UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第七十五話 『霧の街の出発』

 

 

 

 

 side Mikiya Kokuto

 

 

 

「‥‥ただいま戻りましたわ。残念なお知らせですが———と、あら、随分と大所帯ですわね。これは一体どういうことですの?」

 

 

 僕たちが一旦落ち着いてテーブルに座り直し、士郎君がもう一回入れ直してくれた、今度は間違いなく本場物の紅茶を飲んでいると、再びの来訪者が現れた。

 陽の光に映えるオレンジ色の髪の毛をした、まるで彫刻のように綺麗な顔をした欧米系の美少女。

 年頃は鮮花と同じくらいか、少し上ぐらいだろうか。欧米人は実年齢より微妙に上に見えるからよく分からないけど、外見だけではなく雰囲気からして既に大人っぽい。

 纏った服も日本などでは見ない、鮮やかな青と白いレースなどをふんだんにつかった特徴的なもので、その印象を敢えて一言で述べるならば“貴族”だろう。

 ああ、もしかしてこの人が‥‥。

 

 

「あら、ルヴィアゼリッタじゃない。早かったわね、調査は終わったの?」

 

「早かった、とは失礼ですわねミス・トオサカ。事態が事態ですから急がせて頂きましたのに」

 

 

 やはり、彼女が紫遙君が何回か話していたルヴィアという子らしい。確か紫遙君の学友で、一番付き合いが深い上に首席候補だとかいう才女らしい。

 ぴんと伸ばされた背筋といい、自信に溢れた輝く瞳といい、確かに紫遙君が側にいようと思ったのも頷ける。

 

 紫遙君はああ見えてかなりの人見知りで、しかも臆病なところもある。彼が近づこうと思う人間って、僕の前で話し合っている遠坂さん達みたいに、輝きを放っている人物とかに限られるんだ。

 多分、所長とか青子さんとかの影響があるのかもしれないね。さっきも話に挙がっていたけど、紫遙君は二人のお姉さんに心底傾倒しているから。

 

 

「初めまして‥‥でよろしかったかしら? 私はルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。時計塔の鉱石学科に所属している学生です」

 

「ああ、初めまして。僕は黒桐幹也。紫遙君の友人です。こっちは妹の鮮花と、その友達の浅上藤乃。それと僕たちが務めている『伽藍の堂』の同僚の、両儀式です」

 

「なるほど、ショウの御友人ですのね。ミスタ・コクトーでよろしいかしら? お話はショウからも何度か耳にしておりますわ。どうぞよろしくお願い致しますわね」

 

 

 花の開いた、というよりは華のような笑顔を見せるルヴィアさん。可憐というよりは凜とした感じは、凜ちゃんや鮮花にも似ている。

 ‥‥それにしても外国人のはずなのに随分と日本語が達者だ。まるで生粋の日本人が話しているかのように、発音にも文法にも全く違和感がない。というよりも、この上品な言葉遣いは一体何処で学んだのだろうか。

 

 

「本当ならちゃんと皆で自己紹介させてあげたいところなんだけど、落ち着いてからにしましょう。

 それでルヴィアゼリッタ、航空会社の方を調べて来たんでしょう? ‥‥どうだったの?」

 

「‥‥シヨウ・アオザキ名義でドイツへの航空券を購入した記録がありました。バゼットの渡した資料をアテにしたと考えると、間違いなくあの魔術師(へんたい)と決着をつけに行ったんでしょうね」

 

 

 笑顔はすぐに曇り、先程のバゼットさんや凜ちゃんと同じような仏頂面へと変わる。

 どうやらルヴィアさんの言葉から察するに、やはり紫遙君はコンラート・E・ヴィドヘルツルという魔術師を追いかけてドイツまで行ってしまったようだ。おそらく、ドイツがその魔術師の本拠地なんだろう。

 

 ‥‥ちょっと前に鮮花と桜ちゃんが来年度の留学のために倫敦に行った帰りに、ダイレクトに伽藍の洞に帰ってくるんじゃなくて途中で冬木に寄ったらしいけど。

 その時にちょうど紫遙君達も時計塔の任務で冬木にいたということだ。冬木は僕の前でルヴィアさんと話している凜ちゃんが地主をしている領地だそうで、そこに発生した特異現象を調査するのが仕事だったとか。

 そういえば僕も一度だけ行ったことがあったっけ。あの橙子さんの調査依頼って、結局どうしてピンポイントであの二人が対象だったのかな?

 今こうして紫遙君と友達付き合いをすることになるなんて、とても予想できないと思うんだけど‥‥。

 

 あぁ、結局その特異現象というのも冬木に侵入した一人の魔術師によって巻き起こされたもので、その魔術師によって精神攻撃を喰らってしまった紫遙君は、先述のように倫敦に帰ってきてからは自分の工房に引きこもってしまったという。

 それがどんな精神攻撃かは知らない、というか凜ちゃん達があまり語りたがらなかったので分からない。けれど、普段から余裕があるような振る舞いを努めてしている紫遙君があからさまに狼狽しているとなると、考えざるをえない。

 

 

「やっぱりバゼットの言う通り、蒼崎君は行っちゃったか。ったく、あのお義姉さんってば蒼崎君に一体何吹き込んだっていうのよ‥‥。あの人なら、蒼崎君じゃとても敵う相手じゃないことぐらい分かったはずだってのに」

 

「マイスター・アオザキとは直接の面識があるわけではないのですが、私のこの腕を作ってくれた職人です。えぇ、彼女がいくら魔術師らしい魔術師とはいえ、それでも彼女らしからぬやり方ではあると思います。

 彼女ほどの術者であるならば、情報からだけでも十分に相手の実力を想像できるというもの。ならば、紫遙君をむざむざ死地に放り込むのは愚策であると理解できるはず‥‥!」

 

 

 ギリ、と歯を喰いしばったバゼットさんが握りしめた拳を重厚なテーブルに叩きつけ、分厚く古いテーブルはか弱い女子の力で殴られたとは思えない悲鳴を上げた。

 そういえば橙子さんが前に式の義手と同じモノを作って倫敦に送ったことがあったけど、あれってバゼットさんのためのものだったのか。確か、取り付けは紫遙君がやったとか聞いたけど。

