あなざー ~もしも夜見山北中学3年3組に「現象」がなかったら~   作:天木武

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#31

 

 

「ハァ……」

 

 いつかと同じく、無機質な天井を見上げて僕はそうため息をこぼした。そしてやはりあの時と同じく僕の体には機械から伸びるチューブ。つまるところ、今僕は病院のベッドの上、ということだ。

 

 よりにもよって、あの時、あのタイミングで3度目のパンクが起きてしまったのだ。

 

 もしも神様の野郎なんてのが存在するなら、それはきっと相当に性格がひねくれているか、あるいは人間を困らせてその様を眺めるような悪趣味の持ち主なんじゃないかとさえ思ってしまう。なんでまたあのタイミングで……。

 しかし今になってよくよく考えてみると、兆候はあった。緊張というか、慣れないことをしているせいで胸がちょっと苦しいのかな、なんて程度にしか考えていなかったが、今からしてみればそれこそが黄色信号の表すサインに他ならなかったのだ。

 そして僕は再三のその注意と警告を無視し、結果爆弾は爆発した。それもここぞ、という瞬間に。まったくもってとんでもない不発弾を抱えてしまったものだ。

 

 だが結論から言うと、もうその不発弾が爆発する危険性はほぼ取り除かれている。

 3度目の気胸発症であった今回、今まででもっとも重い症状が出たわけで、気が付いたときはもう病院のベッドの上だった。傍らには仕事どころではないとほっぽり出して来たであろう怜子さんが今にも泣き出しそうな顔でいてくれて。救急車が来るほどの騒ぎになったらしく、屋上からクラスメイトや教師が協力して僕を担いで降りてくれて、そのまま救急車が到着と同時に病院へ直行。短い間だったとはいえ、意識を失っていた、ということになる。

 そして容態が落ち着いてきて数日、医師に外科手術を薦められた。さすがに3度も再発した以上、何かしらの対策と今後のことを考えて、ということだった。今現在保護者代わりである怜子さんと、あと電話でインドにいる両親にも了解を取り付け、手術をしてもらうことと相成った。

 それにしても藤岡さん辺りが言ったことか、「医学の進歩は日進月歩」とはよく言ったものだと思う。手術後の経過は順調、もう1週間もしたら退院できると言われた。チューブにつながれてはいるものの、今日はかなり調子がいい。手術、ということもあったせいかまだクラスメイトで面会に来た人はいなかったが、来るなら今日かな、なんてことを思っていた。

 

「調子はどう、ホラー少年?」

 

 そんなことを考えていた僕に声がかけられる。同時に体温計を差し出された。ああ、この人の世話にだけはもうならないようにしようと思っていたのに、現実は非情だ。結局また僕はこのドジっ子ナースである水野沙苗さんのお世話になることとなってしまったのだった。

 

「大分いいですよ。あなたがドジかまして悪化させてくれなければ」

「む。それは聞き捨てならないわ。私のおかげで、日に日に回復していってると思ってもらいたいわね」

 

 それはどうだろうか。少なくとも入院患者の僕に個人的に本を読ませようと、自分のコレクションを勝手に持って来るのはよろしくないと思う。……まあベッドの上が暇なのは事実なのだが。

 

「水野さんのおかげかどうかは、図りかねますが。……あ、熱は測れました」

 

 検温完了の合図の音を聞いて、僕はオヤジギャグ(・・・・・・)を交えつつ、体温計を彼女に返した。「36.7度……平熱ね。洒落は寒いけど」と言いつつ彼女は筆を走らせる。

 

「そろそろ学校のほうは下校時刻? 今日あたり、誰かお見舞いに来てくれるんじゃない?」

「そう思いますし、それだと話せるから嬉しいですが……。あの、こんなこと言っちゃあ悪いですが、僕のが終わったらさっさと次の部屋行ってくださいよ。あなたがいるときに誰か来ると気まずいというか……」

「あら、何言ってるの。勿論それを狙ってるんじゃないの」

 

