時間を少し遡る。
翌日の朝は忙しかった。エレオノーラが言っていた戦の件が昨日の段階で知らされたのだろう。外から忙しい賑わいが聞こえた。監禁部屋にいるエミヤが忙しくなることはなかったが、彼も今回の戦に参加する。そう昨日彼女に言ってしまったからだ。
「戦、か……」
だが、後悔はしていない。直接目で見ることで分かることもある。それに外へ出る機会を儲けたのだ。これを利用しない手はない。隙を見て逃げたすことだって難しくない。
『そう言うやつに限ってそんなことはしない』
昨日のことを少し思い出した。あの時、エレオノーラはどんな思いであんなことをいったのだろう。
そう言えば昨日もあの時と同じ頭痛が生じた。あれは何だったのか。だが、心当たりがない以上考えても仕方がない。
(何にせよ考えるべき事は今後どうするかだ)
そう、今後の事。今日は外へ出る機会がある。この城から離れる機会は探りさえすればいくらだってある。今回はその中でも楽に済ませる事ができるのだ。だが、ここに残る手だってある。そうすれば、今は乏しい情報を集めることも簡単で、身寄りの心配もいらない。
(後者の方が利益が大きい……だが)
だが、良いことだけではない。城に残れば間違いなく戦場へ連れていかれるだろう。
彼女がエミヤを取り込もうとするのは、彼の戦闘力が長けているからだ。そうでなければ、こうも言い寄って来る筈がない。不要な殺しは気が進まない。それが彼の心情だった。
後々のことを考慮すれば前者の方が彼にとって大きな利益になる。
「何を今更。……ここを出ることを一番に考えていたと言うのに」
昨日の一件のせいなのか。どちらを選ぶか考える自分がいて馬鹿らしく思えた。
しかしどちらを選ぶにせよ、エレオノーラの誘いを受けてしまったのだ。彼女との約束は果たそう。
昨日と同じ、何の前触れもなしに扉が開かれた。そちらを向かなくとも、誰が入ってきたかくらい容易に分かる。
「少しは弁えてというのを覚えましたか?」
リムだ。余談だが、リムは愛称で本名はリムアリーシャと言うらしい。昨日、侍女のやり取りを耳にした時に知った。今後、彼女とやり取りをすることがあるかもしれない。その時は本名で呼ばなくては。
リムアリーシャは相変わらずの仏頂面だ。彼女は気に止めないだろうが、そんな顔つきで振る舞っていては周りの評判も落ちるだろうに。
「不快です。何を考えていましたか?」
「いや、何も。それより何の用件でこをんな場所に?」
聞かずとも察しはつくのだが、まずはこれを言っておくのが無難だ。
前にあった通り、自分の調子で話を進めてしまうと彼女の気に触れてしまう。口は災いの元だ。
「お察しの通りです」
素っ気ない対応をすると、彼女は何も言わずに出ていった。何も言わずについてこいと言う意味なのだろう。
嫌われたものだ。そう思いながらも口にはせず、エミヤも部屋を出た。
これも余談だが、昨日彼が部屋に戻ると壊れていたベットが直されていた。誰かは知らないが、優しい心を持った誰かに彼はとても感謝した。
◆
リムアリーシャに連れられて来た場所は昨日と同じ部屋だった。そこは執務室と言うらしい。彼女には別件があるらしく扉の前まで案内し終えると何処かへ行ってしまった。
一人残されたエミヤは扉と向き合う。
「一番忙しいのは彼女だろうに。何故私を呼ぶか……」
是非ともエレオノーラの頭の中身を知りたいところだが無理だろう。何度か接触したから分かったが、彼女には考えるよりも先に行動する傾向がある。そんな人間に事を追求するのは無理な話だ。
目の前の扉と向き合い、二本指で三回叩く。すると、部屋の中から入れと返事が返ってきた。聞き違えることなく、エレオノーラ本人の声だ。
「……失礼する」
扉を開ける。開けて正面に見えるのはやや大きめの机。事務をとるときに使うのだろう。そこに彼女はいない。以前来たときに見た彼女が腰をかけていた窓辺。そこにも彼女はいない。扉を開けて見える場所にエレオノーラの姿はなかった。
行き違いにでもなったかと思いながら、部屋へ足を踏み入れる。エレオノーラは何処に――
「まってた、ぞッ!」
部屋の中を進んで三歩。突然後ろから大きな声がして、背中を押された。不意なことではあるが、体勢を崩すことはなかった。しかし、つい溜め息を出してしまう。エレオノーラはまだ年増もいかない少女。だが、彼女は子供ではない。
