そう思っていいるのは自分だけですかね?
『僕』と言う個人を言い表すと、どこかに『自分』を置き忘れた迷子なんだろうと思う。
詩的な言い方だが、これに尽きる。
名前も思い出せない、幼い頃の記憶にある少女。顔も思い出せないクセに、その一挙一動も交わした言葉も一字一句間違えずに思い出せる。
物心ついた頃から、周りに興味を示せない酷く壊れた人間が自分だ。
そんな自分に、何が面白いのか常に傍らに居た少女。
彼女との会話の大半は覚えていないのに、あの日、あの時に交わした言葉は覚えている。
『私、この大空(ソラ)が好き』
無垢な少女は、大空に両手を広げ、まるでそんな途方も無く広大な、宙を舞う鳥のようにしていた。想い出の君は、ひどく不鮮明な影法師のようなのに、何故か楽しそうに見える。
少女の両親は、大空に興味を持つ夢見がちな大人だった。子供のように子供に放つ『夢物語』は、少女に多大な影響を齎したのだろう。ライト姉妹が有人飛行に成功し、機械の補助があれば大空に舞うことが出来る。未だ高価な代物だが、少女が大人になる頃には自由に飛べる、そう思っていたのだろう。
事実、その後に進歩した技術は亜音速に達するのではないか、と言われるほどの速度で大空を舞うまでに至る。ただし、その対価は『命』だ。
1939年より始まるネウロイ侵攻に伴い、急速に発達していく技術により、レシプロ『戦闘機』は有人飛行機に於いて大空の覇者になる。
詰まる所、『夢』は現実の非常さに押しつぶされていたのだ。敵性体に抗うために、その『夢』は姿形を変えて、命を乗せて大空へ。旅の終着点は戦地へ。上空からの景色は荒れた大地に。
結局、少女の空への想いは、願いは、夢は――踏みにじられて久しい。
『魔法力でもあれば、箒に乗れたのにね』
少女は、当時では未だに魔法力が現れない一般人。両親も当然無い。
戦場で活躍するウィッチ達の新たな魔法の箒、ストライカーユニットも大凡、ネウロイ侵攻前後から使われ始めた。故に、幼少の頃には箒に乗る魔女か、試験飛行のパイロットだけが大空の覇者だった。
どの道、少女に魔法力が顕現したとしても、戦場以外で大空を飛び交うことは不可能に近い。
『私、いつか、きっと――大空を飛んでみたい!』
夕焼け空の、朱い日差しを両手を広げ、全身に受けながら、こっちまで気分が高揚しそうになる程に弾んだ声で言う彼女。
その時、自分でも信じられないくらい、踊るように高鳴った胸の音に押され、こう言葉を返した。
『じゃあ、僕が君の為に大空を飛ぶ為の機械を作ってあげる!』
『ほんとう!? 約束だよ!!』
心底嬉しそうに、影法師の想い出の君は、ほころんだ顔で振り向く。
それに呼応するように、高鳴る心音に気が付かれないかビクビクしながら、確りと頷く。
ゆっくり差し出される右の小指。呆気に取られる僕を差し置いて、指を絡ませ上下に振るう。
ゆびきり、なんてこれが最初で最後。頭は真白で、このあとの事は覚えていない。
ただ、これが、僕の原初の行動原理――
高砂 晋一郎。陸軍三等技術陸尉(同盟軍での少尉階級)。17と言う年齢に関わらず、技術士官としては比較的高い地位に彼は居た。
常に重そうな瞼で、メガネを掛けているその顔は、一見すると不機嫌に見える。
だが、彼を知る者にしてみれば、それはどちらかと言えば『無気力』に慨する表情だと言う。
事実、彼は他者に対する興味などをどこかに置き去りにした人物だ。
彼は、その全能を『空飛ぶ機械』に傾けている。それ以外には一切頓着しない。
何故『ソレ』にだけ情熱を傾けるのか、多くを語らない彼の性格も相まって謎に尽きるが、其れ故に彼の技術力は、物言わぬ機械に全て注がれてきた。
結果、彼の目的、行動理念――そう云った欲望の垣間見えない人物に、気味悪がる人々は絶えないが、一定の評価は常について回った。今の地位も、良くわからない人物ではあるが――と前置きを付けて評価された結果だ。
規律にも忠実――と言うよりは、そもそも規律に抵触するような行動すらしない。部屋に篭るか、研究に勤しむか。それだけだった。
