pixivにて活躍中の明智あるく氏と、“東方鼬紀行文”で著名な辰松氏から頂戴いたしました。
お二方、ありがとうございました!
side Azaka Kokuto
魔術師が戦闘者である必要はない。
例え、その魔術師が戦闘に用いることが出来る魔術を、戦闘において有利になる魔術を会得していたところで、その魔術師が戦闘者でないならば如何なる価値があるだろうか。
魔術師にとっての魔術とは目的であって、手段ではない。魔術は研鑽することが目的であって、それを手段として何かに用いることは、そもそも発想として存在しない。
魔術を手段として用いるものは魔術使いと呼ばれ、魔術師からは蔑まれる存在となるのだ。
わたし、黒桐鮮花は魔術師だ。
いや、確かに魔術師かと言われれば結構疑問かもしれない。なにせわたしに魔術師として必須な魔術回路は存在しないし、ならばわたしに魔術師の最終目標である根源に到達する資格はないのだろう。
魔術師として生きることの出来ないわたしは、魔術使いなのだろうか。それでもわたしは橙子師から魔術師としての修行と心構えしか教わってないから、きっと中途半端なまま生きていくんだろうけれど。
もしかしたら、わたしみたいな者は真っ当な魔術師から見たら許し難い存在なのかもしれない。
ただ一つ言えるのは、少なくともわたしが受けた教育自体は誰はばかることなく一流のものだったと、断言できるということ。
何せわたしの師は封印指定の人形師、蒼崎橙子。
彼女の指導を受けているといえば、誰もが一目置くことだろう。もちろん虎の威を借る狐というのは好みじゃないけれど、わたしはそれを誇りたい。
だからこそ、彼女に魔術師として指導を受けたわたしは、その一点においてのみ魔術師である資格は存在していると思う。
そんなわたしは、橙子師の指導の下でいくつかの荒事を経験している。
ただ、荒事といっても本当にたいしたことがないものばかりだ。一番激しかったのは私の通っている礼園女学院で起こった、
あの妖精は数こそ暴力だったけれど、そもそも戦闘に向いている能力ではなかったことだし。私の焔を一振りするだけで消えるんじゃ、相手として不足だろう。
‥‥何よりわたしが煤まみれで戦っている間、式はもっとヤバイ
もっともわたしはあの事件に対しての自分の働きに自信を持つことが出来るけれど、誇れるかっていうと‥‥それはまた別問題よね。
成長は、ただ怠惰に日常をこなしているだけでは訪れない。
例えば筋肉トレーニングなんかは顕著にそれを表しているだろう。腕立て伏せを百回できる人が、百回の腕立て伏せを毎日続けたところで今よりも強くなれるわけじゃない。
強くなりたいなら、成長したいのなら百回ではなく、百十回、百二十回、百五十回の腕立て伏せをこなさきゃダメなのだ。今の自分の限界を超える意志を見せて、ようやく人は成長するための資格を得る。
戦闘者でない黄路先輩は勿論、他の依頼でフルボッコにした関係者も、どれも残念な連中ばかり。わたしのテコンドー(我流)と焔にかかれば造作もなく捻ることが出来た。
それは別に傲慢とか慢心とか、そういう類のものじゃないと自分でも言える。保有している力の差が純粋に大きいが故。
誇ることでもないし、自慢することでもない。ただの事実に、感情が入り込む隙間なんてない。
だからわたしは戦闘において、自分に最適だと思っている一つの手段しか取ることが出来ない。
それは決して数多の戦闘経験によって培われたロジックというわけでもなく、ただのテンプレートのようなもの。
勿論やろうと思えば、わたしが持っている焔の魔術という武器を戦闘に適したように磨き、戦闘技術を会得することも出来る。というかそれはそこまで難しいことではないし、元よりわたしの魔術は戦闘に向いている方だと言える。
けれどそれは魔術師の在り方じゃないから。わたしはそれをやらない。
一応少しばかりの護身術を見につけているし、護身が出来るぐらいには魔術の行使を考えてはいるけれど、それでも魔術師に戦闘は不要、考えることすら不純であることには違いない。
だからこそわたしの戦闘は、その場での試行錯誤が基本になる。必勝法というか、スタンダートな戦い方から、その場で相手の出方を伺いながら戦法を変えて行く。あまり優雅とはいえない、ゴリ押しにも近い戦い方だ。
魔術を効率よく行使する方法は知っていても、それを効率よく戦闘に利用することは知らない。これが魔術師の正しい在り方、というよりは、正しい在り方によって導かれる当然の結果と言うべきか。
「‥‥だからって、ここまで相手のセオリー通りに振り回されるのも腹が立つわね」
本当なら戦闘に縁がなくて然るべきわたしが、こんなところ‥‥戦場に立っている。
そして目の前の男は、わたし達の倒すべき敵は、あまりにも強大かつ洗練されていた。
「ハーッハッハッハ!! どうしたんだアオザキの弟子?! そんなちゃちな焔じゃ私に火傷一つ負わせることも出来ないぞ?!」
「やっかましい! さっきからケタケタケタケタ煩いのよ、この変態装束魔術師がっ!!」
閃光と共に、わたし達は何故か今までとは全く別の場所に立っていた。
硬くてスベスベしたリノリウムの床。そしてホールのような、二階分くらいを吹き抜けにして作られた広い空間。
