お止めくださいエスデス様! 作:絶対特権
『ハクは、つよいの?』
親を喪い、芯が抜け落ちてしまったような少年に、その少女は声を掛けた。
『なら、つよくなって』
『弱いですよ』とでも答えたのか。或いは『さあ』とでも答えたのか。どちらにせよ、その身勝手な一言は、抜け落ちた芯の代わりに身を貫いた。
『ひとりはつまんない。でも、あわせるのはもっとつまんない。ハクがわたしにならんで』
稚さを多分に含んだ身勝手な要求に苦笑しつつ、自分も傍から見れば稚いということを自覚しながら、少年は頷く。
わかりました。あなたに並びましょう、と。
そして彼の芯には武への探究が深く刻み込まれ、その実直さから彼の芯を挿れ換えた蒼氷の少女のお守りも彼の育ての親から託された。
もっとも少年のやる『お守り』とはほとんど好き勝手にやらせ、危機に陥ったら尻拭いに行くくらいな物でしかない。寧ろ天性首輪を掛けられる側ではなく、掛ける側である少女に何か枷を加えようとするのが無謀極まりないというのはある。
が、少年の『お守り』とは悍馬に両手放しで乗るようなものであった。
「ハクはやっぱり、強いね!」
「……そうでしょうか」
結果、少女は良く言えば快活で無邪気に。
悪く言えば非常にアウトローな性格に育った。自分で定めたルールしか守らない、と言うような。
自然、少年は少女とは逆―――即ち、ルールを遵守するような性格になる。二人共同じ方向に突っ走ってしまえば最早道を間違えても糺すことができなくなるからである。
これは少年の謂わば他人に流されやすい個性という物が選択の余地のない『仕方ない』という状況から生まれたとも言えた。
「強いよ、ハクは」
「お嬢が言うのであらば、強いのでしょう」
そのお嬢は、雪が積もりかけて僅かに垂れた木の上に居る。
「いくよー」
木の葉々に隠れ、どことなくくぐもったようなその声が少年の耳へ届いた数秒後、宙に十数枚の木の葉が舞った。
落ちてくる葉を串き、地に舞い降りる前に処理するという独自の修行の一環である。
一枚目、二枚目、三枚目。一息の内に穂先に搦め捕られていく葉々を、少女は木の上から頭だけを出して見物していた。
彼女からすればこの修行の風景を見ることが何よりの道楽である。
彼女は自分の同年代の子らと刃を交えて鎬を削るよりも余程自分の為になるのだと思って憚らなかった。
無駄のない精錬された動きと言うのは、一種の美しさを産む。
少女はそんな言葉は知らなかったが、事実としてはっきり認識していた。
「……」
槍をくるりと廻して少しの達成感に浸る少年を木の上から睥睨し、少女は蒼色の瞳を遥か前に向ける。
そこには自分よりも三歳くらい歳上の―――即ち少年と同年代か歳上くらいの女が、雪の蔵の中で冷やしていたであろう布を持ってこちらへ向かって来ていた。
(……む)
狙いは、ハクだろう。
早々にそう看破した少女は、無造作に木の上から飛び降りた。
蒼髪が風を含んで拡がるか、否か。それくらいの素晴らしい反応速度で動いた少年が滑るように進み、飛来し、降下してくる少女の身体を無理なく軟らかに受け止める。
「お嬢、危険で―――」
「あっちに向かって」
窘めるような言葉を言い切らせることなく、少女はムッとした表情と声色を隠そうともせずに少年の右肩を叩き、一刻も早い進発を促す。
自分でも何だかわからない、訳のわからない感情に従ったのは、これが初めてというわけではなかった。
いきなり飛来した上での唐突な命令に対しても特に怒るような様子も見せずに少女をおぶり、少年は『これも修行の一環だ』と言わんばかりにザクザクと深い積雪を踏み分けて言われた通りに『あっち』へと進む。
少女としても別に何があるからそちらに行けといったのではなく、完全な思いつきによる命令であるから、何かあるまでは迂闊に『止まれ』とも言えない。
防水性に優れた黒い男袴と黒い長靴がほんのり水気を孕んできたあたりで、積雪は急になくなった。排除された、とも取れるほどに明確に削り取られたその一本道を見て、二人はしばし止まった。
―――これは敵の軍道ではないか
という疑念によって。
獣道である可能性も、勿論ある。しかし―――
「あれは北の兵……遂に来ましたか」
特徴的で目立ちはするが優れた防寒着を基調にした軍装の兵たちが、シャベルでせっせと雪掻きに励んでいるところを見ると、その可能性は無に等しいところまで低下したと見るべきであろう。
(どうしますか?)
(……殺しちゃえば?)
