UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第七十九話 『黒い杯の聖母』

 

 side Siel

 

 

 

 

 目を焼くような閃光を、予期していなかったわけではありません。

 とはいえあの状況で閃光に備えて目を閉じることが、最善とも私は思えませんでした。目を閉じたその間に、何が起きるとも分かりませんからね。

 視界が閉ざされていてもある程度の気配は分かりますが、やはり視覚によって齎されるものは大きい。要は閃光の最中と、そのあと、どちらに重きを置くかという一瞬の判断でした。

 

 

「‥‥ここは、何処ですか?」

 

 

 結果として閃光の中でニヤニヤと笑うヴィドヘルツルを直視し続けた私はモロに目を焼かれ、一時的に視覚を奪われてしまったわけです。

 まぁもっとも、単純に閃光によるダメージならば数秒とかからずにリカバリー出来るわけで、あまり気負う必要もないんですけどね。蛇《ロア》が消滅した今でも、私の体は元通りというわけにはいきませんでしたから。

 確かに不死性は消失しています。しかし頑丈な体、常人よりは遥かに勝る自己治癒能力、また、長い代行者としての経験は消えさりはしませんでした。

 故にこそ、私はかろうじて未だに埋葬機関の第七位という立ち位置を保持できているのかもしれません。

 元々この立ち位置は私の不死性に由るものですからね。

 

 

「凛さんに‥‥セイバー、貴女たちだけですか? 他のみなさんは?」

 

「‥‥姿が見えませんね。本当に私たち三人だけみたいですよ」

 

「まさかとは思ったけど、本当に空間転移とはね。っとに非常識なことやってくれるわ、あの変態!」

 

 

 閃光から視力が戻った視界に映ったのは、真っ暗な世界。光源に値するものが何もなく、当然のことながら光がなければ人はモノを身るのが困難になってしまう。

 代行者として暗視などの訓練も受けてはいますが、ここまで完全に光源が無い場所というのは初めてですね。まぁ見えないこともないですが、やはり辛い。

 

 

「もうシエルが言ってたけど、此処は何処よ? セイバー、何か分かる?」

 

「‥‥どうやら地下にある、洞窟のような場所のようですね。一カ所に向かって空気が流れています」

 

 

 英霊であるセイバーの身体能力、そして直感ならば暗い場所でもある程度は一帯を把握できる。彼女の言葉によると、どうやら此処は洞窟らしいですね。

 確かに嗅覚を利かせると、空気の流通が十分でない場所特有の湿った匂いが鼻につきます。人の出入りもほとんどないのでしょう。足元を探れば人が入った様子のない、自然そのままの地面が広がっているようです。

 

 

「洞窟‥‥? ヴィドヘルツルの領地の何処か、かしら? 城の地下だとしても、随分と深いみたいね。地上まで魔力の探査が届かないし、規格外な空間転移を簡単にやってくれるもんだわ」

 

「確かに。なるほど、この類の魔術には私の対魔力も働かないみたいですね。敵性魔術と認識できないからでしょうか?」

 

「モノによるみたいね。暫く気にしてなかったから注意が必要だわ。ここぞという時に過信すると命とりよ、慎重にいきましょう」

 

 

 周囲は細長い通路のようになっているらしく、セイバーのいう通り、一方向から流入してきた空気が反対方向へと抜けています。

 どうやら入口と出口が別々にあるのかもしれませんね。あるいは、空気溜りのような場所があるという可能性もあるでしょう。

  

 

「‥‥ところで凛、どうしますか? 少なくとも周囲に他のメンバーはいませんし、ここが何処かも不明です。動かないというのも手の一つかもしれませんが———」

 

「当然、歩くわ。空気が入って来る方が入口とするなら、出ていく方を目指して行くわよ。仮に城に通じてるとしたら、出口の方でしょ」

 

「裏口や勝手口だったらどうするのですか、凛さん?」

 

「当然、もう一回表に回って城に入るに決まってるじゃない。とにかく私にこんな無様を晒してくれた奴を許す気はないわ。蒼崎君のことを抜きにしても、ね」

 

 

 鼻息も荒く、とても淑女らしからぬ大股で凛さんは奥へと歩を進めます。城から続く洞窟、という可能性も確かに高いですが、まぁ此処まで来たら必要以上に急ぐ意味もないでしょうね。

 蒼崎君は早急に助け出さなければならない。しかし可及的速やかに彼に命の危険が迫っている、というわけでもないのも事実です。

 何しろ理由は分かりませんが、彼の研究において蒼崎君はかなり重要な役割を担っているようです。そんな彼を、命の危険に障るような状況に追い込むとは思えません。

 

 

「‥‥それにしても広いわね。本当に城の地下なのかしら? 上の方に行く道でもあれば地上も近くなって魔力も通るんだけど」

 

「‥‥段々と下へ下へと降りている気もしますね。凛、本当にこちらの道を選んで正解だったのですか?」

 

「だ、だって仕方ないじゃない、安易に入口の方に行ったりしたら待ち伏せされてるかもしれないし‥‥」

 

「まぁ確かに。しかし凛さん、よろしければ私の意見も聞いていただけますか?」

 

「え?」

 

 

 注意深く辺りを見回し、当面の危険が無いことを確認してから立ち止まる。

 もうかれこれ十分ぐらいはペースを落とさずに歩き続けていますからね。途中で曲り道のような道もいくつか有った気がしますが、これだけの洞窟では方向感覚も狂うというもの。

 かなり意識してはいますが、それでもそろそろ自分がどの方角を向いて歩いているのかさっぱり分からなくなってきてしまっていました。

 

 

「‥‥霊脈にはそれぞれ固有周波数のように、魔力の波長があるのは当然ご存じですね?」

 

「何よバカにしてるの? 私だってひとつの霊地の管理者(セカンドオーナー)なんだから、そのぐらいは当然わかるに決まってるじゃない。

 魔力、っていう大雑把な括りの中なら同じでも、私たち魔術師が解析するならそれ以上を求められるわ。一つ一つの霊地ごとに固有の魔力の波長がある。それを読み取れなかったら他の土地のとはいえ管理者(セカンドオーナー)失格よ」

 

「成程。では凛さん、今の言葉に従って魔力の波長を探ってみてください。地表まで魔力による探査が届かなくとも、地底と思われるこの場所ならば、むしろ地表よりも簡単に読み取れると思うのですが」

