あなざー ~もしも夜見山北中学3年3組に「現象」がなかったら~   作:天木武

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#08

 

 

 鉛筆、あるいはシャープペンシルを走らせる音だけが教室に木霊している。教卓の付近に立っている久保寺先生は特に何を言うでもなく、板書をするでもなく、ただ僕達を見渡している。だがそれに何の疑問も感じはしない。なぜなら今はテスト中だからだ。

 それもただのテストではない。定期試験――中間テストだ。高校への進学を考えた際、内申書として判断材料にもされて成績にも影響してくる、2日間に渡って行われるテストである。

 だから皆真剣だ。言うまでもなく、僕も真剣なのだが、この定期試験最終科目になっている国語は手ごたえ十分という具合で、まだ試験時間は20分近く残っているが既に全問を解き終えて見直しも終わっていた。

 最後に名前が間違いなく書いてあることを確認したところで、僕は答案を裏返して静かに立ち上がった。制限時間内に終わった場合、教室を出てしまってもいい、ということだったからだ。現にこれまでのテスト中に数名席を立った生徒はいたし、この国語のテスト時間中においても既に1人そうしているとわかっている。

 

「見直したほうがよいのではないですか?」

 

 席を立った僕に気づいた監督役の久保寺先生が近づいてきて小声で話しかける。

 

「いえ、もう大分見直したので」

「……そうですか。いいでしょう。ホームルームがありますので、まだ帰らないようにだけしてください」

 

 他のクラスメイトの邪魔にならないよう、なるべく静かに廊下へと向かう。が、どうにも向けられていないはずの視線が痛い気がする。「出来る奴はいいよな」という嫉妬の目だろうか。……いかんいかん、きっと気のせいだ。それじゃクラスメイトの皆が悪者みたいになってしまうし、何より自分は勉強が出来るなんて自惚れているみたいだ。別に頭がいいほうじゃない、今のところは前の学校の授業進度が早かったおかげで、少し有利であるだけにすぎない。……まあ今の国語じゃそれはあまり関係ない気もするけど。

 ともかく僕は教室を出る。あのまま時間まで問題用紙と解答用紙と睨めっこしていてもよかったが、僕としては廊下に出たかった。教室の空気が嫌なわけじゃない。ただ、廊下である人(・・・)が待っているんじゃないか、そんな淡い期待があったからだった。

 

 廊下のガラス越しに見える外は、雨だった。果たしてそのガラスの外の風景を眺めている彼女こそ、僕が待っているんじゃないかと期待したその人だった。

 

「早いんだね、見崎さん」

 

 僕の声に彼女は首だけを僅かに動かし、窓の外に向けられていた視線が僕のそれと交差する。だが、まるで興味がないかのようにその視線はまた窓の外へと戻っていった。

 

「そういう榊原君も、ね」

「大丈夫なの? テスト……」

「大丈夫なの。私は」

「へえ……。すごいね。昨日まで休んでた(・・・・・・・・)のに」

 

 そう、あの人形館で見崎と会った翌日から、彼女の姿はクラスになかった。およそ2週間も姿を見せず、もしかしたらこのままずっといないのではないか、そんな風にも考えた。

 さすがに気になり、誰かに尋ねようかとも思った。だが、以前も思った「彼女の口から直接聞きたい」という思いが勝り、能動的に彼女のことを聞こうとはしなかった。しかし受動的に聞いてしまった(・・・・・・・)のなら仕方ないと納得しようという、めんどくさい思考で過ごしていたのだが、それでも彼女の話題は全く挙がろうとしなかった。やはり存在していないのだ、彼女は3年3組に彷徨う幽霊なのだ。そんな考えがますます裏付けられたような気もした。

 しかしテストの初日になって、彼女は現れた。しかも何度か時間終了前に教室を出て行く、という行為まで見せ付けて。普通に考えたらありえない。テスト直前まで休んでいたのに余裕で問題を解き終えた、ということか、あるいは諦めているのか。そして第3の考えとして浮かんできたのは、テストなど彼女には意味がないのではないか、ということだった。

