あなざー ~もしも夜見山北中学3年3組に「現象」がなかったら~   作:天木武

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 文化祭2日目。まだ開場時間となっていない今は朝のホームルーム中だ。上映仕様となっているため教壇も生徒用の机もない我らが3組の教室だが、生徒は来客用の椅子に適当に腰掛けて壇上の久保寺先生の話に耳を傾けている。

 

「素晴らしい客入りです。委員長である桜木さん主導で上映回数を増やしたそうですが、それでも滞りなく大好評……。担任としてはこの上ない喜びです。……ああ、思い出せば職員会議で各クラスの出し物の確認の時、『いくら創作劇とはいえ、生徒同士が傷つけあうような内容のものはいかがなものか』と槍玉に挙げられたものでした。それでも皆さんのやりたいものをやってこその文化祭だと主張し続けた甲斐があったというものです」

 

 まだ文化祭は今日1日残っている。しかし先生は早くも無事に成功して終了したと言わんばかりの、何やら熱の篭ったような雰囲気でそう述べていた。

 

「先生、まだ文化祭は終わってません」

 

 そこで桜木さんが冷静な突っ込みを入れる。それに我に返ったか、「……そうでしたね」と言ってからは、普段の久保寺先生だった。

 

「それでは今日も大きなトラブルなく、クラス展示として上映会が出来ることを祈っています。しかしそれであると同時にうまく時間を見つけ、文化祭を回ってみてください。中学生最後の文化祭です。是非とも楽しむように。……よろしいですね」

 

 相変わらず適当なのかどうなのか、掴みどころのない先生だ。だがさっき言った話が本当なら、僕達が今回のショートムービーを作れたのは、先生が無理を通したからとも言えるのかもしれない。その辺りクラス思いではあるのかな、とも思うのだった。

 

「では私から事務的な話は以上です。今後、今日の予定等はクラス委員の桜木さんにお願いします」

「はい」

 

 先生は教壇を降り、代わりに桜木さんが教壇に上がってこちらを見渡す。

 

「昨日はご苦労様でした。上映回数を増やしましたがまだまだ人気なようですので、今日も増やそうと思っています。改訂版の予定表を張っておきますので、分担された方で不都合な点がありましたら私に言ってください。それから……」

 

 チラリ、と桜木さんは窓際の椅子に腰掛ける赤沢さんの方へと視線を移す。

 

「今回の創作劇で演技指導役を買って出てくれた赤沢さんと、綾野さんが主演の演劇部の上演は14時からですので、是非皆さん足を運んでください」

「ちょ、ちょっとゆかり! あんたその場で関係ないこと言ってんじゃないわよ! 職権濫用よ!?」

 

 動揺した様子の赤沢さんの声にクラスから笑い声が上がる。しかし桜木さんは堪えた様子はまったくない。

 

「あら泉美、関係なくはないわよ? なんで上映時間、わざわざ13時台と14時台外してるって、演劇部見たい人多いと思ったからだもの。……あ、演劇部の主演はさっきの2人ですけど、クラスメイトの小椋さんも出演します。あと、ステージ発表のその前の枠は吹奏楽部ですので、このクラスから王子君、猿田君、多々良さんが参加します。さっき言ったとおりその時間は上映を外してますので、皆見に行ってあげてください」

 

 誰が始めたか、なぜか拍手が飛ぶ。どうせ勅使河原辺りだろう、「楽しみにしてるぜ」みたいな声が飛んできた。それを受けて当の6人は困ったように縮こまってるだけだった。

 ともあれ、今日は文化祭の最終日、2日目だ。 

 

 

 

 

 

 クラスの客入りは今日も好調だった。一応終わった頃を見計らって時々見送りに顔を出してみたが、出てくるお客さんは皆満足そう、かけられる感想も好評価なら嬉しい限りだ。……それでも最後の部分に触れられるのは避けてもらいたかったが。

 

 そうこうしているうちに時間はもう13時。僕は今体育館で、ステージ上の吹奏楽部の演奏を堪能している。最近の流行の曲を数曲やって、こういうお祭り騒ぎに定番な盛り上がる曲が演奏されている。

 

「むう、面白そうだと思うけど……。私としては珊さんのバンドの演奏聞いてる方が興奮するなあ」

 

