あなざー ~もしも夜見山北中学3年3組に「現象」がなかったら~   作:天木武

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 6月になった。やはりこの季節はどうしても好きになれない。湿気は多いし雨の日も増える。かくいう今日も朝から小雨気味だ。だが、今頃勅使河原辺りは「衣替えだ!」とか言って薄着になった女子を見てきっと喜んでいることだろう。

 きっと、というのは今日は彼と顔を合わせていないからだった。と、いうより、僕は今日学校を休んでいる。今いる場所は学校ではない。かつて入院していた市立病院である。

 別に気胸が再発した、というわけではない。今日は退院してからほぼ1ヶ月ということでどういう具合なのか再検査の日だった。検査の予約をした時間は11時。外来は午前しか予約を受け付けていないことに加えて、そこそこ患者の多い病院ということで仕方のないこととはいえ、なんでこんな中途半端な時間しか空いていなかったのだろうかとも思う。おかげで病院の前に登校してもよくて2限まで、終わる時間次第だが、その後登校してもおそらく5限と6限しか出られない。しかも6限は体育と来ている。行ったところで見学するしかなく、そのことで昨日はどうしたものかと頭を悩ませていた。

 

 そこで助言をくれたのは、いい具合にビールを飲んで酔いの回った怜子さんだった。僕の悩みを打ち明けると、あの人はあっさりと一笑に付してしまった。

 

「恒一君は真面目すぎるのよ。もっと抜くところは抜かないと、肺だけじゃなくて体までパンクしちゃうわよ?」

「そう……ですかね?」

「私だったらもう検査にかこつけて1日休んじゃうけどな。テストの成績も問題ないんだし、休養だと思えばいいじゃない?」

「いや、まあそうは言いますが……」

「大体最後の6限目が体育で見学確定なんでしょ? なら午後行く必要は無し。で、1限目は美術だっけ? それこそ休んだって問題ないし、その後いられてもせいぜい2限目までなんだったら、別に午前も行かなくていいじゃない」

 

 怜子さんにそうはっきりと言われてしまっては、どうも言い返すことが出来なかった。確かにテストの成績は特に問題なかった。言われた通りに休養として考えてしまっていいのかもしれない。

 そんなわけで結局僕は1日学校を休むことにした。普段より遅く家を出るとなんだかサボっているようで当初は良心が咎めたが、病院に着くと「まあしょうがないか」なんて気持ちが浮かんできて、結局自己を正当化することで誤魔化してしまった。そうじゃなくてもこれから面倒な検査があれこれあるわけだ。その前に待ち時間もある。見れば今日は随分と患者さんの数も多そうだ。これはもしかしたら予定時刻に検査を始めてもらえないかもしれないなと先行きに不安を覚えつつ、僕は受付を済ませることにした。

 

 

 

 

 

 なぜか、僕の嫌な予感というものはやけに当たる気がする。そんな嫌な予感どおり、検査は予定時刻にははじまる気配はなく、僕の前にまだ数人待っているような状況だった。

 

「ごめんなさいね。緊急の患者さんが入っちゃって……。結構時間押しちゃうかもしれません」

 

 水野さんではなかったが、看護婦さんにそう頭を下げられ、まあ仕方ないかと僕はとりあえず待つことにした。

 が、結局検査を一通り終え、「5日後に結果が出ますので、また今日と同じ時間に来てください」と言われて会計を済ませたのは昼時も過ぎ、13時を回った頃になっていた。

 いい加減お腹が減った。帰りに適当なところで食べるか家で食べるか迷いつつ、これなら今日1日休みという連絡を入れておいて正解だったとも思うのだった。

 

 そんな余計なことを考えながらだったからだろう。病院の廊下、その角を女の子が曲がってきたことに気づくのが一瞬遅れた。あっ、と思ったときにはもう遅く、僕とその子は正面から衝突してしまった。

 

「わっ……!」

「きゃっ……!」

 

 ぶつかった、と認識した時にはもう互いに尻餅をついてしまっていた。幸運だったのは女の子の身長が僕より結構低かったことだろう。顔面同士がぶつかってしまっていたら、病院の中で怪我をしたなんて馬鹿げた事態になっていたかもしれない。いや、安心するのはまだ早い。もし外科系の患者さんだったら今ので怪我が悪化、なんてことにもなりかねない。

