ポケットモンスター Reversed 作:アダス・セッシャー
メギはピカチュウを追って、自身が住処とするゴーストタウンの近くまで来ていた。
途中で乱入してきた何処か見覚えのある男がモンスターボールを放った結果、標的を見失ったモンスターボールは追っていた二人組の片側の足元に転がりこんで、それを踏みつけた男が大きく体勢を崩した。それはもう片方を巻き込んで、二人の男は無様にもんどりうって倒れ、地面に転がった。
モンスターボールを放った男はピカチュウの怒りを買ったのかモロに電撃を浴びて気絶し、今ではピカチュウを追う者はメギ一人になっていた。
メギは前から転がって来たモンスターボールをスピードを落とさないまま拾い上げつつ、いよいよピカチュウを本格的に捕まえるべく動き出そうとしていた。
もっとも、メギは自身の持つ特性のせいで、このようなまともな追いかけっこでピカチュウを捕まえるのは困難である。そのことをよく知っているメギは、先ほど通りすがった男のように、ピカチュウの意識を"逃走"から"反撃"へと切り替えさせようと試み始めた。
メギは先ほど拾ったモンスターボールをベルトに嵌めて、空いた手に同じ要領で路傍の石を拾い上げた。そしてそれを逃走するピカチュウのすぐ側に向けて投擲する。
隣でカッと鋭い音を立てて地面に跳ねる小石を見て、ピカチュウは俄かに追手を怖れ始めた。しかしその逃走の足は止まらない。
――まだ逃げるか。気が変わるまで続けてやる!
そうしてメギが五、六度同じことを繰り返していると、地面を跳ねた石のうちの一つが、地面を打った衝撃で二つに割れて、ピカチュウの身体を軽く打った。
そして、それがピカチュウにとっての分岐点となった。
ピカチュウはいよいよ後ろの人間を脅威として認定した。
ピカチュウは追手――メギの方に向き直ると、追手に電流を浴びせるべく頬袋に電気を溜めはじめる。
それを見てメギは、自分の思う通りの展開になったことを喜ぶ隙も見せず、一瞬で最大限の警戒網を広げて自分の意識もまた"追跡"から"戦闘"へと切り替えた。
――ピカチュウの放電は頬袋から始まる。
――だから、放電の直前に頬袋は大きく光る!
メギは自身のポケットに手を突っ込むと、何本かの鉄釘を取り出した。そしてそれを横の中空へ放り投げると、自身は逆側に飛びのいた。
ピカチュウの放電はその直後に放たれた。それはメギにまっすぐに突き刺さるように進むが、その途中で大きく軌道を曲げ、電撃は鉄釘の方に吸い寄せられる。
その隙を見て、腰のモンスターボールを投げつけるべくメギの手が伸びる。が、メギはその手を直前で諌めた。
――まだだ、焦るな。
そしてメギはモンスターボールを投げる代わりに、ピカチュウの方向へ向かって地面を思い切り蹴り付けた。
それはポケモンでいう所の"砂かけ"だった。
隙を突かれたピカチュウはその砂を思い切り眼に受けてしまう。ピカチュウはその痛みで、とても眼が開けていられない状態となった。
それを確認したメギは、素早く再び傍らの小石を手に取った。今度は威嚇のためでなく――攻撃のためだ。石を足に打ち付けて、ピカチュウの高い機動力を奪うためには必要な攻撃だった。
しかし、メギは石を
メギがポケモンを攻撃する時はいつもこうだ。
ストレートチルドレンとしての生活も、もう二年を超えていると言うのに、自らの手でポケモンを傷つける罪悪感だけは未だ消えようとしない。
だから、メギはこういう時にいつも自身に言い訳をする。
――仕方ない事だ、俺が生きるためには。
――こんな傷は
――ポケモンバトルに比べればこんな傷は軽傷に過ぎない。
――そもそも俺はポケモンなんて好きじゃないんだ。だから……
メギが、自身にそう言い聞かせるのに要する時間は、ただの一秒程度。普段、これが原因で失敗するということはあまり無い。
だが、今回に限ってはそれが致命的となった。
メギが投擲した石の軌道はピカチュウの足をしっかりと捉えていた。
だが、ピカチュウは、風切り音と砂埃を残して、その場からテレポートでもしたかのように消え失せた。石は目標を見失って地面を跳ねる。
――これ……は!
その原因に思い到った瞬間、メギは反射的に倒れるように身を屈めた。
その直後、再び風切り音と共にメギの頭上を鋭い弧を描くような残像が通り過ぎた。
当たっていたら軽傷では済まなかったであろう、恐ろしいスピードの攻撃を見て、メギは冷や汗を浮かべる。
――"電光石火"……ッ! 逃走中に使わなかったから油断した!
