魔術具はどうやら冬木という一級の霊地の霊脈から力を吸い取っていたらしく、冬木全体に聖杯戦争の頃に匹敵する歪みを作り出していた。

 魔術協会から派遣された調査団、あまつさえダメ押しの執行部隊すらも全滅という異常な経緯を経て訪れた冬木の街。そこで普通に事件が終わるなんて考えていたわけはない。

 ただでさえ六体もの英霊の打倒。そして事件の調査。クラスカード自体に対する詳細な解明までは要求されていないにしても、それでも字面だけ並べても簡単な任務ではないのは容易に想像出来る。

 それでも‥‥あれほどの衝撃的な、それでいながら意味の分からない結末を迎えるとは思っていなかったのだ。

 

 

「‥‥あの、大師父、実は———」

 

「———やっほー! みんな無事だったーッ?」

 

「蒼崎‥‥って、え?!」

 

 

 まるで、一個小隊が小銃を斉射したかのような、まるで戦車が大砲を撃ち放ったかのような、それでいながら微妙に軽い轟音がそれなりに広い執務室の中に響き渡った。

 音源は重厚で魔術処理が幾重にも施してある執務室の扉。とりあえず常識の範囲内としてやってはいけない速度と乱暴さで開け放たれた扉は、おそらく製造者———これも魔術師と思われる———が想定していなかっただろう音を立ててすぐ隣の壁へと衝突したのである。

 ‥‥一応アレ、魔導元帥の執務室に相応しい対魔術防御、対物理防御を施した一級品だったはずなんだけど、今の衝撃を見るにもしかしたら罅ぐらいなら入っているかもしれない。

 

 

「‥‥あら、若いのと年くったのが雁首揃えて何難しい顔してんの?」

 

「ていうか、誰ですか?」

 

 

 扉に深刻なダメージを与えたのは一人の女性。

 窓からの光を反射して微妙に赤く光っているように見える腰まで届く長い茶髪と、大人びていながらも年齢不詳と言えるぐらいには若い、それでいながら成熟したようなしていないような精神を持ち合わせた風貌。

 入ってきた時のテンションとは真逆の、落ち着いた赤色のコートと白いブラウス、そして黒いロングスカートという上品な格好をしている。最初に扉を壊しかけた人間とはとても思えない。

 というか場所が公に知られている執務室とはいえ、仮にも宝石翁と呼ばれる魔法使いの執務室にこんな調子で入って来られる人間って‥‥どうなのよ? まさか鍵かけ忘れたとかあるまいし、ここってこんな簡単に入ってこれるとこじゃないはずなんだけど。

 

 

「‥‥誰って、もしかして私のこと知らないの? アンタ達」

 

「知らないのって‥‥普通ソレ、初対面の人に聞くような台詞ですか? ていうかいくら年上でも慣れ慣れし過ぎやしませんか?」

 

 

 謎の女の人は、身体を左右に揺らしながら近寄ってきて、私達の顔を順番に下から覗いてくる。少しだけ細めた目がまるで猫、というよりは某かの猫科動物みたいで思わず一歩後ずさってしまう。

 うん、間違いなく私達よりは年上のはずなのに、不思議と顔立ちは同い年ぐらいに見える。それでいながら大人っぽい雰囲気も併せ持っているのだから、本当に不思議な人だ。私の口調が砕けて仕舞うのも仕方がない。

 というか完全に初対面のはずの私達を相手に自分のことを知ってないはずがないなんて、どれだけ自意識過剰な人なんだろうか。私の周りにこんな自信満々の人間なんて‥‥約一名、私の隣にいたような。

 

 

「———って、ちょっとルヴィアゼリッタどうしたの?」

 

「‥‥な、なんで貴女が‥‥」

 

「?」

 

 

 順繰りに顔を覗き込まれて、位置的に最後の場所にいたルヴィアゼリッタが短い悲鳴を上げたのが注意を引く。

 気になってちらりと見てみれば、目の前で楽しそうに目を細める女の人と睨めっこ‥‥というには些かルヴィアゼリッタが怯えたように後ずさっているけど、とにかく怯え方が普段のルヴィアゼリッタとは大違いだ。

 

 

「‥‥もしかして知り合い?」

 

「し、知り合いも何も、超有名人ですわよ‥‥。いったい何故貴女がここにいるのですか、ミス・ブルー?!」

 

「「「ええっ?!」」」

 

 

 ルヴィアゼリッタの言葉に、私とセイバーと士郎が素っ頓狂な声を上げた。

 

 

「あらー、久しぶりに会ったっていうのにつれないわねぇルヴィア? あんなに一緒だったのに〜」

 

「あれは貴女がおもしろがって私をダシに遊んでいただけでしょう?! というかいくら親族の友人とはいえ一人前の魔術師相手にそれなりの敬意といいますか、とにかくアレだけ好き放題というのはどうかと思うのですが?!」

 

「えー、だって貴女があんまりにも面白い反応するからー、ついつい可愛がってあげたくなっちゃうのよー」

 

「ひぃぃぃいい?! だから私の髪の毛を引っ張るのはお止めになって下さいとあれほど申し上げましたでしょうっ?!」

 

 

 怯えるルヴィアゼリッタに近づくなり、その女性は彼女の頭を囲むようにして垂れ下がっている不可思議なドリル、つまるところ縦ロールをおもむろに引っ張り出す。びょいんびょいんと力の加減に反応して弾むのは確かに面白そうだ。

 あまりにも傍若無人なその振る舞い。そしてルヴィアゼリッタの口から出てきた人名。

 彼女が私達に、自分のことを知らないのかと問うて来たのも納得出来る。確かに時計塔に在籍している魔術師ならば、そりゃ初対面ならともかく特徴ぐらいは知っていないとおかしい人物だ。

 

 

「‥‥第五法の行使手、ミス・ブルー」

 

 

 青の魔法使い、第五法の使い手、マジックガンナー、人間ミサイルランチャー、ミス・ブルー。

 様々な異名を持つ現代の、最も若き魔法使い。時計塔においては厄介事の代名詞として恐れ‥‥もとい畏れられている人物で、なおかつ魔法の正体が知れない割に協会からの任務は頻繁に請け負っているらしく戦闘能力は随一と聞く。

 一応は時計塔には所属しているけど、基本的には世界中を旅して回っているらしい。もっとも蒼崎君曰く結構頻繁に時計塔に帰ってきて彼にだけ顔を見せているらしいから、どうにも移動手段に説明つかないところがあるんだけど。

 そうそう、言い忘れてたけど言わずと知れた蒼崎君のすぐ上の姉だ。

 

 

「うわ、確かに噂の通りだわ。まさかルヴィアゼリッタが玩具にされてるのが見れるなんて‥‥」

 

「こ、この方は以前にショウの工房で会って以来、何が楽しいのか私にちょっかい出してくるのですわ! まったく勘弁していただきたいものですわ!」

 

「だからー、ルヴィアの反応が一々面白すぎるからいけないんだってばー。アハ、貴女の縦ロールっていくら引っ張っても元に戻るのね? コレちゃんとセットとかしてるの?」

 

「ですから、止めて下さいませー!!」

 

 

