お止めくださいエスデス様! 作:絶対特権
「……勝った、か」
「勝ったねー」
命からがら敗走していくエスデス軍を見下ろした後、ハクは天を仰ぐ。
カラリとした寒空は、澄み渡るほどに蒼かった。
「流石は北方異民族最後の壁って言われるだけはあるね。見事な用兵じゃん」
「できるのは防御だけだ。根本的解決になっていない」
更には、決定的な勝利も得られてはいない。
策をめぐらした労に見合っていないというのが正直なところである。
しかも、天候が悪い。彼の帝具は雪の中では普段でも悪い燃費が更に悪くなってしまうのだ。
革命軍の『エスデスを北に止めておきたい』という気持ちはわからなくもないが、そろそろ潮だろう。後は天才の誉れ高き北の勇者に頑張ってもらうしかない。
二人が一時的に編入された革命軍の北方方面チームは、北の異民族を全面的に支援するために作られたわけではないのである。
「寒いし、そろそろ帰ろうよ。皆待ってるような気もするしさ……」
「……そうだな」
エスデス軍五万を、革命軍五千で翻弄するにしても限度があった。戦えば戦うほど戦力は磨耗していくし、疲れも溜まる。
情報戦での勝利と制空権の確保、更には地形を活かした嵌め技で勝ちをもぎ取ってきたが、エスデス軍はその苦境を楽しむかのように向かってきていた。
「北方司令部に連絡を頼めるか、チェルシー」
「もう撤退許可は出てるよ。革命軍の武威を示したからそれでよーし、だって」
相変わらずの抜け目のなさに一驚しつつ、ハクは首を僅かに捻る。
どうするか。北の勇者は天才だというが、エスデスがとるであろうこれからの動きを伝えるべきか、否か。
それが彼の思案の内容だった。
「どうしたの?」
「いや、少々配慮のない考えが脳裏を過ぎったにすぎん」
北の勇者は天才である。その武威は帝国という四海見渡しても比類なき大国が恐れるほどであるというのだから生半の天才ではあるまい。
対して自分はどうか。ただの革命軍の一指揮官でしか無いではないか。意見するのは、無礼に当たるだろう。
「帰るぞ、チェルシー」
「はーい。兵は副官に預けて速やかに帝都へ帰還するように、だってさ」
帝都。帝国の都であり、腐敗の温床。
更には彼の現在の仲間が待つ地でもあった。
「帰還するぞ。帝都に」
三ヶ月後。
壁なき要塞などただの瓦礫とばかりに踏み潰し、これと同じような台詞を吐いた彼の最大の理解者であり宿敵が、同じく帝都へ帰還する。
それを以ってナイトレイドとイェーガーズと呼ばれる帝国の対賊の特務組織との対決は激化することになることを、この時点では誰も知るはずがなかった。
これは、彼と彼女が道を違えた物語である。
「ただいま、帝都」
チェルシー変身態である飛竜に跨りながら、ハクは眼下に広がる大小様々な明かりを灯す建造物を見渡した。
流石に『ナイトレイド』である以上は、彼は夜に行動する。
真っ昼間からチェルシーを駆って帝都北10キロほどにあるナイトレイドのアジトに突っ込むわけにはいかなかった。
「チェルシー、飛べるか」
「ギブ」
「よし」
十五時間ぶっ通しのフライトは、彼女の体力と帝具を使用するための力を無情にも削り取っている。
それは、普段ならば常に軽口を聞いているはずのチェルシーがたった二文字だけで会話を打ち切ったあたりによく表れていた。
「チェルシー」
「ヤダ。寝たい」
崖を跳び下りて歩くぞ。
そう言おうとしたハクの先手を打つように、チェルシーは欲望を口にした。
睡眠欲。疲労を感じた人間を襲うごく当たり前の欲望である。
だが、チェルシーは読んでいた。
「だが、今日中に帰れという辞令だ。帝具は目立つから使わんようにとも言われている」
だからこそ、彼はチェルシーを飛竜へと変身させてはるばる北の国からフライトをしてきたのである。そう簡単に諦めるわけにもいかなかった。
そもそも、彼の頭には理屈の通った命令に逆らうという思考回路が存在していないのであろう。
それがまた革命軍にいいように―――すなわち北に行ったら南、南に行ったら北に、北に行ったらまた帝都へというように振り回されている所以でもあった。
「ならさ、運んだら?」
「うん?」
