あなざー ~もしも夜見山北中学3年3組に「現象」がなかったら~   作:天木武

25 / 32
#25

 

 

 夏休みが終わった。海だ山だ遊園地だと、思い返せばなんだか随分と遊び呆けていた気がする。しかし出された宿題はちゃんとすませたし、受験の夏ということは意識していたので、1学期の復習やらなにやらも適度にやっておいた。

 この休みが明けてからは文化祭の準備がだんだんと始まるという話である。やれるうちにやれることはやっておかないと、結局後から泣きを見るのは自分と言うことになる。そうでなくても、この2学期が始まって早々、文化祭のクラスでの企画如何に関わらずに僕は忙しくなることが確定していた。

 

「……そういうわけで、今年の5月に僕のクラスに転校してきた榊原恒一君が入部してくれることになりました。文化祭までの短い期間だけど、皆仲良くしてあげてください」

 

 今僕がいるのは古びた0号館、そこにある美術室だ。結局僕は文化祭に作品を展示したいという思いが強く、怜子さんと再度相談した上で、短期間でもいいからと美術部への入部を決めたのだった。

 先に紹介をしてくれた望月が僕に挨拶を促す。部員は全員で20人弱、今日は休み明けのミーティングということでほぼ全員が来ているという話だった。勿論見崎もいる。男女比は2対8か3対7か。そんな女子の方が多いという状況に少々緊張しつつ、僕は立ち上がってまず軽く頭を下げた。

 

「榊原恒一です。美術は得意な方ではないんですが、興味があったので作品展示に参加させてもらいたいと思い、入部させていただくことになりました。3年のこの時期で短い付き合いになってしまうかと思いますが、よろしくお願いします」

 

 部員の方からまばらに拍手が返って来る。一応歓迎を意味するのだろう。まあ社交辞令として僕は受け取っておくことにした。

 

「今望月君からあったとおり、榊原君は今年度からこの街で暮らしています。わからないこともまだあると思うので、短期間になってしまうけど皆仲良くしてあげてね。……さて、夏休みも明けたことだし、そろそろ本格的に文化祭を視野に入れないといけない時期です。前々からテーマを決めて取り掛かっていた人は問題ありませんが、まだの人は……」

 

 僕が座った後で顧問の三神先生がそう引き継ぎ、普段通りのミーティングとなったようだった。一先ず挨拶は終わった、と内心少しホッとする。人前で話すというのはどうも得意になれそうにない。

 

 ミーティングが終わるとそのまま作業に移る人、帰る人、まばらだった。望月に聞いてみたところ「基本的には自由だから」という話であった。……だから松永さんのような幽霊部員みたいな人が出てくるわけか。

 さらに美術部は本来この美術室ではなく、美術部の部室を活動場所としているらしい。今日のようにミーティングで多い人数が集まることがわかっている日や、作業する人が多くなって部室が手狭になるとここを借りるという方式を取っているのだそうだ。ということは、僕からすると帰った、と思った人達も部室で活動している可能性はある。

 

「あの、榊原先輩は以前はどこにいたんですか?」

 

 それより何より、なぜかミーティングが終わった後、後輩の女子生徒が数人僕の周りに寄ってそんなことを聞いてきたのだった。まるで5月に初めて3組に登校したときのデジャヴ、転校生というのは珍しいのだろうし、しかもこの時期の入部というのも相俟っているのだろう。

 

「東京だよ。こっちには両親の都合で」

「えー、そうなんですかぁ?」

「3年3組ってことは、さっき望月先輩が同じクラスって言ってましたけど、見崎先輩もですよね?」

 

 こっちに来てこの方、後輩と話したことは基本的にない。そういうわけで自分が「先輩」とか言われることも違和感だし、それ以上に望月や見崎もそう呼ばれているのはどうにもおかしな雰囲気だった。

 

「先輩、見崎先輩と仲良いんですか?」

「まあ……悪くはないけど」

「えー、そうなんですかぁ?」

 

