あなざー ~もしも夜見山北中学3年3組に「現象」がなかったら~   作:天木武

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 時間というものは熱中していると早く過ぎる、とか言われている。もっとも、実際に時間が早く過ぎるわけなどなく、あくまで体感的にそう感じるだけに過ぎないわけだ。なんでも、脳を使うか使わないかで体感速度が変わるらしく、忙しい時ほど短く感じて単純作業を続けるような時ほど長く感じるという。

 そういう意味で言うと、ここしばらくの期間の時間経過は早かった、ということになるだろう。あるいは時間があってほしいという僕の願望のようなものも含まれているのかもしれない。とにもかくにも「時は金なり」と言われるその貴重な時間はあっという間に過ぎてしまったわけである。クラスの誰かさんなら「光陰矢のごとし」とか言いそうだとふと思う。

 

 ……とまあ半ば現実逃避気味にそんなことを考えたわけだが、何を隠そう今日は既に文化祭当日となってしまったのだった。夏休みが明けてからここまで、本当にあっという間だった。

 結論から言えば美術部の作品は1週間ほど余裕を持って無事完成した。もう少し早く終わるかと思っていたが、なんだかんだとずれこんでしまったわけで、やはり予定というものはある程度余裕をもって立てないと厳しいようだ。

 というより、むしろ時間に追われたのはクラスの方だった。ロケの予定は文化祭の2週間前、そこで撮り終えてあとは宣伝用のビラだのポスターだのといった広報活動に移行する予定でいた。ところが1度で撮り終えることができず、高林君に無理を言ってその1週間後に再び咲谷記念館を借りてロケを行ったのだ。結果、最も負担がかかったのは脚本兼編集係という重役を担った柿沼さんであり、実際文化祭が近づくにつれて普段より体調が悪そうというか眠そうな様子も窺えた。とはいえ、編集はある程度小椋さんがお兄さんに頼んでくれていて、一晩でやってくれたために思ったほどではなかったとも言っていたわけだけど。

 そんなわけで完成が駆け込みとなってしまい、クラスで出来た映像を見た時は既に文化祭の3日前となっていた。学校の備品であるプロジェクターとスクリーンを放送室から借りて、実際の上映の確認がてら皆で見たわけだが、素人ゆえの荒っぽさこそあるものの一応映像作品としての体は成していると僕は思った。クラスの皆も概ね高評価な反応のようだったが、脚本を書いた当の柿沼さん本人は「ホラーよりもサスペンス寄りになった」とか少し悔やんでいるようだった。

 

 いずれにせよ、クラスの出し物は完成したわけで。あとの準備物は事前に完了していたために滞りはなかった。特に広報用のポスターは美術部である望月がかなり気合を入れて描いたのでいい具合に出来上がっていた。……若干ムンクっぽい気がしないでもないが。

 さて、あとはいざ文化祭が始まってお客さんを入れてお披露目、となるわけだ。全校生徒を集めての開会式も終え、来校者の人達が校舎内に増え始めた。そろそろ我らが3年3組の記念すべき第1回目の上映が始まる時間であるが、今僕がいるのは校舎の屋上。それも1人で、である。

 なぜこんなところにいるのかというと、開会式の後で姿を消した見崎を探しに来たからだった。まあ彼女は元々あまりクラスに関わらないスタンスだったわけで、ましてや自分が主役級の映像を見ようという気にはならないのだろう。でも一応メインキャストなのだから、見てくれたお客さんを見送るぐらいはした方がいいんじゃないかと、僕は呼び戻しに来たわけだ。しかしここか第2図書室と思っていたけど、どうやらこっちは外れだったらしい。かといって第2図書室まで行くのはここからは少し遠い。そもそもいるかもわからない。

 

