外典にて原典   作:新宿のバカムスコ

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フランケンシュタインの思念

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安直か。過信か。軽率か。油断か。

〝金〟の陣営にとって、〝黒〟の陣営(ユグドミレニア)の対応はいずれかに当て嵌まり、全てが的を得ているだろう。

ユグドミレニアが〝金〟の陣営と戦う気がなかったのは先の通り、〝黒〟のランサー主従とアーチャー主従の取り決めで決定していた。〝金〟の陣営とは同盟を結ぶ形で接触し、〝赤〟の陣営を殲滅するまでの条件付きの停戦を交わそうとしたのは至極真っ当な対応策と、残る四騎の主従も異論なく了承し、方針とした。確かに三つ巴の泥沼合戦に嵌るよりよっぽど良案であろう。漁夫の利は無論、共倒れを避ける意味でも〝金〟の陣営とは戦う前に接触を図るべきだとユグドミレニアはほぼ総意で思っていた。

 

しかし、ユグドミレニアは戦略を考え過ぎていた。

細かく戦況を見極めようとし、広い視野で物事を捉え過ぎてしまった。

聖杯大戦の〝性質〟と、聖杯戦争の〝現状〟を前提に考え過ぎていたのだ。

 

聖杯大戦は聖杯戦争と似ているようで性質の異なる争いだ。

個々の武力よりも連携、統率力が物を言い、通常ならば勝ち残れないような支援特化のサーヴァントに需要性があり、相性の良い者と組ませる事によって格上の相手を倒す––––––というのがセオリーになっている。一人で戦場を支配できるメジャーな英雄よりも、協力者がいる事で真価を発揮するマイナーな英雄を選ぶのは、大戦を勝ち抜くための方式であるのは間違いない。

 

だがこれには他の実情がある。英霊の触媒が入手しづらい点だ。

冬木の第三次聖杯戦争の折、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアの大掛かりな聖杯奪取劇でばら撒かれた聖杯戦争の情報を元に世界中で行われている亜種聖杯戦争は、まず召喚する英霊に所縁のある聖遺物、触媒を手に入れるところから始まる。

通常の聖杯戦争とて当然そこから始まるのだが、この世界に於いて触媒の入手というのが何よりも厄介なのだ。世界中で行われているとはつまり、世界規模で英霊の触媒を欲していると同義なのは言うまでもないだろう。それによる触媒の散逸、価格の沸騰、果ては聖杯戦争が始まる前に殺し合いが勃発するほどに魔術師たちの間で英霊の触媒は重要且つ重大な価値を持つようになったのだ。

故に取り分け有名な英雄に所縁ある物を手に入れるのは非常に困難であり、今や莫大な資金のみならず幸運という不確定要素すらも必要となっている。魔術協会程の巨大な組織ならば然程苦労はしないだろうが、メアリー・スーの背後にそこまでの後ろ盾があるとは思えない。其処まで大きな存在が誰にも気付かれずに水面下に潜み、強力な英雄の触媒を集めるなど物理的に不可能だろう。

それらを踏まえたうえで考慮すれば、メアリー・スーが如何にしてサーヴァントを揃えていようとも、強力な英霊は多くても二騎が妥当、残りは支援タイプ、あるいは触媒無しで召喚しただけの寄せ集めの可能性すらあり、本格的な戦争はサーヴァントの軍備が整ってから、〝黒〟と〝赤〟のどちらかが〝金〟の陣営と同盟を結んでからの話であると思うのは自然の流れであった。

 

それがユグドミレニアにとっての安直であり、過信であり、軽率であり、油断であったのだろう。

彼らは聖杯大戦の〝性質〟と、聖杯戦争の〝現状〟に目を向けていたが、聖杯戦争の〝根本〟をあらためなかった。戦争であろうが大戦であろうが、その根本が聖杯の奪い合い(・・・・・・・)であることを重視していなかった。

この大戦の優勝賞品た(・・・・・・・・・・)る聖杯をユグドミレニ(・・・・・・・・・・)アが所有していることを(・・・・・・・・・・・)だ。

 

サーヴァントの数が倍以上になっても、ルーラーが現れ出でようとも、結局のところは聖杯の所有者を決める戦いである事に変わりはない。なのに、初めから聖杯を所有しているマスター陣営が存在しているなど、ルール違反同然のアドバンテージだ。

 

……それでもユグドミレニアには余裕があった。

三つの陣営の中では〝黒〟のユグドミレニアが優先的に狙われるのは必然であるが、馬鹿正直に〝金〟の陣営が〝赤〟の陣営と同盟を結ぶのも考えにくい。数十年間も大聖杯を確保していたユグドミレニアが、ナチスドイツを操り人形として利用した一流の詐欺師たる八枚舌のダーニックが、サーヴァント同士の戦いに敗れた保険として強引に(・・・)聖杯を起動させる術を用意していないとも限らない……下手に〝黒〟の英霊七騎を全滅させるのは危険だと警戒するのは当然の備えだろう。だからこそ大聖杯を所有している〝黒〟の陣営に取り入り、同盟を結ぼうと動く事も考えられ、確率はほぼ五分五分だろうと予想していた。加えて首領たるダーニックが〝金〟の陣営と接触さえ出来ればあれよこれよと騙し、騙り尽くして同盟を結ぶ自信があったから、その時間もあるだろうと思っていた。

 

その心の隙は、〝金〟のサーヴァント達によって容易く付け込まれた。

だがそれも仕方なき事。ダーニックも、他のマスターも、誰も責められない。

まさかバーサーカーのみならず、〝金〟の陣営の七騎すべてが単独でも最高水準の能力を誇る英霊、それも聖杯大戦のような団体戦でも支障のない、むしろ協力し合えばより強さが増すだろうサーヴァントがいるなど、〝黒〟のキャスターや〝赤〟のアサシンのような大戦用のサーヴァントのように時間を掛けずとも、速攻で七騎のサーヴァントと戦えるコンディションが整っていると誰が予想できようか。