メギは電光石火を見るのは初めてではない。以前からコラッタや鳥ポケモンが使っているのを何度も見たことがあった。しかし、ピカチュウの電光石火は、それらの小さな体で繰り出されるそれとはまるで別物だ。
ピカチュウの攻撃を無理に避けたせいで、メギは大きく体勢を崩して地面を転げる。
そして、今度は逆にメギがその隙を突かれる形となった。
ピカチュウが前から近づいてくる。その頬はゆっくりと光り始めていた。
この距離では鉄釘ももはや意味を成さない。メギは観念して、こちらに近づいてくるピカチュウを見届けることしか出来なかった。
そして、ピカチュウのその顔を見て、メギは苦笑を浮かべる。
――別に、そんなに怯えた目をしなくてもいいじゃないか
――一体お前達の視界では、俺がどんな化物に見えてるんだろうな……
そうしてメギの視界は、ピカチュウの放つ激しい閃光によって真っ白に塗りつぶされた。
【●】
……喧騒が聞こえる。
ゲンゲが意識を取り戻した時、最初に思ったことはそれだった。
電撃を浴びて気絶してから、ゲンゲが意識を取り戻すまでに要した時間は驚くほど短く、それはたった二十秒程のものだった。
どうしてゲンゲがこれほど早く目を覚ましたかといえば、その答えは単純だ。先ほどゲンゲがモンスターボールを投げたことで派手に転んだ男が、ゲンゲの胸ぐらを掴んで激しく頭をシェイクしていたからだ。
「てめえ!! 邪魔してくれやがって……! どうなるか分かってんだろうな!」
男の声は、最初は雑音でしか無かったが、意識がはっきりしてくるにつれて意味を持った言葉としてゲンゲの頭に入って来る。そしてその内容をゲンゲが理解すると共に、今度は恐怖となってゲンゲの心に沁み込んで来た。
――こいつ、ヤクザか何かか……!?
ゲンゲが無言で冷や汗をかいていると、怒り心頭といった様子の男を、転倒に巻き込まれた方の男が諌める。
「おい! そんな奴放っとけ!! あのガキに先越されちまうぞ!」
それを聞くと、渋々と言った様子でゲンゲを拘束していた男は力を緩める。
「チッ……! おい! 手前の顔覚えたからな! 後で覚えとけよ!」
そう言うと、二人の男は胸ぐらを掴んでいたその手でゲンゲを地面に突き飛ばして、メギ達が駆けていった方向へ走り去って行った。
ゲンゲは色々な身体と心のダメージが重なって、しばらく地面に倒れたまま起き上がろうとしない。
しかし、いつまでもそうしている訳には行かず、のろのろと起き上がると、そこらの壁に手を突いてボロボロの身体を引きずりながら帰路に付いた。
「クソ……何で俺がこんなことに……」
帰り道の順路を考えながら、自分の今日の厄日っぷりに愚痴を吐く。
「ピカチュウ……ピカチュウなんかが逃げ出したなんて情報が流れたからこんなことに……」
そうだ、諸悪の根源はピカチュウだ。
そうやってゲンゲは自身の性根の悪さを棚に上げて、全てをピカチュウのせいにすることでボロボロの精神の安定を謀った。
「クソピカチュウめ……次逢ったらギタギタにしてやる……!」
『ほう、何をギタギタにすると?』
「――!?」
唐突に自分に向けてかけられた声に、ゲンゲは驚いて振り向く。
そこにいたのは――まさに今自分が怨みを抱いていたピカチュウそのものだった。
「な、な、何で!? 何でだよ!」
有り得ない!! ゲンゲは心の中でそう叫んだ。
先ほど自身を黒焦げにしたピカチュウは、二人組の男が追いかけて行った方向から自分の前側へ逃げていったのは明らかだ。
しかし、このピカチュウは自分の背後から現れた。明らかに妙だ。"影分身"や"高速移動"を使えば可能かもしれないが、そこまでして俺の背後に回る理由が無い!
そして何より――どうしてこいつはポケモンの癖に人間の言葉を喋れるんだ!?
