お止めくださいエスデス様! 作:絶対特権
「いらっしゃいませ、居飛車義足店へようこそ」
眼鏡、黒髪、均整の取れた筋肉質な身体。見るものが見れば一目でそれとわかるほどに見事な戦士の身体をしながら、義足屋。
もうその時点で色々おかしいのだが、皇帝からすれば他の義足屋を見たことがない故にこれこそが普遍的な意味での義足屋であり、戦士に対しての目利きなどは有りようもない。
こんな職業的な意味ではなく、物理的な意味で腕の立つ義足屋は帝国広しといえどもここしかないであろう。
「これは、将軍。ご無沙汰しております」
「いや、元気そうで何よりだ」
店主の名は、トビー。逮捕されて懲役三十年及び四十万銭の罰金を課せられたDr.スタイリッシュに人体改造と期限までの兵役を受けることで罪を軽減するという取引を違法に交わし、肘から手の指、腿の付け根から脚の指までを機械化していた。
その機械化が更に全身に及ぶ前にDr.スタイリッシュが逮捕された為、彼ら違法に取引を交わした罪人連中―――チームスタイリッシュは、路頭に迷うことになったのである。
「これは、陛下」
「トビーとやら、余を知っておるのか?」
Dr.スタイリッシュは、将棋に凝っていた。故にチームスタイリッシュにもそれぞれの駒の役割を割り振っていたのである。
トビーは、飛車。カクサンは、角行。トローマは、桂馬。後は歩兵。金銀香車は欠員だった。
彼らは二年間の兵役の後に罪が軽減され、今は平の民に戻っている。
「はっ、嘗てカクサンと共に将軍の軍にいた際にお目にかからせていただきました」
「そうか」
トビーは腕だけは超一流だったDr.スタイリッシュの義足や義手を自分で取り外して複製し、義足屋に。カクサンは何故か散髪屋に。トローマは探偵になっていた。
トローマの探偵は、わかる。彼は内部を強化改造させているが故に身が軽いし、気配を絶つのが巧い。
トビーも手先の精密動作性を数百倍にまで高めるDr.スタイリッシュの帝具『神ノ御手』パーフェクターと適合したが故に自分のような脚も腕も無き民の役に立てればということで義足屋になったのもわかる。
唯一、何故カクサンが散髪屋なのか。それが皆目不明だった。
「陛下。商品をご覧いただきたい」
「……靴が二千銭、長靴が五千銭、義足が五千銭、高級義足が一万銭。安いな」
二千銭は、健常な男性が二時間働けば買える程度の代金。まあ、質からすれば安いと言えるであろう。
「靴の原価と義足の原価は同じです。高級義足の原価は長靴の原価と同じです」
「げんか?」
「加工する前の値段です。素材の値段、ということです」
トビーの補足のともかく、やはり高級義足は手がかかるから流石に高い。義足も靴と同等の原価・加工にしては、高い。
「……むぅ」
「米は何故高くなるかご存知ですか?」
「…………必要とされているかららしいな。セイギがかなり前に言っていた」
だから?というような表情で問いを投げてきた傍らに佇む幽鬼のような白さを持つ男を見て、皇帝は自分の口を抑えた。
『何を何をと人に問う前に、自分で考えてからその是非を問われるがよろしいかと』と言われたことを思い出したのである。
「………………必要とされているから高くなる」
「はい」
「義足は必要とされているから、高い」
皇帝は、全く常識も何も知らなかった。逆に言えば、明度が極めて高いといえる。
「つまりは、刑法が重いのか」
無駄な知識や余分な汚れを知らないが故に、彼は細部から大要を、大要から細部を掴めた。
その真の理解を可能にするのは頭脳の中にある眼力であるが、その眼力を養うのは知識だけではない。知識は補助と言ってよく、知識に寄り掛かればかえって囚われ、眼が曇る。眼が曇れば眼力が落ちのだ。
敢えて言うならば知識は、感性と悟性に積もってくる垢であろう。
「……軽くするように、計ってくれ」
「すぐさま取り掛かりましょう」
純な民を安寧に導きたいという心胆から発せられたこの一言が、彼の執った初めての親政であった。
刑法は皇帝の一言ですぐさま見直され、寛容な方面へ変法させるべく一月の間に二、三の案が出され、斬刑が三十二減り、五十三の懲役が罰金に、百七の罰金が厳重注意へと変わる。
帝国はじまって以来、大臣が内密に内務を委任してからの半年間ほど、帝都の刑法が緩くなり汚職役人が追放されたことはなかった。
優秀な地方役人が―――革命軍への内通の心配がない西部に限るが―――中央に栄転し、汚吏を免職したり東方に飛ばしたりして組織自体を建制化し終えた彼らが辣腕を振るい、下級官僚の給料が値上げされる。
