UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第八十四話 『黒い杯と宝石』

 

 

 

 side Rin Thosaka

 

 

 

 

「Es ist gros,《軽量》 Es ist klein《重圧》———ッ!」

 

 

 重力軽減の魔術をかけ、軽くなった体で大きく跳躍。

 同じく重力増幅の魔術を併用し、素早く着地。そのすぐ後に私が今さっきまで立っていた大地が削れる。

 

 

「Es flustert《声は祈りに》 Mein Nagel reist Hauser ab《私の指は大地を削る》———ッ!」

 

 

 ビルのように聳え立つ、黒い巨人。

 まるで厚みというものを感じさせない平べったい紙のような体に、ゆらゆらと垂れる長い腕。

 けれど、軽く見えるその腕の一降りは大地を砕き、吹き飛ばすだけの力を秘めている。

 振り子のように振られる黒い布に触れたならば、よくて吹き飛ばされるか、あまりの威力に吹き飛ぶか‥‥。

 

 

「くっ、サクラ‥‥ッ!」

 

「ほら、どうしたんですか姉さん? おかしいんだ、そんなに必死になってピョンピョン跳びはねて、まるで兎か蛙みたい。おかしい姉さん」

 

「冗談言ってくれるわよ、飛び跳ねなきゃ吹き飛んじゃうでしょうが!」

 

「あら、分かってるなら頑張って飛び跳ねて下さいね。せめて私を楽しませて下さい」

 

「ッこの性悪娘が! Fixierung《狙え》,EileSalve《一斉射撃》———ッ!」

 

 

 

 次の巨人が繰り出す追撃を回避するために横っ飛びになりながら、背後に向かってガンドを乱射。

 『人をゆび指すのは失礼』という慣習の元とも言われている、北欧の古い呪い。ただ、相手を指差して不幸を願うというだけの簡単な呪いは、込める魔力の量と質によっては”フィンの一撃”とまで謳われる物理衝撃を伴ったものになるのだ。

 もちろん遠坂の家に伝わる魔導書、魔術刻印に刻まれたソレは自惚れでなく正真正銘フィンの一撃に十分過ぎる程に匹敵する。

 六代を懸けて研鑽した魔弾は、秒間ニ発から三発の早撃ちで、桜が呼び出した影の巨人へと殺到した!

 

 

「‥‥無駄。無駄、無駄、無駄、無駄ですよ姉さん」

 

「ッ!」

 

「いくら姉さんのガンド撃ちでも、一発の魔弾に込められる魔力なんてたかが知れてるでしょう? この子達に込められた魔力を削ぎ取る威力は、ありませんよ」

 

「それはやってみなきゃ‥‥分かんないわよ! ———Anfang(セット)!」

 

「だから無駄だって言ってるじゃあないですか。馬鹿な人」

 

 

 遠くにいるサクラの声が、不思議と近くから聞こえる。

 とにかく先ずは距離を取ろうと、私は適当に背後に向かってガンドで弾幕を張りながらひたすらに走った。

 

 

「Sieben《七番》 Explosionsflamme《爆炎》———ッ!」

 

 

 聖杯戦争で使い切ってからコッチ、魔力を溜め続けていた宝石(きりふだ)の一つを投げつける。

 本来、魔術師は自分の魔術回路の出力を超える魔力を放出することは出来ない。つまり、魔術回路を使うならば、魔術師が使う魔術の最大威力は魔術回路に依存する。生まれ落ちた時から、決まっているということ。

 

 けれど、遠坂の家の魔術は『力の流動・転移』を得意とする。

 それは乃ち、自らの力の流れを操ること、そして魔力を別の物に転移、貯蓄することに長けているのだ。

 特に遠坂家は現存する魔法使い、第二法の使い手たるキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグの家系として宝石の扱いに長けていた。つまり、宝石に魔力を貯め、外部魔術回路として扱うことが出来るというわけ。

 何年も魔力を貯め続けた宝石は基本的に魔弾として使ってしまえば、たったの一度で灰になってしまう。けれど、本来の自分の魔術回路以上の出力を

 出すことが出来るというのは、一般人が思う以上にメリットが大きい。

 

 

「燃えろォォォオオ!!!!」

 

 

 爆炎、轟音。

 大気そのものを焦がすかのような高温の焔は瞬間的に温度が上がるがために爆発すら生み、サクラが生み出した影の、泥の巨人を包み込む。

 ‥‥けれど、それも所詮は悪足掻き。

 

 

「だから、無駄ですってば姉さん。どれだけ姉さんが魔術でこの子達を壊しても、代わりはいくらでもいるんですよ?

 今の私が使える魔力は、姉さんのそれと段違い。こうやって顕現している一部の魔術を潰されても、すぐに新しいものを作ればいいだけの話ですから」

 

「‥‥ッ?!」

 

「ほら姉さん、お代わりですよ。いくら貧乏性な姉さんでもこの状況で宝石の出し惜しみはしないと思いますけど、それもいつまで保つか‥‥楽しみだなぁ」

 

「サクラァァァアア!!!」

 

 

 のっぺりとした上半身が爆炎で吹き飛んだ泥の巨人。しかし、それも桜からの、否、あの禍々しい泥の塔からの魔力供給によって直ぐに傷は塞がる。

 それだけじゃない。サクラの足下に広がる彼女の影から、あろうことか新たな巨人が姿を表したではないか!

 

 

「‥‥いいわよ、それならそれでやりようはあるんだから! Acht《八番》 Ein Flus, Ein Halt《冬の河》———ッ!!」

 

 

 迫る二体の巨人に、もはや一切の躊躇はしない。

 虎の子の宝石をもう一つ取り出すと、神秘を顕現させる詠唱と共に巨人の足下へと投げ付けた!

 

 

「これは‥‥ッ?!」

 

「吹っ飛ばしても再生するなら、今は足止めで我慢しておくわ! いくわよサクラ、覚悟しなさい!」

 

 

 瞬間、現れる氷の柱。

 本来ならば魔術師に顕れる属性は基本的に一つ。けれど、私の属性は五大元素(アベレージ・ワン)。いわば五つの属性を持っているようなものだ。

 ならば、そう、爆炎で吹き飛ばしても再生するのならば、敢えて吹き飛ばす必要はない。

 攻撃が効かないのならば、別のアプローチを考える。

 

 爆炎で吹き飛ばせない泥の巨人も、私に攻撃するためには動かなければならないのは道理。つまり、動けないようにすればいい話。

 足らしきものは見あたらないけど、根本を凍らせてしまえば動けないでしょ!