 僕の思いと対照的、そんな感想をボソッと述べたのは、左隣で腕を組みつつ何やら小難しい顔をした藤岡さんだった。彼女は今日も来ると言うことだったので、演劇部を見るのに体育館に行くのならその前の吹奏楽部からどうか、と誘ってみたところ乗り気だったためにここにいるのだった。

 ちなみに、見崎は僕の右隣で特に何を言うでもなくステージを眺めている。昨日同様美術部の部室に篭っていることを突き止め、僕と藤岡さんで引きずり出したのだった。もっとも、演劇部のステージは見るつもりでいたとのことではあったが。

 

「吹奏楽ってなんだか大変そうなイメージあるからかな。楽器も高そうだし」

「バンドで使う楽器だって高いんじゃないの?」

「うーん、まあそうだね。バイトとかして買おうと思ったけど高校に入ってから、って親に言われちゃったし」

 

 ということは彼女は高校に入ったらバンドデビューをする予定でいるらしい。面白そうだ。ライブの際には是非お邪魔したい。

 そんな話をしているうちに、一応ながらとはいえ聞いてはいたのだが、吹奏楽部のステージは終わってしまった。体育館の中はその演奏を賞賛する拍手で包まれる。個人的にはクラスメイトのソロなんてものを聞いてみたかったのだが、それはなかったようだった。おかげで多々良さんがフルート、王子君と猿田君はクラリネットとわかってはいたが、実際にどんな音だったのか分からず仕舞いである。

 

「よーし、次はいよいよ期待の演劇部ね! 榊原君のクラスの主役2人はちゃんとチェックしたし、楽しみ!」

 

 そして彼女の関心は早くも次の演劇部の方へとシフトしていったようだった。

 

 改めて僕は手元のビラを見る。パンフレットの間に挟まれていた、今回の演劇部の公演について詳しく書かれたものだ。パンフレット中にも部の紹介文のスペースはあるものの、限られているために詳細な内容までは触れられない。また、他の団体やクラスの物に埋もれてしまうのも事実だった。

 そこで演劇部は前もって部費を割いて自前でビラを製作し、配布する文化祭のパンフレットの間に挟んでもらっているらしい。1度のみのステージ、かつそれなりに伝統のある部ということで多少優遇されているようだ。

 

 そのビラにはインパクトのある絵が描かれている。演劇部と美術部を兼部している2年生が書いた絵だとか綾野さんが言ってた気がする。右側に剣を構えた騎士と思われる人物と、左側に女性をかばうようにその前に立つ男性が描かれた、影絵調の絵だった。そのため、3人とも顔は黒く塗り潰されて表情を窺い知ることは出来ない。

 だがこの構図こそ下に簡単に書かれているあらすじとタイトルそのものであろう。タイトルは「演劇部創作劇 悲恋の騎士」。あらすじには「ある国に聡明な王子と、彼に忠誠を尽くす騎士がいた。しかし、その王子と結ばれるべき姫を目にしたとき、騎士の心は揺れ動く。これは、反逆者の烙印を捺され適わぬ恋とわかりながらも、己の愛を貫こうとしたある騎士の物語です」と書かれている。

 さらにその下にはキャストやスタッフがまとめられている。「騎士:赤沢泉美(3年3組)」「王子:綾野彩(3年3組)」という表記がまずあり、3年1組の姫役の人を挟んで「メイド長:小椋由美(3年3組)」という表記も見つけた。そこそこ重要な役らしい。確か夏に赤沢さんが「私が斬る」とか言ってた気もする。3組の演劇部員はすごいもんだと思うのだった。

 が、そう思うと同時……。いくらなんでもメイド長がちょっと小柄すぎる人選だったんじゃないのかな、とも思ったりする。少し意外なことに小椋さんはクラスで見崎や柿沼さんと並んでかなり背が小さい方なのだ。メイド「長」というには、少々不釣合いな身長じゃないかな、なんて思ったりもしたが、本人をそんなことを前に言ったら間違いなく怒られるだろうなとは思うのだった。

 

「……お客さん、増えてきたね」

 

 今さっき小椋さんと同身長、とか思った見崎に右側からそう声をかけられ、僕は辺りを見渡す。確かにさっきの吹奏楽部のときよりお客さんが増えてきていた。まあ我が3年3組もこの時間はフリーにしてあるから、見に来る人も多いだろう。

