あなざー ~もしも夜見山北中学3年3組に「現象」がなかったら~   作:天木武

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 いつから思い始めたことだったか、僕の嫌な予感というものはやけに当たる気がする。いや、本来はそんな毎度毎度当たるわけでは無いのだろうが、プラシーボ効果というものだろうか、実際それが的中する確率よりも体感率の方は高いように感じてしまうわけだ。しかしそもそもそんな超常現象的な超能力のようなものは僕は信じていない。要するにそんな気がした、ほらやっぱり当たったという結果論であり、今回も感想としてはそんなものだった。

 つまり何が言いたいかというと、さっき思った嫌な予感は的中したというわけだ。僕は今不良に絡まれて体育館の裏に連れて行かれたいたいけな生徒よろしく、この暑い中勅使河原に肩を組まれて小言をぶつけられている最中なのだ。

 

「いいよなあ、お前はよ。赤沢に桜木、両手に華かよ? おまけにドライバーも美人な叔母さんと来た。……まあそっちは望月の担当だっただろうが。

 だがそんな天国のようなそっちに対してのこっちの車内の様子が聞きたいか? いいや聞きたくなくても聞け。いいか、ずっと吐きそうでいてしばらくしたら寝た中尾と、それを起こさないように俺たちに静かにしてろと言ってくる杉浦、んでそれに従うしかない俺と風見。

 何だこの差? その間お前は前の車で女子とよろしくやってたわけだろ? んん? まったくうらやましい奴だよな、お前は。おいしい思いしやがって。ほれ風見、お前も何か言ってやれ」

「……僕は榊原君はもっと硬派な人だと思ってたよ。それが赤沢さんや見崎さんじゃ飽き足らず、あまつさえ桜木さんまで……」

 

 いや、それは誤解だ、誤解。大体あそこに見崎いないだろと言いたい。だからその俯き加減で眼鏡の角度を直すのをやめて欲しい。風見君らしからぬ怖さがある。

 その前に勅使河原には組んでる肩を離してもらいたい。暑苦しいことこの上ない。大体乗り分けを決めた時だって赤沢さんが「うちの車に乗りなさい」って言っただけで、勅使河原はそれを勝手に思い込んで乗ったわけだろうから僕に罪はないだろうと主張したい。

 だがどんなに正当性を主張しようと、僕の意見は通らないだろう。正義が勝つとは限らない。真っ当な理論が通るとは限らない。むしろ勝ったものが正義であり、通った理論こそが真っ当という本末転倒な事態がまかり通るのがというのが世の常だ。そうであるとするなら、悲しいかな、彼曰く「おいしい思い」をした僕の意見など到底通るはずもなく、そして通らない意見を通そうとしても疲れるし面倒なだけなので、大人しく僕は彼の気が済むのを待つという、我ながら非常に大人と思える選択を取っていたのだった。

 

「あー……。やっとすっきりした……」

 

 と、そこで茂みの陰で杉浦さんに背中を擦られていた中尾君が戻ってきた。途中から寝てたという話だったはずだが、やはり酔いは残ってたらしい。だが顔色はすっかりよくなった様子だった。

 

「お、もう大丈夫か中尾?」

「おう、まかせろ。やっぱり酔った時は吐くに限るな」

 

 それは未成年としては不適切な発言と言うか、本来の意図とずれていると突っ込みたい。怜子さんがたまに言っているのを聞いた気がする。だがこの状況、僕は余計なことを言わず黙っている方がいいだろう。

 

「じゃあ中尾も混ざれ」

「何に?」

「サカキをしめる(・・・)会だよ。俺たちの車があんな悲惨な中、こいつは赤沢と桜木といちゃついてたんだぞ? お前はなんとも思わねえのか?」

「……そりゃ赤沢さんと仲良くしてたってのは癪だけどよ、どうせ俺がその場にいても乗り物酔いのせいで自分のことで精一杯だからどうしようもなかったと思うぞ。……つーかこっちの車が悲惨な理由ってほとんど俺のせいじゃねえか。……一応悪いとは思ってるけどよ」