目の前にはさっきまでいた城の広場みたいに階段と踊り場が据えられていて、趣味が良かった絵画はおぞましい、ぐちゃぐちゃした君の悪いものに差し替えられていた。
全体的な印象は淀んだ赤。照明も赤くなっており、先ほどまでの中世の城とは一線を画する。
まるで美術館のような、地獄か何かをイメージして展示を選んだ趣味の悪く低俗な美術館のような場所だ。少なくとも、この場所を好きになれる者はいないだろう。いたとしたら、相当に精神が歪んでいるに違いない。
「どうした、そんなものかねアオザキの弟子ぃ? まったく期待外れだな。アオザキの奴ならもっと上手くやったろうに‥‥所詮ヤツでは出来の悪い弟子を育てるのが精いっぱいというところ、か」
「喧しいっつってんでしょうが変態! 悪趣味なコート着て、存在が目に痛いのよっ!」
「変態‥‥?! くっ、やはり師が師なら弟子も弟子だな! あまり調子に乗ると黒焦げにしてしまうぞ小娘がっ!」
「やれるもんならやってみなさいよ! いちいち勿体付けて、苛々すんのよアンタ!」
これ以上ないぐらいに勿体つけて、わたし達の前にその男は現れた。
一言で形容するならば、赤。古風なコートに時代錯誤なシルクハット。堅苦しいベストにループタイと、世代と時代を完全に間違った服装は嫌味なぐらい似合っていたし洒落てもいたが、目に痛い赤で統一されていたが故に違和感と残念感が漂っている。
男としては随分と長い金髪と欧州風の顔立ちは以前に会う機会があった時計塔の名物教授、ロード・エルメロイを彷彿とさせるが、顔に浮かんだ他人を蔑む笑みが決定的に人柄を分けていた。
自分より能力の低い人間を見下す、優越感に浸るタイプの人種。はっきりいって気に入らない、というよりこのタイプの人間を好きな人はいないんじゃなかろうか。
「Azolt———ッ!」
自分の中に眠る異能へと
生み出されるのは、真っ赤な焔。魔術回路を持たないわたしが唯一扱える異能。橙子さんをしてすでに焔の扱いのみに関して言えば上まった評価してくれている攻性魔術は、鉄板だろうとものの数秒で溶かしてしまうぐらいの威力がある。
今までは自分の掌の周りぐらいにしか顕現出来なかったけれど、修行の結果、火球のように飛ばしたり火焔放射をしたり出来るようになっていた。
「AnImaTo———ッ!!!」
掌の焔が、詠唱に応えて大きく燃え上がる。
わたしの魔術は『焔を操る魔術』ではなく、『発火の魔術』だ。
大気に発火してもらう、対象に発火してもらう、といったプロセスを踏むので、実は魔術師をあいてにするときの攻撃力はそこまで高くない。
なぜなら抗魔力が基本的にそれなり以上にある魔術師が相手では、発火してもらうというわけにはいかないからだ。
故に大気を発火させ、間接的な手法で攻撃する。
わたしの掌に顕現させた焔を対象に着弾、そこを火種にして大きな焔を巻き起こす。
大きく振りかぶった掌から振り払うようにして火球が離れ、赤コートの魔術師に向かって一直線に飛んでいった。
「———Go away the shadow《影は消えよ》」
一言、赤コートの魔術師が勿体つけた笑みと共に呟いた、たったの一言。
その何の造作もない芝居がかった一言だけで、わたしが放った火球を遮るように、魔術師の前に高い天井まで焦がすかのような火柱が湧き上がった。
「‥‥信じられない、トンデモないわねこの変態」
「誰がっ! 変態だっ?!」
わたしの焔を完全に吹き飛ばしてしまう程の、圧倒的な威力を秘めた焔の柱。
たった一小節の詠唱で、いとも簡単に生み出したそれは、一瞬でかき消えるがそれで十分に過ぎる。
「クク、わたしの高速詠唱の味はどうかね、アオザキの弟子?」
「‥‥煩い変態」
今まで見たこともない、高速詠唱。
普通に詠唱すれば数秒かかる魔術の詠唱を、特殊な方法を使ってゼロコンマ秒に短縮、恐ろしい威力の魔術を高速で発動することが出来る。
もちろん簡単なことではない。しかし熟練した魔術師ならば、これほどまでの高速詠唱も可能。
そもそも詠唱を重視しない橙子師や、詠唱と自己暗示が極端に長くて実用性に乏しい紫遙はあまり重要視していない技術だから、もともと詠唱が短くて高速詠唱の実用性がアレしてるわたしも同じく重用することはないかと思ってたんだけど‥‥。
「正直ヤバイわね、こいつ」
「鮮花、大丈夫?」
「大丈夫じゃないわ、問題よ。ここまでやるとは思わなかったわ。化け物とまではいかないけど、わたし達の適うギリギリのレベルの相手よ」
傍らに駆け寄って来た腰まで届く長い黒髪の女の子、浅上藤乃が心配そうに声をかけてくる。
その隣で油断せずに赤コートの方を伺う姉妹弟子、間桐桜も併せて二人には敢えて手を出させず、わたしだけが矢面に立ったのには相手の戦力を把握するという思惑もあったから、心配そうにしているのも当然だろう。
‥‥結論。相手はわたし達のレベル、未だ時計塔の学生程度が良いところというわたし達ぐらいの魔術の腕とは、まったくもってレベルが違った。
橙子師に匹敵‥‥とはいかなくとも、それに準ずる腕前だ。おそらくは時計塔の講師から教授ぐらいのレベルにはいる。
「‥‥純粋に速度そのものを加速する特殊な高速詠唱、そして自らの属性に特化した、最適化された魔術行使」