先程の電撃が軽いトラウマとなっていて、ピカチュウをその視界に写した瞬間ゲンゲは激しく後ずさる。
それを見たピカチュウは、どこか興味なさげな表情を浮かべたように見えた。
『落ち着きのない男だな……これはまた、期待薄か』
そう、ピカチュウは抑揚の無い小声で冷たい言葉をゲンゲに吐き捨てる。その言葉には人間味というものが全く感じられなかった。
だが、それもそのはずで、その声はピカチュウの口から発せられているのではなく――その首に掛けられた、ペンダントらしき装置から発せられた機械的な音声だったからだ。
さっきのピカチュウはこのようなアクセサリを身に着けてはいなかった。つまりさっきまで追っていた野生のピカチュウではなく、このピカチュウは全く別の、名も知らぬトレーナーの手持ちポケモンなのだろうと推測できる。
その事実に気づいたゲンゲは、少し落ち着きを取り戻す。
「……お、お前、トレーナーか? 姿も見せないでポケモンだけよこすとは……悪趣味な奴だな……」
『……まあいい、お前には付いてきて貰おう。……断れば安全は保障しない』
ピカチュウの頬袋かビリリと光る。
「ひっ……分かったよ! 行けばいいんだろ!」
ゲンゲは怯えながらも、チャンスかもしれないと心の中では思っていた。
相手がトレーナーである以上、この誘いはポケモンバトルである公算が高い。ここまで強引なのは気になるところだが、トレーナーがバトルに誘う状況は大概強引なものだ。
ゲンゲは自身のポケモンバトルの腕前には自信を置いていた。曲がりなりにもガラチャ学園都市の上層に身を置く立場、野良のトレーナー程度に負ける気はしない。
ファイトマネーが出ない普通のバトルでは少々物足りないところだが、ストレス発散のためにも思いっきりこの無礼なトレーナーをぶちのめしてやろう、とゲンゲは考えていた。
そう――ゲンゲは今日の自分の厄日っぷりをまだ何処か甘く見ていたのだ。
ゲンゲが先導するピカチュウに連れられて、どこかの建物に入った。スーパーの商品棚を全て排除したような殺風景で広い空間がそこにはあった。人気は無いが、廃墟と言うよりは目新しく、新たなテナントを待つ空き物件と言った様相だ。
そこに立ち入ると、ピカチュウが動きをぴたりと止める。すると、ゲンゲの後ろの扉が勢いよく閉まった。
ゲンゲが驚いて扉の取っ手を掴む。しかしそれを押しても引いても扉が開く様子は無い。
「お……おい! どういう事だ!? なんだこれは!」
ゲンゲがピカチュウの方に向き直ると、そこにピカチュウはいなかった。
ピカチュウは壁にはめ込まれた形の細い柱をするすると登り、採光のために開けられた高い位置にある嵌め殺しの窓の淵に座っていた。
そして首飾りのペンダントから声が響く。
『心配する必要は無い。君にはこれからバトルをしてもらうだけだ』
それを聞いたゲンゲは未だ姿を見せないトレーナーに向かって叫ぶ。
「そうならそうと先に言えよ! 別に逃げたりなんかしない! それより、賞金の用意は出来てるんだろうな!? ここまでやったんだ。俺が勝ったあかつきにはそれなりに払ってもらうぞ!!」
『ああ、もしもこれを潜り抜けられたならば、だけれどね……』
会話が終わると、向い側のスタッフルームに通ずると思しき観音開きの扉が音も無く開く。それはさながら
扉から現れたのは――バンギラス。
(……ほう)
バンギラスを扱うとはなかなか手練れのトレーナーなのかもしれない、とゲンゲは思った。
しかしその内心では負けるとは露とも思っていない。
(バンギラス……確かに強い。だが、そいつは近くのチャンピオンロードにも生息してるんだよ!! 授業の模擬戦闘でも何度も倒した経験がある! 俺の……勝ちだ!)
ゲンゲは腰のベルトから相性のいいポケモンを選択しようとモンスターボールに手を伸ばす。そしてゲンゲが選んだのはへラクロスだった。
ゲンゲがモンスターボールのボタンを押す、その直前。高みから見物していたピカチュウの首から声が漏れた。
『ああ、勘違いしているようだが――』
瞬間、ピリリとした痺れと共に、今まさに開かんとしたモンスターボールが唐突に動作を停止する。
(な、何!?)
『これはポケモンバトルなどではない』
バンギラスは、こちらがポケモンを出すのを待つことなく、猛然とこちらへ飛び込んで来た。
この挙動は、トレーナーが操るポケモンのそれではない。それは、紛う事無き"野生"の闘争。
「う、うわ……」
『これはポケモンと人間の戦いだよ』
そうして、バンギラスの鋭い爪が、凄まじい速度でゲンゲの頭上に振り下ろされた。