お止めくださいエスデス様!   作:絶対特権

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皇帝を突く

「てーてってってってー」

 

変なメロディを口ずさみながら、エスデスは求めていた物を届けてくれたマーグファルコンを抱きしめ、離した。

 

マーグファルコン。二級危険種。マーグ高地という標高の極めて高い土地に生息する。

ここは人間も入りにくい土地であり、外から危険種も入り難い孤立地帯なので、独自の生態系が形成されていた。

 

何よりもマーグ高地はマーグ山という帝国で一番高い山の山頂が斬り落とされて出来た山であり、はじまり方からして異様である。

異様なはじまり方をすれば、その異様は色褪せることはあっても消えることなくその地に残る。

 

異様な発展を遂げた生物の中でもマーグファルコンは非常に知能が高く、人に懐きやすいが為に調教され、飛行速度の速さも相まって伝令用に使われていた。

 

「やけにご機嫌ですね、エスデス将軍」

 

「ああ、まあな」

 

質の悪いストーカーの如く帝都にいる恋人に毎日のように手紙を送っていたエスデスは、一ヶ月ぶりに来た返事に心を踊らせる。

 

まず文に焚き籠められた香を嗅ぎ、表に書かれた『Hak』と裏に書かれた『Esdeath』の綴りを見て、彼女は一人で密かににやけた。

 

名前を見てすらにやけ、彼が自分の名前を書いてくれたことにすらにやけるあたり、相当に重い欠乏症である。

 

「ふふふ……」

 

彼女は一つ笑うと幕舎の寝台に軍服のままに身を投げ、背中から着地した。

 

花が咲くように可愛く笑い、恋する乙女の如き恥じらいを見せるこの女性が今までシラナミ山の山賊を殺し、焼き、凍らせていたとは誰も思いもしないであろう。

 

「……開けるか」

 

暫く布団に包まってもぞもぞと妄想に励んでいたエスデスは、白い長靴を脱いで露わになった長靴下で胡座を掻こうとして少し考えこんだ。

 

胡座は普通。何故なら咄嗟に反応できるから。

 

それが文字通りの戦闘脳だった彼女にとっての普通である。スカートが腿の付け根までしかないものであろうが、それはわかることがなかった。

 

「……」

 

だが、基本的に彼女はハクの前では胡座は掻かない。またまた本能的な面での決断が八割五分を占めるが、彼女にも一応自分をもっと綺麗に見て欲しいとか、そういう欲望はある。残りの一割五分はそれだった。

 

では何故今は敢えて正座することにしたのか。それは本能でもわからなかったし、もっと別な―――やっぱり彼の手紙に触れるときはこう在ったほうがいい、という判断によるものであろう。

 

「……ペラい」

 

自分が何枚も書いたのにたった二、三行で返される虚しさを味わいながら、彼女はその一枚を抜き取った後の便箋を覗いた。

 

当然の如く、何もない。

 

『手紙書いている暇があったらさっさと片付けて帰ってきたらどうだ。帰還を櫛を砥いで待っている』

 

如何にも彼らしい端的さと世話焼き具合、そして『自分も会いたい』というような文面。

 

「……私も会いたいぞ、ハク」

 

膝まで長く、宝石の如く美しい蒼銀の髪を寝台に垂らしながら、エスデスは手紙を胸の内ポケットに入れる。

 

「……何だか軍服が窮屈な気がするな」

 

前までは掌で胸を潰しながらなら簡単に手首までをつっこめたのに、今は指までがせいぜい。

 

二年前に買った時はボタンがバッチリ閉まった。

 

何というか、最近全く下着も何も買っていないから測っていないからわからないが、肩も凝っているような気もする。

 

「……買うか」

 

キツいと動き難い。現に二年前も買う直前までは戦闘がやり難くもなっていた。

 

そもそもボタンを閉めるのが軍服の正しい着方である。正しい着方を無視するつもりもないし、順守する気もない彼女は、別に着方を無視するもなかった。

 

ただ単に閉まらないから三ヶ月に一個ペースでボタンを外していき、そのまま放置していただけである。

 

そのころのハクはと言えば、皇帝に政治のいろはを叩き込んでいた。

 

幼帝。齢十二の少年であり、名は公式には知らされていない。シン帝国千年の歴史の末に産まれた正統な後継者である。

 

「政治とは何をやるんだ?」

 

その結果が、この様だった。

大臣に全てを丸投げにしているが故に、この皇帝は政務のいろはを知らない。せの字すら知らないと言っていいだろう。

シスイカンを境にして東に出たこともないし、地方の惨状も知らない。知っていてシスイカン以西の安定している都市くらいなものであった。

 

帝国全域から絞りとった税を私腹の肥やし及び西方の発展へと注ぎ、発展に乗じて西方の税を軽くする。

 

税を軽くしても搾取する元が殖えているわけだから、取る金額自体は変わらない。私腹に入る金も変わらない。

そして民政を担当しているのがエスデスの仮婿ことハクであった。

 

「思いやればいいのです」

 

「何をだ?」

 