 相変わらずルヴィアの縦ロールを引っ張って遊んでいる青子さん‥‥もといミス・ブルーに思わず溜息をつく。確かこの人、名前で呼ばれるのが死ぬほど、というか殺すほど嫌だって蒼崎君に聞いてたから注意しないとね。

 大師父に比べて、この人は魔法使いとは思えない程に飄々として普通のメンドくさいお姉さんみたいだ。まぁルヴィアゼリッタが本当に嫌がるラインは見極めてるみたいで、そこまで酷いことはしてないみたいだけど。

 どっちにしても‥‥ウン、この人には触らない方がいいかもしれない。なんていうか、うっかりすると私の方まで被害が及びそうな気がする。

 

 

「で、ウチの馬鹿息子はどうしたの?」

 

「は?」

 

「ウチの紫遙よ。貴女達と一緒に冬木まで任務に行って来たんでしょ? 折角だから会っておこうと思ったんだけど、いないの?」

 

 

 ルヴィアゼリッタをからかっている内に前の方へと下がってきてしまった髪の毛を後ろの方に無造作に払って、片眉を上げてこちらを見るミス・ブルー。あらためて見てみるとスタイルが抜群にいいから立ち姿もスラリと一直線で綺麗だ。

 こんな人が姉なら蒼崎君にシスコン疑惑———もはや疑惑ではないが———が生じたり、浮いた噂の一つもないのも頷けるというものである。美人っていうだけじゃなくて、すごくカッコイイ。

 

 

「‥‥蒼崎君は、その」

 

「?」

 

「ふむ、ブルーよ。実は少々面倒なことになっておるようでなぁ‥‥。遠坂の、ワシらにも蒼崎のとこの坊主について、話してくれぬか?」

 

 

 一斉に俯いた私達に疑問の声を発するミス・ブルーに、何も言えない私たちに代わって大師父が口を開いた。

 私達が大師父とロード・エルメロイに報告した内容は、簡単な事件の経過と最終的に出現した黒幕たる魔術師の存在について。最後に繭津市がフェイドアウトしたことについては報告したけれど、それでも詳細については何も話していない。

 まだ上司たる二人には報告していない、任務の一員であったはずなのにこの場にはいない蒼崎君のこと。最後に魔術師が思わせぶりに、というより間違いなく何かの思惑をはらんだあの言葉。

 蒼崎君が、アサシンとの戦いで見せた狼狽。彼の記憶から奪われた触媒によって召還された、第四次聖杯戦争のハサン・ザッバーハ。百の貌のハサン。

 “正確な正体が記述された書物を見ていたから”という蒼崎君の説明も納得できない部分がある。仮にそれが本当であったとしても、彼はいったいどこでその書物を目にしたのであろうか。

 すべての答えが、あの魔術師との関係にあるような気がした。

 

 

「実は‥‥」

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「———なんて、こと‥‥」

 

「何か心当たりがあるんですの、ミス・ブルー?」

 

 

 一通り、私自身の主観や思惑を一切交えない客観的な事実だけを抽出した事件の顛末を話すと、ミス・ブルーは先ほどまでのお気楽極楽な様子から一転、青ざめこそしないが尋常じゃないぐらいに深刻な表情をして目を見開いた。

 あまりにも衝撃を受けたらしいその様子。衝撃の度合いが激しすぎて、逆にいったいどれほどの衝撃であったのかまったく予想がつかない。

 ただ間違いなく言えるのは、おそらくミス・ブルーは蒼崎君が衝撃を受けた内容が、蒼崎君に対してあの謎の魔術師が放った言葉の意味が分かっているということだ。

 

 

「‥‥心当たりは、あるわ。なるほど、そういうことになったんなら、紫遙がここにいないのも納得できる。たぶん、工房にでも引きこもってるか当てもなくフラフラ彷徨ってるってとこでしょう」

 

「いくら探しても何処にもいないと思ったら、工房に引きこもってたの蒼崎君‥‥」

 

「いくら扉を叩いても反応がないと思ったら‥‥居留守でしたのね」

 

「もしくは外がどれだけ騒がしくても耳に入ってこないぐらい深刻な精神状況ってところでしょうね。あの子、昔から思い詰める時はとことん思い詰めるところあるし、今回はそれこそ問題が問題だからね‥‥」

 

 

 あの後、件の黒幕である魔術師がいなくなってから。私達は意識を失ってしまった蒼崎君をつれて泡を食ったようにこちらの世界でも無事に建造されていたエーデルフェルト別邸へと彼を運び込んだ。

 まるで糸が切れるかのように、完全に意識が落ちていた。幸いにしてすぐ後ろに控えていたバゼットがフォローしてくれたから頭を打つなんてことはなかったけど、下手したらそのぐらいやってしまったぐらい危険な倒れ方だった。

 幸いにしてエーデルフェルト別邸に運び込んだ翌日の夜には目を覚ましたけれど、あろうことか彼はアサシン戦の時の状態が軽く思えるぐらいに青ざめた顔をしていて、私達からの質問どころか気遣いの言葉にも一切の反応を返さない。

 しまいには例の如くルヴィアゼリッタがキレて胸ぐらを乱暴に掴み上げて怒鳴るぐらいまでいったのに、それでも彼はぶつぶつと何事かを呟くだけで瞳は虚ろにどこか遠く、もしくは彼自身の内側、思考の奥深くを覗き込んでいる。

 

 ‥‥結局その後はどうしようもなくて対応をルヴィアゼリッタに任せて私達は衛宮の屋敷へ、バゼットはホテルへ荷物を取りに行った。予定では暫く、数日ぐらいは冬木に滞在するつもりだったんだけど、蒼崎君の状態もそうだし謎の魔術師のこともあり、次の日の朝には私達は倫敦へ向けて飛び立った。

 ルヴィアゼリッタの話によると私達がいない間も蒼崎君は予想通り全く応答がなく、食事も水もとっていないらしい。数日ぐらいの絶食、断水なら魔術回路がある魔術師にとって問題ではないとはいえ、かなり気になる。

 意識を失うぐらいに衝撃的な出来事に自分の中に埋没してしまったのか、私達が促せば機械的に作業をして飛行機に乗ったり車に乗ったりはしてくれたけど、それでも一切口を開かずに黙々と従う様子には怖気すら覚えた。

 ‥‥そして倫敦、ヒースロー空港から出たとき、迎えのリムジンに乗ってみれば蒼崎君は忽然と姿を消していたのだ。

 

 

「‥‥まぁ問題は問題だけど、今の紫遙に何かあってココにいないってわけじゃないのね。少し安心したわ」

 

「本当に大丈夫なんですの? 確かに貴女の言う可能性が一番高いとは思いますが、それでもあの状態で倫敦の街を歩いている可能性があると考えると‥‥心配ですわ」

 

「大丈夫よ大丈夫。あぁ見えて茫然自失状態でも一般人相手だったら秒殺できるぐらいには鍛えてあるし、多分きっと本当に工房にいるわよ? 紫遙の精神状況を把握するんなら私と姉貴に並ぶ奴はいないもの」

 

「ですがミス・ブルー!」

 

「‥‥あのね、たかだか一年か二年ぐらいの付き合いの人間に弟の件で糾弾される程に落ちぶれてるつもりはないわ。口を慎みなさい、お嬢様方」

 

 

