あなざー ~もしも夜見山北中学3年3組に「現象」がなかったら~ 作:天木武
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翌日は、昨日の雨が嘘のように晴れ渡った空が広がっていた。段々と梅雨の時期が迫ってきて雨模様が多くなってきた、と感じていたが、そんな憂鬱を吹き飛ばしてくれるような晴天だ。やはり晴れの日はいい。
同様に僕の心も晴れ渡っていた。中間テストが終わったから、というのは確かにある。が、ずっと心に引っかかっていたモヤモヤがようやく消え去ったから、という理由の方が大きい気がする。
とはいえ、テストが終了してホームルームが終わった後、鞄に荷物を詰めて窓際の最後尾へ目を移すとやはりというかなんと言うか、もう彼女の姿はなくなってしまっていた。「これからよろしく」と言われたのに結局さっさといなくなってしまうのかと少し落胆しつつ、それでも拒絶されているわけではないと、何より「存在している」とはっきりわかっただけでもよしとすることにした。
きっと今後話す機会も少しずつ増えてくるだろう。あの時少し話した桜木さん曰く「演じてる」風なところがある、ということだったし、ちょっと不思議な少女を演じている、あるいは元々僕同様人付き合いが苦手だから、ああやって人と接することを避けようとしているのかもしれない。そういう気持ちもわからないでもない。こんな考え方をするとおじさんっぽいと思われるかもしれないが、今自分達の年代が迎えている思春期というのは割りと複雑な心境だったりするのだ。
例えば、中には親に反抗的になったり、自分は特別だと思い込み始めたりする人もいるのだとか。見崎の場合は後者が強く出てしまった形なのだろう。結果、その思い込みだけが先走りしてしまって今のようになってしまった。クラスでそれがどのぐらい浸透しているのかはまあこの後聞くこととしても、そこで丁度転校という形で現れた、何もわからない僕は彼女の相手としては最適だったわけだ。見事に僕は彼女の
そんなことを考えながら歩いていたせいだろう、いつの間にか校門を過ぎていた。今ではすっかり僕にとって「母校」となりつつある学び舎を見つめ、それからその視線を空へと移したところで、ああ、やっぱり今日はいい天気だと改めて思った。「雨は嫌いじゃない」と言っていた彼女は、こんないい陽気に対しては何と感想を漏らすのだろうか。
「よっ、サカキ!」
と、1人物思いに耽っていた僕は背中を叩かれて思考を引き戻された。
振り返れば今日の空のように快晴な……いや、どちらかというとそれよりも暑苦しい男である勅使河原とその彼の「腐れ縁」である風見君がいた。勅使河原はここ数日以上にやけにニヤニヤしていたが、風見君はいつも通りのようである。
「おはよう」
「おはよう、じゃねえよお前。こんな天気のいい日に何1人でボケーっとしながら歩いてるんだ? そんなんじゃお天道様も悲しむぞ?」
なんだがいつも以上にテンションの高い彼に僕は思わず苦笑する。憂鬱なテストが終わったのだ、そうなってる理由はわからなくもない。が、朝からこのテンションに付き合うのも疲れるというか、正直面倒なので、とりあえず助け舟を出してくれ、と風見君に目で訴えかけてみる。僕の意思を汲み取ってくれたらしく、風見君はため息をこぼしつつ勅使河原の肩に手をかけた。
「勅使河原、テストが終わって浮かれるのはわかるがあまり他人を巻き込むな」
「なんだよ、やっとめんどくせえテストが終わったんだぜ? もっと明るく行こうじゃねえか」
「それもテストが帰ってくるまで、だろ。お前、今回の出来はどうだったんだ?」
「う、うるせえな風見! そういうお前はどうだったんだよ!」
「……まあいつもぐらい、かな」
風見君のいつもぐらいはどのぐらいかはわからないが、どうやらあまり出来に納得はしていないらしい。視線を逸らした後で眼鏡を上げるいつもの仕草を見て、なんとなくそう感じた。
「サカキ、お前は……」
