お止めくださいエスデス様!   作:絶対特権

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悲劇を突く

「ハク……」

 

白いシャツ一枚を隔て、細く引き締まった――――されど女性らしい丸みを帯びた柔らかそうな身体が押し付けられている。

その艶美さは、例えようもない。一つの完成された美術品のような美しさと内面に反する華奢さは一般的な理性しか持たない雄は勿論、自制心の強い雄を狂わせる魅力を持っていた。

 

「何でしょうか」

 

「……味も素っ気もない奴だな」

 

が、相手にするは鉄の意志。根性と義務感で腹に孔を開けながらも仲間を背負って生還するような男に、その誘惑は効かない。

寧ろその堅さに『だが、それがいい』とばかりに誘惑されたのは誘惑しようとした彼女自身という始末である。

 

あまりにも本末転倒な結果に気づかず、されど右腕に引っ付くのは止めず。

エスデスは、少し年上の兄に甘えるように柔らかく細やかな髪を擦りつけた。

 

「ハクは私に興味がないのか?」

 

「ありますよ」

 

寸合の躊躇いもないその回答に、嘘はない。誰もに等しい興味を注いでいる彼の中で『特別な興味』の範疇に入るであろう自分の存在を確認し、エスデスはまず一つ安心する。

ここで『ない』と言われた日には、彼女は告白もしない内に失恋を経験する羽目になっていた。

 

「ハクは女としての私に興味がないのか?」

 

「性欲を解消する対象としてならば、微塵も。いつくしむ対象としてならば興味は大いにあります」

 

またまた哲学的で難しいことを言ってのける彼に頭を抱えつつ、エスデスは直接的な表現に少し顔を赤らめながら考え始める。

 

(肉……の対象として、と言うのは、そのままだ)

 

思考の内ですら言い切れないあたりにまだ誘惑しておきながら無知だったと言う弱点を晒しつつ、彼女はさらなる思考の深みへと埋没した。

 

いつくしむ、対象。これが愛しむか慈しむかで随分意味と攻略難易度が変わってくるだろう。

彼女は希望的観測の末に前者を選択した。それは彼女の楽観的なところを映し出していたわけではなく、乙女回路によるものである。

 

彼女は基本的に希望的観測を好まない。事実を積み重ねてこれからを予測するのが将と言う職業に求められる資質だからであり、無論天性のものでははい。これは自らの資質を改造し、磨き上げた結果だと言えた。

 

「………なあ、ハク」

 

寝ている時も起きている時も、二人には常に身長の差がある。

必然的に少し上目遣いにならざるを得ないエスデスがちらりと隣の男を見ると、彼は完全に休眠モードに入っていた。

 

「…………はい」

 

それでも、彼の意識は彼女の声によって覚醒する。癖というより、これは有事に際しての危機管理能力の一端であると言えた。

いきなり刺客が襲ってきた、なんてことがあったならば、他人を起こしている暇などないかもしれない。ならば一言で目覚めようというのがハク流の危機管理だろう。

 

「女は……ほ、欲しいのか?」

 

「いえ。非常に手の掛かる主人が隣に居るので充分です」

 

「そうか」

 

なら一生手の掛かるままで居てやろう。

 

密やかな決意と共に彼の利き手ではない方の腕に身体をくっつけ、彼女は静かに寝る体勢に入り―――気づいた。

 

「では何だ、あの三人は!」

 

急転直下、天元突破。そこそこ機嫌のいい状態から一気に怒りメーターが突き破り、振り切る。

エスデスは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の流動人間をたださねばならぬと決意した。

 

そもそも彼女はいつも通りに生活していたら怒らないし、寝所で迫ってきたりはしない。一緒に寝ることを強要したりはするが、ハクが全く動じない為に自分だけがやけに照れたり恥ずかしがったりするだけで終わる。

それがいきなりこうなったのは、焦ったからに他ならない。服装はいつもと変わらないが、いつもならば迫ったりはしなかった。

 

「何で帝都に少し公務に行かせただけで、気づいたら女が三人に増えているのかを説明してもらおうか」

 

お怒りモードのエスデスに対しても何ら怯むことはなく、ハクは訥々と話し始める。

どう言い訳するつもりだ、と言ったならばすれ違うだけだと熟知されているあたり、エスデスも手痛いすれ違い経験を重ねているように他者からは思えた。

 

「海千山千の官僚たちとの油断ならぬ公務に疲れてファミリーレストランで寝ていたら、悲鳴が聞こえたので起きてみたのです」

 

ファミリーレストランの中で飲み物を頼み、飲み切った瞬間にハクはプッツリと休眠状態に入ってしまった。単純に官僚たちへの配慮やら何やらで疲れ切っていたのである。

 

故に彼は、気づかなかった。黒服の男たちが姿を現した途端にファミリーレストラン内の雲行きの怪しさを悟った客全員が蜘蛛の子を散らすように出て行ってしまったことに。

 

