お止めくださいエスデス様!   作:絶対特権

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三連星を突く

「情報をいただいたにも関わらず、悪に逃げられてしまいました……」

 

「そうか」

 

報告すべき戦闘があった日にすれ違う形で南方へと戦車を走らせていた恩人に向かって、セリュー・ユビキタスは頭を下げた。

 

ユビキタス家とこのエスデス軍の副官兼情報将校兼参謀長とは、数年来の付き合いがある。

それは父親が警備隊を退職し、娘がその隊長にまで登り詰めた今になっても変わらず、今では職務上の立場と権限を犯さない程度に輔弼しあう仲になっていた。

 

「また稽古をつけていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

「前はそちらが南方へ来た。今度はこちらから出向こう」

 

帝都警備隊が入手した地方支部からの情報を束ねた文書を受け取り、卓上へと置く。

その気になれば人を撲殺できそうな程に分厚い書類は、帝国全域であった変事や反乱軍の動向を纏めた物である。

 

軍とはまた違った視点を持つ警備隊からの報告は、誤報を抜き、良質な物を選別して纏めれば革命軍の動きを大体掴むことができた。

無論、それには軍の報告をも集積し、選別しなければならない。

だが、それを不眠不休でやっておきながら普段の職務とエスデスのお世話に過欠を示さないのがエスデス以上に革命軍にとっての脅威と見られている理由の一点であろう。

 

「見逃したのはこちらも同じだ」

 

「南方へ行っていたのではなかったのですか?」

 

「笛を吹いただろう、お前は」

 

二対一という不利を情報アドバンテージと帝具の相性とで覆し、援軍が来るのがもう一瞬早かったならば少なくともどちらかは捕縛できていたであろう状況に於いて、ハクもまた動いていた。もっとも、角の生えた『スサノオ』と呼ばれる男性に阻まれてしまったが。

 

「そうでしたか……やはり悪は、手強いのですね……」

 

「少なくとも、尽きることはないだろうな」

 

「最近でもスタイリッシュと言う科学者を違法な人体実験を行った咎で捕まえたばかりですし、まだまだ正義の光が世界を照らすまでには足りません。

ですが!」

 

バンッ、と。力強く机が叩かれ、複数の書類が宙を舞う。

分別中だった書類が『残念だったなぁ。やり直しだよ』とばかりに雪崩を打って混ざっていく様をちらりと一瞥し、身を乗り出して熱弁を振るうセリューへと視線を戻した。

 

「セリュー・ユビキタス。何故この世に革命軍というものがあり、民はそれに与すると思う?」

 

「……革命軍に誑かされたからでは?」

 

「民も馬鹿ではない。臆病で、慎重で、何より鈍重だ。変化が必要だとわかっていても尻に火が付くまでは腰を上げない。そんな奴らが何故やすやすと誑かされたのか」

 

別段、彼はオネスト大臣の配下の酷吏のように民を馬鹿にしているわけではない。臆病さは思慮深さであり、慎重さは現実を踏み固めているということであり、鈍重さは意志の堅さである。尻に火が付くまでは動かないのも忍耐強さの表れであるし、誑かされない、と明言しているのだから馬鹿だと言っているわけでもない。

 

エスデスならば瞬時に働くこの言語変換も、セリュー・ユビキタスからすれば難解だった。

 

「…………そこに魅力を感じたから」

 

「……お前にとっての正義とは悪を許さず、明文化された法で天に照らして裁くというような峻切なものであろうが、正義の本義とは閉じられていたものを開き、開いたことにより人民を救うというものだろう。

革命者に正義を見るのは要するに時の蒙さを開き、万民に新たな光をもたらそうとしているからだ。この新たな光こそが、魅力と言っても構うまい」

 

別な正義を突きつけられたセリュー・ユビキタスの思考が固まる。

そもそも彼女の思考はあまり柔軟ではない。貫き通す強さは持つが他者を容れる柔らかさに欠けていた。

 

「……正義は勝つと言うが、向こうにも向こうなりの正義があることを忘れるな」

 

未だに混乱したような表情をしているセリュー・ユビキタスに気づき、ハクは僅かに思考を巡らした。

つまり彼女が表に出してきた戸惑いや、混乱などの根源は何なのか、を。

 

「障害は多いだろうが自分が決めたならば貫き通してみるといい。それでわかることもあるのではないか?」

 

『一言少ない』

 

そうエスデスに言われ続けたのが流石に堪えたのか、ハクは遂に過不足なく述べた。

自分が寡黙であるという自覚はなく、寧ろ多弁であるという思いが濃厚だった彼にとっては反撃するように放たれたエスデスの発言はかなりの驚きを伴い、身に沁みている。

 

少なくとも、当分の間は忘れることがない程度には。

 

最後の一言でようやく意図を読み取ったのか、結局笑顔で去っていたセリュー・ユビキタスを無言で見送り、彼は崩された書類の山を黙々と捌き始めた。

エスデスは自分の公務が終わって帰ってきた時に彼が自分の部屋に居ないだけで、怒る。いくら怒られようと構わないが、拗ねられるのだけはいただけなかった。

 

