UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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本日の出来事
冬霞提督、間宮に乗艦出来ず。


第八十三話 『義姉妹の思惑』

 

 

 

 

 side Mikiya Kokuto

 

 

 

「‥‥‥‥」

 

 

  

 霧の街と呼ばれる、英国の首都、倫敦。

 日本の主要都市よりも北に位置しているために寒く、また海流の影響から気候も異なる。特に高い湿度が影響して非常に霧が発生しやすいと言われており、歴史を感じさせる重厚な建築物の影響もあって陰鬱な雰囲気が漂っている。

 とはいっても流石に一年四六時中、街に霧がかかっているわけではないらしい。例えば今日なんかは日本でもそんなに見られない快晴。かといって決して真夏の太陽のように暴力的ではなく、とても長閑な日差しだった。

 綺麗に掃除が行き届いている室内に、開け放したカーテンから差し込む光が眩しい。どうやら凜ちゃんや衛宮君はあまりカーテンを開けたがらないみたいだけど、やっぱり部屋は明るい方がいい。

 

 ‥‥ただ、もちろんこういうところには魔術師としてのポリシーがあるんだろう。思い返してみれば橙子さんも伽藍の洞は照明を少な目にしたがるし、日差しも近くの工場とか立地が影響して少な目だ。紫遙君の部屋も薄暗かった。

 まぁ紫遙君の部屋に関して言えば、眼球やら何やらと不気味なオブジェが多めだから、照明が明るいと目のやり場に困ってしまうけどね。さすがに僕が仕事しているオフィス部分には、一般の人に見られても問題ない———普通とは間違っても言えない———内装だけど。

 

 

「‥‥‥‥」

 

 

 部屋の中は埃一つ、塵一つ落ちていない。やはり衛宮君たちは随分と掃除を頑張っているらしい。

 棚の中身は整理されていて、家具も最低限のものしか置かれていない。その最低限のものというのも古めかしい洋館によくあった、重厚で厳めしい装飾の骨董品だ。

 ‥‥家具とかにお金をかけるような子達に見えないから、多分この家に元からあった調度品なんじゃないかな。よく見たら食器とか、照明とか、そういう細かいところも古めかしいものを使用している。照明なんか結構な数のランプが使われていて、それを補うように現代式の、それも装飾に凝ったものが配置されていて、凝りようが伺えた。

 

 ちなみに僕がこの屋敷に残ることになった、あの短期間の間に衛宮君はあちらこちらに簡単な書置きを残しておいてくれている。

 たとえば家具やコンロの使い方、使っていい食器や食材。買い物に行くなら八百屋や肉屋の簡単な説明。入っていい場所や入ってはいけない場所など。

 特に凜ちゃんの部屋には『入ったら死ぬよりキツイ』なんて注意書きがこっそり貼ってあったけど、これ、もし彼女の目に入ったら衛宮君は半殺しにされちゃうんだろうなぁ‥‥。

 

 

「‥‥ちょっと、お二人とも」

 

「は?」

 

「何?」

 

 

 そんな静かで居心地がよい遠坂邸の留守を一時的に預かっている僕なわけだけど、やっぱりここは他人の家。大きな顔をして居座れるものでもなく、まぁぼちぼち神経は使う。

 だというのに僕の前で大きなソファに腰掛けた二人の女性は、そういうことを全く気にしないで我が物顔で寛いでいた。

 

 

「なに自分の家みたいに満喫してるんですか。コーヒーをソファに零さないように注意して下さいよ、間違ってもカップ割ったりしないで下さいね、あと勝手に冷蔵庫の中のものとか戸棚のお菓子とか食べないで下さいよ」

 

「‥‥なんだお前は、小姑か。義理とはいえ紫遙(オトウト)よりも口うるさいとか、とんでもない従業員だな。私は事務要員を雇ったのであって、小姑やら家政婦やらマナーの家庭教師やらを雇ったつもりはないのだがね」

 

「まぁ個性が強い人間のところには同じように個性が強い奴が集まるわよね。‥‥あ、そういえば姉貴は個性が強いっていうよりは我が強いっていうか、面倒くさいっていうか———」

 

「———おっと、喧しい小蝿がこんなところにも。潰してしまいたくなるな、こう、ぷちっと」

 

「ちょ、使い魔とか出すのやめてくださいよ! 青子さんも、魔力充填しないで! ここは他人様の家なんですよっ?!」

 

 

 ソファに座って寛いでいたはずが、途端に剣呑な雰囲気を醸し出し始めた二人の間に慌てて入る。

  あの日、鮮花や式が凜ちゃん達と一緒にドイツへ紫遙君を助けに行った直後、まるで『ちょっとお出かけして来ましたよ』というくらいに気軽な様子でこの屋敷を訪れた僕の上司、蒼崎橙子。そしてその妹であるところの蒼崎青子。

 いったい今まで何処に宿をとっていたのだろうか、二人はあれからずっと帰ることなく他人様の屋敷であるここに居座り、倫敦の生活を満喫していた。それこそ直接留守を任された僕よりも遥かに堂々と、我が物顔で。

 

 

「‥‥ホント、宿はどうしてたんですか宿は。一応ここには僕しかいないってことになってるし、所長達が泊まってることは凜ちゃん達には知らせてないんですからね」

 

「別に知らされて困るようなことではないが、知らせようと思っても知らせられないだろう? 今、連中はそれどころではないはずだし、知ったところで連中には何も出来んよ」

 

「ちなみに今までは紫遙の工房にいたんだけどねー。ほら、紫遙が行っちゃったからアソコに居ても誰もご飯作ってくれないし、面倒見てくれないし。何処に何があるのか分からないし」

 

「自分の面倒ぐらい自分で見て下さいよ二人とも! もう良い大人なんですから! ていうかあそこってもともと青子さんの工房だったはずなのにどうして何処に何があるのか分からないんですか?!」

 

「分からないに決まってるじゃない。もう数年も紫遙が使ってるんだから、とっくにあの子の使いやすいようになってるわよ」

 

 

 食事を用意するのは当然、僕しかいない。伽藍の洞に居たときでも基本的に橙子さんの食事は紫遙君が作っていて、彼がキッチンを整備してくれていたから僕も一緒に自分の食事を作ることがあった。

 とはいっても彼が作る食事って、実際たいしたことはない。あるものを焼いて、適当に味付けするだけ。根本的には彼、炒飯やラーメンぐらいしかきちんと作れないらしく、結果コンビニ弁当というのも結構多かった気がする。

 

 ‥‥あれ、それを考えると結局のところ僕が一緒に橙子さん達の食事作ってたことの方が多いような?

