ポケットモンスター Reversed 作:アダス・セッシャー
ポケモンとの付き合いに際して……このポケモンと共に生きる世界の住人として、誰もが真っ先に教わることがある。
それは効率の良いモンスターボールの投げ方でも、強いポケモンの育て方でもない。
学校から、親から、或いは村の老人から、まだ幼い子供らが、言い聞かされるように耳にする言葉。
『ポケモンを持たずして草むらに立ち入ること無かれ』
その教えはポケモンと人間の戦力差を如実に表し、人間が空手でポケモンに挑むことの危険度と無謀さを訴えるものである。
そして今――
ゲンゲはその教えを真っ向から破るような破目に陥っていた。
バンギラスの鋭い"切り裂く"がゲンゲに向けて振り下ろされた。
そしてそれをゲンゲが紙一重で避けられたのは、上級なポケモンバトルの訓練で培われた反射神経のお蔭と言えるだろう。
ゲンゲは数歩のバックステップで壁際まで素早く引き下がった。顔は冷や汗に塗れ、今にも吐いてしまいそうな様相だ。ゲンゲは顔の見えない首謀者に猛抗議をしたいところだったが、もはやそんな暇は失われた。
「ぐっ……!」
攻撃を外されたバンギラスは、ギロリとゲンゲを睨みつけるとドスドスとゲンゲの方へ向かってくる。
その動きを見て、ゲンゲは一つ思う処があった。
――訓練のヤツより動きが……鈍い? ……もしや……低レベル?
思えば、このバンギラスの一挙一動は、とても躾けられたようには思えないように見える。ここまで思い到って、ゲンゲは確信に到った。
――こいつは……
ゲンゲは記憶の引き出しから、遠い昔の、薄れかかった野生のポケモンに関する教示を引っ張り出した。
曰く、野生のポケモンでは縄張り争いや自己防衛などに伴って、極稀に通常より早い
おそらくは、このバンギラスはそれなのだろう。
どうにか対応が追いつくことに安堵したゲンゲは、バンギラスの裏をかくための"戦闘"を開始する。
バンギラスの後ろに着くべく、ゲンゲはくるりと脇下を潜って回り込むように動く。
しかし、いくら普通より鈍いバンギラスと言えど、ポケモンの動体視力からすれば、それは全く持って遅い動作だった。
バンギラスをゲンゲの方向に振り向くように頭を動かすと同時に、大きく口を開ける。するとその残忍な牙は赤々と輝きだし、ゲンゲが熱を感じる間もなくそれがぼっと発火する。
「ほっ……ほのっ……」
言い終わる前にゲンゲの首にそれが飛んでくる。ゲンゲは迫る死に恐怖し、反射的に思いっきり地面に身を屈めると、かろうじてまたその攻撃は空を裂いた。空振りした"炎の牙"は凄まじい咬合力で空を噛み、鋭い音と共にゲンゲの頭上で火花が散る。
『意外にやるじゃないか』
そんな声が外野から飛んでくる。もちろんゲンゲにそれに答える暇は無い。がむしゃらに這って、一センチでもバンギラスから距離を取るべく移動する。
だが――
(……?)
ゲンゲが逃げたにも拘わらず、直ぐにバンギラスが追ってくる様子は無い。
嫌な予感を感じたゲンゲが、バンギラスの様子を確認すると――そこでは静かにバンギラスが佇んでいた。
ただ、先ほどまでと違うのは――煌々と赤く光る部位が牙でなく眼であるという点だった。
瞬間、十秒ほど前までゲンゲが居た場所の床板が爆ぜた。床のリノリウムが抉り貫かれ、コンクリートが砕け散る。
そのままバンギラスはゲンゲを探すことも無く前進し、暴風雨のようにその鋭利な爪を振り回して暴走する。
バンギラスが動くたびに床が、壁が、柱が、建物のどこかが紙細工のように
次の瞬間、バンギラスの"暴れる"によって砕かれた柱の一片が、ゲンゲの方向に凄まじい勢いで飛んでくる。しかし、身体が強張って回避が間に合わない。コンクリの破片が腹部に被弾し、ゲンゲの身体は後方に大きく弾き飛ばされる。
バンギラスに気づかれるという最悪の事態を絶対に避けるため、辛うじて悲鳴だけは飲み込む。
ゴロゴロと床に転がって、何かにぶつかってその身は止まる。痛みに耐えながら見ると、それは解体の際に置かれたと思しき鉄パイプの束だった。
一瞬ゲンゲの頭に"反撃"の二文字が浮かぶ。この惨劇に巻き込まれた理不尽、身に響く激しい痛み、そして今日のあれこれによるストレス、それらがあのポケモンへの復讐を訴えているのだ。
だが、ゲンゲの理性がすぐにそれを否定する。
(ば、馬鹿なことを考えるな……! 死ぬに決まってる……!)