 

 

「Gewicht《重圧》, um zu《束縛》, Verdopp elung《両極硝》———ッ!!」

 

 

 宝石に込めた魔力を爆発させることによって生み出した強固な氷の柱を媒介に、さらに戒めの呪いをかける。

 こういうのは本来あんまり得意なわけじゃない。相手を縛るとか、防御するとかいうのはどちらかというと私やルヴィアよりは蒼崎君の領分だ。

 いつぞやの狂戦士との戦いで用いた戒めの術式、『獣縛の六枷(グレイプニル)』。他にも彼が得意とするルーン、『氷れる棘(スリサズ)』。単純に魔力や魔術回路の違いで威力に差こそあれ、蒼崎君の術式は私のソレより洗練されている。

 まぁ勿論その事実を認めはしても、私だって負けるつもりは全然ない。こうして二重にかけた戒めは、いくら膨大な魔力と禍々しい属性を持つ桜の泥人形でも、そうそう簡単に解れはしない。

 

 

「いくわよサクラ! nein《9番》———」

 

「———凜さん、危ないッ!!」

 

 

 必殺と心に決めた威力の攻撃を放つ瞬間、引き伸ばされる意識。

 極限までの集中力を、瞬きをする間の、さらにその間に圧縮して発揮するがための、精神が身体に及ぼす効果。

 常の状態ならば油断なく辺りに気を遣っているはずの意識が、その瞬間だけ、一瞬よりも更に短いその瞬間だけ、相手に、倒すべき敵に集中する。

 

 

「———ッ?!」

 

 

 その刹那にサクラがニヤリと嗤ったのを”見た”、次の刹那。

 私の身体は爆発的な速度を瞬間的に得て、何かに引っ張られる形ですぐ横へと投げ飛ばされた。

 

 

「シエル‥‥?!」

 

「まったく、突っ込み過ぎです遠坂さん。焦る気持ちは分かりますが、もう少し冷静に対処出来ないようでは、貴女の魔力も技術も十全に発揮出来ませんよ?」

 

「‥‥ごめんなさい、助かったわ」

 

「いえ、分かって頂ければ、もとい落ち着いて頂ければいいのです。アレは少々、個々人で対するには厄介な相手ですからね」

 

「まったくね。我が妹ながら、イイ性格してるわ、ホント」

 

 

 地面に投げ出された私を庇うように立つ、カソック姿の代行者。

 存在しない第八の秘跡を受けた異端審問官の頂点たる埋葬機関の第七位。『弓』の二つ名を持つ世界最強の一角。

 どうやら彼女が私の横っ腹にラリアットを”丁寧に”かましてくれたおかげで、危機を脱したらしい。

 力強く踏み込んだ私の靴跡があった場所に、串刺しにせんと黒い槍が幾本も地面から突き上がっていた。

 

 

「今まで真祖の姫(あーぱー)やら死徒二十七祖やら混血やらと戦ってきましたが、ここまで凶悪な魔力、禍々しい威圧感(プレッシャー)を放つ者は見たことがない。

 先ほど貴女の妹だとか仰っていましたが、いったい何者なのですか、彼女は?」

 

「それは私の方が聞きたいくらいよ。ていうか真祖の姫とも戦り合ったことがあるのね、貴女」

 

「あれは只の色ボケ吸血鬼です。まぁ、戦闘力だけは看板に恥じることのないものですが‥‥。本気のアレの放つ威圧感(プレッシャー)は圧倒的なものとはいえ、決して禍々しいわけではありませんから。流石は腐っても星の眷属というか‥‥。

 しかし彼女は違う。まるで憎悪や嫉妬、嫌悪や拒絶といった悪の感情の概念そのものだ。根本からして我々人間、正の概念に所属する生物に対する天敵といっても過言ではない」

 

 

 ニタニタと、しかし決して下品ではなく妖艶に嗤う妹の形をした、ナニカ。

 魔術師は存在しているだけで、同じ魔術師に分かる程度の魔力を撒き散らす。それぞれに固有振動数のような波長があり、同じ魔力の波長を持つ者は一人もいない。けど、その中でもサクラの放つ魔力の波長は、属性は、威圧感(プレッシャー)は、あまりにも禍々しい。

 シエルの言う通りだ。アレは人類に、正の概念を否定する悪の概念。その具現、象徴、顕現に他ならない。とても一人の人間が持って良い魔力じゃない。

 その量も、何より、その質も。

 

 

「あら、上手く避けましたね姉さん。といってもその調子じゃシエルさんにおんぶにだっこかな?」

 

「やかましい! 大体なによ、間桐の魔術の属性は水気(すいき)、特性は吸収。随分とけったいな魔術使うじゃないの!」

 

「ああ、まぁ、そうですね。確かに姉さんの言う通り、間桐の属性ではこんな術は繰れません。‥‥そう、間桐の属性ならば」

 

「ッ?!」

 

 

 ぞわぞわとサクラの足下から、黒いものが地面を這う。

 彼女の影が、禍々しい魔力を纏って魔術の触媒として広がっているのだ。影というよりは、闇。底知れない沼のようなそれは、触れるだけで深淵まで引きずり込まれてしまいそう。

 

 

「‥‥凜さん、あれは虚数です。架空元素の闇です」

 

「虚数?! ちょっとちょっと待ちなさいよシエル、虚数属性なんてソレだけで準封印指定———ッ!」

 

「お褒め頂き光栄です、シエルさん、姉さん。そうなんですよ、私って実は、虚数属性持ちだったらしいんです。フフ、フフフフ、すごいでしょ?」

 

 

 すごいでしょ? と朗らかに笑うサクラに、ゾクリと背筋に怖気が走った。

 間桐の魔術とは、全く違う属性。むしろ五大元素使いの私の方が近いくらいなのに、サクラは虚数属性使いだという。

 

 

「虚数の闇って、間桐の魔術とは相性が良くないって思い込んでたんですけど、意外にそんなこともないみたいなんですよね。これに囚われたが最後、精神がまともにいられることは期待しない方がいいですよ‥‥?」

 

「ッ散りますよ、凜さん!」

 

「了解!」

 

 

 沼のように広がった影から、槍のような職種が襲いかかる。

 影の巨人の攻撃も驚異だけど、大きさのせいでゆっくりな巨人の動きとは異なり、影の職種は弾丸のような速さで私たちを襲う。

 

 

「代行者を甘く見られては困ります! 手加減は無用のようですね、吹き飛ばしますッ!!」

 

 

 大きく体をひねったシエルが放つ、六条の銀閃が次々にサクラの触手の根本を抉り、消滅させていく。

 聖堂教会の代行者が扱う伝統的な武器である黒鍵よりも明らかに太く、重い触手も関係ない。まるで一メートルちょっとしかない黒鍵が鉄骨であるかのような威力と速度を持っている。

 おそらくアレは、代行者に伝わる秘密の投擲法、鉄甲作用。自重をそのまま乗せることが出来るというから、その威力も納得だ。

 

 

「貴女がコンラート・E・ヴィドヘルツルによって喚び出され、現象として確立していることはよく分かりました!」

 

 

 黒鍵の射程を遙かに割る至近距離から出現した触手を蹴り飛ばし、その反動で宙を反転。

 両手の黒鍵を長く伸びた爪のように使って襲い来る触手を当たるが幸い斬り裂いていく姿は、まるで戦女神。

 流石は世界最強の一角を担う存在だ。私たちとそう歳は変わらないだろうに、まるで強さの次元が違う。

 