後ろを見れば当然、エレオノーラがいた。
「なんで驚かないんだ!」
頬を膨らませて怒鳴る。エレオノーラはご立腹だった。きっと扉の影にでも隠れていたのだろう。
まるで子供だ。いや、エミヤからすれば充分子供なのだが。彼女が時より見せる子供じみた言動は、ただの冗談なのだろうか。
「……これじゃ私がばかみたいじゃないか」
何を今更。
何かぼやいているが特に気にしない。エミヤは適当に突き放す。軽く扱われたエレオノーラは肩を落として項垂れた。
「さて、本題に入ろうか」
一回だけ手を叩いて、エレオノーラは真面目な面立ちになった。
エミヤの横を通ると、最初に見た大きな机を回り込んで椅子に座った。机の上で手を組んで、少女の真剣な眼差しは彼を捉える。
流石は戦姫だ。子供じみた態度はとっても弁えは知っている。
「まずは話す前にこれを見てくれ」
エレオノーラは机の引き出しを開けると四つ織りにされた一枚の紙を取り出した。やや黄ばんだ古い紙だ。彼女はそれを広げるとエミヤに見せるように机に置いた。それは地図だった。
地図を机に広げると、エレオノーラはその一角を指で丸くなぞる。そこは何もない場所だ。
「ディナント平原。偵察の知らせによると敵はここへ向かっているらしい。軍でこちらの国へ入る場合、この平原がもっとも進軍しやすいからな。ここを通るのは間違いないだろう」
幸い、地図の表し方はエミヤの知っているものだった。何も知らない彼でも、地図を読むことくらいできる。北側には海、南には背の高い山脈が続いていることが分かった。
この公国が地図の何処にあるのかは分からないが、その平原から近い場所にあるのだろうか。
「そして……」
エレオノーラはディナント平原から西南に離れた場所を指差した。
この地図のどこに何があるかは分からないが、その指差した場所がライトメリッツなのだろうか。
次に、彼女はそこかは横になぞって山脈をさした。
「ここから山脈まではそう時間は必要ない。まずは山脈に近づいて、それからそれに沿ってディナントへ向かう形になる」
エレオノーラは、山脈から最初になぞりで示したディナント平原まで指を進める。すると、今度は山脈の端のところでなぞる指を止めた。そこは平原まで目と鼻の先だ。
「私達は山脈沿いで進んだ後、ここに身を潜める。そして向こうが寝静まった頃合いを見て、一気に側面を突く」
「ふむ」
納得するようにエミヤは頷く。
口を挟まずに説明は聞いた。ようは、奇襲をかけると言うこと。その戦法なら味方の犠牲を少なくすることができる。更に、短時間で勝敗をつけることも難しいことではない。
だが、気になることがある。
「君は敵側が平原で一夜過ごすことを前提としているが、それに根拠はあるのか?」
敵側が平原に到着する前に休息を取るかもしれない。もしかすると休息を取らずに通過してしまうかも。相手がディナント平原を通ることを分かっていたとしても、そこで休息を取ることが確実だとは決して言えないのだ。
「間違いない」
迷いなく即答。
彼女にはそれだけの自信があった。山脈の向こう側を指して、言葉を続けた。
「敵軍は本国から直進して来ている。それに、途中から別の軍も合流するとの報告もあった。合流した軍の指揮を取る必要だってあるんだ。どの道ここで立ち止まることは回避できない」
軍隊の構成や指揮は、エミヤの知り得たことではない。彼女がそう言うのならそれが正しいのだろう。彼はエレオノーラのことをあまり知らないが、彼女が団体絡みに長けているのは分かっている。
群れることに経験のないエミヤにはその点に関して何も言うことができなかった。
「君がそう言うのならそれで正しいのだろう。なら、相手の規模は。おおよその数くらいは分かっているのか?」
口に人指し指を当てて少し間を開けてから、エレオノーラは口を開いた。
「敵軍は合流するものと合わせて、およそ五千といったところだ。それ以上は増えないだろ」
五千の軍勢。確かに、それを統一するためには少なからず時間は必要か。その軍勢は何の為に。果たして、その国は何の為に軍を送ったのか。エレオノーラはその理由を知ってるだろうか。聞けば教えてくれるだろうか。
だが、今は控えよう。
「夜に奇襲をかける。それは分かった。それで、私はどうすればいい?」
聞かずともおよその予測はできる。彼女のことだ。どうせ、そこら辺で見ていろと言われそうではあるが、他に考えがあるかもしれない。何も考えていないことはないだろう。
