あなざー ~もしも夜見山北中学3年3組に「現象」がなかったら~   作:天木武

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#14

 

 

 女子の家に行く。それは僕にとって未知の領域だった。まだぐずついた天気の空は小雨を降らせていたが、見崎は傘をささずに歩いている。僕も気にするほどの量ではないと同じく傘は閉じたまま持っていた。が、そんなことは今は意にも介さない。見崎の家に行く、というだけでなんだか緊張してしまっていた。

 ……まずい。なんとかこの緊張感を紛らわせたい。話でもして気を紛らわせたいところだったが、実のところ、病院を出てからあまり話していない。「今日学校はどうだった?」と聞いても「別に。普段通り」で会話は終わってしまい、それから無言の時間が続いていた。

 何か話す話題を考えていた僕の頭に、さっき藤岡さんの部屋にあった人形のことを思い出す。そういえば最初彼女に会ったときに持っていた人形の他に数体あったはず。気に入っているのだろうか。

 

「ねえ見崎」

「何」

「さっき、藤岡さんの病室に行った時……以前君が持っていた人形と同じような物が他にもあったんだけど、あれって……」

「私が持って行ったの。未咲、あの子達を『かわいい』って言って気に入ってくれてるみたいだから」

 

 ……かわいい? あれが? どうも僕には理解できない感覚だ。その辺りは見崎同様どこか変わってるのかもしれない。

 

「君と容姿は似てると思ったけど……そういう変わってるところも似てるんだね、藤岡さん」

「……『も』ってことは、私は変わってる、って言いたいの?」

「あれだけ色んなこと言っておいて自覚なし?」

「……私から言わせてもらえば、榊原君こそ変わってると思うよ」

 

 でしょうね。何せ僕は「変わり者の多い3年3組」の一員ですから。でもそれを君から言われるのは心外だな、見崎。

 まあこんな他愛無い会話でも、少し出来ただけで多少は気が紛れたのは事実だった。ようやく心に余裕が出来、一度深呼吸して辺りを見渡す。そこで、あることに気づいた。

 確かこの辺りは以前僕が見崎を追いかけてきて、彼女を見失ったところの辺りのはずだった。確か住所でいうと御先町の辺り。……そういえばその読みも「ミサキ」だ。つくづく今日は「ミサキ」に縁のある日だと思う。

 だがそんなのはまだ驚きの序章に過ぎなかった。彼女が歩いていった先にあったのは「夜見のたそがれの、うつろなる蒼き瞳の。」だった。戸惑う僕を尻目に彼女は平然とお店兼展示館の扉を開ける。

 

「ちょ、ちょっと見崎……家に案内してくれるんじゃ……」

 

 僕の言葉などお構いなし、彼女は中に入るらしい。仕方ない、と僕もそれに続いた。

 

「いらっしゃ……。なんだい、鳴かい」

 

 そして、店番をしている老婆のその一言で、ようやく事態を把握した。そう、何と言うことはない、ここ(・・)が見崎の家、ということだったのだ。

 

「どうしたんだい、わざわざこっちから入ってきて。……おや、後ろの男の子は確か……」

「どうも……」

 

 そう言って僕はばつが悪そうに頭を下げることしか出来なかった。そんな僕のことなど関係ないとばかりに鳴が口を開く。

 

「クラスメイトの榊原君。以前来た時にここを気に入ってくれたみたいだから、ついでに上がっていったらって話になったの」

 

 いや、ここに興味があったのは事実だけど君の家だとはつい数十秒まで知らなかった、と抗議したかった。だがそうしても事態をややこしくするだけだろう。諦めて、僕は見崎に全部任せることにした。

 

「そうかい。鳴の友達なら、今日はお金はいいよ。館内見学ならゆっくりと見ておいき。他にお客さんもいないしねえ……」

 

 いつか聞いたようなセリフを聞き流しつつ、僕は見崎に続いた。そうだ、そういうことだったのだ。「他にお客さんもいない」とはそのままの意味だったのだ。あの時地下には見崎がいた。だが、彼女はこの家の住人であって「客」ではない。だから、店番の老婆は何もおかしなことなど言ってはいなかったのだ。

 