くだらない考えで油断してまた攻撃を喰らってはたまらない。ゲンゲは慌ててバンギラスに意識を戻した。
吹き飛ばされたお蔭で、ゲンゲとバンギラスの距離は当初に比べて格段に開いていた。傍目八目と言うのだろうか、ゲンゲは姿の見えない何かと戦っているバンギラスの様子をさっきより克明に見ることが出来た。
バンギラスの暴走は徐々にその勢いを失いつつあった。"暴れる"という技は燃費のいい物ではない。使えば止まる事が出来ず、そのくせに使い終わると疲れ果ててしまう。トレーナーとして育てる上では、まず使わせる事の無い技だろう。
バンギラスは、外壁を含む厚い壁を大きく引き裂くように破壊すると同時、疲れ果てて倒れ込んだ。ガラガラと崩れる壁の音を聞きながら、倒れたバンギラスと交代するように、ゲンゲは鉄パイプを杖にして立ち上がった。
ゲンゲは倒れたバンギラスを見やる。赤かった眼は今や焦点すら定まっておらず、ふらふらと虚空を眺めている。手足はぴくぴくと動いているが、先ほどまでの覇気は完全に失われていた。
今しがた、バンギラスが壁を引き裂いた事により、ゲンゲにとっては待望だった逃げ道が出来た。通り過ぎるならばバンギラスの側を過ぎる必要があるが、気絶に近い今の状態ならば素早く行けば問題無く通れるだろう。ペンダントを付けたピカチュウも、ただバトルの様子を眺めるだけで動く様子は無い。
ゲンゲは鉄パイプを杖にして、逃げ道に、バンギラスに近づく。
そして、バンギラスの隣で立ち止まった。
今日は、ゲンゲにとっての厄日だった。
もしかすると、いつもの彼ならばさっさと退散を決め込んでいたかもしれない。
しかし今日の彼はと言えば――
ピカチュウの電撃を浴びて倒れ
二人組の不良に絡まれ
そして今、理不尽な攻撃で命の危機に瀕した。
そういった数々の不条理さがゲンゲの中の何かのタガをギリギリと締め付けて締め付けて締め付けて――
倒れ伏したバンギラスを見た時、ついにそれがばちんと弾けて飛んだ。
ゲンゲは持っていた鉄パイプをゆっくりと振り上げると――先ほど自身にそうされたように、バンギラスの頭部に向かって勢いよく振り下ろした。
【●】
メギは瞼を瞑って自分が感電し、気を失うのを覚悟していた。つい先程、男が一人同じようにして電流を受けていた時、それはそう強い威力ではないように見えた。
あれは"十万ボルト"どころか、"電気ショック"ですらない、おおよそ"電磁波"辺りであろうとメギは予測していた。当たり前の話だが、ポケモンが受ければ大した程でもない技でも、人間が受ければ致命傷にだってなりうる。
"電磁波"一つとっても、ポケモンでは麻痺だけで済もうが、人間では気絶に到る攻撃になるのだ。
しかし、メギに向かってその攻撃が放たれるその間際――不意に眼前からピカチュウが消失した。
眼を瞑っていたメギは、そのことに気づくのに数秒だけ遅れる。
いつまで経っても来ない攻撃を不思議に思い、目を開けるとそこには――自分が今腰に付けているものによく似た、黒に金色の意匠が施された"ハイパーボール"が、ころころと地面を転がっていた。
「よし……! 当たったぞ!」
聞き覚えのある男の声。それは先ほどまで一緒になってピカチュウを追っていた、富裕層と思しき男達の声に他ならない。
(……しまった、追いつかれたか……)
メギの眼前で、ハイパーボールが激しく揺れる。中にいるピカチュウが必死に抵抗しているのだ。ぐらぐら揺れるハイパーボールを見て、その中の一部がメギの眼に止まった。
(……これは!)