〝赤〟のアーチャーは〝戦いはまだ序盤〟〝機が熟した時ではない〟と述べていたが、それは〝黒〟と〝赤〟だけの話でしかないのだ。

〝金〟の陣営にとって大聖杯を有する〝黒〟の陣営は真っ先に倒すべき敵であり、安直し、過信し、軽率し、油断している今こそがユグドミレニアを容易く潰せる絶好の機会であり、大聖杯を容易く奪える絶好の機会なのだ。

 

 

 

 

「何が絶好の機会だ。相手の戦略も戦術も至極真っ当ではないか。君がイカレているだけのことを、さも得意げに軍師気取りで喋るのはやめたまえ」

「ひどい言い草っ。でもそうですよね、だってメアリー・スーは頭が悪いのが当然です」

 

逆立った白髪の男に鷹の目で見下されるメアリー・スーも、そうだろうと粛々と肯定する。

そうとしか言えないのだから侮蔑されてもしょうがない。メアリー・スーは力技(・・・・・・・・・・)しか出来ない(・・・・・・)。非才の身であるこのサーヴァントからすればいい気分にはならないだろう。

 

「いやそうでもないか。トンデモ力技(チート)持ってますし」

「何か言ったかね?」

「いえ別に…………ああいえ、やっぱり言います。彼女が聖杯を発見したようです」

 

さて、と軽く準備運動して体を解す。そんな適当にやるなと言いそうになった口を閉じる。何を言っても無意味だと悟ったからだ。

 

「じゃあ行きますか。貴方も来るんですよね? 監視ついでに」

「無論だ––––––––と言いたかったのだが」

 

不意に視線を変えた先はイデアル森林の中。真夜中以前に木々が邪魔で何が起こっているのか見える筈がないのが、彼の鷹の目には見えているとばかりに刺す視線がその先を射抜いている。

その上、こんな複数の叫び声(・・・・・・)が聞こえれば彼処で何かが起こっているのかは想像に難くない。

 

「錯乱したかユグドミレニア……ッ!!」

 

イカレてるのはどうやら他にもいたらしい。

左手に弓を、右手に()を取り出し、標準を絞る。射線の先の地獄を殲滅するために。

 

「これは……いや、番狂わせと言えばいいのか、ちょっとドン引きですね……じゃ、僕はこれで」

アレ(・・)をほっとくつもりか。面白いから、なんてたわけた事を言うか?」

「どうにかするなら彼女の力が余計に必要でしょ? 正にうってつけじゃないですか。それに、いざとなったら我らが王たち(・・・)になんとかして貰えばいいじゃないですか。ああ、まあ、聞き届けてくれるかは貴方の腕しだいですよ」

 

咎める男を置き去りにミレニア城塞へと歩むメアリー・スー。

 

「では僕の仕事が終わるまでここは任せますよ〝金〟のアーチャー」

「そうか…………地獄へ落ちろマスター」

「いやぁ、僕の場合天国でも地獄でもないところだと思いますよ?」

 

〝金〟のアーチャーはその背中を苦々しく見送る。

あの男を放置するのは危険だが、それでもアレを放置するのはアーチャーには出来なかった。

 

せめてこれ以上、あの男の言う危険な事(おもしろいこと)が起こらないようにと願うばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

 

 

 

 

 

頑強かつ堅固。強大にして巨大。トゥリファスという街を半分も占めているミレニア城塞はまさにそう呼ぶに相応しいだろう。

占領している広さは陣地の広さ。何処から奇襲を仕掛けてこようともトゥリファスで決戦が行われる限り、領土を味方に付けているユグドミレニアは防衛戦で有利に立っている。街には至る所に侵入者を感知する結界トラップが張り巡らされ、上空ではゴーレムが目視出来ない高さから常に地上を監視している。絶対に街に入れないのではなく、絶対に誰が来るのかを分かるようにしている采配は、サーヴァント戦の効率化を測ったものだ。無駄にホムンクルスとゴーレムを増員してもサーヴァントが相手では足止めが限度、〝金〟の陣営が現れたからと言ってもそれは変わらない。力を注いでいたのは捜索であり、防衛はミレニア城塞を中心にしていた。〝黒〟のライダーが愚痴ったように、城内はホムンクルスが溢れるように徘徊し、ゴーレムも其処彼処に配置されている様は、RPGに出てくる魔王の城と言えるものだった。

だがそれは、絶対防御を誇るものではない。

街の一つを支配しても、ミレニア城塞を護る魔術的防御の数々も、ホムンクルスとゴーレムを入れても尚ソレには届かない。

サーヴァントの力が強大というだけの話ではない。相性の問題があるのだ。

侵入者を感知しても、どうにも出来ない(〝金〟のバーサーカー)が相手ではどうしようもなく。

魔術的防御を解除することも、無理矢理破壊することも可能な(〝金〟のキャスター)が相手ではどうしようもなく。

そして、

 

 

「…………………………」

「ぁ……は、ッ」

 

 

まだミレニア城塞城壁上を霧が包んでいた時と同時に、〝黒〟のランサー達が戦い、ミレニア城塞に居る誰もが圧倒的強さを見せつけた〝金〟のバーサーカーに畏怖を抱いていた時と、さらに同時、ユグドミレニア〝本丸〟には魔の手が忍び込んでいた。

誰にも気付かれず影と闇とに身を隠し、這いずる蛇のようにするりと城内に侵入せしめた曲者は、唯一その道筋だけは残したままでいた。

ホムンクルスとゴーレムだ。

だがそれは死骸や残骸になっていたわけではない。

彼等はごく普通の状態のままでいる。城の警護を担い、巡回していた、その途中であろうと思しき状態で止まっていたのだ。

それもただ止まっていただけではない。

石に、なっている。

人造生命を無機物に堕とし、土人形を鉱物へと昇華させていたのだ。警護が厳重だった故にそれなりの数の石像の足跡が残り、その道は〝大聖杯〟へと繋がっていた。

 

「………まさか」

 

大聖杯が収まっている間。そこにいる二人の内の一人が声を出す。

 

