あなざー ~もしも夜見山北中学3年3組に「現象」がなかったら~   作:天木武

11 / 32
#11

 

 

 見崎が昼食を食べ終えた僕を案内してきた先は旧校舎の0号館だった。美術室がこの建物に入っているのは知っている。だが2階は老朽化のため立ち入り禁止のはず、なら見崎は僕を美術室に案内するつもりだろうか。

 

「ここ」

 

 そう言って見崎が指差したのは美術室ではなかった。「第2図書室」という表札のある部屋である。

 

「第2図書室……?」

「そ。私のお気に入りの場所」

 

 記憶を探り、そういえば勅使河原に校舎を案内された時に「0号館で使われているのは美術室と第2図書室だけ」と言われたような気がしたことを思い出した。しかし「第2」ということは、おそらく第1図書室よりも重要度の低い本――要するに古い本や書物が置いてあったりするのだろう。そんなところがお気に入りとは、どうにも見崎の考えはわからない。

 無造作に見崎が部屋の入り口を開ける。教室の扉とは違い、かなり年季の入った木の引き戸が上下のレールに沿ってゆっくりと開いた。中に入ると図書室特有の匂い――紙の匂いかインクの匂いか埃の匂いなのかはわからないが、とにかくそんな匂いが僕の鼻をついた。

 「失礼します」とも何も言わずに見崎は部屋に入っていく。僕もそれに続き、戸を閉めた。部屋の奥の方からは何やら誰かが話している声が聞こえていたが、丁度それが終わったようだった。

 ようだった、というのはこの部屋の独特の様相に理由がある。部屋の中には本棚しかないのかというような状況で、声の聞こえた方を見ても本棚目に入らないのだ。かろうじてその隙間から長机があることと、窓があってそこから光が差し込んできていることだけは確認できる。

 

「あれっ? 恒一君? それに……見崎さん」

 

 部屋の奥、この部屋と同義と言ってもいい本棚の陰から現れたのは意外なことに赤沢さんだった。予想外の人物に僕は目を見開くが見崎は特に驚いた様子もない。

 

「赤沢さん? どうしてここに……」

「千曳先生……ここで司書をやってる人が演劇部の顧問なの。今日から部活再開だから打ち合わせに、ね」

 

 そういえば赤沢さんは演劇部の部長と言う話だったっけ。それでこの部屋の主がその部の顧問、と。

 

「それより恒一君はどうしてここに?」

「私が案内したの。お気に入りの場所だから」

 

 僕が答えるより先に返答したのは見崎だった。それに対して赤沢さんは一度驚いた顔を見せたが、すぐ平常通りの表情を取り戻した。その辺りはさすが演劇部というところだろうか。

 

「へえ……。見崎さんも恒一君に興味があるの?」

「……さあ」

 

 誤魔化したように見崎は彼女に背を向け部屋の奥へと行こうとする。が、赤沢さんの鋭い視線もそれを追いかける。そこで板挟みとなって僕は果たしてどうしたものかと困ってしまった。

 

「……あ」

 

 が、そのまま一歩を踏み出そうとした見崎が足を止めた。そしてわずかに顔を赤沢さんの方へと向ける。

 

「……ノート、ありがとう」

 

 そう言われ、赤沢さんは数度目を瞬かせた。それから「ああ」と相槌を打つ。

 

「礼ならゆかりに言って。私はあの子がまとめたノートを届けただけだから」

「おかげでテストはなんとかなったかも」

「だから私じゃなくてゆかりに言いなさいって。……ほんと困った子ね」

 

 赤沢さんがため息をこぼす。……もしかしてこの2人意外と仲が良かったり?

