あなざー ~もしも夜見山北中学3年3組に「現象」がなかったら~   作:天木武

1 / 32
#01

 

 

「ハァ……」

 

 飾り気のない、無機質な天井を見つめつつ、僕はため息をこぼした。窓の外へと目を移すと麗らかな春の陽気と、それを証明するような暖かそうな日差しが降り注いでいるのが見える。そこでひなたぼっこ、なんてのも面白そうだし、どれだけ気持ちがいいことか。飛び出して行きたい衝動に駆られるが、残念ながらそれは出来ない。

 僕の体には機械から伸びるチューブが繋がれており、今も胸がジンジンと痛む。ここは病院、そして僕は病気を患って入院中の身。今横になっているベッドから離れることが出来ないというのが現状だからだ。

 

 こうなってしまった原因は肺のパンク、病名は自然気胸。要するに肺の一部分が破れ、空気が漏れ出してしまう病気だ。

 実はこれをやるのは今回で2回目。1回目は去年だった。息苦しさを覚えて病院へ行ってこの病気が発覚。入院することになった。

 前回は1週間程度の入院で済んだ。まだ症状が軽かったことが不幸中の幸いだった。とはいえ、あの胸の苦しさはどうも慣れるものじゃなく、嫌な感覚ではある。

 その嫌な感覚を再び体験したのは昨日の夜だった。まずいと思って症状を訴えて病院へ来たが、案の定再発しており、そのまま入院という運びとなった。

 まあ今回も症状は軽く、1週間程度で退院できるという話ではあったものの……。

 

 気がかりな問題はそこと別な部分にある。

 

「恒一ちゃん」

 

 病室の入り口が開き、顔を出したのは祖母だった。でも祖母とは普段から一緒に生活してるわけではない。そもそも僕は東京で暮らしていた。だが、親の都合で数週間前から母方の祖父母の家に預けられているのだ。そこで心機一転、新たな学校に転校するぞ、という矢先に起きたのがこの気胸だった。

 正直、まいった。学年が変わればクラスも変わる、それなら転校生として入ったところで比較的クラスには馴染みやすい時期のはず。そう思っていたが、入院のためにスタートダッシュでいきなりつまずいたことになる。

 元々人と接することは得意な方ではないので、これは少々手痛い事態だった。というか、自然気胸はストレスが原因とも言われているために、新たな環境に馴染めるか、ということを不安に思って再発したんじゃないか、とも思えた。

 

 とにかく、そんな風に余計な気を遣ってしまうのも僕の悪い癖なのかもしれないし、それが原因の可能性もないわけではないが、まあそういう性分なので仕方がない。

 だから今も「無理しないでいいよ」という祖母の手振りを無視して僕は上体を起こしてしまっていた。

 

「ごめんね、おばあちゃん。急にこんなことになっちゃって……」

「何言ってるの。病気なんだから仕方ないの」

 

 そう言って祖母は何やら荷物の入った手提げの紙袋をベッドの側に置いた。

 

「これ、着替えとか持ってきたから」

「ありがとう」

「それにしても難儀だねえ。こっちに来てすぐだってのに……。学校に顔を出すはずだったのにねえ……」

 

 一先ず笑って場を繕う。こういう時に間をもたせるのはどうにも苦手なのだ。

 

「ああ、恒一ちゃん。このことは……」

「あ、父さんには僕から連絡しておくよ。携帯あるから」

「そうかい、それじゃあ任せるね。……しかし、困った奴だねえ、理津子も(・・・・)

 

 父のことが出たからもしやと思っていたが……。ああ、やっぱりその話題になるか、と思わず僕は苦笑を浮かべた。

 

「こんな時にいないなんてねえ。大事な一人息子を私らに預けて、陽介さんと一緒にインドに行っちまう(・・・・・・・・・)んだから」

 

 

 

 

 

 理津子、とは僕の母、榊原理津子のことで、陽介というのはその夫、つまり僕の父に当たる。父は東京の某大学の教授で、詳しくはよくわからないけど研究職をしている。そして母はその助手。

 なんでも、若き講師だった父がまだ学生の母に一目惚れだか熱烈アタックだったか、まあ細かいことは忘れたが、ともかく付き合い始め、結婚したらしい。今でもそうだがまったくとんでもない父親だと改めて思ってしまう。

 そして15年前に母はこの地で僕を生んだ。実家の方が気が休まるし精神的にもいいから、ということだったらしい。その後僕がここに来たのは何度かあった気がするが、最も近いのは確か1年半前。2人とも都合がついたから、ということで母の帰省として一緒に来ていた。

