side Shiyo Aozaki
「———
左手に握り隠した二つのルーン石を前方に放り投げ、神秘を含んだ言葉を放って爆発させる。
いつの間にやら俺の周りに群れて集って来たのは、全てが全て存在感の希薄な男達。屈強な者も、体格の良くない者も、全てが揃いの甲冑を身に纏っていた。
甲冑といっても、その言葉から想像するようなフルプレートではない。まるでバケツのように粗末で簡素な兜を被り、筒のようなチェーンメイルを着込んでいる。手に持っているのは盾と剣。大した装飾はなく、実用一辺倒というよりは量産品のようだ。
まるで中世の城を守る兵士そのもの。幽霊が、実体化したかのよう。俺のその感想を裏付けするかのようにどの兵士も顔色は蒼白で表情というものがない。
「まさか
爆発したルーン石が2、3体の兵士を吹き飛ばし、俺は前の連中を無視して振り向き様に背後にも近寄っていた兵士一体の首を斬り払い、ついでに右足を軸足にして左足でその隣の兵士に足刀蹴りを見舞う。
完全に体重が乗り切っているわけではない蹴りだから威力がそこまであるわけではないけれど、それでも剣を振り上げていた相手を後ずさりさせるだけの効果はあった。
斬り払った感触が随分と調子良い。どうやら兜のデザインが甘い、というよりも適当だ。頭は保護していても首を保護しているわけではなく、両儀流のような素肌剣術の良い的だな、これは。
「ていうか作りを別にしてもスカスカじゃねぇかコイツら? 流石に俺を相手にするには存在密度が足りない、ぞっ!」
蹴りを見舞った兵士を追撃として短刀で薙ぎ、今度は右足で背後の兵士を蹴り飛ばす。今度はその足を地に着けず、右側にいた兵士に回し蹴りをぶち込んだ。
相手は鎧だけれど、あくまでチェーンメイルだ。刃は防げても衝撃までは防げず、ついでに俺の靴の爪先には鉄芯が仕込んである。
多少痺れはするけど、指が折れるまではいかない。むしろ遠慮無く蹴れる分だけ、素足で道場で戦うよりも調子が良いかもしれない。まして相手は生きてるのか死んでるのか、むしろ存在しているのかよくわからない連中だ。一切の遠慮は、いらない。
「存在密度が薄い、か。よく気づいたね蒼崎紫遙。流石は私のパートナーたるものだ!」
「コンラート・E・ヴィドヘルツル! コイツは何の手品だ!」
「決まっているだろう、君とて私の二つ名ぐらいは聞き覚えがあるのではないかね?」
「‥‥“天災”ヴィドヘルツル。まさか、あのポンペイの悪夢を起こした疑似固有結界の一種か!」
次々に斬りかかってくる兵士の攻撃を捌きながら階段の上の魔術師を睨み付けた。
“天災”ヴィドヘルツル。もはや今となっては言及する必要もないだろうけれど、ポンペイでヤツが起こした悪夢を指して、封印指定の魔術師としてのヤツはこう呼ばれることがある。
まるで人の為すことの出来る所行とは思えないような規模の、過去の災害を起こす恐るべき大魔術式。そしてそのような魔術を行使できる天才魔術師。
おそらく現代の魔術師としては、封印指定としての知名度は最上級。流石に橙子姉には劣るだろうけれど、最上級の魔術師だ。
「この城は元々、中世時代からあるものだ。時の領主は権力争いに負けて領土は廃れたが、城自体は人の手が入らずにこのまま私の手に渡るまで残っていた‥‥。
ところで蒼崎紫遙よ、私の疑似固有結界‥‥『メモリー』の能力は知っているだろう?」
「‥‥詳しいことは知らない。というか、知ってたら封印指定の意味がないだろう」
「そう言わずに、考えてみたまえ。思考を止めた魔術師など存在する価値もない。まさか君もそうだと言うのかね?」
戦闘中だというのに、人の神経を逆撫でするかのように笑う魔術師にイラッとする。
当然のように魔術師、コンラート・E・ヴィドヘルツルが話している間も兵士は構わず襲ってくる。おそらく、これは推測になりはするんだけど、この兵士達はヴィドヘルツルによって制御されているわけではない。操作されているわけでも、ない。
そしてヴィドヘルツルの言葉から分かる。ヤツの作り上げた大魔術式、疑似固有結界『メモリー』が何かしら関係していることも。
だとするならば、あれは魔術でありながら“現象”だ。“現象”を起こすことは可能でも、制御することは不可能である。
ヤツが聞いているのは、ヤツの大魔術の正体。そして本来ならば川の流れのように導き出される答えである、『目の前の現象がヤツの魔術によるもの、おそらくは件の大魔術式によるもの』というもう一つの確信から考えるに‥‥。
「‥‥多く知られている貴様の大魔術式の概要は、『土地の記憶を映し出す』こと。でも土地の記憶なんて表現、随分と曖昧だ。そんな曖昧な表現じゃ魔術は語れない。
とするならば、お前が
「‥‥‥‥なんだと」
土地、特に霊地と呼ばれるような場所には普通の土地とは違う様々な特性がある。
そもそも土地なんて言葉が最初から曖昧なのだ。区切りは何処だ? 土地という言葉は何だ? 大地なのか領域なのか空間なのか、そういう定義が完全に曖昧になってしまっているのだ。