「まさか、マスターがサーヴァントも連れずに出て来るとは思いませんでした」

 

美しい女だ。

妖艶な女だ。

人が立ち入れぬ女神の領域にいる女だ。

その肢体は起伏に富んで男を釘付けにし、その髪は美麗で艶やかにそよぎ女を嫉妬に狂わす。

ただ大きな欠点はその顔を眼帯で隠してしまっていることか。片目のみでなく両眼を覆い隠すなんて野暮、野蛮な男が見ればアキレウスに兜を剥がされたペンテシレイアのように、その顔見たさに眼帯を引っ手繰りたくなるものだろう。

 

「可憐な見掛けによらず剛胆ですね。そして戦いぶりも、中々に激しかった」

「……っ、ぅ……ッ」

 

対するもう一人の少女、フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアは満身創痍の状態だった。眼帯を引っ手繰る力もなければ、返事をする力すらもないのだと一目瞭然。力尽きて倒れ伏している。元々立つことの出来ない足の代わりを果たす最高の武器である礼装、接続強化型魔術礼装(ブロンズリンク・マニュピュレーター)廃品(スクラップ)にさせられた様はさながら羽根を毟り取られた鳥。否、サーヴァントの視点で見れば羽虫と表現するのが適当かもしれない。

この女は少女の勇ましさについ見惚れてしまい、遊び感覚に浸りながら戯れていたのだから。

 

「傍に居なくとも、令呪で転移させればいいと思ったわけですか? そこそこ(・・・・)サーヴァントを相手に出来る貴女なら令呪を使う間もなく殺される可能性が低いのは確かですが……」

 

語り掛けながら近づく気配をフィオレは感じていたが、そんなのは何の役にも立たない。ただ首切り台に乗せられる死刑囚の気分を味わうのみだった。

 

「さぞ誤算だったでしょうね。令呪を無効化されるな(・・・・・・・・・・)んて(・・)

 

フィオレの力無く地に着いた手甲に刻まれている令呪は、三画ある内の一つが色を失いくすんでいる。

このサーヴァントと対峙した時にフィオレは躊躇なく令呪を行使した。膨大な魔力が消費される感覚は間違いなく切り札を使ったと認識していたが、結果は本当にただ消費しただけで終わってしまったのだ。あまりの事態にサーヴァントの前で無防備になってしまった彼女は、自身の礼装の自動防御が発動しなければ即死していただろう。

その後はなし崩しにされるがまま、一方的な展開が繰り広げられただけだ。奇跡は起こらず絶望的な力量差を痛みでもって体験する羽目になった。

だがそれでも人間にしてはかなりもった方であると称賛に当たる奮闘ぶりだった。少女の身なれどその才覚は赤と黒を含めるマスター中最強であろう魔術師ダーニックを超えうるものに恥じぬ抵抗を見せつけた。ユグドミレニア次期当主は伊達ではなかった。

 

「貴女はよく戦いました。その微笑ましい努力に敬意を表して血を吸う(・・・・)だけで見逃しても良いのですが……マスターである以上、そういうわけにもいきません」

 

ジャラジャラと響く金属特有の擦れる音は鎖から発せられるもの。

止めはその先に付いている釘のような短剣で、心臓を狙う。

 

「せめて苦しまず、楽に殺してあげましょう」

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

 

フィオレが大聖杯のある場へと赴いたのは敵を感知したからではない。

 

 

第三の陣営、〝金〟のサーヴァントが登場したのはどういった要因によるものか、ダーニックが手ずから大聖杯を念入りに調べたが、結局何もわからなかった。

既に尋常な事態ではないと槍と弓の主従は分かったつもりでいたが、まさか〝金〟の陣営は大聖杯に高次元の干渉を可能にする手段を持っているのではないかという推測が出てきたのだ。現代の魔術師では観測することが出来ない『なにか』をしている、英霊ともなればそれを可能とする宝具を持っていても不思議ではない。事実、あらゆる分野に精通するアーチャー、ゴーレムに特化しているとはいえ『カバラ』という一つの魔術基盤を生み出したキャスターにも調査を依頼したが、何もわからなかった。

だれにも気付かれずに干渉出来るともなれば手の打ちようがなかったが、それでも何もしないわけにもいかず、大聖杯の様子を逐一観察するためホムンクルスとゴーレムを配置し、防人も兼任するように手配した。本来ならフィオレ以外に見せるつもりがなかったダーニックだったが、ことが事だけにそうするしかなかった。

 

そんな事情もあって、フィオレは大聖杯の様子を探る習性ができた。ダーニックに許可を貰い直接大聖杯の元へ行くのを周期的に行っていたのだ。これはフィオレよりもアーチャーが希望したものであるが、ユグドミレニアの中で一番に〝金〟の陣営を警戒している彼にマスターである彼女も感化されたのだろう……アーチャーが城壁上に待機していた時も大聖杯の様子を見に行っていたのだ。

 

それで気付いたのは侵入者の存在。

ホムンクルスとゴーレムが石にされているのを見て直ぐに敵の侵入と、それらが大聖杯へ続いていると直感したフィオレはアーチャーに念話をしても繋がらずにいたが、それでも大聖杯の元へ急行した。大聖杯に何かされたらこと。いざとなれば令呪を使えばいいと即断で決め、辿り着いた場所には案の定サーヴァントと思しき女性がいて––––––––––––目論みが外れてフィオレは地に這い蹲っている。

英霊と相対して甘く見るなんてことはしなかったが、想像力が足りなかったのはご覧の有様だろう。令呪を無効化されるなど思ってもみなかった。

 

もはや打つ手なし。逃げることはできない、助けを呼ぶこともできない。

一人で来たのが間違いだったのか、先走った行動だったことは否めないが、侵入者の存在はダーニックも、恐らくはキャスターも把握している筈なのに、応援も何も来る様子がないというのはどういう事なのか。

別の事態に追われているのか、それとも目視以外には完全な気配遮断を可能とする術をこのサーヴァントは持っているのか。

アーチャーはどうなったのだろう?