 

「早め、っていうか吹奏楽部のときからここにいてよかった。こんなに人が増えるなんて、すごい人気なんだね、演劇部」

 

 今の藤岡さんの言葉じゃないが、すごい人気だと思う。このままだと用意された椅子は埋まり、立ち見も出るかもしれない。一応クラスメイトが出ている、ということで吹奏楽部のステージからここにいて正解だったと思う。

 

 結局、「演劇部の創作劇は、間もなくの開演となります」というアナウンスが流れた頃には用意された椅子はほぼ埋まっていた。それにつられてか、隣の藤岡さんがやけに興奮した様子だった。

 

 さらにしばらく経って、小学校の時の学芸会を思わせるようなブザーの音と共に、幕が上がった。それと同時、会場から溜息とも感嘆とも取れない声が僅かに漏れる。原因は探るまでもない。かく言う僕だって思わずそんな言葉を漏らしそうだったし、隣の藤岡さんは隠そうともせず「かっこいい……」と呟いていたからだ。

 

『どうした!? それでは我らの主をお守りすることなど、叶わぬかもしれぬぞ!』

 

 今、よく通る凛々しい声を上げたその人、男装である赤沢さんに、皆見入っていたのだ。あの長い髪がどういう手品を使ったのか短くまとめられ、甲冑、というほどではないにせよ防具らしきものに身を包んでいる。それがさらに時折きつそう、とも見える容姿端麗な顔と合わさってまさに「男装の麗人」という言葉がぴったりだった。なるほど、3年連続主役は伊達じゃないと思えてしまう。

 手作りであろう城の中庭を思わせるようなセットをバックに、開演と同時に殺陣、というほどでもないが、切りかかる他の兵役の子の攻撃を避け、峰で反撃を打ち込む演技を彼女は見せる。どうやら、訓練の様子のシーンのようだ。

 

『よし、今日の訓練はここまで! 各自鍛錬は怠るな! 我らの主をお守りするために!』

『はいっ!』

 

 一斉に返事を返しただけだったが、赤沢さんに比べれば脇役であろう一般兵士役の演劇部員の演技は、やはり彼女ほどの迫力はないな、などと思ってしまう。でもそれを言い出したら、ずぶの素人で創作映画を撮った僕達の演技はどんなものか、という話になるだろう。

 

『今日の訓練も精が出るね、騎士長』

 

 そのセリフと共に、ステージの袖、つまり舞台上では城内から、という設定だろうが、1人の男装した人物が姿を現す。こちらもよく似合ってる。ショートカットの髪と、普段通りの明るい表情はまさに「王子」という役にぴったりであろう、綾野さんだ。

 

『これはこれは殿下。ご機嫌麗しゅう』

 

 王子役の綾野さんに片膝を付いて挨拶をする騎士役の赤沢さん。まるで普段と立場というか態度というか、そういったものが真逆であることにギャップを感じずにはいられない。

 

『それで、本日はいかがなされました? 我々の訓練のご見学に?』

『いや、正式な発表はまだだけど、君には先に会っておいてもらおうと思ってね』

 

 そう言って王子――綾野さんは「メイド長」と舞台袖に声をかける。「はい」という声と共に現れた2人に、再び体育館から溜息が漏れた。

 メイド長、と呼ばれた小椋さんはやはり予想通り、その肩書きの割には小柄で少々不釣合いではあったが、クラシックなメイド服がよく似合っていた。が、会場の反応は彼女に対してではないだろう。

 もう1人、明らかにお姫様、というのが相応しい格好の女子が現れた。派手過ぎず、しかし華やかな衣装を身に纏ったその3年1組の女子は違和感なく衣装を着こなしていて、かわいらしい顔立ちと相俟ってまさに適役と言ったところだろう。勅使河原辺りに聞けば詳しい情報を知ってそうだ、などとふと思った。

 

『お初にお目にかかります、騎士長様』

『こちらこそ、初めまして。……殿下、こちらは?』

『私の妻となる予定の……まあ現段階では婚約者だな』

『おお……。なんとお美しい……』

 

 赤沢さんの演技は普段と全く違う彼女を見ているようだった。クラスの創作映画で演技指導してもらっていたときも薄々感じてはいたが、本人は「かじっただけ」と言いつつも、まさにその役になりきっているように感じた。