「その通りね。ただ単純に魔術の行使という話に限定するならば、わたし達と比べることなんてお話にもならないわ。もちろん桜の、ちょっと特殊な属性を考慮にいれても、ね」
所詮は超能力者という理屈の伴わぬ異能者である藤乃に代わり、多少偏ってはいるけれど、しっかりと魔術師として修行を受けて来た桜が答える。
魔術師の扱う技術として考えた場合、赤コートの使う技術は高速詠唱一つとっても、さほど真新しく新鮮なものというわけではない。
どちらかといえばスタンダートな、悪くいえばありきたりな技術。ただ真っ当にそれを磨き続けて、真っ当に進化した結果としての、この速さ。
あまりにも正当過ぎる魔術師。だからこそ、邪道な魔術師、魔術使い寄りであるわたしとの差が際だつ。
「‥‥どうするの鮮花? どうして私達が突然こんなところに連れてこられたのかは分からないけど、紫遙さんを救出するっていう本来の目的を考えると———」
「もちろん、こんなところで油売ってる場合じゃないわ。とっとと目の前の変態ブッ飛ばして先に進むべきよ」
「問題は、それが出来れば苦労はしないってことでは?」
「そんなこと分かってんの! 仕方がない、やるわよ藤乃、桜!」
後ろに控える友人二人と共に腹を括る。
なぜ、突然こんなところに現れたのかは分からない。あのとき、足元に浮かんだ謎の魔法陣が関係していることだけは間違いないだろうけれど、それでも相手の意図を感じるには、わたし達では若干思考能力に不足がある。
たぶん、おそらくはあまりにも人数が多すぎたわたし達のパーティを分断させるという意図はあったんだと思う。けどそれ以上が分からない。
分断した先でわたし達を各個撃破しようとしたのか。であるならば、わたし達がとるべき手段はどれほどのものがあるんだろうか。
目の前の敵を倒せば、それで終わるんだろうか。倒したところで、この空間が何に由来して創造されたかによって、話は変わる。
たとえば目の前の存在が作り出したものだとすれば? この場所は現実空間に隣接する仮想空間なのか、それとも噂に聞く固有結界のように、現実世界に投影したものなのだろうか。
目の前の敵を倒すことで、わたし達が空間の崩壊に巻き込まれてしまう可能性はないのだろうか。そんなことを考えるときりがないし、それに戦闘中にのんびりと思考していられるほど余裕があるとも思えない。というか、現にない。
「とにかくこのいけ好かない魔術師をコテンパンにしちゃうわよ。わたしがメインで、桜はサブ。藤乃は様子を見て、隙があったらキメちゃって」
「分かったわ」
「任せて」
戦力分析。
わたしが使えるのは『発火』の魔術ただ一つ。
多少の応用が利かないことはないけれど、他の魔術師たちからしてみれば随分と融通の利かない能力で、しかもこと炎の威力だけを比べるならば完全に相手に分がある状況。正直、かなりの劣勢と言わざるを得ない。
ただ相手が底を見せていないのに、諦めてしまうのも当然愚策。ならば可能な限りこちらの手と底を見せないようにしながら、相手に数多くの引き出しを出させるために、既に初手が割れてしまっているわたしが積極的に戦いに行くべきだ。
そして桜。
蟲使いの技と、虚数属性の魔術は希少かつ強力。
特に顕現させた影を用いる二次元的な攻撃は防御が困難で、出来ることも多い。その反面リスクも多く、諸刃の剣。逆に威力に関しては特筆するほどのことはないけれど、単純に物量や厭らしさで圧倒dけいる蟲による攻撃の方が初手としては得策。
何より魔術ではなく、超能力という異能を用いる藤乃。
それは魔術師という人種からしてみれば、基本的に理解の外にある出来事だ。何せ超能力者は魔術とは全く基盤が異なる力を用いる人種で、ある意味では超能力者にとって魔術師も一般人も変わりない。
わたしみたいに、先天属性として『発火』を持っているという者も確かに魔術師とは異なる異能者だ。何せわたしには魔術師が魔術師たる所以であるところの魔術回路が存在しないのだから。
けれどわたしは、どちらかといえば魔術師寄りの異能者で、わたしの異能である『発火』の制御は魔術によって行っており、だからこそ魔術師にとっても共通した基盤を持った御しやすい相手だろう。
しかし藤乃は完全に別物。その能力に魔術師が予想できる法則など存在しない。
仮に相手が戦闘者であったなら、それも決して圧倒的な有利に働くものではなかったことだろう。しかし、相手が“ただの”魔術師ならば、彼らは魔術の範疇でしか物事を考えることが出来ないという一点においてのみ、超能力者に遅れをとる。
何せもともと超能力とは非常に弱い力であり、藤乃のように破壊的な能力を持っている人の方が異常なのだ。
「‥‥さて、律儀に待ってくれて悪かったわね。そろそろ本腰入れてボコボコにさせてもらうわよ、このHENTAI魔術師」
「だからっ! 誰がっ! HENTAIかっ?! シュボンハイム修道院次期院長、魔術師アグリッパの直系の子孫であるこの私、コルネリウス・アルバの何処をどう見たらHENTAIなんだっ!!」
「HENTAIはHENTAIなんだから仕方がないじゃない。わたしはね、今までおかしな恰好してる連中でまともな奴に会った試しがないのよ」