 さっきのセリフを再度再生したようなその声を聞いて、本能的にこの子はちょっと苦手だなと思ってしまった。まあ明るいは明るいのだが、同じく明るい女子ということで真っ先に脳裏に浮かんだ綾野さん辺りと比べるとどうも周囲に合わせているだけというか、なんだかフワフワした感覚を覚える。

 

「何やるかって決めてます?」

「粘土細工が短期間で出来るって聞いたから。それにしようと思ってるよ」

「耳早いんですね。毎年結構いるみたいなんでいいと思いますよ」

 

 どうも後輩と話すなんていう慣れないことをしていると疲れる気がする。顔見知りの望月に助けを求めたかったが、奴は完全に先生とマンツーマン指導モードに入っていてこっちの世界に戻ってきそうにない。前もってここに作業用具を持ってきている辺り、最初からそのつもりだったのだろう。見崎は部屋の中から既に消えていた。帰ってしまったか、部室で作業しているのか、あるいは第2図書室に行ったのか。ともかく今日は初日だし、あまり長居しなくてもいいかと僕は荷物を手に腰を上げた。

 

「ごめんね。今日はそろそろお(いとま)させてもらおうかと。用具の準備もまだだし」

「えー、そうなんですかぁ?」

「受験勉強とかもありますもんね」

 

 まあね、と一応相槌を打っておく。もう一度望月の方を窺ってみたが、やはり邪魔をしないほうがよさそうだ。このまま美術室を出ようと「じゃあまた」とだけ部の後輩に述べ、僕は部屋を後にした。

 

 部室に顔を出してまた絡まれるのも面倒だ。それに、見崎のことだから人が多いこんな日は多分部室にはいないだろう。そう考え、おなじく0号館にある第2図書室の扉をノックし、「失礼します」と一応ことわってから部屋に入る。相変わらず本棚で見通しが悪く、部屋に誰がいるか、それともいないのかもわからない。本棚地帯を抜けて長机がある場所まで出たところで、見崎がそこに座ってスケッチブックを開いているのをようやく確認できた。

 

「よかった。帰っちゃったかもしかしたら部室かな、って思った」

「こういう日の部室は人が多いからあまり行きたくない。……榊原君こそ、部活動初日なのにいきなり帰っちゃっていいの?」

「美術部は基本的に活動を個人に任せてるんでしょ? 今日は何も用意してないし、話が通じそうな望月は完全に違う世界に行っちゃってるから……。まあ仕方ないかなって。それに後輩の子と話すと……君じゃなくても疲れるって言いたくなっちゃうしね」

「そういうのは、思ってても言わない方がいいんじゃなかったの?」

 

 いつだったか言ったことをそのまま彼女に返され、僕は苦笑を浮かべる。次いで普段この部屋の「主」がいるはずのカウンターへと目を移し、そこが空席であることを確認した。

 

「千曳先生は?」

「演劇部の方に行ってるんだと思う。あっちもミーティングか、あるいは練習じゃないかな」

「ああ、そっか」

 

 などと他人事のように言ったが、演劇部が追い込みをかけているということは、それだけ文化祭が迫っていることを意味するわけで。つまり僕ものんびりしてはいられず、さっさと展示物の制作に取り掛かったほうが本当はいいということだろう。

 とはいえ、さっき述べたとおり何も準備していない。知識はゼロではないが、ある方とも言いがたいので、その辺りは望月に相談して揃える物を確認してからにするしかなかったりする。そういうわけで、やっぱり今日は別にいいかと、僕は見崎の隣に腰を下ろそうと椅子を引いた。

 が、彼女は僕が近づくのに合わせて描いていたスケッチブックを閉じてしまった。見ようというつもりは……ないわけではなかったが、そこまで過剰に反応されると逆に気になってしまう。

 

「見られるのは嫌?」

「……書きかけだし。ちょっと恥ずかしい」

「そっか」

 

 嫌だというものを無理に見せてもらっては申し訳がない。僕はそれを諦めることにする。が、そうなると今度は2人とも手持ち無沙汰になってしまうために、何か話題を見つけないといけなくなるのである。僕は話題が無くての沈黙はあまり好きではない。