 そこで舞台が暗転し、ナレーションが流れる。

 

『初めて目にした王妃に、騎士は動揺を隠せなかった。彼は彼女の美しさに心を魅かれた。抱いてはいけない気持ちと分かりつつも、彼はその心を抑えられないでいく……』

 

 ちょっと展開を急ぎすぎるナレーションかな、とも思った。が、あらすじに大まかにストーリーは書いてあるのだから、まあこんなものかとも思う。

 

 その後は騎士の揺れ動く心を中心に展開するストーリーだった。王妃となるべき人と話す度に次第に心が揺れ動いていく様子を赤沢さんは見事に演じていたように感じたし、綾野さんも綾野さんで、騎士長と普段通りに接するようにしながらも、その様子を薄々感じつつあるような王子の役を演じているようだった。

 そんな風に日常の様子を中心に物語が進んでいき、いよいよ物語が進むと思われる部分。王子がメイド長を呼び出し秘密の依頼をするシーンとなった。

 

『殿下、密談とは……』

 

 舞台上の証明は暗め、舞台の上手側に寄った綾野さんを前にかしこまった様子の小椋さんが話を窺っている。なお、舞台が薄暗がりなことを生かしてか、下手側は次のセットの準備をしているようだ。

 

『実は……最近、騎士長が我が姫とやけに親密なように見えてだな……』

『それは私も感じております』

 

 普段の2人の話の中じゃ絶対使わない言葉遣いだな、などとまたも思わずギャップを感じる。それでも「クラスメイト同士」ではなく「王子とメイド長」として見られるのは、やはり2人がいい演技をしているからだろう。

 

『あれは私の妃となるべき者だ。それ故、たとえ騎士長であろうとも……彼女に手を出すことを看過は出来ない』

『殿下のお気持ち……重々承知しているつもりです』

『そこでだ……。君に探りを入れてもらいたい。そこでもし彼が彼女に対する二心、あるいは好ましくない兆候が僅かにでもあれば……。心惜しいが……私は彼を許すことは出来ない』

『それは……よろしいのですか……?』

『背に腹は変えられない。我が姫は私の物なのだ。私は彼を己の右腕、己の剣と思うほどに信頼しているが……持ち手を斬る呪われた魔剣なら、それは折るしかない』

『……心得ました』

 

 舞台が暗転する。下手側で準備されていたであろうセットを中央にもってくる様子が窺える。大型のセットらしい。

 再び証明が点灯した時、思わず声を上げそうになった。というか、脇で藤岡さんが「うわあ、あれ手作り!?」と僕の気持ちを代弁してくれている。

 少々荒いが、見るからに城の一部屋とわかるセットだった。断面図とでも言うべきか、2階の騎士長の部屋を横に見開いて見やすくした形である。1階部分はやや省略されていて等倍ではないが、2階、ということが重要なのだろう。確か夏に赤沢さんが言っていた。「メイド長は斬られて2階から落ちる」と。実際窓際の脇の部分は足元を隠してあるが、ここにマットなどが隠してあるのだろう。高さはさほどでもないとはいえ、ここから落下、となると怪我の可能性もある。しかしそれ以上に聴衆に与えるインパクトは抜群なはずだ。

 

『……ああ、私は一体どうするべきであろうか』

 

 セットの部屋の中、苦悩の騎士が椅子に腰掛け、独り言をこぼすところから始まった。

 

『この心を彼女に伝えるべきであろうか。しかし、それは私には許されざる行為……ならばいっそ……いや、何を考えているのだ、私は』

 

 その独白は、まるで本当に騎士が苦悩しているように思えた。思わず見入っているそこで、スピーカーからドアをノックする効果音が響いてくる。

 

『……誰だ?』

『私です。少々お話が』

『ああ、メイド長か。入っていいぞ』

 

 メイド長役の小椋さんは、部屋の入り口に何かを置いてからセットのドアを開いた。

 

『失礼したします。突然の来訪、申し訳ございません』

『いや、かまわない。それで、話とは?』

『このところ、王妃様とのお仲が随分と睦まじいように感じられましたので……』

『ははあ、それで殿下が妬かれていると? ……それはまいったな。いらぬ勘違いをさせてしまうかもしれぬな』

『本当に、勘違いだけで済む話でしょうか?』

 

