ポケットモンスター Reversed 作:アダス・セッシャー
ガラチャ学園都市は、地方に数多存在するトレーナーズスクールの最上位に位置する"帝国"だ。
それは今より七年前に開校した学園であり、その歴史の始まりは十年以上前に遡る。
もともと、ガラチャシティにはジムが一つあり、エンレイ地方のトレーナーの最高峰・エンレイリーグとチャンピオンロードの前に立ちふさがる最後の門として機能することが多かった。
当時のガラチャジムリーダーの腕前は大したもので、そのジムでのバッジ取得率はあらゆる地方の中でも最難関の一つに数えられていた。そうして噂が噂を呼び、『ジムバッジを七つ集めた歴戦のトレーナーでも簡単には超える事の出来ない壁』などといった、それを成し遂げられうる人間にとっては耐えがたく魅力的な肩書きへと成長していった。そうしてそのような触れ込みは、エンレイの各地、果ては他地方からも強豪を集めるような大きな呼び水となった。
だが、それでも尚ジムリーダーの実力は強大だった。
尾ひれがついて肥大化したはずの噂話をまるで真実にしているかのように、噂につられてやって来たトレーナーたちはそのほとんどが当時のジムリーダーに成すすべなく敗れていった。
そういった経緯から、敗北の後にトレーナーたちはガラチャの近辺に居付き、ガラチャの人口を増やしていった。まるでダムによってせき止められた川の水のように、ジムリーダーに再戦を望む強豪のトレーナー達でガラチャの町は溢れかえることとなった。
これを機と見た当時のジムリーダーは、自らのジムをトレーナーを育成する学園に改造し、その主席にジムリーダーの座を与えるといった計画をポケモンリーグへと提言した。果たして、それは受け入れられた。
巨大な力を持って生まれた学園は、有志によってガラチャ全体に跋扈していたトレーナーズスクールを飲み込みながら巨大化していき、時代のうねりと共に都市と呼べるほどの規模になって行く。
この学園を無事に卒業したトレーナーで、栄光を手にしたものは数知れない。ジムリーダー、四天王、そしてトレーナーとしての最大の栄誉たる、ポケモンリーグチャンピオンすら排出した。学園の拡大と共に、その生徒数も増え行き、今やエンレイ地方において、『ガラチャを出ていないトレーナーは弱卒である』との誹りを受けることすらままある。
その頂点、小中高大一貫のガラチャ学園都市において、その年齢に一切左右される事なく選定される主席生徒は、設立当初のジムリーダーの意志の通り、ジムリーダーを預かる権利を持っている。
そして現在、ガラチャ学園都市の頂点に君臨しているジムリーダーは、学園の創立から数えて四代目にあたる主席生徒だ。
その名をローバイ。一般的にはドラゴンタイプのポケモンを好んで操るトレーナーとして知られていた――
【●】
ガラチャのジムは学園都市内のほぼ中心に存在する。東西南北を走る目抜き通りの丁度交点に建てられた、厳かなゴシック建築の建物がそれだ。
その中でジムリーダーが鎮座する部屋は、ジムの屋根に生えた尖塔群の中でも、ひときわ高い尖塔の最上階の内部に位置している。
その部屋の主であるローバイは、主席生徒のみに与えられる特別な部屋の中で、優雅に紅茶を楽しんでいた。
彼は亜麻色の髪を持った青年だ。高校時代の学生服に改造を施して、大学に上がった今でもそれを私服として愛用している。首にはホウエンの伝説に語られる竜の姿を意匠化したストールを巻き、何処かエキゾチックな雰囲気を醸し出すアクセサリをいくつか装着していた。
部屋の中にはローバイの他に、長身の青年がローバイに向き合う形で座っている。彼はつい先程まで闘技場でスリーパーを操り、年下のはぐれトレーナーを相手に賭け試合で大人げなく勝利を収めた男、ゲンゲだった。
「ローバイさんが昨日話していたピカチュウの件、郊外に住む浮浪者たちの間でも噂になっていましたよ。情報統制が少し甘すぎるんじゃないですか?」