 噛み付く、という表現が正しいぐらいの剣幕で食って掛かったルヴィアゼリッタに、正体はさっぱり分からないが圧倒的な威圧感と共に青の魔法使いは返事をする。

 間違いなくルヴィアゼリッタは蒼崎君のことを思いやって言っているのは間違いない。なにせコイツは私達が倫敦にやって来るよりずっと前から蒼崎君と知り合いで、しかも互いに相棒とすら公言出来るぐらいに信頼し合っている間柄だ。

 だけど彼女が、そして当然のことながらあまり口を挟んでいない私達も、目の前の少しばかり不可解で深刻で、異常な事態に気を取られるあまり失念していたことがあった。

 目の前の魔法使いもまた、人間から外れた存在でありながら、やはり彼女は間違いなく蒼崎君の姉なのだ。

 

 

「貴女達の言いたいことは分かるわ。‥‥紫遙について、知りたいんでしょう?」

 

「何を言っているのですか! 確かにそれもありますが、私は純粋にショウを心配して———」

 

「いえ、ミス・ブルーの言う通りよ」

 

「ミス・トオサカ!」

 

「いいえルヴィアゼリッタ、そろそろはっきりすべきよ、私達は。もうそろそろ彼の秘密主義、というよりも隠している秘密そのものが許容できる範囲を超えているわ。

 何故か知っていた、第四次聖杯戦争の知識。アサシンの触媒に、アーチャーとの関係。今になって思えば最初から彼は不審な点が多かったもの。‥‥もちろん、友人であることには違いなくとも、ね」

 

 

 限界、とまでは言わないが、それでも以前から感じていた蒼崎君への色々な疑問を解消する、これはとてもいいチャンスだった。友人に対して過度に干渉することが良いことだとは思えないけれど、それでも友人だからこそはっきりさせておきたいこともある。

 隠し事が悪いことだなんて、よりによってあのアーチャーのマスターであった私が言うような台詞ではないし、私自身もそんなことは思っていない。ただ思うに、やっぱり付き合っていて秘密があることがはっきりしているともどかしいものがあるのだ。

 

 そして何より、その秘密が原因で生まれたらしい今回の騒動。

 大師父やロード・エルメロイの言葉通り、確かに今後、あの魔術師が冬木に出現して私達を脅かす可能性は低いだろう。でもそれは‥‥奴が蒼崎君に目を付けたからに他ならない。

 間違いなく、蒼崎君が私達に隠していた秘密が奴の目に留まった。だからこそ、私達は蒼崎君の秘密が知りたい。

 

 

「ミス・ブルー、私達は一応蒼崎君の友人だと思っているわ。だからこそ、こういうのは魔術師としてどうかと思うけれど彼の力になってあげたい。

 だから‥‥彼の秘密を知っておかなければ、彼の力になってやれないのよ。だって彼がどうして狙われているのか、狙われている理由を知らなきゃ対処しようがないじゃない?」

 

 

 目の前に立つ、普通のお姉さんに見えながらも紛れもない魔法使いに対して言った言葉と同じ。

 こういうことを私達、魔術師が言うのもおかしな話かもしれない。でも本当に心の底から、私達は蒼崎君のために何かしてあげたいのだ。

 そう頻繁ではないにせよ重要な局面ではいつも蒼崎君が某かの形で私達の手助けになってくれた。それは彼がそう考えてやったわけではないのかもしれない。それでも私達は大小様々な恩義を彼から受けたkとは間違いない。

 だからこれは、等価交換だ。貰いっぱなし、やられっぱなしは性分じゃないし主義に反する。それが何であれ互いにやりとりしなければ世界は停滞してしまうのだから。

 

 

「ふーん、じゃあ私が教えてあげなかったら、どうするのかしら? まさか私相手に力づくで聞き出すなんて言うつもり?」

 

「‥‥ッ!」

 

「士郎、大丈夫よ待ちなさい」

  

 

 物騒なセリフを口にしながら、青の魔法使いは威圧感を一気に高める。まるで戦闘一歩手前みたいなプレッシャーに、士郎が敏感に反応して投影の準備をするために魔術回路を起動させながら一歩前に出た。

 その意外にも広い肩に手を置いて制止しながら後ろを見ると、私のサーヴァントであるセイバーは士郎と違って直立したまま微動だにしない。ただ、私からセイバーへの魔力のラインが普段のものに比べて微妙に拡張されたことから、おそらく戦闘態勢に入る準備はしているのだろう。

 その更に後ろのバゼットはセイバーより更に動く気配を見せないことから、こちらはどうやらミス・ブルーとは既知の仲らしい。ロード・エルメロイと大師父も全く動揺した様子を見せてないってことは‥‥やっぱりこの女、普段からこの調子なんだろうか。

 

 

「‥‥もし、私がそう言ったなら、どうするつもりなんですか?」

 

「勿論、叩き潰すわよ。いくら紫遙の友達でも私に敵対する人間に容赦してやる神経なんて持ち合わせてないもの」

 

「‥‥‥‥」

 

 

 何でもないことのように言ったけど、明らかに本気なのが彼女というものなのだろう。おそらく万が一私達が彼女に敵対することがあるのなら、それがどんな理由であれ彼女自身が言った通り、たたきつぶされるに違いない。

 だとしても私が躊躇する理由なんて、欠片もないんだけどね。

 

 

「ま、そんなことだろうとは思ったけど‥‥安心して、っていうのもちょっと違うかもしれないけど大丈夫よ。まさか魔法使いに逆らうような愚かな真似をするつもりはないわ」

 

「ふーん」

 

「貴女が教えてくれないなら仕方がないわね。知らないままで、蒼崎君の手伝いをするしかないわ。事情を教えてくれないからって見捨てるような真似はできないもの」

 

「ふ〜ん‥‥」

 

 

 口を歪ませながら言った私の言葉に、ミス・ブルーは何処か満足そうにニヤニヤと笑った。

 なんともこの状況で人の神経を逆撫でしてくれるけど、悔しくも実力の差がはっきりしているから手を出すことが出来ない。もちろん意味もなく手を出す気はないけれど、何とはなしに腹がたつ。

 

 

「成る程ねぇ。そうまで言ってくれる友達が出来たってことは、紫遙を時計塔に放り込んだのも悪くなかったてことかしらね」

 

「はい?」

 

「ああ見えてね、紫遙ってば倫敦に来るまでは殆ど親しく付き合ってた友達なんていなかったのよ。ほら、あの子ってば自分の中に籠もっちゃうタチじゃない?」

 

「まぁ確かに、そうですわねショウは。そこまで人付き合いが得意というわけではございませんし」

 

「‥‥そうかしら?」

 

 

 イメージとして、蒼崎君は非常に世話好きで交友関係も広いように見える。

 例えば私や士郎もそうだし、ルヴィアゼリッタだって。あとはバゼットとかロード・エルメロイとか‥‥って、あれ?

