エクストラダンガンロンパZ 希望の蔓に絶望の華を   作:江藤えそら

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一か月半ほど開けました。申し訳ないです。
せっかくの五章なので笑いあり涙ありを目指したいですよね。
ていうかえそらさん、ζの体験版ももうそろそろ更新しよう。うん。

※お知らせ
現在、生徒名簿にキャラの立ち絵を追加中です。まだ全員分は描き終わっていませんが、描け次第追加していきます。私が描いているのでクオリティはお察しレベルですが、少しでもイメージの助けになれば幸いです。


Chapter5 (非)日常編②

 ◆◆◆

 

 ―――伊丹、脚本ではお前は第五の事件のクロになってオシオキされる。

 

 どうかその命をかけて引き受けてくれねえか?

 まあ脚本に書かれてる以上、運命に逆らうのは無理だがな。

 

 

 申し訳ねえ。

 最初っから決まってたことなんだ。

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 実にあっさりとした死刑宣告だった。

 彼女が感情を整理する間もなく、釜利谷の声は続く。

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 あぁ…そうか。

 この話の前に、脚本の説明を軽くしとかなきゃダメだったんだわ…。

 メンドクセーけど仕方ねーな…。

 悪い、一番大事なことを先に伝える形になっちまったがもう少し話を続けさせてくれ。

 

 まあ全部言うのもだるいからかいつまんで話すが、このコロシアイってのは”絶望の脚本”と呼ばれるストーリーとして作られたものだ。

 ”脚本”っつっても自分の書きたい話を自由に書けるわけじゃねえ。

 ある人間がこれから何を行うか、何をするかという未来を予知し、それを”真実”という名の脚本に記すのが、俺達が便宜的に”脚本の力”と呼んでいる能力だ。

 だがこの脚本はあくまでも予言だ。

 その結末を知ったうえでそれを変えるような行動をすれば簡単に変えられる。

 その性質を逆に利用して、予言を都合よく捻じ曲げたりお膳立てしたりしてやることで理想のコロシアイの物語を描き出そうってのが俺達の目的だ。

 さっき”運命に逆らうのは無理”っつー話をしたが、あれは多少論理を飛躍させたうえでの話だ。

 

 そもそも、最初から完璧なコロシアイのシナリオとして成立するんなら、土門がわざわざあんなメンドクセー役回りをする必要なんてなかった。

 順を追って話そうか。

 

 俺達が最初に脚本のシミュレートをした時、早速最初の事件から不具合が生じた。

 ルールを完璧に説明した上でコロシアイを発生させると、いつまで経っても最初のコロシアイが起きないというう結果が出たんだ。

 だからやむを得ずルールを中途半端に説明し、津川が動き出すように仕向けた。

 これが第一の変更点。

 

 だが、それでも不具合は続いた…。

 津川が狙いを定めたのは、よりにもよって土門だったんだ。

 悩んだ末に土門が自ら偽の退場を演じるということで話がついたが、まだまだ問題はあった。

 推理や裁判なんぞ始めてやる素人集団だからな、一向に謎が解けず議論が平行線になるという結果が出たんだ。

 俺が上手く誘導する案もあったんだが如何せん事件の情報が少なすぎた。

 これも折衷案で土門が自白という茶番を打つことで話はまとまった。

 

 ……分かるか?

 最初のコロシアイを起こすだけでもこれだけの修正を行っている。

 だがそのおかげでこれ以上ない”脚本”を作ることができた。

 このコロシアイはそうやってできている。

 

 一つ注意してほしいのは、脚本の主体はあくまでもお前たちにあるということだ。

 俺達がするのはあくまでもお膳立てで、殺意やら何やらを抱いてコロシアイを実際に行うのは、全てお前たち同級生自らの意志によるものでなくちゃならない。

 そうでなきゃ”絶望の脚本”の意味がねえ。

 人が抱く”絶望”をありのままに映し出すのがこの脚本の目的だからな。

 

 ここまで話してようやく、お前についての話に戻ろう。

 脚本を変える術を知ったお前には今、五つの選択肢が用意されてる。

 

 

 ①クロとなり、敗北してオシオキされる

 ②クロとなり、勝利して全員のオシオキを見届けた後、ここを出る

 ③クロとならず、新たにクロとなった誰かに勝利して次のコロシアイへ進む

 ④クロとならず、新たにクロとなった誰かに敗北してオシオキされる

 ⑤クロとならず、新たにクロとなった誰かに殺害される

 

 この中で脚本として予言されているのは①、お前が生き残ることができるのは②か③だ。

 ②はやめておいた方がいい。まず無理だ。

 お前が生き残ることを考えるなら③を選ぶべきだろう。

 

 

 脚本は優秀だ。

 お前がクロとならなかった場合、誰がクロとなるかもしっかり予言している。

 

 

 

 

 

 ――――お前がクロにならなければ、代わりに人を殺すのは……

 

 …まえなつ……前木常夏だ。

 

 

 

 

 それでもお前は運命に逆らうか?