 

「ごめんなさい! 大丈夫で……」

 

 だが、そんな心配より先に出てきたのは驚きの感情だった。そのために僕は思わず言葉を切り、彼女の顔をまじまじと見つめてしまっていた。

 

「いったぁ……。あ、こっちこそごめんなさい。大丈夫、なんともないですよ」

 

 そう言われて本来は安心していいはずなのに、僕の心は完全に上の空だった。そして彼女の方も僕がずっと呆けていたことに気づいたらしい。

 

「あの……そちらこそ大丈夫ですか……?」

「見崎……」

「えっ……?」

 

 無意識のうちに僕はそう口からこぼしていた。が、こぼすと同時に何を言っているんだという自責の念が襲ってくる。

 確かに目の前の彼女は見崎鳴によく似ていた。だがその両目は同じ色、かつて見たような翡翠の義眼ではない。他人の空似にしても似すぎと思いつつ、一先ずもう一度謝って誤解だけは解いておこうと僕が口を開きかけたその時――。

 

 見崎に似た彼女は、思いも寄らない一言を口にした。

 

「どうして……私の名前(・・)を知ってるの……?」

 

 

 

 

 

「ここだよ、私の病室」

 

 そう言って彼女――ついさっき僕とぶつかった女の子が案内してくれたのは4階にある405号室だった。ここに来るまでに軽くではあるが彼女と話し、そうしたところ「もっと話が聞きたい」と言って僕を自分の病室に案内してくれたのだ。

 彼女の名は藤岡未咲。そう、僕は見崎という苗字(・・)を思わず口走っていたつもりが、意図せず彼女の名前(・・)を呼んだことになってしまったらしい。しかも驚くことに彼女は見崎のいとこだという。

 そういえば先日、昼食を食べている時に杉浦さんが見崎に色々聞いていたことを思い出した。あの時彼女は「ドッペルゲンガー」なんてことを言っていたが、もしかしたら杉浦さんが昔見たことがある見崎に似た女の子というのは、目の前の彼女のことかもしれない、とふと思った。

 

 それにしても名前と苗字がこうも奇妙に一致、それもいとこ同士とはいえここまで似ているなんてことがそうそうあるものだろうかと僕は思っていた。見崎が言ったとおり「ドッペルペンガー」なんて言葉がどうにもしっくりきてしまう。

 そうして招き入れてもらった病室、そこには人形が飾ってあった。お世辞にもかわいらしいとは言えない、女の子が好きそうなファンシーな風体とは真逆の、精巧でどこか不気味にも見えなくはない人形。その中の1つに僕は見覚えがあった。僕が見崎と初めてエレベーターの中で会ったとき、彼女が持っていた人形に他ならなかった。そもそもあの時、彼女が降りたのは4階だ。そこで改めて、間違いなく彼女は見崎鳴と知り合いであると思うのだった。

 

「それで……榊原君、だっけ?」

「うん、榊原恒一だよ」

「鳴とはどういう関係? まさか……恋人とか?」

 

 クスクスッと笑いながらそう問いかけてくる藤岡さんは、なんだか見崎を明るくして性格を真逆にしたような印象だった。普段見ている見崎とのギャップを感じつつ、僕は苦笑を浮かべてその問いに答える。

 

「クラスが一緒なんだ。実は僕もここに前入院してて、その時見崎に偶然会って……」

「え!? そうだったの? ちなみに……何の病気?」

「自然気胸。肺がパンクしちゃう病気、ってところかな。前1回やってて、それが再発した感じ」

 

 うーん、と藤岡さんはしばらく唸った後「……わかんない!」とあっさり答えた。この辺りも見崎と似た容姿なのにギャップが凄まじい。頭の中で補正するのが大変だ。

 

「でも退院できたんでしょ?」

「お陰様で。1週間ぐらい入院した後退院できたよ。丁度1ヶ月前かな」

 

 そこまで答えたところで、見崎がその時に人形を持ってきているということは藤岡さんはその時からずっと入院しているのではないか、ということにようやく気づいた。だとすると重い病気なのかもしれない。