 

 

「そういえば、蒼崎君って実は交友関係そこまで広くないのかしら?」

 

「私も気づいたのは最近なのですが、親しく付き合っている方のジャンルが激しくばらついているだけですのよ。放っておいたら一人で延々静かに過ごしていますわよ」

 

「なのよねー。まぁ伽藍の洞に居た時には私が構ったり姉貴と勉強したり私が玩具にしたり私が連れ回したりしてたから忙しかったんだけど」

 

「いや、殆どアンタのせいじゃないか」

 

 

 さっきまでの戦闘態勢は何処へ行ったのか、士郎が呆れたように呟いた。

 蒼崎君のシスコン具合は甚だ呆れたもんだったけど、こうやってお姉さんに会ってみると蒼崎君のシスコンって彼だけのせいじゃないでしょ、絶対。

 

 

「これなら安心だわ。貴女達、これからもウチの馬鹿息子をよろしくね」

 

「ちょ、ちょっと待って下さいませミス・ブルー! ショウが秘密にしている事情というものは教えて下さらないんですの?!」

 

 

 そのままニコニコと、さっきまでのニヤニヤとした楽しそうな笑みとは違う嬉しそうな笑顔を浮かべてラフに退出しようとした青の魔法使いに喰ってかかる。

 あまりにも自然に大師父にまでひらひらと手を振って挨拶してたから見過ごしそうになったけど、もしかしてこの人って他の魔法使いにも同じような態度とってるのかしら。

 

 

「あら、誰が教えてあげるなんて言ったの? 遠坂さんが言った通りにすればいいじゃない」

 

「‥‥丸投げですか」

 

「紫遙のためにしてることだから詮索ぐらいは許すけど、本来なら今すぐに塵にされてもおかしくないぐらいの秘密だって、分かってるの? 自分たちで頑張りなさい」

 

 

 にべもない。散々私達と問答しておいて最初から教える気がなかったなんて、どこまで正確が悪ければ気が済むのだろうかこの人は。

 今まで色々と性格に問題のある人には出会って来たつもりだ。兄弟子であるところの似非神父然り、無理難題を命じておきながら飄々と笑う目の前の大師父然り、時計塔の学長長であるところの現魔導元帥然り。

 それでも、まるで温厚なあの蒼崎君の———義理とはいえ———姉とは思えないぐらいの強烈な人物。思わず私は目の前がクラリと傾くかのように思えた。

 

 

「‥‥紫遙が考えることよ、貴女達にあの子が自分の秘密を話すかどうかはね。でもね、正直な話、私も姉貴も待ってたんだわ」

 

「何を‥‥ですか‥‥?」

 

「紫遙の秘密を、私達以外に共有してくれる誰か、かしらね。‥‥私達もまさかソレが貴女達に、というよりも、紫遙が貴女達と関わりを持つようになるとすら思わなかったんだけど。‥‥というより、願わなかったって言った方が正しいかしらね」

 

 

 私達に構わず、ミス・ブルーはルヴィアゼリッタの問いかけに意味深な応えを返すと扉に手をかけてギシリと音を立てて開けた。繰り返すけど、外からでも中からでも簡単に開けられるような作りになっているはずなんだけど、あそこまで軽くされると気にもならない。

 

 

 

「あ、言い忘れてたけど」

 

「はい?」

 

「‥‥期待はしてるんだけど、もし紫遙を傷つけたりしたら、今度こそ塵にするからね」

 

 

 最後にもう一度だけ今までの中で一番の迫力で私達を睨み付けると、ミス・ブルーは今度こそ扉を閉めて出て行った。

 なんとなく理由が情けなくなってしまうけれど、その威圧感に私達は背筋どころか脊髄まで震え上がってしまったのであった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 自分の身に何が起こっているのか、ということを正確に把握するのは実は非常に難しいことだったりする。まず主観的にそれが正しいか、という疑問があり、それに加えて主観的な認識が客観的な認識と一致しているかということも重要になってくる。

 何を以て世界を知覚するか。何が真実なのか、何が現実なのか。普通の人間なら普段はそういう認識をしないと思うけれど、そういう曖昧な認識のままでは世界と自己との違いを明確に区別することはできない。

 普通の人間ならば、それでもいいかもしれない。与えられているものを享受するだけでも、普通の人間なら普通に過ごしていくことができる。というよりも、そこに与えられたものへの疑問か何かを意識してしまえば、それは平穏な生活を意図して崩壊させるきっかけとなりかねないのだから。

 ああ、しかしそれでは“蒼崎紫遙”にとっては不十分だ。俺が望んだのは平穏な一般人としての生活なんかじゃない。‥‥魔術師にとって自己を明確に自分自身で定義しないことは魔術の運用どころか、理論の段階で躓く要因となる。

 

 自分を正しく認識すること。世界を正しく認識すること。普通なら、それは難しいという表現の中でも比較的簡易な部類に入ると思う。魔術師が先ず何よりも先に、それこそ魔術回路を形成するよりも先にやることだ。

 魔術師といえど、普通の人間と同じように、究極的にはまったく同じ大地、同じ世界に立っていることには一切の違いがない。そこに生じる違いとは認識だけであるのだから、普通の人間としての視点から大きく一歩下がり、より広い視界を手に入れれば事はそれで済む。

 ‥‥そう、普通の魔術師なら常識以前の問題。これをこなしておかなければ、魔術回路以前の問題として魔術師として成っていない。だというのに‥‥俺という、蒼崎紫遙という魔術師にはソレが一番難しかった。

 

 魔術は世界を、『 』を基盤として運用される技術、学問である。自己と世界との違いを明確にするのも、結局は“世界の中にいる自分”を意識するためなのだ。

 自己と世界を、区別しながらも一体になる。自分が立っている大地から、自分が存在している世界から力を使うための手助けとなる道筋を引き出す。イメージは魔術師によって個人個人それぞれだけどね。

 魔術を使うために必要な小源(オド)は魔術師自身が魔術回路を使って生成している。術式も形態も魔術師によってそれぞれだけど、使うための基盤はどんな魔術だろうと共通して世界そのものだ。

 術式とか、形態とかの小細工以外の、魔術そのものは世界から引き出しているのだ。世界は他人に力を貸してはくれない。

 そして俺は、“世界にとっての他人”であった。

 

 

「‥‥そんな、馬鹿な。ハハ、一体どうなってやがるんだコレは‥‥」

 

「ふむ、まぁ気持ちも分かるが少し落ち着け。というよりも正気に戻れ。私達はまだ話さなければならないことがたくさんある。そうだろう?」

 

 

 本棚に所狭しと乱雑に置かれている日本語以外の、謎の言語で表題が記してある大量の書物や、何故か大量に積まれている用途不明の、しかも絶対に映らないであろうブラウン管テレビの山以外にはまったく調度品が無い室内。

 殺風景を通り越して不気味ですらあるコンクリート剥き出しの部屋の中に、これまた奇妙な取り合わせの三人の男女の姿があった。

 

 三人の内の二人は若い女性。しかも十人が十人、百人に九十八人は美女と断言するだろう類稀な美貌と完璧なスタイルを兼ね備えた女性だ。ちなみに余った二人はおそらく特殊な性癖の持ち主だろうことは言及するまでもない。

 片や橙色、というよりはくすんだ赤色の髪の毛を頭の上の方で一つに括り、白いシャツと黒いスラックスという非常にシンプルな格好をしているが、鋭利な顔つきだからかシンプルな格好がよく似合っている。

  

 

「姉貴、こりゃ無理よ。ちょっとばかし放っとかないと振り切れた針が戻ってこないわ」

 

「少々買いかぶっていたか? そういえばコイツ、子供になったという先入観が働いていたが只の男子高校生だったっけなぁ」

 