「聞くだけ野暮だよ。彼は国語の時間に大分余裕を持って退出してる。同類だ、なんて期待はもたないほうがいい」
普段通り、といえば普段通りにも聞こえる風見君の物言いだが、ちょっと棘がないか、と突っ込みたい。しかし余計なことを言って関係が悪化するのは好ましくない、と僕は先ほど同様の苦笑で乗り切ることにした。
「……まあいい! テストが返されてダメだったとしても、まだ楽しみはある!」
「何かあったっけ?」
「サカキ、お前今日が何月何日か知ってるか?」
「5月25日だけど」
「そうだよ、5月25日。んであと1週間もすれば6月!」
まあ確かに6月だ。でも6月だからなんだっていうんだろうか。むしろ梅雨に入って雨が増えてジメジメ、祝日がないせいで休日は少ないし
「……6月に何があるって言うんだ?」
勝手に軽い自己嫌悪に陥った僕をさておき、風見君が質問を代わりにしてくれた。
「マジでわかんねーのか!? 衣替えだよ!」
「ああ、そうか。この暑い冬服から解放されるね」
「……いや、榊原君。こいつ冬服着てないから」
あ、と思わず声をこぼす。灯台下暗し……いや違うな。ともかく目の前の勅使河原は冬服の上着を羽織っていない。というか、制服すら着ていない。下こそ制服だが上はシャツとその上にジャージという格好だ。むしろ彼が制服を着ているところを見た事がない。
「じゃあ勅使河原にとって衣替えとか関係ないじゃない」
「あのなあ、お前ら馬鹿か?」
勅使河原が両手を僕と風見君の首にそれぞれ回し、肩を組んでくる。暑苦しいっての。
「衣替えってことはよ、女子が薄着になるってことだぜ?」
嬉しそうにいった勅使河原の言葉と対照的、僕と風見君のため息は同時だった。
「どっちが馬鹿だよ……」
「まったくだ。お前は大馬鹿だ」
僕に続いて風見君も酷評して肩から抜けようとするが、どうやらまだ勅使河原は僕達を逃がさない気らしい。
「な!? お前ら興味ないのかよ!」
「別に……」
「お前ほどはない」
「アホかお前ら!?」
馬鹿からアホになった……。どっちの方がマシなんだろ?
「いいかお前ら、このクラスはレベル高いんだぞ。顔のレベルもそうだが……それ以上に男なら胸だろ、胸! 薄着になった時の最大の魅力、それは胸だろ!」
ダメだ、こいつは来年起こるかもしれないといわれてるハルマゲドン級の馬鹿だ。先ほど同様目で風見君に助け舟を要求するが、海は大
「何はなくともまずは赤沢だろ! あの性格からも滲み出てるわがままボディは冬服でも完全には隠しきれていない……それが夏服になったらどうなると思う!? まさにロマンだよ、ロマン! これがわからないなんて青春してるとはいえないぞお前ら!」
もう1回風見君に視線を送る。が、もう彼は聞かぬ振りを決め込んだらしい。おそらく右耳から入った話はまったく聞こえないまま左耳から抜けていくのだろう。ああ、便利な能力だな、それ……。
が、そんな僕たちの様子は勅使河原にとっちゃお構い無しらしい。自分なりの青春を謳歌してる彼の口は止まらない。
「次に杉浦! 普段パーカー着てるから一見普通に見えるが……ありゃ間違いなく着痩せするタイプだ! 俺にはわかる! きっと脱いだら凄いぞ! あとは……桜木だな」
あ、風見君の眉が一瞬動いた。
「元々見た目から若干ぽっちゃりだから……その辺は期待できる! ああ、その辺は一緒にクラス委員やってるお前に聞いた方が早いか。どうなんだ風見?」
「い、いや……。ぼ、僕はそういうところはわからないし……」
……この反応、実は気にしてるな、ムッツリ君め。いや、気にしてる女の子のことは見てしまうものか。
「お、その反応、お前わかってるんだな? やっぱ結構ボインちゃんなんだろ、桜木は?」
「私がどうかしました?」
僕から見て頭2つ分離れたところから聞こえてきた声に、僕だけでなく勅使河原も風見君も思わず「うわあ!」と声を上げて数歩たたらを踏んだ。声の主は言うまでもなく桜木ゆかりその人で、彼女から1番近い距離にいた風見君は既に顔が紅くなりつつある。
「お、おはよう桜木さん」