 

「えっと、赤沢さん、見崎と仲いいの?」

 

 その僕の問いになぜか彼女は一瞬ムッとした表情を浮かべた。だがやはりすぐに表情を戻して答える。

 

「別にいいわけじゃないわよ。とっつきにくいとはいえ嫌いでもないけど。ただ同じクラスだし、長い期間休んだからちょっと心配しただけ。そこでゆかりがテストに出そうなところをノートにまとめておくから届けて欲しいって頼まれて届けただけよ。まあ家もそこまで離れてるわけじゃないしね。

 ……そもそもクラスで1人でいるから4月当初に声をかけてあげたのに『私に近寄らない方がいい』みたいなこと言い出すし。それで孤立しちゃうんじゃないかってゆかりも心配してるし、見るに見かねてたまに声かけてあげてるの。ここにはよく来るみたいだし、私も用事がある部屋だから」

 

 なるほど、赤沢さんとしてはあくまでゆかり……つまり桜木さんのためだから、ということを理由にしているようだ。なんだか素直じゃない物言いだなとは思う。

 と同時に赤沢さんと桜木さんが仲が良いということは予想外だった。いつも一緒にいる杉浦さんや同じ部活という小椋さん、綾野さん辺りまでは想像できたが、2人が話しているところをみたところはないからというのもあるのだろう。

 

「赤沢さんって桜木さんとも仲良いんだ」

「小学校が一緒だったのよ、5年の最初まで。その時に今の住所に引っ越したから小学校が別になって。しかもこれまではずっとクラス違ったんだけど、やっと同じクラスになってね。……私が知ってるあの子は真面目だけが取り得、みたいでクラス委員なんて柄じゃなかったのに。変わるものね」

 

 ああそういうことかと僕は納得した。夜見北は確かこの辺りの小学校が集まっている中学校のはずだ。だから引っ越したとはいえ、そこまで遠くなかった赤沢さんはまた桜木さんと一緒にこの中学に通うことになったのだろう。

 

「……まあいいわ。私は行くわね。お昼もまだだし。……ところで恒一君、明日は私とお昼、約束してくれない?」

「えっ?」

 

 僕の手にあった弁当袋を一度見つめてから、赤沢さんはそう提案してきた。話題が藪から棒だったために一瞬答えに戸惑う。

 

「ダメかしら? 今日見崎さんと食べたみたいだから、明日は私と、って思ったんだけど。見崎さんも明日はクラスで一緒にどう?」

「僕は……」

 

 チラッと見崎の方を窺う。僕としては別に構わないが、人付き合いを避け気味な彼女としてはもしかしたら嫌かもしれない。そう思っての確認だった。

 

「……私は構わない。榊原君がいいなら、ね」

「じゃあ決まりかな。明日は……教室で食べるよ」

 

 僕の言葉に一瞬間が空いたのは、顔を戻した時になぜか赤沢さんが面白くなさそうな顔をしているのが目に入ったからだった。提案してきているのはそっちのはずなのに、どうしたのだろうと思ったが、すぐ彼女は普段通り、いやそれよりもやや上機嫌な表情に変わっていた。演劇部のせいだろうか、随分と表情がころころ変わると思う。

 

「それはよかった。じゃあ明日は教室で。……あとこの後の授業に遅れないようにちゃんと戻ってくるのよ」

 

 まるでクラスの委員か何かのような一言を付け足し、赤沢さんは第2図書室を後にして行った。扉が閉められ、背後で見崎がため息をこぼすのがわかった。

 

「……授業遅れないように、か。さすがは『対策係』ね」

「『対策係』?」

 

 初めて聞いた単語に僕はオウム返しにそれを口にする。委員会は知っているが、そんな名前の委員会は聞いたことがないし、クラスの役職にもなかったはずだ。

 

「そ。赤沢さんと杉浦さんは小学校の時……多分さっき彼女が言った転校したときからじゃないかな。その時から今までずっと同じクラスだったらしいの。彼女、クラス委員を担当したことはないんだけど、クラスで何か揉め事や問題が起きるとクラス委員より先に首を突っ込んできて、なんやかんや2人でそれを解決してしまったらしくて。それから誰が呼んだか、『対策係』と謝意とある種の侮蔑を込めて陰で呼ばれるようになった……。今年は榊原君も見ての通り。彼女の周りには多くのシンパがいて、しかもクラス委員とも知り合い。……まさにクラスの陰の支配者よ」

「へえ……」

 

 そこで僕は怜子さんに教えてもらった「夜見北の心構え」のひとつを思い出していた。それは「クラスの決め事は守ること」。そうか、個より集団としての意志の方が優先されるべきこと、だと思っていたが、そういったクラスの支配権を持つ人間に背いてはクラスの総意に背くこととなり、下手をすれば村八分になりかねないという意味合いも含まれていたのかもしれないとも思う。……もっとも、赤沢さんのことをその程度で他人を嫌うような器の小さな人間だとはこれっぽっちも思ってないわけだけど。