「自分を思いやる、とは言いません。政治能力のなさとは思いやりのなさです」

 

ハクは、そうしてきていた。

彼の得意とする料理でたとえるならば、食材が人であるとすれば食材を合わせて作った料理が組織である。食材が苦く、或いは辛い物でも他の素材と合わせれば美味さを引き出すことが出来る。それが人事であった。

ならば、煮るとか蒸すとかが、政治なのであろう。

 

料理人は、自分の好みの味を主に押し付けない。逆らわぬと見せて徐々に自分の好みの味に引き込んで行く巧妙さというのがなければ、一流とは言えない。

 

彼が料理を学び始めた理由は政事を学びたいからではあるまいが、主にエスデスに対して使用されてきたらしくもない巧緻な術策は、そこを起因としてるのかもしれなかった。

 

「……思いやって、何をやるんだ?」

 

「何を何をと人に問う前に、自分で考えてからその是非を問われるがよろしいかと」

 

自主性に乏しいと言うか、自主性を発揮することを望まれていないと言うのか。このような型の主人を持たず、割と正統派暴君型の自主性と確立され過ぎた自己を持つ某ドSを補佐するには、その強烈な自己を湾曲させればよい。

 

が、この皇帝には自己が無い。人として自己がないということはありえないから、希薄な質と知識の欠乏がそう思わせるのだろう。

 

「だが、余は自ら政務を執り仕切ったことがない。将軍は両カンチュウの総督でもあるのだから、そちら方面にも詳しいだろう」

 

両カンチュウとは、シスイカン以東の帝都を含むコウノウ郡らの総称『関中』とエスデスの封地であるショクの北方、外敵を防ぐの蓋のような役割を果たす『漢中』を更に纏めて呼ぶ時に使われる単語であった。

 

つまり、帝国のまともな経済・農業地域の関中・漢中・蜀・西涼・荊州の一部の内、十分の四がハクの管轄、十分の三がエスデスの管轄、残りが大臣の管轄なのである。皇帝領は無に等しい。

 

これを何とかしようとした結果が『ナイトレイドに情報を流して総督であるハクを討たせ、両カンチュウを大臣一派の手から召し上げる』というものである。そうすればセイリョウ―ショク間の連絡も途絶え、反乱軍を鎮圧したあと迅速に大臣を討つことができるであろう。

 

まあ、エスデスのショクは険峻な山々を壁に、間道を氷で閉ざして門にすれば領地自体が無敵の要塞になるのであるが、所詮彼らは文官であった。物流・連絡を絶つことでしか戦を見れないのであろう。

 

清流派であるチョウリらはショクは物流を絶てば干上がるだろうと思っていたのだ。

まあ、確かに干上がるだろう。五年連続旱魃とかになったならばの話だが。

 

ハクは用心深い。そして自分の財は容赦なくばら撒くが国庫に関しては吝い。備蓄米は豊富にある。

 

引き篭もれば確実に勝てる程度の築城と連絡網の構築を配下にやらせていた。

 

「現実を知らぬままに提言された政策を言われるがままに施行する今の陛下の姿を見た先祖が恥じぬとあらば、私が執り仕切りましょう」

 

これはつまり、傀儡相手に傀儡であるがままで恥ずかしくないのですか?と聞いているに等しい。

 

凄まじく苛烈な諫言であると言っていいだろう。

 

「余が現実を知らぬと申すのか?」

 

「宮殿から馬車に揺られ、窓も開けずに邑を廻った程度で現実を知れるというのならば、知っていることになりますが」

 

皮肉特有の毒がなく、ただ淡々と言っているだけであるが故に、皇帝は怒りを覚える前に興味の方が先に立った。

 

オネスト大臣は、こう言う話を振らない。

 

ブドーは、諫言を呈さない。

 

チョウリは、大臣をどうにかしようとするが皇帝をどうにかしようとはしていない。

 

皇帝そのものを変えようとして近づいてきたのは、この男がはじめてなのである。

 

「ならば、街へ行こう。供をせよ」

 

「承りました」

 

皇帝も男であるし、人である。外への興味がないといえば嘘になるし、そもそも壁一枚隔てたところに未知があるとわかっていながらそこへの興味を持たずに生活することなどはできなかった。

 

皇帝はお忍びとは言え、自ら足ではじめて帝都に立ったのである。

 

「中々に活気があるではないか。大臣の言う通りだな」

 

「はい」

 

今歩いているのは、帝都のメインストリート。つまりは帝都で最も華やかなところ。

 

下町は活気ではこのメインストリート付近と互するが、発展具合では比べるまでもなかった。

 

「あれは何だ」

 

「義足屋です。靴も取り扱っていますが、精々が副菜のようなものでしょう」

 

義足とは何か。義足屋なのに何故靴もあるのか。靴も義足も同じではないのか。

 

ハクの皇帝の知識量を読み切った微妙且つ絶妙に興味を惹かれる説明に、皇帝はあっさり引っかかった。

 

「入ってみよう」

 

この決断とも言えない決断によって、彼はここで政治を学ぶことになる。


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