「今のが天根のおばあちゃん。私にとっては大叔母に当たる人ね」

 

 説明しつつ、見崎は地下への階段を降りていく。かつて見た光景と同じ、人形達の姿がそこにはあった。相変わらず空気は少しひんやりしている気がするが、以前ほどは不安を感じずにいた。あの時は「見崎鳴」という人物が本当にこの世に存在しているのか、などという、今思えば馬鹿げた考えを抱いていたからだろう。

 

「……榊原君、以前ここで会った時、こういうのも嫌いじゃない、って言ったよね?」

「あ、うん。凄く精巧な人形で……物悲しそうに見えるけど、よく出来てるっていうか……」

「未咲もね、ここを気に入ってるって。ここにある人形をかわいいって言って。以前からよく欲しいって言ったの」

 

 そうか。あの人形、似たようなものをどこかで見たことがあると思ったらここの物だったのか。見崎がこの家の住人、ということであれば納得できる。

 僕はそんな風に1人で考え込みながら人形を見つつ歩いていたが、見崎は普段から歩いているからだろうか、特に気にした様子もなく部屋の奥へとさっさと歩いていってしまった。その奥、棺の中に入った彼女そっくりの人形が一瞬目に止まる。だがやはり彼女はそれも気にしない様子でその棺のさらに後ろ、カーテンの裏側へと消えていってしまった。

 

「あ、見崎……」

 

 呼びながらカーテンをめくって、僕はあの日のカラクリを理解した。あの時、なぜ彼女はこの棺の裏側にいられたのか。そして、「たまに降りてくるのは嫌いじゃない」と言ったその言葉の意味。

 カーテンの裏にはエレベーターがあった。おそらく、上が住居になっていて、これで行き来が出来るのだろう。だとするなら、「降りてくる」というのは別に死後の世界やら天国からやら、そんな意味合いでは全くなく、単に上から降りてくる、というだけの話だったのだ。

 今になって思えば全くもって考えすぎもいいところ。見崎の思わせぶりな言動も相俟って僕の妄想と言ってもいい考えは勝手に暴走してしまっていたわけだ。あの頃の自分に「ドンマイ」と声をかけてあげたい。

 

「どうかした?」

 

 だがエレベーターに乗る彼女はそんな僕の心中など露知らず、早くしてとばかりにそう尋ねてきた。確かに君の言ったことは全部当たっているけど、もっとわかりやすく言ってくれればあの時からわかっていたのに、とも思いつつ、僕はエレベーターに乗り込んだ。とはいえ、あの時まるで幻影を追うように見崎を追いかけていたのは楽しかったのも事実だ。今更何か言うほどでもないか、と僕はため息をこぼしてそれでお終いにしようと思うのだった。

 

 エレベーターを降りてから案内された先のリビングは解放感ある近代的な造りで、今僕がお世話になっている家とは真逆と言ってもよかった。

 

「適当に座って。何か飲み物でも持ってくるから」

 

 お構いなく、ととりあえず返し、僕は手近なソファに腰を下ろした。ややあって、紅茶の缶を2本持った見崎が戻ってきた。

 

「これしかなかったから……。どっちがいい?」

「君が好きなほうを選んでいいよ」

 

 付け加えるなら一応コップに移すとかした方がいいよ、とも言いたかったが、お邪魔になっている身であれこれ言うのもどうかと黙っておくことにした。聞きたい、というか、言いたいことは他に山ほどある。

 

「……それで、榊原君は本当にここが私の家だって知らなかったの?」

 

 彼女はミルクティーのほうを選んだらしい。僕にレモンティーの缶を差し出しながら、そう問いかけてきた。

 

「知らなかったよ。つい数分前まではね」

「……てっきりわかってるものだと思ってた。あの時地下であなたを見たときびっくりしたし。追いかけてきたか、住所を調べたかしたんだとばかり」

「白状すると……。確かにあの時は君を追いかけてた。でも丁度この辺りで見失って、それでこのお店が目に入って、興味があって中に入ったんだ。……そりゃ見失うわけだよね。だってここが君の家だし」

「そういうこと。……でも私のこと追いかけてきたんだ。どうして、そこまでして? そんなに気になったの?」

 