ローバイは今日より前日、ある一部の人間に向けて『どうやらピカチュウが逃げ出したらしい、郊外で目撃情報が寄せられている。もし見つけた場合はローバイまで報告すべし。他言禁止』との通知を発信した。ゲンゲはその中の、"ある一部の人間"の一人であった。
ゲンゲはローバイに向けるその口調こそ丁寧だが、顔を見ると、その内容に明らかに不服である、といったような顔をしているように見える。
しかし、ゲンゲがそんな表情を浮かべる理由はといえば、ピカチュウの身の安全や、ローバイの情報管理の杜撰さへの嘆きなどといった崇高な考えとは全く違う、愚劣な欲望そのものだった。
ゲンゲは金の亡者である。
彼はガラチャ学園都市の大学部に在学していながら、バレれば一発で退学に成りうる数々の違法行為を犯し、大金をせしめていた。
賭け試合に勝利して、戦闘の後に相手から与えられる賞金とファイトマネーを重ねて大金を得る。闇市で素人相手に適当なポケモンを売りさばく。裏カジノでエスパーポケモンを用いたイカサマで大勝する。など、そのようにしてゲンゲは、ガラチャの裏世界の闇に浸かりながら、蔓延する法外の稼ぎ場に足繁く通っては荒稼ぎを行ってきた。
そうやって得た金で整えた環境によって、彼はつい最近、ガラチャ学園都市の中でも最上位のカーストに入りこむことに成功した。具体的に言えば、この地位にいる人間は、一般的なジムで言う所のジムトレーナーと呼ばれる人間たちだった。
ゲンゲがピカチュウを求める理由も、もちろん例に違わず金儲けのためだった。自身の知る裏ルートでピカチュウを流せば相場の一・五倍程度に値段を釣り上げる事も可能だろうとゲンゲは確信している。そのために、ゲンゲは今日、ローバイを情報管理の杜撰さに付け込んでピカチュウの捕獲に協力させ、ピカチュウは自分が処理すると上手く言いくるめて売り飛ばすという金稼ぎの算段を立てていた。実際、ローバイの性格の根底にある適当さは、ゲンゲを初めとするジムトレーナー達の知るところである。高い確率でこの計画は成功する、とゲンゲは内心で決めつけていた。
そして、そのような苦言を呈されたローバイは、しかし口元に浮かべた笑みを崩さずに、静かに紅茶の入っていたカップをテーブルの上に置いて口を開いた。
「済まんなゲンゲ、昨日闇市に掘り出し物を探しに行った時だ。私としたことがついうっかり口を滑らせてしまうとは……全く持って不覚だった」
「貴方が直接的に原因ですか!?」
予測していなかったローバイのあまりな言動に思わずゲンゲは狼狽する。
「いやなに、このストールがあまりに素晴らしい一品だったものでな、値下げの交渉の折に、茶を濁すための世間話でピカチュウの話を使ってしまったのだ。ホウエンの職人が伝説を下敷きに織った一品物らしくてな、結局なかなかの値段を要求されてしまった」
そう笑いながらストールを撫でて触り心地を楽しむローバイを横目に、ゲンゲは思う。
――まあ、この馬鹿の失態が大きければ大きいほど、計画を進めやすくなることには違いない。これは……いい流れだ。
ゲンゲも笑いながら、丁寧な態度は崩さないように速やかに説得を開始する。
「まったく……貴方という人は。きちんとこの責任は取ってもらいますよ。これから私はピカチュウを然るべき住処へ帰すべく捕獲に動きます。そして、今回の件の罰としてそれに貴方にも協力してもらいます」
本意の欠片も見せない綺麗事を吐き出しながら、まるでそれが自分の心からの本音であるかのように見せかける。ゲンゲが闇市や裏カジノで培った技術の一つだった。
ローバイはそれにふむ、と手を顎にやって言葉を返す。
「成程、確かにこのままピカチュウの存在を放っておく訳にはいかないな。もしも
よし、思った通りの展開だ――そうゲンゲは心の中でほくそ笑み、にこやかにローバイの肯定的な態度を受け止める。