 

「榊原君、前の学校の文化祭はどんな感じだったの?」

 

 と、何を話そうか考えていると珍しく見崎のほうから僕に話しかけてきた。少し驚いたが、質問に答えるために少し黙り込んで記憶を探る。

 

「……クラスによってまちまちかな。お化け屋敷とか、色んなゲーム用意したいわゆる縁日みたいなものとか。固いものだと地域の歴史をまとめて教室内にパネル形式で展示したのとかもあったよ。……ウケは悪かったみたいだけど」

「そっか。どこも大体同じ、か」

「見崎は去年と一昨年何やったの?」

「……忘れちゃった。美術部の方で手が回らなかったし、私がいなくてもなんとかなるような企画だったから」

 

 見崎らしいといえばらしい回答だった。クラスの人と距離を置いていたのだろうな、というのはなんとなく想像できる。でも、去年までの彼女を知らずにこういうのもなんだが、今年はクラスに馴染んでいるようだし、少しは企画に参加するんじゃないかな、と勝手に思ったりしている。

 

「まあクラスの方は出来る人がやれば済むことだから。明日のLHR(ロングホームルーム)で企画の話し合いがあるだろうけど、運動部や帰宅部の人中心に何か企画を出してそれになるんじゃないかな」

 

 しかし見崎は今年も特にクラスの方には関わるつもりはない、という口調だった。確かに美術部は展示制作を終わらせなくてはいけないのだから、出来る人がやればいいわけとも思ってしまう。桜木さんが仕切って勅使河原や風見君辺りを中心に何かやれば大丈夫なのだろう。僕もそっちより、見崎を見習って新しく入部した美術部の方を考えるべきか、などと思っていた。

 

 

 

 

 

「では、今年の文化祭の出し物について話し合いたいと思います」

 

 翌日のLHR(ロングホームルーム)は昨日の見崎の予想通り、文化祭の出し物についての話し合いとなった。普段教師がいる卓上に桜木さんが立って仕切り、風見君が書記のように板書するらしい。普通は字の綺麗な女子が書くんじゃないかな、なんて勝手な偏見で思わずその2人を見てしまった。なお、担任の久保寺先生は窓際にパイプ椅子を置いて、どこか難しい顔をしながら「基本的には生徒の皆さんでまとめてください」と言わんばかりに見守っている。

 

「何か案がある人がいたら……」

「どうせ最後多数決になるんだし、とりあえずお決まりのパーッと書いとけよ風見」

 

 桜木さんの発言をかき消すように、後ろからそう声が飛んだ。振り向かなくてもわかる。発言主は勅使河原だ。

 

「……お決まりって何だよ」

「お決まりだろ。お化け屋敷だの、縁日だの、上がりそうなの書いておけよ」

 

 そんな勅使河原の発言にどこからともなく「芸がねえなあ……」という嫌味が聞こえてきた。出所は明らかではないがおそらく窓際男子の列、運動部のうちの誰かだろう。

 

「おう、今芸がねえって言った奴誰だ!? 文句あるなら何か意見出せよ!」

「はい、勅使河原君そこまで。じゃあお化け屋敷と縁日、って意見で受け付けますね。……他に何かありますか?」

 

 さすが桜木さん、手馴れている。うまくまとめて次へ……といきたいところだろうが、またしても後ろから「はいはーい」という声が聞こえてくる。

 

「まだ何か?」

「ってか、まず教室使うかステージ使うか決めたほうよくねえ?」

 

 そこで出た勅使河原の発言に僕はおやと首を傾げた。意図を図りかねて脇の望月を小突く。

 

「何?」

「今あいつが言ったこと、どういう意味?」

「どういうって……。あ、そうか。榊原君が前いた学校じゃ教室で何かやるだけだったのか」

 

 僕は首を縦に振る。まあ部活数の問題もあるのかもしれないが、ステージは基本部活やら有志やらが使うためにクラスが何かということはなかったのだ。

 