 

 期待した援護がなかったことに勅使河原は思わずたじろぐ。……なるほど、以前勅使河原が「根はいい奴」と言ったのはこういうことだったのか。

 

「くっ……。『遅れてくるアタッカー』に期待した俺が馬鹿だった……」

「な! てめえ、その呼び方をするんじゃねえ!」

「……『遅れてくるアタッカー』?」

 

 思わず僕はその単語を反芻する。勅使河原は攻撃目標、というか絡む対象を僕から中尾君に変えたらしく、ニヤニヤ笑みを浮かべながら説明を始めた。

 

「ああ。こいつがバレー部だって話は前したな? で、俺より身長低いくせにこいつ部内じゃ指折りのアタッカーなんだよ。……ところが試合で登場するのは大抵終盤。俺が以前見に行った練習試合の時もそうだったしな」

「おい! お前見に来た時とかあったのかよ!?」

「女子と同じ会場で試合あるって話だったときだな。赤沢が杉浦見に行くっていうから、こっちは公共交通機関を使って行ったんだよ。あいつはマイカーだったけど。んで『あれ? 奇遇じゃねえか?』をやろうとしたわけだが……」

「見事に撃沈した、と。まあ典型的過ぎるもんね」

 

 うるせえ、と勅使河原が僕の肩から腕をスライドさせてヘッドロックの姿勢に移行して来た。癖とはいえ突っ込むんじゃなかった……。

 

「……で、そのまま帰るのもなんだから自分の学校の試合ぐらい見ていこうかと思ってな。そしたら二つ名の通りこいつが出てきたのは1セットを取られての2セット目、9対12で負けてて後がないときだった。ところが出てきたこいつはそっからはバシバシスパイク打ち込みやがってよ。そのセットと次のセットと連続で取って、試合ひっくり返したんだよ」

 

 へえ、と僕は素直に感心の声を上げる。中尾君すごい人なんだ。

 

「でもそんなにすごいなら最初から出てれば楽勝なんじゃ……」

「そう、そこがこいつの問題でよ。まあ俺はあんまり勝負事ってのは詳しくないんだが、ああいうのって『勝てる』って思い込んだ辺りから足元をすくわれるらしくてな。そこからひっくり返されると精神的ダメージもでかくて勝てるはずの試合を落とすなんてこともあるらしい。多分それも一理あるんだろう」

「一理?」

「本当のところは簡単な話だ。……さっきまでのを見ての通りこいつは乗り物に本当に弱い。だから試合でベストな力を発揮できるコンディションになるまでに時間がかかるってことなのさ。それでつけられた二つ名が『遅れてくるアタッカー』ってわけだ」

 

 ああ、なるほどと思わず納得してしまった。つまり遠征だのなんだの、移動が伴っときは中尾君はいつもあの調子なのか。……なんて難儀な。

 

「ほら男子達、いつまでたむろしてんの? 荷物たくさんあるんだから、さっさと運びなさいよ!」

 

 と、その時聞こえてきた声の方へと僕達は顔を移し――ヘッドロックを極めていた勅使河原の腕が僕から離れた。そしてぽかんと口を開けてその声の主を見つめる。

 今それを言って来たのは赤沢さんだった。ただし、いつの間に着替えたか、既に水着である。いや、彼女だけでなく女子全員が既に水着だった。浮き輪……というかシャチを模ったフロートというものだろうか、それを水色のビキニに身を包んだ赤沢さんは、上が赤で下がデニム風な水着姿の杉浦さんと共に頭の上に担いでいる。その後ろには白地に緑色の縞模様の、下はパレオを纏った桜木さんも荷物を抱え、怜子さんもいつ買ったのか白のワンピース水着で荷物を持っていた。

 

「非力な女子ばっかに荷物運びさせる気? バーベキューセットとか大型の物もあるし、着替えたら重いの運んでよね」

 

 言い残して女子達は海の方へと先に行ってしまった。それを見送り、姿が見えなくなった辺りで「イエス! イエスッ!」と突然歓喜の雄たけびを上げながら勅使河原が渾身のガッツポーズを決める。……ああ、暑さで頭がおかしくなったか。