いくら封印指定で正体不明の魔術式とはいえど、実際に一度起こった現象に対して魔術協会の調査員が『土地の記憶を引き出す』なんて曖昧な表現を用いるはずがない。
ならば何故、ここまで曖昧な表現が公的な記録としてまかり通っているのだろうか。‥‥答えは簡単極まりない。つまるところ、こともあろうに魔術協会の調査員ともあろうものが、いや、時計塔の全ての連中がその魔術式を解明できなかったのだ。
不明なものに、いくつかのヒントがある。ならばどうやってその正体を見極めればいいのだろうか。限られた情報と、限られたヒント。情報の中にある確かな事実。
その事実の隙間を憶測で補うことはしない。それは魔術師のすることではない。ならば事実を繋げるのではなく、事実の奥にあるものを推測と考察、思考によって判断する。
条件付けを、考えるのだ。こちらから向こう、ではなく、向こうからコチラへと思考を巡らせれば答えに近いものぐらいは勝手に浮き出てくるものだ。
土地は、霊地。普通の土地では括りとして不可解だし、そもそも記憶と呼べるようなものを持っているかも分からず、また、魔術的な繋がりがないものに対して一方的に何かを行使することは純粋に難しいことだと定義づけられている。
暗示の魔術を行使する時のように、一般人に対して魔力を流し込むのとは話が違う。土地そのものが相手なんだ。どれだけ力を持たない普通の土地でも、無理。
けど霊地ならば話はまた違う。確かに霊地の力は強い。普通の土地でさえ魔術師が相手にするにしても巨大すぎる存在なのに、霊地ならば尚更。
しかしそこに、ちょっとした違いが出る。霊地には霊脈が通っており、そこに魔術師が介在する隙間が生まれるのだ。不思議なことに。
もっとも魔術師が姑息に霊地を利用しているというわけでもないのだ。霊地の方でも魔術師に好き勝手を許してやっているようなフシがある。霊地にとって、魔術師程度はどうでもいい存在であるかのように。
このあたりは実際に霊地と上手に、長い間付き合っている
‥‥土地の記憶、なんてものは俺にだって分からない。
でも
魔術師にとってそれは馴染み、親しみ、そしてそれでいながら果てなく遠い存在。
即ち“
土地は、記録される。その全てをアカシックレコードに記録される。そこには全てが記録されているのだ。過去も、未来も、それ以外の何もかもが。
「根源‥‥? ハッ! バカを言ってはいけない、これは根源なんてものに至った成果ではないよ。巫山戯るな、馬鹿馬鹿しい、不愉快だ!
こんなものはな、表面から情報をすくい取った程度に過ぎんよ。どいつもこいつも、小手先のことにこだわるわりにはこういう器用な真似が出来ん。
いいか、この術式では土地そのものを媒介にして間接的に
「‥‥やれやれ、面倒臭い野郎だ。まぁ確かに根源に至ったっていうんなら、俺をつけねらう理由もない、か」
「ふむ、それは考え違いというものだな、蒼崎紫遙。私は既に根源などという低俗な代物を目指して研究を続けているわけではない。
私が知りたいのは、私が至りたいのは、根源を超えた更に上の存在。根源の、この世界の上位世界、上位存在とでも言うべき存在だよ。つまり‥‥君のような存在こそを目指しているのだ、この私は!」
「あぁ面倒臭い、しかも迷惑だ。ちくしょう、つまり大体お前が言いたいことは分かったよ。
‥‥だとすると、こりゃ益々一層、決定的なまでにお前を消滅させなければいけないみたいだな」
成る程。魂と同じく、いや、当然ながらそれ以上に不干渉な存在。そこに干渉するためのノウハウ。間接的にでも、干渉するノウハウ。それをヤツは持っていた。
精神からの、魂に存在する記憶への干渉。それと同じく、似たようなやり方で
掠め取るかのように、土地の記録を盗み出して、再現する。全ては土地の力を使って、こそ泥のように引き起こしたことだ。
勿論それは決して悪いことでも、非難されるようなことでもない。当然勝手に他所の霊脈で実験したりしたら
「この城は中世の戦争の例に漏れず、一夜の内に奇襲を喰らい、壮絶な激戦の末に全ての兵士と領主が討ち死にした惨劇で有名だ。‥‥まぁ有名と言っても、かのヴラド・ツェペシェのように普遍的な知名度を持っているわけではないがね。
ただ普通に廃れただけでは私の『メモリー』も効果を発揮出来ん。僅かばかりにでも、惨劇と言うべき過去があった霊地だからこそ、まぁ不十分な規模ではあるが惨劇の再現も可能だ。君の周りの兵士は、その産物だよ」
「成る程、ただ現象を再現するだけだから貴様の制御は受け付けない、と。道理に適っているが、だからといって必死に戦っている俺を相手にべらべら喋り続けるその神経は素晴らしいな!!」
「お褒めいただき光栄だよ、蒼崎紫遙! ハハ、まるで打てば響くかのように答えが返ってくる! これだよこれ、今まで擦れ違った凡百の魔術師とはワケが違う!