エレオノーラは少し考えこむと何かを閃いた様でぽんっと手のひらを合わせた。
彼女は何も考えていなかった。
「私の側にいてくれなくては勇姿をみせなれないからな。私について来い。そしたら……」
そこまで話していると、冷ややかな視線を向けているエミヤに気づいた。冷たく突き放す彼の目と会ってしまいつい、話を止めてしまう。内心でやり過ぎたかと彼女は反省した。
苦笑いをしながら頬を掻いて、話を再開する。
「……冗談さ。それくらい分かるだろ? 多目に見てくれ」
「どうだかね。私には割りと本気に聞こえたのだが?」
ははは……と乾いた笑いでエレオノーラはその場を誤魔化そうとする。だが、全く誤魔化せていない。それを目の前で見せられるエミヤは呆れて追求するきになれなかった。
彼女は何もこうなのだろう。彼女の側仕えは苦労しているに違いない。
「……全く。ではもう一度聞くが、私はどこで見ていればいい?」
流石に次は真面目な返答が来るだろう。そうでなければ出ていこう。エミヤは心の内でそう誓う。
「まぁ、安全を考えると私達が潜めるところだろうな。しかし地形は目で見て分かることもあるし、変わるかもな」
そんなところだろうとエミヤは納得する。こらからの事を知り、知りたいことも知れたエミヤには今のところエレオノーラに他に用はない。
暇潰しの為に呼ばれた筈がない。彼女はきっと忙しい中、無理に呼んだのだろう。ならば、ここは退散するとしよう。
「この辺りで失礼させてもらおう。出発前にまた部屋に使いを送ってくれ」
これで終いだと、エレオノーラに背を向けた時だった。エミヤが背中を見せた途端、エレオノーラが机の上を跳躍。机を飛び越えると即座に扉の前に立ちはだかりエミヤの行く手を阻んだ。
まさか厄介事に付き合わされるのかとエミヤは思った。しつこく付きまとわれるのは鬱陶しい。
「もう用は済んだ筈だが?」
用は済んだ。今日必要な情報は粗方だが知ることができた。エミヤが支障を来すことはないだろう。なのに何故、エレオノーラは彼の前に立っているのか。彼にも彼女にも何もない筈だ。
「お前はそうだろうな。まぁ、私も伝えたいことは伝えたのだが」
「なら何故引き止める?」
伝えたい用件も無いのに何故引き止めるのかエミヤには分からない。だがエレオノーラはそんな彼とは対称的にどうしてそんなことを聞くのかとでも言いた気な顔をしたいた。
「何故って……そんなの簡単なことだろ? もう用件がないからさ」
「どう言うことだ?」
言っている意味が理解できない。用件が無いなら引き止める理解はないだろう。
「そのままの意味さ。お前に今日のことを伝え終わったことで私の仕事は終わった。あとは暇なんだ」
暇とは言え、あと数時間も経てば出発だろうに。エレオノーラの思考には、いささか抜けている部分があるようだ。今に知ったことではないが。
「つまりは私に暇潰しの相手になれ。と言いたいのか?」
彼女は大きく頷いてそれを肯定した。
「それでは行くとするか!」
何処へ行くと言うのか。エレオノーラはエミヤに背を向けて扉に手をかけた。
「何処へ行く。それに私はまだ――」
もう一度エレオノーラはエミヤの方を向いて近付く。すると彼の手首を掴んで、再び扉に手をかけた。
掴んだ腕を引きながら、扉を開けてエミヤの方を振り向いく。
「そんなの」
少女の笑みを振り撒いて、楽しそうにこう言った。
「ひま潰しに決まっているだろ!」
エレオノーラに手を引かれ、手を離してくれたのは庭園に出た時だった。彼女の言う暇潰しにエミヤは付き合わされ、そろそろ出発の頃までそれは続いた。特別なことは何もしなかった。ただ、その光景を見た誰かが伝えたのだろう。後からリムアリーシャがもの凄い剣幕でやって来た。
そこから先は言うまでもない。
◆
そして、今に至る。
出発前、兵士の前に立って指揮をとる彼女の姿を見たときは、まるで別人ではないかと驚いた。
暗闇の中、エミヤは身を隠す為にいた場所より少し進んだところにいる。離れた場所に灯る幾つものかがり火と合戦の声、そして、絶えず連続して聞こえる金属の衝突音が彼の五感にたどり着く。あの中に少女が一人混ざっているのかと思うと不思議に思えた。
「確かに、言うだけのことはあったな」
竜の描かれた旗がひるがえる。