『コンビニ行くのだるいな。おい紫遙、何かつくってくれ』

『ごめん橙子姉、今手が離せない。でも確かにコンビニ遠いし、面倒だよね』

『そうですね、僕も今月厳しいし自炊したいな。紫遙君、何か買い置きの食材あるかい?』

 みたいなカンジで。まぁおかげで全然料理なんか出来なかった僕がそれなりに自炊出来るようになったんだから、それはそれで結果としてよかったのかもしれないけど。

 

 

「‥‥はぁ、ホント何処に行ってもブレませんね、お二人は」

 

「このぐらいの歳になると芯が定まってしまうからな。逆にお前たちが羨ましいぐらいだよ」

 

「僕としてはもう少し周りに遠慮してくれると、出先とかで苦労しなくて済むんですけど」

 

「そのあたりは許せ、気を使うのもお前の仕事だろう。馬車馬のように働け、社員」

 

 

 軽口を叩く橙子さんだけれど、これでいて取引先との会談などではメガネをしっかりとかけて、理知的で優しげで出来る女性のアピールをして、それが成功しているんだから不思議なものだ。

 もっとも最近は受ける仕事が地味ながらも大口で、どういう理由でか橙子先生の琴線に触れたものばかりだったから、そういう場所は相手方の人もなかなかに懐が広くて助かった。

 

 

「僕としてはお給料さえしっかりと払って頂けるなら、相応の労働を提供する気はあるんですけどね。そもそもそれが普通の労働環境っていうものですし」

 

「給料ならちゃんと払ってるじゃないか、紫遙が」

 

「雇い主は誰ですか! 僕の雇い主は! ‥‥ほんとに、紫遙君には苦労をかけっぱなしで頭が上がりませんよ」

 

 

 そもそも自分の気分でしか仕事を請け負わない人形師、蒼崎橙子。さらに趣味の魔術品を集めるために、まったくもって無計画にお金をつかう癖のあるこの人は、そもそも上司としては最悪な部類に入るだろう。

 安定した収入はなく、事務仕事の類は所員である僕に投げっぱなし。さらに言うなら所員への給料分の収入も、気が向いたら自分の生活費諸とも魔術品の収集に突っ込んでしまうのだから、下手したら僕は給料無しなんて月も十分にあり得たのだ。いや、というより一歩手前ぐらいならザラだった。

 それを何とかしてくれていたのが他でもない紫遙君で、僕にしっかりと最低限のお給料が入るだろうぐらいの収入は橙子さんからしっかりと徴収して、別口で保管してくれているのだ。僕の給料は紫遙君がプールしておいてくれた口座から、支払われている。

 

 

「なぁ黒桐」

 

「‥‥どうしたんですか、橙子さん?」

 

「茶が切れた、淹れてくれ」

 

「ご自分でどうぞっ!!」

 

 

 他人様の持ち物だから、少しは気を使いながらも勢いよくティーセットを机の上に置く。

 いや、普通この状況で出るセリフじゃないよ、それ。大分この非常識な上司にも慣れていたつもりだけど、未だ以てして常に平常心でというわけにはいかない。なんていうか、常に泰然自若としながらも、そのままの態度で僕らを振り回すのが橙子さんだし。

 

 

「‥‥まったく、少しは上司に気を使ってくれてもいいんじゃないのか?」

 

「今は勤務時間外ですから」

 

「姉貴ってば、普段から幹也君のこと無碍に扱うからこういう時にやり返されるのよ。ほーら幹也君、元気で美人で優しい友達にお茶淹れてくれない?」

 

「いやです」

 

「なんでっ?!」

 

「いっつも僕に厄介ごと持ってくる割合、一番高いのが橙子さんで二番目が紫遙君経由の橙子さん。三番目が貴女で、四番目が紫遙君経由の貴女ですから」

 

「冷たっ?! 冷たいわよ幹也君! なんか思い出すと結構な頻度で冷たい気もするけど、今日はいつになく冷たいわっ!」

 

 

 よよよ、とわざとらしく泣き真似をしておきながらも、手だけはてきぱきと動いて自分の分の紅茶を淹れる。紫遙君が紅茶党だからか、青子さんも紅茶を飲むことが多い。橙子さんはコーヒー党なわけだけど、それに関わらず姉の分を淹れるつもりが一切ない青子さんはいつも通りだ。

 ‥‥まぁ、それに動じないでいつの間にか自分の分のコーヒーをしっかりと用意している橙子さんも橙子さんだけど。

 

 

「‥‥冷たいって言いますか」

 

「ん?」

 

「それを言うなら、お二人の方がよっぽど冷たいんじゃないんですか?」

 

「‥‥‥‥」

 

 

 和やかな雰囲気から、一転して僅かながらも緊張感が場を支配する。

 ぴたりと止んだ、軽口。そして沈黙。普段ならば意図の分からない軽口ばかり叩いて僕を混乱させる橙子さんも、沈黙を保ったまま鋭い目で僕の方を睨みつけていた。

 ‥‥いや、睨みつけているというのは語弊がある。橙子さんにとって、僕は睨みつけるという敵性態度をとる相手じゃない。ただ様子を見て、観察しているだけ。僕がどういう心境でいるか、どういう態度をとるつもりなのか、それを観察しているだけだ。

 まるで無機質な瞳。僕と橙子さんが全く別の生き物なのだということを実感させられてしまう。

 大袈裟な例えかもしれないけれど、魔術師と一般人というのは殆ど種族が違うと言っても過言じゃない。それぐらいの違いが、両者の間にはあるらしい。

 

 

「‥‥どういうつもりだったんですか」

 

「何がだ?」

 

「恍けないで下さい、紫遙君のことですよ」

 

 

 自分の分のコーヒーを口にしながら、ソファで平気な顔をしている二人の姉妹を見つめる。

 顔立ちはそこまで似通っているわけじゃない。普段の表情も、皮肉屋な橙子さんと快活な青子さんでは全然違う。けれど、こちらを見る視線と醸し出す雰囲気はそっくりだ。

 ただ無感動に、僕の次の言葉を待ってる。僕がどういう態度に出るのか伺っている。

 橙子さんや青子さんと日常的に接していない人なら、この空気を圧迫感(プレッシャー)に感じてしまうことだろう。ともすれば逃げ出してしまうかもしれない。とても精神的に耐えられないはずだ。

 

 

「‥‥紫遙、か」

 

「そう、紫遙君のことですよ」

 

 

 無言でコーヒーを啜る橙子さんは澄まし顔だけど、それはいつものこと。ああやって全くこっちの話を聞いていないようでも、実はしっかり聞いている。

 この判断を見誤ると、今度は橙子さんの方から見限られてしまうことになるのだ。そのあたり、この偏屈な上司は人間判断の基準がやたらと厳しい。適当にあしらわれるようになってしまっては、この人の人間判断基準としては下の下に分類されてしまったということなんだ。

 

 

「そういえば、お前この前も言っていたな。私がこの顛末を予想していただろう、云々」

 

「分かってるじゃないですか。まぁ、橙子さんのことですから分かってやっているって確信してましたけど」

 

「そうだな、事前に予想して、確定してしまっている未来をなぞる行為を、どう思うかは個人次第だが。その点お前とのつきあいはそこまで浅いものではなかったか。少し従業員を過小評価していたかもしれない、な」

 

「巫山戯て誤魔化さないで下さいよ。‥‥それなりに怒ってるんですからね、僕は」

 

 