あぁ、君と私との相性は最高だ。君の魔術師としての力量自体は並のものだが、冷静に思考を巡らす様といい、じっくりと身につけた深い基礎知識といい、その在り方こそ一流! 魔術師としての君にさして興味がなかったのは事実だが、俄然興味が湧いてきたぞ! クク、ククク、ハハハハハハハ!!」
「ったく、よく喋るヤツだな! 少しはもっと建設的なことに使ったらどうなんだ」
「建設的じゃないかね! 君と私との、二人の在り方について語っているのだぞ? ともすれば、これから長い付き合いに、唯一無二の付き合いになるんだからな。互いのことを知り合うのが建設的でないわけはないじゃないか?!」
「あぁ畜生、ホントわけわかんねぇコイツ‥‥」
ヴィドヘルツルがぺらぺらぺらぺらぺらぺらぺらぺら喋り続けている間にも、ヤツが再現した惨劇とやらはお構いなしに俺に襲いかかってくる。
剣が、槍が、
式からみっちり仕込まれた両儀流短刀術自体は短刀のみを使った殺人術の一種なんだけど、それだけではどうしようもないと習った拳法の方が性に合っていたらしい。
ともすれば鎧相手には弾かれてしまう短刀は、何だかんだでトドメにしか使えないのだ。その分、ひたすら動き回って隙を作っていくしか勝ち目はないのは、当然だろう。
戦争を繰り返す中世時代の剣術というものが、とことん実践に基づいたものだということはよく分かる。でも、当時から数百年以上も研鑽を続けてきた日本の流派というものも決してバカにならないものがあるのだ。
しっかりと体系づけられた技術は、決して実践に基づいた経験に劣るものではない。
「とはいえ‥‥ちくしょう、数が多いっての!」
「ふむ、それはそうだろう。いくら零落していた城とはいえ、兵士は百人以上詰めていたわけであるし、ここだけの話、攻め込んできた別の領地の兵士も混ざっているからな」
「それは聞きたくなかったよっ!!」
つまるところ、倍。いや、攻め落とされたということを鑑みればそれ以上か。
よくよく見れば鎧も二種類あるし、武器も微妙に二種類ぐらいに分かれている気がする。ちくしょう、いくら存在密度が薄いからってこれだけの数がいると流石に参る。
「———
左肩に背負ったラックをぶん回し、背後に回っていた二人ぐらいの兵士を薙ぎ払うと勢いよく蓋を開ける。
蓋を開ければ、始動キーを唱えるだけで勝手に飛び出す便利な魔術礼装。俺の持つ最強の武器。稀代の人形師、蒼崎橙子が作り上げた第一級の魔術礼装。
始動キーに応えてガタリとラックの中で蠢く相棒に、更に目覚ましの言葉を叫ぶ。自己暗示という詠唱と違って、始動キーであるこれは、せめて『
「Ihr nennt mich Samiel! 《吾が名はザミエル!》」
「ほぅ‥‥?」
目の前に突き出された剣を受け止めたラックから、勢いよく七つの球体が飛び出した。
俺の好きなドイツオペラから名前を取って作ってくれた礼装は、オペラとは異なり七つ目の魔弾も俺の意思のままに動く。
先程も言ったけど、使う俺がへっぽこなわりに『
「Waffem und Steine! Hilf mir! Ans Tor! 《武器と石を用意しろ! 吾に加勢し、門にかかれ!》」
飛び出した礼装は俺の周りを瞬時に一蹴、もとい一周。取り巻いていた兵士を薙ぎ払い、そのまま勢いよく宙へ浮かぶ。
一直線に円を描くようにではなく、少しずつ微妙にずれた見目の悪い軌道。魔弾の同士討ちを防ぐのと、効率よく敵を倒すために最初にプログラミングされた軌道の一つだ。
基本的にその場で臨機応変に操作する、というような器用な真似が出来るぐらいの戦闘センスを俺は持ち合わせていない。だからこそ、ありとあらゆる状況を想定して何通りもの軌道を用意しておくのが俺のスタイルだ。
だから出来る限り広範囲を効率よくカバーできるようにしたのが、この軌道である。特に対多数を想定した15番のプログラミング。周囲だけではなく、更にたくさんの敵がいる時には更に広範囲へと拡大するコンボがつかえる軌道。
「Ich hore der Horner Schall! 《聞こえるぞ、角笛の呼び交わす響きが!》」
上空に舞い上がった球体は、鷲か鷹のように地面すれすれまで舞い降りて更に残りの兵士を追撃する。
ほぼ純粋な物理攻撃である『
‥‥おそらく、現象として再現された段階で彼等は物理現象に縛られる存在になってしまったのだ。ヴィドヘルツルによる制御を受けていないのもあり、彼等は自分自身の物理観念に縛られてしまっているのだろう。
「Jetzt zieh' Er oder gnad' Ihm Gott! 《さぁ剣を抜け! 覚悟しろ!》」
数十人の兵士を薙ぎ倒し、二つを直衛として俺の周りにつけ、残りの五つを上下左右真正面から、逃げ場が無いくらいの凄まじい速度でヴィドヘルツルへと放つ。
逃がしたくないなら、逃げ場を作らなければいい。それを愚直なまでに踏襲した単純な突撃戦法。上下左右のいずれに逃げたところで反対側から突っ込んできた魔弾に襲われ、背後に逃げても当然に真っ正面の魔弾が襲う。
「‥‥ふむ、なるほど。
ヴィドヘルツルの言葉通り。しかし自分自身で事実を述べておきながらも、稀代の魔術師は余裕綽々といった様子でニヤリと笑う。
「だが、避けられないのなら防げばいいだけの話だ」
「何っ?!」
まるで指揮者のように上げた両手に応えて木造のはずの床から飛び出したのは、頑丈な石造りの幾本もの柱。
天井まで届く石の柱は一体どうやって隠してあったのか、一瞬のうちに現れてヴィドヘルツルの目の前に迫り来ていた魔弾五つ全てを寸前で防ぎ止める。
完全に防げた、というわけではないだろう。あくまで石で出来た柱には俺の放った魔弾がめり込み、今にも折れてしまいそうなくらいに罅が入っている。
しかしそれでも、『
「‥‥『
成る程、この目で直に確かめるのは初めてだが素晴らしい出来映えの礼装だな。前回は鏡面界越しだったから全てを確かめられたわけではない故に‥‥。そう、前回は、な」
「その前回の一回の戦闘で、この礼装の特性を見切っていたっていうのか?!」
「別段、不思議なことではあるまい? 貴様とてこの数分の間に私の大魔術式の正体を見破ったのだからな‥‥」
飛び出してきていた石柱が、ギリギリと音を立てて床の中へと戻っていく。
不思議にも床を突き破った跡は消えていた。まるで破られた板が勝手に互いにくっついたように。もしくは時間が逆回しされたように。
‥‥当然、オカルトの類じゃない。おそらくは城の全てが“あるべき形”に戻るように仕組まれているんだろう。固定ともまた違う、これまたありふれていながら特殊な概念を用いた結界の一種だ。
「ほら、また見破った。たったこれだけの現象を目にしただけで、私の城の仕掛けを見破ったろう?」
「そんなの、俺じゃなくても出来る。遠坂嬢やルヴィアなら城に入る前からこういうことを想定して準備しておくことだろうさ」
「君は自分を過小評価し過ぎだよ、蒼崎紫遙。君は十分に特異な存在だ、そうだろう?
