あなざー ~もしも夜見山北中学3年3組に「現象」がなかったら~   作:天木武

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#02

 

 

 夜見山北中学校からの来訪者と握手をしてから数日後。僕の容態は幸運なことに順調に回復へと向かっていた。

 今日は機械と体を繋いでいたチューブが取り外され、久しぶりに自由に歩き回ることが出来た。籠の中の鳥がその束縛から解かれればこんな気分なんだろうか、とも思う。ともあれ久方ぶりの自由を満喫するのも悪くはない。

 そう思い、昼食を食べてしばらく経った後に、僕は院内をふらふらと散歩していた。建物自体が新しい、とは到底言えず、むしろところどころガタ(・・)がきてはいるが、施設としては立派なこの界隈で1番大きな病院である。入院して以来ちゃんと中を歩いたこともなかったので、この機会に見て回るのもいいかと思っていたところだった。

 

 とはいえ、デパートや美術館、博物館だのといった娯楽施設とは根本から異なる。それほど見て回る部分もないわけで。結局小一時間も時間を潰すことはできず、30分ほどで先ほど出てきた病室へと戻る羽目になった。

 

「あれ、ホラーしょうね……わあー!」

 

 自分の病室のある階へ到着した僕を出迎えてくれたのは水野さんの派手な転倒姿だった。勿論床にはつまずくような要素のある物はなにもない。

 

「……大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫よ。これは転んだんじゃなくて、ここの病院の床は滑るからあなたも気をつけなさいね、ということを体を張って実演したわけで……」

「……要するに転んだんですよね?」

 

 僕の突っ込みは完全無視されることとなった。まるで何事もなかったかのように水野さんは立ち上がり、わざとらしくひとつ咳払いを挟む。

 

「コホン……。えーっと今ここに戻ってきたって事は、どこかに行っていたの?」

「ええ。せっかく管が取れたので、ちょっと院内を歩いてみようかと」

「あ、そうだったんだ。道理で。トイレにしては長いと思ったのよ。でも覗いてみてもトイレにいない風だったし」

「もしかして僕のこと探してました? 検温か何か?」

「探してたけど、そうじゃないわ。お客さんが来てたの」

「客?」

 

 脳裏に先日のあの意外とお似合いな(・・・・・)2人組みが思い出される。しかしそんな熱心にお見舞いに来る理由もないだろう。祖母は午前中のうちに顔を出しているから、1日に2度来るとも考えにくい。だとしたら……。

 

「君の叔母さん、って言ってたわよ。若くて美人の」

 

 やっぱり。これまで平日で仕事のために来ることができないでいる、と祖母からは聞いていた。今日は土曜日、僕が入院してから初めて顔を出せる日となったのだろう。

 

「まだ病室にいます?」

「ええ、多分。10分前ぐらいにいらしたかしら。その時はトイレだと思っていたから、しばらくしたら戻ると思うって伝えたし」

「わかりました。ありがとうございます」

 

 一先ずお礼を述べ、僕は速足に自分の病室を目指すことにする。

 

「あ! くれぐれも病院の廊下は走らないでね! 滑るからね!」

 

 いや、あなたじゃないんですから転びませんよ。大体言うほど滑らないし。

 むしろそこは看護婦さんとしては「管が取れたばかりなんだから体に負担をかけないように」とか注意すべきだろうとも思ってしまう。

 ともあれ叔母さんを待たせるのも悪い。帰ってしまっていたらそれこそ余計に申し訳ない。まだ帰っていないことを祈りつつ、速足で歩いた後で、僕は病室のドアを開けた。

 

「あら、戻ったのね、恒一君」

 

 祈りが通じたのか、彼女はまだそこで待ってくれていた。黒の長い髪を胸元まで垂らし、ベージュのブラウスと緑のパンツルックに身を包み、眼鏡をかけている女性。

 

「すみません、怜子さん。ようやくチューブが取れたので、ちょっと院内をぶらついてました」

 

 僕は素直に叔母の怜子さんに謝罪の言葉を述べ、ベッドに腰掛けた。怜子さんは近くにあった椅子に腰掛けており、向かい合う形になる。

 

