あなざー ~もしも夜見山北中学3年3組に「現象」がなかったら~   作:天木武

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#18

 

 

「合宿を考えています」

 

 LHR(ロングホームルーム)で僕達全員になにやらプリントを渡しながら、久保寺先生はそう言った。

 

「合宿、とは言いましたが、このクラスでの思い出作り、とでも考えてくだされば結構です。まあ本来なら、それは修学旅行で行うべきなのですが、あいにくこの学校では修学旅行は2年生の秋と決まっていてもう終わってしまっていますからね……」

 

 えっ、と僕は思い、隣の望月の肩をたたいて顔を近づける。初耳だ。僕が前いた学校では修学旅行は3年の秋だったはず。なのにここはもうそれが終わっているのだろうか。

 

「……何?」

 

 小声で望月が返してくる。僕も手を添えて、典型的なひそひそ話の格好で彼に話しかけた。

 

「……もう修学旅行って終わってるの?」

「終わってるよ。去年の秋に東京に行ったよ。東京タワーに上ったかな。勅使河原君辺りから聞かなかった?」

「……ほんとに?」

 

 なんということだ。僕の中学時代は修学旅行を経験することなく終わってしまうということらしい。

 

「なんで2年の秋なの? 普通3年の秋じゃない?」

「えっとね……」

「榊原君、私語は感心しませんね」

 

 普段こういうことには寛大……というか甘い久保寺先生に注意されてしまった。「すみません……」と僕は素直に謝罪の言葉を述べる。

 

「ですが……。転校生であるあなたの疑問ももっともでしょう」

 

 しかも驚くべきことに先生は僕達のひそひそ話を耳に入れていたらしい。……なんという地獄耳、もしかして普段甘かったり適当にしている部分は、実は全部わかっていてその上で見逃しているのではないかとさえ思えてくる。

 

「榊原君は、この学校の文化祭がいつ行われるかわかりますか?」

「えっと……11月ですか?」

「おいサカキ、お前学校行事の予定ぐらい把握しておけよ!」

 

 後ろから勅使河原の文句が飛ぶ。余計なお世話だ……。僕はお前と違ってそこまで学校行事に興味があるわけじゃないんだ、と心の中で反論する。

 

「この学校の文化祭は10月の頭、夏休みが空けると早くも文化祭の準備が始まります」

 

 なんと、そうだったのか。それはまったくわからなかった。しかしそれも意外だ。普通、というか前の学校は11月頭だったから、1ヶ月は早いことになる。

 

「なぜその時期なのか。それは部活動の3年生の引退時期に関わっているんです」

「引退時期……?」

「はい。運動部の場合、夏の中体連を最後に3年生は引退扱いとなりますが、文化部は明確な線引きが出来ない。そこで、文化祭を最後に引退扱いにしようとなったわけです。しかし、それが11月ではそこから受験モードに切り替えるのは少し遅いのではないか。そこで10月に文化祭が行われ、3年生はそこで引退になるのです」

「こういっちゃんは帰宅部だから気になんないかもしれないけど、特に私の所属してる演劇部とか吹奏楽部とかはそこそこ重要な問題なんだよね、これ。結構文化祭人集まるしさ。やっぱ文化祭で最後締めたい、って思うし、せっかくなら部で3回参加したいって思いがあるわけよ。もっちー、美術部もその文化祭に展示するものを目標に今作業進めてるんじゃないっけ?」

 

 補足した綾野さんはそう言って背後の望月の方へと振り返る。彼は頷いて今彼女言ったことを肯定した。そういえば以前見崎と話した時にそんなことを言っていた気もする。

 

「他にクラスでの出し物もありますし、3年生にとってはそこが一区切りとなるのです。……そういうわけで、文化祭が終わると3年生は受験モードに入るわけです。しかし、その後で修学旅行では浮ついた心のままで勉強に集中できない……。そう考えた教職員の意見によって、2年の10月末と、ずっと前から決まっているのです」

 

 へえ、と思うと同時にどうにも納得しかねてしまう。……別にその修学旅行の後で受験モードに入ればいいじゃないか。いつの時代に決まったか知らないが、そんな教職員様方の決定のおかげで僕は修学旅行に行きそびれてしまうわけだ。そもそも2年の秋じゃ「修学」という言葉に相応しくないではなかろうか。3年の春先とかでも良いだろうに。……まあその場合も僕はまだその時期じゃ胸が不安だから諦めることになったか入院中だったんだろうけど。

 

「……少々脱線してしまいましたが、話を戻しましょう。つまりこのクラスで修学旅行に行くことはないわけで、だったら思い出作りに、という意味を込めて合宿を考えています。場所は咲谷記念館。夜見山にある保養所です。……幸いこのクラスには高林君もいますしね」

 

 そう言うと先生は廊下側1番後ろの高林君に視線を送る。彼はそれを受けて軽く頭を下げた。……なぜ高林君がそのことと関係があるのだろう?