別の世界から、上位世界からやって来たということを抜きにしても、君は特異な魔術師だ。誰よりも魔術師らしくあろうとして、そして魔術師らしくない。だというのに、君は結局のところ誰よりも魔術師らしいのだ。
君が望む魔術師としての在り方は、君に合わない。ふむ、君は結局のところ一般人に過ぎないのだよ、元々は。だというのに君はそれを目指し、そしてその過程を経て結果的に君は魔術師として完成している」
「‥‥‥はぁ?」
「その人物が望む在り方が、その人物に相応しい在り方とは限らない。君はその矛盾を端的に表しているよ、フフフフフフフフフフ‥‥。
自分の成りたい自分と現在の自分に、齟齬を感じて悩むのは当然の在り方だ。しかしね、その過程こそがその人物に相応しい在り方というものへの道になっているのかもしれない。ふむ、人生とは複雑怪奇なものであるな、蒼崎紫遙よ?」
「‥‥俺が魔術師じゃないって、言いたいのか?」
「やれやれ、人の話を聞かないのは君の方じゃないのかね? 私は君を、誰よりも魔術師らしいと評した気がするのだが?
繰り返し言うが、君の目指す魔術師としての在り方は、君には似合わないのだよ。よく考えてみたまえ、本当の魔術師ならわざわざ私のところへやって来てまで決闘を挑んだりはしない。
いや、正確に言おう。現代の魔術師ならばそんなことはしないのだよ。いくら自分の秘密を奪われたからといって、何故わざわざ自分を危険に晒す必要がある? 他にも手段は色々あるのに。‥‥魔術協会に頼る、とかな」
「‥‥‥‥」
「君の在り方は、魔術師というよりは英雄のようだな。しかし君は魔術師だ、君は英雄になどなれはしない」
床が大きく揺れる。断続的に、継続的に、まるで震度7の地震から来る予震のように。
城の中が、一つの生物のようだ。ヴィドヘルツルを脳にして、全体が一つの生き物として動いている。流石は稀代の魔術師の工房、居城といったところだろうか。人外魔境度合いも並ではない。
俺の周りにいる全てが俺に敵対している。壁も、天井も、床も、兵士以外の何もかもが。震え上がる程に恐ろしく、怖じ気づいてしまう程に圧倒的な脅威。
「英雄のような、魔術師。いいじゃないか、素晴らしい。私は好きだよ、そういう在り方はね」
「‥‥‥‥」
「完全なものを、目指していた。それは今も同じで、しかし同時にこうも思うのだよ。
もしや不完全でありながら完全であることを目指している姿こそが、最も完成された姿なのかもしれない、とな。まぁ戯れ言だがね。クク、いやいや、思考を巡らせるのも中々に面白いものだ」
「
「おっと、猛々しいな。危ないじゃないか」
「殺すつもりなんだよ、この脳天花咲魔術師[《のうてんはなさかまじゅつし》がぁっ!!」
防がれた後、大きく旋回させていた『
あの石柱、どうやら先程感じた気配と同じく、この城の中なら何処からでも出せるらしい。ただでさえ『メモリー』という最上級の儀式を城自体に仕掛けておきながら、もう一つの大魔術式を敷く‥‥? 今になって、どうにも引っかかる。
「敵と対する際に十分以上に知恵を回すのは君だけではないぞ、ふむ。確かに直接目にしたわけではないが、君が弓兵を相手に鏡面界であの魔術礼装を使っていたのは知っている。そしてその、運用方法などもな。
分かっているぞ、君の魔術礼装の欠点は。一つ、有効な攻撃速度を得るためには加速距離、ないしは旋回半径が必要なこと。二つ、その特性上狭い場所では使えないこと。三つ、ほぼ純粋な物理攻撃、物理衝撃ゆえに防御が堅い相手には通用しないこと。
だからこそ対策を取るのは簡単だ。‥‥このように、それなりの硬度の障害物を複数用意してやればいい。たとえ一つでは完全に防ぐことが出来なくとも、進路を遮るのなら十分に過ぎる」
「やれやれ、まさか一回の戦闘で見破られるとは思わなかったぞ畜生め‥‥! エミヤだって一回じゃ見破れないだろうに、信じられないな全く!」
「お褒め頂き光栄だ。さぁどうする? まずは初級編といったところだが、ここで根を上げるかね?」
「冗談抜かせ! こんな簡単に戦争が終わってたまるものかよ!」
防がれた全ての魔弾を、単純に一直線ではなく、途中で妨害されないように複雑に絡ませた軌道で自分の周囲へと戻した。
高速で俺の周りを回転する魔弾は先程まで雲霞の如く犇めいていた兵士達はもとより、物理的な現象であればどんなものでも防いでくれるはずだ。
しかしその一方で‥‥ヴィドヘルツルを打倒するには大きな障害が立ちはだかっているのも、また同じ。
「‥‥クソ。啖呵切ったはいいけど、どうしたもんか」
ありとあらゆる場所、それこそ壁や床、天井、階段、どこであろうと飛び出してくる石柱。
確かに一本なら七つの魔弾全てを突っ込ませて、粉砕することも可能だ。橙子姉の作った礼装は、いくらへっぽこの俺が操っているとはいえ生半可な代物じゃない。
でも一つの石柱を砕けば、それだけ魔弾が持った運動エネルギーは失われてしまう。十分な物理衝撃を伴った魔弾は純粋な魔力障壁などでは防ぎきれない性質を持っているけど、失速した攻撃ならヤツでも安全に防ぎきれるだろう。
「いや、諦めちゃいられない。いくらココがヤツの腸の中だっていっても、つけいる隙はまだあるはずだ!」
ヤツがいるのは、階段の上。
階段の広さは俺が二人ぐらい横に並んで寝そべることが出来るぐらいで、ヤツが立った踊り場からは二股に別れて上の階へと階段が続いている。
つまりここからは幾つかのヒントが得られるのだ。一つ、ヤツは後退して避けることは出来ない。二つ、ヤツが左右に逃げようとすれば、そこは上り階段だからそれなりのタイムロスがあるだろう。