 ニヤニヤとよろしくない笑みを浮かべつつ、彼女はまだ部屋を出ようとしない。僕の嫌な予感は当たる気がする。だから、このタイミングで誰か来るんじゃないかという気がしている。そんなわけで、いいからさっさと出て行ってくれと僕が急かそうとしたその時。ドアが軽く2度、ノックされた。

 

「ほら来た。ギリギリまで待ってた甲斐があったってものね」

 

 得意げな水野さんと、対照的にため息をこぼす僕。ドアは僅かに開いて中の様子を窺っているようだったが、それだけで僕は誰が来たのかを察した。というより、その人(・・・)じゃないと困るという思いもあった。

 

「面会かしら? 入って大丈夫よ、私は出るところだから」

 

 そのナースの言葉に、中の様子を窺っていたドアが開いた。そこに立っていたのは予想通り、そして僕が誰よりも来ることを望んでいた見崎だった。だが不運なことに今この場には水野さんがいる。しかも面会の相手が女子となればこの人が食いつかないわけがない。

 

「あら、女の子? ……って『アイイング』の犯人役の子じゃない。映画の中でカップルなだけかと思ってたけど、モテる男はつらいわね、ホラー少年」

「そう思うんなら空気読んでくださいよ」

「はいはい、わかってますよ。お邪魔虫は消えますって。彼女と仲良くやってくださいな」

 

 全く本当にこの人は……。空気が本当に読めないのか、意図的に読んでないのか。

 笑うに笑えないジョークを残して、水野さんは見崎と入れ替わるように部屋を出て行く。見崎は普段と変わらない表情のまま、僕の近くへと歩み寄る。

 

「榊原君、今のって……」

「水野沙苗さん。クラスの水野猛君のお姉さん。ホラーマニアで文化祭の映画を大いに気に入ったってさ。……一応言っておくけど、僕はあの人には君のことは何も言ってないよ」

「そ。まあ、そうだと思ったけど」

 

 言いつつ、見崎は用意されていた、主に怜子さんが座っていた椅子へと腰をおろす。

 

「具合、どう? 手術した、って聞いたけど……」

「見ての通り。大分良好だね。あと1週間もしたら退院だってさ」

「そう。よかった。……目の前でいきなり倒れたんだもの、びっくりしちゃった」

「ああ……。そうだったね。心配かけてごめん」

 

 もっとも、謝るべきはそこ以上にあるんだろうな、とも思う。結果的に最後まで伝えられなかった僕の言葉。それをはっきりと、伝えなくてはいけないと分かっている。

 

「クラスの皆も心配してた。今日この後何人かお見舞いに来るって」

 

 ああ、それは嬉しいがまずい(・・・)。なら、やり残したことをさっさと済ませないといけない。

 

「えっと……あのさ、見崎。その……あの時、言いそびれたこと……」

「大丈夫なの?」

 

 何に対しての「大丈夫」なのか、思い当たらなかった。言葉を切り、僕は思考をめぐらせる。

 

「あの時、榊原君は私に何かを言おうとして、病気が再発した。今もしそれを言ったらまた再発しちゃうんじゃない?」

 

 思わず、苦笑。

 

「大丈夫だよ。今思い出すと、あの時はその前に胸の痛みを感じるには感じてたのに、僕がその警告を無視してたからってのはあるし。それにもう手術したから再発の可能性は大幅に減少してる」

「でもわからないよ? 私、厄病神かもしれないし。……館に巣食う悪霊か怨霊に取り憑かれた、ね」

 

 またしても苦笑。その辺、いつもの見崎だと思うと同時に、ひょっとしたら彼女もこれから僕が伝えようとしていることに薄々は気づいていて、それで強がっておどけて見せているだけなのかもしれないとも思うのだった。

 

「もしそうなら……あの映画みたいな状況になっても、君を刺さなくてもお互いに助かる方法を探すよ。そうやってハッピーエンドで終わった方が、いかにもB級映画っぽくていいと思わない?」

「……そうかも、ね。でも、柿沼さんは嫌いそう」

 

 確かに、と三度目の苦笑。だがそこまでで僕は顔を引き締める。前置きはもう十分。後からクラスメイトが来るとも見崎は言っていた。なら、あの時の続きは早く終わらせようと思う。

 

「……見崎、あの時、言いそびれたこと」

 

