あなざー ~もしも夜見山北中学3年3組に「現象」がなかったら~   作:天木武

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「……やっぱりね。そういうことだったんだ」

 

 僕の目の前の彼女は、そういうとくつくつと笑いをこぼし、肩を震わせた。ややあって、その顔がこちらへと向けられる。紫のセルフレーム眼鏡、そのレンズの奥から冷たい双眸がこちらを見つめていた。

 

「言い出したあんたが1番怪しいじゃないの。だったら簡単なことじゃない。……疑わしきは罰せよ。お前を死へと還せば、この惨劇は終わる……!」

「はい、カット」

 

 横からかけられたその一言に、目の前の彼女――杉浦さんの表情に憑いていた凄味が落ちた。次いでため息をこぼす。

 

「多佳子、悪くないけどもうちょっと、憎悪っていうのかな、そんな感じ出せない?」

「……どうやるのよ」

「どう、と言われても言葉で説明するのは難しいわね……。とりあえず、それは頭に置いておいて。そのうち私の家で強化合宿でもやるから。……あと見崎さんは台詞を早く覚えること。基本的に感情を押し殺した感じでいいってことだから、演技自体は今のでいいと思うわ。でもいつまでも台本持ったままじゃ格好つかないわよ?」

 

 赤沢さんにそう言われ、見崎はつまらなそうに視線を宙に彷徨わせる。

 

「……そうは言われても、台詞、多いから」

「多くないわよ。主役級の犯人役なのにこれすごく少ないじゃないの。舞台じゃないから直前に台本確認できるしリテイク可能とはいえ、頭に入れちゃった方がやりやすいわよ」

「えっと……赤沢さん、僕は?」

「いいんじゃないの。完全に普段通りの恒一君でいいような脚本だし」

 

 そう言った赤沢さんはどこか不満そうだった。まあ一応ダメ出しはされていないのだから良しとすることにしよう、と考えることにする。

 

 今は文化祭に向けて準備の最中である。結局、クラスの出し物は賛成多数で柿沼さん脚本の短編映画と決まった。それが今から1週間ほど前のことである。

 と、なると、脚本家の3点目のお願いである「見崎に主役級である犯人役を頼みたい」という話が浮上して来るわけだ。その時点で一応ちゃんとしたストーリーをわかってからの方がいいかもしれないと桜木さんは提案したのだが、なんと柿沼さんは翌日までに話を書き上げてくると言い出し、実際台本形式ではあったが物語を書き上げてきたのであった。それを読み、なぜ彼女が見崎を主役級に据えたかったのかを理解した。

 柿沼さんは、物語のキーとして見崎の眼帯と、その下にある義眼を使いたかったのだ。どういう経緯かわからないが、彼女は見崎の義眼のことを知っていた。台本中に「翡翠の目」という単語があることからも、はっきりわかっているらしい。その上でのキャスティング、というわけである。

 だが見崎は目の話題にあまり触れられたくない素振りを見せていたはず。そうでなくても「やれる人がやればいい」と、我関せずというスタンスを取っていた。そんな理由から僕としてはてっきり断るものだと思っていたのだが、「確かにこの話なら、私が適役だとは思います」と、判断をクラスの総意に任せたのだった。結果、柿沼さんの希望通りに見崎の役は決まっている。

 

 それまでなら僕にとっても対岸の火事だった。「美術部の方もあって大変だろうけど頑張ってくれ」などと思っていたわけだが、何を思ったのか、勅使河原の奴がそこで「じゃあ主人公サカキしかねえだろこれ」とか言い出したのだ。無論僕は異議を唱えたのだが、悲しいかな、民主主義の原則と言ってもいい多数決の過半数の賛成によって主役をやる羽目になったのだった。もっとも、見崎ほどキーな人物なわけでもなく、さらには死ななくて(・・・・・)いいわけで、他の人に比べたらその辺り楽そうではあったが。