ならばそこに、そこにこそつけいる隙がある。
「Der Holle Rache kocht in meinem Herzen,《地獄の復讐にこの胸は燃え、》
Tod und Verzweitflung flammet um mich her!《死と絶望の焔が吾が身を焼き尽くす!》」
「ふむ‥‥?」
「Dorch Berg und Tal,durch Schlund und Schacht,《山と谷を通り、淵と穴を通り》
Durch Tau und Wolken,Sturm und Nacht,《露と雲を通り、嵐と夜を通り》」
俺の周りを回転する七つの魔弾の速度が、加速度的に速くなっていく。
疎らに覆うはずの軌道は、あまりの速さに完全に俺を覆い隠してしまい、風を斬る音は俺の小声の詠唱もかき消した。
回る、回る、魔弾が回る。回るごとにその速度はグングンと増し、やがては大きな球体のくせに目に留まらないぐらいの速さにまで。
「Durch Hohle,Sumpf und Erdenkluft,《洞窟と沼の大地の割れ目を通り》
Durch Feuer,Erde,See und Luft!《火と大地と海と空を通り!》」
まずは小手調べ、十分に加速をつけた魔弾での攻撃による突破を試す。
ヴィドヘルツルの言葉を、目の前で見せつけられた対抗策を無視しているわけではない。ただ、試せるものは全て試すというだけだ。
狙うのは一点突破、一カ所に七つの魔弾全てをぶつけて、石柱による防御を突破してみせる。
たとえ失敗しても失敗したという結果が残るだけだ。それに、これはあくまで最初の一手であって、手は他にもちゃんと用意してあるのだから。
「Das wilde Heer!《来るぞ、魔王の軍勢だ!》」
「ハ、成る程こいつは凄い!」
回転運動をしていた魔弾達が一気に螺旋を描くように飛び上がり、その運動エネルギーを出来る限り消耗しないように、かつ速度を殺さないように軌道を曲げて、階段の上に敢然と立ちつくすヴィドヘルツルへと向かう。
その速度たるや、真横を新幹線が通り過ぎていると見紛うぐらいだろう。正確にキロメートルアワーを計るわけにはいかないけど、少なくとも野球ボールをパスするような気軽さで放たれたものではない。
「‥‥が、残念、今回も落第だ。先程も言わなかったかね? ‥‥一本で足りないなら、二本、三本と増やすまでだ」
ヴィドヘルツルの目の前から更に下、階段の一番最初の段から順番に背比べをするかのように石柱が飛び出してきた。
電光石火とでも言うべき『
‥‥しかし、一つ砕くごとに、二つ砕くごとに、目に見えて魔弾の速度は遅くなっていくのだ。七つの魔弾全てを使って、物理現象を味方につけて、それでも魔弾は味方につけたはずの物理現象の前に敗れ去る。
全部で六つの石柱を砕いた魔弾は、最後の七つ目の石柱に全力で罅を入れて果てた。
「‥‥ふむ、少し冷や冷やしたぞ蒼崎紫遙。半分ぐらいで止まると思ったのだが、さてさて物理学を見誤ったか、君の執念を見誤ったか、とにかく最初の一手はこれで打ち止めだね。
まさかこれで終わりというわけではあるまい? さぁ、次の手を打ちたまえよ」
「言われなくとも‥‥ッ!」
崩れ去った石柱のところから、魔弾を回収して最初の軌道に戻す。
確かに最初の一手は失敗に終わったけれど、まだ魔力は十分に残っているし手は尽きたわけじゃない。
「Schutze,der im Dunken wacht,《暗闇の中でなお起きている射手よ》
Samiel,Samiel,hab acht!《ザーミエル、ザーミエル、聞き給え!》
Steh mir bei in dieser Nacht!《今夜は吾が味方となり給え!》」
座標を設定、方程式を設定。軌道に接する平面と曲面との交点をヴィドヘルツルが立っている位置に設定し、プログラムに変数を代入する。
七つの魔弾の一つ一つに別々の方程式があり、予め設定していた座標系の中に現在の地形を当てはめれば、それでプログラムはこの場所に相応しいものへと変わるのだ。
「?!」
疾る、疾る、縦横無尽に魔弾が疾る。
まるで本当に魔王の加護があるように複雑な軌道を描き、予測不能な軌跡を辿り、先程の突貫には劣るにしても目にも留まらぬ速度で。
「Der wilde Jager,der wutend mich jagt,er nahtmer naht von Norden!《狩の魔王が怒り狂って吾《なんじ》を追いかけ、近づくぞ! 近づくぞ! 北から近づくぞ!》」
「ぬぅ‥‥ッ!」
部屋の中、一面を使って張られた蜘蛛の巣のように。とても規則性など捉えられない複雑な動き方で魔弾はヴィドヘルツルの周りを駆けめぐっていた。
決して触れるわけではなく、それでも目にも留まらぬ速さで疾り続ける魔弾は決してその軌道と攻撃のタイミングを悟らせることはない。
「Er nahtmer naht von Norden!《北から来るぞ!》」
「そこかぁッ!!」
ヴィドヘルツルの肌を擦るようにして壁から出現した石柱が、辛くも上方から襲撃した魔弾の迎撃に成功する。
複雑な軌道から、先が予測できない軌道から飛び出した魔弾。実は加速するタイミングの関係上あの周期でしか飛び出せないのだけれど、受ける当人にしてみれば、いつ飛び出るかなんて知ったことではないはずだ。
「ハハ、ハハハ、ハハハハハ! いやはや流石に今のは肝を冷やしたぞ?! だが忘れているようだな、蒼崎紫遙。ここは私の城だぞ?