この値上げにより、賄賂の横行は一定の減少を見せた。そもそも生活が困難なほどに苦しいから賄賂をとらざるを得ず、その後も惰性で賄賂をとっていき、腐り切るということが多いのだ。
そして。
「ラン、スラムや戦災孤児を集めて国費で孤児院を作ったことは知っているな?」
「はい」
「お前の履歴書を見るに、教えるのが巧いと見た」
今も昔も水運と陸路両道の交通の要衝であり、帝国でも有数の豊かな都市・ジョウヨウで教師をやっていたのが一念発起して当時の太守に仕官し、スピード出世を果たした後に帝都へ異動。
帝都でもジョウヨウで見せたほどの速さではないものの素早い出世を見せ、十二人しかいない内政官にまで登り詰めたのである。
因みに、現在のハクには三人の内政官が付いていた。
もっぱらショクに居るショウイ、両カンチュウをうろうろしているセイギが古株、あとの一人がこの新入りのランである。
「まあ、人並みにはできますが……」
「七日間ほど行ってこい。公務扱いだが、休暇のようなものだと思ってくれて構わん」
ランに回される仕事は兎に角多い。具体的に言うならばハクの次に多かった。
ハクが政務を引き受けてからというもの、その改革に滞りがない。帝国はひたすら、着実に前に進み続けている。
「将軍も休まれては如何ですか?」
「私が休んでしまえば、代役がいない。改革がその分が止まるだろう。止まればその分民が苦しみに喘ぐ時間が長くなる。わかるな」
ハクが一時間休めば、決済は五時間遅れる。決済が五時間遅れれば文面の修正と完成までは三日遅れ、完成が三日遅れれば公布が一月遅れることは間違いない。
公布が一月遅れれば、施行には三月、民の間でその改正が当たり前となるまでは半年かかる。
「休まないのはいつものことだ」
本当のことを言うなれば、休まないのではなく、休めないのだ。
だが、彼はあくまで自分で決めたというスタンスを崩さない。
何故休まないのか。それは恵まれている者は民の為に尽くし、生きた証を一つでも多く残さねばならないからだ、と彼は答えるだろう。
「孤児院の子らが待っているぞ」
「……では、くれぐれもお倒れなきように」
「倒れようとしない限りは倒れることはない」
死のうと思わない限りは死なない、という例の根性論と同じく、彼は殆ど不眠不休での仕事が可能だった。
無論、肉体に備わる体力とは別な意志の力で、である。
「おーす。いつものことだけど、顔色悪いね」
「チェルシーか。何だ」
密偵には十分な精神の休息と快眠を。それが彼女のモットーであった。
だからヨガをして身体をほぐすし、紅茶を飲んで精神を休める。
彼女の外見と合わない趣味は、必要に応じて備わったものであると言ってよかった。
「これ、清流派の下級官僚の汚職名簿。清流っつても、あれだね。濁流派を潰す為なら手段を選ばないっぽいから、掴むのは簡単だったよ」
「ご苦労」
三十枚程のリストを一枚一枚確認し、法と照らし合わせて相応しい刑罰を決めて帝都警備隊を動かす。
このハクによる改革の裏で、セリュー・ユビキタスもまたその職務を全力でまっとうしていた。
「……で、どんくらい寝てないの?」
「十日だけだ。大したことはない」
十日。十日椅子に座りっぱなし、書類を書きっぱなし、政策の修正案を編みっぱなし。
槍も持っていないし、鎧もつけていない。弓も引いていないし、馬にも乗っていない。
帝国でも有数の武技を誇る槍兵は、完全にただの官吏となっていたのである。
「……死ぬんじゃないの?」
毎日快眠を貪っていたチェルシーは、軽く気が遠くなる感覚を覚えた。
寝て起きて変身して、情報集めて書類を書き、提出する。
そんな毎日を送っていた彼女からすれば、昼夜問わずに仕事をこなしているというのは想像すらつかなかった。
「死にはせん」
「寝たら?」
「……私が一時間休んだら、何だかんだで民が苦しみに喘ぐ時間が半年ほど増えるのでな」
ただでさえ不健康な幽鬼のような肌に峡谷の如き深い隈ができ、一層不健康な雰囲気を醸し出している。
最早その姿は、幽鬼どころか亡者に近かった。
「……どうでもいいけどさ。かなりマシになったんだから、もういいじゃん」
「内政に終わりはない。戦争は見える敵を討てば終わりだが、内政に敵がいない。敵がなければ勝ちようもなく、敵がいなくば終わるまい」
終わりのない内政は、エスデスの帰還まで続くことになる。
そしてこの手塩にかけて保っている治安がとある人物の帰還でぶっ壊されることを、この時は誰も知らない。