ギシリ、と歯を軋ませて赤コートの魔術師‥‥コルネリウス・アルバは吠える。
口角泡を飛ばして叫び散らす様子は、とても本人が言うような大魔術師には全く見えない。いっそ滑稽なくらいのオーバーリアクションと芝居がかった仕草は、そういえば橙子師も似たようにロマンチストなところがあって、魔術師っていうのはみんなこんなものかと少しげんなりとした。
「‥‥人形師、蒼崎橙子の弟子の黒桐鮮花よ。あんたが何者かなんて知らないし、橙子師のどんな知り合いなのんかも興味ないわ。でもね、悪いけど、わたし達には用事があるのよ。そこ、通してもらうわねっ!」
「———Es Glo《声は大きく》, Mein Nagel Ladst Mikitar《私の指は彼らを誘う》!」
桜の足元に広がった彼女の影。普通に出来た影とは少し違和感のある、底の知れない真っ黒なソレから、うぞろうぞろと悍ましい、人間の持つ生理的嫌悪感を刺激する嫌な音と共に小さな影が現れる。
真っ黒な影は、その躰から目を見張る程に真っ白な羽を出すと、やけに重々しい羽音を立てて飛び上がった。
始めは数体、更に十数体、終いには数十体。黒光りする兵隊は、瞬く間に桜の周りを覆いつくし、壁のように飛び回る。もちろん壁なんてものではなく、そのすべてが弾丸でもあるんだけれど。
「‥‥ほぅ珍しい。蟲使いの魔術とはね」
「お褒め頂き光栄です、コルネリウス・アルバさん。せっかくですから
影から湧き出てきた蟲達は当然ながら只の蟲では、決してない。
普段は普通の昆虫の類に自分の血を与えて使い魔として使役している桜だけど、こういった戦闘の時には、同じ魔道に生きるわたしをして背筋を寒いものが走り抜ける、おぞましい改造蟲を繰り出すのだ。
わたしも彼女からぽつりぽつりと、魔術の修行に必要な表明の部分を聞いただけでも恐ろしくなるマキリの修行の数々。
身体に蟲を馴染ませ、蟲に身体を馴染ませる。頭の端から爪先までを蟲に犯された桜の身体の中には、いわば魔術刻印の一種として各種多様な蟲が潜んでいる。
彼女の魔術属性である、“虚数”とは全く違う系統の魔術を修めることが出来ているのは、このような荒療治のおかげだ。いや、これをおかげと称するのはあまりにも桜に可哀想なんだけれど。
「■■■■■———ッ!!」
もはや羽音とは呼べない、醜悪な騒音を発生させながら蟲が飛ぶ。
それは立派な軍隊、あるいは波濤だ。触れるもの皆、例外なくズタズタに切り裂き、押し潰し、喰らい、蝕み、犯し尽くす、猛威そのもの。
当然ながら人間なんて何の壁にもなりはしない。触れたが最後、たちまちのうちに皮膚は割かれ、肉は吹き飛び、臓腑は喰らわれる。骨の隙間まで犯され、見るも無罪な肉塊へと成り果てる。
‥‥そのはずだった。
「———It is impossible to touch the thing which are not visible《己が不視の手段を以て》」
再び巻き上がる、焔の柱。
真っ正面から襲いかかった蟲の一隊が、悲鳴を
上げる暇すら無く瞬く間に灰燼と化して大地へと降り注いだ。
「———Forget the darkness《闇ならば忘却せよ》」
たった一言の発音で、数小節もの詠唱を可能にする高速詠唱。
その言葉によって次々と赤コートの魔術師の周りに焔が踊る。
「———It is impossible to see the thing which are not touched《己が不触の常識にたちかえれ》」
散開し、上下左右から三次元的に襲いかかる蟲の小隊の悉くが燃え、焼き尽くされていった、
その様は広間の内装もあって、まるで現世に顕現した煉獄。圧倒的な破壊力を辺りに撒き散らす焔の柱は神代の代物か。それらに囲まれる赤いコートの魔術師、コルネリウス・アルバは、圧倒的な力量をわたし達に見せつけながら嗤っていた。
「‥‥Dust to Dust。塵は塵に、灰は灰に。味のある魔術だったが、たわいもない。所詮は自らを魔道に捧げ尽くさなければ手に入れることが出来ない程度の力だ。魔道が捧げた魔術を操る私には、遠く及ばないね」
「調子に乗ってんじゃないわ‥‥よっ! Azoltッ!」
「おぉっ?! ちぃっ、小賢しい小娘が、無駄だと分かって———」
「喧しいわ! 続けていくわよ、Con BrIo!!」
「人の口上を遮るな! ええぃクソ、一体何を教えているのだ、弟子の躾がなってないぞアオザキィ!」
何を格好つけているのか、服装共々無駄に優雅に振舞おうとする変態目掛けて、桜が仕掛けた時には既に横っ飛びに走り出していたわたしが炎弾を放つ。
一つ、二つ、立て続けに幾つも。どれも威力としてはジャブみたいなものだけど、当然当たれば痛いし、皮膚は焼ける。顔面に当たれば酸素を奪い尽くして絶命させることは間違いない。
「“発火”の魔術とは、児戲だね! 出力はそこそこあるようだが、焔に昇華されていない炎などでは私には効かん!」
「吠えると弱く見えるわよ、変態。‥‥あ、決めた。アンタこれから赤ザコね。赤くてザコっぽいだから、赤ザコ」
「誰がザコだっ?! この私が、アグリッパの直系たるコルネリウス・アルバが何故ザコ呼ばわりされなければならないのだ!