 

「そっか。いいなあ、退院できて。……私の場合すぐに退院、ってはいかないから」

「そうなの?」

 

 あくまで、直接的に病名は聞かないようにする。なんだか誘導尋問をしているようで嫌な気分もあったが、やはり直接聞くのはどうにも悪い気がしたからだ。

 

「うん。白血病だからね……」

 

 その病名を聞いて思わず僕は言葉を失った。予想していたより重病だった。明るく振舞う彼女からは全く想像できなかったのだ。

 

「あ、でももうそろそろ退院の目処が立ちそうだって。早ければ今月中には退院できるかも、って言われたの。医学の進歩って凄いよね」

「そっか……。よかった……」

 

 思わず自分のことのように僕はホッとため息をこぼした。それを見ていた藤岡さんが小さくクスッと笑う。

 

「え……? なんで笑うの?」

「だって……。私達今日、っていうか今さっき初めて会ったんだよ? なのに榊原君ったら、私のことなのにそんな感慨深いため息をこぼすから……」

「そう……だね。変かな?」

「うーん、ちょっと変わってるかも」

 

 なんと言うことだ。見崎だけでなく「未咲」からも変わってると言われてしまった。これで僕も晴れて「変わり者の多い3年3組」の仲間入り確定、と言ったところだろうか。

 

「でも……嬉しいかな。鳴も私のことを自分のことのように心配してくれたし、こんなに思ってくれる人がいるって、私って幸せなんだなって思うの。病気も白血病ではあるけど、化学療法だったかな? 治療が効果的に効いていい方向に向かってるみたいだし。……ああ、そういえば私が白血病だって言った時、鳴ってば『私の骨髄を使って』って言ってきたんだっけ。……確かに鳴からもらうのが1番だっていうのはわかってたけど、あの子も無茶言うよね」

 

 そう言うと藤岡さんは少し目を細めた。ここまで話を聞いて、僕はようやく見崎が彼女を「半身」と言った意味がわかった。見崎は心から藤岡さんのことを心配している。だから大袈裟でもなんでもなく、「かわいそうな半身」とあの時に言ったのだ。クラスでは人目を避けるように、誰とも接しようとしなかった見崎とは思えない、意外な一面を見たようにも感じていた。

 

「……なんかごめんね、ちょっと暗い感じにしちゃって。……あ、そうだ。今度は榊原君の方から話してよ。鳴が学校でどんななのか、とか、あと榊原君のこととか」

「見崎が学校でどんなか、ねえ……」

 

 まさか「ついこの間まで本当に幽霊だと思ってたよ」と言うわけにもいかない。かといってクラスメイトとあまり接しようとしていない、何てことを言ったら藤岡さんが心配し始めてしまうかもしれない。仕方ない、ここは当たり障りのない僕自身の話でもしようかと思った、その時だった。

 

 不意に、ドアがノックされた。個室だからということで思わず病室にまでお邪魔して話しこんでしまったが、よくよく考えれば、いや考えなくてもここは病院だ。検温やら何やらがあるだろう。あまり長居するのも悪いかと、入ってくる人に合わせて僕はお(いとま)しようかと考えていた。

 

「未咲? 入る……よ……」

 

 だが、その訪問者はどうやら僕を帰してくれそうになかった。この部屋の入り口を開けた彼女(・・)は僕の顔を見るなり固まった。それはそうだろう。僕だってまさかこのタイミングで彼女が登場するとは思ってもいなかった。

 

「お! グッドタイミング!」

 

 だが藤岡さんだけはどこか楽しそうにそう言った。その彼女と瓜二つの、だが眼帯を左目にかけた少女――見崎鳴は怪訝そうに僕を見つめ、後ろ手に扉を閉めながらゆっくりと口を開く。

 

「……どうして榊原君がここにいるの?」

「今日退院後の定期検査だったんだ。それで学校を休んだんだよ。その後終わって帰ろうとしたところでたまたま藤岡さんとぶつかって……」

「びっくりしたよ。『ミサキ』って、いきなり名前呼ばれたんだもん」

 

 何が面白いのか、藤岡さんはずっと笑顔だった。対称的に見崎はあくまで普段通りの無表情のまま病室の奥の椅子へと腰を下ろした。

 