 ‥‥倫敦に来てから、ずっと感じていた一つの疑問。

 ずぼらな橙子さんとはいえ、実のところ今まで本当に大事なところだけはしっかりと仕事をしていた。僕や紫遙君で何とかなるようなところは、ズボラだからか知らないけれど、とことん僕たちに投げるけど‥‥。橙子さんにしか出来ない仕事はなんだかんだ———期限ギリギリでも———しっかりこなしていた。

 だからこそ、僕たちが倫敦に来る理由となった書類の件に関しては、最初から僕も猜疑的だったのだ。

 橙子さんは本当にどうしようもないくらいに、どうしようもない人だ。けれど、大人だとも思う。

 僕だって大人のはずだけど、それでも僕と橙子さん、青子さんを比べると、どうしようもないくらい大人としての違いを思い知らされてしまうのだ。

 

 そんな橙子さんだからこそ、たった一つの、いつも通りの書類を忘れてしまうなんて、ましてやそれを放置して倫敦に旅立ってしまうなんて、僕の上司のすることだとは思えない。

 橙子さんも人間だから。そんな言葉では納得できない。僕と橙子さんは、そんなに浅い付き合いじゃない。

 

 必ず、某かの理由があって、わざと書類を忘れたに違いない。

 僕たちがこうして倫敦に来ることを予想して。そして紫遙君の状態を知った僕と、僕と一緒に来るはずの式達が紫遙君を助けにいくことを確信して。

 

 

「まぁ、いまさら嘘をついても仕方がないか」

 

「当然です。もう何年の付き合いだと思ってるんですか」

 

 

 再び流れる、沈黙。

 橙子さんの真っ直ぐな視線が突き刺さり、思わず後退りしそうになる。

 余計なことを言うなと釘を刺しているわけでもなく、敵意がこもっているわけでもない。ただの視線に籠もっている力が、常人を後退させそうなぐらいに強い。

 

 

「‥‥紫遙君が倫敦に留学するって言った時は、まさかこんなことになるなんて、思いませんでしたけどね」

 

「私は魔術師の学院なのだから、それなりに危険はあると言ったはずだがな」

 

「でも留学ですよ? 色んな学生が世界中から集まって来て、そこで危険があるなんて普通は考えないでしょう。何より———」

 

 

 最愛‥‥といっても絶対橙子さんは肯定しないだろうけど、大事な義弟をそんなところに送り込むだろうか。

 ない、とは言い切れない。確かに僕は魔術師という人種に理解はあるけれど、それでもやっぱり普通の人間に比べて特殊、あるいは異常だということだけは、はっきりと分かる。

 

 でも、いくら魔術師という人種が特殊だと理解していても、それでもやっぱり、不可解だろう。

 てんでばらばらに散らばっていて、他との接触がそこまで頻繁ではないというのなら、他の魔術師と出会った時に物騒なことが起こるという理屈にも納得はいく。実際、僕も幾度となくそんなことには巻き込まれた。

 けれどある程度以上の数の人間が集まってコミュニティ、集団を作り上げた時、そこに争いを前提とする攻撃的な関係が生じているのは人間という生き物の性質上あり得ない。

 どんなに単独では攻撃的な人間達だとしても、集まりを持つ以上は、そのコミュニティを維持するという意識が必ず生じるはずだ。

 一人一人が人外魔境な集団だったとしても、毎日毎日が他者から及ぼされる命の危険だらけ、というのはおかしすぎる。

 

 

「‥‥まぁお前の言うことにも納得は出来る。実際、あそこにいる大方の魔術師は勉学で精一杯か、他人に構うのを好しとしない連中さ。

 元々、魔術師同士の争いというものがナンセンスなんだよ。魔道とは己の家系を懸けて延々と追っていくものだからな。本来ならば他者に魔道を求めることは間違っている。

 しかし同時に、ありとあらゆる手段を使っても追求するのが魔道だ。故に他者の研究成果であろうと、自分の役に立つのなら手段を選ばず手に入れようとするのは魔術師として自然な発想でもあるわけだな」

 

「じゃあ僕の言ってることは違うってことじゃないですか」

 

「いや、これはお前の言うところの、『隠れ住んでいる一般的な魔術師』の話だ。いわばお前が日常的に接している魔術師である、私や鮮花もこれに当たる。

 しかし黒桐、やはりお前は鋭い。確かにある程度以上の数の生き物が集まってコミュニティを形成するならば、当然そのコミュニティを維持しようとする全体意思が生まれるものだ。あそこもまぁ、そんなところか」

 

 

 いつもと同じようにぺらぺらと喋りながら、橙子さんは煙草に火を点ける。

 紫遙君も普段から吸っているのだろう。工房備え付けのスペースということを考えると必要以上に広々とした居間は、仄かに煙草の煙の匂いがした。

 

 

「もっとも連中にしてみれば、そこまで大層なことを考えているわけじゃない。良くも悪くも、魔術師としての自覚が薄い連中が増えて来てるんだろうな。それこそ私が学院にいたころから、その傾向は見受けられた。

 ここに来ている学生の多くは、魔術師未満のひよっ子ばかり。一部の人間を除けば、それこそ常に学生気分だ。魔術師の自覚が足りん、子どもなのだろうよ」

 

「‥‥成る程、そういう場所なら常に危険があるわけじゃない。普通に大学に通うのと変わらないってことですね」

 

「まぁ、そうなる。ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトや遠坂凜などは稀有な方だろう。俗に名家と言われる魔術の家系の子女などは、時計塔に来ないで自分の家で研究しているのだろうな。昔ほど、魔術協会の影響力も高くない。時代を経て神秘が薄まるのと同様に、協会の権威も薄まっていく」

 

 

 昔を懐かしんでいるのだろうか、橙子さんの目は珍しく遠くを見ているかのような色を湛えていた。

 いつぞや僕も盛大に巻き込んで暴れた赤い魔術師、コルネリウス・アルバと黒い魔術師、荒耶宗蓮も橙子さんの学院時代の友人だったとか。

 あんな顛末になってしまったけれど、昔は仲が良かったのだろうか。紫遙君と遠坂さん達みたいな、友人として。

 

 

「しかしな、黒桐。確かに普通に時計塔で学生として勉学、研究に励むのならば大して問題も生じまい。教授から与えられる課題を日々こなし、同時に自らの研究も進め、お偉いさんにお伺いを立てる。そんなことをしていれば順調に卒業出来る。

 普通の学生として、普通に過ごしているのならな。‥‥だが、アイツは蒼崎なんだよ」

 

 

 だが、アイツは蒼崎なんだよ。

 そう言った橙子さんの顔を、僕はおそらく一生忘れないだろう。

 

 

「なぁ黒桐、お前も聞いたことぐらいあるだろう? 『異端は異端を引き寄せる』。これについて、どう思う?」

 

「異端‥‥? そういえば、鮮花とか式にも言ってましたよね。式や僕が色んな騒動に巻き込まれたのも、異端を惹き寄せたっていうことなんですか?」

 