普通に知覚するのとはワケが違う。私の居城に侵入した異質な魔力を感知すれば、後出しでも何とかならんことはない。クク、ククククク‥‥」
しかし超至近距離からの攻撃にもかかわらず、間一髪でヴィドヘルツルは弾いてみせた。
確かにここはヤツの言葉通り、ヤツ自身の居城だ。主であるヤツなら、普通に魔術師が起こす魔術とは次元が違う自由度を誇るのは紛れもない事実。というよりも自明の理。
‥‥けれど、勿論そんなことは俺だって分かりきっている。そもそも考え得る限りの事態は既に予想しているのだ。
「ふむ、そうだな。お前も私も英雄ではないし、戦闘者でもない。戦況に応じて、その場で臨機応変に戦うなどという真似は不可能だ。
ならばこそ、私達の戦いは用意していた策の競い合いになる。だから、さぁ、見せたまえ君の策を。その全てを私が用意した策によって打倒してみせよう!」
「自惚れやがって‥‥!」
「ふむ、自惚れと言えば自惚れなのかもしれん。しかしまぁ当然ではないかね? 君と私の間にある遥かに大きな実力差ぐらいは既に承知しているものだと思うが、ふむ。
私も君と同じく、戦いを生業とするものではない。戦うという在り方を持った者ではない。‥‥しかし、それでも私と君には天地の間に等しき差がある。
だから、私は上位者として君の挑戦を待ち受ける義務があるのだよ。同じく権利も、な」
「よし、成る程いい度胸だ。‥‥覚悟しろコノ野郎!」
魔力を注ぎ込まれた魔弾が更に唸りを上げて速度を増す。プログラム自体は変わらないけど、速度と運動エネルギーはこのプログラムを維持する上限限界ギリギリだ。これ以上に速度を増すと自動的に軌道を外れて明後日の方向へと飛んでいってしまう。
プログラムによって半自動的に今の軌道を維持しているとはいえ、軌道を把握しなければいけないから演算は常に行っている。負担をかけられた脳と魔術回路が、悲鳴を上げるのを無理矢理に押し殺した。
「Wie dieser Stab in meiner Hand,nie mehr sich schmickt mit frischem Grun.《この手に握るこの杖がもはや、決して新たな緑の芽吹きに飾られぬ如く》」
タイミングを見極める。
『
あまりにも使い勝手が悪いと思うかもしれないけれど、逆に七つの魔弾を臨機応変に、自由自在に操ることの方が遥かに難しいのである。
もちろん才能のある人間なら別だろうけど、残念ながら俺には才能がない。その場に合わせて魔弾の軌道を操るのではなく、その場に合わせて魔弾の軌道を選択する。それが俺の戦い方だ。
それ以外に、俺が戦う手段はない。
「Kann aus der Hole heiBem Brand Erlosung nimmer der erbluhn!《地獄の熱き焔からの救いが、汝に花咲くことはない!》」
「何ッ! 鋭角な軌道だと?!」
頭の中を駆けめぐっていた演算が、ベストなタイミングを弾き出す。
全ての魔弾の軌道の周期がピタリと合った瞬間に、壁を弾いた七つの球体が一点へと突っ込んでいった。
ヴィドヘルツルのしていた一つの勘違い。それは『
確かにそれは間違いではない。けれど礼装に負担をかけないということを考慮しなければこそ、取れる軌道というものもある。
「
「くっ、ルーン石?!
まるでピンボールかビリヤードのように反発係数を操る術式を使い、それなりの硬度と質量を持った物体と衝突して、速度を落とさずに軌道を変化させる。それが、俺の隠していた切り札の一つ。
そして続いて宣言する、力を秘めた言葉。突風を伴った魔弾の軌道に乗せて放り投げたルーン石が『
「———つ、兵《つわもの》達の墓標よ、仮初めの主を守れッ!!」
刹那の時間、の間だったろう。いくら神経を集中させていても、俺に知覚できるようなものではなかった。
その僅かな瞬間、瞬きの間に床が割れ、幾本もの石柱が斜めに突き出して檻かシェルターのようにヴィドヘルツルを覆う。鮮血が舞ったように見えたのは、おそらくあまりに余裕のない発動に自分ギリギリの場所に出現させたからだろう。
「ク、クク、ククク、クククククク‥‥」
「———ッ?!」
ほぼ完全に粉砕された石柱は、しかし無事に主を守りきった。
崩れ落ちた岩の破片が欧州人らしい真っ白な肌を傷つけ、上品な仕立てのスーツを引き裂くけれど、しかし魔弾が衝突した程のダメージはないはずだ。
ギリギリ間に合った、防御。一つでも当たれば魔術師であろうとも簡単に五体を砕かれ、臓腑を破られ、鮮血をぶちまける魔弾の一撃。それでもヤツは、無事とはいかずとも五体満足で立っている。
「‥‥なんとか、なんとか防ぎきれたか、君の渾身の一撃を! 素晴らしかったぞ、今の攻撃は。一瞬ではあったが、この私が心底から君に恐怖した!
たった、たった一つの単純な盲点を見逃すだけで私が簡単に死に追いやられる寸前まで行くとは、まさか夢にも思わなかった! 戦闘とはかくも簡単で呆気ないものかよ、いやぁ素晴らしい!」
「‥‥‥‥」
「だがこれで終わりだ。これ以上の狼藉を許すわけにはいかん。やんちゃな子どもには、仕置きをしなければな。
———兵《つわもの》達の墓標よ、貫け」
続けて天井と床の上下から細い石の槍が凄まじい速度で飛び出してきて、速度を失い、空中で同じように一瞬の間だけ静止していた『
『
しかしそれも高速で回転しながら移動している時の話。静止している状態では、いくら球という壊れにくい形を持っていても、圧倒的な物理法則の前に破壊される。‥‥なにせそもそもが、複数の鉱石を組み合わせて作り上げたものだ。
「‥‥ふむ、頼りの礼装はこれで御釈迦だな。さぁどうする? 抵抗を続けるかね? 君に残されたのはその手に持った短刀と‥‥ルーン石。その程度か?