 

「でも感謝はしてるわ。事実、私は休んでいる間に受け取ったまとめノートが役に立ってテストを乗り切ることが出来たわけだし。まとめてくれたのは桜木さんだけど、持って来てくれたのは赤沢さんだった。……他にもっと家が近い人もいたのにね。その辺りは『対策係』だからかしら」

 

 やはり赤沢さんはいい人らしい。ちょっと強引なところもあるというか、きつく感じる時もあるけど、そこまで含めて彼女、ということなのだろう。

 

「……立ち話が過ぎちゃったわね。奥に行きましょう。まだ、部屋の主に挨拶もしてないから」

 

 そこまで話したところで見崎は僕に背を向け、部屋の奥に着いてくるように促す。僕はそれに続き、本棚の先、長机があるさらにその奥に白髪交じりで眼鏡をかけた初老の男性が座っているのが目に入ってきた。まさにこの部屋の「番人」という呼称が相応しいような、見るからに無愛想で気難しそうな人だというのが第一印象だった。

 

「千曳先生、こんにちは」

「私を置いていつまで入り口で世間話を続けるつもりかと思ったが、ようやく来てくれたか。こんにちは見崎君。あと、先生はやめてほしいと言ってるはずだが」

「そうは言っても演劇部の顧問ですし」

「君は部員ではないだろう。だとするなら、所詮私はこの第2図書室の司書に過ぎんよ。……ところでそちらの男子は初めて見るね。というより、君が人を連れてきたこと自体私は驚きだが……」

 

 いきなり第一印象を訂正することになった。全然無愛想じゃない。この無口な見崎とここまで軽口を叩き合える人間がいるなんて。

 

「あ、え、えっと榊原恒一です。両親の都合でこっちに越してきて……。来て早々病気で入院しちゃって今月の頭に初めて登校したんですが……」

「ああ、3年3組の転校生か。私は千曳辰治。この第2図書室の司書と、あと演劇部の顧問をさせてもらっている。噂は色々と聞いてるよ。お人好しで騙されやすそうだ、とか、都会から来たのもあるし面白そうだ、とか」

 

 ……前者は見崎で後者は赤沢さんか。自分の知らないところで噂が一人歩きしている。なんということだ。

 

「まあ本しかないところだが、興味があるならゆっくりしていってくれて構わない。なぜか見崎君はここを気に入ってるようだしね」

「静かですから、ここ」

 

 そう言って自分が座るために椅子を引きかけ、だが見崎はそれを戻した。てっきり座るものだと思っていた僕は先に彼女が椅子を引いた場所の隣に腰を下ろしてしまっている。

 

「どうしたの?」

 

 しかし彼女は答えずに無言で僕に背を向けた。

 

「……ちょっと、千曳先生と話でもしてて」

「え? なんで……」

「……お手洗い」

 

 しまった……。野暮なことを聞いてしまった。口に出して謝るのもなんだかはばかられたので心の中で僕は頭を下げて謝る。

 しかし問題はその後だ。見崎が部屋を出ていったはいいが、千曳先生は僕に何かを話しかけてくるでもなく、司書席に座ったまま何かの本をずっと読んでいる。

 ダメだ、こういう沈黙はやはり苦手だ。何か話題を振って場の空気を誤魔化さないと耐えられないかもしれない。

 

「え、えっと……。千曳先生は……」

「だから先生はやめてくれ。……と言っても見崎君は全く直してくれないんだが。まあ部員には先生で呼ばれてるし、今更そこまで強制もしないよ。好きに呼んでくれていい」

 

 結局どっちがいいんだろうか……。まあ無難に「さん」で呼ぶことにしよう。

 

「千曳さんは……演劇部の顧問なんですよね?」

「そうだよ。……見えないか」

「いや、そういうんじゃ……」

 

 やっぱり第一印象復活。無愛想で気難しい人かもしれない。

 

