side Luviagelita Edelfelt
「———まったく、キリがございませんわねっ!」
「文句ばっかり言うんじゃないわよルヴィアゼリッタ! 口よりも手と足を動かさないと死ぬわよ!」
「
「うっさいわね! どうせ金持ちには私たち庶民のことなんて分かんないでしょうけど、こんな雑魚に一々宝石なんか使ってたら、あっという間に破産しちゃうでしょうが!」
「信じられませんわね。貴女それでも魔術師ですの?」
「黙んなさい金ぴか(女)! 私だって、私だって好きでこんな星の下に生まれたわけじゃないんだからっ!」
鬱蒼と、闇を孕んでいるかのように太陽の光を阻んで生い茂る木々の中をひた走る。
九人で組んだ円陣は既に楕円、というよりはむしろ両端に刃を持つ鏃のように鋭く尖り、前方で海のように広がる大量の兵士の群れに突破口を開かんと突っ込んでいく。
ヴィドヘルツルの領地である小さな村を抜けた先の森で、私たちは多数の兵士による襲撃を受けました。
どの兵士も、サーヴァントや一部の
いくら霊体密度の低い相手とはいえ、油断をすれば当然のように殺されてしまいますわね。なにせ、彼らは相対した感じから察するに、れっきとした兵士なのですから。
「それにしてもっ、こいつら一体なんなんだ?! 倒しても倒しても湧いて出てくるぞ!」
「恐らくはヴィドヘルツルの魔術の一つ、本拠地を防衛するための術式じゃないかしらねっ! やっぱり仕掛けの一つや二つぐらいあるに違いないって思ってたけど、ホント陰険なやつだわ! 数の猛威ってのを理解してるわよ、あの変態!」
ショウが差し上げた双剣、干将莫耶を投影魔術で複製したものを振るいながら叫んだシェロに、こちらも空恐ろしくなるほどの火力で群がる兵士を焼き尽くしていくミス・コクトーが答えます。
「所詮一人一人は何の特殊技能も持たない一般兵士とはいえ、ここまで多いと堪えるわね……」
「‥‥ふん、愚痴ってる暇があったら足を進めろ。オレは征くぞ」
数多の敵の攻撃を捌きながらの牛歩の如き進軍に焦れたミス・リョウギが、大きく一歩踏み出した。
突撃、突貫、突進、そんな言葉とは無縁な静かな動き。それでいながら滝の流れのように荒々しく、圧倒的な速さと重さを以て目の前の兵士を薙ぎ払う。
後はもう以下同じことの繰り返しでしたわ。ひたすらに、とてもナイフでは傷も作れないはずの鎧に向かって刃を振るい、消し去っていくだけ。
くるくると舞うように、一歩一歩自然体のまま着実に前へと踏み込んでいきます。
「おかしい、あのナイフは概念武装なんてものじゃなさそうなのに‥‥。なんで鎖帷子を貫いて殺すことができるんだ?」
「それは後で問い詰めることが出来る質問でしょ? 今は目の前の敵に集中しなさい、士郎!
セイバー! ここは一気呵成に突破するわよ! 私たちのことは気にしないで、血路を開きなさい!」
「了解しました、凛!」
私達の護衛に重きを置いていたセイバーに、もはやこのままの状況は許されぬとミス・トオサカが突破の指示を出しました。
後衛である私やミス・アサガミの援護に終始していたセイバーは、彼女のその指令を聞くや否や、魔力の風を迸らせてまっすぐに敵の群れへと突っ込んでいきます。
本来なら、セイバーの能力をかんがみるに護衛という任務はあまり向いていないはずなのですわ。
彼女が得意とするのは圧倒的な魔力量に裏付けされた魔力放出による突破力。本来のスペックでは抗しえない体格差も、魔力放出というスキルと絶大な魔力量さえあれば覆すことも容易ですもの。
「はぁぁあああっ!!」
振るう剣は彼女が持つという宝具、『
サーヴァントに似たような存在とはいえ、存在密度の薄い雑兵風情で敵うはずもありませんわ。触れる端から面白い様に吹き飛んでいきました。
「今ですわ皆さん! ミス・リョウギとセイバーに続きなさい!」
楔のように撃ち込まれた隙間。そこにシェロと、剣をまったく恐れる様子もなく焔を纏った素手のままで接近戦を挑んでいたミス・コクトーを先頭にして突っ込んでいきます。
セイバーはすでにミス・リョウギを追い抜いていますけれど、彼女もそれを横目にムッとした表情をするとセイバーの作った隙間から差し込むようにして敵を削り、着実に前へと進んでいきました。
「しぶとくないだけ死者よりは楽ですが、この数は中々に堪えますねっ!」
「シエルさん、後ろは頼みますよ! 藤乃、右前方は私に任せて、側面のヤツをお願いっ!」
斬り込むように、斬り裂くように。だんだんと加速度がついた私達は、後になってみれば驚いてしまうだろう速さで進軍していました。
先頭でひたすらに突破口になっているセイバーと式の速度は言わずもがなく、殿のシエルもやっぱり凄まじいですわね。
私たちを後ろから追撃しようとする兵士たちに、閃光のような速度で何条もの黒鍵を放ち、木と言わず地面と言わず他の兵士と言わず縫い付けております。
「人使いが荒いのね、鮮花は。‥‥
前の敵を相手にしている黒桐さんの、側面から襲いかかってきた敵。
近寄る端からぶん殴り、蹴り飛ばす黒桐さんといえど決して広くはない場所で二方向からの攻撃を裁くのは難しい。まさしくピンチかと思いましたが、そこは後ろに浅上さんが控えておりました。