 紅茶の缶を机に戻しつつ、見崎は右の瞳で僕を真っ直ぐ見つめてきた。なんだか、その目を見ていると彼女に嘘や誤魔化しは通じないような気がしてくる。別に今更隠すほどのことでもないか、と正直に答えることにした。

 

「そもそも君は僕に対して相当思わせぶりに振舞ってたわけでしょ? だから、元々気にはなってたよ。それに加えてあの日……。雨が降っていたのに、君は傘もさそうとせずに歩いていた。それがなんだか……不思議と気になったって言うか、良く言えばミステリアスな雰囲気で、追いかけてみたいと思ったって言うか……」

 

 僕の自白を聞いても、彼女は顔色ひとつ変えなかった。ただ、「ふうん……」と相槌を打っただけだった。もしかしたら怒っているのかもしれない、という考えが頭をよぎる。

 

「もし君を勝手に追い回したことを怒ってるなら、謝るよ」

「別に。……だけど、榊原君、やっぱり変わってるね」

 

 だが見崎はそのこと自体は別に気にした様子もなく、むしろやはり僕のことを「変わってる」と言ってきた。まあ勝手に女子を追いかけていたらどう言われても仕方ないだろう。もっと罵詈雑言をぶつけられないだけマシと言ったところだ、と自分に言い聞かせて愛想笑いで誤魔化すことにした。

 

「でもこれでわかったでしょ? ここが私の家ってこと」

「じゃあ『工房m』の『m』って……『見崎』の『m』?」

「ちょっと考えれば、わかることだと思うけど」

 

 ということは、以前話した「霧果」という人形を造っている人が彼女の親に当たるわけだ。響きから言って女性だとは思う。だがその母親を彼女は以前「あの人」と呼んでいた。見崎は、親の仕事をよく思っていないのだろうか。

 

「……それで、他に何か聞きたいことは?」

「今日も質問攻めを認めてくれるの?」

 

 少し悪戯っぽく笑って僕は返す。ひょっとしたら機嫌を損ねるかな、とも思ったが、見崎は少し面白くなさそうな表情を浮かべた後、あっさりと許可してくれた。

 

「……いいよ。じゃあ今日も特別に認めます」

 

 まったくいつぞやと同じじゃないかと僕は小さく笑いをこぼした。では遠慮なく質問をしようと思う。でもさっき思った親との関係は……あまり触れない方がよさそうな話題だ。じゃあ今日病院で出会った彼女のことを聞こうと思う。

 

「えっと……。藤岡さんと本当に仲いいんだね」

 

 だが、その話題が出るとなぜか見崎は僅かに眉をしかめて視線を机へと落とした。なぜだろう、すごく仲がいいように僕には見えたのに……。

 

「……ごめん。その話は、ここではしたくない。別な話にしてもらえる?」

「あ……。うん」

 

 何か都合が悪いのだろうか。「ここでは」と言ったが、それがどういうことだかいまひとつよくわからない。だがやめてほしいと言われたのに続けるのは申し訳がない。ひとまず無難なところに落ち着こう。

 

「じゃあ……。さっきあまり答えてもらえなかったんだけど、今日の授業、どんなだった?」

 

 少し考えた様子の彼女だったが、

 

「別に普通。いつも通り」

 

 やはりそうあっさり答えられてしまった。まあ仕方ないかとも思う。が、その後で少し考え込んだ様子で付け足してきた。

 

「……1限目の美術は望月君が浮かれてた。ま、いつものことよね。あとは3限目の英語で勅使河原君が相当酷く発音を間違えてクラス中皆笑ってたかな。……それから、赤沢さんはなんだかいつにも増して不機嫌そうだった」

 

 なんだか見崎がこれだけクラスメイトのことを話すのは意外なようにも思える。だが少し考えれば彼女も3年3組の一員なのだから当然といえば当然だ。

 

「もし授業のノートを借りたい、っていうなら私じゃない人から借りて。私はノート適当にしか取ってないし、その方がいいと思う。桜木さんとかまとめるの上手だから。あるいは風見君とか」

 