 なお、その死ななければ(・・・・・・)いけない役として、今見崎と対峙していた杉浦さんと桜木さん、それから風見君と勅使河原がキャスティングされている。ちなみに勅使河原は立候補だった。が、柿沼さんに「真っ先に殺される役」に配置されるという扱いを受けている。それ以外の3人分の役はくじ決めで、演劇部3人も役を割り振られる可能性はあった。が、当たることはなかったために演じはしないが全体を統括する役割として裏方に回っている。

 

 柿沼さんの描いたストーリーは、はっきり言ってしまえば単純だった。クラスでの登山中に雷雨に遭遇する、山の中に古びた洋館を発見して逃げ込む、そこで惨劇が起こる。あらすじはこんなところである。しかし単純ということは柿沼さん自身も自覚しているらしく、「15分ぐらいのショートムービーを考えているから、余計な部分を出来る限り省いての単純かつわかりやすいストーリーになるようにした」との弁であった。小難しく伏線を張るだとか、奇抜な映像技術を用いるだとかしなくても、見た人間に「恐怖」を感じてもらえればホラーとしての体は保てる、暗めの咲谷記念館は古びていることもあって十分にそれを醸し出せる、とのことだそうだ。

 今練習していたのは後半から佳境にかけて、起承転結で言うと転の辺りの部分に位置する場面だ。風見・勅使河原両名が何者かによって命を奪われ、そのことから殺人鬼がこの中にいるのではないかと互いに疑心暗鬼に陥っていく。そこで、不意に見崎が眼帯を外してこう切り出すのだ。

 

『私は、小さい時にこの左目を失った。でも、それ以来、この目には見えないはずのものが見えるようになったの……』

 

 そして見崎は杉浦さんがこの館に巣食う悪霊に取り憑かれた犯人であると告げ、それに対して彼女は逆上する、といったところだ。

 

「榊原君、お疲れ様」

 

 そんなことを思い出しつつ、一旦出番が終わったために台本を片手に少し離れた僕に声をかけてくる男子がいた。スポーツマンの水野猛君。元々は彼と数度話したことがあるかどうか、という程度の仲だった。のだが……。

 

「ああ、水野君」

「大変そうだね、主役」

「うん、まあ……」

「でも姉貴がすごい楽しみにしてるってよ。ホラーの映画やるって言ったら食いついてきたし、榊原君が主役だって聞いたらなおさら」

「主役って言ってもね……」

 

 水野君は僕が病院でお世話になった看護婦である水野沙苗さんの弟である。つまり、人のことを「ホラー少年」とか勝手に呼んでいるあのホラーマニアが、どうやら弟さんに文化祭で何をやるのか聞いたらしい。そこで「ホラー映画」なんて答えが返ってきたら話に飛びつくのは自明なわけで。しかもそこで僕が一応主役、となれば「さすがホラー少年だ」などと言う様子は目に浮かぶようだった。事実、あの人はあることないことを弟さんに吹き込んだようで、水野君から「やっぱ適役だったんだな」みたいなことを言われたわけである。

 まあ結果的にそれであまり話したことがなかった彼と話すきっかけを持てたことは事実なのだが、どうも水野さんは過大評価というか、相当期待しているらしい。言っては悪いがたかが中学生の、一応アドバイスを演劇部からもらってるとはいえ基本はずぶの素人が作る映画と呼べるかもあやしいかもしれない代物だ、そんなに期待されても困る。大体僕だって主役、というくくりではあるが、受動的に動く主人公なために見崎より見せ場は少ないし、能動的に動く杉浦さんの役や受動的ながらも最終的に行動を起こす桜木さんより動きもない。死ななければならない2人よりは出ている時間は多いが、先の3人より控えめである。もっとも、それはありがたいことではあるわけだけど。

 