「……人は誰しも仮面(ペルソナ)をつけて生きている。演劇というのはその己が身につけている仮面の上にさらに仮面をつける、ということじゃないかと私は思うがね。……まあ今も部員募集中だ。男子は少なくて貴重だからね。今からでも3年生にとって最後の公演になる文化祭には十分間に合うだろう。興味があるなら来るといい」

「は、はぁ……」

 

 なんだか言っていることが難しくてよくわからない。ひとつ言えるのは、僕は演劇部に入ることはないだろうということだった。

 

「えっと……。見崎はここに来るようになってから長いんですか?」

「そうだね……。2年前……1年生の時からもう来てた気がするな。それからは昼休みは勿論、放課後から授業間の休み時間までフラッと来ることまである」

「そんなに? ……よほどここを気に入ってるみたいですね」

「尋常ではないね」

 

 それで休み時間の度に見崎がいなくなる理由がなんとなくわかった。彼女はここに来ることがお気に入りらしい。「静かだから」と言っていたが、他にいくらでもそんな場所はあるだろうにとも思う。だがそういうわけだから、休み時間いつもいないし、放課後僕より先に帰ったと思ったら同じタイミングになった、ということなのだろう。

 

 ところが、会話はそれ以上続かなかった。どうやら千曳さんという人は相手によって話したりそうでなかったりするらしい。そこを置いておくにしても、僕とは初見だ。いきなり何か話せという方が無理があるかもしれない。かくいう僕もそうだ。

 仕方ない、と僕は席を立つ。この間をじっと座っているだけでは過ごしきれそうにない。幸いここは図書室、なら何か本でも探そうと本棚の方へと近づく。

 

 第2、というだけあってある本は相当に古い本か、あるいは郷土史、この学校にまつわる資料等が主だった。それなら、と僕はある本を探す。果たして目的の本は見つかり、僕はそれを手にさっきの長机に持って戻った。腰を下ろしてページをめくっていく。

 

「いた……」

 

 そしてその本のページをめくりあるところで手を止め、思わずポツリと呟いていた。

 

「誰が?」

 

 その時左の傍らから聞こえた声に思わず飛び上がりかけた。声をかけてきたのは見崎、丁度帰ってきたところだったらしい。立ったまま、僕が見ていた本を覗き込んでいる。

 

「それ……卒業アルバム?」

「ああ、うん。26年前(・・・・)の……」

「26年前……?」

 

 そう口にしたの見崎は、次いで千曳さんの方へ視線を送る。それを受けてか、なぜか千曳さんも立ち上がった。

 

「なんでそんな昔のを?」

「母さんがいるんじゃないかって。確かここの卒業生のはずだから……」

「どの人?」

 

 今後は先ほどの見崎と逆、右側から質問が飛んできた。さっき見崎の視線を受けて立ち上がった千曳さんが歩いてきて尋ねてきたのだった。

 

「えっと……この……」

「ああ、理津子君か」

 

 意図せず聞いた母の名に、僕は思わず千曳さんの方を見上げる。

 

「え……? 母のことを知ってるんですか!?」

「ああ……まあ……」

「……知ってるも何も、ほら、榊原君」

 

 そう言ったのは見崎だった。そしてその指差した先、アルバムの名前が並ぶ真ん中にあった名前に僕は思わず「あっ」という声を上げていた。

 そこにあったのは「千曳辰治」という、今僕と話していたその人と同じ名だった。

 

「まあ……そういうことだ。26年前、私はここの教師だった。だが今は司書だからね。だから『先生』いう呼ばれ方はなんだか背中がムズムズするんだよ」

「へえ……」

「それで……お母さんは元気?」

「ええ、おかげさまで。今は大学教授の父の助手をやっていて、インドに出張に行った父に着いて行っちゃいました。それで僕は母方の祖父母の実家のあるここに転校してきたわけで……」

「なるほど、そういうことか。……当時から猪突猛進なところがあるとは思っていたが、相変わらずか。君もなかなか苦労してるな」

 

 猪突猛進か……。確かにこれと決めたらひたすらやる人だし、だから大学講師と学生なんて間柄だろうと関係なく父と結婚しちゃったのかもかもれない。

 