 

 

「‥‥橙子師、本当に何考えてんのかしら。紫遙だってそもそも戦うとか得意なタイプじゃないってのは周知の事実じゃないの」

 

「紫遙さん、大丈夫でしょうか‥‥?」

 

「そんなのわかんないわ。藤乃だって紫遙が弱弱なのは知ってんでしょ? そりゃ小細工しようなんていくらでもあるかもしれないけど、それでも逆立ちしたってあんな橙子師クラスの化け物(へんたい)なんかには敵いっこないわよ」

 

 

 鮮花が半ば呆れたように言い、藤乃ちゃんが心配そうに眉を顰める。

 僕たち、伽藍の堂の従業員や構成員にとって、紫遙君とは所長と同じくらいの深い付き合いだ。むしろ橙子さんの自由奔放で気儘な部分に苦労させられているという点では同志と言ってもいいかもしれない。

 そんな彼が窮地に陥っているとなると、僕らだって自分のことのように心配してしまうのは当然だ。

 

 

「‥‥もはや予断はなりませんわ。私はショウを助けに参ります。バゼット、資料はまだございますのでしょう?」

 

「ええ、紫遙君に渡したのは事前に用意しておいた写しですから」

 

「ならば是非もありませんわ。私の準備は既に出来ております。今すぐに出発しても問題ありません」

 

 

 オレンジ色の髪が辺りを見回す仕草に従って揺れる。今時珍しい、縦ロールにセットされた髪は不思議と彼女によく似合っていた。

 灯りが薄い遠坂さんの家の中でも、その薄暗い光を反射して輝いている。

 同じように薄暗い伽藍の堂の中での橙子さんや紫遙君が、その光で生じる影を背負っているとするならば、薄暗い灯りでも光り輝く彼女は凜ちゃん達と同様、まさにその対極に位置すると言ってもいいだろう。

 

 

「‥‥やっぱりアンタ、蒼崎君を助けに行くつもりなのね」

 

「当然です。私はショウの友人、いえ、パートナーですわよ? 貴女はご存じないでしょうが、私とショウとは既に互いの研究に深入りする程の協力関係を結んでおります。そんな共同研究の相方を見捨てるなど出来るモノですか」

 

「ルヴィアゼリッタ、本当に分かってるの? 士郎にも言ったけど、相手は封印指定の魔術師よ。コイツみたいに、ある一点だけが封印指定級っていうキワモノじゃなくて、正真正銘の化け物なのよ?」

 

 

 斜めに立ち、自分の肩越しにルヴィアさんを見る凜ちゃんの言葉に、鮮花と桜ちゃんが怪訝な顔をする。どうやら士郎君に関する話をしていたみたいなんだけど、彼の細かい情報を知らない僕たちではさっぱり何が何やら分からない。

 僕が一年前に調査した時は、士郎君自身に何か不思議な点なんて見あたらなかったからね。正直、あのぐらいの境遇なら世界中にいくらでもいる。僕の個人的な友人や仕事上の友人の中でも片親だったり、両方の親を亡くしてしまっている人はいるから。

 どちらかというと、そんな境遇の中でも友人や知り合いが多く、強い人生を生きてきたんだなぁと思わせられた。会う人会う人が士郎君について悪いことは言わなかった。

 

 

「あの魔術師(へんたい)がどうして蒼崎君を狙っていたのかは分からない。でも目的の蒼崎君を手に入れたからには相手も私達の存在ぐらいは考慮しているはず。

 ‥‥私達だって蒼崎君を助けに行くことに異論なんて無いわ。でも、相手が相手だから対策を十分にしないと危険よ」

 

「コンラート・E・ヴィドヘルツルか。さっきも何か言ってたけど、一体どういう魔術師なんだ? 冬木で会った時はよく分からなかったしなぁ‥‥」

 

 

 でも確かに、こうして友達の心配をしてくれている子が誰かに憎まれるような人間のはずがない。

 士郎君の問いかけに、沸騰した頭を出来るだけ冷ましたいとでもいうかのように、少し温くなった紅茶を啜ったバゼットさんが口を開いた。

 

 

「ヤツは精神干渉に特化した魔術師ですが、封印指定の原因自体は精神干渉とは別の魔術のようです。

 疑似固有結界、『メモリー』。詳細‥‥と言える程の情報ではありませんが、詳しくはこの資料に書いてあります」

 

「‥‥ミドルネームのEって、アインナッシュのEだったのね。先代死徒二十七祖第七位、アインナッシュ。詳しい話は知らないけど、二十七祖の家系の一つだと考えると油断は出来ないわ。

 精神干渉と言うからには基本として視覚系の防御、あとは使う術式の系統を予想して音声による干渉の注意も———」

 

 

 凜ちゃんの言葉を遮るように、大きな音を立てて再びテーブルが叩かれる。

 ただし今度は拳ではなく平手。単純な力で言うならさっきのバゼットさんの方が上だろうけれど、音の大きさでいうならこちらに軍配が挙がるだろう。

 

 

「‥‥ルヴィアゼリッタ?」

 

 

 机を叩いたのはルヴィアさん。無表情とでも言うべき能面のような顔に、怒気というよりは決然とした覚悟のようなものがちらりと見えた。

 

 

「悠長なことを、言っている場合ですか。‥‥ショウがドイツへと向かったのが三日前。ドイツの空港からヴィドヘルツルの領地まで、準備を含めたとしても二日あれば十分に過ぎるでしょう。

 切羽詰まった様子のショウのこと、準備自体はこちらにいる間に終わらせてしまっているに違いありません。ならば既に決着は着いていると考えても、おかしくないと推測出来ます」

 

 

 静かに、淡々と推測できる事実を述べていくルヴィアさんの目は真剣そのもの。

 士郎君やバゼットさんが心配気な様子を明らかにしているのに比べて、落ち着きすぎるぐらいに落ち着いている。

 何かを決めようとしている、ではなくて、何かを決めてしまっているとでも言うべきだろうか。

 既に決めてしまっているなら、揺らぎようがない。そんな様子で屹然と直立していた。

 

 