「いいのよ。それより大切な甥っ子が入院したというのにこれまでお見舞いにも来れずにごめんなさい」

「気にしないでください。平日でしたし、怜子さんが忙しいのはわかってますので。僕の都合で怜子さんに迷惑をかけたくは……」

「コラッ。そういうこと言わないの」

 

 言いかけた僕の言葉は少し険しい顔の怜子さんに遮られる。だがそれは「怒られた」というより「叱られた」という言葉の方が似合うやり取りだっただろう。僕はどこか子供扱いされてるような、でもそれでも嫌な感じはまったくしないような、そんな感覚だった。

 

「あなたは理津子姉さんの大切な1人息子なんだから。私のことだって母親だと思って……って、それはちょっと無理か。私と姉さんは結構年離れてるから、どちらかっていうと姉さんかな。でも、余計な気遣いはしなくていいの。私を頼ってくれていいんだからね?」

 

 この人にそう言われると反論できない。実をいうと元々怜子さんとは面と向かって話すことが自体が苦手、と言うか、どこか緊張するところがあった。

 

 なぜなら、彼女は母に似ている(・・・・・・)からだった。

 

 それも今の母ではなく、若い頃の母。早い話が父が見初めた、まだ学生時代だった頃の母に似ているのだ。年が離れているとはいえ姉妹なのだから当然と言えばそうなのかもしれない。だが、若い頃の母と話しているようでどうにも居心地が悪い、と思ってしまうところがあった。たまに「男は母親に似た女性に恋をする」なんて話を聞くが、父親の遺伝子を継いでいるのならそれもあるのかもしれない。若き日の母の面影のある怜子さんと面と向かって話すとどうしてもどぎまぎしてしまう。……いや、これじゃ僕がまるでマザコンみたいじゃないか。断じてそれは無い、それだけはきっぱり否定したい。

 

「ありがとうございます。まあお陰様で順調に回復傾向にあるみたいだし、今日管が取れましたから。この分だともう少しで退院できそうです」

「そう、それはよかったわ。新しい学校に転校、っていうその時にだったものね。そのことは私もちょっと気にはしてたのよ」

「ああ……。そうですね……」

 

 何と無しに返事を返す。「余計な気遣いはしなくていい」と言われても、やはり気を遣わせてしまっているようでなんだかあまりいい心地はしない。

 

「……ねえ、恒一君。あそこにグラウンドがあるの、見える?」

 

 と、窓の外に目を向けていた怜子さんが、不意にそう切り出した。

 

「グラウンド? ……ああ、あの白っぽい建物の前にある」

「そう。今『白っぽい建物』って言ったのが、恒一君の通うことになる夜見山北中学校……通称『夜見北』よ」

「夜見北……」

 

 それをきっかけとしたように、怜子さんは付近の紹介を始めた。これを機に街中を紹介しておこう、ということだろうか。

 今僕が入院しているこの市立病院は夕見ヶ丘という地名に建っているのだそうだ。他にも朝見台という場所がある、とかこの街の地名にもなった夜見山という山がある、とか結構詳しく説明してくれた。

 

「他にも知っておいたほうがいいこと、とか、夜見北での心構え(・・・・・・・・)なんてのもあるけど……。まあそれはまた今度にしましょう。退院してから、続きは家で、ね」

 

 そう言うと怜子さんは立ち上がった。

 

「じゃあ面会時間終わっちゃうし、私はそろそろ帰るわね。元気そうな甥の顔を見れて安心したわ。せっかくよくなって来てるんだから、くれぐれも無理はしないように」

「無理、って言われてもここじゃ出来ないと思いますよ。……あ、よかったら玄関付近まで送りますよ」

「え? いいわよ、まだ恒一君は本調子じゃないんだし……」

「今日やっと少しは歩き回れるようになったんです。ずっと寝てても体なまっちゃいますし。送らせてください」

 

 多分これから大いに迷惑をかけるだろう、というか既に迷惑をかけてしまっているのだが、ともかくこれから一緒に生活するということを考えると、ここで点数を稼いでおく、というわけじゃないが見送りに行くのも悪くないだろう。やっと歩き回れるようになった、というのも事実だし。とはいえ、やはりこれも普段してしまう余計な気遣いなのかなとも思ってしまうが。

 

