あなざー ~もしも夜見山北中学3年3組に「現象」がなかったら~   作:天木武

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 夏休みも終わりに近づいた、まだまだ残暑が厳しい時期。夏休みの宿題もほぼ終え、それだけではなく受験の対策もしないとな、と1学期の復習を適当にやっていた時のことだった。不意に僕の携帯が震える。勅使河原め、こんな時期なのに遊びに行こうとか言い出すのか、などと思いつつ発信者を見てそれは間違えた予想だったと悟った。

 ディスプレイに表示されたその名前は、あまりにも意外だった。どうしたんだろう、と思いつつ、僕は通話ボタンを押して応答する。

 

「はい?」

『……あの、榊原君?』

「ああ、うん。そうだよ」

『そう。『ミサキ』だけど』

 

 思わず、声を噛み殺して笑ってしまった。通話を始めたときからなんだか作った声(・・・・)だと思ったが、やっぱりそういうつもり(・・・・・・・)だったらしい。もう少し付き合うのも悪くなかったが、なんだか騙すようで気が引けたので、さっさと「もう気づいているよ」と伝えることにした。

 

「それで……どうしたの、藤岡(・・)さん?」

『……違う。私は未咲じゃない』

「はいはい。見崎から君の番号を既に教えてもらってるから、フリをしてもわかってるよ」

 

 僕がそこまで言って、ようやく彼女は諦めたらしい。小さく吹き出した後で短い笑い声が聞こえる。

 

『……なーんだ、つまんないの。榊原君ならうまく騙せると思ったのに』

「それは申し訳ないことをしたのかな。……でも僕なら、ってどういうこと?」

『なんか榊原君って人がいいっていうかお人好しっぽかったからさ。てっきり私がこうやって鳴のフリをしたらうまく手玉にとれるんじゃないか、って思ったの』

 

 ……なんだか望月だったかにも「人が良さそう」と言われた気がする。僕ってそんな風に人の目から見られているのだろうか。まあそこまで気にするほどでもないし、悪いことでもないとは思うけど。

 

『でもダメだったか……。っていうか、なんで鳴は私の番号教えちゃってるのよ? ……あ、嫌だった、って意味じゃないからね。最初からバレバレだった、って意味で』

 

 そしてそうやってわざわざ訂正してくる辺り、藤岡さんも人が良い……というより良い人だなとは思うのだった。それはともかく、そろそろ電話をかけてきた本当の理由を聞こうかと思う。さすがにこれまで話してたことだけを目的にかけてきたということは……。ない、と藤岡さんの場合言い切れないのかな、とも思ってしまった。そういう楽しそうなことには率先してやりそうだ。

 

「それで、まさか僕を茶化すためだけにかけてきた、ってことはないよね?」

『まあ、ね。……榊原君、来週の出来れば平日、予定空いてたりしない?』

 

 来週、といえば夏休みの最終週だ。しかし特に予定はない。宿題もその気になれば十分今週中に終わらせられる。

 

「いつでも大丈夫だよ」

『ほんと? じゃあお互い夏休み最後の週になるはずだから、早い方がいいかな。来週の月曜日、遊園地に行かない?』

「遊園地……?」

『そ。朝見台の方にあるの。あんまり大きくはないんだけどさ、私が入院する直前と鳴と一緒に行って。それでその後入院しちゃった時、退院できたらまた行こうって約束してたの。段々体調も良くなってきて病院の先生からも日常生活に支障がない程度まで回復した、ってお墨付きをもらったから、ちょっと遅くなっちゃったけど私の退院祝いも兼ねてまた行こうって鳴と話してて。もし榊原君の都合がよかったら誘ってみようと思ったの』

 

 この片田舎、と言ってもいい夜見山市に遊園地なんて娯楽施設があったことが驚きだった。が、ふと記憶をめぐらせると、以前綾野さんと街中を歩いた時に彼女がそんなことをチラッと言っていたような気がしないでもないと思い出した。