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 屋上の開放から一晩が明けた。

 

 

 

 昨夜早く寝たためか、今朝はいつもより早く目が覚めた。

 なのでいつもは決まった人ばかりがやっている朝食当番を今日は自ら担当することにした。

 たまにはやらないとみんなにも申し訳ないし。

 

 大体の場合、その日の献立は厨房に置いてある食材によって決められており、今日は和食のオーソドックスな朝食のようだった。

 

「あれ?」

 冷水の冷たさに堪えながら黙々とお米を研いでいると、厨房に吹屋さんが顔をのぞかせた。

「もー、作ってるなら言ってほしいでありんす! あちきも一緒に作るのに!」

 そう言って着物の袖をまくりながら吹屋さんも調理に取り掛かる。

「大丈夫だよ、吹屋さんには昨日やってもらったし‥‥」

「あちきがやりたいだけでありんす! お料理が上手くなったから最近楽しくて!」

 お箸をカチカチと鳴らしながら気分を弾ませる吹屋さん。

 何事も上手になると楽しくなるものなんだな。

 かく言う俺も、ここに来たころに比べれば随分器用になった気がする。

 

 そうして二人で朝食を作り始めること数分。

「ユキマル~」

 と呼ばれたので「なに?」と振り返ると。

 吹屋さんの水にぬれた冷たい手が俺の首筋に触れてきた。

「わっ!!」

 鋭い冷気に思わず首をすぼめる。

「あっははは~! かわいい~!」

 彼女はそんな俺の様子を見て悪戯っぽく笑う。

「吹屋さん…‥‥」

「ユキマルは本当にかわいいでありんすね~! ほっぺためっちゃ柔らか~い!」

 そう言って吹屋さんは俺の頬を両手で揉む。

「ぅぅん……」

 どう反応していいか分からず俺はうめき声を出すばかりだった。

「こんなかわいい子をフッっちゃうなんてやよ様も罪深いでありんすね~」

 そう言いながら吹屋さんは俺の頬を冷たい指でツンツンとつつく。 

「吹屋さん……」

「ふふふっ、やっぱりユキマルが一番話しやすいでありんす! やよ様はずっとあんなんだし、前木っちはまだショックが抜けてないみたいだし、ジョーちゃんはいつも張り詰めてるし…」

 吹屋さんはつまらなそうに口をとがらせる。

「一昨日までいろんなことがあったしね…」

「それはそれ! これはこれ! 気持ちの切り替えができない子はあちきは好きじゃないでありんす! だからユキマルは好きでありんすよ!」

 こっちを見てニコッと笑う吹屋さん。

「やよ様に裏切られたとき、きっとすごく辛かったでありんしょ? でもそれを乗り越えたからこそ、今のユキマルがいる」

「………」

「辛くても、笑って明日を頑張れる人があちきが好きでありんす。…ユキマル、負けないって約束できるでありんすか?」

 吹屋さんは俺に向かって小指を立てる。

「え……」

 俺は少し戸惑うが、恐る恐る小指を立てて彼女の小指に近付けた。

「ゆーびきーりげんまん…」

 

 吹屋さんの指は細くて白くて、とても冷たかった。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「いやー、お二人もこんなにお料理が上手くなって、私は感動いたしましたよ……」

 炊きあがった白米をかきこみながら入間君が言う。

「俺、そんなに下手なキャラだったのかな……?」

 俺は未だに自分が料理下手キャラになっていたことに納得がいっていない。

「でも本当に美味いな…。俺、なんか感動しそう」

 前木君の言葉にも、なんだか悪意を感じてしまうのは考えすぎだろうか?

 

「料理に感動するのもいいですが、皆さん!」

 そんな俺達の会話を止めたのは山村さんだ。

「今日はみんなで黒幕打倒のための案を練る日にしましょう! もうあんな悲劇を繰り返すわけにはいかないのですから!」

 彼女にしては真っ当な申し出だった。

「そういえば、この前の裁判の時に”最終裁判”がどうのこうのって言ってたでありんすよね? あれ、どういうことだったでありんすか?」

「ああ、そうですね…。これに関してはもう告げてしまってもよろしいのでしょうか…。しかし例の校則が…」

『そういう時はボクの出番だよ――っ!!』

 

 入間君の言葉を遮ってモノクマが机の下から現れる。

『校則って恐ろしいよね! 校則一つで発言すら縛られちゃうんだから! でも校則って意図が分からないのもたくさんあるよね。なんで茶髪ってダメなの? なんでスカートの裾は下ろさなきゃダメなの?』

「うるせぇ!! とっとと本題に入れボケカス!!」

 珍しく豹変モードに入った山村さんが吠えた。

『なんだかボクもその反応に慣れてきちゃったよ。まだ生徒とのスキンシップは諦めてないけどね! それはそうとして、今まで入間君たちだけに課した校則で口封じをしてきた情報を、解禁することを伝えに来ました!! ボクの優しさが五臓六腑に染み渡るね!!』