 騎士――赤沢さんが僅かに身じろぐ。それだけで、雰囲気というか空気というか、それらが一気に変わったとわかった。

 

『……何が言いたい?』

『ご無礼を承知で申し上げます。……ご自分の身分をわきまえてください。王妃様は殿下にとっての姫君なのです。あなた様にとっての、ではありません』

『身分をわきまえるのは貴様だ! 誰に向かって口を利いている!』

 

 声を荒げ、騎士が立ち上がる。が、すぐに我を取り戻したらしく、再び椅子に腰を下ろした。

 

『……さっき言われたことは重々承知しているつもりだ。以後は殿下に誤解のないよう振舞う』

『誤解のないように、ですか……』

『なんだ?』

『いえ、独り言です。私の方こそ先ほどの出過ぎた発言を詫びさせてください。……ああ、そうだ。騎士長様が最近何やらお悩みのようでしたので、特製の果実酒をお持ちしたのですよ。よろしければご就寝前に一杯いかがです?』

『それは嬉しいな。気が利く、さすがはメイド長だ』

 

 賞賛の声に相槌を打ちつつ、メイド長は先ほど部屋の入り口に置いた何かを手に、再びセットの部屋の中へと入ってくる。ワインボトルとグラス。先ほど言った特製の果実酒だろう。ただ、夏に聞いた話ではそれは……。

 

『きっと心地よくお眠りにつけるはずですよ』

 

 言いつつ、メイド長はボトルから液体をグラスに注ぐ。が、それはここから見てもわかるほど手が震えているようだった。素なのか演技なのか、判断しかねるところだろう。まあ僕には演技だ、とわかる。その果実酒が何か、夏にあらすじついでに赤沢さんに教えてもらってわかっているからだ。

 ワイングラスを手にとり、騎士が口元へ運ぶ。だが飲もうとしたところで、その手が止まった。

 

『……ああ、せっかくの特製果実酒という話だ。君も一緒にどうだ?』

『いえ、私は……。それに、グラスはひとつしかありませんし』

『では、先に君にこの一杯を譲ろう』

『そのような畏れ多いこと……』

『私が良いといっているのだ、気にするな』

 

 騎士はメイド長にグラスを差し出す。が、彼女はそれを受け取ろうとしない。

 

『どうした? 畏れ多いなどと謙遜するな。……もっと畏れ多いことをしようとしているのだろう?』

 

 メイド長の肩が震える。目に見えて取れる動揺。

 

『やはりそうか。飲めぬか。……毒が入っている特製果実酒では飲めぬだろうな!』

 

 声色を変えて叫び、グラスの中をぶちまける。この辺りの赤沢さんの、演技のスイッチの入れ替わりは見事だ。メリハリが利いている、というものだろうか。

 

『な、何故……』

『わかったのか、か? 優秀なメイド長が、何ゆえ酒を注ぐ際に緊張する必要がある? ……先ほどの手の震えは尋常ではなかった』

 

 ゆっくりと騎士が立ち上がる。対照的に気圧されるようにメイド長は数歩後退。

 

『……殿下の命令か?』

『殿下は……ご自分の姫君を取られるのではないかと不安に思っております。そして、先ほどあなた様は『誤解のないように』としか答えなかった。もし微塵にでも二心があるのなら許すなと、殿下は私に申されました。ですが、殿下にご自分が潔白であることを弁明なされば……』

『己を偽る弁明に、果たしてどれほどの価値があろうか! ……私はあの方を愛してしまった。その心を偽るなど、如何にしてできるというのか!』

『殿下に反逆なさるおつもりですか!』

『それでしか私の愛が成し得ないというのなら、そうせざるを得ない!』

『……ご無礼をお許しください!』

 

 交渉決裂、実力行使。メイド長は懐から短刀を取り出し、それを突き刺そうと駆ける。騎士はそれをかわし、振り返ったメイド長に対して手にした剣を上から振り下ろした。

 

『ああっ……!』

 

 悲痛な声と共にメイド長がよろめき、セットの端から下、つまり1階へと落下した。思わず客席から驚嘆の声が上がる。

 