 とにかく来週特に用事はないし、問題はない。しかしなぜ平日にこだわるのかな、とはちょっと思った。

 

「全然構わないよ。……でもなんで平日?」

『鳴がさ、人ごみ嫌いだからって。それに平日の方が待ち時間少なくて乗り物とかも乗れるだろうし。……と言っても、言うほど充実してる施設じゃないんだけどね』

 

 ああ、それは納得。特に前者は十分すぎる理由だな、と思ってしまうのだった。

 

「確かに見崎はあんまり人多いところとか好きじゃなさそうだもんね。……うん、いいよ。来週の月曜日空けておくよ」

『ありがと。じゃあ鳴には私から連絡しておくね。えっと待ち合わせは……』

 

 こうしておそらく夏休み最後の思い出となるであろう、遊園地という予定が決まった。しかし思い返してみれば海、合宿、そしてこの遊園地と、全て見崎と一緒ということになるのかと気づき、海の時に思った「運命」なんて言葉がふと頭をよぎったのだった。

 

 

 

 

 

 幸い月曜日は晴れだった。藤岡さんに指定された待ち合わせ場所が少々不安だったので、前日に前もって祖母に聞いてみたら丁寧に教えてくれた。……誤算があるとすればそこに怜子さんがいた、ということだろう。場所を聞くなり、「何、遊園地にでも行くの?」と切り出してきたのだった。僕はそこで素直に肯定したわけだが、今思い返せばそこでの肯定とは愚行に他ならなかった、とわかる。それを聞いた怜子さんはよくない笑みを浮かべて「デート? 気になるあの子と?」とからかってきたのだった。さらに、誤解を解こうと2人じゃなくて3人だ、ということを述べると「ほんと、モテる男はつらいわねえ」なんて勝手に納得されてしまったのである。

 あんなやり取りをすると、やっぱり海に行ったときに「松永さんと独り身同士お似合いじゃないですか?」とか言っておけばよかったような気もするのだった。だがそれこそ杉浦さん辺りが言いそうなことだが後悔先に立たず、というものだろう。あるいは後の祭りか。どうせ言ったところで手痛いしっぺ返しが来るのは目に見えている。なら言わせたいように言わせておけばいいじゃないか、と自分に言い聞かせて適当にかわしたのだった。うむ、我ながら大人な対応だろう。素晴らしい。

 

 そんなことを考えているうちに僕は待ち合わせの場所に着いた。予定時刻の10分前。女子2人を待たせては申し訳がないと少し早めに家を出たが、いい具合だったらしい。まだ彼女達は来ていない。

 住所でいうとこの辺りは朝見台、という地名になる。僕が今寝泊りしている家のある古池町からは西の方だ。目的の遊園地はここからさらに北に少し行ったところにあるらしい。しかし遊園地といえば観覧車、だろうが、ここからそれらしいものは見えない。まあ一応それなりに街中なので、建物の陰になっている可能性は否定できないとも思う。

 と、そこで僕の方へと歩いてくる2人の女子を見かけた。目的の人物に違いないだろうとしばらく見つめていたが、近づいてくるにつれて思わずぎょっと目を見開いた。2人とも服装は異なる。が、以前病院で2人が並んだのを見た時にも思ったことだが、そっくりなのだ。そこまでなら僕もさほど驚いたりはしない。問題は無表情でこちらに歩いてくる2人とも(・・・・)眼帯をつけている、ということだった。ただし、1人は左目に、そしてもう1人は右目に。

 

「やあ……。どうしたの、2人とも……」

「問題です」

 

 僕の質問には答えず、左目に眼帯をつけた少女がそう口を開いた。

 

「『ミサキ』はどっちでしょう」

 

 次いで右目に眼帯をつけた少女が。……また面白い悪ふざけを思いついたのか、と僕はため息をこぼす。

 