そんな彼だが、時折思いだしたかのように取る奇怪な行動がある。
大空に向かって両手を広げて佇む姿が時折見受けられた。
じっと数秒、そうして佇む。瞳を閉じ、薄らと笑すら浮かべて。
今、彼が居る軍事基地でもそれは同様だった。
彼が赴任してから、そう何日も経たずに『変人』のレッテルが貼られるのは想像に難くない。
今日も今日とて、彼はそんな奇行を繰り返し、日常を送る。
そんな日常の一コマ、不思議な縁もあるものだ、と彼は後に語る出会いがある。
高砂がその基地に招集されたのは、ある試作軍用機の説明、及び技師練達訓練の為だ。
本来、彼は研究にしか興味を示さないが、せっかく作った作品が落ちる姿を見るのは、酷く不愉快と感じるようだった。それに、実際に飛ぶ姿を見て、次の作品のインスピレーションが沸くのもそれを後押しする。
決して軍の為ではないが、結果、軍の利益になるのだから、双方に納得もいこう。
そんな高砂がふらりと、基地の比較的広い場所に立ち寄ると、普段自身がするような姿の少女を見つける。
長い黒髪を首元、先端と二箇所縛りにし、作業服姿で両手を広げて。
そんな少女の後ろ姿を数秒、じっと見つめていた高砂は、徐に少女に近づいていく。
ゆっくりと距離を詰めていき、やがてその隣に立つ。
少女は、高砂より八寸程度低く、小柄。
隣で暫く棒立ちする。やがて、少女は両手を降ろし、少しばかり深呼吸。
「私、大空(ソラ)が好きなんです」
いつかに聞いたような台詞。一瞬、過去に舞い戻ったかのような錯覚に陥ってしまう。
そんな彼に気付かずに、少女は言葉を紡ぐ。
「あの大空を、どこまでも高く、遠く――自由に飛んでいきたい」
そう言う少女の言葉に、高砂は笑みを浮かべた。
彼を知る人からすれば、それは異常だ。感情なんて捨て去ったような人間が、自身が奇行を行ったのではなく、他者が行ったそれに微笑む。
ある種の同族意識でも働いたのか、と。謂れもない邪推に走る人間が出ても可笑しくはない。
それから二人は、静かに黙して大空を見上げる。
どれくらいそうしていたのか。数秒かもしれないし、数分、あるいは数刻。
そんな二人の傍に、もうひとりの少女が現れた。
扶桑では珍しくもない、おかっぱ頭の少女。高砂より少しばかり低い程度の身長。その身に包むのは、扶桑陸軍の巫女装束。
「こんな所に居たのね。もう直に訓練時間よ、早くなさい」
失礼、と高砂に一瞥くれて、さっさと小柄な少女の手を引いて走っていってしまう。
そんな二人を横目に見ながら、高砂は瞳を閉じ、徐に大空へ両手を広げた。
鈴木 範子。扶桑陸軍中尉。おかっぱ頭の彼女の名前だ。
父親が軍属で、自身も遅場せながら15の頃に魔法力が顕現、丁度ネウロイ侵攻が開始され、一人でも多くのウィッチが必要とされたのを機に入隊。
然程、魔法力は高くないが、空戦技能は高いので、ギリギリではあったがストライカーユニット装者として今に至る。
扶桑の低燃費ユニットだからこそ、とも親の七光り、とも揶揄する輩は居たが、師と言える人物のおかげで自身を見失わず、軋轢を生まないように配慮した結果、気が付けば師より階級が上になっていた。尤も、その師はもう居ない。ある日忽然と姿を消したのだ。
死んだのか、生きているのか。脱走ではないだろう。そんな事をする人物には思えないし、そんなことをすれば直様耳に入る。風の噂では『無茶な特殊任務に就かされて死んだ』という事になっている。どういった任務か詳細も無い。故に『風の噂』なのだ。
そんなある日、急遽範子の元に辞令が来る。何でも元整備兵のウィッチを育成しろ、とのお達しだ。
他国では珍しいが、扶桑では師と弟子といった関係で、教官一人教練者一人と言う一対一の指導が、極ありふれた光景として存在する。
最初は疑問に思わなかった。元整備兵であれば、急激な現場転換に於いて、やはり一対一の指導の方が良いだろう、との判断は頷ける。出会って、その考えに疑問が生じるまで。