あらためてサーヴァントとの経路(パス)を確かめ念話を試みるも、声は届かず、聞こえもしない。確かに繋がっている筈なのに、まるで見えない壁に阻まれているかのよう。まだ敵と戦っているのか。

 

疲労と痛みで殆ど開かない瞼の細い視界にサーヴァントの足が入る。

歪な成り形をした鎖付き釘剣の金属音が妙に大きく聞こえるのに、何処か遠くで鳴り響いているような、耳に膜が張り付いて聞こえづらくなっているのを感じる。眠気が襲い掛かる。

〝死ぬ〟というのを確信しているフィオレだったが、そこに恐怖はなかった。無念も、屈辱もない。聖杯戦争に参戦した際、我が命運は自身のサーヴァントに託したから当然ともいえるが、生憎と実際に死と直面している彼女には魔術師の在り方云々は思考になかった。フィオレは〝魔術〟の才能がなみはずれているだけで、〝魔術師〟の才能は無かったのだ。

故にフィオレの裡にあったのは、〝人間〟としての感情だった。魔術師らしからぬ人間性を有していた彼女は、死の淵に立たされた際ソレが浮き彫りとなった。死への諦念がフィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアを人間に戻したのだ。

 

 

そして(ソレ)は、あの()のことを明確に思い出すきっかけになった。

 

 

「あ–––––ぁあ、ああぁああああぁっ」

 

涙が溢れた。涙腺が決壊し、一粒ひと粒大きな雫がみっともなく零れ落ちる。

忘れてはいけないものとしてずっと心に留めていたものが頭の中を占め、フィオレをごく普通の少女へと変えていく。長年付けていた仮面が剥がれ落ちる。

 

「…………一瞬で済ませますので、動かないでくださいね?」

 

泣き噦る敵マスターを前にしても、女サーヴァントに躊躇はない。ほんの一瞬動きが止まっただけだ。同情も憐れみも浮かべず、抱くのは速やかに安らぎを与えるべき慈悲のみ。

 

「では」

 

もう死ぬ、秒単位で命が終わる。

自分が死ぬことがわかる。

自分が苦しまず楽に死ねる。

自分が死ぬことを自覚することができる。

前以て覚悟が出来る有り難さ。

この時になって初めて識る、突然に死を押し付けられる理不尽さ。

 

「お逝きなさい」

 

釘剣が振り降りる。それだけで、終われる。

あんな残酷な死に方に比べて、私はなんて贅沢な死に方をするんだろう。

この世には死に方も選べない命があるのに、私は、私は……。

 

「……ごめん、ね」

 

口から出た呟きは誰に向けたものでもない。生きていては届かぬ思い、死ねば届くとも限らぬ懺悔。自慰行為に等しい偽善だ。

ああ、でも、ここで死ぬなら、あの()に謝れるかもしれない。

そんな余計な事を考える程に、フィオレは体のみでなく精神も追い詰められていた。

 

もし仮に、この絶望的な状況から脱せられる奇跡が起こったとしても–––––––––

 

 

 

 

 

「来いっ、バーサーカアアアあああああッッッ!!!!」

 

 

 

 

 

起こったとしても、フィオレは、もう…………。

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

 

「っ!」

 

弾かれるように振り向く女サーヴァントに迫り来る機械仕掛けの戦鎚。

頭をボールに見立てられ、フルスイングすれば血飛沫と共に遥か遠くまで吹き飛ぶ一撃を、そのしなやかな身体を仰け反らせ危なげに躱す。

 

「ナーーーーーーーーオオオオオオォォォォォォォォーーーーー!!!!」

 

避けられた攻撃から無理矢理立て直し連撃。関節が軋む程度では済まない体勢での打撃は、手で地面を弾いての宙返りで又しても避けられる。

だが〝目的〟は達せられた。

サーヴァントを追い払い、姉の元に駆けつけることにカウレスは成功した。

 

「姉ちゃんっ、おい姉ちゃん! しっかりしろ!」

 

カウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニアは声も荒げて呼びかけるもフィオレに反応はない。腫れた目は涙に塗れながら閉じられている。死んではいないが、身体中に傷を負っている。三流の魔術師では到底治癒できない程にだ。

もっと早く来ていれば……自責と後悔の念に押し潰されそうになる。

 

「くっそ!」

 

カウレスが此処に来られた発端は〝金〟のバーサーカーを見たからだ。

圧倒以上の戦闘力を誇るアレは、もはや同じ英霊でもどうにも出来ないバケモノであるのが嫌でも思い知らされた。

アレを見てカウレスは確信したのだ。陥落するのは時間の問(・・・・・・・・・・)題だと(・・・)。ミレニア城塞が、どころではなく、ユグドミレニアそのものが、だ。

カウレスは魔術師としては三流もいいところの腕であり、マスターになるような実力もなければそもそもとして聖杯に託す願いすら持ち合わせていない半端者で未熟者である少年だ。だがその精神性は姉よりも魔術師らしい思考が存在する。このまま黙って見ているだけでは確実に〝黒〟のサーヴァント達は全滅し、〝金〟のバーサーカーが、〝金〟のサーヴァント達が〝黒〟のマスターを殺しに来る。魔術師ならば自らの工房に立て籠もっているのが安全であろうが、藁で出来た盾などアレには意味がない。ならばどうするかなど(・・・・・・・・・・)は考えるまでもない(・・・・・・・・・)

三流のカウレスですら分かることがダーニックに分からないはずがないのに、現在ダーニックは指揮を取ることもなく音信不通で何処で何をしているのか分からないときた。

対策を練っているのならまだ良いが、まさか殺されたのかと最悪の状況を想定し、次に取るべき行動はユグドミレニアNo.2の立場にある姉のフィオレに取り次ぐことであったが、此方も同じく音信不通だった。

嫌な予感がよぎった。

ダーニックの時は感じなかった不安が、フィオレには感じたのは彼自身にもよくわからなかった。百年近くを生きる首魁を心配するだけ無駄だと割り切ったのか、単に姉弟としての贔屓が掻き立てたのか、とにかくカウレスは連絡の取れない姉を探したのだ。