「うわ、今リアルな落ち方したけど……あのメイド長の人大丈夫かな……?」

 

 そして傍らから聞こえた藤岡さんの意見は僕もごもっともと思った。おそらくマット等敷いてはあるだろうが、さっきの小椋さんは頭から落ちたように見えた。これだけ観衆を惹きつけたのだから渾身の演技と言えばそうかもしれないが、同じクラスメイトとしては怪我はしてもらいたくない。

 

『……ああ! なぜ私の愛は届かぬというのか! どれほどまでに請おうと、祈ろうと、我が願いが叶わぬというのなら……。私は絶望と共にこの手を血で染め、そしてあの方の愛でそれを洗い流そう!』

 

 合宿の時、千曳先生の部屋の前で聞いたセリフ。あの時もそうだったように、おそらく何度も練習したのだろう。忠誠と愛の間で揺れ動き、最後は己の愛を取った。そんな様子が、この一言から伝わってくるような、熱の入った演技だった。

 

 舞台が暗転する。次いで、照明がつく前から金属同士がぶつかるような効果音がスピーカーから流れてきていた。ややあって、照明が点灯される。

 先ほどのセットは片付けられていた。代わりに夕焼け、あるいは炎を連想させるような赤い照明の中で、騎士役の赤沢さんと王子役の綾野さんが剣を交えている。周囲には最初のシーンで騎士に訓練をつけられていた兵達が囲んでいるが、手を出していない。

 

『手は出すな! これは私と騎士長の問題だ! ……なぜだ、騎士長! 私に忠誠を尽くしてくれていたのではないのか!?』

『確かに私は貴殿に忠誠を誓いました。ですが、あなたへの忠誠を誓い続けることは、私が姫君に抱く、この心を捨てろということと同義。……私には己の心を偽ることなど出来ようはずもありません!』

 

 再び2人が切り結ぶ。しかし設定上は騎士長と王子だ。圧倒的に騎士が有利。力負けした形となり、王子は尻餅をついてしまう。切っ先を向ける騎士だが、その両者の間に王妃が割り込んでくる。

 

『姫様、そこをお退きください』

『出来ません。……なぜこのようなことをなさるのですか? あなたはこの方の右腕……忠誠を誓われた騎士ではないのですか?』

『おっしゃるとおりです。しかし、私はあなたを愛してしまった……。この愛が叶わぬというのなら、私にとって忠誠などいかほどの意味がありましょうか!』

『彼女を愛しているのは私だって同じだ、騎士長!』

『黙れ! あなたのは愛ではない、ただの独占欲だ! そもそも政略結婚で互いに結ばれるようになった愛など、真の愛と呼べようか!』

『それは違います騎士長様! 私もこの方を愛しております!』

『……何が愛か』

 

 うつむいたままの騎士――赤沢さんがそう述べると同時、王子役の綾野さんが剣を手に立ち上がって飛び出しかけ――そこで止まった。それは明らかに演技ではなく、予定外のことで足を止めた、と僕には分かった。綾野さんの顔に動揺した表情が浮かんでいたし、僅かに口元が「泉美」と目の前の彼女を呼んだかのごとく動いたように見えたからだ。

 そして顔を上げた赤沢さんは、目に涙を溜めていた。小道具で小細工する暇はなかった、間違いなく彼女自身の涙だ。このクライマックスの局面、引きこまれるような演技だった。

 

『……私のこの愛は永遠に伝わることはないというのに……何が愛かッ!』

 

 騎士が踏み込む。中腰姿勢だった王子が飛び出す。大上段に構えた騎士の剣が降ろされるより早く、王子の剣はその胸を突き刺し――たように見え、である。あくまで体の後ろを通しただけだろうが――騎士は膝からその場に崩れ落ちた。

 

『……ああ、やはりあなたは美しい……。私は、あなたのことを……』

 

 王妃を見つめつつそこまで述べ、騎士は前のめりに倒れた。舞台が、徐々に暗転していく。

 

『こうして、騎士は命を落とした。身分違いの恋をしてしまったために、己の心を偽れず、それこそが真実の愛と信じて疑わないままに亡くなった悲恋の騎士。これは、そんな騎士の儚くも切ない物語だったのです』

 