 その僕の言葉を聞き、何かを言おうとして、だが彼女はその口を閉じた。表情が固くなり、僕から視線を逸らす。が、その視線を戻すと同時、一度閉じた口をゆっくりと開いた。

 

「……榊原君。一応私も人間だから……鈍いなりに、何を言いたいかはわかってるつもり。だから……」

「それでも、言葉にして伝えなくちゃいけないんだ。だって、言葉ではっきり伝えなくちゃ、『繋がる』ことも中途半端じゃないかなって、そう思うから」

 

 もう、彼女は反論も抵抗もしなかった。姿勢よく座ったまま、屋上の時と異なり、僕の方をまっすぐ見つめる。

 

 一度大きく息を吸い、そして吐いた。

 

 胸は、苦しくない。今度こそ邪魔は入らず、ごまかすようなこともせず、はっきりと言える。

 

「見崎。僕は、君のことが好きなんだ」

 

 静寂。特に何の反応をするでもなく、僕の告白を聞いても彼女は顔色一つ変えず、視線を逸らすこともしなかった。逆に僕の方がなんだか恥ずかしくなってきてしまうような気がする。

 

「……それで?」

 

 しばらくして、ようやく見崎は口を開いた。だが、発された言葉はそれだけだった。そのまま彼女は立ち上がり、窓際へと歩いていく。

 

「それで、って……」

 

 見崎さん、返事をまだもらってないんですよ、と心の中で愚痴る。もし答えが「ノー」だったら、と思うと……。

 だがそれは杞憂だとすぐにわかった。夕日をバックにこちらを振り向いた彼女の顔は、らしくなく少し赤く上気していると分かったからだった。

 

「それで、何か新たにやらなくちゃいけないことがあったりとか、今後私達の関係って変わるものとか、あるものなの?」

 

 実に、見崎らしい答えだなと思うのだった。明確に「イエス」と答えたわけではないが、これはそう捉えていいものだろう。

 

「ないかもね。ただ……区切りを付けたかったな、って思って。迷惑だったら、ごめん」

「迷惑なんかじゃないよ。そんな風に思われてるんだな、って思うと、私も嬉しい、かな。……でも、やっぱり榊原君って変わってるよね。こんな私を好きなんて、さ」

 

 ごまかすように、伏せ目がちに見崎は最後に付け加えてそう言った。が、「ただ」と付け加える。

 

「……『繋がる』こと自体は嫌いじゃないけど、やっぱりずっとっていうのは疲れると思うから。その辺りはほどほどにしてもらいたいけど、ね」

 

 これまた見崎らしい物言いだ。思わず小さく笑いをこぼし、「わかったよ」と僕は了承の意思を伝えた。

 要するにこれまでと何も変わらないかもしれない。でも、僕は彼女に自分の気持ちを伝えたし、彼女もそれを受け取った。だから、最低限けじめはこれでつけたんだと思う。やるべきことは、終わった。

 

 ふう、とひとつため息をこぼし、彼女は椅子へと戻って腰をおろした。そしてチラッと時計を見上げる。

 

「……そろそろ、か」

「何が?」

「私に許された時間。あるいは、シンデレラにかけられた魔法が解ける時間」

 

 何を言いたいのかいまいち分からないと僕は首を捻った。だが彼女は気にかけた様子もなく、カバンから何かを取り出して僕の方へと差し出す。

 それは、人形だった。一目見て、霧果さんが作ったものだとわかる。サイズは小さいが、あの独特の雰囲気が出ていたからだった。しかしその人形の表情は霧果さんの作品に共通していたような悲壮感に満ちたものではなく、どこかに僅かながらも救いを見出されていたような、そんな表情に見えた。

 

「榊原君が入院した、ってお母さんに言ったら、お見舞いに行く時持って行って、って。……文化祭、来たんだって。それで榊原君の作品を見てすごくよかったって伝えて欲しい、って言ってた」

 