「さてさて、役者は揃った、というところですかな」

 

 やはり藤岡さんはニヤニヤとしている。何やらよからぬことを考えているんじゃないかと思い、場の空気を誤魔化すように辺りを見渡したところで、僕は目に入ってきた時計におやっと思った。

 

「……見崎、ちょっと来るの早すぎない?」

「何が?」

「だってこの時間……まだ6限目中のはずじゃ……」

「あーっ! 鳴ってばまた学校抜け出してきたの!?」

 

 今確かに「また」と言った。ということはこれは今に始まったことじゃない、というわけだ。

 

「……6限目は体育。どうせ私は見学だから、いてもいなくても一緒」

「あ、そうか……。って、帰りのホームルームとかは?」

「いいの。久保寺先生、その辺りは寛大だから」

 

 先生、完全に生徒に舐められてます。一発バシッと言ってやってください。ああ、それが無理なら桜木さんか赤沢さん辺りに頼むのもいいかもしれない。特に赤沢さんは「対策係」らしいから、きっと対応してくれるだろう。

 てっきり真面目だとばかり思っていたが、見崎の意外な不真面目な一面を見て僕は思わずため息をこぼす。……いや、よく考えたら体育の時にちゃんと見学してなかったからそこまで真面目でもないのか。

 と、その時、ベッドの上から僕のため息を見つめる視線に気がついた。……なんだか嫌な予感がする。そして、僕の嫌な予感は今日もそうだったように割と当たるのだ。

 

「……ところで鳴、前置き無しでズバッと聞くけど、ズバリ榊原君とはどういう関係?」

 

 ああ、やっぱり当たったかと思わず僕は苦笑を浮かべた。さっきそれらしい質問をしてきたのもあってもしかしたら、とは思っていた。この年頃の女子はそういう話題がどうも好きらしい。そして藤岡さんもその例に漏れていなかった、というわけだ。

 僕は答えず見崎の方に回答権を投げる。さっきもう答えたから、というのが半分、見崎はどう思ってるのか気になったから、というのが残り半分の理由だった。

 

「別に。ただのクラスメイト。それもちょっと変わってる」

 

 即答。加えるなら少し早口でまくし立て気味にあっさりと言い放たれた。別に過剰な期待をするつもりは毛頭なかったが……。見崎、いくら僕でもそれは少し傷つくかも……。

 

「あらら。こりゃ全然脈無しかな。期待が外れちゃった。ドンマイ、榊原君」

 

 藤岡さんは全く悪びれた様子もなく、あっさりとそう言った。仮にも男子としてこれは少々ショックを受けざるを得ない。あまり効果はないだろうとわかりつつも、肩を落として見せて「ちょっと凹みましたよ」と一応アピールしてみせる。だが意外なことに、効果なしと見込んだ僕の予想とは裏腹、見崎はひとつため息をこぼすと明らかに僕から視線を逸らして独り言のようにボソッと呟いた。

 

「……ま、いい人だし面白い人だとは思うけど、ね」

 

 本人としてはフォローのつもりだったのだろう。だがその「面白い」を素直に言葉のまま果たして受け取っていいのだろうか。僕が悩んでいる一方、藤岡さんは愉快そうにクスッと笑っていた。

 

「……前言撤回。まあそこそこ仲良くやってるみたいね。鳴、学校のこととかあまり話そうとしないから、うまくやっていけてるのかちょっと心配だったの」

「未咲が心配することじゃないよ。それに……未咲は私のことより自分の体のことを気にかけないと」

「そうは言うけどさ。ここにいてもつまんないんだもん。……榊原君がここに入院してたんならもっと早くに出会えてればよかった」

「いや……。その時僕はまだ学校に行ってなかったわけで、見崎との面識もなかったから、仮に廊下ですれ違っても全然知らない人、で終わっちゃったんじゃないかな……」

「もうー! 榊原君ってば夢がない! ねえ鳴、本当に面白い人なの?」

 

 そう言われても困る。自分自身、「面白い」なんて自覚したことは基本ないわけで、あくまで見崎の感性でそう言ったのだから、弁解は彼女にしてもらいたい。

 