いい加減にそのよく回る口を閉じないと、骨も残さず灰にするぞ小娘ぇ!」
「そんな温い魔術でわたしを燃やせるもんですかっ! 桜、この赤ザコ滅多滅多にしてやるわよ!」
「任せて! Es erzahlt.《声は遠くに》Mein Schatten nimmt Sie《私の足は緑を覆う》———ッ!」
桜の使い魔である蟲の
今度、現れたのは地を這う戦車のような蟲の群れ。空を飛ぶ兵士達よりも重厚な鎧をまとい、大きさも数倍、子猫ぐらいもある非常識なもの
もはやこれを見て虫と形容できる人間はいないだろう。むしろ蟲でもないかもしれない。あまりの異形、あまりの脅威。醜悪な、相手を害する意思の表れ。
それがガサリガサリとリノリウムの床を削りながら、決して目で追えぬ程の速さではなくとも、十分以上に俊敏な動きでコルネリウス・アルバへと突進する。
「また新しい蟲かね?! 醜悪! 醜悪! 醜悪極まる! いくら厚い装甲に身を包んだところで私の焔の前に、糞蟲など———ッ!!」
腕の一振りで生まれた焔が、軍隊のように隊列を組んで向かってくる蟲達を覆い尽くす。
その焔の威力はさっき、桜の
瞬く間に深紅の焔によって姿が見えなくなる装甲蟲。その様に赤ザコはニヤリと嫌らしい笑みを浮かべ———
「なん‥‥だと‥‥ッ?!」
燃え尽きたかと思った次の瞬間、焔の中から現れる無傷の蟲達。
少しぐらい黒焦げているようではあるが、動きには何の支障もない。アイツを嘲笑うように、ゆっくりと、次第に速く歩を進める。
その様に動揺したのか怯えたのか、赤ザコはびくりと一歩後ずさった。
「‥‥マキリの魔術の属性は水。水気を満たされた蟲に、真っ当な火気は通用しませんよ、赤ザコさん」
「だから誰がザコだっ?! クッ、クソ、焔が効かないとは‥‥!」
「大の大人が泣き言を漏らさないで下さい。‥‥さぁ、喰らいなさい子ども達」
突如、動きを速くした装甲蟲達が赤ザコを襲う。
自分が圧倒的優位に立っていてこそ醜悪だと馬鹿にしていた赤ザコが、泡を食ってフロアーから踊り場へと階段を駆け上がった。
「クソ、クソ! 嘗めるなよぉ小娘ぇ!!
The question is prohibited.《問うことはあたわじ》The answer is simple《解答は明白なり》———ッ!」
再びステッキを構え、詠唱。
高速詠唱によって掲げた掌に質量すら持った強力な焔が顕現する。赤ザコは体ごと腕を振りかぶり、その焔を側に立っている柱へと投げつけた。
轟音、崩壊。
空を飛ぶために軽量化されているとはいえ、普通の手段では歯が立たない装甲を誇る
「‥‥ッ?!」
「ク、クク、どうだ小娘。焔が効かないのならば、踏みつぶしてやるまで。‥‥まぁ私の靴でやると汚いのでな、今回は瓦礫を使わせてもらったが」
崩れ落ちた柱は、過たずに階段を上り始めていた蟲達へと襲いかかる。
確かに下手すれば刃物すら軽くはじいてしまう装甲蟲だけど、流石に大質量が相手だと耐久力はそこまで高くない。
そもそもハンマーなんかで殴られてしまえばひとたまりもない装甲蟲。二、三階層にも匹敵する吹き抜けを支える柱を落とされてしまっては一発だ。
「‥‥まさかそんな乱暴な方法で対処してくるなんて」
「フン、どうせ私の根城というわけではない。あの憎いアオザキが設計したこんな広間、全て崩れてしまえばいいのだ。
しかし厄介だな、貴様の能力。早いところ消し炭にしてやるとしよう。———I have the flame in the left hand《この手には光》」
「———ッ! Es flustert《声は祈りに》!」
「Azoltッ!」
赤ザコの掌から迸った焔が迫り、桜の影から火に対しての耐性を持った蟲を壁として呼び出し、わたしは隙を見て火球を放つけど、軽く別の焔の柱で迎撃されてしまう。
複数の魔力行使を平然と行うのは、簡単に見えて意外に難しいことだ。特に攻性の魔術の場合、制御が難しいから難易度は更に上がる。
「そら、上手く立ち回らないと死ぬぞ?」
「喧しいっつってんでしょうが! ザコのくせに!」
「だからザコはやめろと言っているだろうが!」
「赤いくせに!」
「赤いのは関係ないだろう?! 他人様の趣味をどうこう言うんじゃないわっ!」
次々と火球がわたし達を襲う。その都度、桜が蟲を使って防いでくれているけれど、それにも限界はある。
蟲は桜の影の中に収納されている分しかいない。普段、育成しておいて、ここぞというところでこうやって使うのが彼女のやり方なのだ。今も魔力で海だそうとすれば出来るけれど、それは奥の手として別の手段に魔力をとっておきたいところだ。