あぁ、君とて、その身に宿した魔眼が私には殆ど役に立たないということぐらいは分かっているだろう? 私は黒い弓兵とはワケが違う。どのような魔眼であろうと、あの程度の出力ならば簡単に
「‥‥‥‥」
「ハハ、ハハハ、ハハハハハハッ!!!!」
静まりかえった、広間。やけに上擦った、狂気と狂喜に彩られた声が玄関ホールに響いた。
ヤツの声の他に聞こえるのは、負荷をかけすぎたがために頭の中で破鐘のように響き続ける頭痛の音と、同じく荒い自分の吐息。
全ての手は尽くした。もはや今の俺にやることはない。出来ることは、ない。
「ハハハハハハハハ———ハハ、ハ、ハ‥‥ッ?!」
「‥‥‥‥あぁ、上手くいったか」
高笑いを続けていたヴィドヘルツルの凶悪な笑顔が、凍り付く。
ゆっくりと見開いた目を移した先は、ヤツの左腕。その先にある、ヤツの手。
その更に先に、不自然に張り付いた一本の紐。
「これ、は‥‥まさか‥‥?!」
否、それは紐ではない。
深い緑色をしたそれは生きていた。ヴィドヘルツルの手にくっついた方とは逆の端をブラブラとゆっくり揺らし、細い躰をくねらせている。
ヴィドヘルツルの視界を全て覆うように出現した石柱の隙を塗って、ヴィドヘルツルの知覚範囲が途切れた瞬間に素早く近寄った、俺の切り札。
「‥‥一端の魔術師なら、使い魔の一匹も持っているべきだ。そう思わないか? コンラート・E・ヴィドヘルツル」
「君の‥‥使い魔‥‥?!」
一匹の、蛇。
体長は僅かに十五㎝という細く小さな蛇が、ヴィドヘルツルの左手の指に噛み付いていた。
魔術師が動物や人形、あるいは何か魔術師にとって有益なものに自身の一部、乃ち血液や髪の毛、眼球、あるいは魔力を付加して生み出し、使役する存在。
遠坂嬢ならば宝石細工に仮初めの命を与え、真祖の吸血姫なら黒猫を夢魔として用い、そして俺は一匹の蛇を研究の一環として飼っていた。
「残念ながら大した能力は持ってない。そもそも、俺のキャパシティじゃ高級な使い魔なんてものを作ると自分の方がお粗末になってしまう。
そいつに出来るのは視覚の共有や、主である俺との間での簡単な意思疎通。‥‥そして一つだけ。その牙にインド象でも数十秒で息絶える強力な猛毒を持っていること、ぐらいかな」
「ぬ‥‥う‥‥!」
『
俺は自分の使い魔であるこの蛇に、そう名前を付けた。巨大な体躯も、石化の魔眼も持っていないけれど、それでもこいつは俺にとって非常に有益な存在であった。
用いるのは大概が狭いところの偵察や、あるいは魔眼の実験対象。元々が死骸であったから、多少無茶をしても魔力を注いで休息させれば元に戻るので都合がよい。
何より一つだけ、折角の使い魔だからと付与した性質。
柔らかい人間の肌ぐらいなら何とか傷を付けることが可能な程度の小さな牙に、一種類だけ毒を注入することが出来る。
当たり前のように実験室でも作ることが出来る程度も様々な神経性の麻痺毒矢、それこそ魔術でもないと精製できないような特殊な毒まで何でも、とにかく一種類だけ。
そして今『
‥‥毒の精製自体は知人に頼んでいるから難しくはない。実際、こいつを運用するのはそこまで難しいことじゃないのだ。今まで、総力を挙げて戦うようなことがなかっただけで。
「現代に生きる本物の魔女が精製した毒だ。専門家でもなければ、解毒《レジスト》なんて出来はしない。‥‥化かし合いは俺の勝ちだ、コンラート・E・ヴィドヘルツル」
「‥‥‥‥ッ!」
左腕の指の先から真っ白い肌がドス黒い紫色に染まっていく。あまりにも分かりやすい変化は、およそ人間に使うようなものではない、あまりにも強力な猛毒に冒されているから。
魔術回路と魔術刻印を持った魔術師という生き物は、普通の人間に比べて非常に死にづらい頑丈な身体を持っている。
例えば毒や病気なんてものにも、在る程度は耐性があるし、常識的に考えれば命の危険があるような怪我だって何とか命を繋ぎ留めていられる。それは、魔術師の持った魔術師としての特性が、魔術師を生かそうとするからだ。
しかしそれも、普通の常識の範囲内ならの話。
『
いくらヴィドヘルツルが天才だとしても、その筋の専門家というわけではない。そして只でさえ廃れた呪術である『
「‥‥そうだな、お前の敗因は、俺という魔術師を単品で見ていたからだよ。
『
俺一人は大した魔術師じゃないよ。それはどうしようもない事実だ。でも、悪いけど俺は一人っきりじゃないんでね」
自分一人で何でも出来る、なんて自惚れはしない。
衛宮や、遠坂嬢とは違うのだ。自分一人で何かを見つけて、何かに向かって努力して、そりゃ助けだって借りながらも結局は自分で何とかしてしまうような、そういう英雄じゃないのだ、俺は。
何処をどう見回しても、自分の力だけで手に入れられたものなんて一つもない。誰かに導かれて、誰かに助けられて、誰かに差し出されて、俺の全ては構成されている。
それは決して、借り物なんて無様な言葉で説明するようなものじゃない。借りたのではなく、貰った、受け継いだものなんだ。俺は色んな人から色んなものを受け継いで生きてきた。
「さて、死体は灰も残さず焼いてやる。‥‥城ごとな。後始末は心配するな」
「‥‥‥‥!」
ポーチから焔を司るルーン石を幾つか取り出し、魔力を込めて発動の準備を調える。
左手の指の先から広がっていった紫色は、既に肘を超えて二の腕、もはや間を置かず肩にまで届きそうな勢いだ。
あの紫色が体幹にある臓器にまで届けば手遅れなまでに毒が回る。強力な解毒剤があれば話は別かもしれないけれど、あの強力な毒が身体にまで回ってしまえば解毒剤を飲んだところで間に合わない。
「なる‥‥ほど‥‥いやはや、参った。まさか、こういう手段に出るとは、思わなかったよ、蒼崎紫遙‥‥!