引き連れた軍の先頭に立つエレオノーラの実力は、周りと比べ圧倒的だ。目の前の敵を尽く、一撃で斬り伏せている。きっとこれも、彼女が戦姫と呼ばれる由縁なのだろう。
「……」
すぐ側で行われている合戦をエミヤは何も言わず見る。
確か、相手の戦力は五〇〇〇だったか。こちらの五倍の戦力を有する相手が圧されている。次期に勝負がつくだろう。こちらの進撃に相手も黙っていないが、不意を突かれて混乱している状態では、もはや時間の問題だ。
「いつの時代、どの世界でも大して変わりは無いのだな」
時代が違えど、武器が変わろうとも、目の前で行われているのはただの大量殺人だ。それ以上でも以下でもない。ただ呼び方が違い、建て前があるだけで根本的なものには違いが何一つ無いのだ。
それでも彼女等には意味があるのだろう。だが彼にとって、目の前で起きている光景はただの一方的な殺し合いであって、今までに見てきたものと変わりは無かった。この殺し合いを見て、彼が思うことなんて何も無い。
考えるまでもなく、エミヤの答えは初めから決まっていた。なら、何故エレオノーラからの提案を受け入れたのか。
「どうやら、淡い期待をしてしまっていたようだな……」
それは簡単な話。ただ単に期待をしてしまっていたのだ。この世界が自分の知らない世界なのなら、そこで起きる争いにも違いがあるのではないかと。昨日、エレオノーラの前でそれ相応の態度をなどと思っていたが、それこそ建て前だった。
勝利がどちらに傾くにせよ、結果なんて初めから分かっていた筈なのに。勝手に落胆している自分がそこにはいて、つい溜め息をついた。
「……潮時か」
正直、このまま何も言わずに立ち去るというのもありだろう。時期、勝負がつく筈だが相手も案外しぶとい。まだ合戦が始まってからそう長く経っていないが、もう少し時間はかかるだろう。なにせ相手の戦力はこちらよりも格段に上なのだ。体制を立て直されれば苦戦するかもしれん。どのみちエレオノーラの元から去るのなら別れの挨拶は必要じゃない。
「そもそもの話、彼女とは反りが合いそうもなかった」
エレオノーラはこれを知ったら残念がるだろう。別れの挨拶を交わせば、その内探しに来そうだ。何も言わずに去るのがはなり一番か。それに彼女の側にはリムアリーシャがいる。彼女と分かりあえる日は訪れないだろう。
合戦の中、相手側の陣地を見つけた。この場合、離れるなら女達の国よりも向こうの方がいいだろう。
(短い付き合いとなったが、悪くはなかった)
騒がしい向こうと違って、エミヤがいる場所はとても静かだ。それも不自然なくらいに。
もう行くとしよう。目の前の光景から目を剃らして、一歩足を踏み出した。
「何処へいくの?」
そんな彼を誰かが呼び止めた。その声は若い女のものだった。しかしそれはおかしい。ここに残ったのは彼一人。それに、エレオノーラとリムアリーシャを除いてここへきた女性は一人もいない。
呼び掛けに応じて振り替える。しかし、そこには誰もいない。
「……誰かいるのか?」
誰もいない空間に呼び掛ける。エミヤの前にあるのは、深い黒に染まった森。谷底の様に深くて何も見えない森の中に誰かいるのか。だが、人の気配は感じられなかった。
間を開けて、声が返ってくる。それもかなり近いところから。
「ふぅん、やっぱり見えないのか。分かってはいたけど、少し哀しいかな?」
誰もいない。けれど声はそこから聞こえる。なんとも不気味なやり取りだ。相手は幽霊だろか……冗談が過ぎるか。まさかな。
「何処にいる?」
「まぁ予定どうりか。でも、これ以上はだめね」
勝手? なんの話だ。会話のキャッチボールが出来ていない。
姿の見えない女の声は、どことなく嬉しそうに聞こえた。その声の出どころは手を伸ばせば届くようなくらいに近い。だが、どこにもいない。気配すら感じることも敵わない相手に次第と警戒していく。
両手を空にして神経を研ぎ澄ます。
「まるで子供。フフ、哀れみを感じる」
刹那、エミヤの後ろから手が現れて彼の頭を包み込んだ。
「ッ!」
悪寒が全身を駆け巡り、それが恐怖と認識するまで時間がかかった。
気づいた時、彼の視界は闇に包まれていた。
「オーダーよ、哀れな守護者。――二度と勝手に動くな」
甘く泥ついた何かが頭の中を埋め尽くした。
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