「それにしても……。榊原君のお母さんが26年前のOGなんて、知らず知らずのうちに私は面白い皮肉を言っていたわけね」

 

 そう言ったのは見崎だった。意図を図りかね、今度は彼女の方に視線を移す。

 

「どういうこと?」

 

 それに対し、彼女は無言でアルバムの写真の中の1人の男子を指差した。いたって普通の中学生、という印象を受けたが、その後その顔の位置にある名前を確認し、再び僕は「あっ」と声をこぼしていた。

 「夜見山岬」。この街の名が苗字で、そして名前が「ミサキ」……。

 

「……もしかして、君が以前僕に話した『ミサキ』の話って……」

「なんだ、また見崎君が尾びれ背びれを着けて話したのか? ……やめてくれと言ってるのにこの子は」

 

 千曳さんにそう責められても見崎は肩をすくませただけだった。

 

「え……? 嘘……なんですか?」

「……なんと言われたのかね? その内容を聞かない限りは、一概に嘘とも本当とも言いかねる」

「えっと確か……」

 

 見崎の方に視線を送ったが、見て見ぬフリをされた。「私は答えないから、自分で説明して」と言わんばかりの表情。先ほどの千曳さんの感想同様、困った子だと思いつつ、僕は過去に彼女から聞いた「ミサキ」の話をした。

 

「……以上になります。その『ミサキ』というのはこの『夜見山岬』で合ってますか?」

「合ってる。だが……今のその話は……そうだな、2割は捏造(・・)されている。……まったく見崎君、いい加減にしてくれ。そこからよからぬ噂が広がったとしたら、当時担任だった私が棚に上げられるんだぞ?」

 

 そう言われてもやはり見崎は知らん振りで肩をすくめただけだった。ため息混じりに千曳さんが説明を始める。

 

「まず、『ミサキ』……つまり夜見山君が亡くなったということ自体が嘘(・・・・)だ、今も元気だと聞いている。というより、このアルバム(・・・・・・)普通に(・・・)写っているんだから、少なくともこの時点で亡くなっているということではないということはわかるだろう」

「あ、そうか……」

「よって『アルバムの写真にいるはずのないその生徒の姿が写っていた』という部分は嘘になる。……が、かと言ってその見崎君がしたという話、全てが嘘かというとそうでもない(・・・・・・)

「えっ……?」

 

 てっきり見崎がでっち上げたものだとばかり思っていた。だが思い出せば千曳さんは捏造部分は2割と言った。つまり、残りは本当、ということになる。

 と、不意に千曳さんが時計を見た。が、小さく舌打ちしたのが聞こえた。

 

「昼休みはまだありますよ、千曳先生。……少なくとも、過去の思い出話をするぐらいは」

「……見崎君、君は私が嫌いなのか? それとも困らせたいのか? ……まあいい。私が少し恥じるだけの話だからな」

 

 千曳さんが先ほどより大きくため息をこぼしたのがわかった。次いで、重々しく口を開く。

 

「……夜見山君は確かにクラスの人気者だった。いや、クラスだけじゃない。彼は生徒会長も務めていたし、学校全体から見ても知名度が高かった。所属していた陸上部の個人競技で全国大会にまで出場したこともあったしね。加えて学業も優秀、顔も性格も良いとなれば非の打ち所はなかっただろう。

 さて、夜見山君がどれほどの逸材かわかったところで、話は私が担任したクラスのことに戻る。26年前にも文化祭という行事はあってね。私のクラスで何をするかを話し合ったとき、創作劇をやりたいと言うことになったんだ。しかしどういったものをやるのか、概要すら全く決まらず話し合いは難航。そこで……ああ、そうだ、言い出したのは理津子君だ。まったく君のお母さんもとんだことを提案したものだよ。彼女は夜見山君の人気を逆手に取った。言い換えるなら、ある日、学校中の人気者のある生徒がいなくなってしまったら(・・・・・・・・・・・)どうするか。その役を当の夜見山君本人にやらせて、劇にしようと言い出したんだ」

 

 なんとなく、話が掴めて来た。つまり千曳さんが捏造を2割とだけ言ったのは、そういうことだ。見崎の話はほとんどがその劇に基づいている、だから8割を本当のこととして認めざるを得なかったのだろう。