 

「‥‥確かに。ちょっと待ってて、他人様(よそさま)の霊地だと少し勝手が違うけど、やってみるわ」

 

 

 地面に片膝をついた凛さんが、ほぼ岩盤と言える大地に掌を当てて魔力を流します。

 物質を強化する時のように魔力で構成材質を補強するわけでもなく、人間を操るときのように精神に魔力で干渉するわけでもありません。

 敵対因子を持たない魔力を流し込み、それに対して霊地の大地と如何に干渉し合うかを測定するのです。それにより、自分の魔力の波長から逆算して霊地の波長も分かるということですね。

 いわばアクティブソナーと言うべきですか。しかも流石は管理者(セカンドマスター)、洗練されている。このようなやり方を試す機会に恵まれた魔術師は少ないですから。

 

 

「‥‥シエル、これは一体どういうことよ」

 

「気づきましたか、凛さん。ええ、私たちが今いる場所はヴィドヘルツルの領地などではありません。何処かまでは分かりませんが、並大抵の離れ具合ではない」

 

「そんなことが言いたいんじゃないわ! もっと事態は深刻よ、だってここは‥‥———ッ?!」

 

 

 ゾクリ、と背筋に怖気が疾る。

 思わず三人が三人とも視線を放ったのは、私たちが目指していた洞窟の奥。

 完全な暗黒に閉ざされた、まったく未知の目的地。そこから感じる、今までの障害で唯の一度たりとも感じたことがない、それ単体で殺傷力を持っていそうなぐらい凶悪な、かつ膨大な魔力の噴出。

 

 

「これは‥‥ッ?!」

 

「セイバー! シエル! 走るわよ!」

 

 

 今まで凶悪な死徒には幾らでも遭遇しましたし、戦いました。そしてその殆どを私は打倒してきました。

 しかし決して浅くない私の代行者としての経験の中でも、単純に魔力の波動というべき感覚のみで、ここまで恐怖を植え付けるものは記憶にありません。

 そして同時に、ここまで膨大な魔力の塊に出会ったことも、ありません。

 

 

「どうしたんですか凛さん、落ち着いて下さい?! こんな凶悪な魔力、先ずは様子を見ないと———」

 

「そうも言ってられないのよシエル! 確かにここはヴィドヘルツルの領地じゃないけど‥‥それだけじゃないわ! もっと最悪よ、信じられないっ!」

 

 

 一瞬たりとも迷わず悍《おぞ》ましい魔力の塊へと駆け出した凛さんを追って、私とセイバーも走り出しました。

 何処かも分からない、終わりも分からない洞窟の中に突如現れた、生物として魔術師として恐怖を抱かずにはいられない膨大で凶悪な魔力塊。

 そこを何の躊躇もなく目指すというのは、凛さんとしてはあまりにも短絡的。少なくとも以前に任務をともにした時に受けた印象からは想像も出来ない短慮でしょう。

 

 

「凛、走りながらで説明できますか?!」

 

「勿論よ! ホント、あの魔術師(へんたい)トンデモないことしてくれるわっ!」

 

 

 ですが何時になく焦った様子の凜さんからは、そのような短慮の色は見受けられません。

 むしろ切迫していることから、事態をほぼ正確に掴んでいるとも言えます。自慢ではありませんが代行者として彼女を遥かに凌ぐ経験を持つ、私よりも正確に。

 

 

「‥‥確かにシエルの言う通り、ここはさっきまで私達がいたはずのヴィドヘルツルの領地じゃないわ。波長が全然違ってる。それこそ欠片も一致しないぐらいにね」

 

「では一体‥‥?」

 

 

 もはや足下を気にする余裕もなく、走り続けた先。

 若干下り気味だった洞窟の傾斜が徐々に並行に近くなり、そして気づけば、真っ暗な道の先に仄かに光何かが見えます。

 

 真っ暗な洞窟の中に光源。‥‥あれは出口でしょうか?

 いえ、あの凶悪な魔力の波動は今では気を抜けば肌が泡立つぐらいの近さに迫ってきています。おそらくは、この先に根本が存在しているはず。

 

 

「‥‥ここは、冬木よ」

 

「え?」

 

「だから、ここは間違いなく冬木なのよ。‥‥私も魔力の波長を計測してみて心臓が止まるかと思ったわ。信じられないけど、でも管理者(セカンドオーナー)である私が冬木の霊脈の計測を間違えるわけはない。

 どういう理屈でこうなってるのかは、さっぱり分からないわ。けど此処は間違いなく冬木なの。ドイツから、どうやって此処まで‥‥!」

 

 

 凜さんの言葉に、セイバー共々呆然と立ちつくしてしまいます。

 彼女の言葉が本当なら、私達はヴィドヘルツルによって何千キロメートルも転移させられたということになるわけですから。

 

 純粋な空間転移は魔法だと言われていますが、転移魔術の類は意外にも数多く存在しています。

 例えば影を使った転移。例えば水を使った転移。他にも低次元や高次元を経由した転移など種類は様々で、また難易度も天井知らずに跳ね上がりはしますが、不可能ではありません。

 とはいえそれも、距離によって不可能に近いレベルに変化します。数キロメートルならまだ可能性が欠片でも残っていますが、数千キロの転移など、考えるのも愚かしい。

 

 

「‥‥不可能です。あり得ません」

 

「シエル?」

 

「凜さん、確かに貴女の観測に間違いはないと思います。しかし理論的に考えて、いくら相手が封印指定の魔術師であったとしても過程として有り得ない話です。

 貴女に説教するのは全く持っておかしなことだとは分かっていますが、魔術にも限界がありますよ。ドイツから冬木へと一瞬で転移、いえ、時間に関係なく、この距離を転移するのは不可能だ」

 

「‥‥でも、実際にここは冬木の霊脈の波長を持っている。これの説明は貴女、つくのかしら?」

 

「それは‥‥ッ」

 

 

 ともすれば馬鹿にしているかもしれない調子の言葉に対して、怒る様子もなく真剣な瞳の凜さんが私を見つめてくる。

 私は、それに何かを返すことが出来ませんでした。私の言葉も紛れもない正論ではあるのですが、彼女の言葉もまた、同じく正論。何も反論出来ない類のものです。

 

 