そこからはフィオレとほぼ同じ。最近何処かへ頻繁に出向いているフィオレを何気なく、こっそりと途中までつけていた道程へ行ってみると、石像の道標を発見し、辿った先にいたサーヴァント。そして倒れ伏した姉を見てカウレスは速攻で令呪を発動し〝黒〟のバーサーカーを転移させたのだ。

 

「グゥッ」

「ッ!? バーサーカー!?」

「……ほう」

 

バッと顔を上げればいつの間にかバーサーカーが背を向けながら立ち、腹部には鋭利な突起が飛び出ている。女サーヴァントが持っている釘剣だ。しかも位置から見るにカウレスの頭へと一直線に向かう軌道なのが明らかであった。

 

「狂戦士とは思えない健気さですね、身を挺してマスターを護るなんて。〝黒〟の女性は見た目でものを判断するべきではないようです………いえ、今の貴女は見た目通りでしょうか、バーサーカー」

「ヴウウゥゥ、ヴイィイイィアアアッ!」

 

マスターを直接殺しにきた者の言葉など皮肉以外のなにものでもない。激昂のまま釘剣と女サーヴァントへ続く鎖を力づくで引っ手繰る。武器を持ったままでは此方に身を差し出し、武器を捨てればそのまま此方の有利になる。狂化に侵されながらも理性による思考が可能な〝黒〟のバーサーカーは僅かながらも確かな戦術を構築して戦いに臨んでいる。

だが––––––––

 

「……おっと」

「グ、ウウゥゥッ!?」

 

綱引きならぬ鎖引きはバーサーカーの軍配に上がらなかった。ピンと張る鎖は些かもぶれずに垂直に拮抗している。

カウレスは小さくない動揺を浮かべた。〝黒〟のバーサーカー。フランケンシュタインの怪物は神秘の薄い近代の英霊故に能力不足を補う為の狂化を施され、他のサーヴァントと戦えるレベルになっている。元が弱いサーヴァントとはいえ狂化は強化に違いなく、特に筋力は相応に上がっているはずなのだ。なのにあんな余裕の仕草と様子で、片手だけで(・・・・・)バーサーカーに張り合うなんて––––––––!?

 

「丁度いいですね」

 

女サーヴァントはグィッと鎖を引っ張ると、バーサーカーの身体はいとも簡単に持ち上がり上空へ投げ出された。

 

「なっ–––––––」

「ウゥ!?」

 

それだけでは止まらず、女サーヴァントはもう一本の鎖をバーサーカーへ投げつけるとその身を雁字搦めに巻き付ける。

刺さった鎖と巻きついた鎖を一纏めに摑み、回す(・・)。ブンブン鳴る音が、吹き荒ぶ風が、バーサーカーで発せられる。

鎖付きの釘剣は鉄球(バーサーカー)付きの鎖に、モーニングスターとなって女サーヴァントの手に、矛先はカウレスとフィオレに––––––。

 

「下手に避けないことをお薦めします」

 

死にぞこなってのたうち回りますよ?

眼帯越しでそう言われたのは決して気のせいではない。気のせいだとしても、あんな細腕で想像もつかない怪力を披露されれば妄想は現実に早変わりする。

現実は遠心力を存分に使った質量兵器としてカウレスたちに圧殺を押し付ける。言われた通り、運悪く生き残ってしまったら相応の生の痛みに藻がく羽目になるのだろう。

動かなければ死、動けば苦悶、だが、倒れたフィオレが側にいる限り、カウレスに選択肢はない。動ける時間がなく、暇もない。

 

「ウウウウゥゥゥゥゥリィィィィィィィィィィィィッ!!!!!」

 

そんなカウレスを救えるのは、それは自身の相棒たるバーサーカーだけだ。

怒りの絶叫でありながら、嘆きの悲鳴にも聴こえる高音は雷として実体を伴った。バーサーカーの心臓(・・)が閃光に輝けば落雷に撃たれたように熱と痺れの衝撃が迸っていく。腹に刺さった釘、身体に巻きついた鎖が焼け爛れて崩壊し、その先にいる女サーヴァントへと伝っていく。

 

「ぐ……っ」

 

全身に雷が流れる前に鎖を放棄するも、まるで意思を持ったように追随してきた雷に焼かれる。大きく後退すればそれ以上付いてきはしなかったが、相応の痛手は負ったようだ。

 

「ウ、ウゥ」

 

雷はバーサーカーにも及んだように見えたが、拘束から解放されたバーサーカーは腹以外にダメージらしき傷も何もなかった。

これこそが〝黒〟のバーサーカー・フランケンシュタインの宝具【乙女の貞節(ブライダル・チェスト)】からなる【磔刑の雷樹(ブラステッド・ツリー)】である。

その能力は一言で言ってしまえば自爆宝具。命と引き換えに絶大な威力を齎す典型的な特攻攻撃だが、使い勝手に関しては英霊の宝具の中でも扱いやすい部類に入る。まず、リミッターの調整によって命を支払わずとも発動できる。その分威力が格段に下がるのは当然だが、今のように鎖だけを破壊する分には充分であり、バーサーカーのスキル『ガルバニズム』によって電流を魔力に変換して自身へのダメージを軽微にすることも容易になる。

更に言えば、この宝具の雷はただの雷ではなく、フランケンシュタインの意思が介在する力だ。鎖のみに攻撃を、逃げる敵に追撃を正確で精密に仕掛けることが可能な操作性を有しているのだ。

 

「厄介な得物をお持ちですね」

 

腕と手首を曲げ、痺れを払う素振りで調子を確かめる女サーヴァント。不能というほどの痛手ではないものの釘剣を喪った損害は大きい。あの細腕からの剛力が脅威なのは変わらないが、バーサーカーの電撃を駆使すれば間接的に封じられるだろう。

通常戦闘では有利になった。となれば–––––別の武器がなければ–––––相手の手法は自ずと限られる。

 

「……此処からあいつを追い出すぞバーサーカー。宝具を解放できるようにしておけ」

「ウウッ、ウウウ」

 