その少女に見覚えがあった。師の妹と常に傍に居るような娘だ、名前は知らなかったが、顔は覚えている。師の口からも何度か名前は出てはいたが、それほど興味はなかったので覚えてはいない。
師は固有魔法を持ってはいたが、始めはそれほど有効活用出来ずにいた。繰り返し鍛錬を行い、自身の能力向上を行い、単騎で群となるような能力へと昇華させたのは尊敬できる。
そんな師に仰いだ自身も、固有魔法を昇華させるに至る。
――「追想」――
過去に起こった事象、記憶などを呼び覚ます能力。
軍歴書に記載すれば鼻で笑われるソレに何度思い悩んだか分らない。戦時記者に向いているな、と揶揄もされよう。事実、軍事に向かない事は明らかだ。
そんな自分を導いてくれた師に、敬愛を抱くのに時間は要らない。
世界が、人が、ネウロイに脅かされている。ならば、矮小なれど、何かの役に立てるならば。そう思い、大空へと翔ける兵になると決めた。
しかし、そんな志も、見栄や才能の有無、他者の価値観と自身の理想の擦り合せに、摩耗していく。
削られて、削られて――人並み以上にあった筈の、空への羨望も擦り切れた。
希少な固有魔法持ちなのに、それすら有効に活用出来なくて、他の固有魔法持ちには見下され、持ち得ない者にも馬鹿にされ――裡から溢れた志を呪う始末。
――何故、軍に入ろうとしたのか。
――何故、こんな目に合いながら死地に赴かねばならぬのか。
『その力を多くの人のために』、と誓を立てた事に後悔してしまう。
きっと、こんな矮小な己に、だれも期待すまい。そう、考え始めていた。
そんな時だ、師に出会ったのは。
何もかもが嫌になり、夕暮れに基地の端の方で黄昏ていた時。小さく聞こえる女性の声を耳にした。
苦悶に震える声。唸りに似たそれを、耳だけを頼りに聞き分けて探して歩く。
何故そうしたのかは分らない。ただ、苦しんでる人を助けようとした善意なのか、同じように苦しんでる同族を相憐れ為なのか、己より下した者を嘲笑いたいと言う悪意なのか。
なんであれ、そこに赴こうとしたことに違いはない。そこで、彼女を見つけた。
黄昏色の大空に紛れそうに、その身を紅色の日差しで染め、その身から薄らと金色(かないろ)の花弁を思わせる淡い光を漂わせ。
大の字に四肢を広げる様は、正に大輪の花。そのは花弁に沿うように、鉄の棒切れが宙に浮いていた。
苦しそうに顔を歪め、瞳を閉じ、眉根を寄せ、歯を食いしばる口元と、額や頬を伝う汗。そのどれもが彼女の苦しさを物語っていて、呆然とその姿を見つめることしかできなかった。
やがて、ふ、と急激に力が抜けるように、その身を崩す。
慌てて支えようと駆けた矢先、地に伏せる前に手を差し伸べる者が居た。
初めからそこに居たのか、自分と同じように成り行きを見守っていたのか――
件の女性にしか目を向けられなかった自分に判断は出来かねない。そんなことより――
「大丈夫ですか!?」
――女性の身の心配をする方が優先だった。
「ありがとう。でも、大丈夫」
すぐに女性から、しっかりとした口調で返され、その時まで気付かなかった心音も落ち着く。どれだけ息を止めていたのか、と自問しそうになる程、盛大に吐いた吐息。それだけ長い溜息に、胸の苦しさを多少なりとも覚えれば、胸を抑えるように手を添えるもの致し方なし。
そうして添えた手を吹き飛ばそうとしていると思えるほど、その心臓の鼓動は大きかった。
「あ、」
なんと言おうとしたのか、そもそも、言葉を発しようとしたのかも分らない。ただ、その予想外に大きな鼓動に驚いた、と云うのが真実なのだろう。おそらく、その時の自分は目を見開いて、何に驚いてるのか分らない、視線を違えた異邦人だったろう。
「――大丈夫?」
至近で聞こえた声に、はっ、として何も認識できていないその視界に、件の女性の顔が映る。
「あ、だいじょう、ぶ……です」
そう答えるのがやっとで、さっきまで自分が心配していた方なのに、と場違いな思考が脳を掠める。そうして間抜けな自分は、こと此処に至り漸く『目が覚めた』。
きっと、何か夢でも見ていたのだ、と思える程に視界が広がる様は、言葉に著すのが難しい。一番近いのが、そう『目が覚める』といったところだ。