「貴女の言いたいことも分かるわ、シエル。確かに魔術師として、ここが冬木だって考えるのは非論理的なことだと思う。いくらそれが、主観的とはいえ正確な観測によって導かれた推論だとしてもね」

 

 

 そこまで言って凜さんは、ギリ、と歯を食いしばって洞窟の奥の方を睨み付ける。

 まさにそこにある魔力の波動は、一刻たりとも、その凶悪さを緩めることなく私たちの目前に脅威として存在していました。

 

 

「でもね、逆に此処が冬木だっていう可能性がある以上、ここには一つの重大な問題が存在しているわ。管理者(セカンドオーナー)である私にとって見逃すわけにはいかない問題がね」

 

管理者(セカンドオーナー)である、貴女‥‥? む、成る程、そういうことですか」

 

 

 厳しい視線の先にある洞窟の出口を確認し、私はようやく合点がいって自分も表情を引き締めます。

 理屈云々を語るのは、たしかに大事なこと。しかし目の前にこのような凶悪な魔力を放つ何者かが存在しているという事実がある以上は‥‥。

 

 

「そう、私の管理地にこんな凶悪な存在がいるのなら、私は先ず最初に管理者(セカンドオーナー)として、自分の管理地に存在している脅威を排除することを第一に考えなければいけないのよ」

 

 

 蒼崎君の救出、という目的で私たちはヴィドヘルツルの領地へとやってきました。

 しかしこうして何故か、八千キロもの転移に巻き込まれ、遠く日本は冬木へとやって来ている。そして、確定事項ではないにせよ、その冬木の地と思しき場所に未だかつて遭遇したことのない凶悪な魔力と遭遇しているのです。

 

 現状、基本的にやるべきことは二つ。

 此処が本当は何処なのかを把握すること。そして蒼崎君の捜索も兼ねて、ヴィドヘルツルの居城へと戻ること。

 この選択肢において実は、目の前の魔力の塊はさほど重要ではないと私は考えます。正直、これほどまでの脅威に正面からぶち当たるのは得策ではないでしょう。

 叶うことなら無視して反対側の探索へと移りたいところです。さらに可能なら、こちら側の洞窟は潰してしまいたいぐらいです。君子危うきに近寄らず、というのは何処の諺でしたか。

 

 

「‥‥つまり征くわけですか、凛さん」

 

「ええ、これだけの脅威を放置しておいたら管理者(セカンドオーナー)失格云々以前の問題よ。蒼崎君には悪いけど、こちらを先に処分させてもらうわ。いいわね、セイバー?」

 

「マスターの意志であれば、サーヴァントたる私は従うより他にありません。‥‥何より私も騎士として、このような邪悪な存在を見逃すわけにはいきませんからね」

 

「ありがとう、セイバー。‥‥シエル、貴女はどうする?」

 

 

 既に戦闘態勢を整えていたセイバーと、凛さんが私の方を見る。

 その顔には咎めるような色も、強要するような色もない。ただ、意見を求めていました。

 おそらくココで私が、目前の脅威と戦うのを忌避して戻ろうと言えば、私だけで戻ることになるでしょう。そして凛さん達は、残念に思いながらもそれを許してくれるでしょう。

 

 正直、戦いは避けたい。しかし乗りかかった船といえば、その通り。

 冷徹に安全性を考えるなら不確定な戦闘はするべきではないのですが、まぁここで降りるというのも仁義に悖るでしょう。

 

 

「‥‥仕方ありませんね。何の因果か折角こうして貴女達について着たわけですし、御伴しますよ。これほどの悍ましさ、セイバーと凛さんの二人でも何か間違いがあるとも限りませんし」

 

「ありがとう、悪いわねシエル。大したお礼も出来ないけど、今度一緒に食事でもどうかしら?」

 

「そうですね、その時は是非ロンドン以外でお願いします。あそこは英国清教の王立国教騎士団が幅を利かせていますから、聖堂教会の代行者である私は肩身が狭いので」

 

「約束するわ、任せて頂戴」

 

 

 鮮やかに、むしろ男前な笑顔の凛さんに懐の黒鍵の数を確かめます。

 ヴィドヘルツルの魔術によって生まれて出てきた兵士たちを相手にするので大分使ってしましましたが、それなり以上の超難敵だと仮定しても、一戦やらかす分だけは残っていますね。

 

 

「やりましょう、凛さん。元より覚悟は出来ています。代行者ですからね、腐っても」

 

「埋葬機関の第七位に代行者語られたら、私の兄弟子だった似非神父なんて端にもひっかからないわよ。‥‥頼もしいわ。頼りにしてるわよ」

 

 

 勿論、危なくなったら凜さんには申し訳ないけど撤退させて頂くつもりではあります。それは凜さんもセイバーも、言葉にしなくても十分に理解してくれていることでしょう。

 ですが、それでも当然のようにベストを尽くすつもりですよ。さぁ、行きましょうか。

 

 

「セイバー、貴女が切り込み役よ。悪いけど攻性魔術を確認したら盾になって頂戴ね」

 

「了解しました、マスター」

 

「シエル、後ろから黒鍵で援護を頼むわ。もしも撤退することになったらセイバーと一を交代して殿よ。相手が何だかは分からないけど、出来れば距離を取らせるように牽制しながらね」

 

「任せて下さい、凜さん」

 

「よし、二人とも心の準備出来た? 行くわよ、‥‥いち、にぃ、さんっ!」

 

 

 洞窟の先、ちょうど人が数人通り抜けられるぐらいの空洞に三人で順番に突っ込んで行く。

 凜さんの指令の通り、先陣を切るのは対魔力の高いセイバー。例え魔術による攻撃が来ても彼女なら殆どを無効化でき、物理攻撃も剣の英霊である彼女ならば殆どを捌けるはずです。

 主に遠距離攻撃を得意とする私の黒鍵なら、前衛の隙間を縫うように敵を狙うことも出来ますからね。この編成は悪くありません。

 

 

「‥‥これは、空洞?」

 

「嘘、冬木の地下にこんな空洞がっ?!」

 

「えぇ、私も驚きました。広い‥‥ですね、野球ドームぐらいはあるのではないですか‥‥?」

 

「なんと禍々しい魔力‥‥。凜、シエル、二人とも気を抜かないで下さい、ここは紛れもない魔窟です。気を抜くだけで精神も犯されかねません」

 

 

 一歩入ったその場所は、不気味を通り越して恐怖を感じる程に凶悪な魔力に満たされた、大空洞。

 地下にこのように巨大な空洞があるものなのでしょうか? 見上げれば首が痛くなる程に天井は高く、走っても走っても終わりが無いかのように奥行きもあります。

 ‥‥いえ、奥の方には何か塔のような構造物が———ぐ、なんですか、あれは‥‥!!