「……こっち。僕は学校でずっと会ってるんだし」

 

 左目に眼帯をつけた方の少女を指差し、僕はそう答えた。だがもう一方の少女はなにやら嬉しそうに表情を崩した後で「ブーッ!」とハズレの効果音を口にする。

 

「正解はどっちも『ミサキ』でしたー!」

 

 ああ、と言われてようやく気づいた。そういえば藤岡さんの名前は未咲だった。どっちが「ミサキ」か、と問われれば確かにどっちもそうだろう。……とはいえ、屁理屈じゃないかとも思える。

 

「……未咲ってば子供なんだから」

「ちょっと鳴、何お姉さんぶってるの? 鳴だって結局乗ってきたじゃないの」

「そんなことより。榊原君、もしかして待った?」

「ううん、今来たところ。……久しぶりだね、藤岡さん」

「そういえば電話ではこの間話したけれど、顔を合わせるのは久しぶりだよね」

 

 確かに顔を合わせるのは久しぶりだった。というか、まだ3回目とかな気もする。それでももっと会ってる気がするのは、瓜二つな見崎とずっと会っているからだろうか。

 それはともかく、結構な重病で入院していたはずだが、今見る限り元気そうで何よりだった。が、表情は明るいがどうにも目にかかる眼帯が気になる。僕を驚かせるためだとは思うが、一応尋ねてみることにした。

 

「それで藤岡さん、その眼帯は……。ものもらいか何か? それとも単純に僕を驚かせるため?」

「後者だよ。以前は本当にものもらいになっちゃったときがあってさ。この小道具はその時の余り物。……でもこうやって鳴と2人対称に並ぶと、なんだか鏡に互いを映し合ってるみたいでね」

 

 小道具と来た。しかし実際彼女が言ったとおり、互いに異なる目に眼帯をした2人が並ぶと本当に鏡を見ているようだった。見崎がよく口にする「半身」という言葉がピタリと当てはまるように感じる。まあ何はともあれ、特に病気等でないというのはいいことだろう。現に藤岡さんが外した眼帯の下はなんともない様子で、単に僕をからかうためだけだったとわかった。

 

「立ち話もなんだし、歩きながら話しましょ。目的はあくまで遊園地なんだから」

「もう、鳴ってばそんなに遊園地に行きたいの?」

 

 そして2人が先導して歩き始める。見崎は「そういうわけじゃないけど」と言っているが、嫌がる様子は全く見せておらず、むしろ嬉しそうである。まあ今回は藤岡さんの退院祝いを兼ねて、という話だった。なら、彼女にとっての「半身」がこんな風に元気にしていることは、きっと何より嬉しいことなのだろう。その場に僕が招待されたということはありがたいことだなと改めて思いつつ、楽しそうに話す「ミサキ」達に続いて歩いた。

 

 

 

 

 

 着いた遊園地は思った以上に小ぢんまりとしていた。前もって藤岡さんから「あまり大きくない」と聞いてはいたが、それでもどこか寂れているというか。まあ失礼かもしれないが商業施設もないようなこの街になぜかある遊園地だ、こんなものだと言ってしまえばそれまでかもしれない。

 

「んー、やっぱり前に来た時も思ったけど、こんな小さかったっけ?」

 

 そして事前情報をくれた当の本人がそう言い出したのだった。僕の考えは間違っていなかったということになるのだろう。

 

「前に来た時も言ったと思うけど、私達が大きくなったからじゃない?」

 

 そんな彼女に見崎はあっさりと答える。しかし残念ながら僕は初めてなので、「大きくなったから変わった」という感情は持てない。それでももっと子供の頃なら、パッと見なんてことはないあのジェットコースターももっと大きなものに感じたのかもしれないとは思う。

 

「よし! 全制覇への第一歩、まずはジェットコースターからいこうか!」

 