「鮮花ッ!」
「大丈夫よ藤乃、心配しないで。流石に貴方でも焔は凶げられないでしょ?」
「そうだけど‥‥」
次々に焔を弾くための蟲を喚び出し続けている桜はすでにキツそうだ。遠目には分からないだろうけれど、額や項にびっしりと汗をかいている。
正面から力押しで攻めるのもアリだけど、それをやるなら一度こちらのペースに相手を引きずり込まなければならない。
どっちにしてもこのままでは桜の魔力がヤバイ。わたしとか橙子師に比べて遙かに勝る魔力量を持つ桜だけど、当然それにも限界はあるからね。
「‥‥ちぃっ、いたぶるのも良いが、このままでは埒が空かんな。———I have everything in the right hand《この手こそが全てと知れ》!」
「ッ桜、上よ!」
「‥‥ッ!!」
今まで桜へと向けられていた掌が、急に斜め上へと掲げられ、生み出された焔は天井へと向かう。
鋭い焔は天井を砕き、かなり大きなサイズの数多の瓦礫を作り出す。
そしてその瓦礫は、真下にいるわたし達へと重力加速度に従って襲いかかった。
「凶‥‥れぇっ!!!」
ひときわ大きな瓦礫に続き、視界にも入っていない全ての瓦礫が粉々に捻じ“凶げ”られて砕け散る。
わたし達の隣には、目の前にいたわたし達を押しのけてグイと前に出た藤乃の姿。すでに卒業間際にも関わらず律儀に着ているカソックのような制服の裾と長い黒髪をなびかせ、その瞳を赤く光らせている。
日本に古くから伝わる退魔の家の末裔であるという、藤乃。彼女の家は比較的高い割合で、異能を秘めた人間を生み出すと言う。
特に今では退魔としての“浅神”最後の生き残りになった藤乃が秘める力は、超能力の定義の枠を大きく超えるトンデモない威力を持っていた。
超能力とは、アラヤ———阿頼耶識とも呼ばれる人間という種族の無意識集合体———から授けられる力であり、ガイアを基盤とする魔術に比べればささやかなものに過ぎない。
しかも超能力者は普通の人間とは、繋ぐことの出来るチャンネルが事なる存在。即ち存在不適合者とも言われている。そんな彼ら、彼女らは、この現代社会においては長生きすることの難しい存在だ。
そういう意味では、類稀な強力極まる力を持ちながらにして、人間社会に適合出来ている藤乃はとても希少な例外なのだろう。
もちろん彼女が何かに悩んでいるのは知っている。外れてしまっていることも、どこはかとなく気づいてはいる。わたしは彼女の親友を気取っているから、それをどうにかしてやりたいとは思いながらも、きっと彼女がある一部において外れてしまっていることが、どうしても治らないことだとも分かってしまっていて。
わたしこそが、すごく不安定な存在である彼女の親友でいられることに、喜びを感じるのだ。
「———な、何だとォ?!」
「ッ! 今よみんな、一気に攻めるわ! AllA MArcIA———ッ!」
魔術とは全く事なる、超能力者という異能によって可能になった迎撃。
おそらく少し高いところで驚愕に目を見開いている赤ザコは生粋の魔術師で、今まで超能力者なんてモノの存在に気を払ったことなどないのだろう。
だからこその致命的な驚愕。だからこその、致命的な隙。
「Con Fuoco———ッ!」
「Es flustert《声は祈りに》Mein Nagel reist Hauser ab《私の指は大地を削る》!」
「凶が‥‥れぇッ!」
藤乃の歪曲の魔眼、そして赤ザコの驚愕を合図に全員が駆け出した。
千里眼の能力を持ち、基本的に間合いによって威力や有効範囲が左右されない藤乃は油断せずバックステップで距離を取り、今度は的確に天井を砕いて落とす。
当然わたし達も被害を被る可能性があるけれど、お互いに息を合わせれば何ということはない。もとより踊り場という動きにくい空間にいる赤ザコは回避よりは迎撃に専念するより他はなく、落ちてくる瓦礫を燃やし尽くし、逸らし、藤乃自身への攻撃は瓦礫の影に身を隠すことで回避できた。
「く、くそっ! 調子に乗るなよ小娘共が! 消しとべ、灰諸共な!」
「そうはさせません! Frhling《湧き上がれ》!」
「サンキュー桜! Azolt!」
「おおおおおオノレ小娘ェ!!」
一方、桜は攻撃が始まると同時に横っ飛びに駆け出す。
彼女の役目は蟲による攻撃と、真っ直ぐに突っ込んで行ったわたしの援護。
わたしでは迎撃しきれない焔を装甲蟲を用いて防御し、合間に
既に装甲蟲はこれでもかという程に生み出されており、何時の間にかフロア全体にぽつりぽつりと小隊が蠢いていた。
「小賢しい、小賢しい、小賢しい真似を私の前に晒しおって!!