 仕方ないか、と屋上から校舎内に入ってくる人々を見下ろしつつ、僕はため息をこぼした。そろそろ初回の上映が始まる。見送るだけなら終わってから戻ろうかと思ったが、どうもそれだと文句を言われそうだった。なぜなら、今現在ポケットに入れている携帯が震え始めたからだ。取り出して発信者を確認し、やっぱり勅使河原かと再びため息をこぼしつつ僕は電話に出る。

 

「……はい?」

『はい、じゃねえよ。どこほっつき歩いてるんだよ、お前は。メインキャストのお前も見崎もいないんじゃ終わった後の客の見送りどうすんだよ? もう初回の上映時間になるぞ』

「別に僕がいなくても他の人達でやってくれればいいじゃない」

 

 まあ、いいわけないと言われるのはわかっている。だが、今戻るということは上映される作品を見る、ということだ。出来が悪い、なんて毛頭思っていない。僕のことはさて置くにしても、皆一生懸命自分の仕事をこなしてたし、演者も精一杯演じていた。見崎の力演は撮ってたときだって思わず背筋がゾクッと来るようなものだった。

 じゃあなぜ見たくないのかというと、何言うことはなく自分の演技を見たくないのだ。赤沢さんや綾野さんといった演劇部の面々を始めとして皆に誉められたものではあるが、やはり改めて見るのは恥ずかしい。何度も見るのは可能なら遠慮したいところではある。

 とはいえ、勅使河原が言っているのももっともだ。毎回いるのも大変だろうが、せめて初回上映時ぐらいはいるのが筋というものだろう。

 

『それでいいわけねえだろ。せっかく上映終わったってのに主役不在じゃ締まらないだろうが。どうせ見崎も近くにいるんだろ? さっさと連れて戻って来い』

「探してはいたんだけどね。今は一緒じゃないよ。出来れば終わった後の見送りのタイミングで戻りたかったけど……。とりあえず僕だけでも戻ろうか?」

『おう、そうしてくれ。赤沢がよ、主役がいなくてどうすんだとかちょっとヒスっちまいそうなんだよ。あいつ演劇部の舞台近いからどうでもいいことでもピリピリしてるし……』

 

 そういえば演劇部のステージは明日だったはず。演劇部として最後の舞台の本番前日とあれば、確かにナーバスにはなりそうだ。

 

「わかった。じゃあ今から戻るから」

『後ろから入れよ。前は鍵かけてあるからな』

 

 クラスの設営には僕もいた。だから教室内に暗幕を引き、黒板の前にスクリーンを置いたために前の扉を締め切ったことは知っている。「言われなくてもわかってるよ」と答えて通話を終了。どうにも足が重いがクラスに戻ることにする。

 

 足が重いのなら直行しなくてもいいだろう。せっかくの文化祭だし、とか自分に言い訳をして少し寄り道をすることにした。

 夜見北は4階に1年生の教室があり、3階に2年生、2階に3年生となっている。つまり屋上から降りてくると他学年の出し物を見れるわけだ。教室の中には入らないが、前を通って何をやっているのか見てみる。

 いつだったか勅使河原が言った「お約束」は各学年に1つはあるようだった。少し興味を引かれたのは、以前僕が「受けが悪い」と評した地域の歴史をまとめた展示だ。1年生がやっていたのだが、僕はここに住み始めて短いので夜見山の名前の由来だとか地域ごとの景観だとかには関心がある。チラッと見ただけだが、どうやら見やすいように写真を多用してパネルに張り出したり、地域密着型とも言うべきか、住んでいるお年寄りにインタビューして話をまとめたりしてあるようだ。そういう真面目なのがなおさら1年生っぽくてよろしいとか感じてしまったりもする。

 その教室に入って展示を見たいのは山々だったのだが、勅使河原に急かされた以上さっさと戻らないといけない。4階と3階の教室の前を素通りし、3年生の階である2階へと到着。あまり戻りたくない気持ちを抑えながら3組の教室の前まで戻ってきた。もう上映は始まって冒頭部分は終わったぐらいだろう。