 

「日程は8月8日から10日までの2泊3日を考えています。2日目は天候次第ですが夜見山を登り、そこにある夜見山神社を清掃する予定です」

 

 「ええーっ!?」と後ろから勅使河原の抗議の声が飛ぶ。僕も彼ではないが、何で合宿で山を登って挙句神社の掃除までしないといけないだろうかと思ってしまう。

 

「勅使河原君、夜見山神社はこの街においては貴重な文化財ですよ? ですがそれを市もまともに管理していない。嘆かわしいとは思いませんか? 古き良き文化財を大切にし、先人に敬意を払い、改めて今我々がここに存在できるのはそのおかげだと実感しながら生を全うしていかなくてはならないのです。よろしいですか?」

 

 うーむ、さすが国語の先生。古文を習うこともあるからか、そう言われると妙に説得力がある。

 

「……ともかく、参加不参加は皆さんにお任せします。私としてはなるべく全員の参加を望むところですが、強制はしません。各人での予定や都合とうまく相談の上、夏休みに入るまでにプリントを提出してください」

 

 合宿か……。いや、これはもはや合宿と言う体裁のクラス内思い出作りとか、親睦宿泊とか、そういう類だろう。面白そうだな、とは思う。でも見崎は……どうするんだろうか。

 チラッと彼女の方へと視線を移す。だがやはりというか、普段と変わらず、物憂げな表情で外を眺めている姿が見えただけだった。

 

 

 

 

 

 翌日、僕は勅使河原から昼食を丁度食べ終わった辺りに電話を受けて呼び出された。

 

『今日休みだし暇だろ? おもしれえ話があるから3時にイノヤに来いよ。あ、場所はわかるか?』

 

 面白い話なら別にここですませればいいだろうとも思ったが、まあ暇なのは事実だった。そしてイノヤの場所もわかる。丁度1週間前、綾野さんに店の前までは案内してもらっているからだ。

 

 そんなわけで2時過ぎという1日でもっとも暑い時間帯のうだるような夏の暑さにうんざりしつつ、指定された時間の10分前にはイノヤについた。カランカランと来客を知らせる音と共に扉を開けると、「いらっしゃいませ」という女性――確か望月の異母姉の知香さんだったか――の挨拶を受ける。思わず「あ、どうも……」と反射的に答え、どうしようかと迷っていた時。

 

「恒一君? こっちよ」

 

 店の奥から僕を呼ぶ声が聞こえた。そっちに目を移すと赤沢さんが手招きしている。珍しい。普段つんけんしてる相手である勅使河原の誘いに彼女が乗るなんて。

 

「よかったわ、来てくれて」

 

 向かいの席を促されたので、僕が彼女と向い合うように席に着くと同時、まずそう言ってきた。

 

「勅使河原から急に呼び出されたんだけど……。赤沢さんも?」

 

 そう尋ね返すと、どこか彼女の表情が不機嫌そうに変わる。

 

「まあね……。あんな奴の頼みなんて、本当は聞かなくてもよかったんだけど。今日はたまたま部活もなかったしね」

 

 ということはまた綾野さんがその辺りを徘徊している可能性も、小椋兄妹が一緒にいる可能性もあるわけだ。先週のようにこの店に入ってきたらどうするのだろうか……。いや、もしかしたら勅使河原はそれを狙ってる可能性もあるわけだろうか?