「合ってはいるが、理想的な解答ではないな。”引き寄せる”と”惹き寄せる”では少し意味が違う。

 ”惹かれる”というのは、言うなれば人間の本能のようなものでな。例えば起源による衝動などは、この部類に入る。能動的であるか受動的であるかは別にしても、自分が感じて、もしくは相手に感じられて、あるいは互いに感じ合って生じる関係だ。

 例え互いに面識や接点が無くとも、その人物が歩んで来た軌跡、他者に及ぼした影響、存在の残滓をありとあらゆるものから本能的に感じ取る、辿る。理屈では説明出来ない『法則』というものだな」

 

 

 ことん。

 マグカップが重厚な木の机に置かれる音が、やけに大きく響いた。

 横目で見た、さっきからずっと口を閉ざしている———珍しいことに———青子さんは、僕が驚いてしまうぐらい橙子さんとは正反対の、感情を感じさせない表情をしている。

 

 

「‥‥だが”引かれる”というのはな、黒桐。相手と自分の間だけに及ぼされる力とはいえない。無意識にせよ、互いに引っ張り合う行為とは本質的に全く異なる。

 あまり使いたくない言葉ではあるが、神の見えざる手のように、自然と引き寄せられる。まるで、星々が互いの重力で、質量で、引かれ合うかのように。つまるところ、引力という奴だ。人の手の及ぶ範囲ではない」

 

 

 まだ要領を得ない様子の僕に、橙子さんは苦笑を

隠せない様子だった。

 とはいっても理解力のない僕に呆れているという感じではない。前にも聞いた話だけど、そもそも魔術師の話というのは一般人の理解の届かないところにあるらしい。

 あくまで魔術師とは超越者。それは一般人より偉いということを意味するわけではなくて、純粋に出来ること、知っていることが違うということ。

 そして目指すのは、この世の真理そのもの。崇高な目的と、矜恃に支えられた在り方。だからこそ俺は魔術師であることを誇るんですよと、いつか紫遙君は言っていた。

 

 

「全ては、世界の敷いた法則の下で動いている力だ。さっきも言ったが、重力や引力などの物理法則に並ぶ、神秘の法則だよ。

 だからこそ、回避は出来ない。絶対にだ」

 

「絶対‥‥」

 

「あぁ、不可能だ。どれだけ翼を広げて空を舞ったところで、それは重力の束縛から逃れたことにならない。

 だが、抗することは出来る。それが力の限り羽ばたき、自らの力で自由に飛び回るということだ」

 

 

 言葉を並べながら、ひょいと、机の上に飾りのように置いてあったチョコレートの紙包みを放る。

 綺麗な放物線を描いたそれは頂点まで一気に達して、それでも重力の束縛には抗えず、ストンと僕の手に収まった。

 この手の類のチョコレートは、一口で食べられるように小さく作られているから、すっぽりと手で覆えてしまう。包装紙は金属にも似た光沢のある渋い赤色。他にも同系統の緑や青の包み紙がテーブルの上に小さな山を作っていて、インテリアとしても悪くない。

 って、これ凜ちゃんのお菓子じゃないか。まぁ、このぐらいなら別に怒られないと思うけど。

 

 

「しかし黒桐、考えてもみろ。鳥籠の中で育った鳥が自由に大空を飛べるようになると思うか?」

 

 

 ‥‥鳥籠の中で育った鳥は、"鳥籠の中"という世界しか知らない。

 基本的に人間は自分の知っている世界までしか飛び立つことが出来ないものだ。本能で知っているならともかく、意識がそれに追いつかないだろう。

 動物ならば本能が理屈を凌駕する。けれど理性が発達してしまっている人間は、その理屈や感情、思いこみの部分で本能を抑制してしまうのだ。

 

 

「危ないことに遭わないように、襲われないように、大事に大事に鳥籠の中で育ててやることが出来る。しかし、それで本当に意味があるのか? 鳥籠の中にも等しく引力は働く。

 避け続けていく内に積もり積もった因果は、私では守りきれない引力を生み出す可能性がある。そうしたら、飛べない小鳥はどうなる?」

 

「‥‥‥‥ッ!」

 

 

 せせら嗤うかのように、唇の端を歪める橙子さん。

 でも表情はともかく、瞳の中の色は落ち着いたものだ。少し不気味な古い洋館に似合う薄暗い照明が作る、柔らかで仄かな光に照らされて、陰影の浮き出た横顔が特徴的だった。

 

 

「でも橙子さん、それなら何故わざわざ紫遙君を(けしか)けたんですか?」

 

「ん?」

 

「‥‥紫遙君は、何があっても思い切って自分から戦いに行ったりするような性格じゃない。彼が"らしくない”ことをするといったら、そりゃ橙子さんか青子さんが関わってるに決まってるじゃないですか」

 

 

 こういうことを言うと失礼とか、馬鹿にしてるように聞こえるかもしれないけれど、紫遙君はあんまり積極的な性格をしていないのだ。

 僕にとって典型的な魔術師といえば、橙子さんと紫遙君だ。僕の魔術師という人種に対する印象は、この二人に因るところが大きい。

 そう考えると、彼らが語る魔術師という像に、二人はこれ以上なく当てはまる。特に橙子さんは勿論、紫遙君もそれに準じる姿勢を見せていると思うし、相応しいとも思う。

 でも、魔術師として十分な在り方を心得ている紫遙君は、だからこそなのか、普通の人間としてはちょっと臆病で慎重な方なんじゃないか。

 

 それなりに付き合いは長いけれど、彼は進んで危険を冒すタイプじゃない。例えその先に栄光や名誉があったとしても、多分、彼は八割以上の勝算がない試合はしないタイプだ。少なくとも、自分からは。

 何かにっちもさっちもいかないようなことや、巻き込まれたりしたら、そりゃ彼だって何とか勝利をモノにしようと必死で頭を巡らせることだろう。けど、そうじゃなきゃ動きはしない。

 本当に失礼な言いぐさになってしまうけど、どちらかといえば彼は、どうしてもやらなきゃいけない、けれど本当ならやりたくないようなことが待ちかまえていたら、現実逃避で頭を抱えてその場に蹲ってしまうぐらいに心が弱い人間だ。

 勿論それは普段決して見せない部分だと思う。ともすれば本人も自分では隠せてると思ってるんだろうけど、さすがにここまで付き合いが深いとね。そのぐらいは分かる。

 

 

「それがどうしてもやらなきゃいけないことであっても、"やりたくない"なら、勇気を出して一歩踏み出すんじゃなくて、『どうしようどうしよう』ってその場で悩み続けてしまうのが紫遙君です」

 

「他人の義弟《おとうと》に対して随分な言いようだな、黒桐」

 

「別に、だからといって紫遙君をどうこう言うわけじゃありませんよ。ただ、彼にそういう弱い部分があることは明らかです。欠点ではあるけど、まぁ僕はそういうところも気に入ってるつもりです」

 

「褒め言葉になるか、馬鹿者が」

 

「そう言わないで下さいよ。僕にとっても、彼は弟分ですからね」

 

 

 彼にとって、“魔術師で在る”ことが最優先事項であるように僕には思える。

 本来なら彼の性質であった、臆病で弱虫で慎重。その部分を、魔術師である“蒼崎紫遙”で覆い隠しているんじゃないか。

 