「万が一、ショウが勝っていたのなら問題はありません。しかしその可能性は低い‥‥。ならばショウがヤツの手に落ちて、既に実験体としての悲遇にあるかもしれません。

 パートナーの悲遇を見捨てるわけには参りません。状況判断が重要なのも十分に理解できますが、今は何より一刻を争う事態。急げば間に合うかもしれない状況で、足踏みは愚策ですわ! 私は一人でも至急、救出に向かわせて頂きます!」

 

 

 言い切ったルヴィアさんに、士郎君と凜ちゃんが目をぱちくりさせた。バゼットさんは瞬きする余裕のない状況のようで、まん丸に見開いた目でじっとルヴィアさんを見つめている。

 

 

「‥‥アンタ、そんな性格だったっけ?」

 

「若干、失礼なニュアンスを感じるのですが、他意でもございますの?」

 

「まさか。‥‥アンタみたいな生粋の魔術師が、いくら蒼崎君のことだとはいえ簡単に戦うことを選ぶっていうのがね。もっと躊躇したっていいとは思うんだけど」

 

「躊躇している間にショウは取り返しのつかないことになってしまいますわ‥‥!」

 

 

 ここに来て感情を抑えられないのか、ギリ、と歯軋りをしたルヴィアさんが敵意の籠もっていない鋭い瞳で凜ちゃんを睨み付けた。

 睨み付ける‥‥というよりは、瞬間的に貫いたとでもいうような視線だ。まさに視線に意思をこめる、といったところだろう。自分の意思を視線でこれ以上ないぐらい的確に伝えている。

 

 

「‥‥ショウは私が得た、初めての友人でもあります。貴女たちも分かるでしょう、あの時計塔で得ることのできる友人がどれほどまでに大切なものか。

 本来なら不要と断ずるところでしょうが、お互いが魔術師であるならば一銭を見極めることが出来る良い関係を築けます。私とショウは、まさしく魔術師として友人関係を結んでおりました。

 魔境である時計塔で、私達は多くの友人を得ることが出来ましたわ。バゼットや薬草学科の魔女《ウィッチ》、ミスタ・エスカルドスやロード・エルメロイもそうでしょう。

 ショウは私達を繋ぐ絆。かけがえのないものを失うわけにはいきませんわ」

 

 

 まるで演説のように、それでも流れるように自分の思いを伝えきったルヴィアさんの言葉に、その場にいた誰もが沈黙する。

 それは形容したかのような演説ではなく、実際には宣言だったのかもしれない。既に確定しているものを公開する、その場という空間と時間に記録する行為。

 一切の気負いないソレは、だからこそ高潔で美しい。ましてや彼女のように“輝く”太陽のような人ならば、静かな語調の中にも人を圧倒する意思が込められている。

 

 

「‥‥私は今晩最後の飛行機でドイツへ飛びます。貴女たちは如何致しますの?」

 

 

 ピタリと静止した空気の中、ルヴィアさんの言葉だけがやけに大きく部屋の中に響いた。

 神妙な表情で、みんながそれぞれの顔を見回す。意思を確認し合うように、頷き合う。

 

 

「‥‥アンタ一人で行ったって、勝率は殆ど変わらないでしょうが。実戦経験もないくせに威勢だけは良いんだから」

 

「余計なお世話ですわ。エーデルフェルトの人間は初陣だろうと優雅に勝利してみせます」

 

「その根拠の無い自信は一体どこから湧いて出てくるのよ‥‥? っとに、いくらなんでもクラスメイトを一人で放り出すのだって気が引けるんだからね、私だって」

 

 

 何処か呆れたように凜ちゃんが溜息をつき、額を掌で覆う。隠せているつもりか、そうでないのかは分からないけど、それでも口元は僅かに笑みの形を作っていた。

 士郎君も眉を引き締め、力強く頷いた。バゼットさんも決意を固めるかのように拳を握りしめている。ルヴィアさんの言葉で火が点いた、というよりは自然と足が進むようになったと言うべきだろうか。

 

 

「‥‥私も行くわ、遠坂さん」

 

「黒桐さん?」

 

「兄弟子のピンチに、妹弟子が黙ってるわけにはいかないでしょ。それに最近ちょっと鈍ってたしね。一暴れしたいとこだったのよ」

 

 

 とても淑女とは思えないセリフを口にした鮮花に咎めるような視線を向けると、『やっちゃったか』とでも言いたげな、悪戯がばれた時のような顔をしている。

 こちらも溜息をつきつつも、やや生き生きした様子の鮮花には苦笑を禁じ得ない。なんだかんだ、妹が楽しげにしているのを見るのは嬉しくないわけじゃないし、なんだかんだ鮮花はこの一年ぐらいで荒事ばかり経験し過ぎだ。

 

 

「それに来年度からすぐに時計塔に入学するんだもの。この辺りで派手に実績作っといた方が、入学した後もやりやすいってもんでしょ?」

 

「‥‥黒桐さん貴女ね、これは執行部隊による執行に先んじての独断専行なのよ? バゼットからも話があったけど、時計塔の決定を無視するんだからマイナスになりこそすれ決してプラスになりはしないわ」

 

「え、そうなの?」

 

「そうよ。下手すりゃペナルティすらあるって想定してるから、私も慎重に動きかったの。まぁルヴィアぐらいの家格ならそれなりの対応策もあるんだろうけど‥‥」

 

 

 さっきから溜息混じりの凜ちゃんの言葉に、鮮花が拍子の抜けた顔で問い返す。

 どうやら個人主義だとばかり思っていた魔術師っていう人種でも、一般社会みたいな上下関係のしがらみはあるらしい。まぁ、大学みたいな場所と本部みたいな場所がくっついたところだとは説明されていたから、分かるっちゃ分かることなんだけど。

 僕も集団社会から外れて暫く経っちゃったから、そういうしがらみとは無縁の生活してるしなぁ。なんていうか、少し不都合に感じてしまうのは身勝手っていうものだろうか。

 

 

「———ふん、そんなことだろうと思ったぞ」

 

「?!」

 

 

 ギィ、と重苦しく扉が開く音がして、リビングに通じているドアから一人の男性と、もう一人の女性が入ってきた。

 男の人の方は真っ赤な長衣に黄色い肩掛けをした黒い長髪で、体つきはがっしりしているけれど、眉間に刻まれた深い皺のおかげで随分と年上に見える。

 女の人の方はこれまた分かりやすい。キリスト教でいうとこおのシスター服‥‥カソックっていうらしいんだけど、それを身につけた青みがかった黒髪で、大きな丸めがねを掛けていた。

 

 

「ロード・エルメロイ‥‥どうしてここにいらしたんですか?」

 

「エーデルフェルトが最初に私の執務室にやって来たのでな。大体の事情は理解した。‥‥直接関わってやるわけにはいかんが、元弟子の尻拭いぐらいは手伝ってやろうと思ってな」

 

 

 ‥‥誰かは分からないけど、どうやら凜ちゃん達の知り合いらしい。もしかしたら先生、とかなのかな?