 テーブルの上でガッツポーズを振り回しながらそう告げるモノクマ。

「入間君たちだけに課されていた校則……?」

「ああ、それについては後ほど詳しくお話しますよ」

『というわけで入間君たちに課した校則は削除しといたので、テキトーにうま~く情報を共有しといてね! あと、教頭が言ってたと思うけど、今後も謎解きはみんなで分担してやってね! 一部の人が頑張るだけじゃつまんないし、もともとそういう意図でこの校則を作ってたわけだからね! まあ、人数も減ってきたし誰かに任せてる余裕はないと思うけどね~』

 くるくると不思議なダンスを踊りながらモノクマは不敵に告げる。

「つまんないって……そんな理由で入間達の行動を制限してたのかよ……!」

 前木君が苛立ちを露わにしてそう言った。

『つまらないか面白いかってのは意外と大事なことなんだよ、前木君。特にエンタメにとっては死活問題じゃない! 君はジェットコースターも観覧車もない遊園地に行きたいと思う?』

 

「……あなたの目的は”面白いエンタメ”を作ることなのですか?」

「!」

 入間君の鋭い質問で沈黙が走る。

『……ボクの目的なんてどうだっていいよ。君たちが何をするかが大事なんだからね』

 モノクマはそれまでの態度とは打って変わって落ち着いた様子でそう言った。

 

「どうだってよくはないでしょう?」

「!!?」

 その場にいないはずの声が聞こえ、俺達は動揺する。

 

 忽然と現れた小清水さんが食堂の入り口からこちらに歩み寄る。

「私たちにこんなことをさせておいて、『目的なんてどうでもいい』なんて言い様はないでしょ?」

「………小清水様の言うとおりです。最も、あなたに直接尋ねたところで教えてくれるとは思いませんが…」

 一瞬驚きの表情を浮かべながらも入間君はそう続ける。

『ボクを上手く乗せて話してもらおうって? 甘い甘い、甘すぎるよーっ!! 発情期のサケのハラスぐらい甘いね! そんな甘さでここから出られると思ったら大間違いだよ! 謎ってのは自分の力で解き明かしていくから楽しいんでしょ?』

「ちっとも楽しくなんてないでありんす!! そもそもあちき達がお前なんかの勝負に乗ってあげてるだけ偉いと思ってほしいでありんすね!! かしこまってヒントの一つぐらいよこせでありんす!!」

 吹屋さんが鼻息を荒くしながらモノクマに詰め寄る。

「吹屋様の言い方には語弊がありますが……。いずれにせよ私たちも懸命に真実に近付いているのです。あなたがどう思おうと、目的も、正体も、全て暴いてみせますよ」

 入間君がそう続くと、モノクマは肩を震わせて笑い始める。

『うぷぷぷぷ……。君たちを見てるのって本当に楽しいねぇ!』

「……‥…?」

 

『君たちはいつもそうさ。結局意味深なことだけ言って大したこともせず、流されるままコロシアイをくり返すんだ。君たちは考えているように見えて何も考えてない。真実に辿り着いているように見えて近付けもしていない。超高校級の名が聞いてあきれるよ』

 モノクマは残酷な言葉を並べ立てて俺達を挑発する。

「流されるまま…? ふざけたこと言ってんじゃねえ!! テメエが否が応にもそうさせてるんだろうがっ!! 卑劣な手段でっ!!!」

 モノクマの態度に我慢できぬとばかりに、山村さんが逆鱗モードになって怒鳴る。

『卑劣? そうなのかなぁ。”音”が嫌なら、なんで自分の鼓膜を破らなかったの?』

「は……!?」

『前回の動機だよ。イヤホンを貫通するような音でも、流石に鼓膜を破られたら届きようがなかったよ。でも、誰もそれをしようとしなかったよね。言い出しもしなかった』

「そんなことしたら、一生耳が聞こえなくなるかもしれないだろ!!」

『そう? じゃあ亞桐さんの命は君たちの聴力よりも軽かったんだね!』

「っっ!!!」

 前木君に呼応して発せられたモノクマの言葉が俺達に突き刺さる。

「当たり前じゃない。たかが人類の一匹のために五感を失っていたら五人しか人を殺せないわ」

 モノクマの言葉に反応したのは、小清水さんの冷酷な呟きだけだった。

 あとのみんなは、ひたすらに沈黙。

 

『”一生耳が聞こえなくなってでも”。その程度の覚悟があればあの動機は乗り越えられたはずだよ。君たちは”耳を壊す”という発想すら浮かばなかった。自分を壊して危機を乗り越えるという着想がない時点で、いかに君たちの覚悟が不足しているかがイタいほど分かるよ。そんな君たちが真実に辿り着くとはボクには到底思えないね!』

「……………」

 俺達は、”論破”されてしまった。

 本来なら裁判場で倒さなくてはならないはずの相手に、言い負かされてしまった。

 

 

「っふ、うふふふふふ………」

 しかし。

「あっははははははは、あはははははは!!」

 彼女は、小清水さんだけは違った。

「あぁ、いけない。面白すぎて笑っちゃった!」

 こみ上げる笑いを抑えるように彼女は自分の頬に手を当てる。

『ウケを取ったつもりはないんだけどなぁ?』

「あら、そうなの? だっておかしくてたまらないじゃない。安全な場所からコロシアイを眺めているだけの人間が、こともあろうに私たちに”覚悟が足りない”ですって? この世で一番覚悟のない臆病者にそんなこと言われるなんて、おかしくて」