 不意に、藤岡さんはそう言い出した。……いくら小ぢんまりとしている、と思ったとはいえ、この遊園地を遊びつくすつもりなのだろうか。

 

「未咲、あんまり無理はしないでね。せっかく退院できたんだから……」

「大丈夫だって。病院の先生だって問題ないって言ってくれてるんだし。……じゃあ榊原君、早速いこう!」

 

 見崎の忠告を完全に聞き流した藤岡さんはそう言うなり、僕の腕をつかんで引っ張り始めた。

 

「え……あ、あの藤岡さん?」

「ちょっと未咲!」

 

 藤岡さんに連れられる僕を追いかけつつ、見崎は彼女にしては珍しく勢いのある声を上げた。もしかすると今のは素の彼女なのかもしれない。そうやって素の彼女を出せる相手、彼女にとっての「半身」。こんな風に元気になってくれて本当によかったと思う。そんな彼女の退院祝いを兼ねているのだから、僕もできるだけ彼女の無茶に付き合おうかと思うのだった。

 

 

 

 

 

 確かに、僕が「彼女の無茶に付き合おう」なんて思ったのは事実だ。だが、いくらなんでも無茶が過ぎた。傍から見ると大したことのないように見えたジェットコースターも、見るのと乗るのとでは全然違うわけで。絶叫マシーンが好きというわけでもない僕は割と内心ビクビクだったのだが、藤岡さんは「キャー」とか言いつつも両手離しなんてことをして乗っていたのだった。まったく危ない。しかも乗り終えた後は後でケロッとした顔で「こりゃあと数回乗らないと気が済まないかな」とか言い出したのだ。さすがにそれは勘弁してほしいと僕が懇願し、見崎も同意したためになんとか複数回乗るような事態だけは回避できた。

 が、その次が問題だった。今度はコーヒーカップ。藤岡さんはご機嫌な様子でカップを回してくれたのだが、そこで僕が見事に酔ってしまった。そんな回された覚えはなかったのだが、どうも直前のジェットコースターが効いていたのかもしれない。この間海に行ったときに怜子さんのやや荒っぽい運転でも酔わなかっただけに、ちょっと自分としてはショックだった。

 そんなことで結局気を遣わせてしまったようで僕は非常に申し訳なく思ったのだが、「むしろ謝るのはちょっと調子に乗っちゃったこっちだし、この後はメリーゴーランドとか榊原君じゃ尻込みしそうなのにいこうと思ってたから」とフォローしてもらった。やはり世話を焼かせてしまったようにも思ったが、実際メリーゴーランドに乗り終わった後、2人は子供しかいないようなミニSLに普通に乗りに行ったわけで、確かにあれでは僕は尻込みするなと感じたのだった。

 

 とりあえず休憩所でしばらく休んでいたおかげか、大分体調は良くなってきた。そろそろ合流しようか、と思ったが、どうやら今度2人が向かう先はゴーカートらしい。さすがにこれも……ちょっとパスかなと考えてしまい、僕は上げかけた腰を下ろした。

 と、そこで2人の女子が視界に入り、僕は思わず声を上げそうになった。あれは間違いなくクラスメイトの金木さんと松井さんだ。合宿の時も一緒にソファに座って話している様子は見かけていたし、普段もずっと一緒にいて相当仲が良いことは知っていたが、こういうところにまで一緒に来るほどだとは……。まあ向こうはこっちに気づいていないようだし、邪魔をしては悪い気もしたし、何より見崎と一緒というところをクラスメイトに見られるのはちょっと気まずかったので、気づかぬフリをすることにした。

 

「あー楽しかったー」

 

 ややあって、2人が僕のところへと戻ってきた。反射的にさっき見かけたクラスメイトがいた方へと視線を移してみるが、もうそこにはおらず、僕には気づかないでどこかへと行ったようだった。

 