 学校に来なかった――いや、いなかった(・・・・・)という方がもしかしたら正しいかもしれないが、そのせいであの日僕の背中を走った悪寒は、今でも胸の辺りにモヤモヤと解消されないしこりの様になって残っている。この気持ちを、転校してきてから今までずっと抱いている疑問を解消したい。見崎と話がしたい、直接その口から真意を聞き出したい。だから僕は教室を出てきたのだった。

 

「……雨、好きなの?」

 

 ずっと窓の外を眺めたままの見崎に僕は尋ねる。

 

「まあね」

「そういえば前に君が帰る姿を見かけたんだけど……。あの日も雨だったのに、なんで君は傘もささずに帰ってたの? 確か朝から雨だったから傘を忘れる、ということは考えにくいと思うんだけど……」

「雨は、嫌いじゃないから」

 

 答えになっていないのではないか。「雨は嫌いじゃないから傘をささずに来て、そして帰った」など、普通ではありえない。僕の心の中で彼女に対して抱いている疑念がますます膨れ上がる。

 

「……榊原君、そんなことよりもっと聞きたいことがあるんじゃないの?」

 

 心を見透かされたかのような言葉。その彼女の台詞に僕は意を決し、これまで頭の中で渦巻いている考えをまとめだす。

 

「……こっちに転校してきて君に会ってから先、なんだか気になることが多くて……」

 

 窓の外に向けていた彼女の隻眼である右の瞳が僕を捉える。

 

「最初に僕が君に会ったのが病院のエレベーター。次に学校で、その後あのお店。まるで僕の行く先々で、僕が来るのを待ってるかのように君がいる……。それから、君が僕に言った『あんまり近寄らない方がいい』って言葉。その真意を確かめようと、あのお店で尋ねた時に君が話した過去の『ミサキ』の話。それに……あのお店の地下にあった君そっくりの人形……。

 そういったもの全てを考えた時に……。なんでかな……。馬鹿なことだと思うし、ありえない話だと頭ではわかっている。わかっているけど……。見崎鳴、君は、もしかしたら……」

「……いないもの(・・・・・)だから」

 

 ドクン、と心臓が早打つ。あの日感じた悪寒が、再び背中を駆け下りる。

 

「いない……もの……?」

 

 彼女の目が細められる。――まるで笑っているかのように。

 

「皆には私のことが見えてないの。……見えているのは、榊原君、あなただけ、だとしたら?」

「な……!」

 

 頭の中でピースがはまっていく。……いや、本当はどこにどのピースをはめれば完成するか、自分ではわかっていたのに放棄していたピースが勝手にはまっていく、という方が正しいか。

 

 見えていない。皆には見えていない。見えているのは自分だけ。だとするなら、それは紛れもなく――。

 

「そんな……。そんなまさか……!」

 

 思わず右手で頭を抱える。ありえない。だが、頭を抱えた右手の指の隙間から見えた彼女の表情は――笑っていた(・・・・・)。あの時、屋上から校舎へと消えていったあの時のように。

 

 何かを話したい。だが、言葉が出てこない。いや、言葉を出せたとして、彼女に、「いないもの」の彼女に何を話しかければいいのだろうか。

 

 僕が悩みに悩んでいたその時だった。階段の下から誰かが駆け上がってくる足音が聞こえた。ジャージ姿から、体育の先生だとわかったが、どこか慌てているようにも見える。

 先生は3年3組の教室の入り口まで小走りで駆け寄ると、小さく数度ノックした後でドアを少し開けて「久保寺先生」と呼んだようだった。その後は「今連絡が……」「病院から……」と断片的にしか聞こえない。

 しばらくして体育の先生は僕達がいた方ではなく、向こう側の階段の方へと歩いていく。その後で教室の後ろの扉が開き、そこから姿を表したのは桜木さんだった。

 

「桜木さん……?」

 