 戻ってきて驚いた。上映予定時間を張り出した看板があったのは教室を出たときと一緒だったので知っていた。だが、今はその脇にもう1つ立て看板が用意され、「現在の時間は満席となっております。大変申し訳ありません」と書かれた紙が貼り付けてあるのだ。

 

「あ、こういっちゃん戻ってきたんだ」

 

 その看板に気をとられて気づかなかったが、教室後ろの入り口付近に机と椅子があり、そこに綾野さんが腰掛けていた。おそらく入場整理やら呼び込みやらの役割だろう。

 

「勅使河原から電話かかってきてね。……今満員なの?」

「初回なのに大入り満員、大盛況。待っててくれた人全員入れる前に席埋まっちゃったから、入場制限かけてその看板慌てて作って設置したの。委員長が次も満員なら上映ペース増やした方がいいかも、って言ったぐらいだよ」

 

 それはなんとまあ……複雑だ。皆が一生懸命作った出し物を多くの人に見てもらえるというのは嬉しいことだが、個人的に自分の演技を見られるというのは恥ずかしい。

 

「で、中入るんでしょ? 泉美、カリカリしてるから顔見せた方がいいと思うよ。左側開けて入れば暗幕で隠してあるから入っても大丈夫だし」

「勅使河原にも言われたんだけど……。赤沢さん、そんなにピリピリしてる?」

 

 机に頬杖を付き、綾野さんはため息をひとつ挟む。

 

「意外とね。あの子、本番前は結構神経質になるから」

「綾野さんも明日主役じゃなかったっけ?」

「まあね。でも私はそこそこ神経太いから。……って言いたいところだけど、今から緊張はしてるんだよ、こう見えてね。……とりあえず、中入って泉美に顔見せた方いいよ。余計な心配かけさせないように」

 

 やはり入って自分の演技をまた見ないといけないのか。出来ることなら避けたいが……。

 

「……自分の演技、あんまり見たくないんだけどね」

「なんで? すっごくよかったじゃん、特にラストとか。こういっちゃん演劇部入ればいいのにって思ったぐらいだよ?」

 

 彼女としては誉めているんだろう。だけど、そう言われるのがやはり恥ずかしいのだ。

 

「ま、じたばたせずに中に入りたまえ。女を待たせるのは罪な男のすることだよ。ましてやそれが……」

 

 そこで綾野さんは意味ありげな笑みと共に口をつぐんだ。

 

「それが?」

 

 続きを促そうとしたが彼女は答える気はないらしい。「いいから入りたまえ」と似たような発言を繰り返すだけだ。続きは知りたいところだが、赤沢さんがピリピリしているというのは事実らしいし、ここはやはり中に入るしかないのだろう。そうなれば流れでまた作品を見ることになるのだが、致し方ない。

 綾野さんに「お疲れ様」と労いの言葉をかけて、教室の中へと入ることにした。扉の開閉時に光が入らないよう工夫された暗幕の隙間から教室の中の様子を窺う。……確かに人が多い。用意した椅子が全て埋まり、立ち見の客まで若干いるようだった。そこから視線を少し上げ、映像が映し出されているスクリーンへと移す。物語も中盤に差し掛かった辺りだった。風見君の部屋からキャストが出てきたところ、ということは彼の出番はもう文字通りおしまいとなってしまったわけだし、勅使河原の出番も終わったということか。

 クラスメイトの控え場所でもある教室の後ろ、ロッカー前へと暗幕をくぐる。そこからもスクリーンの映像が見えるようになっているために控え場所にいた生徒達はそっちを見ていたようだったが、僕が入ってきたことに気づいたのだろう。数人がこっちへと目を移してきた。

 

「あ、サカキ! やっと戻ってきやがったか」

 

 上映の邪魔にならないように普段より相当声のトーンを落として勅使河原が話しかけてくる。

 

「おっせえよ、俺も風見も出番終わっちまったぜ?」

 