「ん? 榊原君どうかした?」

「いや、なんでも。……だけどしばらく休んだおかげか、調子は大分よくなったよ」

「そう、それはよかった。……でも榊原君も乗りたかったんじゃない、メリーゴーランド」

「あとミニSLもね。ゴーカートもなかなかスピード出るし楽しかったよ?」

「うーん……。正直あまり魅力は感じなかったかな……。やっぱり尻込みしちゃうかも」

「そっか。ま、しょうがないかな、男の子だもんね」

 

 そう言うと藤岡さんは屈託のない笑みを見せてきた。次いで2人も僕の近くに腰を下ろしてくる。

 

「それで……。2人も休憩? それともそろそろお昼?」

「あーもうそんな時間か。でも……お昼どうしようか、鳴」

「フードコートを使ってもいいけど、出来れば遠慮したいかも。……あんまりおいしくないし」

 

 こういうところは得てしてそういうものだよ、と言いかけたがまあ黙っておくことにした。こういった場所で食べるご飯というものは、味よりも雰囲気を楽しむものだ、とも思う。しかしこんなことを言っては失礼かもしれないが、平日の昼下がりだ、客もまばらなこの遊園地ではそういう雰囲気も楽しめないかもしれない。

 

「まあ……あと残すところ観覧車ぐらいだし、早めに切り上げて外で食べよっか? その後は適当にブラブラするとか……。あ、鳴達の学校を見てみるのとかもいいかも」

「未咲、病み上がりなんだからあまり無茶しないでね。でも外で食べるのは賛成かも。その方がおいしいだろうし、それに……クラスの人、ここにいるみたいだから。あんまり見られたくない気もするし」

「あ、見崎も気づいてたんだ」

 

 こく、と見崎が頷く。しかしその話を聞いてなぜか藤岡さんは目を輝かせた。

 

「え、鳴のクラスメイト!? 誰々、もしかして渡辺さん!?」

「違うよ。席も遠いし、話したことない人達」

「……ああ、そういえば渡辺さんのサイン欲しがってたの、藤岡さんだったっけ」

 

 今度は藤岡さんが、先ほどの見崎と違い勢いよく数度頷いて荷物の中からサインを取り出して自慢げに僕に見せてきた。うん、それもうこの間見せてもらったんだ……。

 

「いいでしょ、かっこいいでしょ?」

「まあサインはかっこいいと思うけど……。あの渡辺さんがバンドやってて、それもデスメタルのベースっていうのは……。普段大人っぽく見える彼女からは想像出来ないな……」

「パフォーマンスすごかったよ。同じ中学生とは思えないぐらい。見に行ってよかったって思ったもん。確か夜見北って話だったはずだったから鳴に聞いてみたらクラス一緒だって話でさ。思わずサイン頼んじゃった」

「よくわかったね、うちの中学校だって」

「クラスは違ったけど、転校した後の小学校は一緒だったからね」

「転校……」

 

 言いかけて、その理由を僕は察した。失言だったかもしれないと思わず見崎の表情を窺ったが、彼女は特に気にかけた様子もなかった。

 

「まあ……ちょっと親の都合でね。夜見北の学区外なんだよね、残念なことに」

「そっか……」

 

 このことについてはあまり深く突っ込まない方がいいだろうと思った。見崎が藤岡さんに僕にどこまで話したのかわからないし、2人にとってはナーバスな問題であろうからだ。

 

「それで……未咲、観覧車に乗るの?」

 

 話題を変えるべきか僕は迷ったが、それより先に見崎がそう話題を切り替えてくれた。正直、少し助かったと思ってしまう。

 

「そりゃあ勿論。遊園地の締めは観覧車でしょ?」

「そう。……私、下で待ってるから。榊原君と2人で乗ってきて」

「え……」

 

 どうしてまた。高所恐怖症だろうか。

 