ぶんぶんと首を振って否定のニュアンスをするバーサーカー。

それはそうだ。敵が大聖杯を発見した以上、此処を離れるということは大聖杯を放棄する事になる。切なる願いを秘めているフランケンシュタインは是が非でもあの女サーヴァントを斃し、大聖杯を死守したいのだろう。

 

「お前の気持ちは分かる、でも聖杯がある場所で戦うのは不味い。聖杯が壊れちまったら、お前だって困るだろう」

「ウウィッ」

 

納得させようとするカウレスだがバーサーカーは尚も首を振る。

相手の武器が無くなった以上、宝具を使ってくる可能性が高いが、聖杯が壊れたら困るのは自分だけでなく相手も同じなのだ。だったらむしろ此処で戦った方がいいに決まってる。フランケンシュタインの宝具は対軍宝具に位置するも精密性は的確。あの女サーヴァントのもつ宝具のカテゴリーが何か、複数の宝具を持っているのかも分からない。ならば此処で戦えば少なくとも対軍宝具以上の宝具を使う事はない。俄然こちらの方が有利なのは明白だ。

 

「確かにこのまま戦えば、多分お前は勝てる。けど向こうも宝具を使われたらどうなるかは分からないだろ?」

「ウウッ!! ウウゥゥ!!」

 

だから宝具(それ)は此処で戦えば封じられるだろうッと、それを察しないマスターとそれをちゃんと伝えられない自分のもどかしさに苛立って声を荒げるも、カウレスは冷静だった。

 

「いや……いや、違うんだバーサーカー。〝金〟の陣営(あいつら)をただの敵だと思っちゃダメだ。此処へ来たのは、聖杯を壊す為(・・・・・・)かもしれないんだ」

 

その言葉はバーサーカーを沈黙させるに足る突拍子の無さがあった。

何を言っているのか、まるで意味が分からない。

それは発言者のカウレスも同じだった。口に出した言葉に自信が持てずに顔を顰めてすらいた。

 

「悪い、俺もなんて言ったらいいか……その、つまり」

「訳のわからない連中は、訳の分からない事を仕出かすかも、と言いたいのですか? バーサーカーのマスター」

 

ギョッと体が震えるのを抑えながら会話に乱入してきた女サーヴァントを見つめる。念話を用いない会話だったが、まさか口を挟んでくるとは思わなかった。

 

「直感、それとも推論ですか? いずれにしろ鋭いですね。そして正しい認識です」

「…………じゃあなにか、アンタは本当に聖杯を壊そうって腹なのか?」

 

自分で言っておいてなんだが、直接聞いても信じられるものではないとカウレスは耳を疑ってしまう。

ああ言ったのは直感か推論かで言えば前者に当たる。〝金〟の陣営についてカウレスは〝黒〟のアーチャー(ケイローン)と似た違和感を覚えていた。それ故の恐怖心と危機感はアーチャーに次いで高かったといえる。他の魔術師(マスター)はカウレスと違いなまじ優秀な分そういった感情が薄かったようにもみえ、〝金〟の陣営の登場に戸惑いはしたものの、その後は冷静に事態を飲み込み受け入れていた(・・・・・・・)。サーヴァントも同様といえた。

尤もそれだけかといわれればそれだけしかなく、それ以上の推測も推論も推理も組み立てられず、説明のつけられない疑念しか持てなかった。アーチャーと共同で捜索した魂食いについてもそこからなにを導き出すべきなのかが不透明だった。

〝金〟の陣営(メアリー・スー)への不安をどう言葉にしていいのか分からない、カウレスが分かっているのはそれだけだ。奴等の行動は合理・不合理、利益・不利益、そういったものが欠落しているように思えるのだ。そうだと断言できないのは、若輩故の常識に囚われているからだろう。「聖杯を壊す」を想定しながら信じられないのもそう、英霊は無条件で魔術師に従うわけではない。生前果たせなかった願い、無念を奇跡の杯でしか果たせない其れ等を勝ち取りたいが故に召喚に応じるのだ。常識的に考えて(・・・・・・・)、間違っても聖杯を壊す為に現界する英霊などいる筈がない。

 

「我々は聖杯を壊すか否かを見極める必要がありました。使うかどうか以前に、冬木の大聖杯がいかなる状態なのか…………本当に汚染されていないのかどうかは是が非でも確かめる必要があるというのは全員一致の結論でしたので」

「……?」

 

––––––––汚染?

なにを言っているんだ、このサーヴァントは?

カウレスの訝しげな反応に、フムと呟き頷く女サーヴァント。

 

 

「貴方のその反応。そして私の目で見た限りの大聖杯の状態からして……なるほどマスターの言う通り、第三次聖杯戦争でアインツベルンが召喚したサーヴァントはアンリマユではなく天草四郎時貞だというのは真実味を帯びますね」

「…………ぇ?」

 

 

埒外で、聞き逃せない単語が出てきてカウレスは間抜け面も顕に混乱した。

 

 

第三次聖杯戦争、アインツベルン、アンリマユ、天草四郎時貞––––––––?

 

 

「ま、待て、アンタなに言ってるんだっ?」

「残念ですが貴方に話すことはもうありません。また誰か乱入してきたら面倒ですので、もう終わらせましょう」

 

そう言って女サーヴァントは目を覆う眼帯に手をやり取り外そうとする。

バーサーカー主従に怖気が走った。

見たときから疑問に思っていた、自ら視界を封じるという愚挙。しかしサーヴァントなら予想は容易につく。あまりに分かりやすい枷をするその理由(ワケ)が、しなければいけないもの(・・・・・・・・・・・)の類とすれば、力を抑える為(・・・・・・)とすれば、間違いなく宝具発動を意味している––––––!