 

「しかし解せませんね、サクラさん。だとしても今の貴女と、私たちの知る間桐さんと、とても結びつかない。彼女は確かに優秀な魔術師でしょうが、貴女のように禍々しい魔力を持ってはいない」

 

「‥‥そんなこと、気にしてたんですか? すごく、どうでもいい」

 

「貴女は、貴女の言葉が本当ならば、間桐桜の並行世界での存在」

 

「‥‥ですけど?」

 

「だとしたら、私の知る間桐桜さんにも貴女と共通する因子が存在しているはず。ですが、貴女のような禍々しい魔力の波長を真っ当な手段で得ることは不可能です。少なくとも、私の決して短くない経験と、決して浅くない‥‥忌まわしい知識の中には」

 

 

 砂でも吐き出しているかのように言い捨てたシエルの言葉は尤もな疑問であった。

 

 魔術師は必ず、同じ魔術師という生き物には分かってしまう痕跡を残す。もちろん痕跡を辿るなんて面倒をしなくても、対面すれば魔力の波長なんて一目瞭然だ。

 そして私が今まで桜と少なからぬ間だけ一緒にいて、こんな有様になる予兆なんてものは少しだって感じ取れなかった。

 こんな悪意の塊みたいな化け物になる可能性なんて、これっぽっちも考えつかなかった。

 

 

「‥‥私自身の、間桐桜という魔術師の魔力ならば、確かにそう思わなかったっていうのも仕方が無いことかもしれませんね。自慢じゃないですけど私の魔力は、魔術回路は、姉さんのそれに勝らずとも劣らないはず。けど、だからってこんなことになるなんて思いませんよね」

 

「‥‥‥‥」

 

「私が”遠坂桜”なら、真っ当な魔術師として育ったかもしれません。姉さんと同じように正道を歩む者として、一切の気負いなしに、真っ直ぐに‥‥。

 けど私は、ワタシは”マキリ=サクラ”だから。間桐の、マキリ=ゾォルケンの妄執で生まれた存在だから。こんな風になってしまった」

 

「マキリ=ゾォルケン? それって間桐臓硯の字名よね‥‥」

 

「そう、お爺様は既に二百の時を過ごすマキリの妖怪。いえ、マキリそのものと言っても過言ではありませんね。

 間桐の魔術師は、真っ当な魔術師として後世に研究の成果を、魔道を遺していくために生まれるのではありません。彼らは間桐臓硯の妄執、聖杯を得るという目的のためだけに存在している‥‥。

 気づきませんか? 間桐は元々マキリだって言いましたけど、それってマキリ=ゾォルケンの名前ですよね? 本来なら家名であるゾォルケンの方を読み変えて新たな家名にするべきなのに、間桐臓硯はマキリの名を、己の名を新たな家名とした。

 私達は四百年を超える、ゾォルケンの家の魔術を継承しているわけではないんです。私達はゾォルケンの魔術師ではなく、マキリの魔術師。間桐は初代の当主の目的を叶える手段になってしまった‥‥」

 

「ちょ、ちょっと待って! それじゃあ貴女が間桐の家で魔術師として過ごした時間は‥‥ッ?!」

 

「えぇ、お察しの通りです。間桐の人間に待っているのは誇りを持って魔道を歩む”魔術師に成る”修行ではなく、”マキリになる”修行で、”マキリの蟲になる”修行。

 お爺様は既に元の肉体は滅び、その本体を蟲を媒介として他者に寄生する霊的存在と化した吸血鬼。だから私達も真っ当な魔術を身につけるのではなく、身体を蟲に馴染ませ、蟲を体に馴染ませる必要がある‥‥。

 元々のゾォルケンの家の魔術っていうのは使い魔や他者の隷属、吸収という特性を持ったものだったらしいんですよね。けど、それも殆ど蟲という属性に埋め尽くされちゃいました。

 皮肉ですよね、魔術師なら誰しも自らの延命によって稼いだ時間で研究の成就を願うのに、お爺様は逆に家を衰退させてしまった。妖怪は一代限りの化け物ですから、当然といえば当然なんですけど」

 

 

 ぐらりと頭が傾ぐ思いがした。

 確かに間桐と遠坂は聖杯戦争始まりの御三家として盟約を交わした仲。だからこそ私も、大雑把に間桐の家がどんな魔術を使うかってことぐらいは知っている。

 使い魔の魔術について卓越していたからこそ、聖杯戦争の重要なファクターである令呪の仕組みについて担当していたことも、そこの初代当主である間桐臓硯が蟲使いの妖怪だってことも。

 

 蟲を使うということが、あの妖怪爺の下で魔術を修めるということが、何を意味しているのか漠然とでも察していなかったのかと問われれば首肯出来ない。

 私だって魔術師だから、魔術の修行が決して綺麗事だけではないことをよく知っている。私がお父様から愛情を以て教わったように、(サクラ)が魔術を習っているとも思えなかった。

 

 けれど、魔術師としての在り方だけは守られていると、そう信じていたのだ。

 どんなに苦しくてもつらくても、魔術師として生きているのだと。

 そうでなかったら、お父様はどうして桜を間桐の家に養子にやったというのか。

 

 姉として、妹が辛い目に遭うことを許容できるはずはない。

 けれど魔術師としての私は、そう思って(よし)としてはずだった。

 だった、はずなのに‥‥ッ!

 

 

「毎日毎日、蟲でいっぱいの蟲蔵に放り込まれて、散々汚されました。

 女として、これ以上ないぐらいの屈辱と恥辱、凌辱を味合わされて、ようやく間桐の魔術師はマキリの蟲になれるんです。今では目の色も髪の色も、それに少し経つと身体が疼いちゃうくらい、変えられてしまいました‥‥。

 ねぇ姉さん、想像出来ますか? そんなものは序の口だって思うくらい、酷い毎日だったんですよ? ねぇ姉さん、さっきはああ言ってくれましたけど、こんな私を汚い女だって思いますか‥‥?」

 

 

 話をしている最中も構わず襲って来ていた影の巨人達の攻撃が止み、サクラと私の間を遮るものは無くなる。

 今もシエルは残りの使い魔を相手に獅子奮迅の戦いぶりを見せているけど、そちらへの注意を逸らし、私は真っ直ぐに(サクラ)を見つめた。

 

 ‥‥身体に纏った、赤い線が走った黒い衣、

 それはぴったりとボディにフィットしているがためか妖艶な雰囲気を醸し出しているけれど、その魔力の波長は、生きとし生けるもの全てに根源的な恐怖を引き起こすものには違いない。

 真っ白く色が変わってしまった髪は決して老婆のそれに形容される色褪せたものじゃない。むしろ、極上の絹糸のようにさらさらと黒い魔力の風に揺れている。

 それが全て、まるで悪魔や悪神のような悍ましさを放っているというのに、それでも彼女は、私の妹は、美しかったのだ。

 

 

「‥‥ねぇサクラ」

 

「はい、姉さん」

 

 