『………』

 モノクマはテーブルに座ったまま何も語らない。

 

 

 モノクマに論破されたとき、俺達の中の誰もが”負けた”と思っていただろう。

 しかし彼女だけは違った。

 彼女だけが、”勝てる”という確信をもって敵を見据えていた。

 一度は俺達に負けたはずの彼女が。

 なんだか複雑な気分だ。

 

「この人間どもに何を言ってどう絶望させようとあなたの自由だけれどね、私に向かって放つ言葉は選んだ方がいいと思うわね。あなたが死ぬ時に、余計に苦しむ羽目になるかもしれないから」

『……なにさ。一度は裁判に負けて死ぬ気満々だった癖して。やっぱりキライだなぁ、君……』

 ふてくされたようなセリフを吐きながらモノクマはテーブルの下へと消えた。

 

 

 

「………っはぁっ、はぁっ……。モノクマからあんなプレッシャー感じたの久々だったわ……」

 モノクマがいなくなるとともに、前木君はがっくり頭を落とす。

「…今回ばかりは、小清水様に感謝せねばなりませんね……」

 小清水さんは入間君の言葉に答えずに赤髪をかきあげる。

「全く、こんなんじゃ駒にすらならないわね。使う価値もないならゴミも同然じゃない」

 俺たち全員を見渡しながら彼女はそう告げ、くるりと踵を返して食堂を後にした。

 

 再び重い沈黙が食堂を支配する。

 

「なんか……こういう空気……キライ」

 吹屋さんがぼそっと呟く。

「あーもう!! ギスギスはあちきの性にあわないでありんす!! ごちそうさま!! トイレいってくるでありんす!!」

 髪をくしゃくしゃとかきむしりながらそう言うと、また吹屋さんは食べ終わった食器をそのままにしていなくなってしまった。

「吹屋さん…。いい加減自分で片付けてほしいな……」

 俺はそうぼやきながら彼女の食器と自分の食器を重ね、お盆に乗せていく。

 

「そういえばモノクマのせいで完全に本題を見失っちゃったけど……入間君が校則で封じられていた情報を俺とかに伝えるって話になってたんじゃなかったっけ…」

「あぁ……そうでしたね。肝心の吹屋様がいなくなられては意味がないのですが…。まあ、彼女には後ほど私がお伝えしましょう」

 そして重苦しい空気の中、入間君は俺達に告げた。

 

 

 

 前回の裁判の前に、既に入間君たちは夢郷君の入れ替わりに気付いていたこと。

 そしてコロシアイを終わらせようと伊丹さん、山村さんを連れて土門君に勝負を挑んだがかわされてしまったこと。

 彼の提示した条件が『学園の全ての謎を解き明かす”最終裁判”にて勝利すれば、ここからの脱出を約束する』とうものだったこと。

 今更驚くようなことでもなかった。

 

 

「夢郷君……本当に死んじゃったんだなあ……」

 ぼそりと呟く。

 優秀な頭脳と底知れぬ思想を持っていた彼が今この場にいたなら、俺達に何と言葉をかけただろう。

 俺よりも辛いのは、親友の入間君なのだろうけれど。

 

 

「……伊丹さん?」

 ふと山村さんが呼びかける。

「あ、え? どうしたの?」

「いえ、朝食の前からずっと黙っていると思って……」

「……あぁ、ごめんなさい。今朝からちょっと具合がすぐれないのよ」

 そう言えば伊丹さん、どことなく顔が白いような……。

 でも元々無口な人だからあまり変にも思わなかったな。

「大丈夫か? 体調悪いなら今日は部屋で休んでいた方がいいんじゃないか?」

 前木君が声をかける。

「…いえ、体を動かす分には問題ないわ。ありがとう、前木君」

 伊丹さんは微笑みを浮かべてそう返事する。

「あっ、そうか! 伊丹さん、女の子の日だったんですね! それは失礼しました!!」 

 変な方向に察した山村さんが頭を下げる。

「違うし、あまり大声でそういうことを言わない方がいいと思うけど……」

 伊丹さんが呆れ気味に言った。

 

 …なんだか場がしらけちゃった気がするけど、ギスギスした空気は減ったみたいだし、とりあえずは良かったのかな。

 前木君がモヤモヤした表情を浮かべていた気がするけど、気のせい…だよね。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 自由行動といっても、今の俺がするべきことは限られている。

 入間君から伝え聞いたとおり、黒幕に勝つためにこの学園やコロシアイの謎を解かなくちゃいけないからだ。

 まず第一に考えられるのは、図書室で資料探し。

 屋上から地上の様子をじっくり観察するのもありかもしれない。

 

 そう、間違っても娯楽室でダーツなんかをしている場合じゃないんだ。

 間違っても。

 

 