さっきまでは黒かった瞳が赤く染まり、見開いたそれの視線の先にいた兵士が、まるで出来の悪かった粘土遊びの失敗作が潰されるかのように呆気なく、歪み、撓み、捻じれ、凶る。
なんということでしょうか、そこには魔力の動きも何もなかったというのに、悪い悪夢のように簡単に、彼女は異能を行使したのです。
あれこそがアラヤによって人間に授けられた異能、すなわち超能力。基本的にガイアの理で動く
「‥‥初めて超能力というものを目の当たりにしますが、恐ろしいモノですわね」
「つぶやいているヒマがあったら走りなさいルヴィアゼリッタ! ほら見て、もうすぐ城の入口よ!」
ミス・トオサカの言葉に呆けていた視線を前方へと戻せば、そこにはもう走って十数秒という距離に広がっている古城の外壁。
既に風化し、蔦に覆われ、在りし日の堅牢さは殆ど残っていないだろうソレは訪れた人々曰く『幽霊城』。そう言われるに足る外観は、おそらく単純な視覚効果によるものだけではないでしょうね。
「———見て、みんな。さっきまであんなに湧いて出て来た兵士たちが‥‥!」
「消え、た‥‥?!」
「‥‥城の兵士との挟撃も可能なこの状況で兵を退いたということは、用は済んだ、ということでしょうね。
凛、シロウ、気を引き締めなさい。どうやらここからが正念場、本番のようですよ」
先ほどまで互いに交わしていた怒声や剣戟の音が消え去った周囲には、不気味な沈黙だけが広がっております。
それは空白のような静寂というよりは、ひたすらに張りつめられたが故の静寂とでも言うべきでしょう。事実、私達の内の誰一人たりとも緊張を解いてはおりませんでした。
「皆さん、あれをっ!」
「城門が、開く———ッ?!」
ミス・マトウの声に振り向く必要も、ありませんでしたわ。
耳の奥を、頭蓋の内側を、脳髄の芯を、胸の中心を、心の臓を。
劈くように甲高く、貫くように鋭く、轟くように重厚な、そんな音と共に背後に構えていた城門が開く。
ゆっくりと、泰然と、私達を迎え入れようとでもするかのように。
憎たらしいぐらいの余裕を見せつけながら、扉は完全に開き切りました。
「‥‥随分と舐めてくれるじゃない、コンラート・E・ヴィドヘルツル。私達なんかに全力を尽くして戦う必要もないってことかしら?」
「今回ばかりは同感ですわね、ミス・トオサカ。これは少々、頭に来ましたわ」
ミシリ、と自分の口蓋の奥で音が鳴るのが分かる。
何もかも、理解できているつもりですわ。自分の実力、同行している仲間の実力、敵の実力。今回の目的を達成する上で彼我の関係を考慮した勝率についても。
その上で、私は矜恃を持って宣言させていただきます。
よくぞ、この私を、エーデルフェルト家当主、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトを舐めてくれたものですわね、と。
「まぁ間違いなく罠でしょうけど‥‥。遠坂先輩、ルヴィアさん、どうします?」
「是非も無いわ、桜。そうでしょ、ルヴィアゼリッタ?」
「えぇ勿論、私達のやることは決まっておりますわ、ミス・マトウ」
ちらりと後ろに立つ仲間達へと視線を寄越し、こちらも悠然と歩き出す。
脅しも、罠も、火を見るより明らかな実力差も恐ろしくはありませんもの。私は私がやると決めたことを、必ず成し遂げる。そう最初に決めたのなら、退くことは私の矜恃が許しませんわ。
「‥‥これ見よがしに私の隣を歩くのを止めては頂けませんの、ミス・トオサカ?」
「なんかアンタが前を歩いてるとムカつくのよね。いいじゃない、別に陣形を乱してるわけじゃないんだから」
「そういうことを言いたいわけではないのですが‥‥いえ、なんでもありませんわ。とにかく皆さん、注意なさって。何処か様子がおかしいですわよ」
一歩踏み込んだ城内は、シンと静まりかえった不気味な雰囲気を湛えておりました。
当然ながら、さっきまでは雲霞の如く犇めいていた守備兵達の姿はなく、ほぼ雨風を凌ぐ以上の意味を持たない廃墟と化した室内は、灯りの一つもありません。
「‥‥ここが、コンラート・E・ヴィドヘルツルの居城、ですか」
「人っ子一人居やしないじゃない。さっきまでのアレは何だったのよ‥‥?」
さっきまで何故か戦闘に参加していなかったミス・マトウと、油断なくファイティングポーズをとったミス・コクトーの言葉に、全員で外側を向いた円陣を組んで周囲を警戒する。
ここまで、あからさまな静寂。間違いなく罠、しかも悪質なものがあるとしか思えませんわね。
開いた城門は既に閉じ、ここは相手の懐の中。否、
何が起きたとしても欠片もおかしくはないのです。注意しても、し過ぎるということはありませんわ。
「———ふむ、警戒する必要はないぞ」
「ッ?!」
ぞわり、と背筋に走る悪寒と共に、ちょうど玄関ホールの正面にある大階段を上った先、ボロボロの絵画が据えてある踊り場から、声がしました。
「コンラート・E・ヴィドヘルツル‥‥ッ!」
「いかにも。私がこの城の主にして、領主。コンラート・E・ヴィドヘルツルである。
ふむ、そういう君はフユキで見たな。確かトオサカ家の当主、だったか、ふむ?