 

「いらっしゃい。泉美ちゃんのお友達?」

 

 と、そこで知香さんが僕のところに水を運んできてくれた。

 

「ええ。クラスメイトの榊原恒一君」

 

 赤沢さんからの紹介を受けて僕は頭を下げる。

 

「望月のお姉さん……ですよね?」

 

 まさか僕がそのことを知っているとは思っていなかったのだろう。意外そうな表情を見せた後、彼女は再び笑顔に戻った。

 

「ええ、望月知香です。いつも弟がお世話になってます。お話は色々聞いてますよ。……それで、ご注文はどうします?」

「あ、えっと……」

 

 僕はメニュー表を手に取る。……おお、なかなかにいい(・・)値段だ。これを「チェーン店よりちょっと値が張る」で済ませた綾野さんに突っ込みを入れたい。ここの飲み物1杯であの時食べたファミレス一食分ぐらいはまかなえてしまうのではないだろうか。

 

「私と同じ奴を」

 

 そして一瞬迷って無難にアイスティーにするか、と思った僕をさておき、赤沢さんは得意気な表情でそう言った。チラッとカップの中を窺うと茶色の液体が見えた。ああ、やっぱりと思っていまう。

 知香さんは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに「かしこまりました」と営業スマイルに戻る。次いで一礼して場を去っていった。

 

「赤沢さん……飲んでるのはコーヒー?」

「そうよ」

「僕コーヒー苦くてダメなんだけど」

 

 一応、言うだけ言ってみる。綾野さんに「どうせ飲まされることになるよ」みたいに言われていたから、ある程度は覚悟していたが。

 

「ここのコーヒーは本物よ。飲めばわかるわ」

「ハワイアン……なんとかってやつ?」

 

 彼女は驚いたように目を見開いた。しかしすぐ普段通りの表情に戻って僕の間違いを訂正する。

 

「ハワイコナ・エクストラファンシーよ。……詳しいじゃない。本当は好きなんでしょ?」

「違うよ。人から聞いただけ」

 

 そこで彼女は「ふうん……」と僕から目を逸らして何かを考え込んだ様子だった。次いで手元のカップを口へと運び、それからゆっくりと戻す。

 

「……勅使河原?」

 

 一瞬、何のことかわからずに首を捻った。直後に「人から聞いただけ」と答えた、その「人」が誰かを尋ねてきたのだと思い当たる。

 

「ううん」

「じゃあ綾野ね」

 

 思わず言葉を失ってしまった。僅か2回の解答権で当ててしまうなんて。そして僕の様子で彼女はわかってしまったらしい。「やっぱりか……」と呟く。

 

「なんで……わかったの?」

「なんとなく。『ハワイコナ』を『ハワイアン』なんて陽気なネーミングに変えて、かつ恒一君と仲が良さそうで私のコーヒーの趣味を知ってる情報通な人間……。加えて、恒一君は知香さんのことも知ってたわけだから、イノヤのことまでペラペラ喋る人間、となればその2人ぐらいしか思いつかなかったのよ」

 

 見事な推理力。僕は華麗に墓穴を掘ってしまっていたらしい。このままだとあまりよろしくない。このまま突っ込まれて色々聞かれては、綾野さんに「泉美には絶対言わないで」とこの間言われたのに口を割ってしまいそうだ。

 

「お待たせしました」

 

 と、困っていた僕の元へ助け舟が出された。知香さんが注文を受けたコーヒーを持ってきてくれたのだ。僕はコーヒーには疎いので、匂いの感想を言えと言われても芳醇ないい香り、という人並みな言葉しか出てこない。

 

「騙されたと思って、飲んでみて」

 

 だが赤沢さんは匂いよりも味の感想を求めているらしい。まあ救いはさっきの綾野さんの話はもう二の次になった、と言うことだろう。とはいえ、さっきも言ったとおりコーヒーは苦手だ。しかしせっかく勧めてるんだから、飲むのが筋と言うものだろう。慣れない匂いを鼻孔に感じつつ、僕は一口、液体を飲み込んだ。

 

「どう?」

「苦い……けど、おいしい」

「でしょう?」

 

 まるで自分のことのように赤沢さんは得意気な表情だった。これならどうにか飲めそうだ。僕はもう一口、コーヒーのカップを口に運ぶ。

 

「……ねえ、恒一君」

 

 コーヒーのカップをずっと見つめていた僕は、名を呼ばれてようやく彼女が僕を見つめていることに気づいた。あまりに真剣というか、まっすぐというか。何か重要なことを言い出しそうな雰囲気に、手にしていたカップを置く。

 

「何?」

「……前にも聞いたことなんだけど、私と以前、どこかで会ってない? 確か春の時点で1年半前にここに来たことがある、って言ったわよね? つまり、私が1年生の9月ぐらいの時だと思うんだけど」

「ああ……確かにここに来たのは夏と秋の境目ぐらいだったような気もするかな」

「その時に私に会ってるはずなの。一昨年の9月後半……。思い出せない?」

 