「今勅使河原君が言ったとおり、教室を使うかステージを使うか選べるんだよ。ステージの方は抽選になっちゃうけど……。でもそれなら劇とか合唱とか、そういう方法で済ませることも出来るんだ」

 

 なるほど、と納得した。さらにそこでそういえば千曳先生は26年前に文化祭で劇をやったと言っていたはずだとようやく思い出した。同時に、望月はさらっと「済ませる」と言ったと気づく。ひょっとしたら彼としても部活の方で手が一杯なのかもしれない。出来ることならクラスの出し物は楽に終わらせたい、とか考えているのだろう。

 

「それはステージが取れる、という前提になってしまうので……。まずは取れなくても大丈夫なように教室を使う出し物をまとめた方がいいんじゃないか、と私は思ってます。その上でステージの方がいいとなればそちらの出し物を検討する予定です」

「まあ正論だけど……。でもステージ取れたら劇とかでいいんじゃねえの? 幸いこのクラスに演劇部3人いるんだし。そこを軸にすりゃウケいいと思うんだけど」

 

 気楽そうに勅使河原がそう言ったところで、窓際最前列の赤沢さんが奴の方に鋭い視線を返したのがわかった。明らかに機嫌を損ねている。それを証明するように「ちょっといいかしら」と彼女は挙手して発言の許可を求めた。桜木さんが頷き、赤沢さんは立ち上がってクラス全員を見渡すように振り変える。

 

「今どこぞの能天気が言ってくれたとおり、確かにこのクラスに演劇部は3人いるわ。……でも申し訳ないのだけれど、あまり過剰評価してほしくないというか、重役を一方的に無理やり押し付けられる形は出来れば遠慮してもらいたいの。身勝手かもしれないけど、文化祭は演劇部において活動を披露する最後の機会で、私達はそこで見てくれた人に『いい舞台だった』と思われるような演技をしたい。そう思って結構長い期間取り組んできた。……そうやって時間をかけて作ってきた役の他に、全く違う内容で違う人物を演じろ、と言われるとどうしても中途半端になってしまう怖れがあるの」

「なんか泉美だけ悪者にしちゃうみたいで嫌だから、私からも。プロだったら同時に複数役とか難なくこなせるんだろうし出来なくちゃいけないのかもしれないけど、いくら少しは演劇についてかじってるとはいえ私達中学生の部活でやってるレベルだから……。それに私もだけど、それ以上に泉美は今年セリフの量も多いの。だからあまり負担を強いることはさせてあげたくないって言うか……」

 

 続けて綾野さんが立ち上がってそうフォローを入れた。確か赤沢さんは主役級のはず、そりゃ今擁護されたようにセリフ量も演技量も多いだろう。

 

「勿論劇をやる、と決まったなら協力出来る範囲で惜しまず手伝わせてもらうつもりではいるわ。かじった程度でもノウハウはあるわけだから」

「大体てっしー気楽に今劇、って言ってくれたけど、わかってる? 劇ってセリフ言って演技だけすりゃいいってものじゃないんだよ? 既存のものをやるならまだいいけど、オリジナルとなったら脚本が必要になるし、それから大道具小道具、場合によっては照明演出とかやるかもしれないから、そこにも人員を、可能なら知識ある人間を割かないといけない。泉美が言ってる『ノウハウ』っていうのはその辺り含んでるわけだからね」

 

 今度は小椋さんだった。期待していた演劇部3人からの集中砲火を受けて、さしもの勅使河原も反論できないようだった。

 

「ただもう1度言っておくけど、だから嫌だというわけじゃないの。クラスの総意に背くつもりはないし、出来る範囲で、って前提条件は着いちゃうけど協力は惜しまないつもりよ」

 

 そこまで言って、赤沢さんはようやく腰を下ろした。一応風見君が黒板に「劇」と書くには書いたが、この様子では票はあまり期待できないだろう。

 

「ありがとう泉美。……今赤沢さんから意見があった通り、加えてステージが取れるかという問題も劇にはあります。それは覚えておいてください」

 

 うまく話をまとめ、「他にありませんか?」と再び桜木さんが皆に意見を求める。が、ここでまたしても発言したのは懲りない例の男だった。

 