「ユーキ―マールー!! あーそーぼー!!」

 図書室から持ち出した『希望ヶ峰学園の歴史』を休憩室で読んでいたら、吹屋さんがそう言いながら俺の頭の上にのしかかってきた。

「あぁ…今忙しいんだよね…」

「いーそーがーしーくーなーいー!! あーちーきーさーみーしーいー!!」

 まるで駄々をこねる幼児のように吹屋さんは俺の頭をわしづかみにして揺らす。

 胸が俺の頭頂部に当たっちゃってるよ……とか変なことを考え出してしまい本に集中できない。

 

 そして俺は何を間違ったのか、三階の娯楽室に連れてこられた。

 いつの間に起動させたのか、三対のモノドロイドと一緒に。

 

「本当にやるの……?」

 俺はダーツを手にもって恐る恐る尋ねる。

「はい、じゃあルールは501で! モノドロちゃんAから始めるでありんす!」

 俺の微かな問いを完全に無視して彼女はゲームを開始する。

「わざわざモノドロイドなんて連れてこなくても……」

「人数は多い方が楽しいでありんしょ! みんな誘ったのに無下に断るから、最終手段でありんす! でもユキマルだけはちゃんと来てくれて嬉しいでありんすよ~!!」

 そう言って吹屋さんはくしゃくしゃと俺の頭を撫でまわす。

「…はいはい。さっさとやってさっさと終わらせようね…」

 こんな態度だけど、実際ちょっと楽しんじゃっている自分がいることを否定できない。

 

 

 そして小一時間。

 

 弓道の時に思い知ったけど、俺は的に何かを当てるのが壊滅的に下手くそなんだよ。

「ユキマル、また外れ~!?」

 吹屋さんがあくびをしながら呆れ気味に言った。

「まだコツを掴めてないんだよ……!」

 俺は躍起になってそう見栄を張る。

 そして次の一投は…やはり外れ。

 自分たちの出番を終えたモノドロイドたちがじっと俺を見つめている。

 

「はぁ~、飽きてきた。ユキマル、次はビリヤードしよ~でありんす!」

「待って!! トリプルに当たるまでやらせて!!」

「え~!?」

 こうなるともう自分でも止められない。

 自分で納得できる結果を残すまではやめられなくなっちゃうんだ。

 

 そして飽きっぽい吹屋さんを置いてきぼりにして俺はひたすら投げ続ける。

 もはやルールも無視で投げ続ける。

 弓道の時と全く同じ流れで一日が過ぎる。

 

 

 

 

 

 

「………何やってんだろう、俺……」

 

 夕食の会場で俺は呟く。

 

 完ッッッ全に一日を無駄にした。

 まるで全く課題をやらずに過ごしてしまった夏休み終了の二日前みたいな気分。

 

 元来人の誘いにNoと言えない性格だったけど、ここにきてそれを発揮してしまうのは本当によくない。

 みんなに怒られないかと思うと食欲が減ってしまう…。

 吹屋さんは何の悪気もなさそうな顔でご飯を食べているけど。

 

「では、入間君から時計回りに今日の成果を報告していきましょうか」

 山村さんの言葉で夕食とともに今日の調査結果の報告会が始まる。

 あぁマズい、午前中に途中まで読んだ『希望ヶ峰学園の歴史』のことをちょっと話すか…。

 

「私と伊丹様は図書室で興味深い書物を見つけまして」

 入間君は伊丹さんと目を合わせながら告げる。

超高校級の絶望に関する資料でした」

「…っ?! マジ!?」

 前木君が思わず立ちあがる。

「ええ。この名を聞くのも久方ぶりでしたけどね。以前私は図書準備室で【超高校級の絶望に関する暫定的資料】というものを発見したことがあります」

 そういえば、第三の事件が起こる前にそんなことがあったな……。

 


 

 

【Chapter3 (非)日常編②】

 

「その人たちには…”絶望”がそんなに大事なの…? ”絶望”のためになんでそこまでできるんだよ…」

 

「”超高校級の絶望”ですから」

 

 そう言って入間君はずっと携えていた一つのファイルを俺に差し出した。

 

「隣の図書準備室に置いてあった資料です。”超高校級の絶望”について詳しく書かれていますよ。わたくしが彼らの思想をスムーズに理解できたのはこれのおかげです」

 

 

 

【超高校級の絶望に関する暫定的資料】と銘打たれたクリアファイルの中には、手書きの乱暴な文章がいくつも載せられていた。

 

 

 

「希望ヶ峰学園の生徒の中に……”絶望”は紛れ込んでいた……」

 

 俺はそこに書かれている文面の一つを読み上げ、言葉を失った。

 

 俺たちはそんなところに入学しようとしていたのか。

 

 と、いうことは。

 

 既に希望ヶ峰学園は”絶望”に制圧されたということか…?