「ま、私もまともな男子高校生と付き合ったことなんて数えるぐらいしかないから分からないけど、男子高校生以前の問題として一般人なら通常の反応じゃないの? ていうか私だって自分がちっちゃくなってたら少しぐらい呆然とするわよ」

 

「お前にそんな可愛げなんぞあったか?」

 

「‥‥姉貴にもね」

 

 

 もう一人は窓から差し込む僅かな陽の光を反射して真っ赤に見える茶髪を無造作に背中へと下ろした、同じくらいの年頃と見えるこれまた尋常じゃないぐらいの美人。

 意地悪そうなもう一人の方の視線とは異なり、何処までも前向きで清冽。きっと目の前の人を見ているようでも、その視線の指し示すその先は遥か彼方、前の方を射貫いているに違いない。

 これまた鋭い目つきの女性の方と同じく、白いTシャツに洗いざらしの青いジーンズというシンプルを通り越した適当な格好で、それが何故かありえないぐらい似合っている。

 

 

「というか実際、コイツの骨格とかはどうなってるんだ? 質量保存の法則は魔術の世界においても覆すに難い大問題だぞ」

 

「幼児化のための術式に使うエネルギーに還元されたとか?」

 

「誰かが意図的にやらかしたのならそうだろう。しかしコイツの記憶を見る限り、“向こう側”の世界に魔術師に類する連中がいるような印象は受けなかったな。流石に記憶の向こう側の太源(マナ)を見るなんて私の魔眼でも出来ん」

 

「‥‥まぁ、いくら神秘の秘匿の原則が守られていると仮定しても、ちょっとねぇ。そりゃコッチの世界にだってファンタジー小説とかゲームの類は大量にあるけど、あんなに精巧に正確に魔術について描写した作品はないし」

 

「向こう側に仮に神秘に属するような集団がいたとしても、おそらくは我々とは全く違った体系と技術を築いていることだろう。でなければ、あのような作品は許容できるものではないからな」

 

 

 しかし、今の俺が問題にしてるのはそんな外部から与えられる情報じゃない。俺自身の、生まれてからずっと付き合ってきて完璧に把握しているはずの俺の体から与えられる情報に深刻なエラーが発生している。

 

 まず、右手を自分の顔の前に差し出してみる。

 生命線とか頭脳戦? とか環状線? とか結婚線とか、とにかく色んな手相が判断不能なぐらいに寸断されたり交錯したり消失したりしてしまっているオレの右手。あろうことか微妙に左手と左右対称じゃないのも特徴だ。

 それほど華奢じゃない、男らしいゴツゴツした手。身近の、手を互いに確かめ合うぐらいの仲にある知人が母親ぐらいしかいないために比べたことはそうそう無いけれど、肌の荒れぐらいも手入れをしていないからか十分に男らしい。

 

 その手が、その男らしい大きめでゴツゴツした手が、同級生が同じく同級生である女子に細くて白くて綺麗な手だと褒められる度に拗ねていた手が、大きさだけ見るならば優に二回り、下手すれば三周りぐらい縮小をかけられてしまっていた。

 

 

「そう? でも例えばそういう媒体が偶然そういう組織の実態を映してしまったとしても、無視してればいいようなものじゃない? だって過剰反応してたらそれこそ不自然に見られちゃうかもしれないじゃないの」

 

「ふん、それも一つの手段かもしれないが、決して正解というわけではない。何故なら“知っている”ということはソレ単体で“識っている”ということへと昇華しかねんからな。偶然にでも、我々‥‥のような存在に辿り着かれては、面倒だろう?」

 

 

 よく見れば縮んだってだけじゃない。握ったり開いたりしてみれば骨が軋むようなギクシャクとした感触はなく、強く拳に力を入れても柔らかな感触が自分で分かる。

 その右手で左手を触ってみれば、ほとんど日焼けをしていない真っ白で血色のよい健康的な小さな手は、ふにょんとささやかながらも確かな柔らかい感触を返す。‥‥まるで子供の手みたいだ。

 

 

「まぁ一般人の間でも魔術研究は進んでいるがな。いくら歴史を紐解き理屈を捻ったところで、真実を識らなければ魔術は、神秘は行使出来ない」

 

「というか先ずは魔術回路を構築できないとねぇ‥‥?」

 

「一抹の真実を含んでいることは間違いないがな。もしかしたら、ああいうアマチュアの活動こそが学問としての魔術の正しい在り方の一つなのかもしれん」

 

 

 次に足を上げてみる。上げてみるとは言ったけど、元々作業台らしき物の上に座っている俺は何故か足の底が床に届いてないから、足を持ち上げると体が後ろに傾いでバランスを失うからあまり大木上げることは出来ない。

 視線を下ろしてみれば手と同じように、まるで当然の予定調和のように足も心なしか短くなっている。心なしか、とは言ったけど元々の自分の足が短いワケじゃない。決して、ウン、断じて。

 視線から受ける体のバランスが全体的におかしいのだ。足から視線を上げて腰の方まで見てみるとこれまた全体的に二回り以上は小さくなっているのが分かる。

 ‥‥一体、どうなってるんだ。もはや疑問を挟む余地もなく、俺の体が縮んでしまっているという事実だけは圧倒的な存在感を持って現実としてオレを真上から叩きつけていた。

 これはまだ分からないことだけど、おそらく鏡を見れば俺の顔は、これもおそらくではあるけど小学生ぐらいまで幼くなっていることだろう。もし体がここまで子供っぽく縮んでいる仲で、顔だけが高校生のままだったら軽く恐怖だ。

 

 

「さて、これだけ放置していればそろそろ自分の状況は理解できたところか? なぁ少年?」

 

 

 と、自分の心の整理を付ける暇もなく新たな現実を再認識することで、再度打ちのめされている俺の呆然と見開いた瞳の前に、まるで射貫かれてしまったかのような錯覚を覚える氷のように冷たい目が現れた。

 あまりにも近くに出現した美貌に思わず後ろへと後ずさろうとして失敗。今の自分の体が本来のものと違ってバランス感覚を失っていたのをすっかり忘れていた。あえなく頭の重さに後ろへと倒れこもうとして、目の前に現れた当人に腕を捉まれて難を逃れる。

 ただ、その際に接地していた尻と作業台との摩擦係数が足りなかったせいか盛大にずれて、ますます女性の方へ近寄ってしまったのであるけれど。

 

 

「えっと、すいません、取り乱してしまって‥‥。突然自分の体が縮んでしまったんで流石に驚いてしまったみたいです」

 

「仕方あるまい。青子の奴も言っていたが、何の予備知識もない一般人がこのような自体に直面して平静を保っていられるほうが異常というものだろう。むしろ取り乱してくれた方がこちらとしても、主導権を握りやすくてありがたい‥‥」

 

「は、はは、そうですか‥‥」

 

 

 恐ろしげなことを言いながら女性は笑う。普通ならそういう裏事情とでも言うべきことは当人を前にして黙っておくのがマナーというか、そもそも常識とでも言うべきことだろうに、わざわざ口に出すとは相当に性格が悪いのだろう。

 もちろん意地悪げに笑ってみせた意図は間違いなく成功しているのだろうとは思うのだけれど、このように異常極まる状況に放り込まれて右も左もわからないオレに主導権なんてものが許されているとは最初から思っていない。