「あ……。もしかして鳴ってば、あの時のこと気にしてるの?」

「あの時……?」

「そ。前にここで観覧車に乗った時ね、鳥がガラスにぶつかってきたの。そしたらその衝撃のせいか扉が開いちゃってさ。幸い地上付近だったし私達も扉から離れてたから大丈夫だったんだけど、扉開いたままの観覧車ってかなり怖いのね。下手なジェットコースターなんかじゃ相手にならないぐらいのスリルだったよ」

「じゃあ見崎はそれが怖いから下で待ってるって?」

 

 しかし彼女は首を横に振って否定する。

 

「またまた、強がっちゃって。ほんとは怖いんでしょ?」

「……別に怖くないよ。でも未咲と榊原君が2人きりで話したのって入院してたときが最後じゃない? だったら、いい機会じゃないかな、って」

「はいはい。じゃあそういうことにしておいてあげよう。……それじゃ榊原君、行こう」

「あ……うん」

 

 なんだろう、見崎は気を遣ってくれたのだろうか。それとも単純に怖いだけなのだろうか。

 

「うーん……。半々かな」

 

 観覧車の方へ歩きつつ、藤岡さんは僕の心を見透かしたかのようにそう呟いた。

 

「鳴が気を遣ったのか、それとも本当に怖がってるのか、考えてるんでしょ?」

「え……? な、なんで……」

「顔に出てる。……榊原君ってばわかりやすい」

 

 ……否定したかったが当たっている以上言い返すことも出来ない。そんなに僕って顔に出るだろうか。

 そんな話をしているうちに観覧車乗り場に到着する。係員の人は少し気だるそうに僕達をゴンドラの中へと誘導した。そして僕達を乗せたゴンドラはゆっくりと上昇していく。

 

「でもさ、鳴も気を遣うところ間違ってるよね」

 

 段々と窓から景色が広がっていく。向かい合うように座って、藤岡さんはそう呟いた。

 

「どういうこと?」

「本当は私じゃなくて鳴がここにいなくちゃいけないのにさ」

「えっ……」

「だって……榊原君、好きなんでしょ? 鳴のこと」

 

 見つめられつつぶつけられた、予想もしていなかった質問に思わず固まってしまった。次いで慌てて答えようとしたが「いや、僕は別に……」などとしどろもどろになってしまう。そんな僕の様子を見て藤岡さんは笑った。

 

「なあんだ、やっぱりか。だって言ったじゃない、榊原君顔に出てるって」

 

 いたずらっぽく笑う彼女に対し、僕はどう返したものかと思わず考え込んでしまった。そんな僕を見て、再び彼女は笑い声を上げる。

 

「……冗談だって。もう、榊原君ってすぐ本気にするし、ほんとからかい甲斐あるよね」

「それ……褒めてる?」

「んー、少しは。確かに榊原君って人がいいのはわかるけど、すぐ騙されちゃうのはちょっと人よすぎかな、っては思うな。……ま、そこが君のいいところでもあるだろうし……だから鳴もあんな風に心を開いてくれてるんだと思うけど」

 

 そう言って、彼女は窓の外へと目を移す。その表情はなんだか複雑に見えた。

 

「鳴ってさ、私とは普通に接してくれるけど、学校のこと話したがらないし、もしかしてクラスの人とうまく付き合えてないのかな、って少し心配だったの。ほら、あの子ちょっと変わった性格してるから、余計にね。……でも杞憂だったみたい。だって今日の鳴、私と2人でいるときと全然変わらない……ううん、それよりもっと生き生きしてたかも。それって、榊原君がいたからじゃないかなって思うの」

「そう……かな」

「そうだよ。……それに、私は鳴に後ろめたさって言うか、申し訳なさをずっと感じてるの。榊原君、鳴から私達の詳しい話、聞いた?」

 

 一瞬、素直に答えるべきか迷った。基本的に秘密な内容である、ということは見崎から聞いたときの感じからわかっていた。だが「知らない」と嘘を言ったところで、下手な僕では見抜かれてしまうのが関の山だろう。それに見崎にとっての「半身」である彼女になら話してもいいことかもしれない。だったら、と素直に答えることにした。