 やたらと背が高く、骨張った体つきは鍛えているようには見えなくて、欧米人と日本人との違いを確かめさせられる。今も不機嫌そうだけれど、どうやらあれは普段からのポーズのようだ。

 僕が今まで付き合った色んな人の中には、相手へ威圧感を与える目的や、もしくは油断させるためとか、あるいは自分の姿勢を伝えるために色んなポーズを取る人達がいた。

 この人の場合は、他者に対する壁みたいなものを伝える目的があるのだろうか。まぁ、普通にいつも苛々しているっていうのかもしれないけど。

 

 

「今回の件、宝石翁と私が一枚噛むことにした。‥‥とはいっても執行部隊の下準備などの手配といったところだが、その一環として先行隊を派遣することもまぁ、逸脱行為というわけではないだろう」

 

「ロード‥‥」

 

「いいか、勘違いするんじゃないぞ。私が一時でも教えを授けた魔術師が無様を晒すとなると、私への評価にも支障が出る。そのようなことをみすみす看過するわけにはいかん」

 

「‥‥はぁ」

 

「少なくとも建前はそれで出来る。しかし私にしてやれることはそれまでだ。いや、それ以上をするつもりはない。後はお前達で何とかしろ」

 

 

 フン、と鼻を鳴らしてそっぽを向く‥‥ロード・エルメロイ。まるで素直になれない子どもみたいだ。

 そんな彼の様子に、後ろに建っていたカソック姿の女性は呆れたように溜息をついた。両掌を上に向けて肩をすくめる様子は、まるで常のことであるかのように堂に入っている。

 

 

「やれやれ、私はほのぼのとしたホームドラマを観るためにやって来たのではないんですけどね。ロード・エルメロイ」

 

「‥‥ふん、君も皮肉を言えるような人間味の残ったヤツだったのか。埋葬機関の構成員のくせに、面白い代行者だな」

 

「別に代行者全員が人格破綻者というわけではありませんよ。‥‥まぁ、確かに埋葬機関が人外魔境で、まともな人間がいないとい意見には反証がないわけですが。

 しかし本人を前にしてそのようなことを言うのはデリカシーに欠けますね。時計塔のカリスマ教授の名が泣きますよ?」

 

 

 ‥‥年頃は僕と同じぐらいだろうか。もしくは微妙に年下かもしれない。

 髪とか瞳の色とか、細かい顔立ちとかを観ると少なくとも日本人じゃないけど、イギリス人とかアメリカ人とかいうわけでもないだろう。英語が上手いのは‥‥欧米圏の人だからじゃないかな。

 ああ、ちなみにバゼットさんとルヴィアさんは日本語を使っているけれど、ロード・エルメロイ達は流暢な英語を使っていて、彼等との会話も当然ながら英語だ。

 むしろ僕としては明らかに欧米人なバゼットさんやルヴィアさん、セイバーさんがあそこまで日本人顔負けの日本語を操れる方が驚きなんだけれど。

 

 

「‥‥お久しぶりね、シエル。聖堂教会の代行者である貴女が、倫敦なんかに何の用事? 前みたいに死徒退治の手伝いなんて、そうそうあるようなことじゃないでしょう?」

 

「ええ、確かにご無沙汰していましたね、遠坂さん。‥‥今回の私は、前とは逆の立場です。貴女たちの、手伝いに来たんですよ」

 

「‥‥どういうことなんだ、シエルさん?」

 

「ふむ、詳しく話すと長くなるのですが」

 

 

 さも当たり前のことであるかのように追加の紅茶を二つ持ってきてくれた士郎君からティーカップを受け取り、シエルは一口含むと吐息をついた。

 士郎君の紅茶はおいしいからね。元々はそこまで上手じゃなかったらしいんだけど、凜ちゃんに言われて練習したらしい。

  

 

「蒼崎君の件は聞きました。彼が挑んでいるはずの魔術師、コンラート・E・ヴィドへツルはポンペイでの事件によって多数のクリスチャンや、第八秘蹟会の人間を殺害しました。

 ‥‥聖堂教会による指名手配は魔術協会による封印指定と同様に凍結されていましたが、今回、魔術協会が執行に踏み切ったことで聖堂教会からも手を出すことになったんです」

 

「‥‥獲物を取り合う気なのかしら? 貴女と殺し合いなんて、ぞっとしないわね」

 

「だから、最初に手助けをすると言ったでしょう?

 確かに冬木には聖堂教会から派遣された司祭がいましたが、彼に直接の被害があったわけではありません。聖堂教会(こちら)もある程度は魔術協会(そちら)の顔を立てる必要がありますからね。

 今回は前に死徒の始末を請け負って頂いた分の借りもありますから、私一人派遣して何とかポーズを示しておこうという気なのでしょう」

 

「貴女一人って‥‥下手すりゃ軍の一個中隊よりも頼りになるわよ?」

 

「まぁ丁度暇だったので。それに私個人としましても、そろそろ仕事をしないと干されてしまいそうだったんですよ」

 

 

 アハハと脳天気そうに笑うシエルに他意は見えない。始終部外者の位置をとらざるをえなかった僕としては何も口を挟むことはないんだけど、それでもこれだけは分かる。

 多分、僕たちの知らない間に、紫遙君は倫敦でたくさんの友人を作って、たくさんの手助けをしたに違いない。本人はまるでたいしたことがなかったかのように話していたけれど、きっと色んなことがあったんだろう。

 

 

「‥‥それに、少々込み入った事情もありますので」

 