 それを考えると決して女性の意図が成功したとも言えないのかもしれないけれど、とにもかくにも彼女の言葉通り、この場の主導権を二人が握っていることには間違いが無いのだ。

 

 

「うわ、姉貴ってば相変わらずドSねー? そりゃ昔は可愛げのない何処にでもいる男子高校生だったかもしれないけれど、今はこんなに可愛らしい男の子じゃない? そう苛めるのは可哀想よ」

 

「心の底から思ってもいないことを口にするなよ。大体お前、私にとっては大きかろうが小さかろうがどれも同じ人間だ。等しく差別はしない」

 

「偉そうなこと言ってるけど全然偉くない! まったく、姉貴にとってはそうでも拾った責任なんてもんは等しく誰にだって発生するんだからね? まぁ責任を享受するかどうかは人それぞれだけど」

 

 

 責任が等しく発生しようとしなかろうと、結局その責任をしっかりと履行するかどうかは個人の裁量次第。人によって責任を履行しなければならないという、いわば責任に対する重要度は違うと言いたいのだろうか。

 どちらにしてもこの局面で議論していいようなものだとは思えないんだけど‥‥。もちろんオレが意見するようなものでもない。ていうか怖くて口を出せない。

 

 

「ふむ、多少動揺しているのは当然として、精神状況に際だった異常は見られないな。身体は‥‥まぁこの通りというわけだが」

 

「‥‥一体何がどうなってるんですか、これは。どこをどう見ても自分自身なのに、十年ぐらい若返ってるなんて‥‥」

 

 

 小さな手、(元々)短めの足、体に対してやや大きめの頭。鏡を見て確かめたわけではないけど既に遠い日のものとなった自分自身の感覚と照らし合わせれば、これは間違いなく幼い頃の自分の体の感覚だ。

 ただ体が小さくなった、という感覚だけじゃない。体の中に溢れている、意味もなくがむしゃらに大きな力。きっと体力が尽きてぶっ倒れてしまうまでいつまでも走り続けていられそうだ。

 何か、体の奥がザワザワとしているようでじっと座ってなんていられない。もちろん中身の精神は成熟した大人だからこうして制御することも出来てるけど、思えば子供の頃にあそこまでやんちゃだったのはこの衝動みたいな感覚のせいなんだろう。

 

 

「私とて一人の人間だ。持っている知識はたかが知れている。‥‥そして私の知識では、流石に情報が少なすぎるこの状況でお前が若返ってしまった理由など想像は出来ない、な」

 

「うーん、私もいくら年くっても外見が変化しない化け物みたいな奴は何人か知ってるけど、どいつも老化が停滞してるだけで若返ったりしてるわけじゃないしねぇ‥‥」

 

「純粋に身体変化、というだけならば前例は腐る程ある。だが同じように、“純粋に若返っている”のならば不可能でないにせよ早々あることでもない。中々に興味深いな」

 

 

 間違いなく、オレが話の中心にいるはずなのにさっぱり意味が分からない。使っている言葉自体は普通のもの、専門用語ではないはずなのに、会話自体は紛れもない専門的なもので俺の小賢しい知識と知恵では全く歯が立たなかった。

 ていうか結論そのものが目の前にいる状態で、どうして当事者を放って過程の議論が出来るのか、この人達は。相当に神経が太くないと無理だよ、目の前の人間を空気みたいに無視するのって。

 

 

「だが理由はともかく原因はおそらくはっきりしている。お前にも‥‥心当たりがあるのではないかね? お前が何故、誰も通らず泥と埃だらけだった路地裏、いや、路地裏とも言えないビルとビルの隙間に倒れていたのか、とかな‥‥」

 

「‥‥‥」

 

 

 意味深な溜めと楽しげに細められた目つきに思わず押し黙る。あの爆発らしき轟音と閃光の後、今ここで起きるまでの記憶が完全に抜け落ちているオレには、この人に発見された時に俺が何処に居たのかなんてさっぱり分からない。

 分かるのは、あの日、あの場所でオレ‥‥いや、オレ達が遭遇した何かは、少なくとも何か、今のように異常な状況が生じるには十分過ぎるとでも言えるシチュエーションだったということ。

 もちろん決してアレが非凡極まるものだったと思っているわけではない。ああいうシチュエーションはそれこそ今まで世界中で何百回も繰り返されて来ただろうことは間違いないから。

 でもオレ達、平々凡々な高校生にとっては間違いなく異常、というよりも非日常的な出来事であったのだ。だとすれば、そこに神秘的な何かを瞬間的に連想してしまったオレは決して非常識などではないだろう。そもそも、アレこそが非常識の象徴であったと言えるのだ。

 

 

「悪いが、私達はお前の記憶を覗かせてもらったからな。色々と事情は知っているつもりだ。それを鑑みても‥‥私達の目から見ても、だ。お前が遭遇したアレには魔術的な要素を感じ取ることが出来なかった」

 

「もちろん私達の目が全てってわけじゃないわよ。何より君の主観視点しか確認出来なかったから、君が見ていないところで何かあったっていう可能性も大いにあるわ。でもまぁ、結局それしか原因が分からないのよねぇ‥‥」

 

 

 またもや二人は二人だけにしか分からないような難しい、というよりも回りくどい言葉を使って会話を始めようとするけど、ここに来てオレがちんぷんかんぷんな顔をしていることに気がついたらしい。

 髪を下ろしている方の人がオレの頭を撫でて、鋭い目をした方の人はフンと鼻を鳴らして煙草を口に咥える。オレは一応怪我人っていう風にカテゴライズされるはずなんだけど‥‥きっと気にもしていないんだろう。

 

 

「‥‥はぁ、とにかく自分が今トンデモないことになってるってことは十分に理解しました。少なくとも、ドッキリとか改造手術とかで何とかなるレベルじゃないですね、コレ」

 

「当然だ。そのような無駄に手間のかかることをしなくても、お前みたいな絵に描いたように普通の男子高校生で楽しむならほかに簡単な手段は色々ある。なにより意味が無い」

 

 

 どこまでも辛辣に、それでいながら一切の曇りもない言葉は理不尽かつ非道なものでありながらオレを怒らせるようなものではなかった。きっとこれがこの人のあり方なんだろうと、オレは今日もう何度目になるかわからない感慨を抱いた。

 

 

「ていうか普通、本人を目の前に“楽しむ”なんて発言する? ホント性格悪いわねこの女」

 

「どうとでもいえ。自分の性格が通常の人間と同じようなものなどと、他人の基準で勝手に定義されることの方がよっぽど不愉快だ。人間誰しも唯一無二の異形、とは誰の言葉だったかな‥‥」

 

 

 この二人に付き合っていると、俺が今まで付き合っていた友人達、知人達というのが、いや、それ以前に俺という人間すらもどこまでも“普通”の範疇に属していたのだろうかと思い知らされるようだ。

 人間誰しも唯一無二の異形、という言葉がある一方で、均一に定義されることのない個性という要素の中にも度合いというものが存在するように思えるのだ。いわば個人の“輝き”の違いとでも言おうか。要するに、オレの知るどの友人、家族、他人の中にも、この二人よりも輝いている人なんていなかった。

 

 

