お止めくださいエスデス様!   作:絶対特権

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叛逆者を突く 一

南方へと落ち延びたパルタス族は、しばらくの間の安寧を得た。

壮年の戦士を多く喪ったものの、狩りの相手兼収入源である危険種は尽きたわけではないし、変わった事と言えば精々危険種の革や牙を売る相手が北方異民族から帝国へと変遷したくらいなものである。

 

北方異民族が何故攻めてきたかは未だによくわかっていないが、ともかく彼らは自然界に存在する弱肉強食の掟に自らすら当て嵌め、『弱いから負けた』と言う理屈によって自分を無理矢理に慰めていた。

 

弱いから負けた。弱いから悪いのだ、と。

 

が、幾人かの腹の虫はそれでは収まりきらなかった。弱いから負けた、では済まないし、割り切れないのが人の感情というものである。

 

彼らは同士を募って徒党を組み、北方異民族の邑を襲い、恨みを晴らした。つまり、幾人かの浅はかな行動が更なる戦争の引き金を引いたと言ってよいであろう。

 

まあ、こう言う類の事件の通例を犯さず、襲った当人はそこまで深く考えていなかった。彼らの脳内は極めて身勝手な復讐心であり、妥当に過ぎる人の感情の暴走のみだったからである。

 

勝ち目は殆ど無いが、少数民族にとって族民を見捨てるなどという思考は働かない。寧ろ端から存在しないとすら言える。自然、迎え撃つことになった。

 

しかし、やっても負ける。今回ばかりは地の利もない。族滅は免れないだろうと、誰もが思った。

彼らは神に勝利を祈り、一か八かで奇襲をかける算段を整え、実行寸前まで漕ぎ着けた。

 

が、そこに救いの神が現れる。

 

救いの神は南から来た。帝国である。彼らは北方異民族征討の足がかりとして北方異民族に関しての知識を保有する尖兵を探していた。

 

無論、いざ征討するときは先陣に立ってもらうつもりで。

 

非凡な戦闘力と北方異民族との戦闘経験と言う知識を持つパルタス族は、まさにその適役といえる一族だったのである。

 

帝国はすぐさま傘下に入ることをパルタス族へ打診し、これを了承させた後に辺境に備えておいた軍を出し、北方異民族を牽制。撤退させることに成功した。

 

この一事を以ってパルタス族は帝国の傘下に入ることになる。

 

 

ここまでが、十年前の出来事。

 

 

『ハク。浮気していないか?』

 

衝撃的且つ『まだ我々はそういう関係ではないはずでは』と言うツッコミどころ満載の一文から始まる手紙を広げ、青年になった少年はしげしげとそれを眺めた。

 

「…………ふーむ」

 

「どうした、ハク」

 

「いえ、お嬢から手紙が」

 

お嬢ことエスデスは、現在帝都で将軍になるべく武功を積んだりしている。

何故将軍になるべく武功を積んだりさせているかと言えば、パルタス族とてそうは簡単に使い潰されたくはないという気持ちがあったからであり、帝国は身内から一人高官を出しておけばかなり融通がきく社会だったからであった。

 

つまり、一人が出世すれば芋づる式に周りの複数人もその恩恵に預かれる。

恩恵に預かった数人で北方異民族征討の際にパルタス族を優遇し、あわよくば被害を最低限に抑えて怨敵を滅ぼしたいという腹であった。

 

「『私は将軍になった。だから来い。浮気はするな。ふらふらするな。真っ直ぐ帝都まで来て、私のところに来い』だそうです」

 

「あいつも十八だもんな……」

 

将軍になったということはまぁ、エスデスならやりかねないと言う風潮がこの二人の中にはある。

故に最も驚くべき事に驚かず、どうでもいいようなことに一々感慨を見せる、というようなことが度々あった。

 

「どうしますか?」

 

「行きたいなら行ったらどうだ?」

 

相変わらず、判断を人に委ねる奴だ、と。長は内心でそう思う。

何というか、あまり己というものがない。我欲に欠けるというのか、何というか。ハクは天性積極性に欠けていた。

 

「……では、行きます」

 

「おう、上官の言うことをよく聞いて行動しろよ」

 

何気なく言ったこの一言がとある大事件に巻き込まれる要因になることを、長は無論知る由もなく。

パルタス族一の槍使いは、幾ばくかの路銀と干し肉を持って旅立った。

 

まず徒歩で南下し、雨季で荒れ狂うコウガを水性危険種を調教して渡河。そのまま河を伝って更に南下し、調教済みの水性危険種を売っ払って金に変え、更に更に南下。行く手を阻むタイザンを越え、まっすぐ南下した彼は予定通りに帝都に着いた。

 

帝都についてからもすんなりと軍舎に行けたわけではない。警備隊員らしき茶髪の男性を殺し掛けていた暴漢を無言で刺殺し、『お礼をしたいので家に来ていただけませんか』と言う誘いに乗りかける寸前まで行き、『真っ直ぐ帝都まで来て、私のところに来い』と言う件の手紙を思い出して逃げ出したりと、色々あった。

 

が。

 

「ここだな」

 

後にやる事は『エスデス軍はどこですか』と聞いたあとに、加入する。

 

やるべきことを反芻しながら、ハクは軍舎に入った。

 

「……なるほど」

 