 

「ウアアアア"ア"ァアアーーーーーーッッ!!!」

 

妙な真似(こと)をする前に殺す。

磔刑の雷樹(ブラステッド・ツリー)】の雷光が再び輝く時、女サーヴァントは黒炭の躯になって英霊の座へ帰還する羽目になるだろう。

飛び掛りながら宝具を振り下ろすのと、眼帯を取ったのはほぼ同じ。

それだけで決着がついた(・・・・・・・・・・・)

 

「バーサーカー?!」

 

千切(もが)れた天使のように墜落した己のサーヴァントにカウレスは瞠目した。地上に堕とされピクリとも動こないその姿はまるで生の気配を感じない。マスターとしての経路(パス)に異常がみられたのではなく、バーサーカーの姿が、徐々に……石に、変わっていっている。

 

「知っていますか? 真の英雄ともなれば、武具など使わなくても目だけで殺せるらしいですよ?」

 

女サーヴァントの目が露わになる。その面貌は思った通りの美貌で、想像以上の衝撃が全身を縛り上げる。端整な顔立ちの美女は此れ迄でも何人か見たことはある。姉のフィオレ、ライダーのマスターのセレニケ・アイスコル・ユグドミレニア、そしてライダーとバーサーカー、ホムンクルスといった人外の美を持った者も見てきた。

しかしあのサーヴァントは違う。彼女らを超える美しさという話ではない、在り方(ほんしつ)が違うのだ。例えばそれは名を呼ばれただけで我を忘れるとか、名を呼ばれただけで名誉に体を震わせるといった究極の立ち位置に在籍しているのがこのサーヴァント。時として道理、倫理を踏み躙る魔術師すらも只人に戻す女神(・・)の魔性。

そして、見たものを石に変える魔眼といえばあまりに有名な––––––––––

 

「まあ、私は英雄とは程遠い魔物。本当かどうか分かったものではありませんが」

「––––––ッ、あああああああああっ!?」

 

足の爪先から自分が石になっているのが見えた。痛みではなく恐怖がカウレスを襲う。人から石に変質していく未知の体感に絶叫する。

通路にあった石像、バーサーカーの惨状で、あのサーヴァントの真名に当たりをつけた瞬間目を閉じたが何の意味もなかった。

 

「ねえ、ちゃんっ」

 

抱えていたフィオレを咄嗟に投げ飛ばしたが、姉に変化は何もない。

意識がないからとっくに目が塞がっていたのが幸いしたのか分からないがこのままではどっちみち殺される。いや、石になるのが死ぬことなのかどうかも分からない。

どうすればいい、どうすればいい、どうすればいいッ!

自問自答が何回も高速で廻り廻る。

死ぬ直前特有の思考の多忙化、目まぐるしく飛び交う行動の取捨選択。

どうすればいいだなんて…………もうどうしようもない。人が英霊に敵うわけがない。

だったら(・・・・)やることなんて決まっ(・・・・・・・・・・)ている(・・・)

そのための令呪を、全身が石化する前に声を出す。

自身の使う魔術はなんの役にも立たないなら、一時の奇跡を行使するのは当然の選択だ。

 

「令呪に、告げ」

「させませんよ」

「グ!? ぇ––––ッ」

 

一瞬でカウレスに近づき、その首に手をやる。ぎちぎちと喉を圧迫され呼吸が困難になるが、それ以前に首を折られるだろう。後は命令するだけなのに、声を出すのがこれ程痛みを伴うものだなんて。

視界が白黒点滅して意識が遠ざかる。このまま眠った方が楽だろう、首を折られるよりそっちの方が苦しくない。

しかし生憎とカウレスにその気はなかった。ここで死ねば次は(・・・・・・・・)フィオレが死ぬ番だ(・・・・・・・・・)。ならば息が出来なかろうと、首を折られようとも、令呪は絶対に行使しなければならない。気力を振り絞り、血を吐きかけても声を出そうと藻がき足掻く。

 

「……、…………これは……」

 

よく聞き取れない耳に不可解な声が聴こえる。

するとどういう訳か女サーヴァントの手の力が弱まっていく。まだ残っている肌越しに痙攣しているのが分かり、とうとう呼吸はおろか声を出すこともできる位に弱まっていった。

 

「は–––––––はっ、はっはッ」

 

息を整える。理由は不明だが、千載一遇の好機にカウレスは令呪に告げる。

 

「バーサーカー! フィオレ・フォルヴェッジを連れてアーチャーの元へ行けッ!」

「な……」

 

石化に抗うように光り輝く二つの令呪が色を失っていき、バーサーカーに送信される。

二画を使った令呪は対魔力Aランクを持つ英霊でも逆らえない強制力。フランケンシュタインを起動させるのに余りある魔力が溢れ返った。

石の皮を剥がしながらバーサーカーは命令を遂行する。敵を無視し、マスターをも無視し、その最期(・・)の願いを叶えるべくフィオレを抱えてこの場から迅速に去っていく。

止まらず、振り返らず、逆らえず、カウレスの顔すら見れないままフランケンシュタインは逃がされる(・・・・・)

 

「ギ、ギギ、ギアアアアァアアアアァァァーーーッ!!!!」

 

絹を裂くような叫びが尾を引いて消えていく。怒りとも嘆きともつかない声。でも今は、どっちもある声だというのがカウレスには分かった。当然か、自分はいま彼女を裏切ってしまったのだから。

謝る間もなく去っていった相棒に、その資格もないのに寂寥感が湧く。令呪が消えて、バーサーカーとの繋がりが無くなったのがとても悲しく、ああ終わったと、思い通りにことを運びながら諦めの境地に達したのがなんとも可笑しいと思った。

 

「……驚いた。令呪をそんな風に使うだなんて」

 

可笑しいといえばこのサーヴァントもそうだ。バーサーカーを追う素振りがなく、魔眼で見ることもしなかった。石化の効果は令呪で守られている可能性もあったが、それならあの怪力を使って止めることも出来たはずなのに、なぜしなかったのか。

 

「……アンタこそ、なんでバーサーカーを見逃した?」

「あまりに不可解でしたから。自分を助けろではなく、他のマスターを助けろなんて自己犠牲–––––––まるで正義の味方ですね」

 