 

「一応は。……君と見崎が本当は双子の姉妹だったけど、いろんな事情から見崎が養子に出された、ってことは聞いた」

「うん、そう。私が見崎家に引き取られちゃうと『見崎未咲』になっちゃうから。多分そんな理由で、鳴はユキヨ叔母さん……霧果さんの方が榊原君にはわかりやすいか。とにかくそんな名前だけの理由で鳴は見崎家の養子になった。……でもなんだか鳴にばっかり苦労をかけちゃってるみたいで、私はすごく後ろめたかったの。4月にここに来た時もその話になって……。その時も鳴は私が気にすることじゃないって言ってくれたけど、でも……」

「藤岡さん……」

 

 その気持ちはわかるよ、なんて安っぽい同情の言葉はかけられないと思った。これは当事者たちでなければわからない苦悩であろう。僕の両親は家を空けることが多く今も海外とはいえ、一人っ子で基本不自由ない生活を送ってきた僕にはそれに対してあれこれと言う資格さえないように感じる。

 答えに詰まり、僕は窓の外へと何気なく視線を移した。僕たちの乗る観覧車は最高高度付近に近づいたらしく、山々に囲まれた盆地のこの夜見山市がよく見える。

 

「……確かにさ、私はずっと鳴に申し訳なさを感じてた。だけど……今なら、ほんの少しだけどそれでもよかったのかな、って。なんだか不思議な運命のめぐり合わせなんだなって思えちゃうんだよね」

「え……?」

 

 その回答に詰まった沈黙を裂いて藤岡さんはそう言った。思わず何が言いたいのかを図りかね、僕は疑問系でもって相槌を打って彼女の次の言葉を待つ。

 

「だって、鳴が見崎家に引き取られなかったら、多分榊原君と鳴がここまで仲良くなる、ってことはなかったんじゃない? それってつまり、私と榊原君がこうやって話すこともなかったのかもしれないわけで。……それでもやっぱり私だけ本当のお父さんとお母さんと一緒に暮らしてることを正当化は出来ないと思うけど、でも鳴は実際榊原君と出会えた。偶然か運命かわからないけど、だけどそんな偶然や運命が複雑に噛み合わされて、この世界って成り立ってるんじゃないかなって思うんだ」

 

 この世界、とは話のスケールが壮大だ。見崎辺りが突然言い出しそうな内容だなという気もしたが、双子の姉妹だし、似ている部分があるのかもしれない。

 それに……偶然や運命が複雑に噛み合わされて、か。そう思うのも悪くない。両親の海外出張、気胸の再発、1ヶ月遅れの転校。4月からを振り返っても、どれか1つが欠けただけで僕は見崎とここまで仲良くなることはなかったのかもしれなかったのだろうから。

 

「だから、ってわけじゃないけど……。榊原君、鳴と仲良くしてあげて。……って、もう十分仲良いか」

 

 その一言を聞いて、失礼だとは思いつつも、僕は思わず笑いをこぼしてしまった。それも偶然か運命だろうか。だって、その発言は……。

 

「ど、どうしたの榊原君? ここ、笑うところ?」

「ごめん。……霧果さんも僕に同じようなこと言ってたな、ってふと思い出してさ」

「叔母さんが? ……そっか。鳴、ちゃんと色んな人に愛されてるんだ……」

「霧果さんとはちょっと難しい距離感みたいだけど……。それにクラスでも積極的に、ってほどじゃないけど、クラスメイトと一緒にお昼食べたりすることもあるし、彼女もあまり嫌がってはいないみたい。……まあ過度に付き合うと疲れる、とか言い出しちゃうけど」

 

 ああやっぱり、と言いつつ目の前の彼女は苦笑を浮かべた。その様子がどうにもお姉さんのように見えて微笑ましい。

 