「……さあ? 私は面白いと思ったけど、ね」

 

 喜ぶべきか、悲しむべきか。どう反応したらいいかもわからないので、僕は愛想笑いを張り付けて誤魔化すことにした。そんな僕の笑いにつられてか、藤岡さんもクスクスッと笑い出す。そして連鎖的に見崎も小さく笑いをこぼしていた。

 

 と、そこで再び不意にドアがノックされた。開いた扉の先には看護婦さんが体温計を片手に姿を見せている。

 

「藤岡さん、検温の時間です。……あら、今日は随分賑やかだったのね」

 

 来た看護婦さんが水野さんじゃなくてよかったとちょっと思ってしまった。あの人がここに来たら間違いなくからかわれていたところだろう。

 その時見崎が座っていた椅子から腰を上げた。少し早い気もするが、おそらく帰るのだろう。頃合もいい、僕もそれに合わせようかと思った。

 

「あれ……。鳴、もう帰っちゃうの?」

 

 どこか寂しそうに藤岡さんは見崎にそう問いかける。

 

「丁度いいタイミングだし、あまり長居しちゃ悪いしね。それに……私より先に榊原君が来ていたんなら、彼と話して大分気晴らしになったんじゃない?」

「まあ……それはそうだけど……」

「またすぐ来るから。それに、未咲ももうすぐ退院だろうし、そうしたら約束通り遊園地に行こう」

「あ、覚えててくれたんだ。……そうだ、その時榊原君も一緒に、ってのはどう?」

 

 一瞬、見崎はチラリと僕の方を見た。状況を把握できていないので僕は首を傾げるしかなかったが、何やら見崎はそれで納得したらしい。

 

「……未咲がその方が良いっていうなら、ね。榊原君の方には後で私から詳しく言っておくから」

「うん、わかった。その方がきっと楽しいだろうし。……じゃあ鳴、今日も来てくれてありがとう。あと、榊原君も」

「あ、うん。じゃあお大事に」

 

 見崎は僕より先に扉の方へ歩いて行く。僕もそれに続き部屋を出ようとしたところで「あ、榊原君」と藤岡さんに呼び止められ、顔を彼女の方に向けた。何やら彼女はニヤつきながら僕を手招きしている。なんだろうと思って近寄ると、腕を掴まれてぐいっと顔を彼女の耳元にまで寄せられた。

 

「ちょっ……。藤岡さん……」

「榊原君、さっき、鳴は君の事を『ただのクラスメイト』とか言ったけど、異性関係であんな反応の鳴を見たの、実は初めてなの」

 

 小声で、入り口の付近の見崎に聞こえないように彼女は僕の耳に囁きかける。

 

「さっきはあの子の手前、『脈ない』とか言ったけど……。私のカンだと、多分脈ありだと思うから。だから頑張ってね、色男」

 

 そう言うと、彼女は僕の背中をバシンと叩いた。その表情には無邪気な笑顔が浮かんでいた。

 ……脈ありだって? 確かに他のクラスメイトを避け気味なはずの彼女なのに、僕にだけは普通に接してくれているのは事実だ。でもそれだけで脈ありなんだろうか?

 

「……榊原君? どうしたの?」

 

 そんな僕達2人の様子を見崎は部屋の入り口で怪訝そうに見つめていた。思わず考え込んでいた僕の反応が一瞬遅れ、とりあえず「何でもないよ」とだけ上の空で返して彼女の方へと歩いていく。

 

「そうそう、なんでもなーい。……じゃあまたね、鳴、榊原君」

 

 笑顔で手を振る彼女の表情を最後に見て、僕達は病室を後にした。が、そうしたはいいが、先に病室から出た見崎は僕のことなどまるでお構い無しにエレベーターホールのほうへと歩いて行ってしまっている。

 

「あ、ちょっと待ってよ見崎!」

 

 こういう行動をしてても脈ありと言えるのだろうか。どうも女の子のことはわからない。

 幸い、エレベーターは来ている途中だった。少し遅れて僕がエレベーターの前に着くまで彼女はそこで待つこととなり、置いていかれずにすんだ。

 

「待っててくれてもいいじゃない」

 