「ええ、まったくその通りです。それではすぐに向かいましょう。もしもピカチュウが悪漢につかまってしまっては大変だ」
そう言って、がたり、とゲンゲは椅子から立ち上がって扉へ向かって歩き出そうとする。しかし、ローバイの言葉がそれを遮った。
「ああ……だが、一つだけ訂正しておこう」
「……なんです?」
ゲンゲは怪訝な面持ちで聞き返す。それに対してローバイは、椅子から立ち上がって大袈裟なほどの身振りで"演説"を開始した。
「断じて我々が成すべき行動を"捕獲"と言ってはならん! 我々が行うべき行動は"保護"である! 私がうっかり市場で口を滑らしたことには謝罪しよう! ごめん! だが! その代償として! 私はここに! 我が偉大なるローバイの名において!! 必ずその哀れなるピカチュウを救い出すことを、このガラチャの校章と校歌の下に誓おうではないか! そう、我々ガラチャに集う学徒たる者、須らくトレーナーの生ける規範として行動すべし! 行くぞゲンゲ、これよりガラチャ学園都市
一息に捲し立てられた大演説。ゲンゲはそれを聞いて絶句していた。
その理由は、異様なまでの躁状態についてでも、情報漏洩について全く悪びれていないところでもない。ある一つの、ゲンゲが知らない事実が紛れ込んでいたからだ。
「……あの、ローバイさん」
「何だ?」
「国際警察捜査官って……何です?」
その問いを聞くと、ローバイは初めてその笑みを消し、無表情で天井を見ながら考え始める。静寂の数秒間が流れた後、ローバイはゲンゲに向き直って答えた。
「まあ、聞き流せよ」
「聞き流せるわけないでしょう!?」
――馬鹿な! 冗談じゃない!! どうしてこんなタイミングで……!
それはゲンゲにとって最悪に近い想定外の事実であった。何故ならば、国際警察の仕事の一つに、『生息分布の管理』という項目があるからだ。
外来のポケモンによって、もともと住んでていたポケモンたちが住処を追われ、生態系が乱れた結果地方全体で大きな混乱が起こる……などという事態を回避すべく、最近になって制定された業務だ。
これに照らし合わせると、今回のピカチュウは綺麗にその業務内容に引っかかる。つまり、国際警察たるローバイに見つかった場合、そのまま本部へと引き取られて調査班行きというルートを辿ることは想像に難くない。
ゲンゲの計画が崩壊していく中、そんな事情など露知らず、あっけらかんとローバイは言う。
「私としたことがまた口を滑らせてしまうとはな……だが、他言はするんじゃないぞ! 国際警察は秘密主義なんだ」
そういいながらローバイは席を離れて歩き出し、ベランダと部屋を隔てる横引きの窓をがらがら開ける。ローバイがベランダにモンスターボールを放り投げると、そこからフライゴンが姿を表した。
「さあ行くぞ! 情報が広まるのが闇市ならば、情報が集まるのもまた闇市だ。これより我らは可及的速やかに闇市で情報収集と洒落込もう! どうした? 急がねばならんのだろう! 早く来い!」
強引な物言い。ゲンゲは調子を狂わされ、その内心は苛立ちに満ちていた。もはや金儲けの見込みも薄くなったこの件に関して、ゲンゲは急速に興味を失いはじめていたのだが、自分から言い出した手前断るわけにも行かず、ゲンゲは自分がここに訪れたことを後悔した。ゲンゲはしぶしぶとベランダへと出て、移動用の鳥ポケモンを出そうとモンスターボールを手にかける。だが――
「ああ、必要ない」
「え?」
「私のフライゴンのほうが速いからな!」
そう言うと、フライゴンはその手を伸ばし、ゲンゲの肩をがしりと組んで抱えた。
「え!? ちょ、ちょ!! ま、まさか!!」
「出発しろ!」
ローバイの掛け声と同時に、ローバイを乗せてゲンゲを掴んだフライゴンはゆっくりとその身体を浮かせ、そして急加速すると共に、瞬く間に尖塔からその身を消した。
【●】
言に違わぬフライゴンの特急によって、ローバイたちはわずか数分で闇市の入口まで到着した。