「ほう、それはそれは過大な評価をもらったものだ。私としては普通を特別に忌避するわけではないにせよ、異形であるという自覚はあったものだからね。ふむ、確かに個性を埋没させてしまうのは魔術師としての在り方ではなかろうよ。ひけらかすものでもないが、な」

 

「‥‥まぁオレとしても平々凡々が好き、ってわけでもありませんからね。若者らしい自己顕示欲ぐらい人並みに備えているつもりだし。どっちにしても、だからってこうなりたかったわけじゃありませんが‥‥」

 

 

 大きく溜息をついて漸く気づく。ついさっきまで体中を苛んでいた、それこそ用心深く慎重に呼吸をするだけで体中が軋んでいたというのに、その痛みが随分と楽になっていた。

 というよりもあの事故から正確にどのくらい経ったのだろうか。自分のこの身に何か尋常ならざる事態が発生したことだけは認めなければならないだろう。もしかしたら超常現象に類する、それこそ科学的ではなくて誰も認めてくれない何かに巻き込まれているのかもしれない。

 子供に戻ってしまうなんて、どこをどう探しても実際に見つけることができない異常な出来事。今こうして少しばかり落ち着いたからこそ、これからを感じるゆとりが生じてきた。

 

 

「‥‥そうだ、命を取り留められたんだ、家に連絡しないと」

 

 

 こんな身体になってしまったことを説明できるつもりはない。そもそも事故の調査をしている警察とか会社とかに自分が自分であることを、あの事故に巻き込まれる立場にいたということを証明できる手立てがあるわけでもない。

 名簿には高校生男子であるところの俺の名前や情報が記載されているだろうし、だとしたら俺への手当てとか賠償とかそういうのは出ないだろう。それ以前にオレが子供に戻ってしまったことが認知されたとしても、いろんな検査とかで人生めちゃくちゃにされる可能性だって十分にある。

 でも、それでも家族なら、昔からの付き合いの親族や友人なら、今のオレを見たってオレがオレであることをわかってくれる。

 

 

「家に?」

 

「はい。家族だけじゃなくて、オレと一緒にいた連中の知人にも。みんなきっと、すごく心配している」

 

 

 あれからどれぐらいの時間が経っているのかもわからない。でも少なくともオレの怪我の度合いとかを考えると、間違いなく一日ぐらいは経過してしまっていることだろう。

 あの事故のニュースが日本に———もちろん、オレが事故に遭遇した場所が日本じゃないと確信しているわけでもないんだけど。もしかしたら既に日本だったかもしれないし———届くまでのタイムラグだって一日もないはずだ。

 だとしたら、オレの、オレ達の安否すらわからないで心配しているだろう家族や知人を何とか安心させてやらなければならない。こんな調子になってしまった、それでもそれはオレの果たすべき役割だろう。‥‥他の連中がどうなっているかもわからないなら。

 

 

「フ、フフ」

 

「は?」

 

「フハハハハハハ!! おい青子、こいつは傑作だ。こいつ実は全く事態を把握していなかったらしいぞ?! お笑い種だよ、ホントに。あれほど懇切丁寧に自分が今おかれている状況というものを説明してやったというのに、完全にフリーズしていて説明なんて聞き飛ばしていたらしいな!」

 

 

 オレが切実な要望を、この状況に置かれた人間としてはひどく真っ当な、当然ともいえる要求を口にした次の瞬間。

 その次の瞬間、一瞬だけポカンとひどく呆気にとられたような間抜けにも近い表情をつくった目の前の鋭利な瞳をした女性は、まるで爆発でもしたかのように大きな声で笑い始めた。

 

 

「なっ‥‥?! なにを笑ってるんですか! 何がおかしいんですか!」

 

「おかしいに決まっているだろう?! 私は今きちんと自分で口にしただろうが、お前が今おかれている状況はしっかりと説明しているはずだ、と。それなのにお前はまるで私と青子の説明を全く聞いていなかったように振舞っているのだからな!」

 

 

 人の頼みを笑う。しかも、家族に連絡をして安心させてやりたいという真っ当で当然極まりない願いを笑う。しかも、それこそが当然であるかのように。

 自慢じゃないけどそれなりに温厚であるところを自称するオレにしたって、それなりに深刻な願いであるそれを笑われるのはひどく腹が立った。この人の意地悪な性格とか、そういうのとは別の次元で。

 

 

「どういう、ことですか‥‥?」

 

「いや、まぁいい。それでは望み通り家族とやらに連絡させてやろう。‥‥クク、そこにおいてある、ホラ、その黒い電話を使って連絡するがいい。まさか自宅の電話番号ぐらいは覚えているだろう?」

 

 

 オレの抗議に言い返すでも諌めるでもなく、その人は少し離れた部屋の隅においてある古臭い黒電話を指差してなおも笑い続けた。

 クールビューティーな外見のくせに、あまりにも無邪気に聞こえる、見える、笑う様子。意地悪な言葉とは裏腹に邪気を全く含んでいないその様子に、オレは眉間に盛大に皺を寄せながらも指さされた黒電話の方へと向かう。

 この人の言う通り、携帯電話という連絡手段が普遍的なものとして世間を席捲しつつある昨今でも、流石に自宅と自分の携帯の番号ぐらいはしっかりと暗記している。

 ジーコジーコと果てしなく懐かしい、というよりも実際に目の前でこうして聞くのは初めてな音を立てながら、オレは苦労して自分の生家の電話番号を入力? して受話器を耳に当てると応答を待った。

 

 

『———おかけになった電話番号は、現在使われておりません———』

 

「‥‥何?」

 

 

 聞こえて来たのは母さんのちょっとしゃがれた声でもなく、何をトチ狂ったのか自分自身で録音したくぐもった留守番電話の声でもなく、ゆっくりとした優しい、どこはかとなく人工的にも聞こえる不思議でありふれた声。

 かけられた電話番号が使われていないか、間違っていた場合。電話会社の定めた音声が流れる。当然ながらオレのかけた番号はオレの家のものであることには間違いなく、何かの間違いと笑い飛ばし、オレはもう一度しっかりと一つ一つの数字を確認しながらダイヤルを回した。

 

 

『———おかけになった電話番号は、現在使われておりません———』

 

「‥‥おいおい、なんで二回も間違えてるんだよオレは? まったく、慣れない‥‥っていうか初めての黒電話とはいえ、バカみたいじゃないかもう‥‥」

 

 

 どうやらまた番号をかけ間違えてしまったらしい。オレは再度、じっくりと先程の倍の時間をかけてダイヤルを回し‥‥

 

 

『——おかけになった電話番号は、現在使われておりません———』

 

「どうなってるんだよコレは!!」

 

 

 がしゃん、と軽い物同士が叩きつけられた音がそれなりに広い、窓が一つもない室内に響く。これで壊れなかった辺り、流石に昔の機械は頑丈だ。

 これが携帯電話だったりしたら今頃粉々に砕け散っているところだろうし。そういえば、オレの携帯ってどこいったのかな?