———I am the order《我を存かすは万物の理》Therefore《全ての前に、汝》,you will be defeatet securely《敗北は必定なり》‥‥ッ!」
一際大きな火球が掲げた掌の中に生まれる。その直径は赤ザコの身長に優に匹敵。その温度は摂氏一千度を軽く凌駕する。
たった一秒未満の高速詠唱。極限まで圧縮、高速化された呪文とはいえ、これほどの魔術をこれほどの圧縮で行使出来るものだろうか。
魔術師としての格の違い、積み重ねられた歴史の違いをひしひしと感じる。おそらくは橙子師の———勘当されはしたらしいけれど———家である、蒼崎の歴史よりもなお古いトンデモない歴史の積み重ね。そして術者本人の才能と努力の結晶。
軽薄に見える振る舞い。優越感と自己陶酔に満ちた台詞回し。本来なら蔑まれておかしくないソレらに、十分すぎる程の理由を、強者に許された傲慢を裏付けするだけのものがそこには確かに存在している。
わたしなんて、否、この場の誰もが一瞬で消し炭になってしまうだろう圧倒的な威力を秘めた焔の塊。
そこに潜む根源的な恐怖に怯え、すくみ上がってしまいそうになる。一目散に逃げ出しそうになる。でも、それはこの上ない悪手だ。
瞬間的に左右に視線を走らせれば、同じ様に恐怖を感じ、同じ様に踏みとどまる二人の友人の姿があった。
何も言葉を交わさなくても、わたし達がこれから何をするべきなのか、理解できる。今までの戦闘で互いにとってきた行動から、今までの短いながらも浅からぬ付き合いによって交わして来た親交から、お互いの次の行動が確信し合える。
「死ねェ! アオザキの弟子ィィィ!!!」
「———凶がれェェェェェェ!!!!!」
悲壮感な響きさえ孕んだ、藤乃の絶叫。
ただ前方を睨みつける真っ赤に染まった彼女の瞳に映るのは、目の前の光景ではなく、ちょうど赤ザコの真上に位置する天井そのもの。
類稀な威力を秘めた歪曲の魔眼の他に身につけたもう一つの異能。自らの魔眼を酷使することで可能な、
普通ならば見えない場所も視界に納めることが出来る能力によって、頑強な天井の数カ所が繊細に、かつ一切の容赦なく歪み、ひしゃげ、連鎖的に崩壊し、とても人間には抗し得ない巨大な岩塊を作り出した。
‥‥それからは、まるで死に際に主観的な時間が圧縮されたかのように、全てが目まぐるしく始まり、そして終わったように思える。
あまりにも巨大な物理の暴力を前に、赤ザコは焔を扱う魔術師という特性上、わたし達への接近戦は無謀と判断。その場での迎撃を試みた。
掌に掲げた魔術の暴力ならば、眼前に迫り来ようとしている物理の暴力も消し飛ばせるかもしれない。それは確かに判断としては決して悪手ではないだろう。
けれど、それは邪魔するわたし達がいなければ、の話だ。
放った焔が、圧倒的な質量の暴力によって神代の鉄槌と化した岩塊へと迫る。
けど、本来ならば岩塊へと衝突し、粉々に打ち砕いただろう焔の渦に、限界まで接近したわたしの炎が衝突した。
確かにわたしの炎では、魔術師として超一流である赤ザコの焔をかき消すことは出来ないだろう。それどころか、わたしの焔が飲み込まれておしまい。
しかし、それは真っ正面からブチ当たったらの話だ。
横合から割り込ませるように突入したわたしの炎は赤ザコの焔に巻き込まれ、融合‥‥しようとする瞬間に、炸裂。
本来ならば岩塊に衝突して炸裂するはずの焔の渦は、わたしの炎に誘われ、岩塊の遼か手前で無意味に散る。
それで終わりと、一瞬わたしは嬉気を露にしようとして、驚愕した。
「Repeat《命ずる》———!!」
高速詠唱なんてご大層なものじゃあない。
只の、一言。何の変哲もない
どれほどのものだろうか。たったの一言で反復する大魔術など、寡聞にしてわたしは知らない。
精密に術式を組み上げ、魔力の循環路を生成し、場を整え、
それらを超一流の精度、超一流の出力で成し遂げてこそ可能な絶技。その対応はお世辞にも戦闘者として褒められたものではない力押しだっただろうけれど、十分すぎるくらいに十分で適切な力押しだった。
「■■ィィ■ィ■■ィ———ッ!!!」
「———ッ?!」
しかし、こちらだって赤ザコが力押しに頼ってくるのは百も承知。
拳大からバスケットボールぐらいまで砕かれ、障壁に弾かれる程度まで威力を落とした瓦礫の背後から、桜の斬翅蟲が襲いかかる。
装甲蟲程の焔に対する耐性は無いけれど、瓦礫を盾にすれば接近するのも容易。既に斬翅蟲は赤ザコのすぐ目の前に、大量に接近していた。
「お、おぉぉぉおおお?!!!!」
ここまで接近されてしまえば、お得意の大魔術は使えない。いくら魔術によって生み出された焔とはいっても、自然現象に即したものであることには違いなく、自らへの延焼を防ぐには至らないのだ。