不鮮明だった視界。見えていたはずなのに、何も見えていないその瞳が、急激にその本来の力を取り戻す様。そんな感じだ。
それは何も視界だけじゃない。その思考能力も同様に、だ。
間抜けな一人芝居を、名前も知らない女性の前でしてしまった。そう考えると、その姿は滑稽で、恥ずかしさに顔が熱くなっていくのを知覚する。
嗚呼、なんて無様。穴があったら入りたい、と真剣に考えたのは――果たして混乱からだったのか。
その様子を、微笑ましく見つめるその容貌を、よく覚えてる。
それが――範子と師の出会いだった。
『追想』
範子が持つその力は、対象に接近、ないし接触することで発揮される。
有効範囲は精々20メートル。それ以上はとても精度の高い情報は得られない。勿論、接触が一番手っ取り早く、正確だ。
感知系の魔法なのだが、魔眼などと比べ、派手さも戦闘への優位性も皆無。平時であれば何かしらの有用性は思いつくものの、戦時ではほぼ皆無と言っていい。そう思っていた。
しかし、扶桑は少しばかり他国と趣きが違ったらしい。『偵察』と言う分野において、扶桑は新たな概念を持ち出した。
――『戦略偵察』――
通常、偵察と言えば、接敵ないし進路上の安全を事前に調べる事を差す。部隊間での『戦術』と区分けされた範囲での運用。
対し、『戦略』とは大局的な方策であり、極端な言い方をすれば、戦術が商法の一対一の喧嘩だとすれば、戦略は交渉・扇動・工作などの企業間での喧嘩だと思えばいい。好いて身を捧げた個人の結納か、より『氏族』を立場的に強固にする為、顔も知らぬ相手と結ばされる政略結婚か。
個で勝ち負けを決める戦術ならば、どれだけ迅速に、相手より早く情報を得るかにかかる。では、戦略的には?
答えは簡単だ。「より深く」だ。
敵地に深く入り込み、目先の群ではなく、広い視野で全体を捉える。
今にも鉢合いそうな盤上の歩を見るではなく、その先にある王将までの道筋に何があるのか、それを察知するべく、と。
『追想』で観るのは、そんな敵地の奥、ネウロイ共の巣。
奴らが何を考え、何を思い、どうしてきたのか――
極めて危険なその任務、それに選ばれた。
九七式司令部偵察脚と言うストライカーユニット。長大な航続距離で以て敵地深くに入り込むユニット。それが今、範子が使用しているユニットになる。
そして、その正式後継機が配置される。『一00式司令部偵察脚』と命名されたソレは、同じようなコンセプトのもと、高高度及び高速性能に特化したユニット。試作機ではなく、正式採用機を範子に回した、その意味――
『そして、それに伴う新人育成――ね……』
範子を死地へ、そしてその後釜も死地へ、と。国の為、人の為――その身を捧げよ、と。
勿論、ただで転ぶつもりも無し。死地へは赴くが、死ぬつもりなど更々無い。
上層部は単にその『追想』の能力を、ただ感知するだけの写真機か何かと勘違いしている。事実、範子自身もそう思っていた。
だが、師に仰ぎ、その使い道を洗練させた範子には、それだけに留まらぬとの自負がある。
『追想』とは、過去を呼び覚ますこと。触れた相手からも『同様に』。
今現在を読み取る訳でもなく、未来を識る訳でもない。思考を読んで回避出来ず、未来を読んで回避出来ず。
しかし、過去を知って『模倣』することは出来よう。
師は範子に、自身を追体験させる。言葉で伝えるではなく、文字で伝えるではなく、『他者の視点で』伝えた。
そこに伝えるべき情報の齟齬は生まれない。範子はその時、『師としての知識』を全く同じ視点で識る。
血の滲む様な努力を垣間見て、空戦技能などをその知識に宿す。勿論、最初から同じように動けるはずもない。努力をすっ飛ばして、コツコツと体に刻んだ動きを模倣できるはずがない。だが、一から開拓するではなく、初めから見えた終着点に向けて進むでは、その難易度に天と地の差がある。
より短期間で自身の技能を向上させた範子。写真機は写し取るだけだが、写し取った映像を表に表す機械は何ぞ?