 キッと視線を上げて、真っ赤に染まった妹の目を見る。

 それはとことんまで泣き腫らしたかのような、悲壮な色を湛えたもの。そして同時に普通では決してあり得ない色は、彼女が既に人ならざるモノであることを指す。

 

 

「甘ったれるな、バカ!」

 

「ッ?!」

 

「辛かったでしょう、嫌だったでしょう。けど、そんなの魔術師の世界じゃザラにあることよ。

 綺麗事だけじゃやっていけない世界なのは、貴女がが一番よく知っているはず。五体満足なだけ儲け物ってぐらい、酷い修練を課す家だってあるわ」

 

「‥‥‥‥ッ!!!」

 

「普通に魔術師やるのだって、魔術回路を起動するただそれだけだって、人間として不適格な行為。それを行使するのに、習得するのに、苦痛が伴わないわけないじゃない。

 それでも私達は魔術師やってんのよ! 辛くても苦しくても、私達は魔術師で在るって決めたんだから!」

 

 

 真っ直ぐに一歩踏み出すと、サクラは私の剣幕にびくりと怯えて同じだけ後ずさった。

 それが気に食わなかった。何に怯えてもいい、辛い、苦しいと弱音を吐いたっていい。本当はソレが嫌で嫌でたまらない、なんてことがあったっていい。

 けど、ここ一番の場面で自分を否定することだけは、私は許さない。

 

 

「でも私は、私は魔術師になりたかったわけじゃない! 普通の家でも、普通の人間でも、お父さんと丘朝と姉さんと‥‥家族四人で仲良く過ごせたら、それでよかったのに‥‥ッ!」

 

「じゃあ言いなさいよ! 叫びなさいよ! 助けてって、(わたし)にお願いしなさいよ!

 言葉を尽くしたって伝わらない思いばっかりなのに、どうして何も言わなくても分かってもらえるなんて思うわけ?!」

 

「言えるわけないじゃないですかっ! 遠坂と間桐の家には相互不可侵の約定があるし、それを違えたらおじいさまに何をされるか‥‥姉さんには分かるんですか?!」

 

「分かるわけないでしょ! 私が悪くないなんて言うわけじゃないけど、それでもサクラが動いてくれなきゃ分かるわけないじゃない!」

 

 

 互いに、叫ぶ。まるで子どものように。

 けど確実に心は通い合っていた。通じ合っていた。

 互いに、互いの考えていることが分かる。それこそが、言葉を交わす意味。

 

 

「私は、貴女が汚いなんて思わない。どんなに蟲に塗れても、身体を犯されても、地べたを這いずり回ったからって、それで貴女が汚れるわけじゃない!

 でもね、サクラ。もし貴女がそれを(よし)としないで泣きべそかいて蹲るっていうなら、話は別よ。

 辛い目に遭って、酷い目に遭って‥‥。本当ならそこで踏ん張って前に歩いて欲しいって思うけど、そこまでは要求出来ないわ。

 ‥‥助けてって、ただそれだけ言ってもらえばなんでもやった。弱音を吐いてくれれば力になった。恨んでくれても、憎んでくれても良かった。貴女のために出来ることなら、この身を賭けてもやり遂げる。

 けどね、”何もしようとしない人間”には何も言う資格はないのよ! 現在(いま)を変えようとしなかったくせに、汚れてるだのなんだの言うんじゃない!

 アンタがこれからやるのはね、先ずは前を向いて歩き始めることよ! それが私に恨みをぶつけることでも、憎んで殺そうとすることでも構わない。けど、こうやってウジウジ何かに振り回されながらやることじゃ、決して無いわ!!」

 

 

 もう一歩、それでもサクラと私の距離は小学校の徒競走より更に遠い。

 でも言葉を交わす距離だ。一方的に言われるんじゃなくて、お互いに言葉をぶつけ合う距離だ。

 ここからなら私の言葉はサクラに届く。私の思いが、サクラに届く。

 

 「今のアンタはね、その埒外の力に自惚れて、酔っ払ってるだけよ! 酔っ払ってる人間の言うことなんてね、全部話半分なんだから。

 先ずは姉として、先輩として、その酔っ払った頭を叩いて目を覚まさせてあげるわ!

 覚悟しなさい、もう容赦なんてしてあげないんだから。お金とか何とか、考えるのやめたわ。こうなったら後先考えない大盤振る舞いよ!!」

 

 

 ポケットからとっておきの宝石を何個も取り出し、覚悟を決める。

 今さっきまでは、後のことを考えて温存していた部分もあった。私の宝石には限りがあるし、何より懐に痛い。そう後先考えないでルヴィアみたいにばら撒くわけにはいかないのだ。

 

 けど、それも今この瞬間まで。

 酔っ払いの言葉だとはいえ、サクラは全身で私にぶつかって来ている。思いの丈を吐き出してくれている。

 何かに振り回されているんだろうことは間違いないけれど、それでも彼女はありったけをぶつけてくれているのだ。

 だとしたら、妹がこんなに真剣なのに、姉が全力を出さないのは許されないことだろう。

 一般論ではなく、何より私自身がそう思うのだ。

 

 

「‥‥‥‥」

 

「ホラどうしたのよサクラ、さっきまでの威勢は? さっさとかかって来なさい、時間だって無限じゃないんだから」

 

 

 立ち尽くすサクラの周りの影は、同じように棒立ちになったまま動かない。

 何時の間にかシエルの相手をしていた巨人達も動きを止めていたらしい。油断なく、けれどゆったりとカソック姿の代行者は私の側に寄り添い、無言で黒鍵を構えた。

 

 

「‥‥こうしましょう」

 

「は?」

 

「私が勝ったら姉さん、私の影の中で私と同じ目に遭ってもらいます。蟲に犯されて、蟲に塗れて、身体の全部、心までぐっちゃぐっちゃにしてあげます。

 それで、私と同じ蟲になったら、ずっと私と一緒に居ましょう? 私の闇の中で、ずっと」

 

「ハッ、ちょっとそれはゾッとしないわね。適うものなら御免蒙りたいところだわ。私だって痛いのは嫌だし、辛いのは嫌いだもの」

 

「ですよね、誰だってそうですよね」

 

「そりゃそうよ。人間、基本的には誰だって同じようなものなんだもの。そこは英霊も聖人も変わらないわ」

 

「フフ、姉さんらしい。‥‥じゃあ姉さん、もし姉さんが勝ったら、私はどうなっちゃうんですか?」

 

 

 小首を傾げるサクラの顔は、感情を感じさせない全くの無表情。

 その顔は最初はあんなに嫌悪していたはずの、妹の紛い物。

 けれど不思議なことに、この瞬間、私は彼女を本当の(サクラ)自身だと感じて言葉を発していた。

 

 

「‥‥その時はね」

 

「‥‥‥‥」

 

 

 手にした宝石が私の魔力の波長に応じて煌めく。

 動きを止めていた影の巨人達も、じりじりと間合いを詰めて来ていた。

 隣のシエルが、ちらりとこちらを見る。

 その視線には呆れた色と優しい色と、どこまでも前向きな清冽な光が宿っていた。

 