 

 

「凜さん、セイバー、あれは一体‥‥?!」

 

「知らない、あんなもの私は知らないわよっ?! あんな凶悪な魔力の塊があれば、核廃棄物並の深度でも無けりゃ地上からだって気がつかないはずないっ!」

 

 

 遠くに見える、塔。禍々しい形をしたそれに相対すると、先程まで洞窟で感じていた悪寒なんてものは笑ってしまうぐらい拍子抜けのレベルだったのだと思い知る。

 こと人間が感じることの出来る嫌悪感、恐怖、そういったものを凝縮した感情が、目の前に存在しているのですから。

 

 

「———あら、随分と遅かったんですね、皆さん」

 

「‥‥ッ?!」

 

 

 ゾクリ、今までで一番の悪寒が背筋を遅い、私は即座に反転すると二メートル以上も勢いよくバックステップしました。

 横を見ると、セイバーが凜さんを抱えて私よりも更に遠くへと後退、一瞬の内に私の横へと戻ってきています。私でも、かろうじて目で追える程の速さ。私を気遣ってくれているわけですか。クッ、今回は相方が英霊とはいえ耄碌したものです。

 

 

「‥‥嘘、どういうこと」

 

 

 後方で凜さんが呆然と呟きます。そしてそれは、油断なく構えていた私とセイバーも一緒でした。

 そこには現実感というものがありませんでした。むしろ、夢だと思ってしまったと言っても過言ではありません。

 

 全く分からないままに、いつの間にか背後に出現していたのは、一人の少女。

 雪よりも真っ白な、同時にくすんだ白い髪。身体にフィットしたドレスは黒い生地に血のように赤いラインが入ったもので、臑から下は素足です。

 艶めかしさ、怪しさ、そういったものを強調した服装ですが、それよりも不気味さ、恐ろしさ、そういったようなものが際だっていました。

 

 しかし私達にとって本当に衝撃的だったのは、

 それは彼女の恐ろしげな服装でも、私やセイバーが気づかぬ内に気配も無く背後に出現したからでも、

 どれでもありません。そんなことは、些事でした。

 

 

「———桜、アンタどうしてここに。他のみんなは何処に行ったのよ、それにその恰好、魔力‥‥ッ!」

 

「どうして? フフ、どうしてなんでしょうね? 些細なことですよ、そんなことは。私が今こうしてここにいることに、原因も目的もありません」

 

 

 目の前に立っていたのは、ほんの一時間弱ほど前には一緒にいた戦友。

 凜さんと衛宮君の後輩であり、蟲使い、かつ影使いという異質な魔術師にして、冬木の御三家と呼ばれるマキリの当主。穏やかな笑みと、自信無げながらもたくましいはにかみ、微笑みが似合う大和撫子。

 そんな優しい女性であるはずの彼女が、何故か私達の目の前で妖艶に嗤っていました。

 

 

「私は“今、ここにいるだけ”なんですよ。

 何かの理由や原因があって、それを経て此処に居るわけではありません。何かを成したくて、何かを欲してここにいるわけでもありません。私はただ、今この瞬間に在る存在。だから、“姉さん”、その質問は的外れですね」

 

「さ、くら‥‥?!」

 

「あら、どうしたんですか“姉さん”? そんなに驚いた顔をして、おかしな“姉さん”。私と“姉さん”は血を分けた実の姉妹じゃないですか。ああ、おかしな“姉さん”だ、おかしいなぁ、どうしてそんなに驚いてるのかなぁ?」

 

 

 “姉さん”?

 桜さんは、間桐桜でしょう? 間桐にして、マキリの当主。

 それが何故、遠坂の当主である凜さんを、姉と呼ぶ?

 

 

「ああそうか、姉さんは私のことなんて知らないんですよね。知らない振りを、したいんですよね。

 遠坂から間桐に養子にやられた私が、一人でどんな思いをしていたか、姉さんには分からないんですよね。いえ、分かってて無視したのかな? ねぇ、どうなんですか? ねぇ、姉さん?」

 

「‥‥‥‥ッ?!!!」

 

「くっ、落ち着きなさい凜! 冷静になるんです、今の貴女は錯乱している!

 ‥‥貴様、これ以上凜を惑わせるな! 貴様はサクラでは無いな、事情は分からないが、正体を現せ、化生がっ!!」

 

 

 剣の騎士の一喝が、混乱しかけた凜さんを正気づける。

 あと一歩で完全に動揺に支配されそうだった空気が、その一喝だけで、落ち着きと緊張を取り戻します。

 もちろん不明なことばかりな事態に戸惑っていたのは私とて同じ、一気に戦場の緊張を胸に黒鍵を取り出し、握りしめました。

 

 

「あらセイバーさん、私が他の誰に見えると言うんですか? 私は間違いなく間桐桜ですよ。今この場において、私以外に“間桐桜”はありえません」

 

「そういうことを言う者が、偽物でなくて何だというのか。他人の姿を騙るのならば、まずは対象とする人物をよく観察することだな、化生よ。貴様は桜に似ても似つかない」

 

「‥‥あら、そうでしょうか? でもセイバーさん、それでも私は“間桐桜”なんですよ?

 姉さんなら分かってくれるはずなのになぁ、ねぇ姉さん? 私は貴女の妹の、間桐桜ですよね? もう遠坂桜ではないけれど、間違いなく間桐桜ですよね?」

 

 

 妖艶な雰囲気に全く釣り合わない無邪気な微笑みを浮かべながら、

 『間桐桜によく似たナニカ』は私とセイバーの背後で緊迫した雰囲気を、セイバーのおかげで外見上は変わりないながらも、きっと精神がガタガタ震えているかのような同様を示している凛さんへと話しかけます。

 

 

 

「‥‥嘘よ」

 

「え‥‥?」

 

「嘘よ、桜はアンタみたいな子じゃないわ。

 そりゃあの子は自分に自信が持てなくて、いつも鬱々してるようなところもあるわ。ちょっと嫉妬深くて、不気味な時もある。

 けど、アンタそれ何のつもりよ、ふざけんじゃないわよっ!」

 

「‥‥‥へぇ」

 

「そんな無様な変装で私を騙せると思ってたんなら、嘗められたものね。っとに、少しだって動揺しちゃったのが恥ずかしいったら無いわ」

 

 

 怒声一喝、内面までも完全に自分を取り戻した凛さんが、鋭く“ナニカ”を睨みつける。

 凛さんの眼光に晒され、そのナニカは少しだけ目を見開いて、それでもニタリと笑って見せた。

 

 

「腹に立った勢いで殺しちゃうのは簡単だけど、その前に正体でも聞かせてもらおうかしら?