「事情?」

 

「ああ、いえ、こちらの話です。どうぞお気になさらず。‥‥そういえば衛宮君と遠坂さん以外は面識がありませんでしたね。

 はじめまして、私はシエルと言います。聖堂教会の代行者‥‥まぁ、砕けた言い方をすれば異端審問官‥‥だと少々物騒ですから、悪魔払い(エクソシスト)のようなものだと思って下さい」

 

 

 怪訝な顔で訪ねる士郎君の問いを笑って誤魔化し、周りを見回したシエルは自己紹介をした。

 今度はまたもや流暢な日本語。びっくりするくらい上手だけど、なんでも普段は日本の、三咲町で過ごしているらしい。

 三咲町と言えば、観布子の隣町だ。お互いに住んでいる場所を話して、機会があれば是非また会いましょうと社交辞令にも近い挨拶をする。

 

 

「皆様、よろしくて? 意見がまとまったのならすぐにでも出発いたしますわよ?」

 

「‥‥そういうことでしたら、私は執行部隊をまとめて後から出発しましょう。本来なら私自身が先行したいぐらいなのですが‥‥仕方在りませんね」

 

「そうだな、マクレミッツはその方がいいだろう。・・いいか、私が用意してやれるのは建前だけだ。執行部隊が突入すれば、最悪アオザキも一緒に始末される可能性が高い。‥‥その前に決着を付けるのだな」

 

 

 ロード・エルメロイが不機嫌そうに言い、凜ちゃんとルヴィアさんが頷いた。

 ‥‥なんだかんだで凜ちゃんも、紫遙君を助けに行く支度はしていたらしい。リビングの脇に置いてある小さな棚から巾着のような袋を取り出して身につける。

 士郎君もすぐに二階へと向かい、真っ黒く丈の長いコートを羽織ってきた。コートの下から真っ赤な意匠が覗いているけど、あれが多分、昔所長が言っていた魔術礼装とかいうものだろう。

 

 

「‥‥おい幹也、お前はここに残ってろ。一般人のお前なら留守を預かってても平気だろ?」

 

「ちょ、こら何勝手に私の家に人泊めようとしてるのよ!」

 

「いいだろ、遠坂とやら? 一人ぐらいは倫敦の様子が分かる人間と連絡をとれた方がいいはずだ。代わりにオレもそっちに着く。鮮花じゃないけど、オレも最近暴れ足りなかったしな」

 

 

 ジャンパーのポケットに突っ込んでいた手を出し、クルクルとナイフを弄ぶ。

 最近は所長からの以来もめっきりだし、式としては暴れ足りないという気持ちも分かる。‥‥まぁ、いくら弟子である紫遙君が関係しているとはいえ、ところかまわず首を突っ込むのはやめた方がいいと思うよ。

 式も基本的には不干渉というか、興味のないことには関わらない人間だから、まぁ紫遙君が相手だからということもあるんだろうね。

 

 

「———私も行きます!」

 

「桜?!」

 

「紫遙さんには、大恩がありますから。前の私じゃありません、私だってもう戦えます。間桐家の当主が、恩を受けたまま見捨てるなんて出来ませんから」

 

「桜‥‥」

 

 

 伽藍の堂にも、週に一回は必ず顔を出していた桜ちゃんの決意に満ちた宣言。

 細かい事情が分からないから理由はさっぱりだけれど、今度こそ凜ちゃんはビックリしたらしい。今までのどの人の時よりも目を大きく真ん丸にして、桜ちゃんの方を見つめている。

 

 

「では私も」

 

「‥‥藤乃、貴女は特についてくる理由がないんじゃないの?」

 

「じゃあ鮮花、私が先輩と二人で倫敦に残っていてもいいのかしら?」

 

「それは、嫌」

 

  

 ‥‥昔より、随分と健康そうな顔色と笑顔を取り戻した藤乃ちゃんが言う。

 無痛症を強制的に引き起こされていた彼女は、本当に気が遠くなるようなリハビリや授業、勉強を通じて漸くまともに超能力者としてその力を振るうことができるようになった。

 本来なら、失明してしまうほどの不可をその身に受けた彼女がまともに生活できるようになるのは、かなり絶望的だったと言っても間違いではない。

 

 

「ほら、何も問題ないわ。紫遙さんには私もお世話になっているから、少しでも力があるなら助けに行くべきだと思うの。それに、私の魔眼があれば探すのも楽でしょう?」

 

「確かにそうだけど‥‥。まぁ、いいわ、藤乃がそういうなら自信があるってことだし、止められないしね」

 

 

 僕だって実際に式との戦いとか、彼女の受けた悲遇を見たわけでも体感したわけでもない。だからこういうことを言うのはおかしなことかもしれないけれど、それでもそういう体験をしたのなら、こういった所謂“裏”の世界からは外れたいと思っても良いはずだ。

 まぁ実際僕だって、目が見えなくなったりあっちこっちの骨が折れたりと散々な思いをしているわけだしね。特別な力を持ったりしてない僕だって、こうやって近くにいるだけでも色んな影響がある。

 だからこそ、藤乃ちゃんみたいに“超能力”と言われる特別な力を持った子は、何かに惹かれるように厄介事がやってくることだろう。

 昔、紫遙君が言っていた受け売りなんだけどね。確か、『異質な物は、惹かれ合う』だったかな?