 

「引っ叩いて目を覚まさせて、それから抱きしめてあげるわよ。それからずっと一緒に居ましょう。だって、二人きりの姉妹なんだから」

 

「‥‥なんだ、勝っても負けても私の勝ちみたいなものじゃないですか」

 

「ふざけたこと言うんじゃないわよ。言っとくけど私は死んでも負けたくないんだからね。そのつもりで来ないと、承知しないわよ?」

 

「フフ、望むところです。まぁ、そもそも私は舞台の上で決められた台本に合わせて踊る役者。この戦いを拒絶することなんて、始めから許されてなかったんですけど———!!」

 

「———Anfang(セット)!」

 

「聖なるかな、我が代行は主の御心なり!」

 

 

 止まっていたかのようにゆっくりと流れていた時間が、急激に加速する。

 四方八方から襲いかかる影の巨人達の攻撃を躱し、私とシエルは互いに反対側へ飛び出した。

 

 

「Funf《五番》, Fang den Wind《風の牙》———ッ!」

 

 

 裂いても裂いても影の巨人は止まらない。

 サクラの言葉の通り、膨大な魔力で僅かな傷を修復して、何事もなかったかのように攻撃を再開する。

 いや、もしかしたら本当なら修復する必要すらないのかもしれない。きっと私に向かってこれ見よがしにわざわざ修復してみせるのは、あの娘の嫌らしいところなのだろう。

 けれど助かっているのは事実だ。修復するという一手間を要するが故に、その瞬間だけ影の巨人の動きは僅かに止まる。

 でなかったら圧倒的な物量に、私とシエルはたちまちの内に圧し潰されてしまうだろうから。

 

 

「万軍の神なる主よ、貴方の栄光をここに知らせめしたまえ———ッ!」

 

 

 鈍く鉛色の光を放つ黒鍵を投擲するシエル。

 あれは教会では禁忌とされる魔術の光。流石は聖堂教会の殺し屋たる埋葬機関。代行のためなら魔術だろうと銃器だろうとお構いなしって噂は本当らしいわね。

 

 

「‥‥これは、土葬式典? 紫遙さんの知識にあったヤツですね。残念ですけどシエルさん、その手の攻撃はこの子達に通用しませんよ?」

 

「いやいや、子どもの頃に刑事コロンボが好きだったせいですかね、何でも一通り試してみないと納得出来ない性格でしてっ!」

 

「それは難儀な」

 

「ここまで思う存分、容赦なしに殺し合える相手はそうそう居ませんから。凛さんではありませんが、全力で殺らせて頂きますよ、サクラさん!

 ———主よ、どうぞこの盃に注がれた葡萄酒を祝福し、貴方の血と成し給え!」

 

 

 ニヤリと笑ったシエルが懐から取り出した小瓶を前方の地面に叩きつけて割る。

 中に入っていた赤い液体は、おそらく彼女の言葉の通りに教会(カテキズム)で定められた聖別された葡萄酒。

 普通に教会で預かるミサのために聖別するのであれば単なる儀式に過ぎないけれど、魔術のために使うのならば、特別な意味をもった触媒となる!

 

 

「———血は糧、血は通貨、血は贖い、血は力! 主よ、この不浄を清めたまえッ!」

 

 

 葡萄酒、否、血だまりに投げつけた黒鍵から炎が疾り、劫火となって巨人を包んだ。

 もちろんそんなことだけで倒せるとは思っていないだろう。

 発動の感触だけで効果を判断したシエルは、さらに懐から分厚い聖書を取り出し、追撃をかける。

 

 

「おお主よ、貴方は神の子キリスト、永遠の命の糧。貴方を於いて誰の処へ行きましょう!」

 

 

 一人でにめくれる頁。そこから何百枚という聖書の頁が吹き飛び、焔が消え、寸分違わぬ万全の姿を現した巨人をまたしても包んで行く。

 

 

「これは‥‥ッ!」

 

「原理自体は黒鍵と変わりません。要は神の僕、神の子、神に従うものという概念で包み込んでやるわけです。噛み砕いて言えばお説教、お説法の強力版ですね。

 あの巨人は通常の手段では何の攻撃も受けつけないようですから、先ずは教会の意思に沿うものにしてやろうってことですよ」

 

「あれも概念武装ってこと?」

 

「魂の重み、という意味では殆ど効果はありませんが、一応昔ながらの製法で作り上げた正当な聖書です。

 どちらかというと魔術でありながら、教会の理屈で発動する法なのですが‥‥」

 

 

 言葉を途中で切り、様子見のように一本の黒鍵を投擲する。

 

 

「‥‥やはり、効きませんかッ!」

 

 

 過たず一直線に聖書の頁に覆われた影の巨人へと飛来した黒鍵は、その速度を一切落とさないまま、まるで開け放たれた扉をくぐり抜けるかのように巨人の中へと姿を消した。

 続けて真っ黒な水が染み込んでいくかのように聖書の頁も姿を消し、全く変わらない万全な姿の使い魔が姿を現す。

 驚愕の隙を突いて接近してきた巨人の一撃を大きく飛んで距離をとり、躱しながら、シエルは毒づいた。

 

 

「Fixierung《狙え》, EileSalve《一斉射撃》———ッ!」

 

 

 独楽のようにぐるりと長い両腕を振り回そうとする巨人に対して、敢えてこれ見よがしにサクラに向かってガンドを連射し、彼女を守らせている間にもう一度距離をとる。

 やっぱりここまで大きな相手だと、間合いも段違いだ。私が今まで戦った相手で一番大きかったのがバーサーカーで、それの軽く三倍はあるんだから。

 

 

「あらまぁ、随分と姑息な手を使ってくれますね、姉さん」

 

「やっかましい! こちとらまだ人間止めたわけじゃないのよ! 一体なんなのそのバカ魔力?! 一々付き合って真っ正面から殴り合ってられますかっての!」

 

「だってさっきは、付き合ってくれるって言ったじゃないですか」

 

「戦法ってもんがあるで———ぐぅッ?!」

 

 

 ミシ、と背中に衝撃が走る。

 振り返れば、そこにいるのはもう一体の影の巨人。そして振り切った腕と、私の周囲に散らばる岩の破片。

 ‥‥成る程、あの馬鹿でかい図体だとそういうことも出来るってわけね。遠距離攻撃が出来ないなんてのは、早とちりだったか!

 

 

「あれ、思ったより頑丈?」

 

「ハッ、こういうこと予想して仕込んできたのよ、遠坂流近接戦闘用魔術礼装よ。背中にサファイヤ三つ、腕にルビー二つ、その他諸々。今の私、高価い女よ?」

 

「うわぁ、その台詞ドン退きです姉さん。お茶の間に流すジョークだったら悪趣味ですよ?」

 

「悪趣味通り越した不気味な気配放ってる奴が言うこと?!」

 

 

 倫敦に来る前に書庫を漁っていたら発見した、遠坂家に伝わる近接戦闘用の魔術礼装。

 色んな宝石を服の下に仕込むだけっていう随分と簡単な作りだけれど、それでも威力は折り紙付き。

 ま、よくよく考えてみれば魔力による筋力の水増しとか防御壁とか、当然っていえば当然の備えなのよね。

 聖杯戦争中はパートナーであるサーヴァントに近接戦闘丸投げして援護に徹する気だったから使わなかったけど、こういう荒事ならうってつけよね!