毒、か‥‥。確かに毒物や薬品といったものは、どちらかといえば魔女達の領分であることは知っていたが‥‥普通の魔術師ならば忌避するようなものを躊躇なく使うとは、恐れ入った‥‥!」
既にヴィドヘルツルの腕は二の腕までの殆どがドス黒く、傍目にも分かる程の危ない紫色に染まっていた。
どれほどまでに優秀な魔術師でも、どれほどまでに強い英雄でも、某かの特殊な能力を保有していない限りは等しく無力。秀麗な顔は歪み、額には脂汗が滲んでいるのが分かる。
「しかし、しかし、やはり甘い‥‥! 心が通じ合ったと思っていたのだが、残念ながら君は君にかける私のこの思いを、未だに理解してくれていないようだ———ッ!」
「何ッ?!」
ヴィドヘルツルの叫び声と共に床に亀裂が入り、今までよりも格段に鋭い刃のような断面を晒した石柱が飛び出して来た。
それは俺を倒すためではなく、そして俺の攻撃を防ぐためでもない。
石柱が出現したのは主であるヴィドヘルツルの頬を擦るような至近距離。いや、実際擦っている。そしてもっと重要なものを擦って、石柱は天井に突き刺さった後に自然と崩壊した。
「お前‥‥腕を‥‥!」
擦ったのは、毒に侵されたヴィドヘルツルの左腕。
肩口から一気に削ぎ取られた腕が宙に舞い、毒に置かされて脆くなっていたのか、地面に落ちた衝撃でぐずぐずに崩れ落ちた。
魔術回路か魔術刻印が仕事をしたのだろう。肩からの出血は最初こそ噴水のような勢いであったけれどすぐにぽたりぽたりという静かな滴りへと変わる。
一切の躊躇を見せない、腕を排除するという決断。
石柱なんてもので切断された腕の切断面は荒く、雑で、とてもじゃないがくっつけることなんて出来ないだろうし、そもそも魔女の毒に冒されて細胞が破壊され尽くしてしまった腕は二度と再生することも適わないだろう。
繋がることも、再生することもない左腕。毒が回りきるまでに時間も無かっただろうに、よくも躊躇無く、捨てられたものだ‥‥!
「こうでもしなければ‥‥毒が、回ってしまうだろう‥‥?
フフ、君に私の思いを、理解してもらうためならば、腕の一本ぐらいならば安いものだ! ハハハ、しかし流石にこれは堪える、な‥‥!
私達はもう十分にわかり合えたはずだ。そうは思わんかね? ‥‥そろそろ———」
一瞬で、まるで立っていた地面が実は水面であったかのように、ヴィドヘルツルの姿が床へと潜る。
言葉と言葉の間にする息継ぎの間ほどもない僅かな瞬間。思わず硬直した俺の背後から、ヴィドヘルツルの言葉の続きが聞こえた。
「———終わりにしよう。戯れも良いが、そろそろ本懐を遂げる時だ。
焦ることはないだろうが私はいい加減に研究に移りたい。君と私との、新たな輝ける未来への出発だ! ‥‥さぁ、まずは眠りたまえ」
「ぐ———ッ?!」
肩に手を置かれる感覚に、背筋のみならず全身に怖気が走る。
ヴィドヘルツルの全身が床に潜ったのと完全に同時に背後に現れた、この城の主。いくら自分の領土とはいえ完全に近い空間転移。
たったそれだけのことで、今までだって十分に理解していたはずの実力の差というものを改めて理解させられる。互いに戦闘者ではなくとも、それでも魔術師としての力量があり、それは戦闘をこなす上で当然に重要な要素の一つだ。
自分が持っているのが“ひのきの棒”なら、ヤツが持っているのは“鋼の剣”。対して差がないように見えても、この二つの間の差はやはり圧倒的である。
「眠れ、時計塔の魔術師よ。‥‥目が覚めたら君は蒼崎紫遙ではなく、■■■■に戻る」
「くそ‥‥ッ、こんな、こんなところで、やられ、て‥‥!」
目の前を横切った白い掌。その掌に奪われるかのように、視界が真っ白に反転していく。
視界が奪われ、意識まで一緒に奪われ、俺の意思とは無関係に身体が前へと傾いでいった。床に顔面が衝突しないように、すぐに振り返って短刀で首根っこを薙ぎ払えるようにと足に力を入れようとするけれど、全く力が入らない。
雲の中で泳いでいるかのように、何もかもが不確かで俺の周りに存在している。
そう、何もかもが、白い暗闇の中に沈んでいく。身体も、意識も、意思も、なにもかも。
頭の中で暗闇の先に手を伸ばして何とか意識を自分の制御の内に取り戻そうとするけれど、心の内でも自分自身が自分の思う通りにならず、ただ力が抜けていく。
「たま‥‥る、か———」
「さらばだ、蒼崎紫遙。そしてこんにちわ、■■■■‥‥」
最後に聞こえたのは、どこか懐かしい誰かの名前。
そして何処までも沈んでいく意識の代わりに浮上していった、自分でありながら自分でない、けれどやっぱり自分のものであるはずの、久しぶりに頭が切り替わるような感覚の、誰かの意識であった。
73th act Fin.