 

 それならこんな異様な状況に俺達を置かせることも可能だろう。

 


 

 

 そう……そういえば俺達にコロシアイをさせている黒幕は超高校級の絶望…という結論で落ち着いていた…というか考えるまでもなく導かれる当然の結論だけど。

 そして前回の裁判までに分かっていたことも照らし合わせると…。

 

「つまりドモモンもサンディと同じく”超高校級の絶望”だったってことでありんすよね?」

 …そう、つまりそういうことになる。

 ちなみに第二の事件では、記憶を失っていたが御堂さんも”超高校級の絶望”の一員であったことが明かされた。

 そして、記憶を失っているだけで他にも”絶望”がいる可能性も…。

 ひょっとして、小清水さんも元は”絶望”だったのだろうか…。

 

「”絶望”は私達にコロシアイをさせることで何を生み出そうとしているのでしょう……?」

「山村様、それについてなのですが……。私は今朝モノクマが放った”エンタメ”という言葉が引っかかっておりまして……」

「…と言いますと?」

「……もし、あそこにある監視カメラに録画機能も備わっていたら? そして、私たちのコロシアイの様子を全ておさめていたとしたら?」

「まさか……そんなことが……」

「つまりモノクマ……すなわち”絶望”は、私たちが繰り広げるコロシアイを一つの喜劇として作品にしようとしているのではないかと思うのです……」

「なるほど……」

 入間君が語った推測は、聞くだけで鳥肌が立つような恐ろしいものだった。

 あれだけ惨たらしい殺人と、クロの壮絶な独白と、その後の地獄のようなオシオキ。

 これらを全て喜劇として捉えるなんて、正気の人間では絶対にできない。

 

 しかし、俺達は外の世界がどうなっているかを知った。

 崩壊した世界。

 嘘のような現実。

 もしかしたら、この世界に生きている人間は誰も正気なんて保っていないかもしれない。

 モノクマは、そういった人たちのために作品を作ろうとしているのか‥‥?

 

 

「…では話がひと段落ついたところで次は私たちの報告をさせていただきましょうか」

 次に名乗り出たのは山村さんだった。

「私と前木君は昨日訪れた屋上にのぼり、荒れ果てた街を観察したんです。売店で手に入れた双眼鏡を使って」

 小清水さんだけじゃなく、山村さんも双眼鏡を持っていたのか。

「…そしたら、遠くの方に大きな学園が見えた。…あぁ、あれこそ俺達が通うはずだった希望ヶ峰学園本校舎だってすぐに気が付いたよ」

「…え!? 本校舎!?」

 考えてみれば、ここが特別分校である以上、本校舎が別にあるのは当然だ。

 でも、暮らしているうちに”ここが希望ヶ峰だ”という感覚に染まってしまい、なんだか不思議な気持ちだ。

「つまりそこに…”希望”達と”絶望”達が共に存在しているわけですか…。しかしこれだけの期間、本校舎から何の音沙汰もないということは、本校舎も既に……」

「…いや、それが、見たところ壊れたり燃えたりしている部分はなかったように見えた」

 前木君は自分の見たものを淡々と解説する。

「それどころか、入り口は頑丈な鉄の扉が取り付けられてたし、窓にも鉄板がびっしり張ってあったんだ…。むしろ外敵から身を守ろうとしているみたいだったな……」

「つまり本校舎は絶望に染まった世界から身を守るためにそのような防御策をとっているわけですか……」

「えぇ~? 中が無事ならなんであちき達を助けに来てくれないんでありんすか~? 見捨てられた?」

「連絡手段を絶たれたんじゃないかな……。本校舎も自分たちの身を守るので手一杯とか……」 

 その場にいろんな意見が飛び交う。

 でも本校舎が崩壊していないのなら……まだ助けが来る見込みはあるってことなのかな……?

 

「いろいろ考えることはありますが、先に吹屋様たちの報告を聞いておくことといたしましょう。今日は何の調査をされたのですか?」

 と、不意に入間君から俺達に報告のバトンが手渡されてしまった。

「あぁ、それなら俺は『希望ヶ峰の歴s」

「あちきとユキマルは娯楽室でダーツをしていたでありんす!」

「ちょ!?」

 俺が精いっぱいの報告で取り繕うとしたのに、吹屋さんがそれを遮ってしまった。

「だ、ダーツですか…?」

「こんな時だからこそ遊ぶのが大事って前にジョーちゃんも言ってたでありんすよね? あちきは人生で一番持っちゃいけないものは”退屈”だと思ってるでありんす! だから退屈しないようにユキマルとモノドロイドに付き合ってもらったでありんすよ!!」

 えっへん、と何故か誇らしげに鼻を鳴らす吹屋さん。

「えっと…でも俺はその前にちゃんと『希望ヶ峰の歴史』っていうのを調べたんだ!」

 慌ててフォローを入れるが、みんなの目には必死な自己弁護にしか映っていないようだった。

 

「まあ、こんな時ですから交流も大事だと思いますよ! 私は批判はしません!」

 山村さんががっちりと拳を握ってそう言った。

 俺の話はまるで聞いてもらえてない。

 まあいいや、歴史書を読んでただけで大した発見はなかったし……。

「そうだ! じゃあ明日は今日の発見成果について考えつつ、みんなで何かする日にしようぜ!」

 前木君の発案に吹屋さんが「それいいでありんすね!」と反応する。

「じゃあ、何をするかを明日までに考えといてくれよな!」

 

 

 そんな話をしつつ、夕食兼報告会は終わった。

 

 明日は何をするんだろうな…。

 小清水さんのことも気になるけど。

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 夕食後。

 

 