下手な誤解からイメージが悪くなるのは困る。特に風見君は死活問題だ。まずいところは聞かれてないことを祈りつつ、場を繕うために僕は挨拶を交わす。
「おはようございます。何の話をされてたんですか? 私の名前が出てたと思うんですけど……」
「あ……え、えーっとだな……」
まずい。
「あ、あのね、昨日テストを途中で抜けたのなんでかなって話になって……。で、僕が廊下で会ったから、って話をしてたところで」
よし、我ながらナイスな出まかせだ。だから……2人ともその「えっ!?」って言う目でこっちを見るのはやめてくれ……。うまく合わせてくれ……。
「ああ、そうだったんですか」
だが僕の心配と裏腹に桜木さんは納得したらしい。2人も空気を読んだらしく、頷いて合わせてくれている。
「それで……お母さんは大丈夫だったの?」
「はい、おかげさまで。足首を骨折したのでしばらく松葉杖は必要、とのことでしたが、数週間もすれば松葉杖なしで歩けるようになるらしいです」
「そっか……。よかったね」
僕の言葉に彼女は「はい」と答えて微笑み返してくる。その後で、僕達3人を見てクスッと小さく吹き出した。
「3人とも……暑くないんですか? そんながっちり肩を組んじゃって……」
誤魔化すことに意識がいっていてすっかり忘れていた。この天気のいい5月末に男3人肩を組んでたら暑いに決まってる。思い出したら暑くなってきた。僕は離れようとするが勅使河原がなぜか離してくれない。
「大丈夫だ、俺たちは男同士の友情を深め合っていたのさ! だから心配いらないぜ!」
……ついに勅使河原頭おかしくなったかな……。だが桜木さんはこれも特に気にした様子はなしに、
「ああ、そうだったんですか。……じゃあその友情の邪魔をしないように私はお先に教室に行ってますね」
と、答えてあっさりとその場を離れて行ったのだった。
その彼女の姿を見送ったところでため息と共に勅使河原がようやく組んでいた肩を離す。
「あー……。危なかった……」
「勅使河原……最後のあれはいらなかったんじゃないか?」
「何言ってんだよサカキ、あれがなくちゃ肩を組んでたのが怪しまれるだろ!」
「……あの言い訳だって十分怪しいさ」
指先で額の汗を拭った後、普段どおりの仕草で風見君は眼鏡を上げる。
「それより榊原君、さっき言った桜木さんのお母さんの話って……本当?」
「あ、うん。昨日の国語はちょっと早く終わって廊下にいたんだけど、その時桜木さんが出てきて……。それで少し話したらそう言ってたんだ」
「そうか……。それで昨日……」
何やら風見君は1人で納得している。そういえば久保寺先生は帰りのホームルームの時にも結局桜木さんの早退にまったく触れなかったし、ちゃんとした事情を聞いたのは初めてなのだろう。
「……まあいいや。さっさと教室行こうぜ。なんだか朝から疲れちまったよ」
「誰のせいだよ……」
まだ考え込み気味の風見君に代わって僕が突っ込みを入れておく。
しかし実際に憂鬱なテストは終わったわけだし、今日の天気も快晴、それに僕の心にあったモヤモヤも綺麗に消えているのだ、気分がいい日であることには変わりない。……一応断っておくと別に勅使河原みたいに女子の薄着などには……まったくではないが……勅使河原ほど興味があるわけではない。
と、そこで一時限目は数学、もしかしたらいきなりテストが返される可能性があることに気がついた。まずい、いい気分はひょっとしたらそこで終わってしまうかもしれない。
……まあそうなってしまったらそれもやむなし。テストの答案は僕の手元にはないわけで、つまりもう賽は投げ終わって目も出ている、その目が何かを僕はまだ知らないという状況なわけだ。
だったらもうなるようにしかならない、と考え付いたところで、僕は昇降口の靴のロッカーへと手をかけた。
「ん……?」
が、僕のロッカーの中に入っていた1枚の紙切れ。ここに書かれていたことによって、天気が快晴だの一時限目に返ってくるかもしれないテストだの、そんなものは些細な問題になってしまったのだった。
『お昼、屋上で食べるので気が向いたら来て。 見崎』