 

「‥‥よく、分かっているじゃないか黒桐」

 

 

 ゾクリ、と背筋が粟立った。

 今まで本当に片手の指でも事足りるぐらいしか無かった、『聞いてはいけないことを聞いてしまった』感覚。

 それも特に、『絶対に』がその前につくぐらいの恐ろしい心地。

 僕としては橙子さんとも長い付き合いで、大体はこの人の性格や動向というものを把握しているつもりがあった。いや、事実、ついさっきまではそうだったはずだ。けど、それはどうやら間違いだったらしい。

 何しろ僕は今、初めてこの人を前にして、『死んだ』と思ってしまった。感じて、しまった。

 ついさっきまで全然恐ろしげに見えなかった、怒ってなんかなかった橙子さんが、今は死ぬほど恐ろしい。きっと今だけだと、そう信じたいぐらいに。

 

 

「姉貴」

 

「分かっている青子。そこまで口が軽い女ではないよ、私は」

 

「そりゃその辺は信用してるつもりだけどね。一応釘刺しとかなきゃ怖いでしょ、せっかく私が珍しく黙ってるのに」

 

「珍しい、という自覚はあったのか。こりゃまたそれこそ珍しい」

 

「よっしゃあ表出ろ馬鹿姉、今度こそ消し飛ばす!」

 

「やってみろ愚妹、骨の一欠片も残さんぞ」

 

 

 バチバチと散る火花が、実際に魔力の奔流となって迸る。魔術師に必須だと言われている魔術回路とやらを持たない、僕にも視認出来るくらいだ。

 この二人、仲が良いのか悪いのかよく分からない。昔は間違いなく仲悪かったらしいんだけど、今はどうなんだろうか。少なくともこういう雰囲気の時には絶対近くに寄りたくないものだけど。

 

 

「‥‥紫遙《アイツ》に必要なのは、能動的に、積極的に世界に関わることなんだよ。お膳立てしてやってでも、危険でも、その機会があるならアイツは世界に踏み込むべきなんだ。

 いつまでも傍観者を、観測者を気取っているわけにはいかない。それがアイツの、『起源』だとしてもな」

 

「?」

 

「そうでなければ世界に認められない。世界に認められなければ、この世界に間借りすることすら適わない。

 多少はお膳立てしてやってもな、アイツにはそろそろ独り立ちしてもらわなければね。‥‥本当なら、危ない目になど遭ってもらいたくはないものだが、そう言ってもいられないからな」

 

「ま、そうね。どっちにしたって、いつまでも一緒にいてあげるわけにはいかないし。子どもは巣立つものよ。それに、獅子は子どもを千尋の谷から吹き飛ばすっていうし」

 

「吹き飛ばしてどうするんですかッ! ‥‥いくらそんな理由があっても、僕はやっぱり納得出来ませんよ」

 

「理屈ではない、事実なのだ。‥‥これから先、因果が積み重なっていけば更に大きな引力が働くこともあるだろう。それは私ではなく、アイツが自分自身の力で切り抜けなければいけない。

 誰でも、というわけではない。"蒼崎紫遙"だからこそ、必要なのだ。世界に並び立つ、力が」

 

 

 最終的に僕が橙子さんの瞳から感じられたのは、背筋が凍えるぐらいに冷徹な光と、義弟を見守る優しく暖かな光。

 まるで蒼崎橙子という人間を、魔術師をこの上ないぐらいに象徴した瞳だった。魔術師として何処までも冷徹に選択することが出来て、同じくらい人間として面倒見がよく思いやりが深い。矛盾しているようでいて、どちらも橙子さんなのだ。

 

 

「でも、もし本当に取り返しがつかないことになったら———」

 

「大丈夫だ」

 

 

 ぴたり、と二人の姉妹がそろってこちらを向く。

 そこに含まれているのは絶対の信頼。否、当たり前の事実とでも言うべきなのだろうか。

 自分たちの義弟である彼が、自分たちが育てた彼が、"蒼崎紫遙”が、そんなことにはならないと理解している。

 

 

「黒桐、確かに紫遙はあまり褒められた戦闘力は持っていない。アイツはあくまでも"魔術師”だからな」

 

「本当なら魔術師が戦闘第一主義っていうのはナンセンスってことになってるからねー。ま、同時に魔術師にとって戦闘は当然こなしておくべき嗜みの一つなんだけど」

 

「まぁ情けない話かもしれないがね。だが、『魔術師が最強でないのなら、最強である何かを用意すればいい』のさ」

 

 

 ああ、さっきまでの冷徹かつ優しげな雰囲気に、新たに加わる狡猾な笑み。

 いつもの"伽藍の堂"での打ち合わせで見せる穏和で優しく、デキ女という顔だけを見ている人には分からない。封印指定の人形師、蒼崎橙子。この顔を見たならどんなにこの人に入れ込んでる男だって裸足で逃げ出すことだろう。

 

 

「私の場合のソレは、お前も知っての通り鞄に潜ませた使い魔。動く石像(ガーゴイル)人工生命(ホムンクルス)、他にも色々と手段はある。‥‥そして紫遙の場合は、分かるな?」

 

「‥‥凜ちゃんや、衛宮君、ルヴィアさん、式に鮮花」

 

「もちろん黒桐、お前もな」

 

 

 済ました顔に、懸念が募る。紫遙君が某かの経緯でこの二人の義弟(おとうと)になって、それからずっと義姉達によって育てられ、成長してきたのだろう。

 まさかこの二人は、今日この時のようなことを、その時から想定して紫遙君の世話をしてきたのだろうか?

 今までいくらでも戦慄することなんてあったけど、今もまた、あの感覚が背筋を這う。底の知れないものを持っている二人に、思わず気後れしてしまう瞬間。

 

 

「———紫遙君、式、鮮花、凜ちゃん達、みんな無事で帰ってきてくれ‥‥!」

 

 

 橙子さんが、青子さんが、こうして口にしたことは今まで決して間違いなんて無かった。

 けど、このときばかりは祈らざるをえなかった。きっと普段の橙子さんなら笑い飛ばすかご高説を唱えるかするだろう思いも、今このときばかりは真剣に。

 大事な妹が、後輩が、友人が、弟分が、大切な人がいる。

 僕はこうして待っているだけしか出来ないけど、だからこそ、こうして心配せざるをえない。いや、心配したい。

 待ってるしか出来ない僕だけど、きっと無事に帰ってくることを信じて、こうやって待ってる。

 

 みんなが、無事でありますようにと。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「‥‥申し訳ございませんが、お客様、こちらの商品は二十歳未満の方にはお求め頂けないようになっております。恐れ入りますが、年齢確認の出来るものをお見せ頂けますでしょうか?」

 

「は?」

 

 

