あなざー ~もしも夜見山北中学3年3組に「現象」がなかったら~ 作:天木武
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誰にも聞こえない程度に、彼女の名をポツリとこぼす。ここまで4限の授業の間、彼女の方を時折見てはそう呟いていた。もう幾度そうしたかわからない。なぜか不思議と、そうやって彼女の名を口にしてしまっていた。
まさか同じクラスだったとは思わなかった。よくあるドラマや漫画も馬鹿にしたものじゃないらしい。
休み時間の度に、彼女と話そうとはしたのだが、転校生が珍しいのだろう、ここまで毎回の休み時間は全て話したがって声をかけてきてくれるクラスメイトによって時間を取られていた。クラスに馴染めるか、なんて悩んでいたのは取り越し苦労にも思えるほど皆明るく接してくれてとても助かった。が、ミサキメイと話してみたかった身としては放っておいてほしい、という気持ちがなかったわけでもない。
と、授業を終えるチャイムが鳴る。4限目が終わり、これから昼食と昼休みに入る。
前の学校では給食だったが、ここは弁当だ。以前は料理研究部なんてところに所属していた身としては弁当を自分で作る、なんていうのも面白そうではあったが、病み上がりということもあって今日は祖母が作ってくれた弁当になる。
昼食となると仲の良いグループに分かれるのが多いようだ。クラスの中で何グループか出来ていて、話しながら弁当箱を開ける様子が窺える。
また、この学校は昼食を取る場所も自由らしい。授業が終わった後、弁当袋を手にクラスを出て行く数名の姿が見えた。そのことに気づいた時に窓際へと視線を移したが、やはりというかなんというか、ミサキメイの姿はそこにはもうなかった。
仕方ないか、とやや肩を落として弁当の包みを開く。祖母の特性弁当、とてもおいしそうだ。ありがとうおばあちゃん、と祖母に感謝した後で、いただきます、と食べ物へも感謝する。
メインのおかずである鮭の塩焼きを箸でほぐし、ご飯と一緒に口に運ぶ。うん、やっぱりおいしい。もう1度ありがとうおばあちゃん、と心の中で感謝した。
ふた口目を食べようとしたところで僕の席の脇に椅子が置かれた。驚いて顔を上げる。
「サカキ、飯一緒に食ってもいいか?」
声をかけてきたのは、制服ではなくジャージの上着を羽織り、髪はやや茶髪で見るからにお調子者、あるいはムードメーカーという言葉が似合いそうな勅使河原直哉だ。僕がいる列の最後列らしく、先ほどまでも休み時間の度に僕のところに足を運び、声をかけてきてくれていた。最初は「榊原」と呼ばれていたはずなのだが、いつの間にか呼び方が「サカキ」になっている。
「おい風見、お前もそんなところで1人で食ってないでこっち来いよ! 王子、風見と席代わってやってくれるか?」
「ああ、いいよ」と王子と呼ばれた僕の前の席で昼食を食べていた男子生徒が席を立つ。本来ここは彼の席ではなく和久井という生徒の席のはずだが、その前の席の生徒と仲がいいらしい。風見君の席はそのさらに前、入れ替わる形だ。その席を立った王子君と席を交換して風見君が僕の前の席に座る。だがその顔がやや不機嫌そうにも見える。
「……勅使河原、僕は1人で静かに食べていたんだから、巻き込まないでくれないか?」
「そう言うなよ、せっかく転校生が来たってのに1人で飯食わせてるなんて皆冷たいだろ? お前クラス委員なんだから、そういうところまで気利かせろよ?」
「……そういうことは本人を前にして言うことじゃないだろ」
やや呆れたように風見君はため息をこぼし、眼鏡を軽く上げた。
「あ、サカキ、紹介が遅れた。こいつはクラス委員の……」
「風見智彦君でしょ。病院にお見舞いに来てくれたから」
「覚えててくれたんだ、ありがとう」
「いや、こちらこそ。再会の記念にまた握手でもしておく?」