 

 

「Sturm Und Wutend Wellen《疾風怒濤》———ッ!」

 

 

 足下で魔力を爆発、迫る影の巨人から逃れる。

 宝石を使った魔術が遠坂家のお家芸ではあるけれど、五大元素(アベレージ・ワン)を属性とする私は純粋に私自身の小源《オド》でも十分な魔術を行使出来るのだ。

 

 

「Spiegel und Wasser《鏡花水月》———ッ!!」

 

 

 大きく振りかぶった巨腕が虚しく空を切る。

 巨人が狙ったのは、私が撒き散らした氷の破片で生み出された幻像。

 幻を操る魔術は決して得意な方というわけじゃないけど、膨大な魔力を持っている桜とはいえ戦闘経験は私よりもさらに未熟。見破れる道理はない。

 

 

「幻像‥‥? 随分と小賢しい真似を。そういうことするなら、こっちにも考えがありますよ‥‥?」

 

「———ッ?!」

 

 

 ずるり、と桜の前に湧き上がる巨人。

 虚数の闇によって構成された純粋に真っ黒な姿ではなく、ありとあらゆる色を内包した混沌の黒。

 存在そのものから他者への、自己への、ひいては人類そのものへの悪意が滲み出す汚泥。ぶよぶよ、ぐちょぐちょ、ぬるぬると見るだけで嫌悪感を抱かせる。

 

 

「‥‥私の身体にはお爺さまの手によって、前回の第四次聖杯戦争で入手した聖杯の破片が埋め込まれています。私はそれを通じて大聖杯と同調し、こうやって魔力を運用することが出来るってわけです」

 

「聖杯の破片‥‥?! 大聖杯って、聖杯戦争を運営するための基盤そのものっていうこと? そんなものが蓄えた魔力は———」

 

「そう、大聖杯が冬木の龍脈から七十年弱を費やして掠め取った魔力は人が、いえ、生物が対抗出来るものではありません。姉さんがいくら宝石に溜めた魔力を使って魔術回路の出力を超えたとして、聖杯を通じて直に魔力を運営出来る私には適わないってことです」

 

「‥‥いったいどういうことよ、第五次聖杯戦争で小聖杯だったイリヤスフィールだって大聖杯が溜めた魔力を自在に使うなんて不可能だったのに」

 

「それが私と彼女の違いです。私はこの現象を制御しているわけではありません。自身の魔術回路を軌道するための燃料とするわけではなく、魔力の発動を誘導してあげるだけ。いわば道案内みたいなものですね。

 制御、ではなく誘導。波長が合う私という存在だからこそ、言うことを聞いてくれているんです。不安定に聞こえるかもしれませんけど‥‥」

 

「こんなに苦労してんだから、いまさら疑問なんて持ちますかっての!」

 

「ですよねー。それじゃあ張り切って避けて下さいね」

 

 

 私が住んでいる屋敷よりも大きくなった巨人が、ぐにゃりと歪み、崩壊するようにこちらへ倒れ込んできた。

 地面へと辿り着く前に輪郭は完全に崩れ、濁流と化す。粘性を持った汚泥の速度は決して速くないが、それでもこちらが必死で逃げようとするには十分に過ぎる。

 

 

「ッ避けなさいシエル! あれを人間が浴びてはいけない!」

 

「言われずとも分かりますよ凜さん!」

 

 

 一も二もなく、踵を返して疾走。

 桜の立っていた場所は一段か二段ぐらい高いところにあって、私たちの後ろまでずっと下り坂。後退が下策だと分かっていても、それ以外にとれる策がない。

 

 

「考えがあるって、大雑把すぎるわよッ!」

 

 

 魔力で脚力を強化しての全力全開。けど、それも焼け石に水。むしろ水に焼け石、と言った方が正しいだろうか。

 下り坂を上から迫ってくる汚泥は決して目に止まらない速さじゃないとはいえ、それは傍目に見た場合の話。

 実際に相対してみれば、人間の足の適う速さではない。

 

 

「———ッ?!」

 

 

 悪態をついた次の瞬間、全身に悪寒を感じて飛び退いた。

 殆ど身を投げるような勢いで飛んだ私のすぐ側を通って行く、汚泥。

 直視に耐えない、悍ましいそれが、私の二の腕を軽く、本当に軽く掠った。

 

 

「———あ、ああ、あああああああ?!!!!!」

 

 

 憎イ、

 妬マシイ、

 不快ダ、

 嫌イダ、

 汚ラワシイ、

 苦シイ、

 辛イ、

 惨メダ、

 怪シイ、

 気持チ悪イ、

 恐ロシイ、

 醜イ、

 腹立ダシイ、

 羨マシイ、

 苛々スル、

 怨メシイ、

 悔シイ、

 恥ズカシイ、

 逃ゲタイ、

 滑稽ダ、

 怖イ、

 悼マシイ、

 虚シイ、

 絶望シタ、

 欲シイ、

 モドカシイ、

 痛イ、

 忌マワシイ、

 犯シタイ、

 

 ———死ニタイ、死ニタイ、死ニタイ、死ニタイ、死ニタイ‥‥

 

 ———死ネ

 

 

「———ッ?!!!」

 

 

 死ネ、死ネ、死ネ、

 死ネ、死ネ、死ネ、死ネ、死ネ、死ネ、死ネ、死ネ、死ネ、死ネ、死ネ、死ネ、

 死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ね死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ—————

 

 

「———凜さん、しっかりしなさい!」

 

「‥‥シエル?」

 

 

 ふと気がついたら、シエルに抱えられて宙を舞っていた。ちょっと空恐ろしくなるくらいの高さにいる。

 多分、正気を失っていたのは一秒か二秒くらいの間だろう。まだ全身に震えが走り、寒気が止まらない。

 

 

「今のが、この世全ての悪(アンリ・マユ)‥‥ッ!」

 

「凜さんともあろうものが、掠っただけでその様ですか。一体どうしてそんなものがサクラさんに?」

 

「‥‥話は大体聞いてるわ。聖杯は、第三次聖杯戦争でアインツベルンが喚び出したルール違反の復讐者(アヴェンジャー)のサーヴァントで汚されている。元々無色の魔力だったのに、悪意の固まりとして定められた反英霊を取り込むことで、彼の色に染まってしまったってわけらしいわ」

 

「なるほど、何十年も経つ間に、さらに良い感じに醸されてしまった、と」

 

「サクラの魔力の波長もそれが原因でしょうね。間桐臓硯‥‥。よくも桜に、私の妹にそんなことをッ!」

 