「……難しいものだ」

 

「何がかな?」

 

目の前にお茶を入れた陶器の器が置かれ、置いた主を見れば頭上をリボンが踊っている。

自分より幾つか下。エスデスと同い年くらいの年齢ながらそうは思わせない容姿には、かなりの見覚えがあった。

 

「チェルシーか」

 

「そ。情報収集終わったから本業に復帰しに来ました……って感じ」

 

チェルシー。エスデス軍の帝具使いとは別枠でハク個人が彼自身の所領で見出した帝具使いである。

 

「そう言えば侍女長だったな、お前は」

 

「自分で任命しておいてそれはないんじゃない?」

 

否定しきれないけど、さ。と、自分が約半年間革命軍に内偵していたことが侍女長の仕事ではないことが重々わかっているのか、チェルシーは遠い目であらぬ方向を見つめた。

 

器量も要領もいいから取り立てられ、殺そうと思った異常者の領主も突然現れた幽鬼のような男に捕縛されて裁かれ。

全てうまく行っていた、我が人生。

 

「何で帝具使えるとか言い出したかな、私……」

 

「強制してはいない。お前から言い出したんだからいつ辞めるのかもお前の自由だ。お前は我が眼としてよく働いてくれたからな」

 

本気で言っているからこそ、彼女としても引き下がれないものもある。元々かけられる期待に弱く、なるべくは応えたいと思う質なのだ。

 

それが原因で身を滅ぼしかねないようなところもあるが、美徳であることは確かだろう。損をする性格であるとも言うのかもしれないが。

 

「……まあ、やるけどね」

 

「そうか」

 

よく要点を抜き出し、結論と推論を分けて纏められたチェルシーの報告書は、読みやすい。本来は要領のいい役人志望だっただけあって、非常に優れた分析力と要約力を持っていた。

見れば見るほど、使えば使うほど、情報収集に最適な能力をしているのである。

 

「次はどこで集める?」

 

「暫く侍女長として羽根を休められるがよろしいのでは?」

 

「じゃあ、そうしようかなぁ……」

 

帝具であるメイク道具を手で弄くりながら、チェルシーは一つ頷いた。

緊迫したような空気を内に溜めて行動しなければならなかった革命軍での内定は、彼女の中に見え難い疲れを溜めている。疲労抜きにぬるま湯の仕事をこなすのも悪くはなかった。

 

「行く時は一筆。侍女長をやるならば新規で雇った三人の教育を」

 

「はいはーい、っと。暫くはここに居るからよろしくね」

 

その後、暫くの間談笑相手を務めていたチェルシーが何かを察知したかのように退散した、数分後。

 

「ハクぅ……」

 

「はい」

 

割と駄目そうな声を出し、ぐでーっと前につんのめるように背中に凭れ掛かってきたエスデスを受け入れ、ハクは肩に乗せられた顎―――及び柔白の肌と蒼眼を横目で見た。

 

三連続。何故こうも女性の訪問ラッシュが続くのか。

ハクは甚だ疑問だった。

 

「女性としてのデリカシーを守れ守れと仰っていますが、後ろから抱き着いたり私が寝ている時に突進してきたりしているから女性として扱われないのではありませんか?」

 

充分に女性として魅力的なのにそう言う遠慮を抱かせないのは、あなたの魅力の一つだと思いますよ。

 

本人はどうやらそう言っているつもりらしいが、彼が話すのは一般人にはただの皮肉にしか聞こえない難解な言語である。

 

「うん。もっと褒めろ」

 

凄まじい天然ぶりで辛い問題提起を行ったハクもハクだが、エスデスもエスデスで相当に難解な言語表現に隠された真意を当然の如く読み解き、正しい答えを返せる辺りは流石であった。

 

過剰なスキンシップの所為で折角の美人顔が距離と遠慮を感じさせない。故に、しらっと数字やら何やらを口にしてしまう。適切な距離と恥じらいを持ってくれればソレもまた変わってくるのだが、今のままではちょっとなついた仔犬が突っ込んでくるのと何ら変わらない。

それを知ってか知らずか仔犬の如き行動の数々を改める気は全くないと断言した彼女が、デリカシーを手に入れる日は遠いだろう。

 

「日々の雑務に疲れた私には風呂上りのこれが癒やしなんだ……」

 

「そうですか」

 

実にあっさりと疲労宣言をスルーし、慮る言葉を取るでもなくハクはゆっくりと立ち上がった。

勿論エスデスは立ち上がる為にとられた予備動作でさっさと凭れるのをやめている。

 

「む……」

 

台所あたりに引っ込んでしまったハクを目で追い、エスデスは一考すらしてないと思われるような雷光の如き素早さで彼の洋服棚から白無地のワイシャツを無断で抜き取って軍服を脱ぎ、手早く畳んでワイシャツを着る。

最早熟練すら感じるようなその速さは、毎日の繰り返しの賜物であった。ハク曰く『実に大した物ですね、お嬢。到底何かの役に立つとは思えませんが、素晴らしいものだと思います』ということらしい。