半ばジョークのつもりだったが、苦笑を浮かべた後で風見君は右手を差し出してきた。僕もその手を握り返す。今日はまるで湿った様子もなく、さらりと乾いていた。
「……なんだお前ら、何の儀式だ?」
「なんでもないよ。それより勅使河原君と風見君は……」
「あーサカキ、『君』はよせ。俺のことは呼び捨てでいい、俺も勝手にあだ名決めて呼んでるんだし」
「……じゃあ勅使河原、風見君とはどういう関係?」
「幼馴染だよ」
「どちらかというと腐れ縁、って言った方が正しい」
腐れ縁、ねえ……。
「幼稚園の頃から一緒なんだよ」
「適当なことを言うな、勅使河原。小学校だよ。……まったくこいつは昔からこういう適当な奴だった」
「そういうお前だって昔はこんな優等生ぶるような奴じゃなかったろ。俺と随分やんちゃしたじゃねえか。それが中学になってからか? こんな真面目を絵に描いたような奴になっちまって……」
「いいだろ。どう変わろうと……僕の自由だ」
ふうん、と相槌を打ちつつ僕はご飯を食べる。2人の話がつまらないわけではないが、お腹が減っているのは事実だし、ご飯はさっさと済ませて校内を歩いて見て回りたい気分もしている。
……というのは建前で、本音は校内を歩いて入れば彼女に会えるんじゃないかという期待があるからだ。このクラスの窓際で物憂げな表情を浮かべていた彼女、ミサキメイに。
「……そんなことよりサカキ! 俺と仲良くなった記念に、変わり者が多いといわれるこの3年3組の連中のことをちょっと教えてやるよ」
「……変わり者? そうなの?」
「ああ、そうだ」
「言ってるこいつが1番変わり者、というかやかましいけどね」
「うるせえ風見、横から茶々入れるんじゃねえ」
はいはい、と風見君は黙って弁当を食べることに集中するようだった。多分この勅使河原という人間に対しては一度話し始めたら気が済むまで放っておく、というのがもっとも適切な対処法なのだろう。助け舟も期待できないし、ここは彼の紹介を聞いておくことにした。
「まずは窓際最前列。あそこにいるのはこのクラス最大派閥の赤沢一派の連中だ」
「赤沢? いや、その前に派閥って……」
「こいつが勝手に例えてるだけだよ。別に派閥間でのケンカだの闘争だの、そんな古臭いものはない、仲良しグループとでも置き換えておいて」
風見君がフォローする。……でも君の言った「闘争」なんてのも随分と誇張された表現だと思うけど。
「赤沢は今日休んでるんだが、このクラスの陰の支配者、ってところかな。演劇部の部長。特に女子から人気があるし、男であいつに惚れてそうな奴も間々いる」
「お前とかな」
「う、うるせえ風見!」
ふーん……。風見君が桜木さんを狙ってるように勅使河原はその赤沢さんって人を狙ってるのか。どんな人なんだろうか。
「……話を戻すぞ。その今、本来赤沢の席に座ってる眼鏡かけてパーカー着てるのが無表情っぽいのが杉浦。なんとああ見えて女子バレー部のエース、んで赤沢の信奉者、右腕ってとこかな。友達って枠を超えるほど赤沢と仲がいい。
その杉浦と話してる目つきが悪そうなのが中尾。こっちは男子バレー部だ。あんな目つきで身長もあるから怖そうに見えるが、意外と根はいい奴だ。赤沢に首ったけだ。
んでその近くにいる2人、ショートで茶っぽい髪のが綾野。演劇部だ。物事ははっきり言う明るい性格で他のクラスの男子からも人気がある。もう1人のセミロングの方は小椋。同じく演劇部。パッと見かわいいんだが、結構なブラコンでな。フリーターの兄貴がいるんだが、それにくっついて街中歩ってたって目撃例もある」
「へー」とか「ほー」とか相槌を打ちつつ聞いていたが、勅使河原の情報量は半端じゃなかった。感心すると同時によくもこれほどまでクラスメイトの話が出来ると逆に呆れてもしまう。
「……風見君、勅使河原っていつもこんななの?」
「……こいつ、自分のクラスだけじゃなくて他のクラスもかわいい女子とかはチェックしてるからね」