メギがそれに気づくまで待ってくれていたかのように、気付いた次の瞬間にはハイパーボールはピカチュウの猛攻に耐えかねて、ついにピカチュウを解放した。
「ピカ……!」
ピカチュウは脱出して、ハイパーボールが飛んできた方向に二人の男の姿を確認すると、数の差に屈したのか、再び逃走を開始した。
「あぁっ……! くそっ! 出やがった!」
「馬鹿! もっと上手くやれよ! さっさと追いかけんぞ!」
倒れたままのメギを無視してピカチュウを追いかけようとする男達。メギはその中の一人の足首をむんずと掴んで素早く引っ張った。
バランスを崩して男が転倒する、さっき転んだのとは違う方だ。メギがあえてそうしたのか、二人はさっきと同様に一人が一人を巻き込む形で、絡まり合って地面に叩きつけられた。
「あがぁあぁぁあっ!?」
そしてメギは転んだ男と入れ替わるように立ち上がる。
ぱんぱん、と転がった時に着いた埃を叩いて掃うと、転がった男達を見やる。男達は苦渋の色を見せながら、案の定こちら側を睨みつけていた。
「てめえ……!! 何しやがる!」
男がメギに吼える。
それに対してメギは、唐突とも言え、それでいて男達にとっては核心的と言える一言を呟いた。
「お前ら……もしかしてクロバコーポレーションの人間か?」
男達の顔が怒りの形相から少しだけ焦りの形相へと変化する。
「な……なんでてめえがそんなこと……」
「お前らの仲間の一人が襟元に付けてたカフリンクスのシンボルだよ。すぐには思い出せなかったけれど、これを見て思い出せた……」
メギが先程男が放り投げたハイパーボールを拾い上げる。その表面を薄くなぞると、点字のような指ざわりの箇所が一部あった。そこに光を当てると少しだけ陰影が浮かぶ。四葉のマークの真ん中に意匠化されたモンスターボールが描かれたようなロゴがそこにはあった。
「モンスターボール系列に刻まれる会社のロゴ……目立たないように浮き彫りで処理されてるからどうにも印象が薄かったが、意識して見れば一目瞭然だったな。もっと早く気付くべきだった……そして、だ」
こっそりそのハイパーボールをベルトに付けて横領しつつ、メギは自身が最も疑問に思ったことを躊躇なく尋ねる。
「クロバコーポレーション……エンレイでも一、二を争う大企業の人間が、どうしてこんな辺境でピカチュウなんかを狙う? あんたらほどの組織ならピカチュウくらい簡単に手に入るだろ。一体お前達の真の目的は何なんだ?」
クロバコーポレーション。
カントーにシルフカンパニー、ホウエンにデボンコーポレーションがあるように、ここエンレイにおいてポケモン関係のグッズを生産する最大手の会社がそのクロバコーポレーションだ。
特にモンスターボールの製造に力を入れており、質という観点で最も優れたモンスターボールはクロバコーポレーション製と巷では囁かれる。現に、地元であるここエンレイに身を置くトレーナーの、九十二%のトレーナーはクロバコーポレーション製のモンスターボールを使用していた。
「……ふん」
足首を掴まれた方の男が軽く鼻を鳴らす。その質問に答えることなく、黙って男達は埃を掃って立ち上がった。
「……聞かれたら答えてもらえるとでも思ったのかよ? ああ?」
「ピカチュウももう見失っちまった……お前のせいで探し直しだぜ。俺たちに随分ナメた真似してくれたもんだ、覚悟できてんだろうな……」
静かに怒りを浮かべる男達を前に、メギは頭を掻きながら、アドバイスのつもりで忠告した。
「どうもそっちが抱え込んでる事情は只事じゃなさそうだな……。だが、まあ、お前らみたいなチンピラが担当してるんだ。きっと知られたらヤバい、違法なことなんだろ? もしそうだったらさっさと逃げることをお勧めするぞ。何だかお前ら、見るからに切り捨てられそうな雰囲気してるし……」
「ぶっ殺すぞコラァッ!!」
男達は二人同時にハイパーボールを思いっきり放った。一匹はピジョン、もう一匹はベロリンガだ。
「オラ、ポケモンを出せよ! まあ、待たねえけどなあ!!」
一人がベロリンガを前面に出し、もう一人が素早くピジョンを旋回させて後方に回らせる。綺麗な挟み撃ちの格好だ。
メギはこれに対してポケモンは出さない、と言うより出すポケモンは居ない。もちろんこれに対して自力で対抗する気もさらさら無い。
メギが隣の建物の窓を破って飛び込んでから、どのような道順で逃げるかのルートを考えていると――
唐突に上から声が降って来た。
「待てい!!」
驚いて二人の男が上を見上げる。それを見たメギは、チャンスとばかりにその隙を突いてまっすぐ窓に向かって走り出した。
そして、上から降って来た謎の人間に衝突する。
「ごはあっ!」
「ぐあっ!」
お互いに頭を打って頭の上に星を散らす。メギは全く予想していなかった妨害に対応できず、地面に再び倒れ込んだ。
謎の乱入者はといえば、うずくまって頭を押さえながら、独り言のように呟いていた。
「なんと……真に待たせるべきは謎の二人組で無く少年の方だったか……! 私としたことがうっかりした……」
その男は数秒間うずくまってから、すっくと立ち上がって若干目を潤ませながら男達を指さした。
「大の大人が二人がかりで少年に襲い掛かる……なんという非道だ! これはジムリーダーなどでなく! 警察などでなく! 良識ある一人の人間として! この私が決して許しておけぬ! さあ来るがいい外道共! このポケモン勝負、このローバイが貰い受けた!!」