下半身は既にに石になって段々と上半身に侵攻しているのに呑気に会話なんてするのは、あらゆる感覚が麻痺を通り越して〝無〟になっているからか。石になる前に、敵とかサーヴァントとか関係なく人間の行動をなんでもいいからしたかったのかもしれない。

だから、〝正義の味方〟なんて奇妙な例えに自嘲めいた笑みを浮かべた。

 

「そんな大層なもんじゃない。それが俺の役目だからだ」

「…………なるほど。確かに彼女は素晴らしい才能の持ち主でした。魔術刻印を存続させる点でも生き残らせなければならない程––––––」

「違う」

 

強く、はっきりと、カウレスは石化の魔眼を食い破る(・・・・・・・・・・)かの如く睨みつけている(・・・・・・・・・・)

どうせ死ぬなら、殺す相手が忘れられなくなるくらいの啖呵を切ってやらねば割りに合わない。せめてそれだけでも抵抗しなければ、この戦争に参加した意味を少しでも見出さなければ、あまりに犬死にではないか。

 

「俺はあの人の弟だ。だから助けたんだ」

「ですから、より優秀な才を持つ方を生かしたのでしょう?」

「だから違うって言ってんだろ。そんな大層なもんじゃないって」

 

昔の記憶が蘇る。

今よりも幼かった子供の頃、フィオレと共に世話をしたあの犬のことを。

父親が何処からか連れてきた野良犬。降霊術を教える為だけに拾ってきた哀れな実験動物(モルモット)

そんな犬をフィオレはペットとして扱った、愛情をもって世話を尽くした。魔術の実験台として消費されるだけの道具を慈しんだのだ。魔術師として割り切るべき、当然の如く分かっているはずの心構えを彼女は全く分かっていなかった。

その顛末は降霊術の失敗例を見せつけられる教育に使われて終わった。皮膚が捲り上がって痛みに絶叫する犬は、1分後に死んだ。

その時のことを、忘れたことはない。凄惨な肉と骨の塊をではない、吐き気が襲ってくるのをではない、姉の泣きじゃくった顔を、忘れたことはない。

フィオレはその逆(・・・)なのだろう。ずっと心の片隅で気に病んでいたことだったから、ここに着いた時の姉の顔を見て確信した。今もあの犬のこと忘れることなく覚え続けているのは、胸に刻みつけなければいけないものとしているから、魔術師にとって無駄に過ぎる心の贅肉を持ったフィオレは、だからこそ涙を流したのだ。

今になって知る、ずっと人間であった姉。それを否定する気はない。なら、人間の弟のやることなど決まっている。

 

「アンタには分かんないかもしれないけど……弟ってのは、姉の後ろを付いていくものなんだよ」

 

石化が胴体半分以上まで登られながらカウレスは、単純な損得しか測ろうとしない女サーヴァントにきっぱり言い切る。

 

「俺は、あの人が俺の姉ちゃんだから助けたんだ。魔術師だからとか以前の常識で、姉弟なら姉を護るのは当たり前(・・・・・・・・・・)のことなんだよ(・・・・・・・)

 

無能と罵られ、偽善と蔑まれる覚悟はできていた。その前に石になるかもしれないが、そうしたければすればいい。した瞬間に唾を吐きつけて最期まで抵抗してやる気概があった。

 

「…………」

「…………」

 

女サーヴァントは、止まったまま。ただカウレスを見ていただけだ。

動かず、瞬きもせず、ジッとカウレスを見つめている。まるでそっちが石になってしまったかのようだった。

 

「…………………………………………………」

「………………………………………えっと」

 

思いがけぬ変な空気に気まずくなってつい話しかけたが、反応がない。ただただ自分を見てくるだけで……………………見てくるだけで?

あれ、とカウレスは思った。

自分は今このサーヴァントの魔眼を直接、しかもこんな間近で見ているのに。それにしては進行速度が遅いような気がした。というか即効で石にならない方が可笑しいのではないか。

個人差があるのか、抜け道があるのか。それとも、意図的に遅らせているのか?

 

「…………………………魔術師とは」

 

考察を始めようとしたカウレスにやっと声を出した女サーヴァント。クールで艶のある声音は変わったところはないように聞こえる。

 

「数千年の時を重ねても愚行を繰り返す哀れな生き物と思っていましたが」

 

しかし。

 

「存外、貴方のような変わった人もいるのですね」

 

何かが変わった。

さっきまでと何かが決定的に違うと、なぜかカウレスは確信した。

それはまるで、自分のサーヴァント(フランケンシュタイン)みたいな–––––––

 

「わかりました。なら、私も殺り方(・・・)を変えましょう」

 

そっとカウレスの頬に手を添える。細く長い、肌触りのよい10本の指が気持ちよく感じる。もう肌と呼べる部位はそこしかないから余計に掌の温もりを求めているのだ。

 

「貴方は」

 

 

––––––––優しく殺してあげます。

 

 

近かった彼我が更に縮まった。額と鼻と、唇が触れそうになる。鼻腔を擽るのは髪からか、吐息からか、この女サーヴァントその者からか。

唾でも吐きつけてやろうという気概は一瞬で消え失せた。仕草と言葉でここまで男を駄目にするなんて、この女は本当に魔性の女だ。

しかし、それ以上に眼を離すことが出来ない。吸い込まれるようだとはよく言ったもの。こんなに美しい魔眼があるのか。まるで宝石(アメジスト)のようだ。

 

「ぁ……」

 

甘い香りが、痺れる脳とは裏腹に心地よい微睡みを催促する。

体の感覚はとうに無くなったはずなのに、血が急に滾ってきたのは気の所為なのか、全身が熱くなっていくのを感じる。

こんなに穏やかな気持ちになったのは久方ぶりだ。ここ数ヶ月は聖杯戦争に関して根を詰めすぎて気を緩めることも出来ない生活が続き、癒しが欠乏していた。

だからこそ、此処(・・)はそんなの気にせずにゆっくり過ごせる場所なのだろう。

 

 

 

–––––––––我が神殿へようこそ。歓迎致します、勇者さま。

 

 

 

理想郷が、目の前に広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 


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