 そもそも僕は夏休み明けから美術部に所属することになって、クラスの企画と同時並行で展示制作も行わなくてはならない。前もってある程度進めていた見崎や望月と違い、状況としては切羽詰った状況にある。とはいえ、クラスはクラス、部活は部活なわけだ。決まってしまったことを嘆いても仕方がない。幸い、と言うべきか、制作するものは大まかに決まっていて、望月に相談したところ「十分間に合う」と助言された。ならその言葉を信じ、クラスと部活と二足のわらじを履き切ってみよう、とは思う。

 

「はい、じゃあ今日はここまで。……まあこの調子ならなんとかなると思うわ。でも出来るなら台詞は覚えちゃうように」

 

 演技指導の役割を担っている赤沢さんがそうまとめる。これで今日のクラスの出し物のために割く時間は終わりとなるようだった。

 文化祭を3年生最後の区切りとしている部活は多い。その影響もあって、クラスのための時間は時間割によるが長くて授業終了後から2時間程度、その後は部活へと移行する形になっている。これは正直助かる、というか、そうでないとせっかく入部した美術部で展示作品が完成しないということになってしまう。ただ幸いなことに、今ところ経過は順調なために十分余裕を持って間に合いそうだった。松永さんが1週間で仕上げたというのもなんだかわかる気がする。

 

 それはさておき、今日のクラスに割く時間も終わりということで水野君も僕との話を切り上げ、仲の良い窓際の列の人達のところへ行くようだった。入れ替わるように、どこか物憂げというか、まあ普段から物憂げな雰囲気ではあるが、そんな感じの見崎が僕のところへと近づいてくる。

 

「お疲れ」

「……疲れた。赤沢さんにいっぱいダメ出しされちゃったし」

「みたいだね。それで、今日は部室行く?」

「そっちも追い込みかけないと、危ないから」

 

 放課後に見崎と美術部室のある0号館へと向かうのは、2学期が始まってからの僕のささやかな楽しみになっていた。いつも部室に顔を出すと言うわけではないようだが、隔日ぐらいで部活に出ているようである。無論僕は間に合う、と言われていてもやはり不安ではあるので毎日部室に行っているのだが、見崎は以前からやっていたわけで、そこまで切羽詰ってはいないようだった。加えて彼女は油絵を展示作品にしているため、色が乾くのを待たなければならない。よって短期間ではなく長期のスパンで作業を進めざるを得ないと言うわけだ。

 とにかく、展示作品を仕上げるためにも貴重な放課後の時間はなるべく大事に使いたい。クラスの皆には「じゃあ部活があるから」と挨拶もほどほどに、部室へと向かうことにした。

 

「そういえばさ」

 

 階段を降りながら僕はふと気になっていたことを思い出して、見崎に尋ねかける。相槌も無く首も動かさなかったが、視線だけ僅かに僕に向けたようだった。

 

「見崎はクラスの出し物に元々は乗り気じゃなかったんだよね?」

「まあね。クラスの人達でやればいいと思ってたから」

「じゃあなんで柿沼さんに主役を頼まれて、それを受けたの?」

 

 一瞬、間が空く。嫌がっているのかと少し不安になったが、どうやらそうではないようだった。

 

「……クラスの総意だと思ったのが、半分」

 

 やや考えた様子の後で、見崎はそう述べた。それを聞いて怜子さんに「夜見北の心構え」という名目で「クラスの決め事は守ること」と言われていたことを思い出したが、そこまで重視されることだろうか、と改めて思ってしまう。

 

「あとの半分は?」

 

 まあそれはさておき、見崎の残りの理由が気になった。別に柿沼さんは強制してはいなかった。「出来ることなら」と言ったし、なるほどと思う理由からのキャスティングではあったが、それでも「クラスの総意」と言い切るほどのものでもなかったはずだ。

 

「……見えなくてもいいものが見える目、なんてところに魅かれたから、かな」

 

 ああ、と僕は思わず苦笑を浮かべた。なるほど、普段見崎が口にしていることと一緒ではある。なんというか、見崎らしいとは思う。思うが……。

 