 そのナレーションが実質終わりの合図だったのだろう。拍手は始まったのこそまばらだが、すぐに体育館を割れんばかりの音量に膨れ上がった。

 再び照明が着き、キャストのカーテンコールとなった。それぞれの役の人達が一歩前に出て頭を下げていく。赤沢さんのところで、拍手の音量はより一層大きくなったようにも感じた。「ブラボー!」なんて声もどこからかとんだかもしれない。しかし彼女はどこか恥ずかしげに、その体育館中の賞賛を受け取ったようだった。

 

 

 

 

 

「いやーすごかったね、演劇部」

 

 体育館を出ると同時、開口一番に藤岡さんはそう感想を述べた。全く同じ感想だった僕は頷き、どうやら見崎もそうだったらしく僅かに首の角度を変える。

 

「特に最後、榊原君のクラスの赤沢さん! あの場面で本当に涙流すとか見入っちゃったよ!」

 

 これまた同意見。さすが演劇部の部長、と思える。

 

「……でもクラスの劇の時、榊原君も小道具無しで泣いてたよ」

 

 ここで初めて反対意見だ。見崎、それは黙っておいて欲しかったな……。

 

「え、そうなの!? あれ録画だから目薬とか使ってたと思ってたんだけど……。榊原君もすごいじゃん!」

「いや、あれはなんというかその……。見崎、余計なこと言わないでよ」

「余計なことじゃないよー。褒めてるんじゃん」

 

 思わず僕はため息をこぼした。あの時のことはよく覚えていない。が、後から映像を見て涙を流していたんだから、そういうことだろう。まあ厳密には思い出したくないだけなんだけど。

 

「それで、この後どうするの?」

「私は時間まで見て回りたいなー。鳴、榊原君、いいでしょ?」

「別に構わないよ」

「僕は……ちょっとごめん」

 

 見て回るのもいいが、なんだか今は少しそういう気分でなかった。それで、思わず断ってしまった。

 

「え……? どうして?」

「クラスの方、任せっぱなしにしてるからさ。たまには見送りにもいた方いいかな、とか思って」

「……話はしたがらないのに見送りには行くんだ」

 

 鋭いところを突いてくるのは見崎だ。反論に困る。

 

「まあまあ、いいじゃないの鳴。そういう鳴こそ行かないの?」

「絶対行かない。……恥ずかしいから」

「なら、榊原君がその分まで行ってくれてる、って思うことにしないとね」

 

 これはナイスフォローだ。「そういうことだよ」と同意の意思を示しておく。

 

「じゃあね、榊原君。また」

「うん、また」

 

 2人と別れ、僕は教室へと向かった。

 

 さて、今言い訳に使った「見送り」というのは実は理由の半分だ。もう半分は、演劇部の面々に直接会って感想を伝えたい、なんて、あまり僕らしからぬ理由からだったりする。その場にミーハー気味な藤岡さんがいるのはちょっと困ったことになるかもしれないので、申し訳ないと思いつつも1人を選んだのだった。

 とはいえ、演劇部も終わったからすぐクラス展示の方に戻ってくるとは思えない。反省会のようなものがあるかもしれないし、部内でミーティングとかもあるかもしれない。それまでは言い訳に使ったクラス見送りの方を、あくまで見送る時だけいるということでこなすか、と思うのだった。

 

 

 

 

 

 結局、本来の目的を果たせたのはクラス最後の上映が始まる頃だった。段々と文化祭自体の時間も終わりに近づき、もしかしたら全体の閉会式まで顔を合わせられないかな、とも思ったが、綾野さんが戻ってきたのだった。なお、僕は中にいたくないので率先して廊下での受付役を買って出ていた。

 

「あれ? こういっちゃんどったの、自分出てる映画見るの嫌なんじゃなかったっけ?」

「だからここで受付。綾野さん、というか、演劇部の人達戻ってくるの待ってたかったから」

「え? 私? 何々、何か用?」

「いやもう単純に劇の感想。……さすが本場演劇部、って思ってさ」

 

 それを聞くと彼女は一瞬きょとんとしたが、すぐ普段通りの愛想の良い顔に戻った。

 

「やだー、もうこういっちゃんったらそんな改まって」

「綾野さんの王子役、すごくよかったよ。緊張したんじゃない?」

「緊張……。よりも焦ったかな、今回は」

「焦った?」

 