「そう? じゃあお言葉に甘えて、年下の王子様にエスコートをお願いしようかしら?」

「エスコートって言っても、入り口までですけどね」

 

 僕も立ち上がり、先導して病室のドアを開ける。

 

「うーん、恒一君はまだまだ若いわね。そんな風に言っちゃったら相手の女性をうまく口説けないわよ?」

「別に僕は怜子さんを口説こうなんて思ってませんよ」

「んもう、いけずねえ。ちょっとはこのおばさんに夢を見させてよ」

「僕のことを若いとか言いましたけど、怜子さんだってまだまだ若いじゃないですか。まあ僕との血縁関係は『叔母さん』ですけど」

「あら、なかなかうまいこと言うのね。少し評価しなおしたわ」

 

 別にうまいことを言ってるつもりも、世辞を言ってるつもりもないのだが、どうやら怜子さんは機嫌をよくしたようだ。

 が、そこまではよかったのだが、どうやらこの会話は廊下ですれ違った水野さんに一部聞かれていたらしい。

 

「おお? なんだかうまく口説いていたみたいけど、デートかい、ホラー少年?」

 

 ああ、めんどくさい人に聞かれてしまっていた。真面目に答えても疲れるので適当にあしらうことにする。

 

「違いますよ。叔母さんを入り口まで見送りに行くだけです」

「とか何とか言っちゃって、本当のところは……」

 

 なんだかまだ色々と言ってるようだけど無視でいいや。

 下を向いた三角形を表すボタンを押すと、丁度上の階から降りてきたところのエレベーターが開いた。中には誰もいない。パッと乗り込み、1階を示すボタンを押し、次いで閉じるボタンを押した。

 

「さっきの看護婦さん、仲がいいの?」

「ええ、まあ。僕が手持ち無沙汰にしてて、たまたまホラー小説を読んでるところを見られちゃって。それからあんな風に呼ばれて、何かと絡んでくるんですよ」

「ふうん……。……悪い虫がついた、なんてことにならないといいけど」

「え? 何か言いました?」

「え!? な、なんでもないわよ。恒一君はもてるわね、って言っただけ」

 

 いや、全然違うことを言ったと思うけど……。まあいいか。

 

「全然もてませんし、そんな風な対象じゃないと思いますよ」

 

 別に謙遜の気持ちも何もない。事実と思って、本心からそう言った。

 丁度そこでエレベーターが目的の階に着き、扉が開く。エレベーターを降りて1階のエントランスへ。面会時間がそろそろ終わるということもあってか、外へと向かう人がちらほらと目に入った。

 

「ここまででいいわよ。わざわざありがとう」

「いえ、そんな」

「じゃあお大事にね。もう少しの辛抱だから。何かあったら家に電話よこすか、お母さんに言伝しておいて」

「わかりました。ありがとうございます」

「いいのよ。それじゃ」

 

 笑顔を見せて僕に手を振りつつ、怜子さんは入り口の自動ドアから外へと消えていった。

 

「さて、と……」

 

 これからどうしたものかと思う。また院内をぶらぶらするのも悪くないが、さっきのでどうせ時間が潰せないことはわかっている。なら外に散歩、というのも考えたが、段々と日は傾いてくる頃だし、大人しく部屋に戻ろうと、僕は来た順路を引き返した。

 

 エレベーターホールに到着し、上へのエレベーターのボタンを押そうとボタンへと近づく。が、3基あるエレベーターのうちの1つ、1番の奥の扉が開いていることに気づいた。

 運がいい。閉まらないように上のボタンを一旦押し、その中へと滑り込む。自分の病室のある5階を押そうとしたところで――その1階下のランプが既についていることに気づいた。

 

「えっ……」

 

 思わずそう呟き、周りを見る。

 その時になって僕はようやくこのエレベーター内の状況を把握した。乗ったときはわからなかったが、エレベーターの隅に先客がいたのだ。いや、正確には「いたらしい」だろう。少なくとも僕が乗ったとき、そして自分が降りる階を押す瞬間まで、このエレベーター内には自分しかいないものだと思っていたのだから。

 

「あ……。すみません」

 