「んじゃ合奏は? 吹奏楽部も3人いるだろ、このクラス」

「クラリネット2本とフルート1本はいいとして、他はリコーダーでも使ってもらうつもりか?」

「バランス悪すぎぞな」

「赤沢さん達の発言を借りるわけじゃないけど、私達だって所詮中学生の部活のレベルよ。私達をメインに据えての協奏曲(コンチェルト)なんて到底不可能だし、曲を編曲するとかなったら劇の脚本と同じか、それ以上に深刻な問題になるわ」

 

 そして再び吹奏楽部の3人――王子君、猿田君、多々良さんの3人にそう畳み掛けられて勅使河原は返す言葉も無く黙った。教壇の上で風見君が「書いたほうがいいのか」という顔で桜木さんの表情を窺っているが、彼女はそれを察して首を横に振った。委員長権限でボツらしい。

 

「勅使河原君には悪いけど、今の3人の意見とステージ前提という条件から、その案は難しいと判断させてもらいます。教室でやればいいじゃないかとも言われそうですが……先生、騒音苦情が来る可能性は?」

「十分にあり得ます。ステージが無難でしょう」

「ということです。……他にはありませんか?」

 

 ようやく勅使河原が全開にしてきたアクセルを少し緩めたようだ。後ろからの深く考えない意見が飛ぶのが止んだ。が、代わりにクラス内には周囲の席と人と小声で話す声が聞こえる程度で、明確な意見が上がらなくなってしまった。まあ文化祭の話し合いなどこんなものだろう、とは思ってしまう。

 

「さっきの劇、という話に関連してですが。これは公開時間を設定すれば教室でも不可能ではないかとも思います。ただ、教室でやるとなったらステージよりは狭いので、広々と使えないとは思うけど……」

「あの……」

 

 その時、おずおずとした声が後ろの方から聞こえてきた。勅使河原と同じ方向だったが明らかに異なる女子の声に、思わず僕は振り返る。見れば他の生徒も振り返っているようだった。

 

「それならいっそ舞台上で、という形式にこだわらない方がいいんじゃないかと思います」

 

 挙手したまま、しかし立ち上がらずに、勅使河原の隣の席の彼女は三つ編みに眼鏡という見た目に相応しく、そう控えめに述べた。

 

「柿沼さん、それについてもう少し詳しくお願いします」

 

 壇上から名を呼ばれ、そこで彼女はようやく立ち上がった。しかし視線はどこか自信なさ気に下の方へと向いている。

 

「えっと……。劇、と言い切るより、芝居、という括りで見るならもっと別の手法があるのではないかと……」

「つまりどういうことだよ?」

 

 と、隣の席の勅使河原。彼には悪気も責める気もなかったのだろうが、彼女はその身をビクッと震わせた。

 

「だから……。舞台じゃなくて、映像作品……言ってしまえば短い映画を作って上映するのはどうでしょうか」

 

 おお、とクラスから感心したような声がどこからともなく起きた。なるほど、いい案だと思う。

 

「確かにそれなら上映時間を決めて教室を開放すればいいわけだから……ステージの問題は解消できそうですね」

「今のゆかりの意見に加えて、一発勝負じゃないから舞台で起こりうるセリフのど忘れや予想外のアクシデントも回避できるわ。演技についても納得できるまで一応やり直しは可能だろうし、そういう意味でいうとさっき私が『負担』と言った面もある程度は緩和される形になるんじゃないかしら。……ただ、映像なら映像で別な問題もあるでしょうけど」

 

 はい、と頷いて提案した彼女は先を続ける。

 

「まずは映像を記録するので、撮影媒体……ビデオカメラ等が必要になります。映像の質は置いておくとして、そのぐらいならクラスの誰かの家に、最悪でも私の家にあるのであまり心配してないですが。次にそれを多数の人間に見せるわけですから、映像を映し出す機材……プロジェクターとかもですね。こっちは放送室にあれば借りられそうですが、それが無理なら問題になりそうです。あとは劇同様に脚本や大道具小道具、それからステージ上だけで演じるわけではないので、脚本にあわせてのロケ地なども考える必要が出てくるかと思います。さらに、撮影技術や編集技術を持つ人も必要です」