「伊丹さん!」

 図書室で本を読み漁る伊丹に、山村が後ろから声をかけた。

「……何か?」

 伊丹は普段の表情を崩さずそう答える。

「………」

 声をかけておきながら、山村は少し戸惑ったような顔になる。

「……?」

 伊丹が訝し気に首をかしげると、山村は胸の中に秘めていた言葉を外に出す。

「最近の伊丹さん、元気がないなあって」

「その話なら今朝したじゃない。体調がすぐれないのよ」

 本を読んだまま伊丹はそっけなく答える。

「いえ、違います。あなたがそういう状態か、私には分かってしまったんです」

「……どういうこと?」

 

 

「好きな人がいますよね?」

 

 

「…………!」

 一瞬、伊丹は表情を失った。

「……何を言い出すかと思えば」

 そしてその動揺を振り払うようにそう告げたが……。

「嘘はつかなくていいんですよ、伊丹さん。私には分かるんですから」

 山村は机を挟んで伊丹の正面に立ち、その両肩に手を乗せた。

「私には、恋をしている女の子が表情や仕草で分かるんです。…私も、ちょっと前まで恋する女の子だったんですから」

「……………バカなこと言わないで」

 伊丹は小さな声で反論するが、心の奥底の動揺を隠すには至らなかった。

「伊丹さん……恋は自分一人で抱え込んじゃダメですよ。こんな時だからこそ…。僅かな団結のもつれが命取りになる時だからこそ…。あなたの悩みを知らなきゃって思ったんです。消化はできなくても、少なくとも共有するだけでも、ずっと気は楽になると思ったんです」

「…だから、わざわざ私の元に来たの……?」

 伊丹は本を閉じてため息をつく。

「……この状況で恋なんてする余裕はないのは分かってるでしょう?」

「余裕とか、そういう問題ではないと思います。人を好きになるのはそういう理屈を超えていることでしょう?」

「………」

 伊丹は黙り込む。

 

 

 ふう、と一息ついて山村は語りだす。 

「……前木君でしょう?」

「……っっ」

 伊丹はビクッと体を震わせる。

 そしてその頬が見る見るうちに赤く染まっていく。

「分かりますよ。前木君にだけ、若干ですが態度や仕草が異なりますもん。気になってしょうがないんですよね? ずっと一緒にいたいんですよね?」

「やめて……っ。やめて!!」

 伊丹は頭を抱えて叫びだす。

「あなたには関係ないでしょ……!! どうでもいいでしょう!!」

いいわけねえだろ!!

 逆鱗モードに移行して山村もまた叫びだす。

「そうやって一人で悩み抱え込んで、潰れた奴がモノクマの手にかかるんだろうがっ!!」

「……っ!!!」

「他の奴には言わねえ…言わねえから…お前はオレを信頼しろ!! そういうことを気兼ねなく相談できるのが仲間ってもんだろうが!!」

 そう言うと山村を覆っていたオーラは消え、普段の姿に戻る。

「ふぅ……。最近は意識して変わることができるようになりました。分かっていただけましたか、伊丹さん?」

 ごまかせない、と悟った伊丹はため息とともに告げる。

「えぇ……。あなたの気持ちは嬉しいわ、ありがとう。確かに私は前木君……常夏のことを好きになっていたの。…言える人が現れてくれてよかったわ」

 伊丹はそう告げた。

「やはりそうだったんですね…。こちらこそ無理矢理言わせるようなことをしてしまって申し訳ありませんでした…。何か辛いことがあればいつでも言ってくださいね。助けられることであればなんでも助けます!」

 

 

「私たちは、仲間なんですから!」

 

 

 

 言えるはずがなかった。

 

 その仲間を裏切るなんて。

 

 仲間を裏切って、自分も死ぬなんて。

 

「山村さんに脚本のことを言えば、あるいはクロの登場を防ぐこともできるのでは…?」

 という思いが脳裏をよぎる。

 しかしその思いは、彼女の記憶の中に眠る釜利谷の声にかき消された。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 伊丹、お前がどんな手を使ってもクロの発生を防ぐことはできねぇぞ。

 お前が取りうるありとあらゆる行動とそれに沿った脚本もすでに出来上がっている。

 その脚本によると、どのルートを通っても事件は起きる。

 お前がどう足掻こうと、結局は無数に予言された道筋のうちのどれか一つを通るに過ぎねえ。

 

 いいか、変な気を起こすなと言ったのはそういうことだ。

 俺が最初に語った脚本がお前にとって最良の道なんだ。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 結局私は、クロになってオシオキされるしかない。

 そんなことを、彼女に言えるはずがない。

 

 

 それでも伊丹は、山村に言った。

 

「ありがとう」

 

 

「あなたみたいなお友達を持てて良かった」

 

 それは、一部では本心だった。

 一番恥ずかしい感情をさらけ出して、それを受け止めてくれる仲間。

 その存在は確かに嬉しいし、かけがえのないものだ。

 

 

 でも私はあなたを裏切らなくてはならない。

 私の愛を認めてくれたあなたを、愛のために裏切らなくてはならない。

 

 ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 一人になった伊丹はおぼつかぬ足取りで部屋に戻る。

 

 全ての四肢が小刻みに震え、部屋の扉を開けるのにも神経をすり減らす有様だった。

 

「ふう、ふう…‥‥」

 息を整えながらベッドに腰掛ける。

 

 

 さっきの山村の表情と前木の笑顔が頭の中でフラッシュバックしてはドロドロに溶けてゆく。

 

 そして彼女の胸中は恐怖に支配される。

 

 

 

 私はオシオキされる。

 

 私は死ぬ。

 

 

 

 

 死がやってくる。

 

 死がやってくる。

 

 

 伊丹の脳内に死のイメージが形を伴って現出する。

 

 

 

 人は死んだらどうなるのだろう?