 とはいえ、先客がいたのは事実だ。反射的に駆け込みで乗ってしまった非礼を詫びる。が、詫びられた当人はそんなことなど全く気にも留めていない様子だった。

 少し落ち着いてからよく見ると、先客は僕と同い年ぐらいの少女だとわかった。その少女はどこか不思議、というか、奇妙な雰囲気だった。

 身長は小柄……まあ女子はこんなものかもしれない。でも目を隠すように伸びた前髪から覗く肌は今まで陽に当たった事はないのではないかというほど白かった。その前髪に隠れた左目、そこにあった物が思わず目に留まる。

 

 眼帯だった。白い、医療用の眼帯。

 

 ここは病院だから、怪我をしているから、つまり患者という可能性はある。でも、おそらく彼女はここの入院患者ではないと僕はすぐに判断した。

 その理由が服装だった。紺のブレザー、数日前にお見舞いと称して僕に会いに来た2人、そのうちの桜木ゆかりと同じ制服を着ていたのだ。

 

「君……夜見山北中学校の生徒……?」

 

 そういえば自分から進んで他人と接するのは苦手だった、と気づいたのは思わずその質問が口をついで出た後だった。だが彼女は答えない。いや、厳密には代わりに首の角度を縦に僅かに変えて頷いていた。僕の問いに肯定の意思を示した、ということだろう。

 眼帯に、否、それ以上に彼女自身から漂う不可思議な気配に意識を奪われつつも、彼女をよく見るとその左手に何かがあるのが見えた。

 

 人形。だが女子が好きそうな人形とは違う。かわいいという言葉からはかけ離れた、美しい、あるいは精巧な造りの、人によっては不気味とすら感じる可能性のある人形。

 

「その人形……お見舞い?」

 

 やはり彼女は答えない。話すことが嫌いなのか、と僕が諦めかけた、その時だった。

 

「届け物があるの」

 

 短く、どうにか聞き取れるほどの声で彼女はそう呟いた。

 

「待ってるから。可哀想な、私の半身が」

 

 チン、という音と共にエレベーターが止まった。見れば彼女の目的の階に到着したことが示されている。

 ドアが開くと同時、彼女は足音も立てずに歩を進めた。

 

「あ……君、名前は……?」

 

 僕の問いかけに彼女は足を一瞬止める。しかし振り返ることはせずに、

 

「メイ……」

 

 そう、呟くように自分の名を告げた。

 

「ミサキ……メイ……」

 

 その声と共に分厚い鉄の扉が閉まる。自然と、彼女の姿は見えなくなった。

 

 エレベーターに1人取り残された僕は、思わず今降りていった少女へと思いを馳せていた。

 奇妙な女の子だった。雰囲気もさることながら、手にした人形、その言葉……。

 

『待ってるから。可哀想な、私の半身が』

 

 要するに凄く仲がいい人が入院していてそのお見舞いに来た、ってことなんだろうけど……。だったらわざわざそんな言葉を選ぶ必要もないだろうし、なによりこんな面会時間ギリギリに来なくてもいいようなものを。

 それにしても……。存在自体が希薄なような、まるで本当はそこにいない女の子のようだ、とさえ思えた。事実、僕はエレベーターに駆け込んだときに彼女の存在に気づけなかったわけだし。

 

 再びチン、という音と共にエレベーターが開き、僕の病室がある5階に着いて一歩を踏み出し――そこで僕は気づいた。

 

 彼女が降りた階、それは日本では縁起が悪いとされる数字の階である4階(・・)だということに。

 

「……まさかね」

 

 こんな夜中からはまだ遠い時間から幽霊というのは勘弁してほしい。ホラーマニアの看護婦に影響されすぎたか、と思う。

 まあ夜見北なら登校後に会う可能性もあるはずだ。そこで確認できればいいだけのことだろう。

 そう思って深く考えることをやめ、だがやはり印象的な彼女の姿を忘れることは出来ないまま、僕は病室へと戻った。




追記:コミックスで病院は「夕見ヶ丘病院」と記述されていましたが、公式設定資料集は「市立病院」となっていましたので、名称は市立病院に統一することにしました。
また、設定資料集に明確に「4階の表示なし」とエレベーターの説明の部分に書いてあったのですが、そこだけは今から変えるのも厳しいので、原作と食い違ってしまいますがそのままいこうと思います。

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