 

 

「こういう風に、みんなと伽藍の堂に居られるのも紫遙さんのおかげだから。少しでも力になりたいって思うのは、間違いなんかじゃないはずよ」

 

 

 そんな彼女も今では精神を平常に保ちながら、『歪曲』と『千里眼』の魔眼に似た超能力を操る退魔士として暮らしている。

 もっとも退魔士としての仕事は殆どしていないらしいけどね。所長経由で、下請けのようにごくたまに活動しているらしい。基本的には普通の女子高生‥‥というわけでもないようだけど、とにかく一般人の生活をしているそうだ。

 やっぱり出来る限り荒事は避けたい。そんな彼女から戦うことを言い出したのは、確かに少し異常の驚きではあった。

 

 

「‥‥士郎さん、セイバーさん、藤乃のことをよく見てやって下さいね。私と違って完全な後衛型ですから」

 

「おう、任せろ。俺も殆ど前衛しか出来ないみたいなもんだしな。浅上のことはしっかり守る」

 

「そうですよ、アザカ。騎士の誇りに賭けて、例え百の敵がいようが、私の背後には一兵たりとも通しはしません」

 

 

 安心しろと言いたげに、士郎君とセイバーさんが力強い握り拳をこちらへ見せる。

 藤乃ちゃんも鮮花も、その二人の態度に嬉しそうに笑みを漏らした。基本的に少数精鋭な伽藍の洞以外で、こういう風に純粋な好意を向けてもらえるのは、確かに嬉しい。

 

 

「‥‥みなさん、ありがとうございます。ショウに代わって、礼を申し上げますわ」

 

「やめて下さいよルヴィアさん。そんなの、本当に紫遙地震に言わせれば良いことですから。それに全てはあの兄弟子(シスコン)の首根っこ引っ掴んで連れ戻してからです」

 

「確かに、ミス・コクトーの仰る通りですわね。‥‥では皆様、私は先に失礼いたします。人数分の旅券を手配して参りますわ」

 

「では私とマクレミッツも一緒に失礼させていただこう。いいか全員よく聞け。執行部隊の派遣は三日遅らせるのが限界だ。それ以上は越権行為に当たるし、私が一人の学生にそこまで入れ込んでいることを知られるわけにもいかん。

 それまでに必ず仕留めるか、逃げ帰ってくるかするんだ。いいか、必ずだぞ」

 

 

 ルヴィアさん、ロード・エルメロイ、バゼットさんが撤収するためにコートを羽織る。

 どうやら彼等と僕以外の全ての人達がドイツへと向かうらしい。いや、当然ルヴィアさんも行くんだろうけど、そしたら総勢で八人もの大所帯だ。

 これだけいたら、流石に何とかなるんじゃないか。素人考えでそう思ってしまうけれど、残りの誰もが笑顔の中にも厳しい色を絶やさない。

 封印指定‥‥橙子さんクラスの化け物。それが相手なら、確かに一瞬たりとも油断はならないだろう。

 別に所長を悪く言ってるわけじゃないんだけどね。詳しいことは全然分からない僕の中でも、やっぱり橙子さんが化け物じみた人なんだという考えは変わらないから。

 

 

「‥‥皆さん、私の失態が招いた事態です。本当に申し訳ない。紫遙君を、よろしくお願いします」

 

「なんで貴女が謝るのよ、バゼット? まぁそっちは執行部隊の仕事もあることだし、こっちは私達に任せてよね」

 

 

 荷物をまとめ、みんなが外に出る。

 そもそも僕らは旅行者だから大きな鞄だけを一時的にここに置いて、元々まとめてある小さな手荷物だけで向かうことになるだろう。

 向こうでの替えの服とかは望むべきじゃない。ルヴィアさんはそのぐらいの姿勢で今回の一件に臨むらしい。

 

 

「じゃあ幹也さん‥‥これを預けておきますね」

 

「これって‥‥合い鍵? いや、凜ちゃんこれはマズイよ。いくら何でも僕は部外者だし、魔術師の工房に僕みたいな赤の他人を入れたらマズイんじゃないかい?」

 

「大丈夫です。私達の部屋にはそれぞれ鍵がありますし、工房とか魔術関連のものが収めてあるエリアにも別に鍵がかかってます。

 もちろん物理的な鍵だけじゃなくて魔術的な仕掛けもたくさんありますから、おかしなところには触らないで下さいね。すぐに死ぬようなものはありませんけど、注意して下さい」

 

「‥‥う、うん、十分注意するよ‥‥」

 

 

 にっこりと綺麗に笑う凜ちゃんには物騒な影があった。

 正直、魔術師っていうのがどういうものかなんて漠然としか知らないけど、それでも魔術師の脅しに逆らうような度胸は幸いにして持ち合わせていない。

 所長だって僕の前では触りぐらいしか魔術の、神秘の話はしないけど、それでも十分過ぎるぐらいの恐怖が僕には刻みつけられていた。

 

 

「何かあったら私の‥‥いや、士郎の携帯まで連絡をお願いします。番号は電話の下に挟んでおきますので。

 留守中の来客への対応はお任せしますね。魔術関連の来客でしたら、すぐに奥の来客用の寝室に引きこもって下さい。部屋毎に防御用の結界が張ってありますから、ある程度までの相手だったらそれでも十分に対処できるはずです。

 ‥‥まぁ、今の倫敦でウチに襲撃かけてくるような無能はいないと思うけど」

 

 

 渡された合い鍵はやけに古びていたけれど、どうやら只の骨董品というわけでもないらしい。

 こういう一国の首都ともなると例え中に人が在宅していても、空き巣の類は仕事をする。夜中どころか昼間だって安心はできない。

 だからこそこんな時代遅れの鍵では十分な防犯は期待できないし、流石にそれを分かっていないってことはないだろう。

 じゃあきっとこれもウチの事務所みたいに、何らかの仕掛けがしてあるに違いないのだ。大体うちの事務所だってそもそもからして鍵なんてかかってないしね。

 

 

「それじゃあ行ってきます。くれぐれも、お気を付けて」

 

「それはこっちのセリフだよ。鮮花、藤乃ちゃん、君達も怪我なんてないようにね」

 

「私達はこれから戦いに行くんですよ? 無茶苦茶言ってくれますね、兄さん」

 

 

 呆れたように鮮花は苦笑するけど、それでも僕はそう願わずにはいられない。

 だってそうだろう? 戦いに行くのは僕の大事な妹に後輩、そして‥‥婚約者なんだ。いくら三人が三人とも僕よりはるかに強いのは分かっていても、僕の大切な人達が怪我するかもしれないなんて考えたらいてもたってもいられないよ。

 

 

「式‥‥みんなをよろしく」

 

「‥‥あぁ」

 

 

 差し出した手を、言葉少なに式が握る。

 相変わらず、出会った時から小さくて細い掌だ。それでもこの小さな掌が刃を振るい、たくさんの敵を屠ってきたことを僕は知っている。

 それは良いことでも、悪いことでもない。‥‥けれどそこには確かに力というものが存在している。だからこそ、心配と一緒に信頼も込めた。

 