入った瞬間に燦めく細剣。鋭利な刃で自分の肩を切り裂こうとするそれに対して本能的な反応も見せず、防ごうともせず、細剣の持ち主の喉元に布に包まれた黒槍の穂先を突きつける。

 

「お嬢。これは如何にもあなたらしい歓迎―――」

 

言い掛けて、ハクは完全に停止した。

白い軍服と蒼銀の髪に映え、似合っている軍帽。腰元には細剣を納めているであろう鞘に、手首までを覆っている黒い袖。

 

「…………?」

 

無言のままに左手を肩から俎板風にストレートに腹まで落とし、目の前にあるお嬢らしき女性と見比べる。

 

「……………」

 

笑いながら親指で細い首を掻っ捌くようなモーションで端的に『いきなりだな、死ね』とばかりにジェスチャーを取るその無遠慮さは、まごうことなく彼の主人であるエスデスであった。

 

「遅い」

 

頭一つ分小さい背丈の上に乗る軍帽が近づき、槍を持っていない方の手を掴む。

北に居ずとも病的な印象を与えない程度の白い肌は変わっていなかった。

 

「お嬢、成長期ですか」

 

「……九年会ってなければ、誰でも容姿は変わるだろう」

 

だが、先頭に立ってぐいぐいと引っ張っていくところは変わらない。そんな感を持ちながら、ハクは九年前と変わらずに引っ張られていく。

背も伸びた。九年で幼女が女性が成長し、言うなれば華開いたと言った感じだった。

 

「……小さい頃の私の方が好きか?」

 

幼い頃のように頬を膨らませるのではなく僅かに朱に染めるに留めたエスデスは、珍しいことに少し言い淀む。

成長を止めることはできずとも、抑制することはできなくもないというのが彼女の考えであった。

 

「私からすればお嬢はいつまでもお嬢です」

 

「つまり?」

 

「中身がそのままではありませんか」

 

無理矢理に主導権を掻っ攫っていく強引さも、何者にも変えられない氷の意志も。生きとし生けるもの全てが徐々に変わっていかざるを得ないこの世で、この女性ほど変化の少ない存在も珍しいだろう。

 

「……ふん」

 

その一言で内心を詳しく表現してのけた想い人の硬い掌を自分の掌で味わうように位置を変え、指を絡ませて更にキツく握り締める。

咄嗟の奇襲に応対するには不利だが、彼女としては今は煩わしいことを忘れたかった。

 

単純に、女でありたかったのである。

 

「私を見ろ」

 

「はい」

 

しっかと手を握ったままのハクと正面に相対し、進行方向へと後ろ向きに歩きながら、彼女は言った。

 

「見たな」

 

「はい」

 

「これが今の私だ。よく憶え、よく知るがいい」

 

病的な印象を与えない程度の白い肌。膝を越えるまで伸ばした蒼銀の髪に、身体に貼り付けたような機動性重視の軍服と、長靴下。九年前より遥かに女性らしい身体になっていながら、目指すところと服に求めるところは全く変化を見せていなかった。

これだけの特徴を持っていれば見つけられない方が変であるし、憶えられない方がおかしい。

 

それをわざわざ『憶えろ』と明言したのは、或いは初見で用意していた―――彼女が自分で『らしくない』と思うほどに女々しい―――言葉を、もの見事に潰してのけたからかもしれなかった。

 

「お嬢はよくわかりましたね」

 

「私が見間違えることはありえないし、付近で一度会ったからにはお前を見失うことなどはありえん」

 

ハクもまた背骨が軋むほどに背が伸び、軟らかな少年の身体から固まった青年の身体へと脱皮している。外見的特徴である黒い切れ長の目と濡羽色の黒髪はそのままであるが、それでも幼さが完全に消えた分の変化は相当あった。

 

それを気配だけで読むあたりは、流石エスデスと言ったところか。

 

「私は見間違えなかったと言うのに、お前は―――」

 

「見間違えてはいません。愕然としただけです」

 

ハクにも、言い分はある。

そもそもエスデスはハクを徐々に好きな男として認識していっていたから、別段男らしく変わっていても驚きはない。そういうものだと思ってきたからである。

 

が、ハクはエスデスを妹のように慈しんでいた。凄まじい無茶振りにせっせと応えながらも恨みもせず、どこかで苦笑しながらも仕方ないと思っていたのは、彼女が自分より幼いからであろう。

つまり、妹と女と言うのは彼に言わせれば『生物としての種類が違う』。妹は妹であり、女ではない。そんな認識が、漠然とあった。

その認識を粉微塵に打ち砕かれて直ぐ様再起動することは、彼にとっては難しい。

 

なにせ小虎が虎になった程度な衝撃であったエスデスとは違い、アヒルの子が白鳥になっていた程度の衝撃を受けていたのだから、愕然とするのも無理はないであろう。

 

「まあ、いい。やるべきことがあるからな」

 

「やるべきこととは?」

 

「追撃だ。裏切り者のな」

 

エスデスはニヤリと獲物を追い回す時の狩人の如き野性的な笑みを浮かべ、ハクは引っ張られるままに厩舎へと出た。

 

四頭の駿馬を鋭く一瞥し、エスデスは心の底から愉しそうに、呟く。

 

「さあ、再開を祝しての狩りをはじめよう」

 


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