 

「見たかお前ら、おい! 桜木、杉浦、赤沢……3年3組の胸四天王(・・・・)のうち3人の水着だぞ! レア物だ、レア物! クラスの野郎どもに自慢したらさぞかしうらやましがられることまず間違い無しだ! いやあ無茶だと思ったこの計画を思いついてよかった! 格安プランを組んでくれた叔母さんを持つ榊原()にも感謝しなくちゃな!」

 

 これは酷い掌返し。さっきまで責められてたはずなのに今度は褒めちぎってバンバンと僕の背中を叩いてくる。痛いって。

 

「杉浦は普段パーカーで誤魔化してたが試合のユニフォームとかでわかってたけどよ……。赤沢さんって着痩せするタイプだったのか……」

「何だ中尾、お前気づいてなかったのか? しかも言うほど着痩せしてねえよ、俺はとっくの昔から気づいてたぜ。あのわがままボディはとても隠し切れるものじゃねえ、ってな。……もっとも、桜木は言うまでもなく気づいてたが」

「……来てよかった」

 

 ボソッと風見君が呟いたのが聞こえた。ムッツリ君め。それにしてもさっき勅使河原は「四天王」と言ったわけだが、今回来たクラスメイトの女子は3人。あと1人は誰だか、少し気になる。

 

「勅使河原。四天王ってことはあと1人は誰になるの?」

「お? サカキもやっぱり女の子は胸は大きい派か? 鳴ちゃん一筋だと思ってたのに」

「……あのなあ」

 

 一応否定しておこうと思ったのに勅使河原はその猶予すら与えないらしい。そりゃあ見崎は胸はないが……って否定するところはそこじゃない。だが僕が反論してもおそらく聞こえないであろう雰囲気で、こいつは既に考え込むモードに入っている。

 

「そうだな……。渡辺か佐藤か……。ああ、意外と金木とか多々良って線もあるかな。俺としては佐藤を推す。しかしまあ要するに4番手はどんぐりの背比べだ」

「江藤は?」

「中尾の目は本当に節穴だな。あいつ水泳部だろ? その練習風景を拝ませてもらったことがあったが、胸自体はそこまででもない。……泳ぎのフォームはすげえ綺麗だしスレンダーな体型も綺麗だったけど」

「4番手などどうでもいい。大切なのは1番さ」

 

 クックックと笑いながら風見君が眼鏡をクイッと上げた。どうやら普段見られない桜木さんの水着姿を拝めたおかげでテンションがおかしいことになってるらしい。

 

「お、いいこと言うねえ風見。そう、この場にいない4番手のことより、いる3人が重要だ! 今はそのことを満喫しないと……」

「ねえ、なんでもいいけど荷物早く運んじゃおうよ。また赤沢さんに怒られるよ?」

 

 そこに思春期の会話に全く混ざろうとしなかった少年の言葉が飛び込んできた。言った主である望月は既に着替え終わり、重そうな荷物を運ぼうとするが1人ではそれが出来ないでいる。

 

「……あ、お前にとっちゃぜんっぜん関係ない話だったな。ごめんな。四天王とか言ってるけど、お前の場合そういうの関係なくこの場じゃ一強だったもんな」

 

 完全に興味の失せた顔で、かつ棒読みで勅使河原はそう返した。他の2人もそれで興味を失ったらしく、やれやれという様子で着替えを始める。僕も始めないと置いていかれるか。

 

「え、ちょっと何? 何か僕悪いことした?」

 

 大丈夫、何もしてないぞ望月。ただ問題があるとするなら……同級生の女子の話題に全く食いつこうとしない、お前のその全然ぶれない年上趣味だけだ。

 

 

 

 

 

 着替えを終えて海岸に荷物をまとめ、まずは昼食と言う話になった。ちなみにここに荷物をまとめたのは、格安の裏口プランであるためにチェックインは夜18時以降にして欲しいという松永さんからの頼みを怜子さんが受けたからだそうだ。中部屋2つをなんとか確保してもらったが、他の客との混乱がないように遅くしてもらいたい、とのことだった。そのため今少し早めに昼食、さらに陽が傾いてきたら適当にバーベキューでもして腹ごしらえをし、その後寝床に行こうという計画となっている。

