お止めくださいエスデス様!   作:絶対特権

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慢易を突く

白雪が血に染まり、危険種の身体が地に倒れ伏す。

喉輪を穿かれ、或いは斬り裂かれ。一級危険種スノーラビットの群れは仲間の骸を四体残して退却しようとしていた。

 

無論少女は逃がそうとはしない。すぐさま跳び掛かる寸前の虎の如く四肢に力を溜め、追撃に移る。

 

「お嬢。これくらいでよいのでは?」

 

「えー?」

 

しかし、その追撃狂ともとれる癖は傍らに控えた槍使いの少年によって押し止められた。

少年の手に持つ槍からは血が滴り落ち、倒れ伏すスノーラビットの内の二体には喉に丸い貫通孔が空いている。他の二体は喉を掻っ捌かれていることから、別な狩人―――即ち、少女が狩ったことがわかった。

 

されど彼がただの一刺しで一級危険種を屠ったことに間違いはないだろう。

 

「持ち運ぶのが些か面倒です」

 

「……むー」

 

巨体に生えた耳を片手で掴んで二体の死骸を引き吊りながら、ハクは無言でエビルバードの背中にそれを乗せ、もう一往復して更に二体の死骸を乗せる。

 

「行きますよ、お嬢」

 

「むー」

 

頬を膨らませてしぶしぶといった様子の少女がふかふかとした毛皮を持つスノーラビットの死骸を背もたれにしながらエビルバードに乗ったことを確認し、少年はごく微小な動作でエビルバードを飛び立たせた。

向かう先は無論、城塞都市である。

 

エビルバードが一つ羽ばたき、目的地が近づくごとに不満顔がその好奇心の旺盛さをはっきりと表に出した笑顔になっていく少女を見て一つ笑い、少年は僅かにいつもの目的地から北に着地点を変更した。

 

半ば断交状態になってから城塞都市に向かうのは自分たちが初めて。用心に越したことはないというのが少年の私見であった。

 

「着きました」

 

そう言った自分の言葉が耳に届くが早いか、お嬢と呼ばれている少女は後部座席と化したスノーラビットの背もたれから跳躍する。

 

子供特有の旺盛な好奇心を持った少女にとって、城塞都市と言う環境は興味の宝庫であった。類まれな武の天稟と獣のような敏捷性を持った少女を止められる者は城塞都市内にそう多くは居らず、勝手に先行しても許されるような風潮があった。

 

今までは。

 

「待たれよ」

 

「おぅ!?」

 

跳躍した瞬間に襟首を掴まれ、少女は蛙の潰れたような声を上げながらエビルバードの上へ押し戻される。

スノーラビットを下ろす為に二往復し、最後に不満げな様子を隠さずに膝を抱えて座り込む少女を担ぎ、少年はエビルバードの上から三度降りた。

 

「情報収集をしたあと、と。私は言った筈ですが」

 

「むー……」

 

明らかな不満を見せながら、少女は少年の後ろに引っ込む。少年が降りたのを見てから自分も降りたあたり、一先ずは情報収集に従うことを決めたのだろう。

 

少年の情報収集は、特に何をするわけでもなければ金を渡して情報を求めるわけでもない。強いて言うならば日常の会話と人々の様子の変化から普段との差異を読み取り、それを的確に聞いていく程度の物でしかなかった。

 

しかし、この情報収集のやり方はそこそこの精度と只故の効率の良さを持っていると言える。現に今の城塞都市周辺の民や店から少年は普段との差異を敏感に感じた。

 

(毛皮と鉄がない、か)

スノーラビットの毛皮と肉をバラバラに売った時に言われた言葉を反芻する。

それにどこか、男衆がうきうきしていた。

退屈げに足元の石を蹴飛ばしたり拾って投げたりしている少女を他所に、少年は少し考えて結論を出す。

 

「お嬢、帰りますよ」

 

「えー!?」

 

スノーラビットを売り捌いたあとに残った金で酒と米、塩を買い、不満たらたらな少女の襟首を掴むようにしてエビルバードに乗せ、荷物も続いて乗せた。

城塞都市の上空を幾度か旋回し、入ることのなかった景色を注意深く見る。

 

(……杞憂であればいいが)

 

男衆がうきうきしており、鉄と毛皮が足りないとなればそれは即ち戦いの前。

攻めるのは、果たしてどこだろうか。南に行けば帝国があり、北に行けばまだ服していない異民族がいるであろう。が、南東に向かえばそこには自分たちの部族の幕舎が乱立していた。

 

「ねー、ハク。次はいつ来れるの?」

 

「私の予想が外れれば一月後には」

 

詰まるところ、向こうが攻めて来ないという確信があれば明日にでも行けるのだ。

が、その確信を得るには時間と情報を必要とする。

 

 

あの後しばらくの間飛翔し、エビルバードは地に降り立った。

 

少年ハクが伝えた情報は僅かな慢易を含みながらも警告として受け止められ、戦士達から選出された代表者と長とが深刻さを伴って今後の対策を話し合っている。

 