 

「難航していたところの助け舟だ、皆それに乗ったさ。夜見山君本人でさえ『なんだか面白そうだ』と言い出したことで概要は決まった。あとは大体君が見崎君から聞いたとおりの話が続く。ただし、あくまでその劇中では『夜見山岬』という名ではなく、架空の人物として彼は演じていたがね。

 そして、さらに大きく違うとするならラストだ。結局あの劇は最後まで夜見山君が演じる人物をまだ死んではいない、存在しているはずだと皆が信じ、そう演じて卒業式を迎える。その卒業式が終わって皆がクラスに戻った後、不意にクラス全員に死んでしまったはずのその生徒の声が聞こえて来る。『皆ありがとう。お陰で僕は皆と一緒に卒業できる。でも僕はもう大丈夫。だから、皆はこれからの自分の人生を楽しんで生きていって』と。そこでその生徒の名を全員で呼び、『こっちこそありがとう』と言ったところで幕が下りる。そんな劇だったのさ。

 すなわち、その見崎君が基にした劇は本来美談なんだ。それをこの子はよりにもよってホラー要素を取り入れた内容に捏造して君に話してしまった、ということだ」

 

 ようやく、全ての辻褄が合った。つまるところ見崎は千曳さんから聞いたこの話を自分の都合のいいように勝手に作り変え、そして僕に話した。たまたま「岬」と「見崎」が合っていたから、というのもあるのだろう。元々が存在した話だっただけにやけにリアルな話だと僕は勘違いして捉えてしまった、というわけか。

 

「ちなみに……その劇、評判はどうだったんですか?」

「生徒からは上々だったよ。だが……教諭陣からは『生徒を亡くなったことにする劇はいかがなものか』と叩かれた。そして私はそれに対して何も反論できなかった。なぜなら……」

 

 そこまで言ったところで千曳さんは眼鏡を中指で上げ、肩を揺らして小さく笑った。

 

「……その台本を考えたのは、今現在演劇部の顧問(・・・・・・)をしている、当時の担任(・・・・・)だったからね」

「え……!? 千曳さんが考えた話なんですか!?」

「そうだよ。……あの頃の私はまだ若くて、熱くて、そして青かった。概要こそ決まったものの、生徒の間でストーリーを組み立てるのは難しく、時間だけが過ぎていった。それを見るに見かねた私が提案という形で少しずつ自分が考えたストーリーを出して行き……気づいたら結局私が考えたものそのものになってしまっていた。クラスの生徒からは感謝されたが、あれはあまりにチープすぎた。その反省を生かして演劇について研究するようになり……気づいたら今では司書という立場でありながら演劇部の顧問だ。全く恥ずかしい話さ」

 

 演技っぽく、千曳さんは自嘲気味に両腕を広げた。ああ、なるほど。それを見て、さっき言った仮面(ペルソナ)がどうのというのは、こういうことかと少し判った気がした。

 千曳さんは、「あの頃の私は熱かった」と言った。だが正確には「あの頃」ではなく、「今も」熱い人なのだろう。そうじゃなければ演劇の研究をしてまで、今も顧問をやる必要はない。何より、司書という立場でありながら顧問を引き受ける必要もない。

 だから、今現在千曳さんは仮面を着けているのではないだろうか。一見無愛想で気難しい、という人を演じつつ、本来は熱い人物。きっと演劇部の指導の時はその仮面が外れて、少し本当の彼が見られるのかもしれない。そう思うと、一旦は絶対演劇部はない、と思ったが、その仮面が外れた部分は見てみたいとも思ってしまうのだった。

 

「……どうだった、榊原君。なかなか面白い話だったでしょう?」

 

 そんな僕の心の中など露知らず、見崎は悪戯っぽく笑みを浮かべながらそう尋ねてきた。

 

「興味を惹かれたのは事実だよ。でも……面白い、というのとはちょっと違うかな」

「……というと?」

 

 今度は千曳さんだ。僕は彼の方に視線を移して続ける。

 

「だって千曳さんは26年前の劇を反省して、今も研究を続けて顧問をしているわけでしょう? その熱意は並大抵の物じゃないと思います。見崎が『先生』と呼ぶのが判った気がしました。僕もちょっと、そう呼びたい気分になりましたよ」