聖堂教会の司祭などに管理地を任せて時計塔で勉学に励んでいるはずの君が、何故こんな片田舎で観光に現を抜かしているのかね? 第二に尤も近いと言われる学院一の秀才の、君が」
「‥‥言ってくれるじゃない、調子に乗るのもいい加減にしなさいよね。別にアンタにとやかく言われるようなことじゃないわよ、この変態が」
一瞬前までは確かに誰もいなかったはずの踊り場。そこには暗い屋内でなお、不自然に白く輝く一人の魔術師が立っていました。
全身、白尽くめ。目深に被った帽子も、スーツも、ネクタイも、シャツも、スラックスも、靴下も、靴も、靴紐までも。おそらくは、下着も。
肌も白く、蝋のような不気味な色をしております。唯一色が異なるのは、くすんだ金髪と淀んだ真っ赤な瞳だけ。
口に張り付いた歪んだ笑い、引きつった笑いが不快感を与えますわね。相対するだけで、なんという怖気。
それは実力の差による恐怖、というだけではないように思います。
端正な顔の奥に潜ませた明らかな狂気。それに、正気である私達は圧倒されてしまうのではないでしょうか。
事実、脳髄の奥を圧迫されるような謎の威圧感を感じておりますから。
「ふむ、エーデルフェルトの次期当主に、埋葬機関の第七位、そして
他には成る程、超能力者が二人に黒い聖杯、『 』の体現者が一人、かね。ふむ、ふむ、ふむ、これは素晴らしい、まったくもって素晴らしいメンバーだな!」
「‥‥何のことを、言っているの? というか、何故それを知っているの、アンタは‥‥ッ!」
瞬間、その場に緊張が走りました。
隣に立つミス・トオサカはおろか、誰もが身体と顔を強ばらせてヴィドヘルツルを凝視しております。
「ふむ、しかし諸君、私の城に一体何の用かな? 悪いが私がこの居城に入って以来、残念ながら客人を迎えたことはないのだよ。
突然の来客とはいえ来客は来客。何か持て成しをしなければとは思うが‥‥何をしたらよいものか‥‥」
「ッ、何を言ってんのかしら、この変態は! そんなの貴方が持ってった
「‥‥?」
ヴィドヘルツルに問い返したミス・コクトーの怒声に、真っ白い魔術師はまるで何を言いたいのか分からないとでも言いたげに、きょとんと首を傾げて瞬きする。
見開いた瞳が、やけに無邪気でしたわ。思わず、身震いしてしまうぐらいに。
「何故?」
「はぁ?!」
「何故、私からシヨウ・アオザキを取り返す必要があるというのか?」
「‥‥どういうことかしら? ショウを掠っていったのは貴方でしょう?」
ぐにゃりと身体を曲げ、ヴィドヘルツルは大袈裟に『理解に苦しむ』というポーズを取っております。
端正な顔をした大の大人が子供のようにおかしな格好をするのは、相手がヴィドヘルツルということもあって滑稽というよりはおぞましいものでございましたわ。
「ふむ、ミス・ルヴィアゼリッタ。壺に蓋があるのは当然ではないかね? ペンとインク壺が一緒にあるのも、当然のことではないかね? 蓄音機とレコードときたら、これはもう一緒でないと動かない類のものだな」
「‥‥何が言いたいのかしら? 生憎と私達はとっとと蒼崎君を掠い返すことが目的で、長々とアンタと話してる時間なんて無いんだけど?」
「私はごく当然のことを話しているつもりなのだがね? 当たり前のものと、当たり前のものがある。そして此の二つが共にあることが当たり前ならば、それは普遍的に当然のものとして認知されるべきものだ。
二つのものに不自然な点がない以上、ましてや二つのものが共にあることにすら不自然な点がない以上、それに大して不自然な感情を覚えることは間違いだとしか思えないのだが?