「でもさ、台本だと君の義眼がキーになってるのはわかったじゃない。その上で眼帯の下を晒すことには……その、抵抗はなかったの?」

 

 見崎は自分の義眼を人に見せるということをあまり好ましく思っていないようであったことが、どうしても気になったのだった。僕に見せてくれることはあるのだが、他の人にはほとんどないようであったからだ。

 

「ない、って言ったら嘘になるけど。でも別にいいかなっても思った」

「柿沼さんがなんで君の目のことを知っていたかは、わかる?」

「さあ。この街は市って言ってる割に大きくないから、どこからか風の噂ででも聞いたのかもね」

 

 大らかというか、適当な回答だった。僕が気にしていることを、当の本人はほとんど気にしていない様子だ。どうも勝手に僕が考えすぎていただけらしい。当人が気にかけていないのだから、このことは深く考える必要はないか、と思うことにした。

 

 そんな話をしながら歩いているうちに、いつの間にか部室に着いていた。ドアを開けると活動している人が目に入って来る。文化祭前ということを考えると少し少ないぐらいだろうか。美術室を借りることなく部室内で収まっているという時点で特に多い、というわけではなさそうである。

 

「あ、見崎先輩に榊原先輩。こんにちは」

「こんにちは」

 

 確か2年生だったと思ったが、入り口付近にいた女子がまず僕達に挨拶を交わしてきた。それにつられるように部室内の数名が僕達に声をかけてくる。僕は一応声に出して返したが、見崎は視線を向けて軽く顎を引いただけだった。

 

「今日も一緒なんですね」

「まあ……クラス一緒だし」

「本当にそれだけですか?」

 

 どうにもよろしくない笑みを浮かべつつ、その子は僕達に、いや、僕にそう尋ねてきた。まったく女子というのはそういう話が好きなのかな、と思いつつ見崎に視線を移すと、もう彼女は関係ないとばかりに自分の作品のある部屋の奥へと移動していたのだ。なるほど、こうやって交わせば良いのかと少し感心しつつ、僕も自分の作業に取り掛かるべく部屋の奥へと足を進める。

 

 準備をしながら、先にそれを終えて取り掛かり始めた見崎の方に視線を移した。初めて見たときは思わずドキリとした、彼女の展示作品であろう油絵。描かれていたのは少し物悲しそうな1人の大人の女性だった。一見して彼女の母、霧果さんに似ている。だが僕がその絵を見て「ドキリとした」のは、その女性の顔の部分が斜めに引き裂かれたように描かれていたからだった。超絶技巧、とまで言ってしまっても差し支えない、キャンバスが破かれているのではないかとさえ錯覚するその絵は、しかし技術の素晴らしさに感嘆すると同時に言いようのない不安のようなものを覚えたのだ。

 見崎がどんな気持ちであの絵と向き合っているのかはわからない。僕が気軽に聞いていいような話題でも無いようにも思える。だから、より不安になってしまうのかもしれなかった。加えて、望月が言うにはほぼ完成状態で最後のニス塗りのために乾燥させていたところだったらしい。しかし夏休みが明けると再び彼女は筆を取ったということだった。修正しているのか、出来が不満だったのかは図りかねるが、一度完成といってもいい状態にあったものに再び手を加えている、ということで不安感のようなものが増してしまっているようにも思えた。

 

 ……いかん。確かに気がかりではあるが、それを気にしても何もならないことだ、ということはよくわかっている。そもそも、見崎の家庭の問題に僕が首を突っ込むのもあまりよろしいこととは言えないだろう。夏休みの海の時は少し後退したようにも感じてしまったが、その前は一旦は前進したようだった。なら、それできっとうまくいくのではないだろうか。

 とにかく、今僕は自分の作品を完成に向けて作らなくてはいけないのだ。クラスにも時間を取られ、貴重な放課後である。まず目の前のことに集中しようと、作業に取り掛かることにした。

 

 