 傘を手に、荷物も全て持った状態で、どこか慌てた様子だった。だが僕の声に彼女は足を止める。

 

「どうかしたの……?」

「あっ、榊原君。……母が交通事故に遭ったらしいんです」

「えっ……?」

 

 思わず僕は驚きの声を上げる。しかし彼女に焦った様子はなく、苦笑を浮かべて返してきた。

 

「あ……事故って言ってもそんな重大な事故とかじゃなくて……。傘さしで自転車に乗って細い路地を走っていた時にちょっとよろけたらしくて、その時に後ろから来た車と接触して転倒したとかって……」

「大丈夫なの……?」

「細道で車もスピード出してなかったのが幸いして大怪我ではないらしいんですが、足折っちゃったらしいです。不注意ですよね、母も。……って転んで捻挫した私が言えた口じゃないかな」

 

 困ったように桜木さんは小さく笑った。

 

「それで治療のために今病院らしくて。テストは解き終わっていたので先に抜けさせてもらうことになったんです」

「そうだったんだ……」

 

 半分僕は上の空で答える。桜木さんのお母さんが事故に遭った、と聞いたときは驚いたが、こんなことを言っては悪いが、命に関わるほど重大ではない、とわかってちょっと安心したところで――やはり隣にいる彼女のことが気になってしまっていた。

 

 今、桜木さんには目の前の彼女は見えていない、のだろうか……。

 

「そんなわけなんで……。私は先に帰ります。榊原君も傘をさして自転車に乗っちゃダメですよ。……あ、傘をささないで帰って、風邪で学校を休む(・・・・・・・・)なんてのもダメですけど」

 

 そう言って彼女は、僕の隣に立つ(・・・・)少女に視線を移した。

 

「雨が好きなのはわかるけど……。病み上がり(・・・・・)なんだから、まさか今日は傘を持って来たんですよね、見崎さん(・・・・)?」

 

 思わず僕は「えっ……?」とこぼしていた。桜木さんは確かに「いないもの」であるはずの見崎の方を見ていた。いや、だとしたら「いないもの」ではないということになるんじゃ……。

 

「あの……桜木さん……」

「はい?」

「見えるの……? その……見崎鳴……さんが……」

「え……?」

 

 きょとんとした表情で、彼女は僕の方を見つめて数度瞬きをする。それから再び僕の隣の少女の方へ視線を移し、そこで何かに気づいたように「あ」と言いながら手を叩いた。

 

「……もう、見崎さん、あまり榊原君を困らせちゃダメですよ」

 

 彼女は、見崎は答えない。ただ、桜木さんに背を向けてまた窓の外へ視線を移し、その時に口からため息が漏れたのが確認できた。

 

「榊原君、もしかして見崎さんに『自分に近づかない方がいい』って言われたりとか、昔あったっていう『ミサキ』って言う人の話を聞いたりとか、『皆には自分のことは見えてない』とか言われたりしたんじゃないですか?」

「え……? な、なんでそれを……」

 

 今度は桜木さんがため息をこぼす。

 

「やっぱり……。あのですね、榊原君。実は見崎さん、結構思わせぶり(・・・・・)なことを言うのが好きらしくて……」

「思わせぶり……?」

「榊原君がおそらく聞いたと思われるようなことです。ちょっと思い込みが強いというか、少し物事を大袈裟に言うというか……。なんて言ったかな……なんだかこの時期の少年少女が自意識過剰やコンプレックスから生み出される心理状況がどうのとかって病気みたいな名前があったような……。

 まあとにかくそれで反応を楽しんでるというか、彼女がそう演じてる(・・・・)風があるみたいなんですけど……。でも騙して困らせようとか、そういう悪気があるんじゃないと思うんです。私は彼女なりのコミュニケーションじゃないかな、って思ってて……」

 

 ああ、なるほど。思わず僕までため息をこぼしていた。

 と、同時になぜか納得してしまった。僕のクラスはなんて呼ばれてる?