「ふむ、ではちょっと本気を出させてもらいますか。凜さんはそこにいて下さい!」

 

 

 岩にもたれ掛かる様に私を下ろし、シエルが再び飛ぶ。

 泥は巨人の形をしていても、影のそれとは違って俊敏に動かすことが出来ないらしい。動かす端から崩壊していくようで、宙を舞ってさえいれば被弾は免れるようだ。

  

 

「はぁぁああああ!!!」

 

 

 開いた掌から迸る雷。

 強力なそれは広範囲に疾り、影を、そして地面を灼く。

 地面に疾った雷はその場で踊り、魔法陣を描いていった。純粋に五大元素を操る魔術から、さらに高度な魔術へとつなげる術式。時計塔クラスの魔術だ、まさか教会の人間かここまで一流の魔術を使えるなんて‥‥。

 

 

「雷刃よ、踊り狂え、力の限り!」

 

 

 地面に描かれた魔法陣から魔力が放射され、空中にも数個の魔法陣が描かれる。

 そしてそれらを結ぶように、光の柱かと見まごう雷光が迸った。

 

 

「‥‥ここまでやっても効果がないとはッ!」

 

「む、無駄よシエル、虚数の魔術は単体で別の魔力軸に属している‥‥。虚数の属性に他の魔術が触れても、虚数の軸に威力を全て吸収されてしまうわ」

 

「一応、その辺りも加味した上で術式は編んでいるんですがね」

 

「サクラの扱っている魔力が膨大すぎるわ。貴女の魔力も、とても教会の人間とは思えないぐらいにバカげてるけど‥‥それでもこの世全ての悪(アンリ・マユ)が、大聖杯が七十余年で土地の龍脈から蓄えた魔力は人間じゃ比較の対象にならない‥‥!」

 

 

 そう、結果は既に分かってしまっている。

 虚数とは第五架空元素。普通の元素を数学の世界における実数部だとするならば、虚数という属性は正しく数学の世界でのそれと同様に扱うものだ。

 あれと接触したら、正の魔術は虚数という属性に吸収されてしまう。虚数という係数を付けられ、飲み込まれてしまう。

 ましてや肉体的な接触なんてトンデモない。そんなことをしたら数秒も保たずこの世全ての悪(アンリ・マユ)に汚染される。

 どんな魔術だって同じ。あれに対抗するには同じ土俵、それだけで準封印指定と言われる虚数の魔術を用いるか、あるいは虚数の属性すら吹き飛ばす、サクラに匹敵するだけの魔力を運用するか‥‥。

 

 

「でも、そんな魔力どこから用意したら‥‥?」

 

 

 人間としては過分な魔術回路と魔力量を持っているのだろうシエルですら、これなのだ。

 もしシエルの扱っている魔力がサクラのそれを超えているのなら、虚数がどうとかいう理屈すら吹き飛ばして影の巨人も、泥の巨人も消し飛ばしているはず。

 

 そして生憎と私もシエルを超える、いや、シエルに匹敵する魔力を運用することだって出来ない。

 私が扱う宝石魔術は宝石を外部魔術回路とすることで本来なら不可能な出力を発揮出来るものだけれど、それだって限界というものがある。そもそも宝石に貯められる魔力だって制限があるのだ。

 身を過ぎた魔力を扱えば、それ相応の反動(ペナルティ)はある。その覚悟もある。けど、その魔力すら用意出来ないなんて‥‥!

 

 

「———諦めるんですか」

 

「‥‥え?」

 

「諦めてしまうんですか、姉さん」

 

 

 感情を含まない無機質な声に首を回せば、そこにいたのは能面のような表情をしたサクラ。

 つまらない、とか無様だ、とか。さっきまでの彼女なら浮かべているだろう感情の全てが抜けきっている。

 

 

「自分に出来ることがないからって、諦めてしまうんですか。私を、引っ叩いて正気に戻してくれるんじゃあなかったんですか。

 そんなの、姉さんじゃない。私が憧れた人は、もっっと輝いていた。どんな時でも優雅に鮮やかに、花や宝石のような光を放っていた。

 だから私はその光を妬んだし、憎んだのに。どうやって手を伸ばせばいいか分からない、そんなことで諦めてしまうんですか」

 

「———サクラ」

 

「さぁ姉さん、立ってください。諦めないで、私を打ち倒して下さい。そうでないとワタシは‥‥マキリの聖杯、間桐桜は惨め過ぎる」

 

 

 どうしてだろう、万の言葉よりも、桜の放つ一つの言葉の方が胸に響く。

 どうしてだろう、さっきまでごちゃごちゃ色々と考えていた頭が、スッと冴え渡った。

 ああ、そうだ、私はサクラを助けるんだ。駄々をこねるあの子を張っ倒してやらなきゃ、あの子は目が覚めないんだから。

 

 

「‥‥そう、それでこそ姉さんです」

 

 

 しっかりと前を向き、構える。

 例え手段が何もないのだとしても、戦うという意思だけは捨てない。

 もしそれを止めてしまったら、遠坂凛は間桐桜を諦めることになるのだから。

 目の前のこの子が本物の桜じゃないのだとしても、それは変わらないのだ。それが私の、遠坂凛の在り方なのだ。

 

 

「ねぇ、姉さんはもう分かっているでしょう? 私相手には力押しも、小細工も何もかも効かないってことを」

 

 

 サクラが嗤う。儚げに、今にも散ってしまいそうな表情で。

 ああ、確かにあの子の言うとおり。サクラの膨大な魔力を前に力でのゴリ押しは出来ない。それは、どんな魔術師にだって不可能。

 けれど同時に、あそこまで巨大な魔力と虚数という稀少な属性の前には、どんな策も小細工も圧し潰されてしまう。無意味なのだ。

 

 

「姉さんはね、難しく考え過ぎなんですよ。考え過ぎて、答えを見失ってる。野生の獣みたいな直感力が姉さんの持ち味なのに」

 

「やかましいっ!」

 

「ふふ、おかしな姉さん。‥‥じゃあ質問です。

 力押しと搦め手。今の私に効くとしたら、どちらの方が現実的ですか?」

 

 

 さっきまでの能面のような顔とはうって変わって、優しい光が目に宿っている。

 まるでどっちが年上か分からない(サクラ)に促され、私は口を開いた。

 

 

「‥‥力押し、ね」

 

「正解。さすがは姉さんです」

 

 

 そう、サクラの言う通り、難しいことさえ考えなければ答えはひどく簡単だ。

 単純に力で圧倒するのと、一々別の手を別の手をと無限の選択肢の中から最善のそれを探し出すのと、どちらの方が楽かと言われりゃ答えは決まっている。

 

 

「で、どうしろっていうのよ、このバカ魔力。さっき私にアンタが言ったじゃないの。私達の魔力じゃ、アンタの出力には勝てないって」

 