敵だし。
彼女の口から極小にまで抑えた音量で漏れた一言を補足するならば、そんなところか。
結果的に見ればその判断は正しかった。その数秒後にどのみち二人は見つかっていたからである。
見つかってから殺しに行くより、見つかる前から殺しに行く方が有利。パルタス族ならば子供でもわかる先手必勝を旨とした鉄則だった。
「お―――」
お前はパルタス族の一員だな。
その確認すら取れず、複数の工作兵たちの喉には風穴が空く。
何かを言おうとしてか、空気のみが漏れる儚い音を立てながら死に行く兵たちの死骸を放置し、少女のお守から戦闘機械へと変貌した少年は、すぐさま次の獲物に襲い掛かった。
彼らの首元に、笛がある。
喉に狙いを定めていた少年の頭には、真っ先にその喉に程近い部位に掛けられていた笛を利用することが浮かんだのだ。
「暗号とかは、ないの?」
最後の一人にとどめを刺し終え、ひょっこりと姿を現したエスデスに対し、ハクは少しの沈黙を経て、言った。
「恐らくは」
笛を何に使うかと聞かれれば、非常時の合図が第一にくる。
では非常の事態に直面した時に、人は笛をどれだけ正確に鳴らせるか。
精々一回やそこらだろう。
峰々に木霊する笛の微細な高音を聞きながら、狩人と求道者は獲物を待つ。
この日の二人の狩りは、前衛として侵入していた北の兵たちがその数を半減させるまで続いた。
そして、北の兵来るの報は夕刻に帰ってきた二人の持ち帰った物的証拠によって現実味を帯びて戦士たちに伝わり、正式な戦士以外の少年少女に外出禁止令が出されることになる。
老戦士たちは来たるべき戦いに向けて侵攻ルートを予測し、罠を仕掛けたりして備え、若い戦士たちは武器を磨いて此れに備える。
この期に及んでもいつも通りの鍛練を繰り返すハクと、それをぼんやり眺めるエスデスのみが浮いていた。
最も、彼らにも言い分はある。
「どたばたするよりは泰然と構え、普段通りの力を出せるように専心した方がいい」
「これから『戦士じゃない者たちは狩り以外で戦うべからず』っていう掟を破るんだから、今は大人しくしておいたほうがいい」
ということであり、二者ともそれなりの算段があった。
寧ろ、備えているように見えて浮き立っていたのは他の者達だろう。なにせ、戦場を守る側が選べると思っていたのだから。
侵攻する側と、される側。どちらが有利かと聞かれれば、それは守る側だろう。しかし、限られた戦力で守らねばならず、なんの要塞も城もないとあらば話はまるで別だ。
こうなった場合は攻める側が、圧倒的に有利なのである。
故に。
「東の山道から来たようですね、長」
「あぁ」
苦虫を噛み潰したような表情で、長はハクの言葉に答えた。
彼らが来ると思っていたのは、当然北方向。つまり、パルタス族の老戦士たちは北の兵らが真っ直ぐ南下してくると信じて疑っていなかったのである。
が、彼らは攻め口を変えた。
パルタス族の戦士らが危険種と戦っている間に人と戦い続けている者達とは巡らす思考の方向が違うとも言えるから、仕方ないことだろう。
「どうするんですか?」
全員掻き集めても百人しかいない戦士。その半数を北方向の防衛に遣ったのだ。東はガラガラ、物理的に回れない南・峻険な西に戦士を配置する必要はないから何とか対応できたが、罠も何もないのでは負けの目しか見えない。
「まあ、俺が百人斃すさ」
「戦士一人が百人斃しても、まだ尚敵は溢れるほどにいます。我らは死ぬまで戦うとして、戦えない者達には北方向の防衛に遣った五十人の戦士に護衛させて南に避難するように促してみては如何でしょうか?」
「そうだな。好きにしろ」
許可を得てすぐさま行動に移るまだまだ小さな背中を見て、長は堪らずに言った。
「お前には、エスデスのお守りっていう役目がある。あいつと南に行ったらどうだ」
「お嬢を護るには、時間が必要です」
だから、ここで死ぬまで時間を稼ぐ。
小さいが、大きな背中がそう雄弁に語っていた。
「ハク、死ぬなよ」
「お嬢に死んだら絶対に赦さないと言われました。私は死は恐れませんが、延々とお嬢に臍を曲げられ続けることを恐れます」
東の簡易砦に赴く前に、黒い服に包まれたハクの筋肉質な胸部を本気と半々くらいの力で叩きながら、エスデスは言ったのだ。
『死ぬな』、と。『死んだら絶対に赦さない』、と。
そう言われたならば、彼は死ぬ訳には行かなかった。
少年が指示を伝え終わった、数分後。北の兵たちは堰を切った水の如く簡易砦へと押し寄せる。
殆ど絶望的な戦いが、始まった。