 思ってもいない一言に僕はオウム返しにその単語を口にする。すると彼女は神妙そうな顔で「そうなんだよー」と言って眉を寄せ、右手の人差し指を眉間に押し付けた。

 

「いくら本番にトラブルは付き物とはいえ……」

「え、何かあったの? 見てた分には全然気づかなかったけど」

「あ? ほんと? ならいいんだけど。……由美さ、泉美に斬られた後セットから落ちたじゃん?」

「うん。でもマットとか敷いてたんでしょ? ただ、それでもなんか頭からいったからリアルであると同時に危なかった気もしたけど……」

「なんだ、気づいてるんじゃん。実はさ、あいつあれで首ちょっとやっちゃって……」

 

 僕が驚きの声を上げるより早く、「ああ、大したことはないよ」と彼女は前置きをする。

 

「軽いむちうちみたい。だからほら、カーテンコールのときのお辞儀とかぎこちなくなかった?」

 

 言われてみると……。いや、思い出せなかった。となると、彼女は痛みを我慢してあの場に立っていたということだろうか。

 

「由美には悪いけど、そっちはまだいいわ。……問題はラストよ、ラスト」

「ラスト?」

 

 両手を広げてやれやれというジェスチャーを見せつつ、しかし表情は困ったような色を見せつつ、彼女は口を開いた。

 

「なーんであの子はああいうことやるのかねー。前もって一言でも言えばこっちも了解したのに。腹が冷えちゃったよ」

「それを言うなら冷やすのは肝だよ。……で、何に冷やしたの?」

「アドリブよ。泉美の奴……まさか本番の最後の最後でアドリブ入れてくるなんて聞いてなかったしさー」

「え……」

 

 最後のあれがアドリブ? そこでふと、思い出した。確か綾野さんは一旦立ち上がって飛び出しかけ、躊躇したように足を止めたはずだ。

 

「あの、最後に飛び出そうとしてやめたやつ?」

「……ばれてるんじゃん。そうだよ。ちょっと待って……。ほら、これ台本」

 

 そう言って綾野さんは台本を見せてくれた。随分と書き込まれてかなり力が入っていたことが分かる。その中の最後の方、そこには「騎士:何が愛か!」というセリフのところに「これと同時に飛び出す」とメモが入っていた。

 

「王妃のセリフに逆上して騎士が斬りかかり、それを王子が飛び出して止める。そのはずだったのに、あの子、そのキーワードのセリフを言ったのに動かなかったのよ。……しかも涙なんて流してるしさ」

「あれ……泣いてたのもアドリブなの!?」

「まあそのぐらいは、泉美なら出来るって分かってたけど、セリフ増やして動きを遅らせてくるってのは考えてなかったわ。基本的に練習に忠実で、アドリブなんてほとんど入れない子だから、なおさら。……でもま、そこまでまずったわけでもなし、結果オーライって思いたいわね。その辺、見てたほうとしてはどうだったの?」

「ああ……。うん、綾野さん動揺してたっぽいのはわかっちゃったけど、全体で見ると基本的に問題ないと思うよ」

「んじゃいっか。部内でも別に糾弾された様子なかったし。……あ、でも泉美は気にしてるかもね。終わった後謝られたし」

 

 そんな綾野さんの言葉は、僕の頭を素通りしていく。今僕は何か考えようとしてもまともに考えられないだろう。

 

 赤沢さんの最後のあれ(・・)がアドリブだったということが、信じられないことで頭が一杯だった。

 

 いつだったか彼女が言ったはずだが、何が「ずぶの素人」だろうか。彼女の演技は月並みな言葉で申し訳ないが、凄みがあった。しかも最後は涙を流し、アドリブまで入れて……。

 素晴らしい演奏を生で聞いた後とかはこういう気持ちになるのかな、なんてふと思ったりした。多分、興奮してるというか、当てられた(・・・・・)という状態なんだろう。

 

 何にせよ、部屋の中から聞こえてきた「榊原君、入場始めていいってさ」という望月の声で僕は我に返った。これから最後の上映の案内をしないといけない。来たばかりだというのに今さっきまで話していた綾野さんも手伝ってくれるらしく、ひとまずは自分の現在の仕事を全うすることにした。




劇中劇はそうそうやるものじゃないと痛感しました。

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