 学年末試験が終わり、もう授業も数える程しか残っていない。所謂、消化試合というか補講だな。

 この時期になると受験も殆ど終わってしまって、最上級生である三年生なんかは殆ど学校に来ない。二年生と一年生だけでは校内も少し寂しい。

 教室はそれぞれ階が違うから特に感じるところはないけど、やっぱり喧噪っていうのは上下の階にもしっかり届くもので、三分の一が抜けてしまった校舎は何処はかとなく静かだった。

 

 そんな中、オレは今日もおざなりに先生の雑談で過ぎる授業を無為に過ごし、いつもより伸び伸びとした気分で下校路を歩いていた。

 今は部活がないらしい加藤も、今日は一緒に帰っている。ずっと部活三昧で帰りが遅いコイツが一緒にいるのは、実に珍しいことだ。なにせ、この野郎週に五回も部活があって、他の二日は家の近くの道場まで出稽古に行っていると来た。おかげで頭まで栄養が回ってないともっぱらの噂である。

 下校の途中も、ぺらぺらぺらぺらと口が止まることはない。身振り手振りが一々大げさで、しかもあんまり周りに気を遣ってないらしく、ぶっとい腕が当たりそうになることもしばしば。

 

 

「おおおおっとスイマセン店員さん! こいつ、ちょっと何か勘違いしてるみたいで、アハハハハハ!! お騒がせしてホントごめんなさいっ! 俺ら失礼しますねー!!」

 

「あ、ちょっとお客様っ?!」

 

 

 ぐい、と腕を掴んで強引に走り出す友人。

 室内系で非力なオレとは比べものにならないくらいに強い力で引っ張られると、もはや足が縺れるとかいうのを完全に通り越して綺麗に引きずられてしまう。

 

「おいおい村崎、貴様いったい何考えてやがんだ?!」

 

「え‥‥?」

 

「さっきのだよ、さっきの!」

 

 

 勢いよく引きずられ、コンビニのすぐ裏の路地にまで引き込まれる。

 オレの両肩を掴み、珍しくも動転した様子で声をあげる友人に、思わず目をぱちくりさせた。

 

 

「さっきのって」

 

「よりによって制服のまま煙草(モク)なんて買おうとしやがって‥‥。そりゃ煙草(モク)吸ってる奴らは何人か知ってるけど、流石に連中だって制服のまま煙草買いに行ったりゃしねぇぞ?!」

 

 

 がっくんがっくんと揺さぶられ、目が回る。ついでに頭の中身もぐるぐる回る。

 ベンチプレス百キロを軽く持ち上げる豪腕に揺さぶられちゃ、たかだか六十キロちょいぐらいの体重しかないオレなんて案山子よりも軽い。

 下手すると、ぐいと持ち上げられた後、真っ逆様に地面に落とされてしまうのではないかというぐらいの勢いで揺さぶられ、思わずいろんなものがいろんなところから出てしまいそうだ。

 

 

「ていうか村崎、煙草(モク)なんて吸ってたか? 吸ってるどころか持ってるところも見たことねぇし、煙の臭いもしねぇし」

 

「‥‥オレだって、今まで吸ったことも持ったこともないよ。なんだろう、自分でもおかしいんだけどさ、レジの前に立ったら自然と番号が口から出てきて‥‥」

 

「はぁ? 普通は買い慣れてなきゃ煙草の番号なんて出てこねぇだろうが。一体どうしたんだ貴様? いや、別に疑ってるわけじゃねぇんだけどさ」

 

「分からない。‥‥どうも最近、こんなことばっかりなんだ」

 

 

 肩を掴んでいた手を離し、コンビニの外壁に背を預けた加藤がジュースの缶を放った。

 幸いにして炭酸でなかったソレのプルトップに指をかけて力を込め、蓋を開ける。ぼんやりとした頭に100%オレンジジュースの酸味が心地よい。

 

 

「なぁ加藤、既視感(デジャヴ)ってさ、ホントにあると思うか?」

 

「デジャヴ? デジャヴっってアレか、前にも同じ事あったような気がするーってヤツか?」

 

「そう、それ。いま言ったけど、なんかここのところ色んなことに既視感があるんだよ。もしくは違和感もあるのかな。今まで当然と思ってたことに、違和感があるっていうか‥‥」

 

「どういうこったよソレ、意味わからん」

 

「意味わかんないのは、オレも同じだ。何が何やらさっぱりだよ」

 

 

 頭を抱えて蹲り、盛大にため息をついたオレを怪訝な顔で眺める加藤。もちろん、こいつにもオレの言ってることはよく分かっていないことだろう。

 なにせ、こう言っているオレ自身が全くもって分かっていない。だというのに他人に説明を求めるっていうのも、考えてみればおかしな話だ。

 

 

「勘違いとか、気のせいなんじゃねぇの?」

 

「そりゃ、そういうこともあるだろうさ。もしかしなくても全部それで説明つくかもしれないし」

 

「じゃあどうして」

 

「‥‥なんていうか、それで済ませちゃいけない気がするんだよ。ここで気のせいで済ませても何もないだろうけど、何もないままでいいのかって」

 

「はぁ。まぁそういうのは個々人の感覚次第だからなぁ。俺がどうこう言うことじゃねぇだろうが‥‥」

 

 

 自分の分の汁粉缶を飲み干してしまったらしい加藤は、いつものように缶をコロコロと回しながら底に残った小豆を何としても手に入れようと苦戦している。傍目に見ていると実に残念だ。

 もちろん要領を得ない俺の説明を聞いているというならば不真面目なポーズなのかもしれないけど、こいつは概ねいつもこんな感じだった。

 

 

「あれじゃないか、夢とかで似たような景色を見たことがあるとかさ。夢って人間の記憶から作られるとか言うだろ? 少しずつ現実と違う夢を見て、それを偶然覚えてたってんなら都合が合うんじゃねぇか?」

 

「‥‥そうかな?」

 

「馬鹿にしてるわけじゃあねぇが、そうそう不可思議なことなんてあるわけないだろ。とりあえずは気のせいってことでいいじゃねぇか。もし気のせいじゃなかったら、また同じようなことがあんだろ?」

 

「まぁ、それもそうか‥‥」

 

 

 釈然としないながらも、オレが感じた違和感と同じように、加藤の言ったこともまた事実だ。

 普通に考えればコイツの言うとおり、そうそう非常識なことが起こるはずもない。仮に既視感というものが本当だったとしても、日常という枠の中でよくあることなんだろう。

 加藤も言っていたが、こういうことがあると、どうにも不可思議な出来事を期待してしまうのが人間なのかもしれない。そう考えると、実に恥ずかしいものがある。

 

 

「しかし村崎よ、具体的にどんな感じなんだ? ほら、その違和感ってのは」

 

「さっきも言っただろ? 家にある例のコンポ、ほら、この前買ったヤツ。あんなもんあったかなー、とか」

 

「確か貴様が数年分の貯金はたいて買った豪華なヤツ‥‥だったっけ? アレ、自己主張少ない貴様にしちゃ珍しく興奮してペラペラ喋りまくってたもんなぁ」

 

「そ、それは今更言わなくてもいいだろ?!」

 

「でもよ、そりゃ今でもこれを買えたのが夢みたーいって意味じゃねぇんか? だってあんだけ興奮してた自慢の一品じゃねぇか」

 