 そして今の見崎の話を聞いて、この人形に対して抱いた感想はあながち間違えていないんじゃないかとも思えたのだった。

 霧果さんは文化祭に来た。僕の作品を見た、ということは美術室にも行っている。そうなれば、当然自分の娘の作品も目にしているはずだ。

 果たしてその時、どんな思いでその絵を見ていたのか、僕には想像でしか分からないし、自分にとって都合のいいような解釈しか出来ないとも分かっている。でも、血を分けていないとはいえ、自分の娘が描いたあの絵から、霧果さんは何か救いのようなものを感じ取ったのではないだろうか。そして吹っ切れて、こういう人形を作ったのではないだろうか。

 もっとも、どれも「そうであってほしい」という僕の独りよがりな願望が込められていることは重々承知している。だけどこの人形からは、そんな願望があながち間違いでもないよ、というメッセージが伝わってくるようにも感じていた。……ああ、でもそれも願望か、とも思う。

 

「……じゃあ、私はそろそろ帰るから」

 

 不意に、見崎はそう切り出した。まだ来てから30分と経っていない。せっかくお互いの心は伝え合えて、もっと話したいことはたくさんあるのに。

 

「もう帰っちゃうの?」

「また来るから。今度は未咲も連れて。私に許された時間は、もう終わりだから」

 

 彼女は立ち上がり、さっきと同じ言葉を言って部屋の入り口へと歩いていく。そこでくるりとこちらを振り向き、微笑とともにいつものような別れの挨拶を告げるのだった。

 

「じゃあ、またね。さ・か・き・ば・ら・君」

 

 扉の陰に彼女が見えなくなるまで、僕は手を振って見送った。

 結局、これを「恋人同士」と呼んでいいものか困る。つまるところ特筆して変わりそうなことは何があるわけでもなく。まあそれでも僕と見崎は「繋がる」ことは今後も出来るんだろう、そんな風に思っていた。

 

 さて、これで伝えそびれてしまった僕の心も伝え終え、胸の不発弾も無事処理された。文化祭も終わって全てが一件落着、あとは今後の進路のことを考えそこに集中しないといけないのかな、なんて僕が思っていたところで――。

 

 再びドアがノックされた。「どうぞー」と僕が答えると、扉を開けて入ってきたのは3人。赤沢さんと杉浦さんと桜木さんだった。そのうち、赤沢さんの髪を見て僕は目を丸くした。彼女のトレードマークとも言える、長く2つに分けられた髪はばっさりと切られ、両脇の2人と同じぐらいの長さにまで短くなっていたのだ。

 

「こんにちは、恒一君。元気そうね」

「赤沢さん……その髪……」

「それは後。まずはゆかりから」

 

 驚く僕を尻目に、赤沢さんはその場を仕切る。誰も椅子に腰掛けようともせず、指名された桜木さんが「はい」と一歩前に出て話しかけてきた。

 

「具合、どうですか?」

「まあ……。おかげさまで。手術も成功したし1週間もすれば退院できるって」

「そうですか。それはよかった。クラス一同、早く回復して登校する日を待ってる、とクラス委員として伝えに来ました」

 

 桜木さんの話は形式的だった。それだけで話すことは終わり、と踏み出した一歩を戻して後ろに下がる。

 

「次、多佳子」

 

 今度は杉浦さんが一歩前に出た。そして彼女にしては珍しく、少し困ったような顔でゆっくり口を開く。

 

「その……。あの時ひどいこと言ってごめんなさい」

「ひどいこと……?」

「許さない、って……」

 

 言われる今の今まですっかり忘れていた。赤沢さんに促されたのもあるのだろうが、全く律儀なことで、と思う。律儀ついでに、彼女風に返してみよう。

 

「わざわざ言いに来てくれたんだろうけど、別に気にしてないよ。……あれだね、『律義者の子沢山』ってやつ?」

 

 一瞬、虚をつかれた表情を彼女は浮かべた。が、お株を奪おうとしていったことだと気づいたのだろう。すぐに普段通り、無味乾燥な表情へと戻る。

 

「……その使い方は若干ずれてると思うけど。私は大義名分を守っただけよ」

 

 なるほど、あくまで「建前上、謝罪に来た」と言いたいらしい。杉浦さんもそれで言いたいことは終わりとばかりに一歩下がり、さらに踵を返した。

 