 まさか病院であんな流れから見崎に会うとは思ってもいなかったから、学校に持って行くような物は何も持ってきていない。もし見崎の家に行く、とわかっていたら持ってきてノートを写させてもらうのもよかったが、本人が拒否している以上、それも無理と言う話だったのだろう。

 

「桜木さんはノート上手くまとめてそうだよね」

「この前休んでてコピーを借してもらった時、すごく丁寧にまとまってた。さすが学年トップクラスの成績だと感心しちゃった」

 

 そういえば以前ノートを貸してもらったと言っていた気がする。届けたのは赤沢さんという話だったっけ。そのノートのお陰で随分学校を休んでも何事も無くテストを乗り越えられた、というわけか。

 

 見崎が机の上の紅茶に手を伸ばす。僕もそれに合わせて缶の中身を喉に流し込んだ。話はひと段落、次は何か話題を変えようかと思う。

 

「他に何か……」

 

 彼女も僕と同じに思ったらしく、そう切り出したその時。部屋の扉が開いた。

 

「鳴? 帰ってきてるの?」

 

 そこに立っていたのは女性だった。頭から外したバンダナと何やら作業着らしいその格好から、この人がここの工房で人形を造っている霧果さんに違いないのだろう。

 

「お母さん」

 

 そして見崎がその人を「母」と呼んだことで、僕の予想は当たっていたとわかった。僕は立ち上がって「お邪魔してます」と頭を下げる。

 

「あら、珍しいわね、鳴が誰かを連れてきて、しかも男の子なんて。クラスのお友達? それとも部活動の……」

「クラスメイトの榊原恒一君です。以前下のギャラリーにお客さんとして来てもらった事もあって」

 

 おや、と思う気持ち半分、やはり、と思う気持ち半分。そんな心で僕は見崎の言葉を聞いていた。

 他人が首を突っ込むことでは無いのだろうが、やはり見崎と母である霧果さんの間には微妙な距離間があるように感じられた。なんだか、他人行儀というかなんというか……。

 

「そう。若いのに珍しいわね。人形に興味があるの?」

「まあ興味があるというか……。何と言うか、惹き付けられた、とでも言うんですかね……。入り口にあった人形を見て、もっと見てみたくなった、みたいな……」

「へえ、なんだかそう言ってもらえると作った者としてはちょっと嬉しくなっちゃうかもね。それで、榊原君はどの子がお気に入り?」

「ええと……」

 

 まさかここまで色々突っ込んで聞かれるとは思っていなかった。思わずしどろもどろになってしまう。「どの子がお気に入りか」などと聞かれても、正直覚えていない。……いや、気に入っているというより気になっている、という人形ならあった。見崎にどこか似ていた、1番奥の棺の中の人形。だがあれは何だか訳有りのようにも思える。果たして聞いていいものか。僕がそう思っているところで、見崎が横から口を挟んできた。

 

「……榊原君、そろそろ帰りの時間、大丈夫?」

 

 言われて時計を見て「あ」と思わず声をこぼした。気づけばもう夕方、祖母には「昼過ぎぐらいには帰れると思う」と言っておいただけだし、さすがにそろそろ帰らないと夕食にも差し障ってくる時間になる。それじゃあそろそろお(いとま)しようかと口を開きかけた時。

 

「……私、榊原君のこと送ってきます。この街に越してきてまだ日が浅いから、迷ってしまうといけないんで」

「あら、そう」

 

 畳み掛けるように、見崎はそう続け、霧果さんもそれで納得してしまった。当の僕はまだ帰るともなんとも言っていないのだが……。まあそろそろ帰らなくてはいけなかったのは事実だ。紅茶の缶の中身を空け、荷物を手に立ち上がる。

 

「じゃあこれで失礼します。お邪魔しました」

「またいつでもいらしてね」

 

 優しげな言葉と対照的、霧果さんの表情には特に何の色も浮かんでいなかった。親子仲が悪いのだろうかとやはり余計な心配をしてしまいつつも、僕は見崎に促されて彼女に続いて部屋を出た。

 

 

 

 

 

 既に時間帯は夕暮れ、日は優に傾いている。見崎の家にあまり長居したつもりはなかったが、その前に病院に大分いたのが大きいのだろう。そしてそこで昼食を食べ損ねていることを改めて思い出した。思い出すと急にお腹が減ってくる気になるのが人間だ。早いところ家に着いて夕食を食べたいという気持ちが浮かんでくる。