ふむ、故に私には君が何を言っているのかさっぱりだよ、ミス・トオサカ。何故、当然一緒に在るべき二つのものを、引き離そうとしたいのか。それは不自然というものだよ。物事は自然のままに、完成された姿で、完璧な状態であるべきだ」
「‥‥何を言ってやがるんだ、こいつは? オレにはこいつが何を言ってるのか、さっぱり分からないんだが」
ミス・リョウギの仰る通り、ヴィドヘルツルは一本筋の通っているようで通っていない、しっちゃかめっちゃかで支離滅裂な言葉の羅列をギリギリ聞き取れるぐらいの早口で一気呵成に捲し立てます。
見開いた瞳の奥にあるのは、虚無。いえ、混沌でしょうか。
こうやって相対しているだけで、精神を削られるような圧迫感。正直、一秒たりとも、この魔術師とは一緒にいたくありませんわ。
「ふむ、成る程、君達はまだ理解できていないというのか」
「はぁ?」
「ふむ、ふむ、いいかね? 私とシヨウ・アオザキとの間には君達では思いも付かない程に崇高かつ劇的な運命というものが存在しているのだよ。
考えてもみたまえ、私が目指す存在と、ほぼ合致する彼という存在。彼という存在を構成するアイデンティティと、私の目指す目的とが完全に合致したのだよ!
これがどれほどまでに奇跡的なものだったか、君達には分かるかね?! 待ち望んでいた、根源以上の存在への手がかりなのだよ、彼は! シヨウ・アオザキという存在はッ!」
「根源以上の、存在‥‥?! ヴィドヘルツルさん、貴方は紫遙さんのナニカを知っているんですか?!」
「勿論、そうでなければこのようなことは言わないよ、ミス・マキリ。私はね、本当に嬉しくてしょうがないのだよ、シヨウ・アオザキという存在と巡り会えたことが。
このまま延々と摩耗し続け、最終的に私という個が消えて無くなる寸前に、出会えたのが彼さ。ふむ、これはもはや運命などという言葉では表現しきれんな。
私は彼との出会いを、何と形容すればいいのだろうかね? 必然か、当然か、あるいは唖然としたと言っても良い。
ひたすらに、ひたすらに思考と試行を繰り返す円環と化した私の日々の中で、まさに一つの理とでも言うべきだろうか? いやはや、中々に詩的だな、ロマンティックだ」
「‥‥初めて相対した時にも思いましたが、とんだ狂人ですね、
カシャン、という物騒な音と共にセイバーが聖剣を構えました。
彼女にとって、このような妄言を曰う人間は好みではないようですわね。昔、何かあったのかもしれません。胡乱な目つきで、ヴィドヘルツルを睨み付けております。
「ふむ、失礼だな騎士王殿。私は冗談や妄言を口にしたことなど一度もないつもりだ。
大体ナニだね、友達面をして此処まで来ておいて。そもそも私に言わせれば君達はね、彼の重要性に全く気づいていないのだよ」
「蒼崎君の、重要性‥‥?」
「そうだよ、ふむ。彼はね、君達が思っている通りの『魔術師にとって希少な友人』という程度の価値しか持っていないわけじゃあない。
君達が思っているとおりの『本来は魔術によって再現できないはずの魔眼《ノウブルカラー》を再現している』なんて点にあるわけじゃない。
ふむ、いいかね諸君? 彼はこの世界に一人の貴重な存在なんだよ! 奇蹟のような存在だ! 万に一つ、いや、奥に一つ、あるいは那由多に一つの奇蹟によって、この世界を訪れたイレギュラーだ!」
「訪れ、た‥‥? 何を言っているんですの、貴方は?!」
「いやいや、分かるまい、君達では分かるまいよ。
ふむ、如何に君達が此の世界において輝かしい看板を背負った存在だとしてもな、彼を理解してやれるのは此の世界で私一人きりだ。
あのアオザキの姉妹だって、彼の価値を本当に理解できてはいないのさ! 彼の持つ希少性を理解していながら、それを隠すように指示している。まったくもって度し難い冗談だよ。
彼の価値を、十分に理解して、共にいてやれるのは私だけだ。私と共にいてこそ、彼は君達を凌駕する輝きを放つことが出来る。いや、彼がいれば、我々は此の世界を飛び越えることだって可能なのだッ!」
あまりにも早口で、何を言っているのかよく分かりませんわね。
しかし一つだけ言えることがありますわ。どうやら彼は何が何でもショウを渡す気がないということですの。
「‥‥流石に穏便に話が出来れば、なんて考えていたわけではありませんけれど。しかしセイバーの言う通り、こうなれば実力行使に出るより他に無いようですわね」
ポケットに仕舞ってある宝石を二、三個掌に握り込む。
もはや容赦は不要ですわ。この狂人から、ショウを取り戻さなくては。
「———哀しいな」
「‥‥は?」
「哀しいな、哀しいな、哀しいな、
哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しい名哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しい名哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しい名哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しい名哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しい名哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しい名哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな哀しいな」
「———ッ?!」
身体と首を大きく左側に傾け、殆ど真横になった無表情から怒濤のように言葉が漏れます。
おそろしいぐらいに、醜悪。最初から感じていた悪寒が、ここにきて最高潮へと達しました。いえ、悪寒についてこのような表現を使うのはおかしいかもしれませんけれど。
「哀しいな、君達が私とシヨウ・アオザキの仲を肯定してくれないのが、哀しいな。私と彼との間柄は、もはや世界中が認めるべきものだよ。
ふむ、だというのに‥‥このように信用出来ずに私を問い詰め掠おうとする。私の下から、彼を、掠おうとするのだ!