ああ、そうか。今ここまで聞いても女子4人に対して男子1人だ。クラスの紹介という名目をとってはいるが、要するに普段集めたデータを紹介してるだけか。
「それから教卓のすぐ前で1人でいるのがクラス委員の桜木。帰宅部で頭は学年トップクラス。赤沢と仲はいいんだが、そこのグループってわけじゃなさそうだな。ほわほわしてそうだが、笑顔に似合わず結構辛辣な言葉を投げかけられたこともある」
「それはお前にデリカシーがないからだ」
お、やっぱり庇った。こりゃ本物だろう。
「うっせ。デリカシーだかデカ尻ーだか知らねえけどありゃあ裏に黒い物があるぜ。お前も気をつけろ」
「……桜木さんはそんなじゃないよ」
ポツリと風見君は呟いたが、勅使河原には聞こえなかったようだ。まあその方が彼にとっては幸せだろう。聞かれたらいじられるのは目に見えている。
「話を戻すぞ。あとは……ああ、男も紹介しておくか。さっきこいつと席代わったのが王子。あだ名じゃなくて普通に苗字だ。吹奏楽部所属、玉子焼きが好物らしいが、本人に玉子っていうと怒るからやめとけ。それと話してるのが猿田、こっちも吹奏楽部。喋り方がちょっと珍しいが出身に影響してるとか何とか。あまり気にしないでおいてやってくれ」
勅使河原の話を聞きながら弁当を食べ終えてしまった。話してる本人はまだまだ残っているが、こっちが食べ終わったことも自分の弁当が残っていることも気にしていないようである。
「あとは……。あ、廊下側の列に1人でいるのが多々良。王子、猿田と一緒で吹奏楽部。無口だけどフルートはめちゃうまらしい。しかも割りと美人。その後ろ、仲良さそうに話してる女子2人が松井と金木。付き合ってんじゃねえかと噂されるほど仲が良い2人だ」
そこまで言ったところで勅使河原は辺りを見渡す。
「あとは……こんなもんか。水野だの川掘だのスポーツマンの男を紹介してもつまんねえし、そもそもこのクラス、教室の外で飯食う女子多すぎなんだよ」
「……柿沼さんとか自分の机で食べてるじゃないか」
風見君が僕の肩越しに視線を飛ばす。その視線の先、三つ編みお下げで眼鏡をかけたいかにも、という女子生徒が1人で本を広げながら弁当を食べていた。
「パス。俺はタイプじゃない。……でもまあサカキがインドアな女子が好みって可能性もあるから紹介しておくか。図書委員の柿沼、見ての通り本の虫だ。とにかく地味。漫画とかじゃ1番化けるタイプ、なんて言われそうだがあいつはそんな気配もないしなあ」
趣味が読書というのは僕と気が合いそうな気がしないでもないんだけど……。さすがにその見るからに小難しそうな本をご飯食べながら読み進めている姿を見ると気のせいだった、ってことになりそうかな……。
「……あ! そうだ! サカキ、ついでに校舎の中案内してやるよ。どうせ昼休みはまだあるんだし、飯食ったら暇だろうしさ。風見、お前も付き合えよ」
僕の拒否権はなしらしい。とはいえ、特にやることもないし言葉に甘えることに何の不満もない。が、しかし……。
「……いいけど、お前、弁当全然食べてないだろ」
風見君の指摘に僕も頷く。勅使河原がずっと話してる間、僕と風見君は順調に弁当を食べてたから良かったが、当の本人は話すことに夢中になりすぎたせいでまだ半分以上弁当が残っていた。
「あ……。……ちょっと待ってろ、今全部食べ終わってやる!」
言うが早いか勅使河原は弁当を一気に口に掻き込み始めた。
「ちょ、勅使河原、そんなに詰め込んだら……」
「ごふぉ!」
言わんこっちゃない……。胸を叩く勅使河原に風見君はペットボトルの水を手渡す。
「……ぷはあ、助かった。悪い、風見」
「貸しだぞ」
腐れ縁、って言葉が本当に合う2人だな。やり取りを見ていてちょっと微笑ましい気持ちになりつつ、僕はそう思ったのだった。
杉浦・中尾についての部活は捏造です。確か明らかにはなってなかったはずだと思ったので。
でも水着回の見事なスパイクと、それ以上に高すぎる身体能力を見るに、彼女はバレー部でも問題はないはず……。