 姿形を真似るのはさておいて、なんで私と桜の関係について知っているのかしら、すっごく気になるんだけど、聞かせてもらうと嬉しいわね」

 

「‥‥‥‥」

 

「もしかして貴女、ヴィドヘルツルと繋がりがあるんじゃないかしら。そこんところも、キリキリ吐いてもらうわよ。‥‥話したくないなら、力づくで」

 

 

 そのセリフを合図に、誰からともなく同時に三人が武器を構えます。

 セイバーは聖剣を、私は黒鍵を、凛さんは宝石を。目の前の存在は今だに禍々しいオーラを放っていますが、それでも明らかな異常が前にあるのならば、それは先ほどまで正対していたヴィドヘルツルの仕業である可能性が高い。

 となると目の前の存在から、話を聞き出すのが一番効率が良さそうですね。

 

 

「‥‥フフ」

 

「は?」

 

「フフ、フフフ、フフフフフフ‥‥。あぁおかしい、おかしな姉さん。私が姉さんに嘘をつくはずなんて無いのに、そうやって疑って怖がって、あぁおかしな姉さん、本当に愉しいわ」

 

「いい加減に桜を騙るのを止めなさい、大根役者! 苛々させないで、今すぐに消滅したいのかしら?」

 

「そんなことあるわけないじゃないですか、せっかくこうして姉さんと会えたのに、すぐに終わったらつまらないですもの。

 あぁおかしな姉さん、私が姉さんに嘘をつくわけないじゃありませんか。私が、この私が、どうして姉さんに嘘をつかなきゃいけないんですか?

 私は間違いなく“間桐桜”ですよ。今、此の場所で、私以外の“間桐桜”は有り得ないんですよ?

 ウフフ、姉さんの言いたいことは分かりますよ? 一つ、私が何者なのか。一つ、此処は何処なのか。一つ、どうして私が“間桐桜”と“遠坂凜”の関係について知っているのか。一つ、私とヴィドヘルツルの間に関係はあるのか、ですよね?」

 

「‥‥‥‥」

 

「姉さんの考えてることなら何でも分かるんですよ? だって私、姉さんの妹なんですから」

 

「黙りなさいっ!」

 

 

 ビュン、と音を立てて私のすぐ横を擦るようにして黒い弾丸が飛ぶ。

 おそらく、前に『死なずのルードヴィヒ』を討伐する際にも教えてもらっていた北欧の呪い、ガンドでしょう。遠坂の魔術刻印から放たれるそれは一工程(シングルアクション)を超える速さで繰り出される機関銃の如き銃撃。

 ‥‥私を擦ったのは、苛々していたからだと信じたいですが。

 

 

「‥‥ッ?!」

 

「無駄ですよ、姉さん。私の周囲には高密度の虚数の影が配置されてますから、一工程(シングルアクション)未満のガンドじゃ傷も付けられません」

 

 

 しかし凜さんが放ったガンドは、突如そのナニカの足下から噴き上がった黒い影が壁になり、かき消えてしまいました。

 

 

「‥‥そういえば何の話をしていたんでしたか、嗚呼、姉さんの疑問の話ですね。

 フフ、四つ目の疑問には直ぐに答えられます。もちろん、私とコンラート・E・ヴィドヘルツルとの間に関わりが無いわけがないじゃないですか。私がどうして存在するのか、これに強いて理由をつけるならば、あの人と蒼崎紫遙さんのためだということになりますね」

 

「蒼崎君が‥‥っ?!」

 

「はい。まぁその説明は後に取っておきましょう。大事なことは一番最後、これは様式美ですからね。久しぶりの姉さんとの会話ですから、じっくり楽しみたいんです」

 

 

 あれは私達が感じた禍々しい魔力の根本。ナニカが桜さんをどれだけ真似ても、全く同じに見えない理由。

 どうやら諸悪の根源というヤツのようですね。‥‥なんと、おぞましい。

 

 

「三つ目の質問と、二つ目の質問は同時に答えられますよ?

 私が何故“間桐桜”と“遠坂凛”の関係について知っているか、それは私が“間桐桜”その人だからです」

 

「だからっ、ふざけるんじゃないって言ってるでしょっ!」

 

「ふざけてなんかいません。おかしな姉さん、私は姉さんに嘘をつかないって言ったでしょう?

 この場所、この時において、私は“間桐桜”以外の何者でもないんです。ああ、でも安心してください、さっきまで姉さんと一緒にいた“間桐桜”と私は別人ですから」

 

「‥‥別人? アンタが仮に“間桐桜”だとして、それじゃあアンタはどういう存在なの? 定義じゃなくて、中身が。さっきまで私と一緒にいた“間桐桜”から分裂した、とか‥‥?」

 

 

 ギリ、と歯を食いしばった凛さんが問い詰めます。

 ‥‥正直、ここまでの段階である程度の察しはついてしまっていますが、凛さんにとって桜さんは大事な存在。そして桜さんの姿を醜悪に改悪した目の前の存在との対話は、よほど腹に据えかねるのでしょう。

 

 

「あぁ流石は姉さん、でも残念ですが惜しいです。

 私は厳密に言えば、コンラート・E・ヴィドヘルツルによって生まれた存在ではありません。私の存在は、蒼崎紫遙さんによって生まれた存在なんです」

 

「ショーだと? 何故ショーが関係するというのか?!」

 

「うーん、説明すると長くなるんですけど‥‥別にワタシ自身が口止めされているわけでもないし、いいですかね?」

 

 

 しばらく小首を傾げて悩んだソレは、まぁいいかと考えたのか笑って私たちの方を見ました。

 無邪気なのは相変わらず、それにしても本物の桜さんを知っているからこそ、不気味にしか感じられません。

 