 

 すごい。普段物静かな柿沼さんがこれだけ饒舌に話した、と言うことも意外だったが、それ以上に言っていることが全部的確だと思えたことに驚いた。

 

「……言いたいことはまだありますが、その段階まで話が進んでないと思うので私からはこのぐらいにしようかと」

「なあ柿沼、その口調だと……。もし映画に決まったとしたらその後のことまで何か考えてるのか?」

「……まあ」

 

 見崎がよくやるような曖昧な返事を勅使河原に返しつつ柿沼さんは腰を下ろす。それでも勅使河原は切り込む質問をやめる気はないらしい。他の生徒もまだ彼女の方を振り返っている人が多い。……僕もだが。

 

「どの辺まで考えてんだよ? まさか……脚本もう出来てたりとかすんのか?」

「さすがに決まってもいないのに書きはしないけど……。頭の中にあるものを流用すれば、書けと言われて書けないこともないかも」

 

 座ってからの勅使河原への返答だ、正式な発言ではない。だがこれにはまだ彼女の方振り返っていたクラスメイトは思わずどよめいた。事実僕も「書けないこともない」という発言を聞いたら驚くしかない。

 

「なあ桜木、柿沼が考えてるっていう話聞いて、それで面白そうならもういっそ映画制作ってことでいいんじゃねえのか?」

「ちょっと勅使河原、それは横暴じゃないの? ……と言ってもまともに意見も出てないし、まあ委員長のゆかりに任せるしかないんでしょうけど」

 

 今の勅使河原も赤沢さんも、どっちも座ったままの発言だ。先ほどの柿沼さん同様正式ではない。言ってしまえば「野次」とかそういう類でも済ませられるかもしれない。だが桜木さんはしばらく教卓に目を落として少し考えた後で口を開いた。

 

「……柿沼さん、もしよかったら考えていることを少し話してもらってもいいですか? それから他の出し物について再度意見を募集して、その上で多数決を取って出し物を決めたいと思いますので。それで映画制作、ということになったら皆の賛成次第ではありますが、脚本をお願いすることになるかもしれないと思います。……それでもいいですか?」

「わかりました、それで構わないです。じゃあ……」

 

 そう言って柿沼さんは再び立ち上がった。一度心を整えるためか息を吐いて、口を開く。

 

「まず、舞台は洋館。雰囲気があって広義の意味での密室を作り出すには、それがもっとも適切で楽ですので。……そうですね、クラスか、あるいは部活での登山中に数名が道に迷ってしまい、強い雷雨で困り果ててところでその館を見つけてそこに駆け込む、というきっかけ辺りが妥当でしょう」

「補足。『広義の密室』っていうのは所謂『吹雪の山荘』とか『海が荒れた中の孤島』とか、そういう脱出不可能な、ミステリでよくある状況のこと。これによって登場人物達はそこから逃げられない、という前提条件をつけることが出来るわけだ」

 

 挙手はしたものの、座ったまま辻井君がそう付け足した。柿沼さん同様、眼鏡をかけた彼は合宿のときの話でミステリが趣味と言っていたはずだ。

 

「んでどうすんだ? 今のお前と辻井の話からすると殺人事件が起こって誰かが名探偵となって解決、とかか?」

「……それをやりたいなら辻井君に頼んで。私の担当じゃない」

 

 右側の口やかましい男子を一瞥してそう一言。「勅使河原、ちょっと黙ってなさい」という赤沢さんの援護もあって、奴も黙って聞くことにしたらしい。

 

「……話を続けます。ところが、その館に駆け込んだ仲間達が1人、また1人と命を奪われていく……。天候を理由に逃げ出すことも出来ない、一体その館で何が起こっているのか。この中の誰かがやったのではないかという疑心暗鬼に駆られ、姿見えぬ殺人鬼に怯える……」

「それ……さっきてっしーが言ったミステリじゃないの……?」

 