故に、蟲に集われた人間に出来ることはそう多くない。
身体にたかる蟲達を片っ端から悲鳴を上げながら叩き落していくか、あるいは、自ら一も二もなく転げ回って逃げおおせるか。
意外な事に、これ以上無いほどに
その途中で身体のあちらこちらを強かに打ち付けるだろうけれど、蟲に喰い殺されるよりは遥かにマシ。
‥‥けれど、それも所詮はその場しのぎ。正しい判断が、最善手とは限らない。
「———な、なんだこれは‥‥ッ?!」
立ち上がった、階段の終わり、広間の端。
ちょうどそこには、何時の間にやら真っ黒な、この世の何よりも真っ黒な影が、奈落のように広がっていた。
「こ、これは、これは何だ?! 蟲‥‥?! 影‥‥?! いや、これはまさか、虚数の闇か‥‥ッ?!!」
トラップに引っかかった赤ザコは、困惑に次いで驚愕の悲鳴を上げる。
それは決して逃れることの出来ない虚数の泥沼。泥であるが故に緩やかに、だが確実に捕えた者を自らの中へと引きずりこむ。
もがいても、反発力を得て逃げ出すことは出来ない。相手は実体を持たない虚数の闇。囚われた段階いで、もはや逃げ場など存在しないのだ。
「じゅ、術者は貴様かサクラ・マキリ! 何故だ、貴様は蟲使いではないのかっ?! 貴様の属性は水ではないのかっ?!」
コルネリウス・アルバは絶叫する。
普通に考えて、魔術師は基本的に一つの属性しか持たない。もちろん希に天賦の才として二重属性、あるいは
だからこそ、蟲使いの業を背負った桜が、水気を属性とするだろう桜が、このyぽうに極めて稀少な虚数という属性を持ち合わせていることは、当然のように驚愕に値するだろう。
「‥‥マキリの魔術の特性ですよ。元々の私の属性は、あくまで虚数。そこにマキリの技術で新たな特性と魔術刻印を埋め込んだ‥‥。
貴方みたいに正道を歩む魔術師には分からないかもしれませんね。いえ、当然のように知っているのかもしれない。けれど、実感することはないでしょう?
醜いですか? 私の、マキリの在り方が? フフ、でも貴方はその醜い蟲に、こうして無様に負けていくんですよ? フフ、フフフフフフフフフ‥‥」
虚数の影を操る魔術は、術者の負の情念を剥き出しにすることで発動する。
故に気をつけなければ精神は当然不安定になるし、ともすれば自滅の可能性も高い。そのあたり、桜が橙子師からみっちりしごかれているのを横目で何回も飽きる程に見てきた。
今も少し不安定になってはいるけれど、まだ危惧する程のものではないだろう。あれぐらいは、副作用として十分に許容される状況だ。
「ク、クソ! クソ、クソ、クソ! クソ、クソ、クソ、クソクソクソクソクソクソォォォォ!!
おのれ、アオザキの弟子共ォ! この私が、この私がまたしてもこのような、このようなァァァァ!!!」
「‥‥だから、やっかましいって言ってるでしょうが、赤ザコ。都合良く慢心してくれて、本当にありがとうね」
ずるり、ずるりと急速に赤い影は桜の影へと飲み込まれていく。
今まで自分が醜悪と称した蟲よりも、醜悪で惨めな恐怖の表情を浮かべ、みっともなく悲鳴を上げながら。
「こ、このようなァ! クソ、クソ、クソォォォォォォッォォォォォォォォォォ!!!!!」
見苦しく、生に執着しながら、コルネリウス・アルバが影へと消える。
一流の魔術師に、超一流の魔術師に生まれながら、惨めに消えていく。それはどれほどまでに無念で、どれほどまでに予想外で、どれほどまでに唐突だったことか。
‥‥そして、それがどれほどまでに当然であることか。
どんなに策を弄しても、どんなに自身が強大であっても、死は簡単に訪れる。
当たり前のことだけれど、意外に実感出来ることなんて殆どない。自分という存在が一つしかいない以上は、仕方がないことではあるけれど、終わりは確実に訪れるものだ。
だからこその、必然。あまりにも運命に左右された、予定調和。
圧倒的な実力差がありながらの、この結末。
これをいったいどう見るか? 単純に運の差、頭の使い方の差と見るか?
相手に傲慢が、慢心があったとして、それを覆す何かをわたし達は本当に持っていたのか? それは今更どうこう言う疑問ではないかもしれないけれど、瞬間的に、それこそ瞬きの間のわずかな時間、わたしの脳裏に去来する一つの疑問。
既に定まってしまった現実を前に、崩れ落ちる世界を前に、ぼろぼろの体を抱きかかえながら全員が思ったことだろう。
訳も分からないままに戦い、訳も分からないままに勝利し、そこにいったいどんな理屈が存在していたことか。
自分たちが挑もうとしていたのが、いったい何なのか。
勝利したにも関わらず拭い切れない不安。
これから何が待ち受けているのだろうか。そんな当然の不安。
そんな不安を抱えながら、ただ壊れていく世界を、わたし達は決然と見つめていた———。
82th act Fin.