‥‥許せないな、あぁ許せんよ。私と彼との間を引き裂こうとするなら‥‥君達にも、分からせてやる必要があるのかもしれんな、ふむ」
「‥‥ッ、気をつけて下さい皆さん! 奴は何かする気ですよ!」
シエルの叫び声と共に、全員が元々MAXに近かった警戒度を更に一段階上げました。
明らかに、先程までの奴と違います。一歩、前に出ただけだというのに重圧感が一ランク上がります。
これはギアを一つ入れ替えたのと同じですわ。さっきまでの通常時の雰囲気から、戦闘時の雰囲気へとスイッチを切り替えたのです。
「ふむ、君達を純粋に排除するのは容易い。‥‥シヨウ・アオザキと違って精神に干渉する術式に対する君達の対抗策というのは実にお粗末だ。
自分自身の抗魔力に期待して、大した対策もしていない。そんな君達を手玉にとるのは簡単だ。しかし、それでは面白くないだろうよ」
「‥‥どういうことだ。紫遙を放す気がないんなら、お前を倒して助け出すだけだぞ」
シェロが最初から投影していた双剣、干将莫耶を構えて油断なく隙を窺います。
私達がいるところから、踊り場までは遠い。如何にシロウと言えども、一足飛びには到底辿り着けない場所です。セイバーなら‥‥とも思いますけれども、彼女はヴィドヘルツルに対して円陣の反対側に陣取ってしまっています。
なにやら不審な雰囲気を漂わせるヴィドヘルツルを相手に、迂闊な攻勢に出ないべきか、それとも迅速に勝負を決めてしまうべきか。
全員がちらりと目線を交わし、逡巡したその時でした。
「いや、知ってもらうのだよ、彼のことを。そして彼と私が、どうしても一緒にいるべきだということをな」
「———ッ皆さん、散開して下さいっ!」
「これはっ?!」
風化によるひび割れが蜘蛛の巣のように走っていた床に、光が走る。
これは、自然に出来た境界線を利用した術式ですわ! 意図して境界線を引く一般的な術式よりも、その“場”に寄り添うが為に空間に効果を及ぼす魔術に有効‥‥。
つまりこれはこの空間に対しての何らかの魔術!
「さぁ、呑まれたまえ諸君。そして味わうがいい」
地面に走った光から、さらに上方へと光の壁が生じて私達を分断します。
捕縛‥‥いえ、そんな生やさしい結界ではありませんわね。これは信じ難いですが、まさか転移の術式ですの?!
「君達の知らない、シヨウ・アオザキの力の一端をな」
「覚悟をお決めになって! 来ますわよッ?!」
光の壁により視界が閉ざされた中で、ヴィドヘルツルの声が響きました。
もはや、
叫んだ次の瞬間に、ぐらりと身体全体が揺れる感覚がして、
次の瞬間には、私達は猛烈な嘔吐感と酩酊感と共に、おそらくは転移術式が発動いたしました。
おそらくは罠。しかし、今更になって後悔も弱音を吐くことも出来ませんわ。
ただただ襲いかかる吐き気と目眩を堪え、これから先に待ち受けているだろう過酷な状況に覚悟を決め、私は魔術回路を強く強く、励起致しました。
ショウ、待っていて下さいな。必ず助け出してさしあげますからね!
◆
がたん、ごとん、がたん、ごとん。
いくら車輪の規格や線路の接合の間隔というものがある程度は統一されているとしても、普通に考えれば不規則な振動を刻むはずなのに、何故か規則的で眠気を誘う。
昔から、こればかりは不思議でしょうがない。オレは例えば車や船なんかは酷く酔っぱらう体質なんだけど、バスとか電車の揺ればかりは心地よく感じてしまうのだ。
そういえば車は運転する側だと全然酔わないって聞くけど、そこのところどうなんだろう。オレが将来、免許でも取れば別かもしれないけど‥‥今はまだ分からないな。
「ッいかん、また寝過ごすところだった‥‥!」
ついついうっかり、珍しく座席に座れたせいかウトウトと居眠りに興じてしまい、いつもの駅で降り損ねかけた。
学生街だからか、スーツ姿よりも多種多様な制服の数のほうが多い。この辺りには中高合わせて五つ以上の学校があるから仕方がない。
通りすがる学生たちの顔も、そのせいか幼げな奴から大人びた奴まで多種多様だ。オレは高校一年生だから丁度その中間。正直、没個性と化すぐらい童顔でもないし老けてもいなかったりする。
着てるブレザーも特に個性のない紺色のもので、胸ポケットに校章が縫い込んであるだけだしね。同じような制服もあちらこちらにちらほらと見えた。
「‥‥なんだろう、すごく新鮮な感じがするんだけど」
いやいやいや、もう三年も同じ場所に通ってるんだぞ? 新入生が入る時期じゃあるまいし、そんなバカなことはない。
まぁよくよく考えてみれば、オレだってつい半年前に高校に入学したっちゃあそうなんだけど、それでも中高一貫なんだから、純粋に景色だけを考えれば新鮮には程遠いことだろう。