 一昨年の9月後半? 確かに僕が以前ここに来たのは4月時点で1年半ぐらい前、だったはずだから、それで計算自体は合ってるはずだ。だけど……赤沢さんに会った記憶があるか、と問われるとどうしても思い出せない。というよりそもそもあの時どうしてたかもあやふやだ。確か両親に連れられてここに来て、今お世話になってるあの家で適当にのんびりしてたような記憶しかない……。外を散歩はしたかもしれないけど、それも僅かな時間だし……。

 

「……ごめんなさい。やっぱり何でもないわ。きっと人違い……。忘れて頂戴」

 

 僕が難しい顔で悩んでいるのを見かねたのだろう。赤沢さんはひとつため息をこぼし、目の前のコーヒーを口に含んだ。

 しかし思えば転校後に初めて一緒に昼食を食べたときも全く同じ事を聞いてきているはずだった。だとするなら、彼女には何か強い確証でもあるのだろうか。

 そのことを尋ねようと僕が口を開きかけたとき。

 

「お! 2人とも来てるじゃねえか!」

 

 イノヤの入り口が空くと同時、勅使河原と望月の2人が入ってきた。それにしても勅使河原の服……。アロハシャツってやつだろうか、随分といいセンス(・・・・・)をお持ちのようで。

 勅使河原の顔を見ると赤沢さんは露骨に不機嫌そうに表情をしかめた。そしてコーヒーカップを持って僕の隣の席に移ってくる。

 

「え、何だよそれ!? 俺そんなに嫌われてる?」

「はっきり言われたい?」

「いやまあそれも悪くねえが……。って、そもそも、嫌なら俺の呼び出しを断ればよかっただろうがよ!」

「イノヤでやるっていうから、久しぶりにここのハワイコナを飲むのも悪くないと思ったのよ。……あとは恒一君も来るっていうし」

「あーやっぱり。保険かけてサカキも来るって言っておいて正解だったぜ……」

 

 あ、僕って赤沢さんを呼ぶための保険だったんだ……。まあ特に用事があったわけじゃないし気を悪くしたつもりもないけど、顔にすぐ出てしまうのが僕なわけで。思わず苦笑しつつコーヒーを口に運ぶ。ああ、苦いけどおいしい。

 

「おいサカキ、そんな顔すんなって。保険ってのは半分ぐらいは冗談だよ」

 

 じゃあやっぱり半分ぐらいは赤沢さんを呼び出す口実に使われたわけか、と改めて思う。しかしそれはいいとしておこう。

 

「じゃあ残りの半分は?」

 

 ニヤッと勅使河原がよくない(・・・・)笑みを浮かべる。……数ヶ月付き合ってるとわかる。大体こいつがこういう顔をする時はよからぬことを考えてる時だ。

 

「ご注文は?」

 

 そこで知香さんが注文を取りに割り込む。勅使河原はわざわざ喫茶店に来てコーラ、望月はメロンクリームソーダなんて甘ったるいものを頼んでいた。……そこで僕は喫茶店の「茶」は何の「茶」だろうか、などとくだらないことを考えてしまう。それは紅茶の「茶」じゃないのか。こんな暑い日は普通誰かアイスティーなるものを頼んで然るべきだろうなどと突っ込みを入れたくなる。事実、赤沢さんに強制的にコーヒーを注文されなかったら、僕は無難にアイスティーを頼んでいるところだった。

 もっとも、そんな些細な僕の主張などどうでもいいことだ。半分赤沢さんを呼ぶための保険、もう半分は今のところ不明の僕が呼び出された理由を知りたい。

 

「知ってるかサカキ、今の女の人……」

「望月のお姉さんでしょ。異母姉って聞いたけど」

「あ……、榊原君そこまで知ってたんだ……」

「なんだよ、知ってたのかよつまんねえ。綾野辺りから聞いたか? ……まあいいや、じゃあ早速話を進めるか。実はイノヤは夜になると酒も出してるわけなんだが」

 

 そういえば、入り口を入ったときにボトルキープというものだろうか。壁にお酒のボトルが置いてあった気がする。

 

「ちょっと前にここに来てる常連さんが望月のお姉さん……知香さんに絡んでいったらしいんだ」

「コーラとクリームソーダ、お待たせしました。……絡むというか、夜はここでお酒の提供もするわけなんですが、私はここのマスターである猪瀬さんのお手伝いをさせてもらっていて、お酒を注ぎながらお話の相手をさせてもらうこともあるというだけですよ」