 

 

 

 日が傾いた夕暮れ時。部活を終えた僕は渡り廊下でその黄昏を感じつつ、0号館から昇降口の方へと向かっていた。少々残念なことに、今僕は1人だった。見崎は、というと……。作業を始めて1時間ぐらい経った頃。作業に集中していて僕の気分がいい感じに乗ってきた頃合の時に先に帰ってしまったのだった。油絵という性質上ある程度乾いてからじゃないと次にいけないとかで、今日はこれ以上作業出来ないということらしい。さすがに自分の現状を考えると「じゃあ僕も帰るよ」と言うわけにもいかず、一緒に下校するのは諦めていた。

 その反動かはわからないが、粘って作業していたせいで下校時間ギリギリとなっている。校舎内のひと気もまばらで、見知った校舎内とはいえ少々不気味だ。しかし昇降口に着いて傾く日の光を見るとそんな考えは一蹴されたのだった。その日が落ちきってしまう前にさっさと帰ろうと思う。

 

「あれ……。恒一君?」

 

 そう思いながら下駄箱に上履きを収めて下足を取り出したところで名前を呼ばれた。見れば声の主は赤沢さん。どうやら今から帰るところらしい。

 

「今帰りなの? 随分残ってたのね」

「美術部の展示作品がまだ製作途中だから」

「そっか、夏休み明けてから美術部に入部したのよね。……そんな折にクラスの劇でキャスト任されたのか。なんだか申し訳ない気がするわ」

「いや、別に赤沢さんが気にすることじゃないよ。そもそも言ったの勅使河原だから。……ところで、赤沢さんも今まで演劇部?」

「そうよ。千曳さんに演技指導受けてたら、ちょっと熱が入ってこの時間になっちゃったの」

 

 演技指導、と聞いて合宿を思い出す。あの時もクラス合宿の自由時間に赤沢さんは千曳先生の部屋を訪ねて練習していたはずだった。主役とはわかっているが、随分熱心だと思う。

 

「それで……。恒一君はこれから帰るだけ?」

「うん。暗くなる前には帰りたいし」

「じゃあ……。途中まで一緒に帰ってもいいかしら?」

 

 提案されて、そう言えば赤沢さんと帰るなんてのは初めてだと気づいた。勅使河原や望月辺りと一緒に帰ったことは多かったが、女子でいうと見崎以外はこんな風に帰るタイミングがたまたま一緒になった綾野さんぐらいだったかと思う。

 

「全然構わないけど、道一緒かな」

「古池町よね? 私紅月町だけど、途中までは一緒よ」

 

 地名を言われてもまだピンと来ない。とにかく、僕より遥かに土地勘のある赤沢さんが一緒と言うのだから、間違いはないだろう。

 

 僕が了承の意図を伝えると「よかったわ」と返事し、彼女は僕の前を歩き出した。さすがクラスの陰の支配者、なんて言われるだけのことはあるということだろうか。こうやってリードしてる姿がよく似合ってるように感じてしまう。

 

「どうしたの?」

 

 そんな僕の心の中を読んだかのように、赤沢さんはそう尋ねてきた。いかんいかん、ちょっと今の考え方は(よこしま)だった。

 

「なんでもないよ。ただ文化祭近いのはわかるけど、随分部活熱心にやってるんだなって思って」

「それ……恒一君が私に言う台詞? そっくり返したいけど」

 

 発言の意図を図りかね、僕は首を傾げる。それを見て、ため息をひとつ挟んでから彼女は口を開いた。

 

「なんでこの時期に美術部に入ろう、なんて思ったの?」

 

 目の前の横断歩道の信号が丁度赤に変わる。赤沢さんはまず足を止め、次いで僕の方を振り返りながら面と向かってそう尋ねた。

 

「気を悪くしたなら謝るわ。でも、3年の2学期、それに文化祭の準備もあるとわかってたはず。にも関わらず、おそらく身内にも相談した上ででしょうけど、美術部の入部を決めた。それがちょっと気になってたの」