 だが、それをさておいても僕はまだ見崎ともう少し話したかった。本当は聞いていいものか迷っている部分もある。しかし、彼女は今日も質問攻めを認めてくれたはずだ。だったら、と自分を奮い立たせることにした。

 

「見崎……いつもあんななの?」

「何が?」

「お母さん……霧果さんと。なんだか話し方とか他人行儀みたいだし……」

「そう? そんなものじゃない?」

 

 このことはあまり話したくなさそうだった。ならやはりきわどい話題かもしれないが、もうひとつ心に引っかかっていたことを聞いてみようと思う。

 

「さっきさ、藤岡さんの話題を出した時に『ここではしたくない』って言ったよね? それって、あの家で話すとまずい、ってこと?」

 

 見崎は答えない。やはりよろしくない質問だったかと僕が思ったところで、彼女がひとつため息をこぼすのがわかった。

 

「……知りたいなら、教えてあげないこともない、か」

 

 そう言って見崎は足を止め、首を動かした。彼女の視線の先には小さな公園がある。

 

「榊原君、時間、もう少し大丈夫?」

「え? ああ、うん……」

 

 見崎は公園へと入っていった。なんだろうかと思いつつ僕は後を追う。彼女は鉄棒の前まで行き、背中を鉄棒に預ける。そして先ほど同様にため息を、今度はより大きくこぼした。

 

「あれはね、しょうがないの」

「しょうがない……?」

「そう。あの人……霧果は、私の本当のお母さんじゃないから」

「えっ……?」

 

 他人行儀。そうか、血が繋がっていないのなら、そうなってしまうのもわからないでもない。だが一体どうしてそうなったのだろうか。

 

「霧果……本当の名前はユキヨっていうんだけど、昔流産しちゃって、その後子供を産めない体になってしまったらしいの。一方で、あの人にはミツヨという二卵性の双子の姉妹がいた。そのミツヨは双子を出産したの。だけど、経済的に厳しいこともあって、2人を育てるのには不安があった。そこで、その双子のうちの片方を見崎家に養子に出すことにした……。需要と供給のバランスが合った、というわけね」

「もしかして、それって……」

「その時に見崎家に養子に出されたのが、私。そして……霧果……ユキヨの双子の姉妹であるミツヨが嫁いだ先の苗字は……藤岡(・・)……」

 

 そういう、ことだったのか……。それは似ているはずだ。いとこ、とはいえ似すぎだと思っていた。それはそうだろう。見崎鳴と藤岡未咲は双子の姉妹(・・・・・)なのだから。

 だから、「半身」という見崎の藤岡さんに対する言い方は実は過剰でもなんでもなかったのだ。双子であるならその例えは言い得て妙だろう。なんとも奇妙な巡り合わせだ。

 さっき藤岡さんが白血病の骨髄移植の話をした時、「鳴からもらうのが1番だってわかっていた」と言っていたはず。僕は病気のことは詳しくないが、そういう場合、血縁関係が近いほうが移植の相性がいいとか聞いたことがある気がする。双子だったらなおさらだろう。

 

「私も未咲も薄々気づいてはいたの。いくらいとこでも似すぎだな、って。誕生日も一緒だったからなおさら。だけど小学5年生ぐらいの時かな。天根のおばあちゃんがうっかり口を滑らせちゃって。それではっきりとわかったの。その時の霧果……お母さんの慌て様といったらなかった」

「……君と藤岡さんがいとこじゃなくて本当は双子の姉妹だったってことはわかった。でも、それがどうしてあそこで話したくない、って事に繋がるの?」

「今言った一件以来、あの人は余計に私を手放したくない、って思ったみたい。私と未咲が会うこともあまり好ましく思ってない様子だったし。……元々未咲の家とはあまり遠くなかったんだけど、それをきっかけに藤岡家は少し遠くに引っ越しちゃって。それで未咲と会うのも難しくなったの」

 