 

「『変わり者の多い3年3組』か……」

 

 思わず呟いた。だったら、彼女ぐらい強烈な個性を持つクラスメイトがいてもおかしくはないのかもしれない。

 

「そういうことです」

 

 僕の独り言が聞こえたのだろう。桜木さんがそう言いながら微笑みかけてきた。

 

「……あ、思わず話し込んじゃった……。すみません、一応母が入院したということで早退なんで、お先に失礼しますね」

「うん。桜木さんも交通事故とか、あと雨で滑って転んだりとかには気をつけて。足怪我してたはずだし」

「はい。ありがとうございます。……やっぱり優しいんですね、榊原君」

「いや、僕はそんな……」

 

 面と向かってそういうことを言われるとどうにも照れくさい。思わず彼女から視線を逸らして右手で頭を掻く。

 

「うふふっ。……じゃあ榊原君、それに見崎さんも。さようなら」

「さようなら」

 

 前にもこんなことがあったかな、と、ある種の既視感(デジャヴ)を感じつつ、僕は彼女を見送る。階段を下りていくまで見送り、さらに足音が遠ざかるまでその方を見つめていた。足を捻挫していたはずだが、彼女は軽快な足取りで降りていき、すぐその姿は見えなくなった。

 

 足音が遠ざかったところで、さて、と僕はもう1人の彼女の方へと向き直る。先ほどからずっと窓の外を眺めている彼女は僕の視線に気づいているだろうに一向にこっちに向き直ろうとはしない。

 

「……つまんない」

 

 どう切り出そうか迷う僕より早く、先に口を開いたのは相変わらず顔は窓の外へ向けたままの彼女だった。

 

「いいところまで僕は信じ込んでたのに、って?」

 

 彼女は答えない。代わりにため息をついた。

 

「……じゃあ改めて質問。君は幽霊でもなんでもなく、ちゃんと存在する人間なんだね?」

 

 やはり彼女は答えなかった。だが僕が視線を逸らさずずっと見つめていることに観念したのだろう。再びため息をこぼして僅かに首の角度を変えて頷いた。

 

「怒らないの?」

 

 窓の外に向けられた視線の先を変えず、彼女が尋ねてくる。

 

「僕が君を? どうして?」

「……怒ってないの?」

「怒ってないよ。むしろ……すっきりしたというか、ホッとしたというか……そんな気分かな」

「すっきり……?」

 

 窓の外に向けていた視線が僕に注がれる。これまでは感情を読み取るのが難しいと思っていたが、明らかに疑問の色が浮かんでいた。

 

「うん。君は……見崎鳴は確かにここにいる。いないものでも、昔の幽霊でもなく、3年3組の生徒として確かにここにいる、ってことがわかったからね。それがわかったら……なんだか怒る気も起きないよ」

「……変わった人」

「君に言われるのは心外だな」

 

 その僕の返事に、彼女は小さくクスッと笑った。

 

「……そうね。私も榊原君も、変わった者同士かもね」

「かもね。だって3年3組だし」

 

 僕も思わず笑みをこぼす。と、彼女が右手を差し出してきた。

 

「じゃあ、変わった者同士……」

「……ああ」

 

 僕は彼女の右手を握り返す。冷たかったが、確かに血の通う、人間の手。

 

「これからよろしくね。さ・か・き・ば・ら・君」

 

 いつか聞いたかのような彼女の言葉だった。そして彼女はかすかに微笑む。

 その笑顔に思わず僕の視線は釘付けになった。これまでずっと触れられず、「正体」もわからなかったミステリアスな彼女。そんな彼女がようやく僕の目の前に「本物の人間」として現れた瞬間だったからかもしれない。

 

 僕達の両手が離れた、丁度その時、まるでそれを待っていてくれたかのようにチャイムが鳴った。憂鬱な中間テストが終わった瞬間でもあった。

 




Anotherなら死んでた、あなざーだから死ななかった。
階段降りててたまたま足を滑らせてたまたま傘が開いてたまたまそれが喉に突き刺さるなんてあるわけないじゃないですかー。

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