「じゃあ泉美、私達廊下にいるから」

「え、廊下に、って……」

 

 先に歩き出した杉浦さんに続きつつ、桜木さんがそう言ってくる。

 

「私はクラスの言葉を、杉浦さんは自身の謝罪の気持ちを伝えに来ただけだから。1番話したかったのは泉美だし、このまま部屋に居座るなんて野暮な真似はしない、ってことですよ」

「ちょっとゆかり!」

 

 赤沢さんに強い口調で名前を呼ばれても冷やかした彼女には堪えた様子もない。「では失礼しますね」と挨拶を残し、杉浦さんと共に2人で病室を出て行ってしまった。

 

 こうして部屋に取り残されたのは僕と赤沢さんの2人。ところが、向こうは椅子に腰を降ろしたはいいが、話を始める様子がない。こういう沈黙は落ち着かない。仕方ないと、僕の方から切り出すことにした。

 

「あの……赤沢さん……。その……髪切った?」

 

 が、ようやく口にした僕のその一言を聞いた途端、赤沢さんはプッと小さく吹き出した。

 

「何それ? 『髪切った?』って……。ウケるんだけど」

「え? あ、えっと……」

「見ての通り切ったわよ。恒一君、あなたのせいで」

 

 思わず返答に詰まってしまう。しかし彼女は再び小さく吹き出し、口を開いた。

 

「……冗談よ、からかい甲斐あるわね。ちょっと吹っ切りたい気持ちだったから。イメチェンで切ったのよ。どう? 私ショートも似合うでしょ?」

 

 どう答えたものか、困ってしまった。とりあえず曖昧に「ああ……うん……」と口にする。

 

「……まったく、そこは嘘でも『似合ってる』って言うところよ。……もう、嫌になっちゃう」

「ご、ごめん……」

「そしてそうやってすぐ謝る。言ったでしょ? 恒一君が優しいのはわかるけど、度が過ぎるのは逆効果だ、って」

「うん……」

「まあいいわ。前置きはこのぐらいにして、本題に入りましょうか」

 

 そう言うと、赤沢さんは一度深呼吸を挟んだ。

 

「……ちゃんと、あの子に自分の気持ち伝えた?」

 

 無言で、僕はゆっくりと頷いた。それを見て、赤沢さんは「……そう」とだけ短く答える。

 

「なら、私が言うことは何もないわ。そこでけじめもつけられないような男だったら……蹴り飛ばすところだったけど。わざわざ1番手を譲ってあげて正解だったわ」

「それ……どういうこと?」

「今日ぐらいから恒一君と面会できることは知ってた。だから、1番をあの子に譲ってあげたのよ。2人きりになれるよう、他に邪魔入らないように勅使河原辺りには今日は来るなって根回しして、私達の来る時間を前もってあの子には伝えておいて、ね」

 

 だから見崎は時間を気にしていたのか。それで「許された時間」と言っていた。しかし……「シンデレラにかけられた魔法が解ける時間」は少々ずれているとも思える。

 

「まあもうそういう仲(・・・・・)になったであろうに、こういう話は変かもしれないけど……。あの子に感謝しなさいよ。私はあの時帰っちゃってたから多佳子から聞いた話だけど。恒一君が倒れたとき、見崎さん、血相を変えて教室に駆け込んできたって」

「え……」

「後にも先にも、あんな焦ってる見崎さん見たのは初めだった、って多佳子は言ってたわ。あ、ゆかりも言ってたわね。ここに担ぎ込まれた時のこと、覚えてないの?」

「かなり重度のパンクだったから……。相当苦しくて意識を失っちゃってて」

 

 「ああ、それはごめんなさい」と形式的に彼女は謝罪した。次いでそのときの状況を詳しく教えてくれた。

 

「ゆかりは職員室に直行して久保寺先生に報告に。他の男子……勅使河原とか中尾とかね。その辺りは屋上に行って、あなたを担いできたそうよ。そのおかげで到着した救急車にスムーズに乗せられて、ここに担ぎ込まれた、ってわけ」

 

 なんとなくは怜子さんから聞いてはいたが、そこまで詳細に聞いたのは初めてだった。退院してクラスに顔を出したら皆に礼を言わないといけないだろう。

 