 

 知香さんが勅使河原と望月の飲み物を運んできつつ、会話に割って入ってきた。そのまま会話に参加するようなので、お仕事は一旦中断と言うところだろうか。しかし、ということはこのお店は夜はバーとかスナックとか、そういう形態をとるわけだろうか。……その2つの違いはよくわからないけど。

 同時にこのお店の名前の由来がわかった。なるほど、マスターが猪瀬さんだからイノヤ、というわけか。

 

「それで常連さんの中に松永克己さんという方がいるんです。元々はここの出身らしいんですけど、今は隣町の海に面したリゾートホテルに住み込みで働いていらっしゃるらしくて。それでもここは馴染みの店だそうで。私とは少し年が離れてはいるんですが、お互いに夜見北出身だったということもあって、いらしていただくと話が盛り上がるんです」

 

 馴染みということは学生時代から通っていたのだろうか。ということは今の猪瀬さんは2代目かな、とか、同じ学校出身だと学年が離れていても共通する話題はあるものだよな、とか割とどうでもいい事を考えながら僕はその話を聞いていた。

 

「それで私のことをえらく気に入っていただいたらしくて……。『自分はホテルの裏方だけど連絡をくれれば格安で泊まれるように口添え出来るから』って、番号を残していってくださったんですよ」

 

 そう言うと、知香さんは携帯の番号らしき数字が書かれたその人の名刺を机に差し出した。するとどういう理由か、勅使河原がそれを僕の前に持ってくる。

 

「……なんで僕の前に持ってくるの?」

「こっからが本題なんだ。まあ本当は誘われたのは知香さんだが、行けないって話でな」

「はい。お店もありますし、それに……。そういうお誘いを受けるのはあの方(・・・)にも申し訳がないので……」

 

 あの方。その言い方でなんとなく事情を察した。そしてなぜ彼女がここで働いているのかも。

 

「知香さん、ここのマスターの猪瀬さんと結婚を前提に付き合ってるんだよ。だからここで働いてるってわけだ。……ドンマイ、望月」

「な、なんでそこで僕が出てくるのさ」

 

 見事に僕の予想は勅使河原によって裏付けられた。……ドンマイ、望月。

 

「んで、知香さんからもう少し詳しく聞いたら、その松永って人、15年前(・・・)の夜見北3年3組の卒業生らしいんだ」

「あ、僕達とクラス一緒なんだ」

「大切なのそこじゃねえよ! ……サカキ、お前気づいてないだろ? お前の身近(・・)に、確か15年前の卒業生……まあ3組かはわからねえけど、いただろ?」

 

 考えるまでもなく、その人は思い浮かんだ。そして勅使河原が言いたいこともわかってきて苦笑を浮かべるしかなかった。

 

「……じゃあ何、要するに『誘っていただいた知香さんは行けないけど、代わりにあなたの知り合いであろう人とその甥っ子が友人と一緒にお邪魔したいから、良きに計らってくれ』ってことを頼み込みたい、ってわけ?」

「さすがサカキ! 物分りがいいぜ! しかも保護者役までお願いできるから一石二鳥!」

「……相変わらずくだらないことだけは頭が回るのね、あんた」

 

 そして赤沢さんは辛辣に勅使河原のプランに感想を述べた。僕から言わせてもらっても、その思考力を少しでもこの間の期末テストに回していれば、受ける補講の数はもっと少なくてすんだだろうにと思わざるを得ない。

 加えて、僕が呼ばれた理由をもう一度考えてなんだか悲しくなってきた。半分は赤沢さんを呼ぶための保険、そしてもう半分がこれ。つまり頼むための要員として、ということなわけか……。

 

「う、うるせえ! 大体夏のクラス合宿は山だろ? だったらあとは海と相場が決まってるじゃねえか!」

「……一理、あると言えるわね」

 

 あるんですか赤沢さん……。当の勅使河原の方はそれで機嫌を良くしたらしく、さらに饒舌に続ける。

 

「だろ? そこでサカキの出番だ!」

「怜子さんを使え、ってことでしょ。……でもそもそもその松永って人と面識あるかわからないよ?」

「だから今日呼び出したんだよ。ただでさえクラス合宿もあるんだし、予定を詰めるなら早い方がいい。とにかく、帰ったらすぐ聞いてくれ。んでわかり次第俺に連絡。今日明日中にメンツほぼ確定させて、月曜に学校で予定とかまとめるつもりだ」