 なお料金が料金だけに本当に泊まるだけの待遇で、風呂も大浴場ではなく中部屋に一応取り付けられているユニットバスを使ってほしいということらしい。まあ他の正式料金払ってるお客さんの邪魔になるのも申し訳ないし、格安で無理を言っているのはこっちだから仕方ない。海で遊んで、そのままリゾートホテルと銘打たれている、海に面した施設で寝られるというだけで十分だろう。

 

 まあそこまではいい。問題は今現在のこの状況だ。昨日までの話から食事もつかないから僕が担当になると言う話は聞いていたし食材も準備もしていた。そしてバーベキューセットを準備し、オプションで上に鉄板を乗せ、夜の分まで含めた随分と量のある食材を改めて確認したところまでは文句はない。

 ところがそこまで準備が終わると「じゃあ後は任せたぜサカキ! 飯が出来たら呼んでくれよな!」とか言うなり勅使河原は海へと走って行ってしまった。気持ち良さそうに「ヒャッホー!」なんて叫び声まで残しながら。

 そしてそれに続く形で次々と皆その場から海へと走っていったのだった。なんと怜子さんまで「ちょっと行ってくるわね」とか言い残して行ってしまったのである。結局その場に残ったのは昼食担当の僕と、おそらく僕を1人にするのが悪いと思って残ってくれた桜木さん、あと彼女が行かなかったから残ったであろう風見君の3人となってしまったのだった。

 

「皆行っちゃいましたね……」

 

 苦笑を浮かべつつ桜木さんが呟く。まさか誰もいなくなるとは思っていなかったのだろう。僕もここまでだとは思っていなかったけど。

 

「まあいいよ……。昼は具材切って炒めればすぐ出来るように焼きそばの予定だし。だから桜木さん達も行って来ていいよ?」

「いえ、さすがに榊原君1人じゃ大変でしょうから手伝いますよ。料理はそこそこ出来るんで。……風見君は、行かなくてよかったの?」

 

 飴と鞭……飴の部分か……。多分彼は残るだろう。料理が出来るかはわからないけど。

 

「あ……。うん、2人だけに任せちゃうのはなんだか申し訳なく思ったから……」

「そう。ありがとう」

 

 そして桜木さんは彼に微笑んで見せた。……うまい飴だ。人の使い方を熟知している。見事に風見君はその飴に食いついたらしく、どぎまぎとした様子で視線を逸らしている。

 

「い、いや大したことじゃないよ。……あ、でも僕料理は自信ないけど……」

「じゃあバーベキューセットの方に火を起こしてもらってもいい?」

「わかった。やってみるけど……火ってもう入れちゃっていいの?」

「鉄板大きいから熱が行き渡るまでに時間かかりそうだし、2人がかりで材料を切るならそこまで準備に時間かからないから」

 

 僕は前もって用意しておいた、彼が料理が出来ない時用の分担を頼んだ。その間に僕は桜木さんと材料を切っていく。……なんだか僕と桜木さんが同じ作業をやってるというのは彼に少し申し訳ないが、料理が出来ないと言った以上は仕方ないと思っていただく他ない。

 

 悪戦苦闘した様子だったが、彼はなんとか火をつけることに成功したらしい。そして鉄板が暖まっていく間に僕達も材料を切り終えた。油を引いてそれを炒め始め、ヘラでかき混ぜていく。

 これが結構な重労働だった。普段作る量より遥かに多いせいだろう。加えて夏の炎天下、太陽の下でしかも熱された鉄板での炒め物だ。暑いことこの上ない。そんな僕の様子を見かねて途中で風見君が交代してくれた。彼としては彼女の前でいいところを見せたいという思いもあったのかもしれないが、やはり代わってすぐに汗だくとなった。まあいいところを見せられるように頑張っていただきたい。