 

「姉さんは当然、シエルさんとセイバーさんも並行世界についての知識はありますよね?」

 

「当然じゃない、私は遠坂の当主だし、私自身第二魔法を目指して研究をしているんだから、知らなくてどうするのよ。今更アンタに説明されるようなことでもないわ」

 

「凛のサーヴァントである私も当然のように。貴様に講釈を垂れてもらう必要もない」

 

「私も‥‥まぁ一般的な知識であればありますね。曲がりなりにも代行者ですから、それなりに魔術の知識もありますし」

 

「それを聞いて安心しました。余計な説明をしなくて、済みますから」

 

 

 クスクスとバカにしたように笑うソレを前に、苛立ちが募る。

 確かに私は凛さんとも依然の事件を通じて親交を結んだ身ではありますが、そもそも魔術は好きません。この身に宿る魔術の知識すらも、本来なら忌まわしきもの。

 それに純粋な知識だけで語るなら、おそらく私は凛さんよりも豊富なそれを持っています。‥‥決して認めたくはないことではありますが、私の中に息づくそれは紛れもない死徒二十七祖のものなのですから。

 ですから、そのようなことを目の前のアレからわざわざ説教されるのは、業腹モノでした。

 

 

「要約してしまえば、私は『並行世界の間桐桜』ということになりますね。私は『この世界の間桐桜』が“いつか辿るかもしれなかった可能性”という存在です」

 

「桜が‥‥辿るかもしれなかった、可能性‥‥ッ?!」

 

「バカな、いくら無限の可能性を持つ並行世界といえども、あのサクラがこのように禍々しい魔力を身に纏うことがあるなど‥‥!」

 

「あれ、そんなにおかしいですか? 不思議だなぁ、二人とも“間桐桜”の一体なにを知っているっていうんですか?

 私が遠坂の家から間桐の家に引き取られて、どんな目に合っていたのかなんて知っているんですか? 私が間桐の家で真っ当な修行を受けていたと思うんですか? 魔術師の家の歴史は完全に血縁のみに伝えられる一子相伝なのに。

 血のつながっていない私が、どうやって間桐の魔術である蟲使いの技を習得したと思ってるんですか? 私が遠坂の、真っ当な人間の体のままで、他の家の秘術を継ぐことが出来たと思ってるんですか?」

 

「———ッ?!」

 

 

 いつの間にか私のすぐ背後にまで近づいてきていた凛さんが、ソレの放つ言葉でビクリと激しく震えたのを感じました。

 そう、確かにソレの言葉は全くの正論。本来ならば魔術刻印に代表される、その魔術師の家が長い歴史をかけて紡いできた神秘は、原則として血縁関係にある相手にしか継がせることが出来ません。

 ならば、仮に桜さんが元々は遠坂の家の人間であったというのが真実ならば、彼女が間桐の家に養子に出されたからといって、間桐の家の秘術を継ぐことは不可能。

 

 もちろん、それは、目の前のソレが言うとおり、“真っ当な手段に頼るならば”の話ですが。

 

 

間桐(マキリ)の魔術は蟲使いの技。本来なら外部の人間であるはずの私が蟲使いの技を習得するためには‥‥体を蟲に馴染ませる必要があったんですよ、姉さん」

 

「う‥‥そ‥‥」

 

「嘘なんかじゃありませんよ。毎日、毎日、蟲に体を馴染ませるために、体に蟲を馴染ませるために、私がどんな拷問を受けていたのか、女の私がどんな拷問を受けていたのか、聡明な姉さんならすぐに想像出来ますよね?」

 

「———ッ!!」

 

「凛、気をしっかり持ちなさい!」

 

 

 今度こそ決定的なダメージを受けたのか、凛さんはグラリとよろめき、彼女のサーヴァントであるセイバーに支えられます。

 その様子を見たソレは、ひどく愉しそうに嗤っていました。勘に障るぐらい、愉しそうに、悦んでいました。

 

 

「あぁおかしな姉さん、家同士の取り決めだからって目を背けて、他の家に売られた実の妹がどんな目に遭っているのか考えもしなかったんですか? 心配もしなかったんですか? ねぇ、どうなんですか? ねぇ、ねぇ、どうなんですか姉さんっ?!」

 

 

 嗤い声は次第に大きく、高く、強く。

 耳を覆いたくなるぐらいの音量になったその嗤い声は、いつの間にか哭き声か悲鳴のような叫び声へと変わって凛さんを打ち据えました。

 

 

「‥‥心配、してたに決まってるじゃない」

 

「‥‥‥‥」

 

「ずっと、ずっと桜の様子を毎日だって確かめてたわ。登下校の最中も、部活の最中も。桜がちゃんとやれてるか、健康に過ごしているか、笑ってられてるか、ずっと心配していたわ。

 慎二に殴られたなんて他人伝てに聞いたときは、アイツをどうしてやろうかと思ったわ。士郎の家に入り浸ってるなんて知った時は、本当にどうすればいいのかと思ったわ。

 ‥‥桜があれだけ浮かない顔をしていた間桐(マキリ)の家を継ぐなんて私に言ったときは凄く寂しかったし、同じくらい、嬉しかった。私と同じ場所まで、来てくれて。

 心配、しなかったわけないじゃない! 私と桜は、血を分けた、たった二人きりの姉妹なんだものっ!

 

 

 悲痛な叫びが、大空洞の中に木霊する。

 それは魔術師としての遠坂凛ではなく、一人の姉としての遠坂凛の叫びでした。

 ‥‥正真正銘、彼女の本当の気持ち。もしかしたら目の前のソレが以前に、もしかしたら私たちの戦友であるところの間桐桜さんが今、求めていたもの、求めているもの。それはこの、悲痛な叫びなのかもしれません。

 

 

「信じてくれなくても、いいわ。でもそれが私の、遠坂凜の正真正銘の本心」

 

「‥‥それをずっと前に聞けたなら、私もこうならなかったかもしれませんね。恥も外聞も、家同士の契約も無く、がむしゃらに私を助けに来てくれたなら、私も甘えられたかも」

 

貴女(さくら)‥‥」

 

「———でも、今更もう手遅れです。私はこうやって成ってしまったから、あとは為すだけなんです。私という存在を、そのままに」

 

 