「‥‥他にも持ってるはずのないCDがあるはずだって思ったり、学校の授業だってたまにやったことあるような小テストが出るんだ!」

 

「便利だな、そいつぁ」

 

「笑い事じゃないんだけどな。さっきのだって、考えてみれば同じだよ。このままじゃ警察沙汰になっておかしくない‥‥」

 

「‥‥ふむ、まぁちょっと難儀な話だな。つか煙草(モク)買う既視感(デジャヴ)ってなんだよ一体。貴様、実は前世とかあったんじゃね?」

 

「オレにそれが分かれば苦労はしないよ」

 

 

 最近なんだか増えてしまった溜息も、今日は実に重い。

 加藤に話した通り、CDコンポがどうとかテストがどうとかなら正直どうでもいいのである。なんか目眩とか頭痛とかも増えてる気もするけど、それだけならオレの中だけで完結する問題なのだから。

 けれど今さっきみたいな既視感は困る。生まれてこのかた品行方正、煙草なんて咥えたことすらないっていうのに‥‥。

 もしかしたら本当にオレに前世とやらがあって、そこでヘビースモーカーだったのだろうか。

 そんなことすら、思ってしまう。

 

 

「まぁ何かあったら言えよな。俺は人間ぶん投げるぐらいしか出来ねぇけど、出来ることならするからよ」

 

「そう言って貰えるとありがたい」

 

 

 コンビニ裏の路地にひっそりとある自販機備え付けのゴミ箱に、空き缶を放る。コンビニで買ったものだけど、公共物なのだから大丈夫だろう。

 

 

「———あれ、アンタ達こんなところで何やってんの?」

 

「げ、逢坂」

 

 

 と、ガチャリと重い扉が開く音がして振り返ると、そこには見慣れたクラスメイトの見慣れない姿。

 短めのポニーテールと、大きな目。すらり、というよりはちんまりとした体躯と、さっきまさに失態を晒したコンビニの制服が青く、鮮やかだった。

 こいつは加藤と同じ、クラスメートの1人。傍迷惑なぐらい元気で強引なムードメイカー。主に加藤と組んでクラスを引っ張っていく非委員長タイプな委員長。

 ちなみに名前は、逢坂(おうさか)(みなと)

 

 

「やめてよね、店の裏で道草食われたりしたら店の人だと思われるでしょうに。あ、もしかして、さっきの意味わかんない高校生ってアンタ達? なんか、制服でタバコ買いに来た馬鹿がいるって裏で噂になってるんだけど」

 

「あー、やっぱり噂になってたか。まぁ仕方がないっちゃ仕方がないけど」

 

「ホント何考えてんのよ慎一郞。いくらアンタでも、悪ふざけしていいところとしちゃいけないところってもんが———」

 

「いや、違う違う。煙草(モク)買おうとしたの、俺じゃなくてコイツ。村崎の奴だよ」

 

「‥‥は?」

 

 

 いつでもめまぐるしく変わる表情が、ぽかんと間の抜けたものになる。

 凝視する先はオレ。気の抜けた顔に、今度は驚愕、あるいは信じられないような色を浮かべてこちらを見た。

 

 

「村崎君が?」

 

「おう。突然なんか当たり前みたいに番号で頼んでよ。すっげー慣れてる様子だったぜ?」

 

「うわぁ、まさか"あの"村崎君がそういう人だったなんてねー。人って見かけによらないもんだね、私ちょっと驚いちゃったよ。へー、まさかねー、村崎君がねー」

 

「そうそう。いやぁ煙草とか酒とか買うの見せつける奴って背伸びして大人気取ってる馬鹿ばっかだと思ってたけど、あそこまで自然と振る舞われるとなぁ、いろいろ考え直しちゃうよなぁ」

 

「お前ら、当の本人目の前にしてよくも好き勝手言えるもんだな‥‥」

 

 

 ひそひそと、かつしっかりと聞こえる声の大きさで、まるで井戸端会議をする小母様方のように横目でこっちを見ている。

 ていうかウザイ。めっちゃウザイ。やっぱりコイツら場をむやみやたらに盛り上げること、そして相手を挑発することに関しては天才的だな。

 

 

「大体コラ加藤、誤解を招くようなことを言うな。さっき既視感(デジャヴ)とかいろいろ話してたじゃないか」

 

「あぁそういえば」

 

「は? 既視感(デジャヴ)って何の話?」

 

「ふむ、実はコイツがさっき煙草買ってた時にさ、なんかそれが当たり前ーって無意識に思ってたらしいんだよ。これって既視感(デジャヴ)じゃね?」

 

「いやいや、それだけじゃ絶対に既視感(デジャヴ)とは言わないから。てか意味も分かんないし。どういうことなの?」

 

「だから別に、たいしたことじゃない。少なくとも逢坂に言うことじゃないし」

 

「はっ、酷い?! 酷いよ村崎君! クラスでも全然話したことなかったけど相変わらず薄情ね! 友達少ないついでに薄情だね!」

 

「君こそ酷い女だなぁ?! ていうか全然話したことないのにあんなにフレンドリィに話しかけてきたのか?!」

 

 

 バシバシと肩を叩く逢坂からサッと距離をとる。このトンデモないクラスメイトの近くにいると何をネタにからかわれるか分からない。

 そもそも加藤一人でもオレには手も足も出ないのに、逢坂まで加わったら相手しきれないのは明白だ。良いように弄ばれてしまうことだろう。

 

 

「もういいよ、逢坂は放っといてくれよ。オレの勘違いで、いいからさ」

 

「あら、つれないわね。私だってからかってばかりじゃないんだけどなー。クラスメイトが悩んでるっていうんなら、真面目に相談に乗るのもやぶさかじゃないよ?」

 

「‥‥いきなり態度変えないでくれよ、調子が狂う」

 

「勝手に狂われても困るんだけど。でも、些細な悩み事も話してくれないなんてね。私、村崎君にそんな風に思われてたの‥‥?」

 

「べ、別に嫌ってるわけじゃないけどさ」

 

「誰もそこまで言えとは」

 

 

 ぐい、と体をねじ曲げて無理矢理下からのぞき込んで来る逢坂に驚いて、さらに一歩後ずさる。

 こういう急な接近は慣れてる奴じゃなかったらお化けと同じくらい驚くものだ。コイツは、そういうのが分かってない。

 

 

「———あ、そういえば二人とも‥‥まぁ慎一郎は当然として、村崎君の方は例の話は聞いてる?」

 

「例の話?」

 

「春休みの旅行の話。クラスのみんなで、多分十人くらいかな? 短いけど旅行に行こうって話があるのよね。まぁお金もかかるし、簡単に決められることじゃないかもしれないけど‥‥」

 

 

 あぁ、その話は確かに加藤から聞いている。まだ一年生だから卒業旅行には遠いけど、やたらとノリやすいウチの連中のこと、発起人である逢坂と加藤の二人に触発され、予定が空いていて、金も余っている連中はこぞって名乗りを挙げたらしい。