 その間に僕は食料品の荷物の中からもっとも巨大と言ってもいいものを取り出す。「焼きそば」というこの料理のメイン、麺だ。だがそのサイズが尋常ではない。

 

「業務用の1キロ麺……。使うところは初めて見ました」

 

 桜木さんが苦笑を浮かべる。事実僕も手にするのは初めてだ。大型スーパーでたまには見かけたが「誰が買うんだこんなの」と思っていたものを僕は今手にし、袋の口を破く。

 

「え……それも入れるの?」

「入れないと焼きそばにならないしね」

 

 どうやら風見君としては段々と腕の方が限界らしい。そこにこのキロ単位の麺が加わるとなるとたまったものではないといったところだろうか。だがもう少しだけ頑張ってもらおう。1キロの麺を鉄板に一気に乗せる。そこでヘラを受け取って交代。丁度タイミングよく麺をほぐすように桜木さんが水を少し入れてくれた。さすがわかってる。

 あとは麺が切れすぎないようにほぐしながら、蒸し焼き気味に炒めて味をつけるだけだ。そろそろ味付けか、というところで風見君に再び代わってもらう。そこで桜木さんが横からソースで味付け。よし、我ながら見事に共同作業を演出したぞ、などと思わず満足してしまう。

 

「ソース、どのぐらい入れます?」

「とりあえずバーッと目分量でいいんじゃないかな?」

「……男の料理ですね」

 

 そんなものかな? 普段はちゃんと計ることが多いが、この人数分となるとそんな細かいことは言っていられないし別にいいと思う。万能の中濃ソースではなく、わざわざ買った焼きそばソースを桜木さんは麺に絡ませ、風見君はそれを混ぜていった。

 いい匂いがしてきたことで昼食が出来つつあると気づいたのだろう。海に行っていた皆が戻ってくる。フロートだのビーチボールだの……。随分と楽しそうに遊んでいらっしゃったようで。

 

「おお、すげえ! うまそうじゃねえか! 風見、お前がこれ作ったのか?」

「……僕は手伝っただけだ。料理は出来ないからね。ほとんど榊原君と桜木さんの指示だよ」

「でも助かったよ。これだけの人数分を調理したのは初めてだったし」

 

 言いつつ、割り箸で1本麺を食べてみる。うん、大体いい感じだ。「もういいよ。ありがとう、風見君」と礼を言うと、彼は大きく天を仰いだ後で荷物をまとめたビーチパラソルの陰にあるシートに腰を下ろした。意外に重労働だったが、彼女にいいところ見せようと張り切ってたもんなと思う。その間に桜木さんは手際よく紙皿と割り箸を用意してくれた。とにかく焼きそば自体はこれで完成だ。

 

「出来たよ。少し残して盛るから、もっと必要な人はここから持っていってね」

 

 9等分ではなく多少は残るように分配しつつ、僕は紙皿に盛り付ける。そこに桜木さんが紅生姜を乗せ、割り箸をつけて手渡していく。最後に自分たちの分、僕は風見君の分も皿も持って、彼の隣に腰を下ろした。

 

「お疲れ様。手伝ってくれてありがとう」

「いや、僕は言われたことをやっただけだから……」

 

 少し照れくさそうに彼は眼鏡を上げ、僕から紙皿を受け取った。なお、味の方については既に遠くから勅使河原の「うめえ!」という感想が聞こえてきている。その点は一安心していいだろう。

 いただきます、と食べ物への感謝の気持ちを述べてから僕も早速自分で作ったものを頬張る。……うん、さっきの味見でも思ったが悪くないだろう。何より夏の炎天下の中、外で食べる焼きそばというものがおいしくないはずがない。

 

「……なんか、気を遣わせちゃったみたいで逆に悪かったね」

 

 「ああ、おいしい」と一言感想をこぼした後で、風見君は僕にそう言ってきた。野暮なことは言いっこなしじゃないか、と思う。それに彼女は僕なんかよりもっと大変な存在だぞ、とも。

 