 そこで僕は先日の昼の時、杉浦さんが言っていた話を思い出した。確か見崎に似た人が5年生の時に転校した、と言っていたはず。その見崎に似た人というのは他ならぬ藤岡さん、そしてその理由はこれだったのか。

 

「見崎はそのことに反対しなかったの?」

「……したかった。私も未咲と離れたくなかったから。だけど……あの人はそれを認めてくれなかった。さっき言ったとおり手放したくない、って心があったんでしょうね。基本放任主義なんだけど、そういうところだけ厳しいっていうか……。まあ、わからなくもないんだけど」

「え……? どうして?」

「あの人は……生まれてくることが出来なかった本当の我が子にまだ未練があるの。同時に、また我が子を失うことを怖れている。だから、ああやって人形を造り続けているわけ。……地下にあった私に似てる人形を覚えてる? 多分、あれはあの人が本当の我が子を思って造った作品だと思うの」

 

 あの地下室で見崎に会った時、彼女は人形を「私であって私でない」「私の半分かそれ以下」と表現した。その言葉の本当に意味するところが、今になってわかった。見崎もあの人形も、霧果さんにとっては「子」という存在になるのだろう。だがそれと同時に、その「子」は、「母」の渇いた心を満たすことの出来ない存在……。

 

「感謝はしてるの。実の娘じゃないとはいえ、あの人は多分人並み以上に私を大切に育ててくれた。左目を病気で失った時だって、私のためにって義眼を作ってくれたもの。……でも、あの人にとっては所詮私はお人形なの。生まれてこられなかった子の代わりとしての存在価値しかない、ただの人形……」

「そんなこと……」

「ない、って言いたいの?」

 

 言いたかったことを見崎に先に言われてしまい、僕は口を噤む。僕にそんなことを言う資格などないのかもしれない。見崎のことも、家のこともまだわからないことが多い。そう思うと、今先を越されたのは何だか咎められるようでどうしても申し訳ない気持ちになってしまった。

 

「……やっぱり榊原君って変わってるね」

 

 だが、見崎の口から出たのは非難の言葉ではなかった。彼女は夕暮れの、たそがれに染まる空を見上げながらそう言ったのだ。

 

「自分でも少しひねた考え方だってはわかってる。だから、こんな話をしたら呆れられるだろうな、って思ったのに」

「……見崎の言いたいことは解る気がするよ。僕が言えた口じゃないかもしれないけど……。でも、これだけは言いたいんだ。見崎は人形じゃない。ちゃんとした人間じゃないか。

 僕はあの地下室で人形を見てたとき、なんともいえない感覚に襲われていた。どうしてこの人形達はこんなに物悲しそうなんだろうか、って。今の見崎の話を聞いて、それを造ってる霧果さんのことが少しわかった。だから、あの時に感じた考えがより強くなってるんだ。あの人形が物悲しそうなのは入れ物でしかないから、魂……つまり心を求めているんじゃないんだろうかって。

 ちょっと妄想めいた話かもしれないとは思ってる。でも……見崎、君には心があるじゃない。藤岡さんのことを本当に心配してる優しい心があるじゃない。だから、見崎は人形じゃないよ」

 

 今思えば、我ながらよくもまあここまですらすらと言えたものだと思う。だがそう思っていたのは紛れもない事実だった。僕にはあれこれ言う資格はないかもしれない。そう解っていてもなお、見崎が自分のことを「人形」と言ったことだけは、どうしても否定したかった。

 彼女は幽霊でも人形でもない、血の通った人間だ。初めて病院のエレベーターで見かけたときからどうしても気になっていた、ミステリアスな彼女。そんな彼女を幽霊じゃないかなどと考えて追いかけ、やっと捕まえた時のあの手は、間違いなく血が通っていた。だから、どうしてもそう言いたかった。

 

 きょとんとした様子で見崎が僕を見つめる。次いで僅かに表情を緩めて、再び空を見上げた。

 

「……やっぱり榊原君って変わってるよ」

 

 さっきと同じようなセリフだったが、今度は断定系だった。これまでは喜んでいいものか計りかねる「変わってる」という評価だったが、今回ばかりは喜んでいいだろう。

 