「このチェルシーさん、軽さには自信があるんだけど」
策士であざとく、褒められたがり。
割りとどうしようもない三つの属性を完備した女・チェルシーは、恋敵であるエスデスが聞いたら絶対に歯噛みするであろう一言を、けろりと吐く。
「お姫様抱っこで運んで欲しいなーって、思うんだけど」
「両手が塞がるが……まあ、お前を私が酷使した分こちらも要望通りに酷使されてしかるべきだろう。引き受けた」
エスデスが言ったならば、確実に『そんなにヤワじゃないでしょう、お嬢』とツッコミを入れられた挙句にズンズン先に行かれてしまうであろう願いは、チェルシーの割りと体力のない身体だからこそ聞き届けられた。
因みに、革命軍北方司令部に『ハクさんの帝具使うとナイトレイドのアジトがバレるんじゃないの?』と、懸念を植えつけたのも彼女である。
全く以って、彼女は真性の策士であった。
「ハクさーん、もう少し走るの遅くして」
「早く寝たいのではないのか?」
負担が掛からない程度に抑えながらも、彼の疾走速度は極めて速い。十キロなど十分もかからずに走り切るだろう。
「何だか風を感じたい気分なんだよね、チェルシーさん」
故に彼女は、延長した。そもそも一生の内で何回できるか、或いはされるかわからない体験である。睡眠欲よりも、満足感と幸福感を得ることが優先されたと言ってよかった。
言い訳は咄嗟のものであるから今まで張り巡らしてきた策謀の巧緻さから見ると一段落ちるが、彼を納得させるには充分である。
何故なら、嘘はついていないから。
『彼にこのままお姫様抱っこされながら風を感じたい』だけ。敢えて省略しただけであり、嘘ではなかった。
「まあ、構わないが……」
「流石ハクさん!」
何が流石なのかを敢えて略し、ハクは僅かに脚の回転数を弛める。
弛めれども速めようとも、チェルシーにかかる振動は一切変わらずに皆無なところに彼の歩法の極意があった。
こんなところで使われてしまう極意というのもなんだが、実際有用なことは確かである。
「着きそーだね……」
「ああ」
殆ど全ての虚偽装飾を引っ剥がすハクの目にはナイトレイド全員が一目も二目も置いていた。
それ自体が偽りとなったのであらば、彼は迂闊な発言を控えなければならないだろう。
これからの会話に深く関わる事項であるが故に、ハクはチェルシーに注意深く問うた。
「あの時に嘘は感じなかったから訊きたいのだが、お前は寝たいのではなかったのか?」
「あの時は寝たかったよ。今は違うだけで」
頭の上に疑問符を浮かべている彼には、チェルシーの今までの発言に一切の嘘がないことが本能的にわかっている。
が、どうにも割り切れなかった。
まるで一つの目的を他力本願で達成させる為に、いいように使われたような気がしなくもなかったのである。
「チェルシー」
「なに?」
残り少ないことを惜しむよりも今を目一杯楽しむことを優先したチェルシーは、いつもの如く気さくに答えた。
アジトまで、残り一キロ程である。
「お前、こうなるように仕組んだりしていたか?」
「うん」
いけしゃあしゃあと。
表現するならばそのような感じで、チェルシーはあっさりかけられた嫌疑を認めた。
否定すると嘘になる。嘘を付けばバレる。ならばさっさと開き直る。
この三動作を嫌味を与えないように行う術が、彼女はじつにうまかった。
「……お前には感謝している。眼となり耳となり脚となり、その普段現れぬ誠実さには私も一目置くほどに、な」
「へ?」
チェルシーの休みを知らない思考が、砂糖水をかけられたかのようにショートし、火花を散らす。
褒めて褒めてという癖にいざ褒められたら逃げ出すようなところが、彼女にはあった。
そこらへんが単純な、つまりは欲望を第一に優先するエスデスならばショートするどころか加速するのだが、チェルシーにとっての不意打ちの一撃は物理・精神問わず命取りである。
「私にできることならば、可能な限りに融通してやろう。無論、限度はあるがな」
こう言われては、何も言い返せるようなことがなかった。おねだりも勿論、できなかった。
結局彼女はこの後の約一キロを、頭をショートさせたままに移動することになったのである。