 

 千曳さんが驚いた表情を見せた。それを見て見崎がクスッと笑う。

 

「……やっぱり榊原君って変わってる」

「いや、君に言われたくないよ」

 

 実際見崎がなぜ言われても「先生」と呼ぶのをやめないのかは不明だが、当人がやめてほしいと言ってるのにやめないということは、少なからず尊敬の念があるからに違いないだろう。それにあまり人付き合いをしたがらない様子の見崎がこれだけ懐いているということは、やはり彼女を惹き付けただけの何かがあるはずだ。

 

 彼は、ひとつ咳払いを挟んだ。そしてわざとらしく時計を見上げる。

 

「……そろそろ昼休みも終わりだ。授業に遅れないように戻りなさい。……まあ、呼び方は君次第だ。好きにしてくれていい」

 

 最後の言葉はこちらに背を向けながら、どこか恥ずかしそうに、だった。思わず僕の唇の端が僅かに上がる。

 

「じゃあまた来ます、千曳先生(・・)

 

 全く赤沢さんといいこの人といい、どうにも素直じゃない人が多いような気がするなと勝手に思う。演劇部というのは普段の心をそうやって隠すところから始めるものなのだろうか。

 去り際、本棚から見えなくなる前に千曳先生の様子を探る。もはや仮面を付け直した彼は、僕が来た時同様に司書席に座って何かの本を読んでいるようだった。

 

「失礼しました」

 

 無言で部屋を出た見崎の代わりに感謝の言葉を述べ、第2図書室を後にする。またこの学校の楽しいスポットがひとつ増えた。卒業まで当面困りそうにないな、と思い、だがしかし同時に「しまった」と口に出していた。

 

「どうしたの?」

 

 見崎が怪訝そうに尋ねてくる。別に忘れ物の類じゃない。いや、厳密には忘れ物か。だがちゃんと持って行った弁当箱は持ってきてるし、それ以外に特に持って行った物はない。

 

「……君が質問攻めを許してくれるのは今日だけだったのに千曳先生との話に夢中になってすっかり忘れてた」

 

 数度目を瞬かせた後で、見崎はクスッと笑う。

 

「……やっぱり榊原君って変な人」

「だから君に言われたくないって」

 

 今日何度目かのそのやり取りをしたところで、予鈴がなった。早く教室に戻らないといけない。仕方ない、質問攻めは諦めるかと僕がため息をこぼしたその時。

 

「……別に、質問『攻め』じゃなければ、いつでもいいよ」

 

 ありがたいお言葉が僕の耳に届いてきた。ああよかった。それなら今日という日を悔やまずに済む。

 

「うん、それは嬉しいね」

 

 ともあれ、明日の昼は赤沢さんの予約が入っている。見崎も一緒とはいえ、ペースは完全に握られるだろう。

 まあいいか、と僕は深く考えないことにした。まだ5月の末、勅使河原が楽しみにしてる衣替えの6月になっても、それ以降も夜見北での学校生活はしばらくある。見崎にあれこれ聞くのはゆっくりでもいいかと、授業に遅れないように僕は教室への廊下を歩いた。

 




千曳さんようやく登場。が、どうにもキャラを崩しすぎてるような……。
さらに、鳴が以前話した「ミサキ」の話はこの方法で辻褄を合わせに行こうと前々から決めていたのに、どうにも捏造しすぎた感が否めないかもしれないです。

赤沢さんと桜木さんの関係は漫画版に近いものとして書いています。原作小説(そもそも原作小説じゃ赤沢・桜木両者ともほとんどモブ扱いなんですが……)やアニメでは接点がほとんどありませんでしたが、漫画版だと2人は親友同士ということになっています。

さらに、原作アニメ中に出た名簿から住所を割り出すというつわものがいたようで。公式設定資料集の住所の位置と見比べて、今現在赤沢・杉浦両者の住所が近いことと赤沢・桜木の過去の繋がりを両立させる方法として「赤沢が小学5年の時に桜木の家の地区(飛井町)の方から現在の家の地区(紅月町)の方に引っ越した」という設定を追加しました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。