「私はその日そのことを知らずにいてね。夜、多佳子から電話がかかってきて、初めてそのことを知って……。学校に行ってから見崎さんにそのときのことを尋ねたわ。そしたら、『2人きりで話をしてる最中に急に胸を押さえて倒れた』って。あまり深く聞き出すのも野暮だし、最中、って言ったから、とりあえず私がお見舞いに行く前に話つけられるように、先に行きなさいってけしかけたの。言っておいて正解だったわね」

 

 そしてそのクラスメイト以上に赤沢さんにはお礼を言わねばなるまい。わざわざこれだけ気を使ってくれたのだ、感謝しても仕切れないぐらいだ。

 

「……ありがとう、赤沢さん」

「何よそれ。嫌味? それとも皮肉?」

「いや、そんなつもりは……」

「振られた男にお礼言われて喜ぶ女がいると思う? ……とか言ってみたいけどね。今のは無しで。そのお礼は、素直に受け取っておくわ」

 

 なんだか、以前話したときより僕に対してフランクになってるように感じた。多分、余計な気を使うのをやめた、とかなのだろう。同時に、これが本来の彼女の姿なのかもしれない、とも思うのだった。

 

「さてと……。私はそろそろ帰るわね。元気そうだし、ちゃんとけじめはつけたみたいだし、何より私との約束も守ってくれてるみたいだし」

「約束……?」

「……ほんと無粋ね。いい友達でいて欲しい、って言ったじゃないの。普段通り話してくれたし、それは心配しなくてもよさそうね」

 

 忘れていたわけではなかったが、赤沢さんの雰囲気に圧倒されてしまったというか、気にかける余裕がなかった。

 

「あとの約束については……まあおいおい、ね。とにかく、この私を振った以上、あなたは幸せにならないといけないのよ。わかってる?」

「そんな横暴な……」

「横暴でもなんでもないの。そこは『わかった』とか『任せろ』とか男らしいこといいなさい。もっとも、言っても私は皮肉を返すけどね」

 

 思わず苦笑するしかない。嫌われての行為ではないだろうが、どうも今までと態度が変わりすぎている気がしてならない。

 

「……そこで『なら僕もうまい返しを見つけるよ』とか言い返してみなさいよ。……まったく、なんで私こんな相手を好きになっちゃったんだか」

 

 言いたい放題言って、彼女は椅子から立ち上がった。そしてそこでわざとらしく「あ、そうそう」と付け加える。

 

「私、勅使河原と付き合うことにしたから」

「……え!?」

 

 付け足し、のレベルを遥かに超えた予想外の一言に僕は思わず今日1番の声を上げていた。そんな僕に対し、彼女は怪訝そうな目を向ける。

 

「何よ、そんな声出して……」

「い、いや……。だって……」

「意外? まあ意外よね。でもさ、あの馬鹿、私が恒一君に振られたって知ったら、ここぞとばかりにしつこかった今まで以上にアプローチかけてきてさ。傷心の女を口説くとか汚いって言ってやったら、あいつなんて言ったと思う? 『お前のためを思って今まで自重してたけど、サカキがお前を振ったなら俺がお前を支えるしかねえだろ!』だってさ! 思い上がりも甚だしいっての。……でもそう思いながらも、あいつってそんなに私のこと思ってたんだな、って思っちゃってさ」

 

 天井を仰いで、彼女はひとつ息を吐き出した。

 

「まあ吊り橋効果みたいなもんだろうってわかってるし、長続きしないかもな、なんて気もしてる。同時に、恒一君への当てつけもあるかもしれない、とも思ってる。……だけど、あの馬鹿に付き合ってみるのもいいかもな、なーんて思っちゃったりしてね。とにかく、恒一君にそのことは報告しておこうと思って。

 あと……ゆかりと風見、多佳子と中尾、柿沼さんと辻井も、なんかだいいムードみたいだけどね。文化祭ってこういうカップル多くできるイベントなのかしらね。特にゆかりとか、風見に呼び出されてストレートにガツンと言われたとかって。風見もやるときはやる奴なのね。おかげでゆかりったら普段のあの策略ぶってる余裕もどこへやらって感じよ。私に思わず報告してくるほどだものね。『一緒に頑張って同じ高校に行こう』とかどぎまぎしながらオッケーしてたみたいだし……」