 僕は不満をこぼすが、彼女は何も返さない。エレベーターが到着する音がして扉が開く。中には誰も乗っていなかった。見崎が先に乗り、後から僕が乗って1階のボタンを押す。

 

「そう言えば……。君と初めて会ったのもここのエレベーターだったっけね」

 

 あの時、藤岡さんへのプレゼントであろう人形を片手に、この4階で降りていった彼女。それをふと思い出しながら僕は見崎にそう話しかける。

 

「……そう? もう忘れた」

 

 だが今日の彼女は不機嫌なのだろうか、あまり僕の話に食いついてこようとしない。なんだかちょっと寂しいような……。

 でも藤岡さんは「脈あり」とか言っていた。こんな態度を取られていて本当にあるのだろうか……。まあちょっと探りを入れてみようかな、という気分に、なぜか今日はなっていた。

 

「見崎……もしよかったらさ、どこかお店寄っていかない?」

 

 言ってからなんて古典的な誘い方だと我ながら後悔した。今時こういう誘い方があるのだろうか。だが、実のところ僕は昼食を食べ損ねている。さっきまではずっとお喋りしていたせいですっかり忘れていたが、昼食には遅すぎる時間とはいえ今現在空腹なのだ。

 

「いい。喫茶店とか入るの、あんまり好きじゃないから」

 

 しかしそんな提案はあっさりと却下されてしまった。普段の僕ならここで引き下がっただろう。だけど今日は彼女の不機嫌そうな態度が気になったというか、学校で話せなかった分もう少し話したいというか、そんな理由から諦めずに続けた。

 

「じゃあ家まで送っていくよ。見崎の家がどこだか知らないけど……」

 

 その僕の言葉に、エレベーターを降りて病院の入り口に向かって歩いていた彼女の足が止まった。そして普段通りの無表情で振り返って僕を見つめる。

 

「……榊原君、私の家、知らないの?」

「えっ……? 知らないけど……」

「ふうん……。そう、知らないんだ……」

 

 なぜかそういうと、彼女は意味ありげに僅かに笑った。そして、先ほどまで僕の誘いを断っていたとは思えない一言を口にしたのだった。

 

「じゃあ……。今から私の家……来る?」

 




未咲の病名ですが、原作、コミックス、ひょっとしたらアニメの最初の頃もかもしれないですが、腎臓病になっています。が、アニメ化された0話では白血病になっています。
ですので、これはアニメ版の0話を基にしてあります。

実のところこの辺りの辻褄合わせは少し考えたところでして、原作等ではずっと入院しているような描写があるので、「元々病気で入院していて、現象によってそれが悪化して命を落とした」という解釈が出来るのですが、アニメ版の場合突然病気になってしまったようにも見受けられます。というか、ずっと入院したままだと「鳴と未咲が一緒に遊びに行く」という0話が成り立たなくなってしまうとも思いますが。
そうなると、「そもそも現象があったから病気になって命を落とすことになったんじゃないのか」という考えも思い浮かんだのですが、彼女が入院していないと鳴が病院に来る理由がなくなってしまいますので、「病気自体は起こり得た事で、命を落としたことだけが現象の影響」と捉えることにしてあります。本文中じゃ現象関係触れられないんで、ってかそもそも存在してないので、ここでの補足ですみません。


ちなみに、少し0話ネタバレになってしまいますが、冒頭で未咲が「ものもらい」って言って鳴と対照的に右目に眼帯をしていて、最初は2人を似せるための演出だろうなとしか考えませんでした。
が、ちょっと深く考えて、実はこのものもらいは伏線でこれが原因で白血病になったのではないか、とか思ったわけです。そうなると上記の考察においても「病気になる可能性自体はあった」という理由付けになるために都合がいいですし。
しかし、医療に少し明るい友人に聞いたところ「普通に考えて順序逆じゃねえか」と言われました。「白血病で免疫力が落ちるからものもらいになって、ついでに自力じゃ治せなくなるんだから、少なくともものもらいが原因で白血病はないだろ」とからしいです。ちょっとうろ覚えですが……。
ですので、あれはあくまで眼帯をつけることで鳴と対照的に描くための演出に過ぎなかった、ということになるらしいです。

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