 ちなみに旅費は当然、全て自費。というか非公認はおろか私的な旅行に学校から金が出ると思った奴は首を括った方が良い。これから何やらかすか分からないから。

 

 

「あぁ、それじゃあ村崎君はどうするの?」

 

「オレは既に参加決定済だよ。加藤の奴が先回りして母さんに了解とってやがった」

 

「そり貴様、いつもウダウダ理由つけて春休みは部屋に引きこもってるからだろ? 中学の時だって三年間、ずっとバイトか、部屋で陰気臭いクラシック聞きながら紅茶飲んで、なんかよくわかんない本読んでるだけだもんな」

 

「陰気くさくない。長い年月をかけて磨かれてきた文化の象徴だぞ、そんな言い方をするな。あと、よくわかんない本じゃない。純文学だよ、純文学」

 

「よくわかんねぇから、いっしょくたでいいじゃねぇか。ま、そういうわけだからコイツは強制参加だ。

 面子もこれで大体集まったんじゃないか? そろそろチケットもとらなきゃいけないし、ホテルの予約も必要だ。ここらで締め切ろうぜ、(みなと)

 

 

 クラスメイトの女子というのを差っ引いても、随分と馴れ馴れしい。

 それというのもこの二人、実は赤ん坊の頃から一緒の幼馴染み。それこそ親の代からの付き合いというわけで、とても仲が良い。二人で組んでクラスのムードメーカーをやっていて、しかも付き合っているわけではないということからお察し頂けるだろう。

 乃ち、倍メンドくさい。敵に回したくないけれど、味方にしても厄介。友達してるのは、すごく楽しいんだけどね。疲れることも、あるけど。

 

 

「‥‥って、そういえば二人とも」

 

「「何?」」

 

 

 完全に一致、と言いたげなタイミングで振り向いた二人に、肝心な質問が。

 予算は言われている。というか、加藤から母さんに話があって金が自然と用意されていた。ついでに何泊かも分かっている。母さんが準備をしてくれてるから。いつの間にか、オレの知らない内に。

 

 

「———結局、オレたちって何処に行くことになってるんだ?」

 

 

 そう、肝心要の一番大事な質問。

 何もかも、オレの知らないうちに決まっていた中で、誰もが一番知っていなくてはいけなくて、オレが全く知らなかったこと。

 いや、まぁ、母さんも知らなかったんだけど。(なのに何故しっかり用意したんだ?)

 

 

「「‥‥‥‥‥‥」」

 

 

 当然といえば全く当然なオレの質問に、二人は互いに顔を見合わせて暫しの間、沈黙する。

 ああ、きっとオレが行き先を知らないなんて間抜けな事態は考えもつかなかったんだろう。

 それを証拠に、一拍おいたら今度は息を合わせて大爆笑し始めやがった。

 サボリがバレて店長にでも叱られればいいんだ、バカヤロー共め。

 

 

「アッハッハッハッハ!! いや、悪い悪い、まさか行き先も知らないで旅行に行こうなんて酔狂な奴が居るとは思わなかったんでな」

 

「‥‥母さんも知らなかったんだぞ。オレだって今更、あんな強引に段取り整えられて聞く気になれるか。テストもあったっていうのに」

 

「だから悪かったって。まぁそう考えるとお人好しも立派な遺伝か。息子の旅行の行き先も聞かないなんて、お袋さんも大概いい神経してるなぁ」

 

 

 中学の頃から度々人の家に出入りしては菓子を貪ったりゲームで俺をめったんめったんに叩きのめしたりしていた加藤は、確かに母さんと仲がいい。

 この男、無駄に馴れ馴れしく賑やかで、ここぞという時にはそれこそ果てしなく無駄に———この場合は無駄じゃないけど———気が利くのだ。

 多分、年上に気に入られるタイプ。ここぞという時には物怖じしてしまうオレとは対極にあると言っても過言ではないないだろう。

 

 

「ふふふ、それでは聞いて驚け見て笑え!」

 

「今回の遠足の行き先はドーンと海外!」

 

「遠足?」

 

 

 無駄にオーバーアクションに、息のあった動作で繰り広げられる路地裏のパフォーマンス。

 もはやこの二人に突っ込みはいらないだろう。というか、疲れる。

 

 

「世界最大の博物館!」

 

「歴史のロマン! ミステリー! ファンタスティック!」

 

「風情ある古めかしいショッピングモール!」

 

「お姉さんコレもうちょっとまけてくれへん?!」

 

「其処は貴様も大好き魔術協会の本拠地!」

 

「UBW! UBW! UBW!」

 

「分かった、分かったから少し落ち着け、お前ら」

 

 

 というか逢坂お前、今は休憩時間じゃなかったのか? こんなに長い間サボッて、俺が店長だったらカミナリ落としているところだぞ。

 え? 休憩時間じゃなくて、これから仕事? 余計悪いってーの。

 

 

「よし、それじゃあ刮目して聞けよ村崎? 今回の学年末旅行の行き先は———」

 

 

 物体つけた加藤の仕草。もちろん、あそこまでヒントが多けりゃ馬鹿でも行き先は分かる。

 即ち世界でも随一の博物館。かの帝国が長い歴史の中で簒奪して来た戦利品を並べた歴史の宝庫。

 ガーデンと呼ばれる様々なショッピングモールは、それこそ帝国の時代から連綿と続き、風情ある建物の中に花が咲き乱れる良いものだ。

 地下鉄がくまなく走るのは東京の街を彷彿とさせるけど、一国の首都として申し分のない機能に加え、往年の街並みもしっかりと残すあたりは、堂々たる

風格を感じさせる。

 

 

「「大英帝国首都、霧の街、倫敦だ!!」」

 

 

 一介の高校生が年度の納めとして行く観光地としては、十分過ぎる程に十分な場所。

 様々な小説、漫画、映画の舞台となったその街は、霧に包まれているという。

 オレたち三人にとってみれば、最近ハマった”とある”ゲームにおいて重要な場所でもある。

 

 ‥‥本当なら神戸とかアッチの舞台も巡りたかったと無邪気にはしゃぐヲタク二人は、気づかなかっただろう。当然、オレも口に出しはしなかった。

 普通に考えれば、そんなに人付き合いが得意じゃないオレだって楽しみで仕方ない。確かに今この瞬間も、そう感じているはずなのだ。

 

 けれど何故だろう、その時のオレには不思議なことに、不安のような、恐怖のようなものが胸の内に去来していた。

 例えるならばホラー映画を見ている時のような。この先何が起こるかは具体的に分からないけれど、何かは間違いなく起こる。そんな確信めいた不安が。

 

 

「おぅ村崎、出発前にFateやり直しとけよ? 特に、凜ルート」

 

「果てしなく、どうでもいい‥‥」

 

 

 しかしそれは漠然とした不安に過ぎない。

 後になって考えてみれば確かにと思うことでも、その時は違和感や確信めいたことには全く気づけないものだ。

 勿論この時のオレも、それから、あのこと"が起こるまでの、オレも‥‥。

 

 

 

 84th act Fin.

 

 

 

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