「一応聞いておくけど、何人でいつを考えてるの?」

「期間はクラス合宿にも被らない、その前を考えてる。向こうの都合次第ってところだろうが、7月末から8月頭がベストだろうけどな。人数は……赤沢、お前の家の車なら10人ぐらい乗るんだろ?」

 

 ハァ、と赤沢さんは大きくため息をこぼした。

 

「……あんた、それで私を呼んだわけ?」

「そんなんじゃねえよ! 俺は……その……どうせ行くならお前もいたほうが楽しいだろうなと思って……」

「私はそうはぜんっぜん思ってないけど」

 

 勅使河原はがっくしと肩を落とした。ああ、今日もダメだったか。しかしきっと彼はまた立ち上がる。この程度でめげる男ではないだろう。頑張れ勅使河原。陰ながら応援してるぞ。

 

「ともかく、うちにワゴンはないわ。普通に5人乗りの乗用車……ドライバーはうちの人間をつけられるから乗れるのは4人ね。あとは顔見知りと言う前提になるけど、恒一君の……」

「うちの叔母さん……怜子さんの車だね。うちも5人乗りのはずだから4人まで。合計8人かな」

「よっしゃ。まずはサカキからの連絡待ちだ。それが取れ次第、各員1人ずつ誘うって事でどうよ?」

「……いいけど、なんであんたが他人の家の車の分まで仕切ってんのよ」

 

 まったくだ。大体怜子さんからオッケーが出るかどうかもわかってないってのに。

 

「あ、僕の分の枠は赤沢さんが使っていいよ。女子1人っていうのもなんだから。杉浦さん辺りに声かけてあげて」

「いいの、望月?」

「うん。僕は行けるってなったら、それだけで十分だし」

「俺は風見に声かけてみるか。サカキは……鳴ちゃんか?」

 

 ニヤニヤしながら勅使河原が尋ねてくる。なんだかその笑顔は殴ってやりたい衝動に駆られるな……。そしてそれ以上に赤沢さんがなんだか不機嫌そうな表情でカップに残ったコーヒーを一気飲みしたのが怖い……。

 

「まあ……一応かけてはみようかな。来なそうだけど」

 

 あの白い肌の彼女に海は似合わない気がする。……クラス合宿の山も同じだけど。まあもしこの勅使河原プランがうまくいって行く、という話にまとまったらダメ元で誘ってみよう。すっかり温くなってしまった赤沢さんオススメのコーヒーを飲み干しながら、僕はそう思った。

 

 

 

 

 

「え、何? 松永克己って……マツじゃん! へー、あいつ隣町のリゾートホテルで働いてたんだ」

 

 帰宅後、夕食前に離れから母屋に戻ってきた怜子さんに今日のイノヤでの話をしたところ、彼女と松永克己は勅使河原の読みどおり同じ15年前の同級生、それもなんと同じ3年3組でそれなりに仲がよかったらしい。

 

「じゃあ怜子さんは松永さんを知ってるんですか?」

「知ってるも何も同じクラスどころか同じ美術部だったのよ。……それでなんだっけ、うまいこと話をつければリゾートホテル格安、って話よね?」

 

 今、この人物凄く話を掻い摘んだ。これは行く気満々だ。

 

「え、ええそうです」

「日付は7月末か8月頭、それで9名で出来るだけ安くって言っておけばいいのね? 了解了解……」

 

 ギラリと怜子さんの目が輝いた気がした。ああ、これはもう決まりだ。僕が受け取った名刺を差し出すと彼女はそれをもぎ取る勢いで奪い取り、電話の前へと走っていった。僕はため息をこぼしてリビングのソファに腰掛けて適当にテレビをつける。といっても、電話はリビングにあるので怜子さんが何を言っているのかはほぼ丸わかりの状況だ。

 

「あ、もしもしマツ?」

 

 怜子さんは明るい雰囲気を作り出して饒舌に話を始めた。「久しぶりねえ」とか「結局あの頃から好きだった絵の道に進んでさあ」とまずはよくある世間話から。そして次第に話を核心へと進めていく。

 