「全然。量が量だったから人手が欲しかったのは事実だし。……まあ僕は陰ながらああいう場を作ったり応援するぐらいしか出来ないんだけどさ」

 

 本当に言いたかったことは心にしまって僕はそうとだけ述べた。が、風見君はなぜかそれで咳き込む。

 

「ど、どうしたの?」

「い、いや別に僕は彼女のことをそう思ってるとかじゃなくてだよ。その、あくまでクラス委員として尊敬してるというか、成績が優秀なことに感心してるというか……」

「はいはい……」

 

 まあ彼がそう言うのならそういうことにしておこう。……全然隠せてないけど。彼は誤魔化すように焼きそばを口に含む。

 

「そういう榊原君は……」

「うん?」

「今回寂しくなかったの? 見崎さんがいなくて……」

 

 うーむ、それは今さっき僕が言ったことに対する反撃だろうか……。別に僕の見崎に対する感情は君の桜木さんに対する感情とは違うよ、と断っておきたい。

 

「まあ本当は来てほしかった気もするけどね。でも外せない用事みたいだし、仕方ないかなって」

「勅使河原に交渉役までまかされてた手前、断れないだろうしね」

「だからそういうんじゃないって」

「じゃあ榊原君は見崎さんのこと、どう思ってるの? なんだか一緒にいる印象が強いんだけど……」

 

 どう、と言われても困る。そもそもそんなに一緒に……。言われてみるといるかもしれないけど……。唸りながら僕は焼きそばを口へと運ぶ。

 

「赤沢さんから結構アプローチあるみたいなのに全く応えようとしないし。てっきり僕は……見崎さんに気があるものだとばかり思ってたけどね」

「気、って……」

 

 ……そうなんだろうか。確かに初めて病院のエレベーターで見かけたときからなんともいえない不思議な感じは抱いていたし……。その後も学校で彼女の存在を追いかけるように過ごしていたのも事実だ。正体がわかった、というか僕の思い込みだったとわかったときはホッとすると同時にどこか少しガッカリしたような気分で、なのに彼女に屋上での昼食に誘われてまた落ち着かない気持ちになった。でも実際一緒に食事をしながら話したら、そんなことは全くなくただ楽しかった。そして今日来られない、と聞いたときは落胆したのも事実だ。

 だがそれって気がある、とかそういうことになるのだろうか。もう一唸りして焼きそばをすする。風見君は何がおかしいか、そんな僕の様子に声を殺して笑っているようだった。

 

「……複雑だね。僕が言えた口じゃないけど。せめて彼女がここに来てくれていれば、少し話して榊原君も心の整理ができたかもしれなかったのにね」

 

 そう言われても、返す言葉がなかった。なんだか今までは勅使河原やら風見君やら望月やらを見ていて、見ている側だったから気楽だったのかもしれない。だが自分が実際当事者側と言うか、同じらしい立場に立つと……どうにもこうにも簡単な話じゃないように思えてきた。要するに対岸の火事に対してはいくらでも口を出せるが、実際自分の足元にも火が飛んできたとなると話が別だ、ということだろうか。杉浦さん辺りがそんな風に言って来そうな気がする。

 まあそんなことを言って誤魔化しているが、「見崎のことをどう思っているか」と聞かれると、やはりさっきのように返答に困る。勿論嫌いではない。では好きかと言われれば嫌いではない以上イエスと答えざるを得ないわけだが、「like」ではなくて「love」なのか、と問われると、答えられない。恥ずかしい、とかそういう類ではなく、さっき風見君に言われたように心の整理が出来ない、ということだろう。……自分としてはそう思って逃げたいだけなのかもしれないが。

 どうなんだろうな、という思いを込めて天を仰ぎ、僕はひとつため息をこぼした。それを見ていた風見君がまた声を噛み殺して笑い出す。

 

「……ごめんごめん。まさかそんな深刻に考えるなんて思ってなかったよ。僕が言ったことはあまり気にしなくていいよ。答えを出すのは榊原君だし、それも時間が解決してくれるかもしれないわけだからさ」

 