「こんな話をしたの、榊原君が初めて。未咲に言ったらあの子申し訳なく思っちゃうだろうから、言えないでいたの。……そっか。人形じゃない、か。なんだか……ちょっと嬉しい、かな」

 

 そう言って、彼女は少し笑った。そんな表情の見崎を見るのはひょっとしたら初めてだったかもしれない。思わず珍しい表情に見とれてしまっていた。

 

「でも……」

 

 不意に見崎が左目の眼帯を外した。一度見たことのある翡翠のような美しい義眼が僕を見つめる。

 

「この目だけは、『人形の目』なんだけどね。あの人が……お母さんが私のために作ってくれたものだから」

「そういえば……。前に『見えなくてもいいものが見える』とか言ってなかった? あれ、本当?」

 

 本当のはずはないことなど、言われなくてもわかっていた。だが一応そう尋ねてみる。彼女は一瞬意外そうな表情を浮かべた後、案の定何かを含むような顔へと変わった。

 

「……さあ? どうかしら、ね?」

「じゃあそういうことにしておくよ」

 

 予想通りの回答に、僕は前もって用意しておいた答えを返す。するとこれまた予想通り、彼女はどこか面白くなさそうに僕から目を逸らした。

 

「……つまんない」

「僕は変わってて面白いんじゃなかったの?」

 

 鬼の首を取ったり。反論できずに僕を見つめなおした見崎は、ややあって小さく吹き出した。

 

「……そうね。変わってて、面白い」

 

 答えながら、見崎は左目に眼帯を戻していく。なんだかそれが少し勿体無いような、もう少し見ていたいようなそんな感覚に襲われて、僕は口を開いた。

 

「眼帯、やっぱりつけるんだ」

「だって……不気味じゃない?」

「そんなことないよ。すごく綺麗だと思う」

 

 眼帯を戻し終え、彼女は意外そうに僕を見る。別に嘘を言ったつもりはない。初めて見たときにまるで吸い込まれそうだった、碧に輝く翡翠のその目は心から美しいと思っていた。

 

「……やっぱり変わってる」

「かもね。もう否定する気もないよ」

「じゃあ……榊原君といる時は、時々眼帯外そうかな……」

 

 是非ともそうしてほしい。それほどの綺麗な目を隠しているなんて勿体無いと思う。なんだか、2人の間にだけ秘密ごとが出来たみたいで少し嬉しかった。

 

「……長話しちゃった。あんまり遅いとあの人も心配するかもしれないし、榊原君もそろそろ帰った方がいいんでしょ?」

「そうだね……。だんだん日も暮れてくるし、暗くなる前に帰った方がいいかな」

 

 僕としてはもっと話していたかったが、見崎の言っていることももっともだった。また昼食の時や第2図書室で話せばいいだろう。

 公園の入り口まで戻る。そこで彼女は足を止めた。おそらくここで別れることになるのだろう。「送っていく」というのはどうやら建前だったらしい。

 

「帰りの道……大丈夫?」

「うん。何度か歩いたことがあるから」

「そ。じゃあ、ここで。……またね、さ・か・き・ば・ら・君」

 

 いつか聞いたような口調でそう言うと、彼女は僕に背を向けた。僕も「じゃあまた」と返し、家路を急ぐことにした。見崎の背中を少し名残惜しく見つめ、踵を返す。

 

 病院での検査だけで終わると思っていたが、予想もしなかった1日になったと思う。藤岡さんとの出会いに始まり、見崎の家にお邪魔して、そして彼女のことについて話す……。さっきも思ったことだが、今日は「ミサキ」尽くしな1日だった。ここにかつて千曳先生が受け持ったという、母さんと同級生の「夜見山岬」まで絡んできたらフルハウスだったことだろう。

 ああ、そういえば、とタイミングを見計らったかのようにお腹が鳴った。今日は昼食を食べ損ねていたんだった。空腹は最高の調味料、今日の夕飯はさぞかしおいしいに違いない。その昼食を抜いた分を差し引いても、今日は楽しい1日だったと改めて思ったのだった。

 




展開としては原作を踏襲した話に。
ただ病院から帰ってきた設定で書いているために見崎は制服なわけで、そこで原作どおりの逆上がりをやるとスカートの中身が……と思ったのでそこは割愛しました。

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