 そんな母だが、父とは非常に仲が良く、大学でもおしどりの教授と助手で通っているらしい。いや、それはいいんだが、家庭を顧みずに研究に打ち込む父と母は親の姿としてはどうなのだろう、と時折思わざるを得ないこともないわけではない。

 

 とはいえ、そんな仲が良く、やりたいことをやれている2人の邪魔にならないようにしたい、というのは小さい頃から僕の心の中にはあった。だから前の学校では自分の食事は自分で作れるように料理研究部に所属していた。まあ両親へのあてつけの意味を込めて、の一面もあるが。

 ところが父はそれに一向に気づく様子はないし、母は母で気づいてはいるようだが僕がしっかりしているからという理由から、ますます研究に没頭していくのだった。でも僕のことで手間がかからずに済むならそれに越したことはないし、2人ともやりたいことがやれているのだからまあいいかとも思う。このことでどうこう言うつもりもなく、別に気にしないようになっていた。

 

 そんな中で父のインドへの長期出張が決まった。無論これまでの流れなら母はついていくと言うだろうが、間が悪いことに、僕は少し前に1度目の自然気胸を患ったばかりだった。

 その時に母に父についていくように言ったのは、他ならぬ僕だった。やはり両親の邪魔はしたくない、その思いからだった。結局悩みに悩んだ末、母は僕の提案を受け入れたのだった。

 

 その一方で、祖母はそれをあまりよく思ってはいないようだった。賛成はしかねるようだったが、それでも両親は無事インドへと旅立ち、僕も新たな環境で頑張ろうとしていた。その矢先の今回の2度目の発症。なんてことをしてくれたんだ、とこの胸に言い聞かせてやりたい。祖母としては「それ見たことか」と言いたい様子はあった。が、連絡手段が僕の携帯ぐらいしかなくて言いたくても言えない、というのは不幸中の幸いだろう。

 

 そんなことをぼんやり考えていると病室の入り口が開いた。現れたのはこの数日間で話す機会が多くなってきた看護婦の水野沙苗さんだ。

 

「あら、ホラー少年。今日は読書はお休み?」

 

 ホラー少年、というのは水野さんが僕に勝手につけたあだ名だ。確かに好きか嫌いかと聞かれればホラーは好きな部類に入るが、たまたま僕の荷物の中で目に付くところにあったのだろう、入院が決まった時に祖母が持ってきた荷物から出てきたのがホラー小説だったのだ。かつて読んだものではあったが、暇を持て余すよりはマシかと思って読んでいたときに水野さんがそれを目撃したことでこのあだ名をつけられる羽目になったのだった。

 彼女曰く、「病院なんていかにも(・・・・)な環境でホラーというジャンルを選択するのは、物好き、特に怖い物好き以外ありえない」らしい。そりゃあ確かに病院といえば心霊スポット、とかよく言われることもあるかもしれないが、別に僕はそんなことを気にしていない。そんなオカルトはありえない、と思っている。そして思っているからこそ、ホラーというジャンルを楽しめて読めるのではないかとも思う。

 

「ええ、まあ。ちょっと考えごとを」

「へえー。昔読んだホラー小説のことでも思い出してた?」

 

 実は水野さん、相当のホラー小説好きらしい。あれが面白いだのこれが面白いだの、個人的に貸してあげようかなんて話までされる。だから僕はそんなに好きなわけじゃありませんって。

 

「人をホラー小説ばっかり読んでるみたいに言わないでください。あれはたまたまですって」

「たまたまでラヴクラフトとか選ぶ? もし本当にたまたまだとしたら、素質あると思うわよ?」

「何の素質ですか」

「んー……。ホラー少年の素質? あ、もうホラー少年だっけ」

 

 アハハと彼女は笑うが、もう何が言いたいのかわからない。そう、最初はこんな感じで気さくなお姉さんだなと思って話していたのだが、勘違いが酷いというか思い込みが激しすぎるというか、そんなところがあると知ったのは初めて話したその日のうちのことだった。

 そしてとどめにドジと来ている。何もないはずのところで転んで僕のおなかに頭突きをお見舞いしてくれた時にその辺りの評価は揺るがないものになった。もう少し下だったら男としての大切な場所が危ういところだったし、上なら上で管に繋がっている先が危なかったかもしれない。こんな看護婦がいてこの病院は大丈夫かと不安になる。

 