 はっきり言ってそんなの僕には関係ないし知ったことじゃない。……とストレートに言うのもなんなので、「悪かったよ」と適当に済ませ、不機嫌だと散々言われている赤沢さんに一応謝罪しておくことにした。

 

「えっと、赤沢さん……」

「ようやくね。主役不在で見送りしなくちゃいけないのかと思ってたわ」

「その……ごめん」

 

 腕を組んだまま、彼女はため息をこぼす。

 

「別に責めるつもりはないけど。ただ、見に来てくれたお客さんを初回ぐらいはキャスト総出で見送った方がいいんじゃないかと思ったのは事実よ。……で、見崎さんは一緒じゃなかったの?」

「少し探したけど見つからなかったから、僕だけでも戻ってこようと思って」

 

 そう言うと、赤沢さんは少し意外そうに僕の方を見つめた。そして短く「そう」とだけ返す。

 

「……まあいいわ。毎回見送りにいろ、なんて言うつもりはないし、今回だけはお願いって事ね」

 

 それきり、スクリーンの映像へと視線を戻してしまった。……なんだか意外だ。勅使河原はさっき「ヒスっちまいそう」とか大層なことを言っていただけに、もっとお冠だと思っていた。しかしそこまで怒っていないのならそれに越したことはないだろう。

 

 さて、その件はもういいとしても、これからが問題である。上映が終わるまでやることがない。「あ、見送りには戻ってくるんで」とも言い出せない状況。かといって静かにしてなくちゃいけないから勅使河原と世間話なんてのも無理だ。

 仕方ない、あまり見たくなかったが映像を見ることにしよう。

 

 物語は丁度終盤へと差し掛かる頃だった。風見・勅使河原両名の出番が終わり、残った僕と見崎、杉浦さん、桜木さんの4人が疑心暗鬼に陥っていくところだ。

 

『どうなってるのよ! 誰が2人をやったのよ!?』

『とりあえず落ち着いて。僕達が分かれた後に起こったことなら、この後は一緒にいるほうが……』

『落ち着けですって!? 2人も殺されてるのよ、落ち着いてなんていられるわけないじゃない! それに一緒にいるって……この中に殺人鬼がいるかもしれないのに一緒にいろっていうの!? 私は独りででも天気が回復するまで部屋に閉じ篭らせてもらうわよ!』

 

 スクリーンには普段のクールな様子からは想像出来ないような、取り乱した杉浦さんが映っている。最初の頃はぎこちなかったが、赤沢さんに猛特訓してもらったらしく、撮影した時も思ったことだが本当に切羽詰ったような演技だ。

 

『でもそれでまた襲われるなんてことになったら……』

『その時は自分の身は自分で守るわ。そういう委員長、あなたは誰かに守ってもらうつもり?』

『わ、私は……』

『そこまでにしましょう。……茶番はもういいわ』

 

 2人の会話に見崎が割り込む。ここのカメラは見崎の視点で撮られており、つまり映像内の僕を含めた3人の視線が一気に集まる。

 

『どういう意味よ!?』

 

 攻撃的な杉浦さんの一言でカメラは4人全員を写す視点へと切り替わる。そのまま今度は左目の眼帯に手をかける彼女1人をアップにするアングルへと変わった。

 

『私にはわかる……。誰が2人を殺したのか。そして、誰がこれからも残りの人間を殺そうとしているのか……』

『何を……言ってるんですか……?』

『私は、小さい時にこの左目を失った。でも、それ以来、この目には見えないはずのものが見えるようになったの……』

 

 見崎が眼帯を取り両の眼でカメラを見つめる。見る者を引きこむような、美しくも繊細な翡翠――。瞬間、教室の中にわずかに感嘆の声が漏れたのがわかった。

 