 魔力が吹き荒れます。禍々しい魔力が。

 一度は少しだけ、あの優しい微笑みを取り戻した目の前のソレは、俯いていた顔をキッと上げ、荒れ狂っていた魔力を形にし始めます。

 影の魔術、虚数の術式。人間の持つ負の感情を、圧倒的なまでに巨大な魔力をによって顕現させる極めて特殊な魔術。

  

 

「‥‥でも少しだけ良い気分にしてくれたお礼に、教えてあげます。

 確かに私は“並行世界の間桐桜”ですけれど、並行世界から召喚されたわけでも、姉さん達が並行世界に召喚されたわけでもありません。

 私が“間桐桜”の記憶と人格を持っているのは間違いありませんが、私は“ある人物の記憶から再現された間桐桜”なんです」

 

「記憶から‥‥? それってまさか、私たちが冬木で集めてたクラスカードの術式の———ッ?!」

 

「さすが姉さん、その通りです。

 私はコンラート・E・ヴィドヘルツルの大魔術式、疑似固有結界『メモリー』によって召喚された存在なんですよ。いわば英霊の座から喚び出されるサーヴァントが英霊本体のコピーであるように、私は“とある誰かの記憶の中の間桐桜”のコピーです。

 ああ、もちろん寸分違わず間桐桜ではあります。そこは安心して下さい。今までのお話が、すべて偽物との会話だったってことは無いですから」

 

 

 詳細は既に、凛さん達から聞いてありました。

 宝石翁の命によって冬木を訪れた凛さん達が目の当りにした、クラスカードという高度な術式によって作られた最上級の魔術具。

 現実世界と合わせ鏡のようにして存在する鏡面界という異空間を創造し、高次元からの干渉という埒外の手段で他者の記憶を触媒に英霊を召喚する大魔術式。

 

 一応、対抗するために対精神干渉の用意はしてきましたが、それがどれほどまでに効果を発揮するかも謎。

 しかし少なくとも精神干渉をされたならば気づけるだけの措置は取ってきました。ですが、今の今まで警鐘は鳴らされていません。

 

 

「他の誰かの、記憶‥‥? でも私は、そんな姿した桜なんて知らない」

 

「そう、姉さんじゃありません。当然ほとんど私と面識がないシエルさん、ルヴィアゼリッタさんは除外されるし、対魔力の高いセイバーさんも無理。

 先輩にこんな惨めな姿を知られていたら、今の私は生きてませんし、鮮花と藤乃も、虚数魔術を使う私しか知らない。こうやって、負の感情に支配された私を知っている人間は、今この世界に一人だっていないんですよ。

 ‥‥フフ、もう姉さんもわかるんじゃないですか? 私が誰の記憶の中に存在していたのか、冬木の時のことを思い出せば、もう、すぐにでも」

 

「‥‥‥‥」

 

 

 そう、それは簡単な消去法。

 さんざん精神干渉に対する防備を施した私たちの誰もが精神攻撃を受けていない。ならば、私たちの中に精神干渉を受けた、彼女の触媒になった人間がいないのも道理。

 つまり答えはただ一つ。私たち以外の誰か、この城にいる誰か。それは、一人しか存在しません。

  

 

「蒼崎君‥‥。そうか、あの変態が言ってた、『蒼崎君の力』っていうのは」

 

「その通り。‥‥あの人は私のことを知っている。私だけじゃありませんよ、死徒二十七祖の幾人かを、英霊の幾人かを、世界を揺るがす力を持った魔術師を、あの人は記憶の中に持っているんです」

 

「どういうことですか、それは。彼は蒼崎の人間ですが、年齢は外見相応だと聞いています。その彼が、今までの人生の中でそれほどの魔性と知り合う機会があったとは思えません‥‥!」

 

「あらあら、埋葬機関の第七位ともあろう人が、頭の回りが悪いんですね。いいですか、私は可能性の存在に過ぎないんですよ? 今、此の世界には存在しない者です。

 そんな存在のことを知っている人なんて、いるわけがないじゃありませんか」

 

「‥‥確かに貴様の言う通りだ。しかし解せない、だとしたらショーは、どうやって貴様の存在を知ったというのだ?」

 

 

 緊張が、走る。

 互いに相手に対して一切の隙を見せないままに、牽制しあったままに、話に集中しています。

 ここを違えると、大変な間違いを犯してしまうのではないか。紫遙君に対する認識を違えたままに走れば、何かトンデモない悲劇を生むのではないか。

 興味とは違う、切迫した理由によって、私達の誰もが紫遙君のヒミツについて、知識を要していました。

 

 

「‥‥あの人は、傍観者です」

 

「傍観‥‥者‥‥?」

 

「いえ、観測者って言った方が正しいのかな? 彼が居たのは、異なる世界。此の世界の上位世界‥‥いえ、観測世界と言った方がいいのかもしれませんね。

 彼の中には全てがある。『 』も、根源も、英霊の座も、魔法も、全てが彼の中に眠っている」

 

「そんな馬鹿な! 仮にそれが正しいとして、たった一人の人間の中にそんな神秘が眠っているわけがない!」

 

「うーん、私もよく分からないんですけどね。少なくともコンラートさんはそう思ってるみたいです。

 あと勘違いを一つ正しておきますと、確かにそれらは全てあの人の中に在りますが、それは“観測の結果”であって“神秘”じゃないみたいなんですね。まぁ、私にはあまり興味のないことですけど」

 

 

 愕然と、言葉を失う。

 全てが本当だなんて、信用することは出来ません。しかし彼女に嘘をつく理由がないのもまた同じ。

 そして彼女の言葉はある意味で、紫遙君に対しての疑惑の一部にある程度の説明を付け加えていました。

 それは付き合いの浅い私よりも、付き合いの長い凜さんとセイバーの方が、腑に落ちる点があったに違い在りません。二人のこめかみを、一筋の汗が垂れているのが見えます。

 

 

「あの人は私達とは違う存在なんです。私達を観測する存在で、彼自身の存在は彼自身に観測出来ないが故に、あやふや。不安定な人‥‥」

 

「‥‥馬鹿な、戯れ言を———」

 

「戯言なんて証拠が、何処にあるんですか? 私の言ってることが正しい保証が無いと言うのなら、私が言ってることを間違いだなんて言う証拠だってありはしませんよ?」

 

「だから戯言だといったのだ! 貴様は‥‥凜を苦しめる。桜ならば、凛を苦しめるようなことはしない‥‥!」

 