 

 死んだら何も見えなくなる。

 聞こえなくなる。

 何も感じなくなる。

 

 

 医学的な死の定義は何度も学んでいる。

 しかし実際に死んだ人間の感覚を知ることは絶対にできない。

 

 

 死んだらどうなる? 

 全てが無になって、何もない空間に永遠に一人ぼっちになるのだろうか?

 

 

「嫌……」

 伊丹は布団を力任せに抱き寄せてそう呟く。

「そんなの嫌」

 その部屋に無造作に並べられたモノパンダたちは何も言わない。

「怖い、怖いっ怖い怖いっ……」

 言葉にして吐き出していないと潰れてしまいそうなほどの恐怖。

 

 死にたくない。

 真っ暗な世界で永遠に一人ぼっちなんて嫌だ。

 でも。

 でも。

 

 常夏を。

 私の常夏を一人ぼっちにするのはもっと嫌だ。

 

 

 伊丹の胸の中で、恐怖が劣情へと置き換わっていく。

「好き………」

 ”常夏”と名付けたモノパンダを抱き寄せ、伊丹は囁く。

「好き。好き。好き。好き。好き好きっ好き好き。好き。好き」

 自分を押しつぶそうとする恐怖を紛らわすように伊丹はひたすら囁く。

「すきすきすきすきすきっすきっすきっすきっすきっすきっすきっすきっすきっすき!すきっ!すきっぃぃ!!」

 その声は次第に大きく、早く、激しくなっていく。

「すき……すき……ぃ……」

 ボロボロと大粒の涙を流しながら伊丹は腕の中の”常夏”に何度も呼びかける。

 

「常夏……私…‥‥怖いけど……怖くないの……」

 伊丹の震える声が”常夏”に投げかけられる。

「だって……だって………」

 目元の涙を拭って伊丹は微かに笑った。

 

 

「あなたのことが好きだから……」

 

 

 

 

 

 好き。

 

 好き。

 

 

 その心さえあれば、私は死さえも乗り越えられる。

 

 愛は、死をも凌駕する。

 

 

 

 

 

 大丈夫よ、常夏。

 

 あなたは死なない。

 死なせないから。

 

 

 

 常夏。

 

 

 愛してる。

 

 

 

 


 

 

 

 蝉の声が響き渡る()()の光景。

 

 幼い頃、ぽつんと立っていた駅のホーム。

 

 

「ごめんね、ゆきみ」

 

 聞きなれたその声に、不思議と私は悲しみを覚えていた。

 

 私の頬を撫でる柔らかい手。

 

「お姉ちゃんと約束して。お姉ちゃんの分まで、みんなを愛してあげるって」

 

 私はその顔を見上げて首をかしげる。

 

「ゆきみはいい子だから。きっとみんなに愛されるよね。だからゆきみもみんなを愛するのよ。約束ね」

 

 

 私の全身が暖かい体に包まれる。

 

 どく、どく、と鼓動が私の耳に伝わる。

 

 生きている、生命の振動が。

 

 ぽたり、と涙の粒が私の手のひらに落ちる。

 

「愛してるよ、ゆきみ」

 

 そう言って、暖かかった体はふわりと私から離れる。

 

 遠くから轟音が聞こえてくる。

 

 

 

 そして()()()は軽やかに駆け出す。

 

 夏の日差しを浴びながら蝉を追いかける少年のように。

 

 

 

 数歩踏み出した後、空中に飛び上がる。

 

 それと同時に、その顔はこちらに向かってゆっくりと振り向いた。

 

 私を見つめる、可憐な顔。

 

 宝石のような涙と黒い長髪が宙に舞う。  

 

 

 私はこの目で確かに見た。

 

 私の、大好きな…………

 

 

「愛してる」

 

 

 

 

 

 大きな列車が私の目の前を横切った。

 

 ドラム缶にバットを打ち付けたような、大きな金属音が私の脳に突き刺さる。

 

 直後、私は何かに殴られた。

 

 喚くような声が私の意識を刺激する。

 

 少しして、殴られたわけではないことに気が付く。

 

 私の頬に打ち付けられたのは、()()()の欠片だったのだ。

 

 愛の欠片が、私に降りかかる。

 

 

 

 

 ……だから。

 

 だから、私は。

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「ぐすっ、うふふふ、うふふふふふん………」

 泣きながら、笑いながら、伊丹はベッドの中で”常夏”を抱きしめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「愛してる………」

 

 

 

 




愛は絶望を凌駕できるか?
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