そうして、技能を急速に高めると、面白くないのが今まで見下してきた者たちだ。
幾ら世が争いに満ちているからと言って、人同士で争って何になるのやら――
しかし、ネウロイと言う大局より、目先の「敵」に牙を剥く人間が多いのも致し方なし。扶桑は目立った被害もないので、それがより顕著だったに過ぎない。
気付けば、師とその相棒を除いて、自分の味方と呼べるヒトは居なくなっていた。あとは――行き着く先など、どう考えてもロクな処ではない。
どうめぐり合わせがあったか、戦略偵察なんぞの需要が出れば、そこに行き着くのは摂理であったか。
『ま、考えても仕方なし』
どんな困難であれ、生き延びる意思だけは無くさないし、生き延びてみせる。複雑に絡み合って出来た運命かもしれないが、いつも答は単純明快。ヒトも家畜も虫もネウロイも――それは何も変わらないのだから。
「イチマルマルシキシレイブテイサツキャク? これに愛称は無いのか?」
司令部にて二人の男が向かい合っている。方や軍人らしい、軍服に身を包んで威厳たっぷりの男性。方や、白衣に身を包んだ、どこか感情を忘れたような年若い男性。
軍服の男が、先の問いをすれば、白衣の男もそれに応える。
「さあ? 僕は機械に名前を付けるのは苦手なので。年号に機械特性を表した名前で十分でしょう」
然もありなん。白衣の男性はそれで当然とばかりに答えた。
しかし、「隼」など愛称を持つユニットも多い為、そう云ったものが無いか聞くのは自然の流れだ。
「なんなら“百偵”とでも呼称してはどうですか? 司偵では九七式と被りますし」
「つまらん。が、至極真っ当だな」
軍服の男が仕様書を流し見しながら、机に放置していた湯呑に手を伸ばす。一口、中の冷めたお茶を口にすると、不味さにか顔を顰め、一拍置いたあと一気に煽る。
一気飲みもすれば、肺に溜めた多量の息も漏れる。少々長く、荒い鼻息で以て、盛大に吐き出す。渋い顔と相まって、不機嫌に見えなくもない。
「しかし、この百偵。未だに時速六百を超えんらしいではないか。仮採用、で収まるつもりではないだろうな?」
白衣の青年を試すように、視線を細め、鋭く射抜くように見つめる。
そんな矢のような視線を受けて尚、白衣の青年はいつもの眠たそうに降りた瞼で、半眼のまま見つめ返す。
「まさか、原動機の出力が千にも満たないモノを押し付けられただけで、機体そのものは優秀ですよ」
「それは嫌味かね?」
「どう受け取っても。零より低い出力で、この性能ならどれだけ優秀か、わかってもらえると思いましたが?」
青年との問答に、些か疲れたのか、思いため息を吐く軍服の男。
短い問答で、青年は面倒な部類の人間だ、と理解する。
普通の下っ端科学者程度なら、少し小突いてやれば、慌てて性能向上を急かすことも出来る。睨みを効かせ、使えなければ切るぞ、と脅せば。
だが、この目の前の青年は、そんな脅しに屈しない。と言うよりは端から関心事にないのかもしれない。入室時から終始、その態度も何も変わらないのだから。
実際に痛い目を見れば、多少なりとも態度も変わろうが、そんなことをしても意味はない。人材も資源も不足している扶桑皇国では、余程追い詰められでもしなければ、無駄に人材を散らすことはしない。逆に言えば、理由さえ出来れば人材を散らすのに躊躇いはない。
「……それで、この計画書、とはね」
百偵の仕様書、その先にソレはあった。数枚程度のレポートだが、それを眺める軍服の男は顔を顰めてしまう。
「何か問題でも?」
それに対し、白衣の青年は一切顔色を変えない。何の感情も見えないソレを見ていると、気分も悪くなってくる。この計画書を見れば尚更に、だ。
「性能限界を知るために、極限状態にて稼働状況を精査する、ね」
極限状態――と一言に言っても、その時々で変わるだろう。だが、仮に「極限状態」と言うならば、何を指すのか。決まっている、人の極限状態など生死に関わることだ。
ならば――
「――ならば、激戦地にて、直に稼働させてみるべし、とはな」
「当然でしょう。何もない大空で、何を調べると言うのです?」
至極当然、と言いたげな白衣の青年に、否が応にも不快感は増すばかりだ。
「貴様はウィッチを無駄に散らす気か!」
「それこそ、まさか。然も、ウィッチが無駄に散ってしまう訳でもありますまい。結果は次に反映されるのですから」
「貴様……っ!」