 

「じゃあ、行ってきます」

 

「後をよろしくお願いします、幹也さん」

 

 

 がたん、と音が鳴って分厚い扉が閉まった。途端に家の中はシンと静まり帰り、まるで世界の中に僕一人だけ取り残されたような気がする。

 

 ああ、でもそれも一抹の真実を孕んでいるのかもしれない。

 家っていうのは、それだけで孤立した一つの世界なのだと所長‥‥橙子さんに言われたことがある。例えばうちの事務所なら、それは蒼崎橙子という魔術師が支配し、僕ら所員が構成する一つの世界なのだと。

 空間論とでも言うべきなのだろうか。そういう難しい話は、あんまり得意じゃないんだけれどね。

 

 

「‥‥さて、どうしようかな。取り残された僕としては、この世界を一人っきりで構成し続ける義務があるってわけなんだけど」

 

 

 随分と古いタイプのテレビを点けても、流れるのはわけのわからない英語のニュースやらバラエティ番組やら。

 そりゃ僕だって海外旅行なんてものに来るからには、というよりも一端の社会人として在る程度までなら英語は扱えるさ。

 けれど言葉っていうのは、人間のコミュニケーションにおいては三割未満の役割しか担っていない。逆に言うと、コミュニケーションを上手く行うには言語はさほど重要じゃない。

 僕は確かに英語圏の人達と英語を使ってある程度のレベルのコミュニケーションを行うことが出来るけれど、それは言葉以外の要素に大きく助けられたものだ。

 そしてテレビとか、そういうメディアとかになると、コレはもはやコミュニケーションではなくて情報の発信と受信になる。

 情報をただ受信するだけだと、やっぱり言葉ってのは大事なもので。だからこそテレビを見たって何がなにやらよくわからなかった。

 

 

「‥‥まぁ幸いにしてお金はあるし。食べるに困るってことはないかな。本当に、暇だよ、ウン」

 

 

 薄暗い部屋の中は、やっぱり伽藍の堂と少し似ている。

 別に僕が陰鬱な性格をしているとかいうわけじゃないと思うんだけど、それでも性分として明るいところよりは少しくらい薄暗いこういうところの方が落ち着ける気がした。

 今更くらいからといって近眼を気にするような視力でもないしね。それを言うなら片目だけっていうのが、そもそもからして視力に甚大な影響を与えているような気がするし。

 あぁ、別に式がどうこうっていうわけじゃないからね? これはそこまで長くもない今までの人生の中で色んな人に会って思ったことなんだけれど、心の中のことにしても身体の表面のことにしても、想い出や傷跡、影響っていうのは、今まで辿ってきた人生の道筋だ。

 

 ———何をするというわけでもなく、士郎君が置き土産のように残してくれたポットから紅茶をカップに移してぼんやりとしていた。

 既に夕ご飯も食べてしまっているし、今夜は本当にやることがない。今回の一件、特に紫遙君に関することを知らせるべき人は全て倫敦へと来てしまっているし、外に出るにしても見慣れぬ街を日が沈んだ後に歩くなんて愚行はしたくない。

 

 

「‥‥余計なこと考えちゃうな、こんな夜には。もう寝ちゃったほうがいいかも———っと、チャイム? こんな時間に、誰だろう‥‥?」

 

 

 自分にあてがわれた客室の様子を先ずは見てしまおうと腰を上げかけた時。

 僕らがこの屋敷に入る時にも聞いた、チャイムというよりはベルの音がリビングまで聞こえてきた。

 外を見ればすっかり真っ暗。異能者揃いの式達ならともかく、只の人間が歩くには少々危なっかしい時間だろう。

 首を傾げながらも、もし凜ちゃん達に用があった一般の人ならどうやって言い訳をしようかと考えながら、僕は扉を開けた。

 

 

「‥‥は?」

 

「開口一番、なんだその間抜け声は。幽霊にでも会ったのか、ん?」

 

 

 そこに立っていたのは僕も見慣れた、というよりは日本にいる間には毎日のように会っていた直属の上司。

 日本では滅多に着ないオレンジ色の外套を羽織り、少しくすんだ赤い髪の毛をポニーテール———そんな可愛らしい表現が似合う人じゃないけど———にした若い女性。

 さっきまで話題に挙がっていた一人の友人の上の義姉、蒼崎橙子の姿があった。

 

 

「‥‥所長、どうしたんですかこんなところまで。ていうかよくこの場所に僕がいると分かりましたね?」

 

「いや、流石に黒桐、お前がここにいることまでは知らなかったさ。‥‥遠坂の当主がいれば話でもしておこうかと思ったのだが、既に旅立った後だったか。

 まぁいい。むしろ私達にとっては好都合だと言える。余計な問答は嫌いじゃあないが、それにしたって噛み付いてくる若い連中をあしらうのは中々に疲れる。こういうときばかりは紫遙みたいな従順さというか、素直さを求めてしまうな」

 

「私達?」

 

 

 もはや意見する気もないぐらい、さもそれが当然であるかのように勝手に足を踏み入れてくる所長の後ろには、これまた頻繁ではないにせよ十分に顔見知りと言える長髪の女性の姿があった。

 月に一度、あるいはそれ以上の頻度で伽藍の堂に出入りする、これまた先程まで話題に挙がっていた紫遙君のもう一人の技師。

 歴史上五人しかいない、お伽噺ではない正真正銘の“魔法使い”。彼女の名前は、蒼崎青子。

 

 

「青子さんまで‥‥。まったく、絶対に聞いてくれないとはおもいますけど、ここは他人様の家なんですからね? ちょっとは悪びれてもらうと助かるんですけど、まぁ、仕方ないですか」

 

「こらこら幹也クン、そういう言い方はないんじゃないかしらー? 私だってそれぐらいはしっかりと分かってるわよ。気にしないだけで」

 

「そう言ってるんですよ、二人とも‥‥」

 

 

 ここは凜ちゃんの家だけど、僕じゃこの二人を止めるには役者不足過ぎる。

 本当なら留守を預かった身として勝手をするのはダメだと思う。でも、流石に無理だよと諦めながら二人を家の中に招き入れた。

 

 