ゲンゲは、絶叫アトラクションの数倍近い恐怖体験を味わったせいか、地面に降り立った途端膝から崩れ落ちた。それを見てローバイははっと気づく。
「おぉ、そういえばゲンゲは私の『フライゴンタクシー』は今日が初めてか……私としたことがうっかりしていたな」
実のところ、ローバイはよくジムトレーナーと"遊ぶ"段にはこのフライゴンタクシーを常用していた。ジムトレーナーはもはや慣れているので何も言わないが、ローバイもうっかりさえしていなければ無理にこれを使ったりはしない。
「まあ、我がジムのジムトレーナーになったからにはこれからも使う機会が有ろう。今日のことは一つの洗礼と思って今後の糧にせよ!」
それを聞いて、ゲンゲは全てが終わった後にジムトレーナーから逃げ出すことを決心した。
側にあった木に手をついて、身体を支えながらゲンゲはゆっくりと立ち上がる。
「い、いえいえ……貴重な体験をさせて頂き感謝の極みですよ……で、では早速始めましょうか」
内心では激しく毒づきながら、当たり障りのない社交辞令で返答する。とはいえ、ここまで来ればもうゲンゲはピカチュウ探しに付き合うことも無かった。ゲンゲはローバイから逃げるべく、ローバイにこんな提案を持ち帰る。
「そうだ……情報収集は二手に分かれた方が効率がいい。私はあちら側で情報収集を行うので、ローバイさんは別の場所を頼みます」
「ぐう……あのイカれジムリーダーめ……いつか引きずりおろしてやる……」
存外あっさりとローバイと離れることに成功したゲンゲは、さっさと厄介事から逃げるべく闇市を後にしていた。
フライゴンによる拷問に近い空中移動のせいで、未だに世界がぐらぐらと揺れて気分が悪い。今の状態で空を飛ぶわけにもいかず、のろのろと歩いて闇市からガラチャへと戻りつつあった。
「くそ……また何か儲け口を探さないとな……顔の知られてない裏カジノでも発掘するか……」
そんなことを考えながら歩いていると、後ろの方――すなわち、闇市の方から喧騒が近づいて来た。
「……?」
ゲンゲはそれになんてことも無く振り返る。そこに飛び込んで来たものは、二人の男とそれを追うように走る一人の少年――そして、その先頭にいたのは、ついさきほど諦めさせられたばかりの
それを見た瞬間、今まで萎えていたゲンゲの中にある欲望が、瞬く間に以前のように膨れ上がった。否、
――何だ、やはり神は俺に味方しているんじゃないか。
ゲンゲの顔には思わず笑みが浮かぶ。ゲンゲは素早い動作で腰のモンスターボールを取ると、こちらの方に走ってくるピカチュウに向かって投擲した。子どものころから何百回として行って来た動作だけあって、その動作に淀みは無く、且つコントロールも完璧だった。
しかし、ピカチュウの機動力はゲンゲの想定をはるかに超えていた。
視界にこちらに飛んでくるモンスターボールを確認した瞬間、残像が見えるかのような勢いで横っ飛びをしたピカチュウは、モンスターボールに掠ることすらなくその射程の外へ脱出する。
もともとピカチュウが入手困難と言われいたのは、その絶対数の少なさだけが理由では無い。小さな体躯と高い攻撃力、そして何よりも抜群の機動力で森を縦横無尽に駆け回るが故に、その捕獲は困難を極めるのだ。
「うおぉっ!?」
空を切ったモンスターボールは、そのままピカチュウを追っていた二人の男のうちの一人の足元に転がり、それを踏みつけた男が激しく転倒する。
「やべっ……」
その姿に気を取られたゲンゲは、あろうことか、自分に接近する最大の脅威を無視してしまった。そう、唐突に"攻撃"に仕掛けてきた相手に対し、反撃の姿勢を取ったピカチュウを。
ここで一度ゲンゲの意識は深い闇に飲み込まれることとなる。
ピカチュウの"電気ショック"を一身に受けたゲンゲは、一体何が起こったのか、一切の思考を許されることもなくその身体を地面に横たえた。
■キャラクター名前の由来
ローバイ - ロウバイ科ロウバイ属の