「それは部外者の勘違いですよ、セイバーさん。いつも綺麗だった貴方だから、そうやって眩しい理屈を翳していられるんです。

 貴方も姉さんと同じ。光の中にいて、暗いところは貴方の影にあるんですね。光に一番近い人間が、その影の中に入ることになる。姉さんで言うなら、私。貴方で言うなら‥‥息子さん(サー・モードレッド)、かな?」

 

「貴様‥‥ッ!!」

 

 

 セイバーさんへの言葉に、ミシリ、と空気が歪む音がしました。

 たった一人の騎士から放たれる圧倒的な威圧感。それは目の前の禍々しいソレに匹敵する程の圧力を持ち、横にいる私の肌までビリビリと震えます。

 恐ろしい、否、畏しい。これが英霊のホンモノの怒りですか。

 

 

「———さて、セイバーさんをからかうのも愉しいですけど、そろそろ物語を元の流れに戻さなくちゃ。

 私がここにいるのは、“私を殺すために此処にやって来た姉さんと戦う”ためなんですから、役者がその通りに動かなければ舞台は回りませんよね」

 

「アンタ、何を‥‥ッ?!」

 

「私は蒼崎紫遙さんの記憶の中の“確定してしまっている物語”をなぞる存在なんですよ。ですから姉さん、ここで私達の因縁に決着を着けましょう?

 見えますか? あの黒い塔が。私は母親としてあの子(アンリ・マユ)を生まなければいけないんです。ですから姉さん、この世全ての悪(アンリ・マユ)を現世に解放したくないなら、私を殺すことですね」

 

「何を言ってるのよ桜ッ?!」

 

「あは、やっと名前で呼んでくれた。

 でも姉さん、さっきから言ってるでしょう? 私の存在と私の目的に、何故とか理由を考えるのは無意味なんです。私はただ、決まり決まったことをやるだけの存在なんですから。

 言っておきますけど、勿論アレが生まれたところで“姉さん達の世界の冬木”が汚泥に包まれるわけじゃありません。けど姉さん、今ここに居る姉さん達は、間違いなく死にますよ‥‥?」

 

 

 ぞわり、ぞわり、ぞわり。

 ぞわわわっと背筋を今度こそ強烈な悪寒が走り抜け、私達は一瞬で反射的に臨戦態勢を取りました。

 最早、理性や理屈を越えた生存本能としての戦闘意志。それは絶対衝動として私達を生存のための戦争へと駆り立てます。

 否応のない戦闘への突入。それはある意味で、罠とも言うべきなのでしょうか。

 後になって考えてみれば、話し合いの段階ならばまだまだ荒くだったに違いないのです。

 

 

「フフ、やる気になってくれたみたいで嬉しいですよ、皆さん。

 ‥‥けど相手が姉さん達じゃ、ちょっと私もキツイですね。だってほら、何せ剣の騎士(アーサー王)と埋葬機関の第七位なんて、一人で相手出来るような敵じゃないですよね」

 

「ハ、それこそ戯れ言を曰ってくれるものですね。私も代行者としての戦闘経験は豊富な方ですが、貴女ほどの魔性を相手にしたことは片手の指で足りるぐらいしか無いんですから」

 

「お褒め頂き光栄です、蛇の娘さん。

 まぁそういうわけですから、私の方も一人だけ助っ人を呼ばせて頂きますね、‥‥此の場所に、相応しいゲストを」

 

「———ッ?!!」

 

 

 ゆらり、とソレの背後の影が揺らめいて、中から一人の魔性が姿を現しました。

 いえ、それは本当に魔性と称するべきなのでしょうか。何せ悠然とこちらへ一歩足を踏み出したのは、私もそれなりによく知る一人の少女騎士の姿。

 

 

「私‥‥だと‥‥ッ?!」

 

「ええ、そうですよセイバーさん。

 この人はセイバーさんが聖杯の泥を浴びて、汚し尽くされた存在。そうですね、黒セイバーさんと呼ぶのも無粋ですから、オルタさんとでも呼びましょうか。

 貴女の存在全てを反転させた、黒い英霊。もしかしたら貴女も冬木の時に見たことありますかね? まるで姉さんに対しての私みたいな、汚れた存在ですよ」

 

「‥‥貴様、このような屈辱をよくもッ!」

 

「ウフフフ、少しは私の気持ちが分かってくれましたか? ねぇ、今どんな気持ちですか? ねぇ、自分が汚された存在を前にして、どんな気持ちですか? あぁ少しは溜飲が下がりましたね、これだけでも儲けものでした」

 

 

 全身が漆黒の、刺々しい装飾が施された鎧を纏う少女騎士。

 金糸の髪に蒼白な肌。血走ったような赤い紋様が施されたバイザーを被っているから表情は分かりませんが、冷徹にこちらへ黒く染まった聖剣を向けて来ています。

 

 

「‥‥これなら互角の勝負が楽しめそうですね。

 さぁ姉さん、そろそろ一緒に踊りましょう? 話をするのも疲れてしまったし、それにくぅくぅお腹が空きました」

 

「‥‥桜」

 

「行きますよ姉さん。力の差を、見せてあげますね」

 

 

 ソレの足下から、次々に黒い影が起き上がる。

 影はのっぺりとした二次元的な身体を持つ巨人へと成長し、私達へと長大な腕を凶器として振るう。

 同時に大地が爆発するかのような勢いで踏み出した二人の騎士は二振りの聖剣で鍔迫り合い、私が反射で投げた聖剣が目の前で嗤うソレを狙う。

 

 戦いはそうして呆気なく、そして急転直下の勢いを以て始まった。

 舞台は世界の破滅という終幕《フィナーレ》。私達は他人に用意された舞台で踊る哀れな役者。

 それは十分に分かっていながら、それでも踊るより他に選択肢はありませんでした。

 

 何故なら、どれだけそれが愚かで哀れで、おかしなことだったとしても。

 

 この一戦を、間桐桜という少女の姿をした黒い聖杯(アンリ・マユ)を相手に戦い抜くことが、

 

 何よりも難しい命題だったからです。

 

 

 

 80th act Fin.

 

 

 

 




密かにニコ生で執筆放送や、ゲーム実況などしてます。
人狼王などでは有名ss作者さん達も参加中。
ニコ生コミュニティ「ハナマスター」をどうぞよろしく!

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