「ほう、首都に構えるにしては十分過ぎる程に立派な邸宅じゃないか。時計塔も随分と見栄を張ったな。

 そこまでして媚を売る必要がある相手でもないと思うが‥‥。いや、媚を売る必要のある相手は遠坂の当主ではない、か? 宝石翁への繋ぎでも狙っているなら、その目論みは半分以上成功していると言えるのだが」

 

「紫遙もこれぐらいの家があれば、遊びに行っても居心地が良くていいんだけどねー。何考えてるか知らないけど、あの埃っぽい工房から動く気無いみたいだし」

 

 

 溜息混じりに、これまた当然のこととして近くにあったカップに紅茶を注いで口に運ぶ二人。

 あたかもこの場所が伽藍の堂であるかのように不貞不貞しく、自然だ。色々と気を揉んでしまうことすら馬鹿馬鹿しく見えてしまう

 

 

「それにしても、紫遙がいないことに気づくのが少々予想より遅かったな。伝承保菌者(ゴッズホルダー)までいながら無様なことだ」

 

「仕方ないでしょ。どっちかっていうと姉貴があそこまで工房を厳重に閉めちゃうのが悪いと思うわ。あれじゃ本当に私クラスの破壊力か、姉貴クラスの小賢しさが無きゃ突破できないもの」

 

「それは褒めてるのか? 貶してるのか? さりげなく自分を持ち上げてなかったか?」

 

「気のせいじゃないかしら」

 

 

 さも、こともなげに呟かれた言葉。

 世間話の延長では決して有り得ない、場にそぐわず、実のところ今の状況には一番適切な話題。

 いい加減この人達には驚かされてばかりと言えばそうなんだけど、そういう時には必ずといって良いほど経験する妙な空白が、僕を中心とした空気を支配した。 

 

 

「‥‥所長、もしかして皆が紫遙君を助けに行くこと、分かってらっしゃったんですか?」

 

「ああ、まぁそのぐらいは十分に予測出来る範囲だろう? もっともどのぐらいの人数が紫遙を助けに行くかは分からなかったが、それでもエーデルフェルトの小娘ぐらいは間違いなく行くと踏んでいたさ」

 

「あの子、今時珍しいぐらいに一本筋の通った子だからね。生まれながらの貴族、かつ貴族らしく育った貴族って感じだし。

 紫遙と一緒にお茶会したことがあるんだけど、ありゃ間違いなく大成するわね。ロード・エルメロイといい、紫遙も倫敦で色んな伝手持ったもんだわ、ホント」

 

 

 こともなげに言い放つ二人の言葉を、僕は自分でも不思議なくらいの注意深さで耳にしていた。

 まるで諦めてしまって適当に弄り回していたパズルの解き方が、偶然にも見つかった時みたいな明瞭感。頭の中で、今までの全ての会話が瞬間的にリピートされる。

 

 

「‥‥紫遙君が勝てないって、思ってたんですね」

 

「さっき来たばかりなのに、よく事情を知っているな、黒桐。

 ふん、確かに紫遙ではコンラート・E・ヴィドヘルツルに敵わないことぐらい分かっていたさ。あいつはそういう魔術師じゃないからな。

 自分では勝てないからと勝てるものを用意するわけではなく、かといって戦うことを諦めることも出来ない中途半端な魔術師さ。

 誰よりも魔術師らしく在ろうとして、その過程で魔術師らしさというよりは、人らしさというものを身につけてしまった。‥‥生粋の魔術師ではないが故の弊害だな」

 

 

 淡々と、まるで教科書を読み上げるかのように所長は呟く。

 

 

「目指すところとは全く間違っていない。誰よりも魔術師らしい、終着点はしっかりと捉えている。しかし人間というのはな、黒桐。そう簡単に思っている通りに進むことが出来るわけじゃない」

 

 

 流石に煙草を控えるぐらいの分別は持ち合わせているらしく、いつもなら細めの煙草を挟んでいるだろう右手を動かして所長は続けた。

 

 

「完成するっていうのはさ、そこで止まってしまうということなんだよ。私や青子は止まってしまった存在でね。

 だからこそ重要なのは、“完成へと向かっている過程そのものが完成している”ことではないかと思うんだよ。“完成してしまってはいけない”のさ。分かるか、黒桐?

 これは紫遙《アイツ》だって全く気づいてないとは思うが、それでこそ自然に形作られるというものだろう」

 

 

 ‥‥悪寒も怖気も寒気もなく、ただ空気が停止する。

 世界中の全ての人達は、この人達の掌の上なんじゃないだろうか。そんな感覚に囚われる。

 何もかもを見通しているのではないかという、畏れがそこにはあった。もはや慣れたと、言うことも出来ない。

 

 

「所長、この書類‥‥」

 

「ん? ‥‥あぁ、そういうえば忘れていたな、こんなものもあったか。悪いね黒桐、わざわざ届けてくれて。至急サインして先ずはFAXで送ることにしよう」

 

 

 鞄から取り出した書類を所長に渡す。

 そう分厚いものじゃない。A4で二枚。その内、サインをする場所はたったの三つ。

 さして時間などいらないだろう。ただの一瞬で事足りる。所長はスラックスのポケットに差していたボールペンを取り出して、サラリと走らせるとサインを終えた。

 

 

「‥‥まさか、それを忘れて行ったのも、わざとですか?」

 

 

 机の上に、これ以上なく分かりやすく忘れ去られていた書類。

 いくら色んなところがルーズな橙子さんとはいえ、仕事で重要なところはそこまで飛ばすことはない。こんな重要、かつ簡単な過程を適当に忘れるなんて考えられないのだ。

 例えソレが、紫遙君の一件を考慮していたとしても。

 

 

「まさか」

 

 

 静かに閉じられた目とティーカップで隠された口元からは、何の表情も読み取れない。

 けれども僕は、そこまで長くはないにしても十分過ぎる所長との付き合いの経験から確信していた。

 きっと今あのティーカップを強引に退けてみれば、三日月のような綺麗な笑みが見えるに違いない。

 

 それはおそらく誰よりも自信気で、何よりも綺麗で。

 

 そして誰よりも、何よりも。

 

 酷薄に見えるに違いない。

 

 

 

 76th act Fin.

 

 


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