「———よう、村崎! どうしたよ朝から辛気臭い顔しやがってさぁ!」
「だぁあ加藤?! お前あれほどオレの背後に立つんじゃないって言ったろうがッ!」
シュン、という効果音が聞こえそうなぐらい鮮やかにオレの首へと太い二の腕が回され、軽く気道を締め上げられる。
こんなことする奴は、幸いにして、あるいは不幸にしてオレの知り合いの中には一人しかいない。中学に入学した頃からの悪友にして、常に厄介ごとやら騒動やら楽しいバカ騒ぎなどをオレのところに持ってくるクラスメイト。
名前を加藤信一郎という、柔道部所属の強面である。
「なんか最近、首が太くなった気がするんだ畜生め。このまま肩と首が一緒になったらお前のせいだぞ?」
「ハハハ安心しろって、高校生ぐらいじゃどんなに鍛えてても室伏みたいにゃなれねぇからよ。俺だってこんなに鍛えててもまだまだ、一流選手のそれには及ばないんだからなぁ」
「そんなこと聞きたいわけじゃないよっ! ったく、高校入ってからこっち調子が良いな、お前は」
振り返った先に胸を張り、腕を組んで立っていた加藤は、デカイ図体を器用に動かして剽軽《ひょうきん》におどけてみせた。
少し癖のある髪はスポーツマンらしく短く切りそろえられており、どちらかといえばニヒルに決める方が似合うだろう比較的端正な顔には、それとは正反対に愛嬌のある笑みを浮かべている。
ああ、高校一年生にして柔道二段、もうすぐレギュラー間違いなしという武道系の友人は、ことあるごとに人の背後に音もなく忍び寄っては首を軽く絞めるという悪い癖があった。
加減を知っているだけ良いんだけど、これではいざという時にちゃんとした反応をとれないかも、という懸念もあったりする。まぁ、考えすぎかもしれないけど。
基本的にはスキンシップなのだろう。
「かぁーっ、つれないねぇ! 一人で登校はさびしいだろうと思って声かけてやったってのに。それともあれか? 孤独に学年末の憂鬱に浸りながら一人登校路をのんびり歩きたいってヤツか?」
「厨二病は小学校六年生で卒業したよ、幸いなことに。‥‥すまん、なんか今日は調子が悪くてさ」
「調子が悪い? どうした、風邪か? まぁ貴様ん家の過保護な母ちゃんが登校させたってことは熱は無いんだろうが‥‥」
しばらく歩けば、それぞれの学校への道へと別れていくためか、オレが通う中高の生徒の姿しか見えなくなる。
同じような男女二種類の制服の中を、加藤と二人で歩いていく。下手に中高一貫だからか生徒数が多く、見知った顔を探し出すことは出来ない。
あるいは最近のアイツらは学年末だからとサボリ癖がついているから、もしかしたら数人ぐらいは学校に来ていない可能性もある。せっかくこのクラスで過ごすのがあと一週間程度なのだから、楽しんでおけばいいのにと思うんだけど。
「なんかこう、違和感があるんだよな。例えて言うならメガネをかけ間違えたみたいな。いや、オレはメガネなんて使わないけど」
「まだ寝ぼけてるんじゃねぇのか、村崎よ?」
「一応シャワーは浴びたよ。まぁ、とはいえその可能性は否めないな。朝からずっとこうなんだ。本当に今日はどうかしてやがる」
「まぁ腹が痛いとか息がしづらいとか頭が悪いとかじゃないなら良いんだけどな。そういうことなら仕方ねぇ、今日はほどほどに授業受けるこったな」
「おいこら、最後に変なの入ってたぞ」
「気にすんな、お茶目さ。ほら歩くスピードが遅いぞ。調子が悪いのは分かったけど、さっさと教室行っちまおうぜ?」
オレより頭一つ分も大きい加藤の歩幅に合わせ、微妙にスピードアップする。確かにコイツのいう通り、病気や風邪というわけではない不調は気のせいの分類に属するかもしれない。
そもそも小学生や中学生と違い、別に受験生でなくとも高校生はそうそう簡単に学校を休むわけにもいかない。まず出席日数がどうこうという問題もあるし、ましてや授業についていけない。
「ところで加藤、部活の方はどうなんだ? もう年度末だから三年の先輩の追い出し会とかあるんだろ?」
「まぁな。っつうても二年生が企画するから、俺達一年にやることなんて数えるぐらいしかありゃしねぇ。せいぜいが三年にパイをぶん投げて、そのあとにお決まりの投げられ会ってとこだろうな」
「相変わらず武道系の部活は物騒だな」
「そういう貴様はどうなんだよ? そりゃ部活には入っちゃいねぇだろうが、バイトの方では追い出し会とかお別れ会とかあるんじゃねぇのか?」
加藤が入っている柔道部では、毎年何らかのイベント———今年はパイ投げらしい———の後に、恒例行事として先輩との乱捕りと、投げられ会というのがあるらしい。
これは試合の後に、無抵抗のまま卒業する先輩にひたすら投げられるというものらしく、先輩が疲れて止めるまで下級生はひたすらに耐え続けなければいけないんだとか。