「……あ、そうそう。それが言いたかったんじゃなくて。お客さんが来てるわよ」

 

 長い前置きの話だった。その後で、彼女はようやく本題を思い出したらしい。

 

「客……?」

 

 だが思い当たる節がない僕はその単語を反芻する。祖母は帰ったばかりのこの平日に、誰だろうか。

 その僕の問いの答え、水野さんの後ろから表れたのは紺のブレザーに身を包んだ男女だった。

 2人とも眼鏡をかけており、男の方は中肉中背で色白、女の方はちょっとぽっちゃり、と言ったところか。両方とも一見して秀才タイプ、とか真面目そう、とか分類されるだろう。

 

「こんにちは。榊原恒一君……ですね?」

「はい。えっと……」

「私達は夜見山北中学校3年3組の者です」

 

 男に続いて女がそう答えた。

 

「僕はクラス委員の風見智彦です。こっちは同じくクラス委員の桜木さん」

「桜木ゆかりです。はじめまして」

 

 「はあ、どうも」とあいまいな返事を返して僕は頭を下げた。「夜見山北中学」ということは、おそらく僕が転校する、現時点では「予定の」になってしまっているが、学校のはずだ。

 

「今日はクラスを代表してお見舞い、ってことで。……大変だったね。病気、って聞いたけど」

「ああ、うん。前も1回やってるんだけどね。経過は順調だからもうしばらくすれば退院できるだろうって」

「そうですか。それはよかった」

 

 桜木さんがそう言って笑みを浮かべる。愛想笑い、とはわかるが別に気分を害さない、むしろ逆に癒されるような笑顔だなとは思う。が、そこで間が空いた。やっぱりこの間は苦手だ。

 

「えっと……。榊原君、夜見山に住むのは初めて……?」

 

 その間を破るように口を開いたのは風見君の方だった。なんだか、少し妙な質問な気もする。

 

「住むの自体は初めてかな。母の実家がここだから、来たことはあるけど……」

「そうなんだ……。いや、東京の中学に通ってたのにこんな片田舎に来るなんて珍しいなって思ったから」

「風見君、あまりそういうのは詮索しない方がいいよ?」

「あ……。うん、そうだね、桜木さん」

 

 ……なんだろう、この違和感。風見君の方はなんだか照れくさそう、と言うか、どこか桜木さんの方を意識しがちに喋ってるけど、でも一方の彼女の方はそんな様子は全く見受けられない。

 ああそうか。なんとなく僕は2人の関係、というか、風見君はもしかしたら恋する少年なのではないかと感じ取った。頑張れ少年、と言ったところか。などと考えるとおじさん臭いかな、僕も同い年だし。

 

「いや、気にしなくていいよ。こっちには両親の仕事の都合でね」

 

 とりあえず彼のフォローはしておく。

 

「そっか。色々大変だね」

「そうでもないよ。親が放任主義だから面倒くさくないってところもあるし」

「へえ。ご両親は何のお仕事を……」

「風見君、あまり長居しちゃ悪いんじゃない?」

 

 自分の言葉を切るように重ねられた桜木さんの言葉に風見君はビクッと体を震わせた。

 わかった。もしこの2人が付き合うとしたら、風見君は間違いなく尻にしかれるタイプだ。そして桜木さんは大人しそうに見えて影から支配するタイプ。意外とお似合いの2人じゃないかな。

 同時におとなしそうな桜木さんがなぜクラス委員なのかもなんとなく判った気がした。おそらく彼女は頭もいいのだろうが、それだけの理由だけではないだろう。こうやって取りまとめるのがうまいから、そのポジションについているのだと思う。

 

「あ……。じゃあ榊原君、お大事に。学校で待ってるから」

「風見君、よろしく、の意味も込めて握手でもしていったら?」

「そ、そうだね。……じゃあよろしく、榊原君」

「こちらこそ、よろしく」

 

 風見君が右手を差し出し、僕もそれを握り返す。その彼の手は冷や汗をかいたように湿っていた。

 まあそうもなるだろう。気のある女性の前でいいところなく言いくるめられてしまっているのだから。

 

 転校後のクラスに顔を出すより先に、僕の中でクラス委員の風見君は難儀な人、そして桜木さんは一見大人しそうだが実質的な支配者、という印象で固まってしまった。




恒一の母である理津子は原作では故人ですが、「現象」がないために存命です。
なお水野さんのキャラは漫画版が元になっています。かなりコミカルなキャラクターで描かれていて、1巻ラストに4コマまで用意される優遇っぷりでした。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。