 

 そこまで言ったところで、不意に病室のドアが勢いよく開けられた。「ちょっと泉美! なんでそんな詳しく説明してるのよ!」という、桜木さんらしからぬ声が聞こえてくる。

 

「あら、ごめんなさい。口が滑っちゃったわ」

 

 わざとらしく、かついたずらっぽくそう嘯いた赤沢さんは、なんだかこれまでの「きつそう」というイメージから、「いたずら好き」と言ったような、クラスメイトで例えるなら綾野さんみたいな印象へと変わっていた。

 もしかしたら、これが本来の彼女なのかもしれない。演劇部である彼女は、知らず知らずのうちに「印象のいい女子」を演じようと、それこそかつて千曳先生が言ったような仮面(ペルソナ)をつけていたのかもしれない。そんな仮面など付けなくても赤沢さんは十分魅力的なのに、とか思ったが、それこそ彼女に言ったら「嫌味かしら?」と返されるのは目に見えている。沈黙は金。ああ、そういうところも今後は成長するように心がけようか、などと思うのだった。

 

「……榊原君、今さっき泉美が言ったことは忘れてくださいね? 特に、くれぐれも、風見君本人や見るからに口の軽そうな勅使河原君には言わないように。言ったら……まあ言葉にしなくてもわかりますよね?」

 

 満面の笑みと共に、しかし明らかにどす黒いオーラを出しながら桜木さんは僕にそう言ってきた。この空気で言われては、「う、うん。わかったよ」というより他に選択肢はない。あいにくと、せっかく胸を手術して成功したのだから、それをふいにするような自殺願望はないのだ。

 一方で杉浦さんは普段通りの無味乾燥だった。「別にばれてもいいわよ」と言いたげ、逆に中尾君とどんなやり取りがあったのか、こっちの方が興味があるぐらいだった。

 

「ゆかり、そのぐらいにしておきなさい。丁度いいタイミングで顔出したってことは盗み聞きしてたかもしれないでしょうけど、それは水に流してあげるから。

 ……まあなんだか色々まとまりつかなくなりそうだし、もう今日のところは私は帰るわね。恒一君も、退院してできるだけ早く戻ってきてね。私達の3年3組に、ね」

 

 そう言い残し、3人は病室を後にしていった。嵐が過ぎ去ったかのような静けさに、安堵だろうか、思わずため息をこぼす。

 赤沢さんは、「私達の3年3組」と言った。そう、中学校生活最後のクラス、僕が所属している夜見北3年3組。これから先は受験勉強が主になってしまって、今までのようなイベントごとは少ないかもしれない。

 

 だけど、このクラスに在籍できたことを、僕はきっと誇りに思うだろう。「変わり者の多い3年3組」の一員として、退院して登校したら、高校受験のことは考えつつも、楽しみながら残りの中学校生活を一緒に謳歌したい。

 その「一緒に」という対象は、僕の気持ちを伝えて受け取ってくれた見崎もそうだし、「友達でいて欲しい」と願った赤沢さんもそうだし、馬鹿やって巻き込んできてくれる勅使河原もそうだし、部が一緒とか何かと世話になった望月もそうだし、あのクラスの皆がそうだ。

 

 本当に、いいクラスに転校することが出来たんだなと、僕は密かに、さっきは恨んだ神様に感謝することにした。

 が、その直後、やはり神様を恨むこととなってしまった。扉を開けてニヤニヤした表情のまま入ってきたのは、もう説明不要の水野さんだった。

 

「いやあもてる男は辛いねえ、ホラー少年。何々、さっきここであった話、詳しく聞かせてよ?」

 

 回復に専念して、この病院をさっさと退院しよう。このナースに絡まれるのはもうこりごりだ。そして3年3組に帰ろう。僕はつくづく、そう思うのだった。

 




まあアニメ版で風見をガツンとやったのは赤沢さんなんですけどね!

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