「あるけど、高校生は酒が入らない一次会だけの参加だからな。どうしてもお遊びっていうか、お情けっていうか、とにかくマジなお別れ会のムードにならないから楽しくない」
「成程ね。だから俺があれほどいっしょに柔道部に入ろうって誘ったろ? あの時にノッてれば、今頃それなりに青春な毎日を楽しめたはずだってのによぉ」
「余計なお世話だ。オレはそういうの苦手でね。ていうか最初っから黒帯の貴様と一緒に部活なんてやってられるかっつーの」
確かに部活にも入ってなくて、バイトも適当な頻度しか入れてないとなると暇人に見えるのかもしれない。
けどまぁホラ、そこまで無理して青春を謳歌する必要なんてあるのかって疑問も当然だと思うよ、オレは。少なくとも強要されるようなもんじゃないし、むさ苦しい柔道部も御免だった。
そもそも中高一貫であるウチの高校においては、高校から新しく部活を始めるというのが非常に難しい。心境の変化とか、あとはコミュニティが出来上がってしまっているっていうのもある。
特に野球部やバスケ部、柔道部とかの大御所な部活になるとその傾向も顕著だ。柔道部なんて素人がいきなり始めて、今まで中等部でバリバリやっていた連中との差が出ないわけがない。
もちろん外部から入ってきた連中だっているだろうけど、中等部からの持ち上がりだと完成しきったコミュニティに割り込むのは意外に勇気がいるものだ。
オレにとってもそれは同じで、正直バイトを始めるのだってそれなりに勇気の必要なことだった。
「しかしあれだな」
「ん?」
「違和感っていうのは具体的にどんなカンジなんだ? 貴様がわざわざそういうこと言い出すってのも妙な話だしよ。
ホラ、眼鏡を掛け違えた感じとか言ってたけど、それって眼鏡の度が合ってないってことか? それとも他人の眼鏡をかけてるとか?」
「ああ、そっちが正しいかな。眼鏡の度は間違いなく合ってるはずなんだけど‥‥」
隣を歩く加藤の例えが絶妙で、思わず手拍子をつく。
確かに眼鏡に例えるならば、オレの眼鏡の度はしっかりと合っているらしい。ただ、だというのに他人のモノっぽい。
「例えば、昨日ある場所にあったものが今日は別の場所にあったとする」
「ふむふむ」
「それは当然に違和感を感じてしかるべきものだと思う。ていうか、常識的に考えて」
「jkjk」
「じぇーけー?」
「いいから続けろって、深い意味はねぇよ気にすんな」
とても日本語とは思えない単語を口にされて疑問符を浮かべるオレに、加藤は普段と同じくひらひらと手を振って先を促す。
正直、このやりとりはいつも通りだから特に言及することもない。コイツはたまに英語と日本語と、ついでに色んなスラングを混ぜた意味不明の言語を使用することがあるのだ。
「‥‥たださ、確実に普段通り、下手すりゃ一年ぐらいずっとそのままの位置にあるようなモノに違和感を感じるのは、普通じゃないなって」
「まぁそりゃな。ていうかビョーキなんじゃねえの貴様? 主に精神を病んだ的なカンジの」
「失礼な。豆腐の角に頭ぶつけて死ね」
「氏ねじゃなくて死ね、と」
「は?」
「気にすんな」
やや坂道の校門前。 まだまだオレは体力が残ってるから十分に余力を残しているけれど、三年になるとキツイだろうなぁと以前に加藤が漏らしたことがある。
正直オレは運動やってるわけじゃないから、一年そこら運動を止めたぐらいでそこまで体力が落ちるものかと思うわけだけど。
「そりゃ、貴様が普段から運動してないからに決まってんだろーが」
「必要ないことはしたくないんだよ。本当は必要なことだってやりたくないんだけど」
「クソNEET仕事しろ」
「バイトはしてるけど? てか学生はニートって言わないだろ」
高等部は一年と二年が同じ場所に靴箱があって、三年だけ教員用のものと一緒に別の場所にある。
これを差別だと声高に主張する一年は多いんだけど、それって多分三年の靴箱が教室に近いのと、三年の教室が二階にあるからだと思うわけですよ。
ちなみに一年生は四階、二年生は三階に教室がある。必然的に、階段を昇る数も多いわけなんだわな。
「あぁ村崎」
「ん?」
「そういえばさっきの話なんだけどよぉ」
靴箱から上履きを取り出して履いていると、廊下に近い方に靴箱がある加藤がやけに勿体ぶった間を取りながら話しかけてきた。
見返り美人、なんて言いたいのか知らないけど、上を向いた角度からこちらを振り返る独特の角度を取っている。普通、そんなポーズ取る奴なんて居ないから意識しているんだろう。
ちなみに熱烈に誘われて一度だけ真似したことがあるんだけど、同じくらい猛烈に首を痛める可能性が高いのでお勧めしない。