『この翡翠の目が教えてくれる。この館に巣食う悪霊に取り憑かれ、生者としてではなく死者となってしまった、本来存在しないはずの者が、誰なのか……』

『ちょ、ちょっと待ってください見崎さん。悪霊とか死者とか、どういうことなんですか?』

『私の部屋に、以前住んでいたと思われる人の日記があったの。この館は元々いわくつき(・・・・・)の建物だったらしくて、日記には次第に悪霊によって狂気に飲み込まれていく様が描かれていた。……私のこの目は、見えなくていいものが見える。だからわかるの。その悪霊が、誰に取り憑いているのか……』

 

 そして見崎は、ゆっくりと腕を上げて指をさす。それに合わせてカメラのアングルが見崎からその指先の方へと移った。

 

『私のこの左目は、あなただと告げている』

『そんな……』

『杉浦さんが……?』

『……やっぱりね。そういうことだったんだ』

 

 しかしスクリーン内の杉浦さんは、視線を一斉に浴びつつも全く動じない。代わりに、台本片手に練習していた頃よりも遥かに冷たさを増した、鋭い眼光で見崎を睨み返した。

 

『そんなこと、言い出したあんたが1番怪しいじゃないの。だったら簡単なことじゃない。……疑わしきは罰せよ。お前を死へと還せば、この惨劇は終わる……!』

『何を……!』

 

 映像内の僕の台詞が言い終わるより早く、杉浦さんの右手に銀の何かが煌く。部屋に置いてあった果物ナイフだ。無論、撮影の際使用したのは切れるはずのない小道具であるが。

 それを彼女は見崎に向けるでもなく右手に持ったまま、ゆっくりと口を開いた。

 

『最初からあんたが怪しいと思ってたのよ。何が見えないものが見える目よ。そうやって私を犯人に仕立て上げて、自分の疑いを逸らすつもりでしょ? ……そもそもここに避難するように勧めたのも私の記憶だとあんただったはず』

『……だから、そのナイフで私を刺そう、ってわけ?』

『その態度は自分が殺人鬼です、と肯定したと捉えていいのかしら?』

『待ってください! クラスメイト同士が命を奪い合うなんて……!』

『この期に及んでまだそんなことを言ってるの、委員長? 昼行灯(ひるあんどん)もいいところじゃない? この状況、2人を殺した人間がこの中にいるのは明白。そしてその子は私が犯人だと言い出した。混乱を誘って私達を同士討ちでもさせるか、自分から疑いの目を背けさせて混乱に乗じるつもりじゃない? どう考えても怪しいじゃないの』

『でも……怪しいからってそんな……』

『じゃあ黙って殺されろって言うの!?』

 

 激しい剣幕で杉浦さんが怒鳴った。次いで訪れる一瞬の静寂。この辺りも最初の練習の頃から比べるとまるで別人のようになった部分だ。

 

『私はやってない。たとえ誰も信じてくれなくとも、私自身がそれは真実に他ならないと知っている。そして、私自身殺されるつもりもない。ここから絶対に生き延びてやる……!』

 

 続けて静かに、しかし明らかに敵意に満ちた言葉が、スピーカーを通して教室に響き渡る。言い終えると同時に彼女はゆっくりと足を踏み出した。

 

『……やっぱりダメです!』

 

 そこへ暴走するクラスメイトを止めようと桜木さんが背後から抱きつく。それを振りほどこうとする杉浦さん。そして2人はもつれ合う。刃物を持った人間と止めようとする人間、そんな2人が揃ったら、あとは昼ドラでよくある展開だ。

 

『ああっ……!』

 

 悲鳴とも困惑とも取れない声と共に画面の中の桜木さんが崩れ落ちる。そして床に赤い血溜まりが広がった。それを見て、刺してしまった当人の手から凶器が零れ落ちる。

 

『そんな……委員長……。私、あなたに対してそんなつもりは……』

 

 その瞬間、画面を一瞬黒い影が横切る。ゆっくりとカメラが横切った影をパンしたその先に――杉浦さんに体を預けるように密着した見崎の姿があった。

 

『あんた……やっぱり……!』

 