「私とはいいみたいだけど、他の人ととか人ごみとか、結構嫌うもんね」

「そうだね。でも、たまには繋がるのも悪くない、って言ってくれたよ。自分は人形じゃなくて心がある人間で、心がなくちゃ繋がれないからって」

「繋がる、か……。鳴らしいといえば、らしい言い方よね」

 

 そう言って苦笑から優しい表情へと移った藤岡さんは、先ほどよりもさらにお姉さんのようだった。次いで、改めて僕の方をまっすぐ見つめる。

 

「……やっぱり、鳴にとって榊原君は特別な存在みたい。だから……鳴のこと、お願いね」

「いや、お願いって言われても……」

「もう、鈍いなあ。付き合っちゃいなよ、2人とも」

 

 そんな勝手に人の恋愛を決められてもなあと今度は僕が苦笑を浮かべる。だが……それもまんざらでもないといえないのかもしれない。結局夏休みが明けたら美術部には入る予定でいる。とはいえ、受験が控えているのだから、色恋沙汰などと浮ついた気持ちでいるのもどうかとも思っていたりする。何より……恥ずかしい話だが、僕から切り出す勇気はないだろう。

 

 と、そこで観覧車が段々と地面に近づいているのがわかった。なんだかずっと話続けていたような気がする。

 

「あー、もうおしまいかあ……。本当は榊原君に見晴らしのいいところからこの街を紹介しようと思ってたのに……。もう1周しようか?」

「ありがたいけど、遠慮するよ。見崎が待ってるだろうし」

「まあ、そうだね。あまり待たせるのも悪いし、もしかしたら焼き餅焼かれちゃうかも」

 

 いやいや、それはないだろう。僕は軽く手を振るだけで否定の答えとしたが、藤岡さんはよろしくない笑みを浮かべてさらに突っ込んでくる。

 

「甘いよ、榊原君。……女の嫉妬は怖いんだから。覚えておいた方がいいよ」

 

 嫉妬ねえ、あの見崎が。ちょっと想像出来ない。それでも教訓として一応頭の片隅ぐらいには置いておくことにしよう。

 

「まあいいや。ともかく……話せてよかった。なんか相談乗ってくれたみたいですっきりしちゃった。ありがとね、榊原君」

「ううん、こちらこそ」

 

 その僕の返答を聞いて、見崎の「半身」である彼女は屈託のない笑みを向けてきた。見た目は見崎と瓜二つなのに、性格は正反対。そんなギャップがどこか面白く、しかし見崎のことを気にかけ続けていた彼女は、間違いなく「半身」なのだろうと改めて確信したのだった。

 終点、係員が扉を開け、僕達は外に出る。そして観覧車の中でずっと話題になっていた見崎の姿を確認し、合流すべくそこへと足を進めた。

 




ある意味で0話の再現。要するに未咲回を用意したかった、というのが本音だったりします。
観覧車での過去の件ですが、さすがに原作0話の通りにするのは気が引けると言うか、現象さん補正かかってると思ったので、それより少しライトにしてあります。

未咲の住所関係について補足のようなものを。
原作、及びここまでの話である通り大叔母が口を滑らせて小学5年のときに双子の姉妹であることを言ってしまい、そのせいで距離を取るために引っ越した、という設定を取っています。
しかし0話で住居自体はまだ夜見山にある、というニュアンスで未咲が話しているので、小学4年いっぱいまで杉浦と同じ小学校(紅月町周辺)→小学5年から渡辺と同じ小学校(朝見台周辺)へと引越し、ただし中学は夜見北の学区外のために別中学ということで整合性を取りました。


なお、金木松井ペアですが、0話でも後姿だけ出ています。0話において鳴と恒一以外の3組生徒で出てるのはこの2人だけだとか。
ジェットコースターのシーンの付近ですので、気になって手元に0話がある方は見てみるのも面白いかもしれません。

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