 

因みに彼はこれでも褒めたつもりだった。皮肉とかではなく、本音のみがそこにはある。

 

「ん……」

 

そんな皮肉を正常な意味で取れる数少ない人種である彼女は、流れるが如き精練された動作でダブルベッドの内の片方に潜り込み、布団にくるまって好きな男の温かみのある匂いを堪能していた。

 

余談であるが、彼女は好きになったら全てを好きになる質である。此れは非常に惚れ込みやすいとも言えるし、極めて一途な思考を持っているとも言えた。

 

故にその全てを好きになる質であり、欲望のままに生きている彼女からすれば他人の服を着て他人の寝台に潜り込んで他人の布団にくるまっている現状は至極当たり前の行為でろう。そこに一般的な規範は存在しない。

 

自分がしたいからしているのである。

 

「一応、寝台でも摘めるような料理を作りました。食べますか?」

 

「うん」

 

無意識に甘えるような声を出したエスデスの顔のみがハクの布団から顔を出し、親の餌付けを待つ雛のように口を開けた。

 

「……怠惰の極みですね」

 

「うん。でも幸せだから全然いい」

 

純粋に怠惰に身を任せることへの健康への懸念を口に出したハクに対し、エスデスが答えたのは今の嘘偽りない気持ち。

こうも直球でぶつけられては、悪い気がしないのは確かだった。

 

「仕方ない人です」

 

「それは、今更だろう?」

 

「違いありません」

 

軽い夜食を食べ終わり、寝間着に着替えたハクの隣にちょこんと腰を下ろし、美しい絨毯のように寝台の上に広がった蒼銀の髪が肩に凭れる。

 

「お前、また一言足りてないぞ」

 

「……そうでしたか?」

 

「うん。かなり」

 

セリュー・ユビキタスへの諫言で実直スイッチがオンになったことが原因だろうと、彼は適当に考えた。

そして、実際あってはいる。

 

「……すみません」

 

「誰にでも失敗はある。気に病むな」

 

大度量を見せる彼女を見て、少し間物思いに耽る。

 

何だこの小さいのは。

 

最初に突っかかってきた彼女を見た時の、それがはじめての感想だった。

 

とことん生意気で、怯むことを知らない。何回やっても勝とうとしてきて、遂には夜討ち朝駆けまでをも完備してくる始末。

だが、彼にはそれが不思議と嫌ではなかった。そもそも誰かと関わることをやめていた彼にとっては、嬉しさの方が勝っていたのかもしれない。

 

二年後くらいに、自分は遂にその『小さいの』に負けた。

接戦の末に初めて負け、『守りが弱いな』と屈託なく言われた後に芯を戴いた。

 

十年後に再び合ってみたら、俎板が俎板でなくなっていた訳である。

外見は変わっても扱いは基本的に変えないつもりだったし、それでいいとも言われた。

 

が。

 

(……変えるべきか)

 

煉瓦のように組まれている脚には腿の柔らかみが、胸には押し付けられている胸の張りと柔らかさとが伝わり、腰を抱くように回した手からは滑らかな肌と新雪の如き柔らかさが伝わってくる。

 

「ハク」

 

変えるべきか、と。

彼はもう一度自問し、自答した。

 

「おい、ハク。もっと私を強く抱け」

 

この小さな暴君は、女性だ。今までは何か馴れ合いのような形で接してきたが、このままではいけないような気もする。

ハクは別なことを指摘されて漸くそのことに気づき、すぐさまそれを実行に移した。

 

今からでも、移そうとした。

 

「………離していただきたい」

 

「やってみろ」

 

力づくならば、できなくもない。だが、このコバンザメのような引っ付きぶりを見せる彼女に対してそれは徒労だろう。

 

「女性として敬意と尊重をこめて丁重に扱いたいのです」

 

「いらん」

 

けんもほろろとはこのことか。正に意見を一蹴され、ハクは流石に押し黙った。

前にデリカシーを持てと言われてから考えていたことを一瞬で潰されたのだから仕方ないとも言える。

 

「……あなたの言うことは矛盾しているような気がするのですが、どうか。いや、別に構わないのですが、気になったもので」

 

「ああ、そうだ。私は私のままで生きている。その場で抱いた欲望が矛盾した行動を取らない人間などはいない」

 

何だかんだで結局は『それもよし』と解釈したハクが、無言で目を瞑って腰を引き寄せたその瞬間。

 

「それはそうと、他の女の匂いがするなぁ、ハク」

 

ガブリ、と。嫉妬剥き出しの昏い視線が身を穿き、並び方のいい真珠のように白い歯が鎧を内に沈めたハクの肩に突き刺さった。

 

痛い。甘噛みではあるが、本気に近い噛み方と顎の力がその感じる痛みを増幅させているのだろう。

 

冷静な分析ができる程度には余裕だが、正直かなり痛かった。

 

「やましいことはしていませんよ」

 

「ふん……どうだかな」

 

相談に乗り、談笑し、拗ねた主人の機嫌を直し。

 

色々間とか時とかの運が悪いことを、彼はやっと自覚した。


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