「うん、それで?」

 

「取り敢えず悲鳴を上げた人の隣の少女が怪しげな黒服に脚を折られそうになっていたので取り敢えず待ったをかけました」

 

足音やら揺り動かしやらその他の下種の極みにまで至った会話でも全く目を覚まさなかった休眠状態にあるハクは、悲鳴を聞いてむっくりと目を覚ます。

 

眠たげな目を擦りながら立ち上がった彼の視界には、三人の田舎から出てきたらしい少女とその三人を後ろから抑えつける黒服の男の姿が映った。

 

どちらが悪そうかは、誰から見ても一目瞭然だろう。しかし、彼は聞いた。

 

『何事だ?』

 

と。

 

「そう言ったら発砲してきたのでしかたなく応戦し、一先ず怪我をしないように気を使いながら眠っていただき、帝都警備隊の知り合いを呼んで引き取ってもらい、帰ってきたというわけです」

 

人の頼みは命令に違反しない限りは基本的に断らない、と言う流動人間っぷりが如実に出た説明に、エスデスは半ば諦めを孕ませたため息をつく。

もうこれは、どうしようもないだろう。何せ頼まれたのだから。頼まれたならしかたない。

 

弱者を庇う気持ちなど微塵もわからない彼女ではあるが、わからないものを『そうらしい』と割り切る賢さを持っていた。

ハクの奇行がその典型例であろう。

わからないものを突き放しては自分の好きな人の根幹を理解できないという虚しさに直面することになると気づいた彼女は、務めて理解をしようと努力した。

結果、彼女は理解を諦めた。どうにもこうにも彼女には死んで当然の弱者を庇う気持ちなど微塵もわからない。故に彼女は、『自らの信望する掟を疑い続ける』と言う強烈な自己矛盾を矛盾のままで受け入れた。

 

人を肯定するということは自分と他人とを肯定し、殺し合っている人をも肯定することである。現実の一部を肯定したり否定したりするものは自分の都合で実行者になったり批判者にはなったりするものであり、真の現実を自分の中に抱え込めない。故に、矛盾をも肯定しなければ、本当の解決は得られない。

ハクの珍しい長広舌が紡いだ言葉の玄妙さを、玄妙なままに受け入れる素直さが彼女にはある。

 

「……恋愛感情は?」

 

「微塵も」

 

「わかった。私が雇ってやる。使用人でいいな?」

 

目に感謝の念を湛えて無言で頷いたハクの謝意こ言葉を封じるようにその頬を撫で、身体を凭れさせて寝ることを示す。

彼女には、このままでは殆ど使われていないハクの家に三人が住み着いてしまい、彼も時々はそちらに帰らねばならなくなるということがわかった。つまり、使用人として雇うという決断を下した裏には打算があったといえるだろう。

 

が、如何に弁明しようが弱者を救ったことは事実であった。

 

「成長しましたね、お嬢」

 

「……お前が容易に内面を理解させてくれないからだ」

 

ベットの上で扇のように広がった蒼銀の髪を撫で、頭の上に少しの間手を載せ続ける。

それは彼女が変わったことへの嬉しさの表れであることは、目を見ればわかった。

 

「……私は、変わるべきなのか?」

 

「いえ、今のままでもありだと思いますよ」

 

今までの自分を好きで好きで堪らない男に否定されることを覚悟の上で問うたエスデスを少し抱きしめ、愛おしさに浸した声色でハクは呟く。

 

「ですが、お嬢は自分を変えたい、変わりたいと思うのならば変わるべきかと」

 

「私は変わる気はない。なかった。お前が悪いんだ」

 

拗ねたような、照れたような。子供っぽい言い方で胸に顔をうずくめるエスデスをもう一度引き寄せ、離す。

 

「明日は巡察です。早く寝たほうが良いかと」

 

「あのまま寝たい」

 

離した距離を再び詰め、温かみのかよる堅い胸に顔をうずくめながら、エスデスは問うた。

 

「その三人以外の他の女と関わらなかっただろうな?」

 

「ユビキタス一家の娘子には、その黒服と三人の御老人、一人の若者を引き渡すときに出会いました。何でも、『悪の滅菌、ご苦労さまです!こいつらは牢にぶち込んで改心させておきますね!』だとか」

 

「……まぁ、それならいいだろう」

 

職務上の口上ならば咎める気はない。嫉妬心は湧くが、一々咎めるほどには彼女は度量の狭い女ではないつもりである。

嫉妬心は湧くが。

 

「……次に帝都に行く時からは私も同行するからな」

 

「賑やかな道中になりそうですね」

 

苦笑しながらも嫌がらない。そんなお前が大好きだ。

 

柔らかく抱きしめられるようにして、エスデスは自然と眠りについた。


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