 

 この件に関してこれだけストレートに理由を聞かれたのは、もしかしたら初めてだったかもしれない。怜子さんには前々から相談していたから決めたときも特に突っ込まれなかったし、勅使河原や望月辺りは探り探り聞いてきた感じだった。……まあ海での話があるからかもしれないとも思う。

 思わず言葉に詰まる。別に前置きされたように気を悪くした、とかじゃない。こうやって率直に質問してくるのはいかにも赤沢さんらしい。ただ、今までなかったために少し狼狽してしまったのだ。

 

 信号が青に変わった。僕は足を進め、それで信号が変わっていたと気づいたらしい。赤沢さんも歩みだしつつ、視線だけは僕の方に向けている。段々と道は河川敷へと入っていた。

 

「元々美術には興味があったんだけどね。でもこっちに来て早々入院だったから、機会を失っちゃって。そうこうしているうちに夏休みになっちゃったんだけど……。海に行ったときに松永さんと怜子さんと話して、短期間の入部期間でも作品を完成させられれば展示は出来る、って聞いたから、やってみたいと思ったんだ」

 

 嘘は言っていない。それが理由の全てか、と問われればノーと言わざるを得ないが。

 赤沢さんは少し歩くペースを落とし、しばらく僕の顔を見つめていた。それから顔を前へと戻して口を開いた。

 

「そういうわけね、納得したわ。中学最後の文化祭だものね、何か残したいって気持ちはよくわかる気がする。……ごめんなさい、なんだか探りを入れるようなことを聞いてしまって」

「そんな、別に……」

「恒一君が何を作っているかは、聞かないでおくわ。文化祭の時の楽しみにしておきたいから」

 

 そう言った彼女は、相変わらず前を向いたままだった。そのために表情を窺うことが出来なかった。だけどその声色は、言葉の内容ほどあまり興味がないようにも聞こえてしまった。

 だから何だというつもりはない。だけど、なんだか赤沢さんらしくない雰囲気を感じてしまったというか、そこが少し気がかりだった。

 

「ここ、曲がるのよね?」

 

 そのことを尋ねようか迷っていたところで、先にそう声をかけられた。夜見山川の河川敷を歩いてきたわけだが、よく見るとこれ以上川に沿って歩くと道を引き返すことになるところだった。

 

「私、もう少し行ってから橋渡らないといけないから」

 

 さっき気になった赤沢さんの様子を窺うが、特に変わってはいなかった。ひょっとしたら思い過ごしかもしれない。

 

「話せて楽しかったわ。じゃあね、恒一君」

「うん、さようなら」

 

 最後の挨拶も普段通りに感じた。やはり思い過ごしなのだろう。そう思って河川敷の道を直角に曲がってしばらく歩いて――ふと、僕はあることに気づいた。

 このまま道なりに進めば家に着く。望月や勅使河原と帰るときにいつも通っている道と全く同じだ。引き返さずにすんだということ自体は嬉しい。気になったのはそこじゃない。

 

 なぜ、赤沢さんは一度の確認もなしに僕がこの道で曲がるということを知っていたのだろうか。

 

 今の住所が古池町ということは知っていたようだし、夏休みに海に行く時、家まで来たのだから場所はわかっているのだろう。でもそうだとして、僕が通いなれているのを知っていたかのように、さっきの角を曲がらないと通り過ぎてしまうことまではわかるものだろうか。

 ……いや、ちょっと考え過ぎと思う。一度家まで来たのだから道をわかっていた、というだけの話だろう。

 

 日はもう沈もうとしていた。ふと足を止めて振り返ってみると、夕日が夕見ヶ丘をその名の通り映し出し、夜になろうとしている。そのまま分かれた赤沢さんの姿を探そうとしたが、もう見当たらなかった。諦めて夕日を背に浴びながら、僕は家路を急いだ。

 


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