が。

 

「ハク」

 

「何ですか、お嬢」

 

お嬢こと、長の娘である少女は鞘に納まっていた短剣を振り回しながら、槍の反復刺突を止めない少年に声を掛けた。

 

「北の奴等が攻めて来るんだって」

 

「そうですか」

 

どうやら楽観的な認識が是正され、万が一を警戒するそれへと変わったことを長の娘である彼女の口から聞いたハクは、やはり刺突を止めない。

 

攻めて来るにせよ、来ないにせよ。やる事は変わらない。

 

「不安じゃないの?」

 

「四肢のある生物を殺すことは変わりません」

 

「……それもそうか」

 

後ろで一つに括った黒髪が肩の動きに連動して揺き、槍が空を切り裂く。

人も危険種も、喉を刳り貫けば死ぬのだ。

 

隣で短剣を舞うように振り始めた少女を一瞥し、ハクは一層力を込めて槍を繰り出す。

 

「おい、ハク」

 

それを、五時間ほど反復し続けた時。渋く深みのある声が少年の背後から掛けられた。

隣で短剣を舞うように振っていた少女は疲労の色を濃くして脚を揃えて敷いた茣蓙に座っている。

このことからとっくのとうに時間の感覚をなくしていた少年にも自分が鍛練を始めてから相当な時間が立っていることがわかった。

 

「はい、長」

 

「お前、こいつと手合わせしてみろ」

 

振るっていた槍を地面に突き立て、ハクは『こいつ』と言われて長に指し示された戦士の実力を測る。

流石に部族一の使い手である長には及ばないが、やはり一流の猛者。長い時間に渡って研ぎ澄まされてきた勘と肉体を持っていた。

 

「何故私が?」

 

「戦えるかってことだ。お前は年齢が微妙だからな」

 

ハクの齢は十。普通ならばまだまだ訓練生であり、微妙という年齢ですらないが、パルタス族では最年少で十二から戦士になれる。その点を考慮すれば長の『微妙だから』との表現は妥当だと言えた。

 

「私は!?」

 

「エスデス、お前は駄目だ」

 

エスデスは素質と才幹、天性の資質こそあるが、齢は八。まだまだ戦士になるには歳も経験も足りないのだろう。

有り余るほどの才能があるぶん、エスデスの不満は大きかった。

 

(エスデスの才能と互するのはハクくらいなもんだ。あと数年すりゃあ俺も負ける)

 

が、溢れる才能の対価なのか。彼女には致命的な欠陥がある。

 

獲物との戦いを長引かせ、楽しんでしまうというのがソレであった。

 

(ハクにはそう言うのは少ねえ。誰であろうが躊躇なく敵を殺すから、危うくはあるが……)

 

地面に突き立てた練習用の槍を引き抜き、布に包んだ父祖伝来の黒槍の身を露わにしていくハクの顔には、何の感慨もない。狩る者の楽しみもなければ、武を磨く者特有の外に出すような武の気もない。

 

内に籠もり、自分の身を頼みにするような孤高の武。それがハクと言う求道者の歩む道の完成形なのだろう。

 

「はじめますか、長」

 

「ああ」

 

少年の持つ身の丈に合わぬ黒槍は、超級危険種の朽ちかけた死骸から抜き取った背骨を十五年かけて溶かし、鍛えた業物。光を反射し、写す刃は鏡の如く。少年の父の手に収まってからは数多の危険種の血を吸ってきている、魔槍。

 

「――――」

 

槍の放つ妖気ともつかない雰囲気は、熟練の戦士を怯ませるに足るものであった。

 

(いや、違うな)

 

怯ませたのは、槍の妖気だけではない。構えたその姿が分不相応に長過ぎる槍を使っているにも関わらず、様になっている。

氷のように研ぎ澄まされた、穂先の如く。

 

一秒。

一分。

一時間。

 

どれほどの時間が経ったのかわからないほど、対峙する二人を見る戦士たちは、『呑まれていた』。

 

そして。

 

「参らせていただきます」

 

くるりと、敵する戦士に向いていた穂先が天を向き、地を向く。

少年の脚が音も無く一歩踏み出され、空も裂けよとばかりに黒い穂先が対峙する戦士の持つ刃に牙を剥いた。

 

「避けろシュグル!」

 

半ば反射で盾にしたであろう剣刃を貫き穿ち、喉輪を刳り貫く黒槍の穂先を幻視した長は叫ぶ。

 

しかし。

 

「…………私の勝ちですか」

 

穂先は剣刃を貫き、喉輪に触れるだけに留まり、静かに少年の手元に戻される。

 

くるりと黒槍を廻した少年は地に落とした布で穂先を包み、一礼してその場を後にした。

その後ろ姿を楽しげに笑うエスデスが追い駆け、場を静寂が支配する。

 

「……あいつは、参加させる。異論はないな」

 

沈黙を破った長に続く者は、居なかった。

 

 

 


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