怒りに震える軍服の男をその半眼で流し見ながら、眼鏡の山(ブリッジ)を指で支え、僅かに上げる。硝子に反射する光が、青年の視線を禍々しく見せる。薄ら寒いモノを感じるが、恐怖というより、得体の知れない気味悪さがある。蛇か何かの爬虫類に似た、そんなぞわりとするヒトに似ない何か。
「……それに、そうですね。これはあくまで『風の噂』と言うやつです」
勿体ぶる様に、ゆっくりと、染み込むような重さで声を発する青年。実際には青年自体、何も変わっていないが、軍服の男にはそう感じた。子供の頃に、薄暗い部屋で怪談話を聞かされた時のような感じだ。聞きたくもないのに、ちっぽけな自尊心で相手を注視し、得体の知れない何かに怯えながら話を聞いた時のように。無駄に引き伸ばされた体感時間がそうさせていた。
「何やら、軍上層部ではある作戦が行われたそうで。ウィッチとしての寿命が近いモノを募って、死地に赴かせた、と聞きまして」
やはり、聞かねば良かった。そう思いながら、腕を支えに崩れる頭を何とか抑える。
「……そのような事実は存在せん」
なんとか絞り出した答えだが、雰囲気に呑まれてしまい、無様を晒してはどこまで説得力があるか分らない。普段ならこのようなこともあるまい。若造に遅れを取ることもない。
「そうですか。ま、どちらでもいいんですが」
そんな軍服の男の心情を知ってか知らずか、然として変わらずの青年。流石に軍服の男も、測りかねていた。
「僕が言いたいのは、『計画的な損失』ならば良いのではないのですか? と申し上げたいのですよ」
「貴様の言いたいことは分かった。だが、私の一存では何とも言えぬ」
「構いません。それでは」
短く返し、今の今まで何も変わらない青年は、踵を返し退室しようと歩き始める。
「――待て」
そこへ、軍服の男が待ったを掛けた。ここに来て、漸く青年に変化が見えた、半眼をより細め、然も煩い羽虫を見るような目で見ていた。
「……何か?」
軍服の男は、そんな青年に気が付かない。ただ、何故引き止めたのか、自身が良くわかっていなかった。何か言いたかった筈だが、勝手に口を付いて出た待った以外、何も浮かんでこない。
気不味げに一度、咳払いをする。机に両肘を付き、手組し、額を預ける。そうすることで青年を視界に入れずに居ると、少しばかり余裕が出てきた。
数瞬迷って、口を開く。
「……貴様は、一体何がしたい?」
そう、それだ聞きたかった。他者を犠牲にしてまで、機械の性能を上げてどうしたいのか。
軍上層に気に入られたいのであれば、先程の問答はダメだ。幾ら雰囲気に呑まれ、無様を晒したとは言え、もしもそれで昇進を望もうが、自身が許さない。
ネウロイに恨みでもあれば分かるが、この扶桑でネウロイに恨みを持つ者はそうは居まい。居ても一人二人と片手で数える程度だろう。間接的に、であれば幾らか増えようが、それで他者を犠牲にする程の恨みが芽生えるか、些か腑に落ちぬ。
金、栄誉であれば尚更、人死には遠ざけるものだ。一時的な金に溺れるのではないなら、手を汚す真似は普通はしない。人死にが望みだとして、ソレを公言するような馬鹿では、そもそもこのような立場に居ない。
結局のところ、青年の得体の知れなさは、そう云ったモノが見えないからだ、と思いついたのだ。
「……大空(そら)」
細く声を漏らす青年。あまりに唐突に、一言だけ言い放つ。
危うく聞き逃しそうになったが、何とか耳に出来た軍服の男は、しかし、その言葉の意味を理解出来ない。言葉だったかも分らない程だったが、何となく『ソラ』と言ったのは理解した。飛行脚の話だったのだ、「空」であろう、と。だが、それが何なのか、何を注しての言葉なのかは理解できなかった。
「大空が飛びたいらしいですよ」
続いて青年から口に出た言葉は、更に理解できなかった。いや、言葉そのものは簡単だ。だが、やはり何か足りないのだ。そもそもが可笑しい。何故、自身の原動が「らしい」になるのだ?
「……らしい? どういうこと――いや、だれが、だね?」
故に、問う。
その曖昧な言動、その真意は何ぞ?
その問に、不思議な沈黙を以て考え込む青年。短いが、眉根を寄せて何かを思い出そうとしている姿は、先ほどより幾分人間味がある。
そうして数瞬考え込み、こう口にした。
「さぁ、誰だったのか、僕も思い出せませんよ」
呆れと、困惑と、自嘲を混ぜた、不思議な顔をしながら――
本編、原作と明らかに路線が違うこの外伝。
今後もこんな感じで進んでいきます。