「私の出力ってわけじゃ、ないですよ? そもそも私の出力、魔術回路の性能自体は姉さんのそれと殆ど変わりませんし。

 だから大事なのは魔力の出力っていうよりは、姉さんの魔術回路を十全に発揮出来るだけの、そしてそれによって壊した私の使い魔たちが再生するだけの暇を与えず連続で攻撃出来るだけの無制限の魔力。そうでしょう?」

 

「そりゃ理屈の上ならそうかもしれないけど‥‥。それでも非現実的だわ! だってそれが出来ないからこそ、搦め手に頼らざるをえないんじゃない!」

 

「この場所では違うんですよ、姉さん。だってここは舞台だから、舞台に必要なものは全部最初から揃ってなければおかしいんです。

 役者も、大道具も、台本も、監督も、小道具も。ね、そしたら何が必要かは自ずと分かるはずでしょう?」

 

 

 その方が分かりやすくて楽だと言いはしたけれど、普通は一番楽な手段を用意出来ないがための搦め手だ。

 けれど、それがここには在るとサクラは言った。既に用意されている、と。

 

 

「この舞台には脚本があります。コンラート・E・ヴィドヘルツルに出来るのは、他人が書いた脚本を実際に劇にするところまで。そのあとのお芝居は、脚本通りに進むのが自然なんですよ。

 だから姉さん、考えてください。望んでください。今の姉さんに、この舞台の勇者(ヒロイン)として魔王(ワタシ)を倒す為に必要な手段を」

 

 

 既に用意されているもの。私がこれから使って、サクラを打倒出来るナニカ。

 それは幻想であって、妄想ではない。虚像であって、空想ではない。私が確実に手にすることが出来る、そんな未来が可能性として存在している手段。

 

 

「凛さん‥‥ッ!」

 

 

 考えろ、考えなさい遠坂凛。

 サクラの操る巨大な魔力に、無尽蔵の魔力に対抗出来る手段。私が操れる可能性を持った、そんなモノ。

 無尽蔵の魔力に対抗するのは、同じ無尽蔵の魔力。けど、無尽蔵の魔力を貯めておける宝石なんて寡聞にして私は知らなかった。

 目の前で哀しそうに嗤う(サクラ)は間桐臓硯によって埋め込まれた大聖杯の欠片によって、あの泥を、この世全ての悪(アンリ・マユ)を操っている。けど、当然ながら私に同じことは出来ない。

 己が振るえる業には限界がある。その境界を見誤ってはいけないのだ。

 私の扱える魔術は、五大元素を操る自然魔術。そして遠坂の家の、第二の魔法使いのお家芸である宝石魔術。

 一人の魔術師が扱える魔術師なんて、そう何種類もありはしない。私は私の使える手札から、将来引くだろう山札から正解を見つけなくてはならない。

 

 

「無尽蔵の魔力には———」

 

 

 そう、私では膨大な魔力を内包した存在を、いわゆる外部魔術回路のようなものを用意することは出来ない。

 おそらくサクラの言葉から伺うところによると、ゲスト出演らしいシエルもまた同じ。

 ならば、無尽蔵の魔力に対抗するには‥‥。

 

 

「無限の、無制限の魔力———ッ!」

 

 

 答えは、あった。

 果てが見えないが、確かに量れる”無尽蔵”という概念に対するならば、私が用意するべきは正真正銘の”無限”という概念。

 ならば”無限”は、何処から見つければいい? 火なら、水なら自然魔術で生み出せる。闇は流石に無理だけど、光なら水晶などを使えば、特性に見合った宝石を用意してやればいい。

 

 じゃあ無限も、要は簡単だ。

 私に”出来ること”という発想も、”答え”が見つかったのなら逆説が成り立つ。

 ”答え”を、私が”出来ること”で、”やってしまえばいい”。

 

 

「‥‥これしかない、とは思ったけど。実際に目にすると違うわね。本当に、喚び出せるとは思わなかったわ」

 

 

 私の知っている理屈で、”無限”を創り出す。”宝石”で、”無限”を創り出す。

 無限という概念は、実はそんなに多くない。遼か昔しには果てが無いと思われた海だって終わりはあるし、手の届かない天空だって境界はある。

 だから私の知っている、”可能性”で無限という概念を創造する。”未来”とは、”可能性”という概念が存在するが故に、”無限”。

 

 相応しいのは万華鏡の輝き。互いに煌き合い、照らし合い、光は大きな輝きへと変わっていく。

 ”それ”が”在る”ことは知っている。植物の、動物の中身がどうなっているのか微に入り細を穿ち調べなくても、絵や彫刻で形を現すことは出来る。

 

 ならば、目指せ、私の辿る道の終着点を。想像しろ、全てを焦がす虹の極光を。

 ただ求めればいい。全ては、既に此所に在るのだから———ッ!!

 

 

「さぁ、いくわよサクラ。このバカ娘、きっつく引っ叩いて目を覚まさせてあげるんだから、しっかり歯ァ食いしばりなさい!

 ———Paradigma Zylinder!」

 

 

 自然と口を衝いて出てくる詠唱を、衝動のままに迷いもなく発する。

 空を握りしめたはずの掌には、膨らみを帯びた硬い感触がした。

 

 

「 ———Ersts, Zweite!」

 

 

 振りかぶる腕には、軽い重み。

 接触している掌が熱い。懐炉か、あるいは焼け石でも持っているのかというぐらいに熱を帯びた左の掌から、魔術刻印を経由して、全身の魔術回路へと魔力が迸る。

 

 胸は高鳴り、全身が火照る。遠坂の家が六代を通じて追い求めた秘宝をこの手にする陶酔が、酩酊しているかのように脳を蕩けさせる気がした。

 けれど、不思議とその感触を覚えても、頭の芯はしっかりと静まり、瞳は耽溺に溺れず真っ直ぐに前を見る。

 

 全てはこのためにあるのだから。遠坂の悲願も、魔法も、根源も、今この瞬間には手段へと成り下がる。

 たとえ魔術使いと蔑まれようと構わない。私が今、欲するのは、(サクラ)に全力で(わたし)の思いを伝えてあげることだけ!

 

 

「RandVerschwinde———ッ!!」

 

 

 全力で振り抜いた宝石剣ゼルレッチが、しゃらりと鈴が鳴るような音を立てて光を発する。

 全てを飲み込む、七色の光。乃ち、虹の極光。

 乱雑な作りに見えながらも複雑に組み合わされた各種の宝石が共鳴し、増幅し、ありとあらゆる色の光を生み出すのだ。

 生み出された様々な光が再び混ざり合い、そして人はそこに虹を見るという。もちろん、宝石剣の存在は殆ど知られていないから、こんなもの私の感傷に過ぎないのだけれど。

 

 振り抜いた先にいたサクラも、私のすぐ隣に立っていたシエルも、そして影の巨人たちも、黒い聖杯も、全てを光に包まれる。

 私に扱える最大の出力を光として放ち続ける、最上級の魔術礼装。否、魔法礼装。

 無数の並行世界から集めた魔力は、数多の可能性を内包しているが故に、とても、とても綺麗に見えたのだった———

 

 

 

 

 85th act Fin.

 

 

 

 

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