 その手には、杉浦さんが握っていたものと同じようなナイフが握られていた。赤い染みが広がる腹部を一瞬映した後で、アングルが切り替わる。特訓の成果だろう、怨嗟の言葉を吐き出した杉浦さんの表情は憎悪そのものと言ってもよかった。が、不意にそれが消え、彼女も己が刺してしまった人の横へと崩れ落ちる。

 

「……手前味噌とは思うけど、なかなかいい顔してたわね、私」

 

 と、先ほどスクリーンに映し出された表情と真逆、普段通りの無表情で観賞していた杉浦さんがポツリと呟いたのが聞こえた。いやはやなんとも対照的、やはり彼女は憤怒やら憎悪やら、そういう表情より今のような特に色のない表情の方が似合っていると思う。

 

 一方、今後の展開を知っているために僕はそんな思いを馳せ、同時に自分の番も近づいてきたかとか考えていたわけだが、物語の方はそろそろ佳境。これで生き残っているのは僕と見崎の2人だけ。見ているお客さんの側としてはどう締めくくってくるのかが気になる頃だろう。

 

『終わったの……?』

 

 画面の中の僕が問う。血糊の滴るナイフを手に、しかし彼女は答えず、加工された音ではあったが、雨の音だけが響いていた。

 

『終わったんだよね……?』

 

 再度、画面の中の僕は問いかけた。だがやはり彼女は答えない。代わりに天を仰ぎ、小さく息を吐き出し、左手で義眼の前を覆った。

 

『さっき……言ったよね? 確か、犯人は彼女だ、って。だって君のその目には見えなくてもいいものが……』

『……私のこの左目には見えなくていいものが見える。だから、誰に悪霊が取り憑いているのか、それがわかる……』

 

 見崎の肩がわずかに上下する。ややあってそれが止み、ゆっくりと見崎が僕の方へ、カメラの方へと首を傾けた。直後、後付の特殊効果であろう、画面が一瞬光り轟音が轟く。すなわち、雷に映し出された形となり、左手をずらして翡翠に輝くその目を見せつつ、あくまで無表情のまま彼女はゆっくりと口を開いた。

 

あるわけないじゃない(・・・・・・・・・・)そんなこと(・・・・・)

 

 ヒュン、とナイフを振り、まだ垂れていた赤い液体が飛ぶ。次いで彼女はゆっくりと歩き出す。

 

『でもね、さっき言ったこと、何も全てが全て嘘ではないの。この館に巣食う怨霊、あるいは悪霊。それがいるのは本当よ。だって……今も私にささやきかけてくれるもの。……血が足りない、もっと血が欲しい、って』

『待っ……!』

 

 スクリーンの中でナイフを持った見崎が、僕の声を無視して駆け出す。間一髪、それを避けた代わりに体勢を崩して尻餅。いよいよ獲物を追い詰めたと、彼女は順手に持っていたナイフを柄の根元の部分を支点にして逆手へと持ち返る。そして、覆い被さるように僕目掛けてそれを振り下ろした。

 

 今だから言うと、僕はこの時演技ということを忘れかけていた。練習のときは見崎、というかそもそも異性と接近する、というだけでできるかという不安やら恥ずかしい気持ちやらで散々ダメ出しされたのを覚えている。なのに、実際オッケーが出たこの時はそういう心は微塵もなかった。というより、練習していたからかろうじて「避けて尻餅をついた先にある、さっき杉浦さんが落としたナイフを手に取り、逆に彼女に向ける」という台本に書かれていた通りの行動が出来たのだと思う。

 

 画面の中で、彼女の手から逆手に持ったナイフが滑り落ちる。次いで、彼女はもたれかかるように僕にその体を預けた。

 

『見崎!』

 

 叫び、彼女を仰向けに寝せる。小道具用の血糊が、彼女の腹部を赤く染めていた。

 