 

 

「くっ、なんで繋がらないんだ! この電話壊れてるんじゃないんですか?!」

 

「だから教えたはずだろう、私達の名前を。それが現実であると意識さえすれば、自分が今どこにいるかも予想がついただろうにな。まぁ疑うなら別の場所にもかけてみたらどうだ?」

 

「言われなくてもそうさせてもらいます! 電話帳はどこですか?!」

 

「ハイ、どうぞ」

 

 

 長い髪の方の女性に渡された電話帳を勢いよくめくる。幸いにして日本のもので、見知った企業や見知らぬ企業の名前が羅列された黄色く分厚い本はオレもよく知っている普通のものであった。

 流石にオレの知り合いが全員ちゃんと電話帳に名前を登録しているとは思えない。探すのは公共の施設やそれに類する組織。即ち‥‥オレの通っていた高校が妥当なところだろう。

 

 

「‥‥ホントにどうなってんだ、オレの高校の名前がないじゃないか!」

 

「登録していなかったのではないか?」

 

「私立とはいえ、まがりなりにも文部科学省が認めた高等学校ですよ? そんなこと‥‥あるはずがない‥‥!」

 

 

 ならば公立の中学校はどうだ、小学校だって公立だったぞ。

 ‥‥あった、大丈夫だ。オレが卒業してから三年弱が経つけれど、まだ在籍している先生の中にも知っている人がいたはずだ。

 

 

『———うーん、申し訳ないが先生は出張中だったよ。それで君の言った通り、君の名前を卒業生名簿から探してみたんだけどね。悪いけど、君の名前は載ってなかった。何かの間違いなんじゃないかね?』

 

「そんな馬鹿な!」

 

『君、大丈夫かい? 電話越しでも混乱してる様子が浮かぶようだよ。少し落ち着いて、自分の周りを整理してからもう一度電話をかけてみなさい』

 

 

 電話に出たのはオレが卒業した後に転入して来たらしい初老に聞こえる声を持った教師で、オレと関わりのあった先生は全員が転出したり出張したりしてしまっているらしく、代わりに卒業生の名簿を探してくれた。

 ‥‥しかし、ともすればオレの予想した通り、オレの名前は名簿の中に見あたらなかったそうだ。いくら転入してきた教師とはいえ、丁寧に探してくれたのは言葉使いからも見受けられたから間違いない。

 

 

「‥‥‥‥」

 

「名簿にまで無い、というなら決定的だな? お前という存在と、お前に関係する存在が公共の場にない。おそらくお前の担任の教師の出張を待って連絡したところで、お前のことを知っていないだろうよ」

 

「姉貴、ちょっと」

 

「そろそろこのやりとりにも飽きたんだよ、青子。分かりやすい悲劇と喜劇は嫌いなんだ。王道というものは除くが、な」

 

 

 足下が、ぐらつき始めた。オレという要素を構成しているものを自分を支える鎖や命綱と例えるならば、オレの命を、存在を支え繋ぎ止めているそれらが順番に一本一本切り離されていく気分だ。

 支えが無くなれば、宙ぶらりんのオレはどうなってしまう? ニュートンが唱えた万有引力の法則にも似た自明の理。底の無い暗闇へと、真っ逆さま。

 

 

「なぁ、もう一度私達の名前を口にしてみてはどうだ? お前が、自分の体の状況を処理するために手一杯で、さらりと思考の片隅に追いやった事実を、口にしてみては‥‥どうだ?」

 

 

 ああ、元からオレは、この世界で、ココで目を覚ましてから、地に足なんてついていなかった。数多の鎖と命綱に掴まって宙ぶらりん。じたばたと足を動かして鎖を、命綱を引っ張って、その先にあるはずの確かな自分という存在を確かめようとして。

 次々と切れていくそれらに、もがいても切れるのが早まるだけ。落ちた先に何があるのだろうか? オレの存在を否定する、真っ暗闇の中に何も蠢いていやしないのに。

 

 どれだけ恐ろしいことか、その何もないはずの真っ暗闇が。

 

 まるで本当の子どもの頃、自分が死んだら何処に行くのか、どうなってしまうのかを賢しく考えて眠れなくなってしまったアノ夜のように。

 死んでしまったら、それだけだ。死んでしまったら、まるで眠るように意識を無くして二度と目覚めることなく、夢を見ることもない暗闇の中にいくんだろう。

 そう賢しい結論を見つけて、その結論自体がどうしようもないぐらいに怖くなった、幼い日のアノ夜。

 

 

「さぁ、言ってみろ。私の名前は‥‥私達の名前は?」

 

「貴女の名前は‥‥貴女達の名前は‥‥」

 

 

 天国があるなら、地獄があるなら、どれだけ幸せなことだろうか。どれほどに地獄が辛いところだと思ったとしても、それは自己の保存である。どれだけ辛い責め苦を負わされることになったとしても、それは自己の消滅から逃れる、ある意味では安穏な逃げ道だ。

 大人になれば笑い話で済ませてしまうことができる、どうでもいい暇つぶしの思考ゲームだと割り切ってしまえるそれも、子どもの心には重くのしかかって思考の海へと溺死を誘う。

 あの時の恐怖を思い出した。

 涙が止まらず、瞼を閉じることも、目の前の夜の闇を見続けることも出来ず、かといって灯りをつけて暗闇の正体を知ることも怖くて何もできなかったあの時。

 助けてくれた母は、いない。今、自分自身が母の、自分自身の存在の消失を、いや、存在すらしていなかったというありのままの事実を証明してしまった。

 

 

「TYPE‥‥MOON———ッ?!!!」

 

 

 現実的な思考とか、そういうものを遥かに凌駕する直感が存在した。全ての思考過程を通りこして、結論に辿り着く時もある。

 意地悪そうに、どこか楽しみに、ワクワクとした色を瞳に湛えた“痛んだ赤色(スカー・レッド)の髪を持った女性の、間近に迫った顔を前に、オレは声にならない悲鳴を上げた。

 何かの引き金が引かれ、撃鉄がオレの頭の中、脳と称することも出来ない重要な何かを激しく打ちつける。揺さぶられる、なんてものじゃないぐらいの衝撃がオレを襲う。

 

 まるで脳みそを直接シェイクされるかのような破滅的なまでの目眩。痛みはなく、そこにあるのは圧倒的な衝撃と虚無感、浮遊感、孤独感、絶望感だけ。

 体中の骨が消え失せてしまったかのような、世界中の重力が消えてしまったかのような、世界中の人がいなくなってしまったかのような、全てが終わってしまったかのような様々な感情。

 濁流に全てが流されるように、オレの中にいるオレ自身が全て流されてしまった。

 意識を保つ、なんて努力すら出来るわけがない。残響も余韻もなく、機械の電源をOFFにするかのように、オレの意識は真っ逆さまに音速を超える速さで暗闇の中へと吸い込まれていく。

 

 何もない、オレには何も残っていない。

 存在を定義するのは自分自身だけじゃない。今までの人生で自分が世界に及ぼしてきた様々な影響こそが、自分という人間を定義してくれるのだ。

 だからこそ、オレが存在を見失ってしまったのも道理。何故ならオレとの関わりが、この世界には一切ないのだから。

 圧倒的な意思の力。オレ以外の、圧倒的強者による力によって強制的に電源をオフにされたオレの意識。

 

 そのオレが意識を取り戻すのは、これから大体一ヶ月ほど後。

 後に俺の義姉となる二人の女性。封印指定の人形師と青の魔法使いがオレの存在を保ち、俺という人間を新たに作り上げるために、尽力してくれた後のこととなる。

 

 

 

 68th act Fin.

 

 

 

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