「……それで何、あんた今隣町のリゾートホテルで働いてるんだって? ……え? ああ、小耳に挟んだのよ。……あ、そうそう。そういうこと。話早くて助かるわ。……ハァ!? 飲み屋で絡んだ若い女の子には格安で泊めてあげるって約束するのに、同級生かつ同じ部活であった私とその甥っ子達には何のサービスもないっての!? あんたそんな薄情な男だったっけ!?」

 

 僕は素直に顔も知らない松永さんに同情した。こうなると怜子さんは強い。強いというか、押し返せない。もってあと数秒、うまいこと言いくるめられて僕達の海への旅行は決まるだろう。そもそも怜子さん自体、さっき話を振ったときに完全に「海行きたい」オーラを出しまくっていた。

 

「……もう一声! こっちは中学生がほとんどなのよ!? ……そこをなんとか! よしわかった、私が直々にあんたの晩酌に付き合ってあげる! これでどうだ! ……何ィ!? 私じゃイノヤの店員以下だって言いたいわけ!? 女はすぐ化けるのよ!? あの頃の私を考えてるならそれの10倍は美人になった姿を想像しなさい! ……した!? ほら、そんな美人があなたの気の済むまでタダでお酌よ、お得でしょ!」

 

 恐るべし、怜子式交渉術。うちの母も千曳先生に「猪突猛進」とか言われていたし、父さんとの結婚で反対された時も今の妹のようなこの様子で押し切ったのだろうか……。それも血筋だとしたら怖い。

 流れるテレビのニュースも全く意識に残らず、そんなことを考えてながら話を聞いていたが、そろそろまとめに入るらしい。

 

「……そう、7月末か8月頭。……うん、うん。……まあそこはしょうがないか、こっちで何か準備すればいいわけでしょ? ……はいはい、オッケー、完璧。やっぱ持つべきものは友よね。じゃあそういうわけで、なんか無理言って悪かったわね。……え? まったくだって? そこは思ってても言わないところよ! まあいいわ、じゃあよろしくねー」

 

 電話を切ると満足そうに怜子さんは僕にVサインを見せる。結果は聞かなくてもわかる。海行きは決定だ。

 

「それで……どうなりました?」

「7月31日から8月1日まで1泊2日。宿泊費用はなんと1人2500円ポッキリ!」

 

 安っ! 一応リゾートホテルのはずなのに。どんな交渉をしたんだろうか……。

 

「ただし、夕食朝食抜き……実質素泊まりね。まあ朝は適当に私がコンビニにでも買出しに行くか何かするし、夜はバーベキューセットでも持ち込んで食べるってことにすればいいんじゃないかな」

「そうですね。ああ、でも行った時の昼は……」

「んじゃそこはバーベキューセット持ち込むんだから、オプションの鉄板焼きとかで何か……。そうだ、恒一君焼きそばとか作ってよ」

「ええ!? 僕がですか?」

「料理研究部だったんでしょ? 普段作る料理もおいしいんだし、それと似たようなものじゃないの? それに夜のバーベキューも仕切りはお願いしようと思ってたのよ」

 

 それは僕の範疇を越えている。無茶振りというやつだ。……まあ焼きそばとバーベキューぐらいなら、正直言って焼くだけだからなんとかならないでもないけど。

 

「じゃあ勅使河原に連絡しちゃっていいですか?」

「いいわよ。あ、予算3000円にしておいて。食費とその他諸々でそれでいいでしょ」

 

 まさか本当に3000円なんて破格の値段で一泊二日の海旅行があるとは思わなかった。僕は携帯を取り出し、電波のいい縁側に行きながら勅使河原の番号を探す。その後ろで怜子さんが「水着どうしようかなー……」と随分楽しそうな声で呟くのが聞こえた。

 




本来夜見北の修学旅行が2年の秋なのは「現象」で過去に事故があったから、というのが原作の原因なのですが、本編で書かれている通りの理屈で時期を変更していません。

……と言うのが建前。本音は咲谷記念館での「平和な合宿」をこの後描きたいからというのが主な理由です。本編中の理由なら合宿をやる理由としては一応筋は通ってると思いますし。
断じて「修学旅行とかどうしろってんだよ……どう書いたらいいか全く想像もつかねえ……」と思ったからなどと言うことはありません。ありませんったらありません。

なおイノヤのマスターらしい猪瀬さんと知香さんの関係ですが、アニメ版での苗字は望月のままですが、原作では既に結婚しているらしく猪瀬知香、という名前になっています(ちなみに漫画版は不明です)。本編中の設定はその間を取ってる形となっています。

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