「そいつぁアレだな、眼鏡をこの現実世界に当てはめると———」
怪訝に眉を顰めるオレのその顔が気に入ったのか、加藤は意地悪そうな笑みを浮かべている。
性根が捻れ曲がったってわけじゃないけど、結構付き合い方に苦労する奴だ。これでクラスのお調子者として人気なのだからおかしな話だろう。
「貴様の外側か内側か、どっちかに意識出来ない変化があった、ってところじゃあねえかと聡明な信一郎様は思うわけですよ」
「意識出来ない、変化‥‥?」
「応さ。例えば恋をした、なんてのは意識できない類の中でも分かりやすい心境の変化だろうけど‥‥。まぁ貴様に春は来ねぇよ、当分。少なくとも俺に来るより先は許さん」
「では俺に訪れるだろう春を妨害する加藤、お前を最初に誅滅しておくことにするか。覚悟しろっ!」
「よっしゃあかかってきやがれ! 81kg級の力ってのを見せたらぁ!」
適当にボクシングの真似をしてシュッシュッとジャブを繰り出すも、全て目にも留まらぬ速度で弾かれてしまう。おいおい誰だよ柔道は打撃に弱いとか言った奴は。
「素人のジャブが当たるか、ボケ。貴様みたいに鍛えてない奴じゃ速度もたかが知れてるし」
「分かってても、男には退けない時があると思うんだ、加藤君よ。だからホラ、両手をポケットに入れて突っ立っててくれるかね?」
「残念、スマートなだけじゃ勝てないぜぇ?」
相も変わらずワケの分からないやりとりをしながら教室へと向かう。
あまり顔が広いわけじゃないオレはさておき、意味が分からないレベルで顔の広い加藤は道行く生徒に次々と挨拶しては通り過ぎて行く。
お調子者で剽軽で、人当たりが良くて誰にでも気負いなく話しかけるコイツは顔見知りを作るのがとても上手だ。羨ましくなる、ぐらいに。
オレはコイツと一緒にいるから、それなりに人と話すことも出来てるけど‥‥。そういうこと考えると、コイツと知り合えて良かったとは思っている。
「‥‥こういうこと考えるぐらい、感傷的だから変な違和感とか感じるのかも?」
「あん? なんか言ったかぁ村崎?」
「いや、別に。ところで加藤、その手に持ってるのは何だ?」
「須藤と五島からもらったんだ、今日の数学のノートと英語の課題。いやぁ五限と六限だから昼休みまでに写しちまわねぇとな」
「‥‥いい加減に課題ぐらい自分でやりやがれ」
「ハッハッハ、『足りないものは他所から持ってくる』、魔術師の基本だぜ村崎よ?」
「魔術師の‥‥常識‥‥」
いつもと同じ、全く意味の分からない加藤の戯言を聞いた瞬間。
フッと意識を空白が支配した。
真っ白に塗り潰されるってわけではなくて、その瞬間だけ意識が切り取られる感覚。
それは意識が空白に切り取られた次の瞬間、つまり意識が戻った瞬間に状況証拠として得られる感覚と言える。
ああ、人間っていうのはここまで素早く思考が回るものなのか。
「———俺達、魔術師の‥‥」
「おいおい大丈夫か村崎? やっぱり調子悪いんか、一限サボッて商店街にでも遊びに行くか? 動くマネキンとか巨大な赤ちゃん人形とか、焔髪灼眼の女の子に会えるかもしれねぇし」
「だからオレにはお前が何言ってんのかサッパリだっつうのに。‥‥別に良いよ、ちょっとした立ち眩みだと思う。それに一限は地理だし、あの先生怒ると怖いし」
ぺたんぺたん、と使い古しの上履きが音を立てて階段を上っていく。今日は時間割を確認した限りではキツイ授業じゃない。
地理の先生は怖いけど、授業自体はジーッと耐えてさえいれば
ただ、今日は本当に耐えるだけの一日になりそうなのが、微妙に憂鬱だった。
———何故か加藤の言葉からこっち、妙にギクシャクする身体を引き摺って、
オレは気怠いような、コントローラーの配線の接触が悪くなったラジコンのような、そんなぎこちない動きで教室へと向かう。
普通に過ごすなら、嗚呼、こんな妙な気分を味わうことはないだろうさ。
多分、フラッシュバックした厨二秒とか、あるいは学年末のクソ暇な時期だからこそ妙な考え事に囚われたとか、そういう結論で終わったはずだった。
けど何故だろう、この妙な感覚は主観的なものだから上手に説明することは出来ないんだけど、
この違和感だけは、看過しちゃいけないような、
そんな妙な確信だけが、オレの胸の奥の奥の更に奥、
よくよく自身に埋没しないと気づかない、そんな奥に、
まるで焚き火やキャンプファイヤーの燃え残りのように、燻っているような、そんな気がした。
なんか不透明な言い方で、悪いけどね‥‥。
79th act Fin.
後半のside村崎ですが、友人たちの名前までは深い意味を持たせてるわけじゃありません。また設定もかなり適当です。
ただ一応は統一感といいますか、法則はあります。簡単なので、見つけたらご一報ください!ノシ