 綾野さんからの質問を首を横に振って彼女は否定した。さっき言ったとおり、そして合宿の時も聞いたとおりミステリは辻井君の担当。彼女の担当は……。

 

「トリック等は稚拙でいいです、ミステリ要素はあくまで副次的なものと思ってますので。詰まったら、辻井君に助力を求める予定です。……私が描きたいと思っているものはそういった推理ものではありません。趣味が悪いと思われるかもしれませんが、姿なき殺人鬼に追い詰められていき、人が疑心暗鬼に陥る、恐怖のその様……。つまり、ホラー作品を考えています」

 

 これにはクラスから驚きの声が上がった。無理もないだろう。僕だって初めて聞いたときは驚きを隠せなかった。彼女は文学少女か、あってミステリだろうと思っていたのだから。

 

「人ならざるもの……怪人のような存在を出してのパニックホラーという案もやぶさかではなかったりしますが……。文章ではそれは簡単でも映像となると特殊メイク等が面倒かと思ったので先ほどの『見えざる殺人鬼の恐怖』という形でまとめようと考えました。理由は単純に、その館には悪霊、あるいは死霊の類がいて、館に入ったメンバーの誰かに取り憑いたから、ということにするつもりです。なので、犯人……という言い方だとやはりミステリっぽくなってしまいますが、その役もこのクラスの中の人で演じてもらいたいと思っています

 ……もしこの案が通るとして、私からお願いしたい点は3点あります。まず1点目、この舞台……つまりロケ場所ですが、是非とも咲谷記念館を使わせてほしいと思っています。この間の合宿の時にかなり歩かせてもらったのであそこをイメージしてこのプロットを考えましたし、場所としても近場でいいかと。少しずるいかもしれませんが高林君もいるので確保は難しくないと思います」

 

 なるほど。伊達にあの時館内を歩き回って熱心にメモを取っていたわけではないということのようだ。

 

「2点目、いなければ私がなんとか出来ないこともないのですが、映像や音声編集のノウハウがある方がいれば、非常に助かります。演技や小道具で補いきれない部分は編集作業でなんとかごまかしたいので。特に前提条件を『雨の山荘』とする場合、暗さは夜にロケを行うことで何とかできるにしろ、雨音は合成でどうにかしたいところです。私もそこそこ精通しているつもりですが、もっと詳しい方がいればお願いしたいと思います」

「あ、それならうちの兄貴詳しそうだしできるかも」

 

 そう言ったのは小椋さんだった。だが言い終えると同時に「あ」とこぼし、やってしまったという表情が浮かぶ。……まあ隠さなくても彼女がお兄さんと仲が良いことなんて皆知ってるんだろうけど。

 

「い、いやあのさ、ほら、うちの兄貴やけに色んなこと詳しいから、もしかしたらできるんじゃないかなーと思って……」

「お前別に今更隠さなくても……」

「ちょっとてっしー! あんま余計なこと言わないでよ!」

 

 勅使河原じゃなくても今更と思ってしまう。どの道クラスの8割方は知っていたことだろう。そんな2人のやり取りなど気にした様子もなく、柿沼さんは続けた。

 

「ではもし決まったら小椋さん、お兄さんに話と確認を取ってもらえると助かります。最後、3点目。これはなるべくならそうしてもらいたいと思っていることです。しかし無理強いは出来ませんので、あくまで本人の意思を尊重した上で、ということになりますが……」

 

 そう言うと柿沼さんは視線を窓際、それも最後尾へと移す。そこに誰がいるのか、僕は確認しなくてもわかった。予想通りと言うか、自分には関係ないとばかりに彼女はずっと外の方を眺めていた。

 

「……犯人役は、見崎さんにお願いしたいと思っています」

 

 クラスがざわめいた。だが当の見崎本人はそこでようやく自分が呼ばれたと気づいたのだろう。何事かと顔をクラスの方へと戻す。そしてクラスメイトの全員の視線を受け、状況が把握できないとばかりに、

 

「……え?」

 

 とだけ、呟いたのだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。