『よかったの……これで……』

『なんで……どうして……!』

『さっき言ったことは本当……。でも、自分の意思で止めることが出来なかった……。だけども……それももう終わり……。だから……これでいいの……』

『いいわけないじゃないか!』

『いいの……。だってこれでこの館の呪いは解けて……何より私は……あなただけは傷つけたくなかったから……』

 

 ランナーズハイという言葉がある。走り続けると気分が高揚し、普段以上の走りができるだか疲れを感じなくなるだか、そういったものだったと思う。そこに似せようとするなら、あの時の僕はプレイヤーズハイとかアクターズハイとでも言うべきだっただろうか。あるいは以前千曳先生の話を聞いたときに出た「憑依する」というものだろうか。演技、ということをすっかり忘れ、あたかも本当の出来事であったかのように感じ、しかし練習をしていたためになんとか段取りは踏まえられていた、という状態だった。

 

 だからあの時、作り物の血糊とわかっていても、見崎が真っ赤に染まった手で僕の頬に触れた後、力なく垂れていくその手を握った時は、まるで本当に見崎が死んでしまうのではないか、自分がこの手で殺めてしまったのではないかと錯覚したほどだった。

 

 結果、最後の僕の慟哭シーンはもはやアドリブと言ってもいいほど練習とかけ離れたものになってしまった。同時に、今僕がそれを見直すのはいささか恥ずかしい。彼女の名を叫び、小道具を使ったでもなく涙を流す自分の様を、今現在冷静になった自分が見るのは到底無理だ。ここを見たくなかったから部屋に入ってきたくなかったと言うのに。

 

「……いや、いつ見ても名演技だよな、これ。お前すげえよ」

 

 そんな僕の心を知ってか知らずか、傍らの勅使河原が肘で小突いてきながらそう言ってきた。からかい半分、感心半分と言ったところか。恥ずかしいので無視を決め込む。どうせこれが終わったら外に出て見送りで、後はしばらく自由時間を取れることだろう。自己嫌悪しながら文化祭を見て回って、忘れるのがいい。

 

 映画自体はもう終わる。暗転して僕の最後のナレーション、それからスタッフロールで終幕だ。

 

『こうして、惨劇の夜は終わりを告げた。正当防衛とはいえ、自分の手で殺めてしまった少女の傍らで、僕は気づいたら眠ってしまったらしい。天候が回復して陽の光りで目を覚ました僕は我が目を疑った。

 

 傍らにいたはずの少女が、いなかった(・・・・・)のだ。

 

 それだけではない。その後の調査でも彼女の指紋や血液すら検出されなかった。クラスメイトに聞いても誰に聞いても、そんな人間はいなかったと皆口を揃えてそう言った。

 では一体彼女は何者だったのだろうか。彼女を刺してしまった感触は確かにこの手に残っているはずなのに、あの最後に傷つけたくなかったと言ってくれた言葉もこの耳に残っているはずなのに、その少女はどこにもいなくなってしまったのだ。

 

 そう、まるで初めから彼女は『いない者』であったかのように……』

 




劇中劇をどうするか、具体的には構成は練れていたのですがどう表現するかで迷いに迷って4ヵ月半も滞ってしまいました。場面転換して三人称に切り替えるのも考えたのですが、結局恒一視点であくまで劇であることを強調しつつ、そこそこ劇中劇の内容もわかるようにこの形にしてみました。

さて、劇中劇ですが、原作に対するアンチテーゼといいますか(あなざー自体がそうといえばそうなのですが……)原作を読んでいた時に自分が予想した結末、という考えで書いています。要するに読んでるときは「死者」は見崎なんじゃないか、と思ったわけで。いい意味でそれは外れたので見事彼女は未だにヒロインなわけですが。
また、原作っぽい展開を劇中劇でやってみる、という試みもありました。どちらかというとアニメのラストの方ですかね。

とにかく劇中劇で大分難儀しました。が、実を言うとこの後の演劇部の方ももう1度別な劇中劇を描く予定でいるため、また難儀しそうです。
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