 それもそうか、と思って僕はまた焼きそばを口に運んだ。ソースが香ばしくておいしい。彼が言ってくれたとおり、今考えても詮無いことだろう。今日はせっかく海に来ているわけだし、それを満喫する方がいい。合宿には来ると言っていたのだから、またその時にでも話して、ゆっくり考えればいいことかと思うことにした。

 

 と、そこで「おいサカキ、風見、そんなところで食ってないでこっち来いよ!」という勅使河原の声が聞こえてきた。……あいにくこっちは結構な重労働が終わったところで疲れてるんだ、もう少し座っていたい。

 

「榊原君、どうする?」

「もうちょっと座ってる。疲れたし」

「そっか。僕は行って来るよ」

 

 だろうね。桜木さんあそこにいるし。じゃあ、と言い残して彼は皆の方へと小走りで駆け寄っていく。その間に、僕は箸を進めることにした。半分ぐらいは食べ終わったところで、それにしても疲れたしちょっと陰で昼寝でもしようかな、などと思ってしまう。しかしそれではせっかくの海が勿体無い気もする。

 見れば、皆談笑しながら楽しく食べてるようだった。さっき心の中で今日は今日で満喫した方が良いと思った手前、ここで寝てしまうのはあまりよろしくないだろう。いい具合に休めたし、そろそろ僕も輪に入ろうかなと思いつつ、何気なく辺りを見渡し――僕は我が目を疑った。

 

「嘘……?」

 

 ここから少し離れた岩場の辺り。そこに、1人の人間の姿を見たからだった。ここからでは遠くてはっきりとわからない。だがあれだけ小柄なら女性とわかる。そして麦藁帽子を被り、僅かに見えた顔の目の部分に、白く被さっている物が見えた気がした。

 そう思ったと同時、僕は食べかけの焼きそばを置いて立ち上がり、駆け出していた。

 

「あ、おいサカキ! どこ行くんだ!?」

 

 後ろから勅使河原の声が聞こえてくる。そりゃいきなり砂浜を走り出せば心配もされるだろうが、今は足を止めている時間も惜しい。一刻も早く「彼女」なのか、確認したい。

 

「ごめん! すぐ戻るから!」

 

 首だけを後ろに向けてそう叫び、僕は岩場へと近づく。そして近づくに連れてその姿が次第にはっきりとしてきた。

 

 「僕の嫌な予感はよく当たる」などと思うことはあるが、そんなのはここに来た時にも思ったとおり、ただなんとなく思っているだけのことで、僕は基本的に運命とか神様とかを信じない。超常現象の類もだ。……それは確かに転校した当初は、誰かさん(・・・・)のおかげで幽霊がいるのではないかなどと思い込みかけたこともあるが、基本的には信じていない。

 だが今日、この時に限っては、運命だの神様だの、そういうものの存在を少し信じてみたい気になっていた。

 

「見崎……?」

 

 岩場の潮溜まり、ヒトデか何かをつついていたその少女は僕の声に驚いて顔を上げる。遠めに見たとおりの麦藁帽子、眼帯に隠れた左目、そして一緒に来た女子たちのような着飾った水着ではなく、学校指定のスクール水着という格好。なんて運命的だろうかと心の中で喜ぶ僕を尻目に、普段よりも明らかに驚いた表情で、僕が本来「この場にいて欲しかった」と願った対象の少女は、疑問系でもって僕の苗字を呼んだ。

 

「榊原……君……?」

 




以前も書いたとおり中尾と杉浦のバレー部設定は捏造です。公式設定資料集には何も書かれてないので、おそらく本来は帰宅部と思われます。あるいは3年になった時に対策係をやるから部を辞めた、とか。

桜木さんの水着の柄は前話の後書きに書いた特典だったかにあった柄に基づいています。
ちなみに3年3組胸四天王の4人目ですが、自分の意見は勅使河原に全部代弁してもらったとおり佐藤さん派です。身長も女子にしてはあるほうなので胸もあるのではないかと。
あとは出番全然ないのにおそらくかわいいから人気の多々良さんも意外と捨てがたいと思っています。

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